はてなキーワード: 浸食とは
何度も言わせないでください
正直お呼びじゃあないんですよ
改悪された種苗法や著作権法から農家や権利を守る闘いをしているのです
いわば聖戦に等しいのですよ
それを何ですか、オタクくんたちは
総選挙がなんだ、投票券が無料配布されてる国政投票には行かないくせに
お前らのお気持ちで私たちの声が届かなかったら国が崩壊するんですよ!!!
何が引退だよ、こっちこそ追及をお前らに妨害されて黒川の辞意を翻されたらたまったもんじゃないわ
ネットをやるんじゃねーですよ
今大変なことになってるのを全部無視してお前らは楽観視して
ここは遊び場じゃないし趣味を呟くところでもない
オタクくんたちは2ちゃんやふたばで隠れてシコシコやってなさい
そうしないと日本は腐ります、もう取り返しのつかない未来が来ています
いいですね!!!!
痴漢にあって嫌なのは「触られたこと」よりも「触られてるのに抵抗できず、自分自身が弱者であると認識させられること」なんだよね。
体撫でまわされようが股間押し付けられようが触らせられようが何もできないの悔しいんだよね。
でも何も出来ないことで自分が弱者であることが嫌でも感じてしまうし思考が徐々にそう思うように浸食されてしまう
自分は高校3年間かけて糞ほど遭遇した電車での痴漢やら、たまに道で会う変態やらどもにその思考を無理やり叩き込まれてしまった。
見た目はただの普通の女子高生だったと思うし表面的なコミュニケーションはとれるが、中身は健常な人間ではなくなっていた
特に男からの色々な誘いを断れなくなっていた。大学生になれば飲み会でお持ち帰りだの、友達とワンナイトだのそんなのばかり。
そうなると自然とまともな男は寄り付かず、連絡が来るのはやりたいだけの男ばかりになっていく。
次第に何も考えなくなっていく。ただ誘われたら行く。それだけ。
そんなある時、道で複数の男にナンパされた。いつも通り強い抵抗も逃げることもできず、結局ホテルで一夜を過ごした
さすがに複数と一夜を過ごすのは怖かった。逃げるチャンスはいっぱいあった。でも自分じゃ逃げられないと本気で思ってただされるがままだった
今までは考えることをやめていたが、そうだ、自分は弱者で断ることなんてできないんだ。自分が弱者で相手に勝てないと思わされることがこんなにつらいとは思わなかった。
だから考えないようにしてたんだろう。そりゃこんなにつらいんだから当たり前か。
土曜の夜に酒をひっかけていたら色々頭に浮かんできたので、そのままを書いてみた。
高校の時に何か出来れば、こんなことにはならなかったのだろうか。
私は平原綾香さんの「 Jupiter 」という曲が、世界で一番嫌いな曲だ。
なんでかというと、平原綾香さんが歌詞をつけたせいで、ホルストの名曲が「 Jupiter 」になってしまうからだ。
この曲が発売された当時、私は小学生で、やたらと流行していたのを記憶している。音楽番組でもよく歌われており、持て囃されていた。
歌唱力が高く壮大でお行儀が良い歌詞だったからなのか、教師たちもこの曲を気に入っていたと思う。学校でも聴く機会が多く、歌詞をプリントした紙を配布された記憶もある。
「 Jupiter 」は好きでも嫌いでもなかったが、「 Jupiter 」という曲は私の身近にあった。
それが原因で、私はあの旋律が流れると、必ず平原綾香さんの声が脳内で再生されるようになってしまった。
よって、どんなときでも「エ~ブリデ~」と歌詞が流れだしてしまう。
私はそれが本当に嫌で嫌で嫌で仕方がない。
オーケストラを聴いていても、それはホルストの音楽でなく、平原綾香さんの「 Jupiter 」のオーケストラバージョンを聴いているような感覚になる。
なにかのタイミングで流れるたびに、平原綾香さんの「 Jupiter 」として聞こえてしまう。
地味にショックだったのはHUNTER×HUNTERのアニメだった。ボノレノフの「木星」のシーンも、平原綾香さんの「 Jupiter 」がBGMとして流れてきた。
やっぱり脳内再生されてしまう。どれだけ浸食されてるんだと切なくなった。
平原綾香さんはどうして既存の名曲に歌詞をつけて歌われたのだろう。
私と同じように、ホルストが作った名曲が、平原綾香さんの「 Jupiter 」として変換されてしまう症状を抱えている人は、相当な数がいると思う。
元々のメロディが壮大であるのと、平原綾香さん自身の高い歌唱力により「 Jupiter 」はすごく高尚な楽曲に聞こえきて、それがまた無性にムカついてくる。
苦手な音楽ジャンルがあれば聴いたりしないから害はないし、作品を貶めることなんてしないし、したくない。単純に私の肌に合わないだけで、他の人から聞けば良い曲であるからだ。
「中国共産党が日本の学問の自由を浸食」専門家が危機感 北海道教育大の元教授拘束から2年:朝日新聞GLOBE+
これのブクマで、無理やり日本批判につなげる必死なはてサのコメントが酷すぎる。
[B! 中国] 「中国共産党が日本の学問の自由を浸食」専門家が危機感 北海道教育大の元教授拘束から2年:朝日新聞GLOBE+
私も自民党政府が完璧で素晴らしいとは言わないが、学者が政治的な発言によって逮捕収監されたり、行方不明になることなんて日本では無い。
せいぜい、干させるぐらい。干されることが禁止だっていうなら、アメリカのスポイルズ・システムなんて干すことを制度化しているようなもんだ。
それとも立憲が政権取ればが大月隆寛が復職し、呉座勇一がテニュアになり、高橋洋一が内閣官房参与に復帰するのか? そんなわきゃない。都合の良い学者を起用するだけだ。
id:grdgs 自民党も都合の悪い学問に抑圧の動きを見せている。自民党と中共は本当に似た者同士だよ。って事実を書くと、自国の話をするなと言う者達がワラワラと出るのも中共と同じ。日本保守と中共は本当に似た者同士だよ。
おいおい。確かに、自民党は政権に批判的な学問に対して否定的な立場だ。だが、文科省の官僚が、ジェンダー学者や社会学者、左派の歴史学者のの科研費をいきなり切ってるか? そんなわきゃない。それとも、政権に批判的な学者の首切ってるか? それも当然に無い。
id:RRD 中国共産党だけが事実の掘り起こしを嫌うんじゃない、全ての権力が嫌う。だから特に文系の学問は権力と対立する宿命を持つ。これを日本の権力に反すると叩くヤツが、中国の権力に反すると喜ぶのよ。付き合えるか!
まず、大学教授だって十分に権力だ。それに、事実と評価を切り分けずに、学問を僭称して道徳警察ごっこ政治ごっこやっている連中が何を偉そうに言ってるんだって話だ。
id:quick_past 日本の学問に最初から自由なんて無いよ
そもそも、完璧な自由なんて言うのは無いが、こんなのただの因縁付けだろう。中国やシンガポールにでも行っていろいろ味わってきたほうがいいんじゃない?
MSが恐れていたLinuxは今はもう無く、サーバ市場でMSに利益をもたらす家畜になった。
そして今となってはデスクトップOSとしての可能性がMSによって摘み取られようとしている。
WSLでGUIアプリが動くようになることで、GPUメーカーは最新チップのドライバをLinuxに提供する意義を少し失う。
LinuxのOS自体もデスクトップOSとしてベアメタルに載せる意味が薄くなっていく。
Linuxがwindowsに浸食しているのではなく、Linuxがwindowsの単なるコンポーネントの一つになりつつある。
UEFIの為にプロプライエタリという毒を喰らわざるを得ない状況もWSL向けディストロなら不用だ。
MSに飼われ続ける限り、最新GPUの性能を活かしたプログラムを動かせるし、そのほかのデバイスもどんどん使えるようになるだろう。
windowsのコンポーネントの一つになった方がデスクトップOSとしてLinuxの価値が上がってしまうと言うのはなんとも皮肉な話だな。
この文章は「丹波寿雄」という架空のキャラクターについての感想文です。
実際の国、団体、企業、ありとあらゆるものとは一切関係がありません。
丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す
そもそもは怖井たま氏によって2018年4月1日にYoutubeに投稿された架空のVtuberとでも呼ぶべき何か。
たま氏が以前SRPG用に作ったがボツにしたというキャラクターであり、そのゲームの中で彼?は敵キャラだったようだ。
その彼との戦闘時BGMのために作られた「恋という名のバグ」をひっさげて「俺の曲」と称し、曲を聞いてくれと散々視聴者にお願いする。
以降、何度かのテスト配信やら何やら、ツイッター開始してみたりやらと四月馬鹿にとどまらず静かに活動が進み、
ついに2021年4月8日、「【Vtuberとしおちゃんねる】#2」という動画がYoutubeにアップされた。
丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す
かいつまんで説明すると「俺の事を邪魔しつづけているものがいる」「俺のを聞いてほしい」「俺の曲を聞いてもらうことで俺が複製され、俺のリソースが増える」という内容だ。
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早い話が作者の怖井たま氏と丹波寿雄の関係があまりよろしくないらしいという話である。寿雄の活動を何者かが(恐らく作者のたま氏が)ずっと妨害しているという事なのだが、具体的な内容は
ツイッターの#個人的丹波寿雄考察やら#具足円満寿雄曼荼羅やらに説明をぶんなげる。こんな文章を書いておいて何なんだが増田は丹波寿雄を最初から追っていたわけではなく、
先月ごろYoutubeにおすすめ欄に流れてきたのではぇ~いい曲だな~面白いな~と呑気に聞いていた程度の新参なので細かくは説明できないというのもある。
作者のツイッターが時折乗っ取られていたりする痕跡があったりリプに介入してくる様子であったり枚挙にいとまがない、というのもあり、とても説明し切れる自信がない。
強いて言うならhttps://twitter.com/i/events/981152273291079682とかあたりから始まってるようだ、ぐらいの紹介が手一杯だ。
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曰く、「恋という名のバグ」には丹波寿雄の魂が閉じ込められており、その曲を再生してもらうことで視聴者の脳に(具体的には扁桃体、感情の処理と記憶をつかさどるとされる器官)
丹波寿雄の魂が植えつけられるのだという。そうして彼の存在をもっともっと拡散したいのだと彼は主張するのだ。
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以上が丹波寿雄が動画内で主張する内容の要約だが、この動画には字幕がついている。字幕をオンにしながら視聴すると、何者かのもはや懇願ともいえる内容がそこにはつづられている。
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「丹波寿雄はフィクションです」「丹波寿雄をフィクションにしてください」丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す
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全文書き起こしすればこんなものでは済まないもっと悲壮な内容なのだが結論はこうだ。そして字幕の最後に謎の文字列。
それを解読するかしないかはお任せするが迫真すぎてしんどい内容だったとはお伝えしておこう。作者がフィクションとはいえ気の毒になるくらいには。
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今までの投稿された動画、ツイート、マシュマロの内容を踏まえて、丹波寿雄が果たして増えて何をする気なのかは未だ不明だ。
だがちょっと思った。「いやそんな風な目にあう人がいるんなら嫌だわ」。いくらフィクションとはいえ、である。
Vtuberや、あるいは架空のキャラクターが現実に浸食するような内容のエンタメは割とその辺に転がっている。
だが変な話、あくまでそれらは「そういう物語」なのだ。茶番なのだ。いくら真に迫った、まるで本当にそこにいるかのような動きを見せても彼らは画面の向こうにしかいない。
フィクションなのだ。だが、感想やらなにやらを追うと、今回の場合ちょっと様子が違ってくるように思える。
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「としお派」あるいは「作者派」の分裂だ。
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こんなん当たり前のように「こんな内容の動画作れる作者さんすごい」になるようで、丹波寿雄がVtuberの形をとっているからかあるいは#2の内容のせいか「としおちゃんはいるよ!!!」と高らかに宣言するファンが割とぽろぽろいるのである。それはいい。実にコンテンツを楽しんでいる。とてもよい事だ。だが自分はしいて言うなら作者派だ。
丹波寿雄は、#2の動画の前にあげたテスト動画で、トライトーンについて触れている。
曰く、「悪魔を呼び出す和音だなんて言われている」「だがこの和音は俺の曲にも使われている音で、怖い音なんかじゃない」。
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まようするに丹波寿雄は単純に「わ~かわいい~」してみている訳には、あんまいかないんじゃないかな、と思っただけなのだが、じゃあさてどうしたらいいかなあという話である。
悪魔だかミーム汚染だかなんだかわからないが、そんなのに対してどんな手段がとれるだろうか?と考えひとつの提案も兼ねてこの文章を書いているわけだが、私はこう伝えたい。
丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す
丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.だ.つ.っ.て.ん.だ.ろ
早い話が「おばけなんてうそさ」である。見間違いなのである。幽霊の正体は枯れたススキで、悪魔だ妖怪だと言われるのは今や色んな理由で解明されて、どこにもいないのである。
彼は実在しない、たんなる0と1の集まりだと伝えたい。おかげで昨晩ずっと丹波寿雄について考えていてソシャゲのログボを忘れた事にむしゃくしゃしてるとかそんなんではなく、ただただフィクションのお話だよと伝えたいのである。
フィクションである前提を頭にしっかりと刻み付けたうえでみるなら、とても面白いコンテンツだとお伝えしたいのだ。丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す
こういうものは餌をやったりのぞき込んだりしたら汚染されるものだなんてお約束はSCPなんかに触れている人ならなんとなくわかりやすいだろう。イヤーッ!という文字列が女性の悲鳴ではなく忍者の雄たけびに聞こえるようになって久しい。だがこれらはあくまでフィクションなので、実際にはなんにも起きてはいないのだ。丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す
「フィクションだってんならなんでわざわざこんな風に回りくどい紹介をするんだ」と問われれば、「フィクションだという前提で紹介したいからだ」としか言えない。
だがこんなわけわからない書き方をしつつも丹波寿雄についてどこかに書きたくなるほどには、衝撃的なコンテンツだったのだ。
丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す
丹波寿雄の物語はここからどう動くのかわからない。なんなら作者の怖井たま氏が物語によってどうにかなっちゃうんじゃないかとうっすら心配になる。
だが丹波寿雄はフィクションだから作者は本当は安全なのだろう。それを踏まえて今後をおっかなびっくり楽しみにしていきたい。
丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す
ケンスケがシンジに第三村を案内する場面。首無しインフィニティを指して「最近徘徊するようになった」と言う。これはシン・エヴァの公開が待ちきれず、そわそわしているエヴァの呪縛に囚われた哀れな人間の末路。
劇中の首無しインフィニティが心待ちにしてるのは4thインパクトである。
首無しインフィニティはエヴァの呪縛に囚われれた哀れな人間の末路である。
エヴァの呪縛に囚われれた哀れな人間が心待ちにしているのは新劇エヴァである
自動的に、3rdインパクトは旧劇エヴァ(まごころエヴァ)、ニアサーは新世紀エヴァとなる。
新劇では「破」のラスト予告枠で3rdインパクトが起きた。ならば、新劇Q以降のコア化した世界は旧劇エヴァ(=3rdインパクト)を観た者の心象風景に他ならない。
なお、2ndインパクトは機動戦士ガンダムである。なぜなら、新劇エヴァの世界では2ndインパクトは「15年前」に起きたとされている(新世紀エヴァでは西暦2000年)。
ニアサー=新世紀エヴァが放映されたのは1995年であり、その15年前は1980年。すなわち、機動戦士ガンダムが放映された年である。
使徒は福音(evangel)を非信者に伝えるものである。エヴァの福音を配偶者や同僚へ伝えるエヴァ信者。
エヴァンゲリオンに興味を持たない、あなたの隣人。使徒による布教やコア化を心から恐れている。
ケンスケがシンジに第三村を案内する場面。首無しインフィニティを指して「最近徘徊するようになった」と言う。これはシン・エヴァの公開が待ちきれず、そわそわしているエヴァの呪縛に囚われた哀れな人間の末路。
劇中の首無しインフィニティが心待ちにしてるのは4thインパクトである。
首無しインフィニティはエヴァの呪縛に囚われれた哀れな人間の末路である。
エヴァの呪縛に囚われれた哀れな人間が心待ちにしているのは新劇エヴァである
自動的に、3rdインパクトは旧劇エヴァ(まごころエヴァ)、ニアサーは新世紀エヴァとなる。
新劇では「破」のラスト予告枠で3rdインパクトが起きた。ならば、新劇Q以降のコア化した世界は旧劇エヴァ(=3rdインパクト)を観た者の心象風景に他ならない。
なお、2ndインパクトは機動戦士ガンダムである。なぜなら、新劇エヴァの世界では2ndインパクトは「15年前」に起きたとされている(新世紀エヴァでは西暦2000年)。
ニアサー=新世紀エヴァが放映されたのは1995年であり、その15年前は1980年。すなわち、機動戦士ガンダムが放映された年である。
使徒は福音(evangel)を非信者に伝えるものである。エヴァの福音を配偶者や同僚へ伝えるエヴァ信者。
人間らしい生活を送る、あなたの隣人。使徒による布教やコア化を心から恐れている。
自分から考察とかしてる人じゃなくて単なる人の書いたのを読んだだけだけど答えてみる。
明示されてない。
漫画版読むとユイの事が好きだったらしいからユイの息子を助けたかったとか、ユイ自身の思いを継いだとかそんなところ?
メタ的な視点では真希波=デウスエクスマキナ(機械仕掛けの神:ギリシャの演劇で終幕のためにオチをつける役)じゃねーのって言ってる人もいる
漫画読んでないから詳しく知らないんだけど、マリは冬月先生のとこの学生さんだったらしいけど、じゃあなんで一人だけ老けてないの?
エヴァに乗ってると老けないみたいな設定?だったけど、マリがエヴァに乗ったのってQの最初の方で加持さんと一緒にいたところが初めてじゃないの?時間軸が違ったの?
それともエヴァパイロットだから老けないって言う設定とは別の設定があるの?最初からカオルくんみたいに人間じゃなかったってこと?
これも明示されてない。
綾波、式波がクローンだったから~波なマリもオリジナルマリのクローン説とかある。
カオルくんはループしてるみたいな話だったような気がするけどループしてるってどういうこと…?
Qで死んだカオルくんとは別のカオルくんも色んなところで死んで、また月みたいなところの棺桶から同じ姿で生えてきて、死んだあとの時間軸にカオルくんとして登場してくるってこと?
生命の書っていうのに名前を書いているとやり直しても記憶を保てるとかなんとか。
メタ的に言えば旧劇場版や、その他の展開の記憶を持っている、くらいでいいんじゃね。
冬月先生は何がしたかったの?自分のとこの学生がヤバい道に進んで取り返しがつかなそうだから一蓮托生で最後に刺し違える気持ちだったってこと?
刺し違える気はなかったと思う。
マリがエヴァをたくさん食べて、シンジくんを迎えに来たときにエヴァの姿が色々切り替わってたけどあれはどう言う意味があったの?
俺が覚えてないから回答できない。
アスカのシーンで、回想しながら沢山のアスカの写真が一枚ずつ消えてったのに、レイの説明の時には一枚しか写真が残らなかったのに、アスカの時には最後に2枚残ってたのはなんでなの?
惣流と式波で2枚?じゃあ惣流ってどこで何してんの?出てこなかったよね?
式波のオリジナル説と、惣流アスカラングレー説を見かけたけど惣流でいいんじゃね?
破で第九使徒に浸食されたのを封印柱で使徒化しないように封印してた。
加持さんがサードインパクトを止めたって言う話だったけどどうやって止めたの?
破の最後で起きたニアサードインパクトは月から投げたロンギヌスの槍で途中で止められた。
一方Qでは槍が2本刺さってたからカシウスの槍で止めたんだと思う。
槍ってなんだよ!
そんなもんはねぇ!
なんかみんな満足とか不満足とか判断できるくらいには理解できてるみたいだし、アラサーアラフォーのオタクの共通言語的な雰囲気の作品みたいだし見てみるか〜って今年になってから見た私みたいなにわか知識では全然理解できないシーンばっかりだったけど、多分、シンジくんはお父さんと和解?できて、中学生の頃の初恋みたいなものにもケリがつけられて、自分が不幸にした世界でも頑張って生きてる同級生を見て立ち直る決心をして、ハッピーエンド的な感じで大団円ってことで良いんだよね…?
アラサー、アラフォーオタクの心にしこりになって残ってたのは、テレビ版、旧劇場版(Air/まごころを、君にとかEoE)で3回も物語に決着がつかなかったことなんだと思う。
特に旧劇場版は監督のメンタルがやられてたせいで「他人はいないといけないけど、近くにいると傷つけあう。それでも現実に戻らないと」みたいな結論になって、その結果アスカの「気持ち悪い」で締めることになった。
それが今回のシン・エヴァンゲリオンでは前向きなメッセージで終わることが出来たから、エヴァを追ってきた人は成仏できたんだと思う。
そこに至るまでのシナリオが陳腐だとか、アクションシーンが序、破に比べてQ、シンはイマイチとか、俺/私はアスカとシンジ/カヲルとシンジのカップリングが見たかったんだよ!みたいな嘆きも一部残ってはいるけどね。
もちろんのようにネタバレを含むので、注意してほしい。
見終わった感想は、「本当に終わった」だった。
すごく丁寧に「伝える」ことに真摯に向き合っていると感じた。
それは描いていることだけではなく、描かれなかったことも含めて。
きちんと振り返り部分がある丁寧さが、この映画を象徴しているといっても良い部分。
復習して来いよ、ではなく、劇場でこれまでを振り返る。その丁寧さが全編にわたってある。
忘れてならないのは、これは劇場4部作ではなくて、エヴァンゲリオンの最終作ということ。
だから、題名からして「シン・エヴァンゲリオン劇場版」であって「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」でないところで主張してる。
そして、「まごころを君に」「世界の中心で愛を叫んだけもの」ときて、「未来からのホットライン」で落としているところに、本当に最後なんだな、という気概を感じる。
NOTでも(NOT)でもなく、今までの否定でも追認でも無い、終わりが来たんだなという予感は正しかった。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版序破QはTVシリーズみたいなもんで、今回が劇場版」みたいな位置づけっぽくみえる。
冬月副指令側はネルフパリ支部を守る陽電子砲側で、ヴィレは侵略する側。
派手なアクションシーンであるとともに、赤いヤツって戻せるんだアレというのをこれ以上ないほど明確に見せる場面。
直接の描写が牧歌的なだけで、薄氷を踏むような生活というのが描かれずに表現されているように思う。
トウジは「医者の真似事」だし、ケンスケは「なんでも屋だが風車のメンテはできない」。
食事は配給制で、一軒家はトウジの医者という特権性に由来する特別扱いになっている。
綾波型初期ロットはそのトウジの客人ではあるが、農作業にわりとしっかり従事させられている。
そしてそこにいるのは老婆が中心。
若い男女や男性は、綾波型の心の触れ合いのような農作業には出てこない。
銭湯や図書館も牧歌的ではあるが、つまりは個別の風呂や嗜好品が持てない生活を、直接の描写なしに示唆している。
でも、並行複発酵である日本酒を飲める程度には豊かさがある。衣服も残ってる。(心の余裕はまず生活の余裕から)
でも、味噌汁に口をつけないことで激昂する大人がいる程度には食料に余裕がない。
たぶん、ココを受け付けるかどうかはその人のエヴァンゲリオンへの思いによる気がする。
第四話の「雨、逃げ出した後」だよねココ。
ひどい経験をしたシンジが家出をして、ケンスケとキャンプする。
TV版では、その後無理やり連れて帰られるけど、ネルフから出ていこうとして、自分の意志では電車に乗らなかったと言う流れ。
ケンスケの描き方はあの時からある意味で一貫している。自身の興味には忠実だが、相手の心情には過度に踏み込まず、黙って見守る。
「なんでみんな僕にやさしいんだよ」という嗚咽がほぼすべてだけれども、誰にも強制されることなく、しっかりと時間をかけてシンジだけで結論を出すのが良かった。
今までのシンジくんって、口ではみんな色々言うけど、それほぼ強制じゃんってのが多かった。
あなたが決めなさい、とか。それシンジくん考えられる状況か?その環境作るのが大人だろうっていう。
あの農作業をしていたのがシンジで、みんなの優しさに触れてこの村を守るために戦うんだ、だったらたぶん流石についていけなかったと思う。
で、今までのエヴァだったら絶対にあのアスカの「泣くだけ泣いてスッキリしたから家出は終わりか」みたいなセリフ入れなかったと思うんだよね。
その後の、ケンスケとの見回りと治水の管理で「基幹産業たる農作業を免除されてる」とか「池が村の生命線」とか言わなかったような気がする。
村が赤く浸食されてない理由とか、ニアサーも悪いことばかりじゃなかったさみたいなのは、察しろよ、みたいな描写になってたんじゃないかな。
プラグスーツを着ていないと体を保てない綾波型が、その短い生の間に、様々な感情を駆け抜けていったのも象徴的だったように思う。
その一方で、加持さんの子供がしっかりと「世界をもとに戻す」実験に従事しているというのも、良かった。
ミサトさんは、スイカの種を見るだけなんだよね。種をまいて育てるのじゃなくて、種を残す方。
あの村のシーンこそが、シン・エヴァンゲリオン劇場版の急所だと思う。
シンジに好意を持つように設計された綾波型が感情を受け入れるも、なお運命の通りになる。
シンジは誰からも放っておかれる状態で、本当に自分がかけたいだけの時間をかけて、やっと決断する。
最初こそアスカに無理やり食わされるけど、シンジくん自分でレーション食ってんだよね。そして食うことに対して泣く。
自分で食い、自分で泣き、自分で時間をかけて、最後に無垢な問いかけに返す形で結論を出す。本当に良かったと心から思った。
アスカが途中で言ってたけど、そんなシンジくんみるの相当しんどいと思う。
で、そこは委員長の異様なほど優しい言葉や綾波型初期ロットとのやりとりでカバーされてる。
TVシリーズだったら赤木博士に「村での摩擦は死に直結するわ。学習性無力感の一種ね」くらいは言わせたと思うんだよねマジで。
落ち着いた後で、トウジと会話をしてお前は十分やったって言われたり、ケンスケからは親父とは話しとけよって言われたり、加持と出会ったり。
時間計ってないけど、かなり丁寧に時間をかけてあの一連のシーンが描かれてたと思うし、相当な比重じゃなかったのかなアレ。
でもなあ、序破ときて、Qでのカヲルくんとのやりとりって、アレまんま洗脳だろ。そらシンジくんでなくても壊れるよ。
親しい人と引き離して孤独にし、信頼を得てから既存の価値観を壊し、そのショックが大きい間に新しい方向性を示す。
で、洗脳が解ける前に、信奉した教祖たるカヲルくんが自分のせいで目の前で死んだら、そら壊れるよ。
それをきちんと作品内で比重を置いて向き合って時間をおいてくれたの本当に良かった。
アスカのDSSチョーカーみて吐くシーンは象徴的過ぎてインパクト強いけど、マリもアスカも対爆隔離室内に自室があって爆薬増やされてるってことは、シンジくんと同じよね。
シトと一緒だからじゃなくて、エヴァに乗る適性がある人間に対しての強い警戒心。
あと、振り返って考えると「ワンコくんとの進捗どうだった」のあと、「年頃の男には興味ないか」みたいなことマリがアスカに言ってなかった?
そういや、冷酷っぽくふるまってるアスカが、劇中ほぼ唯一恥じらってるのがケンスケにカメラ向けられたときなんだよな。
シンジくんって、ヴィレ判定で精神的に安定してるって言われてるから、綾波型初期ロットとの直接のお別れを経験後なわけで、親父すでに超えてるんだよな。
たしかその前後で、冬月副指令が、「自分と同じ喪失を経験させるのも息子のためか碇」とか言ってなかったかな。
あと、どのシーンでもマリって劇中で誰かと相対するときには、相手のパーソナルスペース内に入ってんだよね。
破で、シンジくんの匂いを嗅ぐ、引きこもってるシェルター内のシンジくんを引きずり出す。
アスカには抱き着く、後ろに回って髪を切ってあげる。シンジくんの後ろから手を回してだ~れだって問いかける。
古今東西の書物を読み漁り、相手の懐に入り、どのタイミングでも余裕たっぷりなのは、イメージとしては「魔女」だよな。
アスカが死に装束でしょと返したスーツを着た後、シンジにわざわざ会いに行ったのはどう考えても最後だと思ったからで、
わざとだよなあの艦隊戦とあの曲。
そういや、エヴァで誰を殺せば世界が平和になるかって言ったら真っ先に冬月副指令だと思うんだよな。
Q以降、ほぼ単独で組織的な攻撃に対応してるのとか、そもそもの研究室の件と言い、このオッサンが元凶だろう。
舞台を整えるの全部やり切ってるしな。
セカンドの海の浄化、サードの大地の浄化だったら、フォースって空の浄化じゃないんかい。
あとゲンドウがきっちり葛城大佐、赤木くんって呼んで反論しててちょっと面白かった。
ミサトさんに息子の話をするシンジくんは、はっきりあいつのこと好きだよって言ってるんだよね。
自分が人を評して、それを他人に伝えることに躊躇しない最初の相手がミサトさんなのは結構グッと来た。
アレなニュアンスの旧劇ではなく明確に母親ポジションとして描かれているので安心した。
ゴルゴダオブジェクトの上で、マイナス宇宙でヒトが認識できる形を記憶からLCLが作ってるんだっけか。
きっちり旧劇っぽく親子喧嘩をメタっぽく描いてるのがエヴァだよねって感じで良かった。
よくよく考えると、わりと新劇場のゲンドウって、最初から甘いんだよな。
息子とは墓参りに行くわ、息子との食事会には行こうとするわ、わざわざ褒めるわ、本部壊すまで駄々こねた息子をギリギリまでやらせるとか。
聞けば答える、本当にコミュニケーションが苦手な親父として描かれている感が最初からあったけど、まあそうなるかなーという。
やるべきことを完全にやり切って、マリの必要なものも全部集めておいて、見届けずにL結解密度が高い中で無茶してLCLになる冬月先生。
やっぱこの人が完全に元凶な感じがしてならない。
ただまあ、ユイさんってこうサークラじゃないけど、なんだろうこのワールドクラッシャーな感じ。
ゲンドウが大人の理解力と表現力で、内面をきっちり吐露していくシーン。
「ユイと出会い、楽しかった、ユイだけが受け入れてくれた」みたいなところで、どの場面でもマリがちょっかいかけてるのに一切触れられてなくて草生える。
あの流れだけ見ると、昔ちょっと好きだったゲンドウくんの息子のシンジくんを迎えに行く女みたいになるんで、それはちょっとという気にもなる。
新しく作られたガイウスの槍のシーン、シュワッキマッセリーって流れてて、聖☆おにいさんを思い出しました。
ただ、ミサトさんの死と思いを受け取れるシンジくんはほんとにゲンドウじゃないけど、大人になったなって感じた。
最後に息子から歩み寄られて謝っておそらくは和解したゲンドウが、息子の中にユイを見出すの、
繰り返しになるけど、死を否定したり無かったことにするのではなくて、受け入れたうえで先に進もうとするメッセージ性を強く感じた。
狂言回し、なんだろうな。ゲンドウが降りたらもう確かに誰もその位置に立てないしな。岸辺露伴ポジション。
旧劇の場所でアスカに思いを伝えるシーン、マリが出てくるのバグってるっぽいなー
カヲルくんと加持さんが出てくるシーン、ゲンドウとシンジとの両方の位置にカヲルくんが居るんだよね。
シンジくんに依存しない世界でのカヲルくんの理想の世界は、加持さんと接してたところになるのかなー
加持さんは、ヒトの存続よりも種の多様性を残そうと尽力したって位置づけなんだろうな。神の使徒に愛される男。
時間も世界も戻さずに、エヴァに乗らなくて良い世界に書き換える。
時間の巻き戻しではなく、違うパラレルワールドでも無くて、継続したまま治そうとする。
たしか、マリさんも迎えに来るからって綾波に伝えて別れを告げる。
てことは、アノ世界はなかったことにはならずに継続したまま、シンジくんにエヴァを消された世界に作り替えられるけれども、シンジくんは戻れないってことだよな、と思った記憶がある。
あれだけゲンドウがユイの胸で泣きたかったって言ってたのに、母さんを送りたかっただけなんだねって納得するのは、シンジくんの理解力が大人で成長したなあと。
それを、アニメーションのセル画っていう低次(二次元)の存在に落としたうえで、マリに迎えに来てもらって元に戻すっていうのは、すごいな。
マリに相変わらずいい匂いって言われたあと、相変わらず可愛いよっていうシンジに対して、
いっぱしの口を利くようになってといって、DSSチョーカーを外すのって、あれシンジの主時間で時間経過してない表現だよな。たぶん。あれが入らないと、何年も経ってるように見えるし。
そのために甲板でDSSチョーカー嵌めたのかなあ、自ら進んで嵌めるって演出にも見えたんだけどヴィレ的には必然性ないよなアレ。
最後、シンジから手を引いて階段を昇っていくのが、ああ、終わったんだなって。
というか、ぶっちゃけると、シンジくんが緒方恵美さんの声から声変わりしていた瞬間の衝撃が強すぎて、あとは流れるように見ていた。
ハッキリと明確に、彼が大人になったと感じた瞬間だった。
ああ、エヴァンゲリオンのアニメーションとしての作品は終わったんだなと思った。
一人一人に引導を渡していって、最後にあまり知らないが好意を持ってくれる女と手を繋いで階段を昇っていく。
この先どうなるかはわからないけれども、しっかりと大人になったシンジを見て、ああ、本当に良かったと思った。
鏡を見ろ現実に帰れみたいな突き放し方じゃない、同じ意味でも伝え方の違うアニメーションの力。
加持さんは裏で我儘を通し切ってた。ミサトさんは意地を押し通した。ペンペンはきっと殖えてる。
だが共有スペースはやめようや、と話しあったのか。
話あったのかが特に大事。うちのクソ姉妹がよくやるのは、なんだこのクソアニメ意味わからんと1回だけボソッと文句言って立ち去る(←立ち去るのが特にダメ)みたいなこと。それでいて、私はちゃんと伝えてしかも我慢しているのに、みたいな考えてでいる。俺は一回ダンナに代わって怒ってやったことがある。
とかく不満をため込むタイプの女性はそういうことをやりがちと感じる。
なんで話さないんだと言ってやったら、言っても無駄だから、とかどうせ言うんだろうが。どう見ても無駄かどうかが判るほど言葉を尽くしてない。
なんなら、ちゃんと爆発したほうが、ダンナに伝わるし反論を受けるからマシまである。
要するに、増田に書くな、口で言え。ということ。