はてなキーワード: 氷柱とは
いうケースで無断録音しても構わないのだろうか。もしも記者など報道機関側が録音したものであれば、取材だと相手に断ることをせず録音した音声を報道で使用することの是非が問われる。それに準じる形で考えるべきだろう。
構わない。全く責任感がないんだから、こういう人間を二度と社長にしたらダメでしょ。
人権の前に人が死んでることを忘れているだろう。
「知床遊覧船」ずさん経営が招いた大惨事…桂田社長に“指南”有名コンサルタントの言い分
公開日:2022/04/29 13:40 更新日:2022/04/29 15:38
ーー桂田社長が「知床遊覧船」を買収後、ベテラン船長が退職していますが、これに関与していますか
遊覧船の買収に関してアドバイスはしたものの、あくまでも安全面を考慮するように促し、船長解雇に関しては一切関わっていないという。
今回の遊覧船事故について小山氏にコメントを求めたところ、「亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともにご遺族の方々にお悔やみ申し上げます。また行方不明の方の一刻も早い発見と救出を、心からお祈り致します」と回答した。
この日付が4月29日、落とした朝刊が4月30日である以上、炎上している気配を察して、マスコミの追及の手を緩めるためにこの記事を書いたといえる。
以下の記事には2ページ目に小さく薄く注がある。
※公開された通話記録のうち一部については、地元の北海道新聞が「関係者」からの情報として、4月30日の朝刊ですでに報じている。同じ音声素材を基に報じた可能性はあるものの、推測の域を出ないため、本稿では、この音声素材を入手していることが明らかな報道に着目して話を進めていく。
これは、水島とPRESIDENTは最初から事実関係に関係なく、この擁護記事を書いていることがわかる。だからこそ小さい薄い文字で訂正を入れざるを得なかった。
さらに日刊ゲンダイをみて書いたのだといえる。4月30日の情報が落ちているからだ。
「報道の理屈」に無条件に納得できる人ばかりではない、ということは水島宏明もこの社長と同じく一切良心などない。ただのクズだ。人が死んでいるのになんだお前は。
これから見てもプレジデントは小山への追及を切りたかったということになる。
遊覧船が沈没しても中古車がぶっ壊れてもプレジデントは平気だ。
別に記載したとおり、朝日出版ともずぶずぶの関係にあり、朝日、AERAにも記事がある。
つまりマスコミはビッグモーターが小山につながっているから報道できなかったわけだ。
小山のせいではないといえるだろうか。
ビッグモーターの社長と、Kaz-1の社長の他人事ぶりはめちゃくちゃで、しかもとてもよく似ている。
証拠を出そうか?水島とプレジデント。大山氏がちゃんと記録している。
https://diamond.jp/articles/-/158611
なぜ、世界遺産知床の「赤字旅館」はあっというまに黒字になったのか?
なぜ、世界遺産知床の「赤字旅館」は
あっというまに黒字になったのか?小山昇(こやま・のぼる)
宿泊は、経営サポート会員でもある有限会社しれとこ村(北海道、旅館業)。
いい宿ですが、桂田精一社長は有名百貨店で個展を行うほどの元陶芸家で、突然ホテル経営を任され、右も左もわからないド素人。
運よく何もわからないから、小山にアドバイスされたことは「はい」「YES」「喜んで」ですぐ実行した。
「値切ってはダメ!言い値で買いなさい」
と指導した。
「買いなさい。自然に溶け込む外壁にしなさい」
と指示した。
ただ、ところどころでもったいないところがあった。
当時の旅館の名前「国民宿舎桂田」も無味乾燥で、お客様がラブストーリーを感じない。
「夕映えの宿」と知床らしい名前に変えるべきとアドバイスした。
知床の冬は寒すぎて客数が減りますが、それなら寒さを逆手に取って、外にテントでも張ってマイナス20度の世界を体験できるプランを販売すればいい。
ハイボールも、普通の氷の代わりに氷柱(自然の氷柱は保健所が許可しないので人工でつくった氷柱)を使えば、倍の値段で売れます。私は観光で行ったはずなのに、結局、経営指導して帰ってきました(笑)。
ぜひ、第1回連載にある、【あなたの会社の危険度ワースト「15の死角」】をチェックしながら、『数字は人格』をカラダ中の細胞に植えつけていただけたらと思います。
小山の指導通りにして船が沈没したのだから当然小山に責任がある。洗脳しているだけでなんら意味がない。
はっきり言えば今でもこの社長は自分の責任なんて全く感じていない。推定でも推理でもない。断定だ。ビッグモーターと同じ。そして小山も何も言わない。
もうお分かりだろう。このクズ社長を育てた小山昇に火の手が及んだので火消しに出た。
水島宏明はそれに喜んで協力して嘘を書いた。
事実を誤認してもそのまま書いている加えていまだにプレジデントと小山昇は「親密なパートナー」だ。
記事の中立性がない。完全にプレジデントは利害関係者といってよい。こんな記事を出すのは疑惑以前にダメでしょマジで。
小山昇どころか、報道の責任があるので問答無用で被害者に金を払うべきだろう。もちろん水島もそうだ。
「知床遊覧船」社長を追い回し、無断録音を公開…なぜそんな取材が許されるのか 説明のないスクープは不信感をあおるだけ
PRESIDENT Online
https://president.jp/articles/-/57403?page=1
水島 宏明
4月23日(土)に知床観光船の遭難死亡事故が起きてから2週間が経つ。
事故を起こした観光船「KAZU I」を運航していた有限会社「知床遊覧船」の桂田精一社長(58)をテレビや新聞などのカメラが追い回し、逃げるように足早に去る映像が連日、放送されている
事故の後も乗客の家族の前に現れて誠実に説明しようとしない。そのことに家族はいら立ちや不信感を隠さない。たまに姿を現しても立ち止まることなく去っていく社長。その背中に向かって報道陣が「社長、遺族に対する説明はないのですか?」「社長、海保とはどんな話を?」などと問いかける。
こうした事故では真っ先に記者会見して乗客の家族に詫びるべき運行会社の社長が終始無言で逃げ回る構図がテレビで放映された。社長が4月27日(水)に記者会見して土下座した後も、この構図に変化はない。報道陣の前を逃げるように走って事務所に入る。逃げるように車を運転して去っていく。
そんななかで、5月2日に日本テレビ系の“スクープ報道”が波紋を広げた。
5月2日(月)、日本テレビの「news zero」が独自のニュースを報じた。
「風評被害ですね」
「事故の原因がわかってないから、あまり言ってもしょうがないんで、謝るだけになっちゃうと思うんですけども」
記者会見をした前日に関係者と電話した時の音声だとして有働由美子キャスターが紹介した。
「もしもし、どうもすみません。今お聞きのようにですね。テレビで流れているように、うちの船で事故しちゃってますんで結構対応が大変で……」
映像を見ると「Seiichi Katsurada」という人物と通話するスマートホンをスピーカー状態にして撮影した動画が映し出されている。
「実際、普通はあの辺で座礁しないっていうのと帰りは遠くを回っているので基本的には……。行きにクマとか断崖絶壁とか見るんですけど、帰りは速度出すために大きく深い方回ってくるんですよ。ですんで水が漏れるような座礁なんかはないんですよ。基本的に。ただ心配されるのは、こっちはクジラがいるので、クジラに当たったり、底から突き上げられると穴あいちゃう可能性もなきにしもあらずで」
「JCI(日本小型船舶検査機構)というすごい厳しい検査を受けて、今いろいろマスコミで流れてるのっておおかたウソで結構捏造されてるんですよ。あした僕も会見、やっと、弁護士から止められていたけどしますけども、事実関係はまだはっきり事故の原因がわかってないから、あまり言ってもしょうがないんで謝るだけになっちゃうと思うんですけども、とりあえず謝罪の方はもちろんするんですけど」(桂田社長)
この音声の後にナレーションで「記者会見に臨む前日の段階で『報道はおおかたウソ』『捏造されている』と主張していました」と説明が入った。
記者会見した前の日に彼が語っていたと報道されたのが以下の内容だ。
「基本的には(遊覧船と宿は)別会社なので宿の方は問題ないと思います。船はもう見つかりかけてて、揚がって事故の原因究明できればまた変わってくるような形だと思うんですけども風評被害ですね」(桂田社長)
桂田社長の電話相手(つまり通話を録音した人物)は知床の観光業関係者であろう。桂田氏が地元で観光旅館と観光船の両方を経営していることから、経営は大丈夫なのかを話す流れでこの“風評被害”という言葉を出したと思われる。
安全管理の問題には触れなかったとしつつ、保険の話になったと以下の音声を流した。
「それでまあ、保険の方もですね。まあ24名ですから、えーっと1人最高1億とか出してもまだ余るような形なので、そちらの方は問題ないかと思いますけど」(桂田社長)
「印象に残っていることはすごく他人事のような感じだった。自分の非を認めないというか。『(事故は)不可抗力によって起きたもの』とおっしゃっていましたし」
実はこの通話記録は日本テレビ系列(NNN)の札幌テレビが夕方の道内ニュースで放送した素材だった。
記者会見で釈明した桂田精一社長が同業者に漏らした「本音」が透けて見え、悪天候で出航したことが事故の原因ではなくクジラとの衝突を疑い、日頃の安全管理体制のあり方を疑うマスコミ報道は捏造ばかりだと考えていることもわかる。
一方、この通話記録は他人の電話を無断で録音したものだ(※)。こういうケースで無断録音しても構わないのだろうか。もしも記者など報道機関側が録音したものであれば、取材だと相手に断ることをせず録音した音声を報道で使用することの是非が問われる。それに準じる形で考えるべきだろう。
実は、日テレ系が報じた翌日5月3日(火)にはフジテレビの夕方ニュース「イット!」が同じ録音データを入手して後追い報道している。フジ系列(FNN)の北海道文化放送が入手した音声素材である。
日本テレビやフジテレビなどが加盟している日本民間放送連盟の「報道指針」には、「1 報道姿勢」で「(1)視聴者・聴取者および取材対象者に対し、常に誠実な姿勢を保つ。取材・報道にあたって人を欺く手法や不公正な手法は用いない」とあり、「3 人権の尊重」の(1)に「名誉、プライバシー、肖像権を尊重する」、(4)で「取材対象となった人の痛み、苦悩に心を配る」としていることからも、「隠し撮り(録音)」は原則許されない取材方法なのは明らかだ。
原則禁止だが、例外的に「他に有力な取材手段がなく、取材内容に重大性と緊急性があり、その取材目的が社会的に正当と認められる場合などに許される」ケースがあるとそれぞれの社がマニュアルで決めている(たとえば、フジテレビの報道局「報道人ハンドブック」2007にこうした無断録音の例外規定があり、BPO(放送倫理・番組向上機構)で議論された案件が2012年にあった)。
今回の桂田精一社長については、その後に海上保安庁が業務上過失致死の容疑で関係先を家宅捜索して明らかなように、重大性、緊急性などが高いケースと見ていいだろう。刑事事件として立件されるのかどうかという段階で桂田社長が航行の危険性をどのように認識していたのかは重大な要素だ。
日テレ系やフジ系による通話音声の放送は桂田社長に対してフェアな取材とはいえないとしても重大性から見て十分に意義があり、妥当性があるものだった。それが報道機関として既存メディアが疑うことがなかった「報道の理屈」である。テレビや新聞の記者たちはこの理屈を基に他社よりも一歩先の素材を入手して報道するためにしのぎを削ってきたと言っても過言ではない。
ところが……である。この「報道の理屈」に対して、ネットメディア全盛の現在では視聴者や読者がもろ手を挙げて拍手喝采してくれるわけではない。
むしろ逆の受け止め方をする人たちが相当数いる。社長の通話記録の報道は日テレ系もフジテレビ系でもヤフーニュースでその都度報道されたが、コメント欄を読むと「通話を録音した人」の責任やそれを報道したテレビ局の責任を問う批判的なコメントが相当数、投稿されていることに気がついた。
つまり、従来の「報道の理屈」を逐一説明されないと納得できない人たちがかなりいるのである。
実は従来の「報道の理屈」を押し通して、読者らに「そんなことは当然知っているでしょ?」という前提で説明もなく、報道の成果だけをいきなり投げつけようとしても、「そんなフェアじゃない手法で入手した報道は許されるのか?」と、報道そのものを疑問視してしまう人たちが存在する時代なのだ。
(略)
https://twitter.com/Unagi_Kousuke/status/1663839294572879872
うなぎはかなり古いファンタジーを読んで育った生物なので、昨今のドラゴンの扱いには少しばかり辟易する事がある('ω')
あれは「知恵ある頂点捕食者、コントロール不能な生きた災害」というのがうなぎの感覚であり、チートを見せびらかす為に簡単に狩られてしまうと些かショックを受けてしまう。
〇カドモスが戦った竜:いろいろな攻撃を試されて殺される。瞬殺されなかっただけましな方か。
〇ベオウルフが戦った竜:老境のベオウルフと相打ち。善戦した方だが相手は老人・・・。
リプ欄にはキリスト教が~というのもあるが聖ゲオルギウス以前からドラゴンは普通に噛ませということがわかる。
「神話だからあっさり片付けられるのは当然」では近現代のファンタジー作品群を見てみよう。
〇サラガヴヴェルグ(サクノスを除いては破るあたわざる堅砦):年端もいかぬ少年に鼻づらをボコボコに殴られた挙句、剣の素材となる(モンハン!)
〇イエボー(ゲド戦記):かけだしの魔術師見習いにあっさり真名を見抜かれて放逐される。
〇アイシングデス(ダークエルフ物語):ねぐらの氷柱が頭に突き刺さって即死。(環境キル)
もちろん、夢の中の話だ。
現実にできたら、苦労しない。
私はその同僚のことが嫌いである。
しかし、従業員50人にも満たない会社のため、全く関わらないということができない。
少し過去に遡る。
そいつは、「俺にやれってことですか?」って口答えした。
お前にやらない理由がないのに、なんで口答えするのか? (こっちは、断らせないために、やらない理由がないのを知っているし、そいつの上長に○○さんに××の仕事頼んでいいですか?と許可を得た上で、依頼してる)
出来ない理由があるなら、断った上で理由を言えよ。「Could you〜?」って疑問文で聞かれたら、yesかnoで答えろって中学校で習っただろボケ。質問を質問で返すな動く生ゴミ。
そう思いながら、頭を下げたくないので、「じゃあいいです」って言って自分でやった。
腹立つ。
お前のせいで私が違う仕事が出来たはずの時間を、無駄にしたってこと、分かってんのかゴミカス。
お前は金を産まない仕事なのに、金を産む仕事をしてる私の時間を無駄にしたことは、たかが数十分とはいえ損失だぞ。
お前、自分の存在がコストでしかない上に、携帯端末の導入を要求して、その分の費用を回収するほど業務の改善すらしてねえくせに、よくデカい顔して仕事してられるな。
腹立つ。
回想終わり。
夢の中で、その時と同じシーンが再現された。
そいつの口答えの内容も、場所も、私が手に持っていたものも、忠実に再現された。
私は我慢しなかった。
まずは、バインダーの角で脳天を割る。「ってー」とか言ってる間に、鼻をグーパンで折る。最高の気分だった。
腹を蹴飛ばして、転んだところを上から踏みつける。KKOの腹は感触がきもちわるい。
あばらを踏みつける。子供の頃、木の枝を折ったり、氷柱を踏みつけたり、草っ原を駆け回ったりするのと、同じ感触だった。鼻グーパン以上の快感。
相手は何も言わない。ただ、攻撃を受けるたびに気色悪い呻き声を上げるだけ。小さい身体を小さく丸めて私の攻撃が集中する顔と腹を守っていた。カブトムシの幼虫みたいだった。
だから、私は、背中を安全靴の爪先でサッカーボールのように蹴飛ばした。(普段は安全靴なんて履いていないが、夢は都合が良い。)
整体の先生が、ココの筋肉をほぐすと良いよと教えてくれた、あばらの終わりを目掛けて何度も何度も蹴飛ばした。感触は、サッカーボールというよりも、フィットネスに使うバランスボールのような弾力があった。
ある程度蹴り飛ばし終わると、呻き声も上がらなくなったので、周りを見渡した。
他の同僚が、遠巻きに私を見ていた。
「すみません。ちょっと、カッとなっちゃって…。お騒がせしました。」
夢の中の私は悪気がなさそうに、周りの人に頭を下げた。怒られると思った。
しかし、怒られなかった。
「増田さん、ずっと その人のことでイライラしてたもんね。仕方ないよ。よくあるよくある。」
「まあ、やりすぎだけどね」
数人の同僚が慰めるように、私に声をかけた。
私は、そのまま
「いやいやぁ…抑えられないってダメですよね。社会人失格です。」
「皆さんの手を止めちゃって、ほんとすみません」
「鼻パンチで止めるつもりだったんですけど…」
「あの仕事は自分でやるからいいです。任せられたら良かったんですけど、あの状態じゃ、仕方ないです」
以上が、夢の内容だ。
今日は、「あいつを本当に殴ったら、あの夢が再現できるのかもしれない」という思いが、ずっと頭にこびりついていた。
しかし、現実は現実である。万が一、本当にタコ殴りにできたとしても、同僚から慰められることは決してないだろう。
久しぶりに更新してみようと思う。
友人達を巻き込むだけ巻き込んで爆発しって散った恋をしていた。
まさに地雷原を歩みゆくようなもので、とある友人には「陽だまりに行くために何も吹雪の中裸足で外に踏み出る必要はないし、霜を踏む必要もなければ、氷柱に刺される必要もない」とまで言われた始末。
それでも私は「恋は盲目」という慣用句の通り、まあその先にある陽だまりを信じていた。
多分、実際ちゃんと頑張れれば想像よりずっと小さかったとしても、おそらくそこに陽だまりはあったのだろう。けれど、頑張りに対してそのご褒美があまりに小さいと感じたので今回、そこを目指すのをやめて囲炉裏に火を焚いている家に戻ることにした。回復するかどうかは分からない。凍傷にもなっているだろう。だけど、戻ることに決めた。
ありがたいことに、私の両親は私の数々の趣味に対して、詳細を知ろうとはしなくても概ね否定せずにいてくれた。コスプレは嫌な顔をされることもあったけれど(主に片付かない的な意味で)。
本を書くことについては、その内容を読まなくても装丁や出来栄えを褒めてくれた。イベントで本が捌けると喜んでくれた。NLが多かったのもあって「読みたい」と言われたら当たり障りないものを渡す準備もしていたけど、言われはしなかった。
頒布数は決して多くないけれど、頒布数の割には感想をよくいただいていた。拙作と言っても過言ではないけれど、それでも一生懸命考えて書いていたし、愛着もある。だから、純粋に自分が書いたものを褒められることはうれしかった。
私のそれぞれの趣味に対して、厳しいことを言う人ももちろんいたけれど、正直そういう人はどうでもいい。直接危害を加えられないのであれば、いないのも同然。そしてありがちことに、ほとんどそうした粘着質の人とは関わらずに生きてこれた。
で。
私は趣味の中で自己顕示欲を満たしていた。だからそれを全部なくすことに抵抗があった。
まして発行から1年も経っていない本もあるし、再版をかけてしまった本もあった。
それでも、恋人のことが大切だったし、趣味の中で得られていた様々なものをひとまとめにしたメリットと、恋人から与えらえる感情とを天秤にかけてみて、やっぱり後者が重いと感じられたので、コスプレはさくっと上がったし、同人活動も止めて、家にあった在庫も欲しい人に配った後は実家のリフォームに際して処分した。印刷費は回収したかった。
手持ち無沙汰になった私は積んでいた小説を読み漁ったり、編み物を楽しんでいる。
読書も編み物も楽しいけれど、それを共有できる人がいない。長くオタクとして生活してきたから、どうやって繋がって共有していけばいいかがよくわからない。私は、私らしさを少し失った。
甘いものが好きだ。
果物もケーキもクッキーも好きだ。マカロンも大好き。そんな中、流行にのってタピオカにハマった。
デートの時に「タピオカを飲みたい」と伝えたら「毒じゃん」と笑われた。
私の中の小さな私が死んだ。
わたあめを食べに行った。
かわいらしい色で大きなわたあめを頬張る娘が嬉しそうで、こちらまで嬉しくなった。
また「毒の色だよ」と言われた。
私の中の小さな私が死んだ。
やめてほしいと伝えた。
好きなものを同じだけの熱量で好きにならなくていいから、せめて否定しないでほしい。私は私で、あなたはあなただから。否定しないでほしい。同じ熱量で好きになれるかはわからないけれど、私はあなたの趣味を否定しないし、理解したいと思ってる。同じように理解はしなくていいから「ああ、好きなんだな」で気持ちをとどめてほしい。そう伝えた。届かなかった。「じゃあ喋らない方がいいね」「帰るわ」。
まったく私の言葉は届かないのだと、涙になった。
私は私で、それはあの人の恋人であり、娘の母であり、企業に勤めるサラリーマンであり、母や父にとっての娘であり、友人にとっては友人であり。どれも私で、全てを束ねて私だ。
私は責任の中で生きていて、全てが過去の選択の結果。だから、母としての私を認められないことが苦しかった。どうしたって時間に制約はある。人付き合いもある。そういうのをやり繰りしながら時間を作って会っていた。だけど、それではいけなかったらしい。
もう一人、小さな私が死んだ。
じゃあ、と、振り返ってみたら。
殺された私の代わりに新しい誰かが生まれていたかと考えてみたら。
そんなことはなかった。
こちらからお願いしたことも、むこうから言ってきた約束も、何一つ、一週間だって守られたことはなかった。そして更に悪いことに、気づいてしまったのだ。言われたことも嘘ばかりだったのだと。
気づいたら、中くらいの私が死んだ。
そうしたらもう、ダメだった。
言いたいことも言えず、伝えてもかなわず、期待しても裏切られる。
こんな人の傍にいてはいけない、と。
きっとあの人は叶えてるつもりだっただろうし、言ったこともその時は本気だったのだろう。
だけど、継続的に叶え続けられないのならそれはただの気まぐれ。
後戻りできないほど周りを巻き込んだ私と、生活は何も変わらない恋人と。そんな分の悪いシーソーゲーム、降りてしまって良いだろうと。
ここから私はまた周りに説明をして回らなくてはいけないし、家族に謝らなくてはならないし、下手をしたら連れてこられた男と見合いなりなんなりしなくてはならなくなる。けれどこれも、私の選択の結果だ。
傷ついても嫌なことを言われてもされても、努力していた私は確かに存在した。
調べものも沢山したし、時間も作ったし、理解し合いたいからと対話の努力もした。
だから、結果については残念だけれど、私は私の努力を讃えたい。
一番大きな収穫は「言いたいことも言えない恋人なんて、とっとと別れちまえ」だ。
私はもういちど、自分の好きなことをやりたい。
「異形の男性を愛する普通の女性を描いた作品では真実の愛と評価される」
「異形の女性を愛する普通の男性を描いた作品では歪んだ愛と評価される」
「その為か前者の作品と比べて後者の作品はとても少ない。ここでも無意識のうちの性差別が表れているのではないか」
と。
本当に少ないのか、歪んだ愛と評価されているのだろうかと考えてみた。
異形の男性を愛する女性の作品と言われれば、真っ先に思いつくのが美女と野獣だろう。
千と千尋の神隠しやハウルの動く城等のジブリ作品が思いつくが、こちらは人間の形をとることもでき、実際作中の大半を人間の姿で過ごしているので、今回は少し違うと思う。
千尋は龍の姿のハクを愛したわけではないし、ソフィーもハウルの魔物の姿を愛したわけでもない。
しかし異形の姿をとっても愛を失ったわけではないから同じことか。鎌爺なんか作中ではっきりと「愛だ、愛」と言っているし。
ゲームの世界だとピーチ姫を攫う大王クッパが思いつくが、こちらはピーチ姫が好意を寄せているわけじゃないので除外。
しかし作品のテーマ、もしくはキャラクターの設定としてよく見かけるものではあるといえるだろう。
異形の女性が登場する作品となると、一番に思いつくのは人魚姫だろうか。
しかし彼女は王子に会うために声を失い、激痛を受け入れながらも人間の姿になっている。
それにそもそもその恋が叶わず泡となって消える悲恋の物語である。
また古くからある日本の物語で思いつくのは妖怪、とりわけ雪女だろうか。
しかしこちらも姿は人間であり、氷柱や雪だるまの姿で登場するという話は聞いたことが無い。さらにこれも人魚姫と同じく、結ばれることのない悲恋の物語。
ファンタジーに登場する魔物のラミアやケンタウロスなど、上半身のみ人間の女性の形を取り、下半身は動物または魔物の体をしているキャラクターもいる。
デュラハンやろくろ首のように首から上だけ異形の形を持つ者もいる。
それらと恋愛関係になる作品はいくらか思いつくが、特殊性癖だとの扱いを受けることは否めない。
暴論になるかもしれないが、ジブリのように子供も見る場所においても問題無いかと言われると、微妙なところだともう。
余談だが格闘ゲーム『Guilty Gear』シリーズにはジャスティスというキャラクターが居る。
作中用語でギア、素体と呼ばれるが見た目は完全にロボであるが、独立した思考と女性の人格を持っています。
ただ恋愛関係にあったか、といわれると、正直微妙なところかと。
暑いからクーラー入れるよね。でもそうするとクーラー風が身体に当たる。クーラー風は嫌いなんだよ。必要以上に熱を身体から奪うし、なにか健康に良くない気がする。クーラー入れるときは風が当たらないようにタオルをはおって寝るんだけどなにか勿体無い気がする。そもそも風がビューっと流れているのは嫌いだ。電気のエネルギーが冷却じゃなくて吹き付ける運動エネルギーになっている。
欲しいのはゴーゴー冷風が出るんじゃなくて恐るべき冷気がヒタヒタと金属の箱から漏れてくる感じ。発生源を触ると手が貼り付いてとれなくなる感じ。負のエネルギーの氷柱が鎮座してる。そんな機器が必要なんだよワトソンくん。
※朝になって読んだら読みづら杉。あとで編集する。
観終わって、ディズニー映画でこれほど多様な読み方が出来る映画はない!と息巻いてシネスケ開いたらあんまりみんな自分の解釈提示してなくて、いきなりシネスケに書くのも恐いから、おそるおそる増田に書いてみる。ネタバレあり。
まずあらすじ。
幼少時に自分の魔法(触れたものを凍らしたり、氷柱を地面から生やしたりする)によって妹アナを怪我させてしまったエルサ。その経験から、親の指導により人との関わり合いを断絶。アナは治療時に記憶を失っているので姉がなぜ人との関わり合いを避けているのか理解できない。そんなエルサだが、大人になって女王に就任。その戴冠式のお祭りでアナはハンス王子と出会う。出会ったその日に婚約するも、エルサからはそんなのは愛ではないと言われてしまう。ここでアナが日ごろの鬱憤をぶちまけ、それによりエルサが激情しこれまで隠してきた魔法を発動。2人が住むアレンデール国は雪に閉ざされる。魔女を捕らえようとする追っ手から逃れ、エルサは氷の山で独りの王国を築き上げる(ここでLet it goを歌う)。雪に閉ざされたアレンデールを何とかすべく、アナはエルサの後を追う。途中出会った男クリストフと共に氷の山に行くも、エルサはアナに帰れと言う。ここでアナの話からアレンデールが自分の魔法のせいで大変なことになっていることを知ったエルサは絶望し、魔法を発動して再びアナに重症を負わせてしまう。アナを治療すべく、クリストフは魔法使いのところに行くも、「凍った心を溶かすのには真実の愛が必要」と言われる。クリストフは真実の愛=婚約者であるハンス王子のキスが必要と解釈し、アナをハンス王子の下に送り届ける。ハンス王子と再会したアナは王子のキスを求めるも、実はハンス王子はアレンデール国を乗っ取ろうとする悪者であることがここで発覚。王子はアナを見殺しにし、アレンデールの大臣にアナはエルサの魔法で殺されたと告げる。氷の城を襲撃して捕らえたエルサの処刑がここで決まる。処刑の直前にエルサは逃亡する。他方、アナの方は、愛とは「他人のために自分を犠牲にすること」と諭され、自分を助けるために命を賭しているクリストフの姿を思い浮かべる。そこでクリストフの下に向かうが、そこにはハンス王子と対峙するエルサの姿が。結局アナは目の前のクリストフを尻目にエルサをハンス王子から守る。エルサの魔法によりアナは凍ってしまうが、「凍った心を溶かすのには真実の愛が必要」という言葉を信じたエルサがアナにキスし、アナは目覚める。ラストは「真実の愛」により雪が溶けたアレンデールの光景を映し出し、終了。
主題は2つあってそれが1つに繋がる構造。主題の1つは、自らの「魔法」をその共同体の中では抑圧せざるを得ず、「魔法」は共同体と決別することで解放することができる。しかし、それには種々の問題が生じる、というもの。主題のもう1つは、「真実の愛」は家族愛である、というもの。この2つの主題を繋ぐのは、「凍った心を溶かすのには真実の愛が必要」という命題で、「魔法」の解放により生じる問題は「真実の愛」でこそ解決できるいうようになる。
主題の2つ目(「真実の愛」は家族愛である)というのは最近ディズニーが『マレフィセント』で主題としたところ。同映画では、魔女の呪いにより永遠の眠りについたオーロラ姫が、真実の愛により目覚めると言われている。そこでイケメンの王子がキスしてみるがダメで、結局お母さんのキスで目覚めるというストーリーになっている。そこで語られているのは、その辺のイケメンと1夜の恋に落ちたところでそんなのは愛ではなく、家族愛こそが真実の愛である、というメッセージである。そうしたことから、主題の2つ目は割とはっきりしていて、それほど多様な読み方ができるというものではないと思う。
問題は主題の1つ目で、Let it goの解釈がここに関わってくる。日本語版だと「ありのままに」と訳されているのは周知の事実だが、これだと「自分らしく生きていけばいい」というメッセージになる。しかし、これは正確ではない。エルサは自分らしく生きた結果、アナを傷付け、故郷の国を雪に閉ざされた世界にしてしまったのである。この曲はそのような自己肯定的な曲ではなく、「(是非はともかく)とにかく家族を捨て、自分は解放されたんだ」という意味に解すべきだろう。
仮に主題を上のように解するとしても、そこには「魔法」は何を意味しているか、という問いが存在する。ここでの「魔法」とは、
①それにより周囲の人間を傷付けるため、
②周囲から自制と抑圧が求められるが、
を意味する。これを前提にまずありうる解釈は、「魔法」とは同性愛を指しているというものである。この線で作品全体を考えてみると、同性愛を抑圧し、隠そうとする家族という共同体を捨て去ることで、同性愛の問題は解決する。しかしそれは真の解決ではなく、種々の問題が生じるものである。大事なのは、家族との相互理解、歩み寄りによる「愛」であり、それこそが問題を解決するのだ、という読み方になる。
昔付き合ってた相手がいた。
学生からの付き合いで、話も合うし、趣味も合うしで付き合い始めた。
この人とならきっと一生楽しく過ごせるかもしれない。そんな気がした。
3回目の夜に言い渡された。
「高校も実は留年してた」
親戚の中では自分がこの時代に中堅学卒なのも快く思われていなかった。
留学して大学院を出て、高卒の夫と所帯を持った母の従姉への陰口は幾度となく耳にして閉口した。
私はこの人と一緒になったらそっち側に立たされるのか。
しかしながら。
相手はとてもそうは見えない程の社交性や友人の多さだった。男の友人も女の友人も沢山紹介された。
友人たちの幅の広さもすごかった。どこにそんな人望がある人になったんだろう。
相手はとても変わったように思えた。学生時代に知り合ったちょっと癖のある子ではなくなってた。
仕事が趣味みたいになっていた。上手くいくと嬉しそうで失敗すると落胆してた。
その話を聞いたり見たりするのがとても楽しかった。
家族のことを考えると別れたほうがいい。
でも、もう少しこの人と一緒にいたい。この人を見ていたい。
そこに自分の友人からの評価、という指標が入って、どれを最初に置くべきなのか。分からなくなって混乱した。
3年付き合うと本格的に結婚が見え始める。
生理が遅れた。防ぎながらもちゃんとすることはしていたので。
じゃあ所帯を持つか。結婚するのは吝かではなかった。寧ろ条件が適うなら夢のような話だと思った
どちらの地域からも通勤するのには難しい程度に離れた恋愛だったので、自分が退職しようと思った。
賃貸住宅も探した。でも色々な資金が足りない。お金ないけどどうしよう。
その時出た相手の一言で氷水どころか氷柱の中に突っ込まれたようなショックを受けた。
ある程度同じように物事を捉えていて、
過去はどうであれ人に頼っていい部分とそうでない所の境界線は同じだと思ってた。
そこから急激に考え方の違いに気づいた。
生理は、結局やってきた。
でもそこで引っかかった気持ちはそのままだった。
あの生理が遅れた時に正社員であの言葉だったらどれだけ安心できたんだろ。それを望む元気すらなくなっていた。
改めて結婚を考えてみたけれど、相手が囲いこもうとしているのもつらかった。
どうしても逃げたくなった。少しだけ離れたかった。
その後。
そのまま不景気の波に乗り自分は会社で部門ごと首を切られ、次に入った会社で体調おかしなと思っていたら病気が見つかり、今やっと最低限人と同じ生活に。
相手はそのまま昇進して、よりよい相手を見つけて家庭を築き始めたらしい。
こんな所に思い出話を書く程度に未練たらたらなんだけど、
今思い返してみて、どうしてつまらない意地はっちゃたんだろ。
どうして先に死んじゃう親や周りの人を気にしたんだろう。
どうしてもうちょっと近所に住んでなかったんだろう。
どうして連絡取らなかったんだろ。
こういうのを後悔っていうんだろうなーと、たまに息が詰まりそうになる。
詰まりそうになって、医者は何科にかかるべきなのかなとも思ったりしてる。
向こうもこっちも、何が災いとなり何が幸いするかわからない。
向こうは主体性もツキもない人と一緒にならんでよかっただろうし。
こっちは重荷になっていた人が実はずっと中に入り込んでた。
新しいご縁の始まりに遭遇する度、また酷く絶望するんだろうかという気分になって恋愛に踏み込めないし
新しいご縁よりも誰よりも向こうと、もう一回面と向かって今のベースで話し合いたいと思ってた。
付き合い始めて3年経つと恋愛で感じるエンドルフィンの分泌が減るとかそういう話があるけど
そのタイミングで好きな人と冷静に話し合えないような事件は起こしちゃだめだ。
深刻な話をしたいならもうちょっと幸せな気分の時なら二人で乗り越えらえるよって人に伝えたいのと
もう親戚とか親とか学歴とかどうでもいいんで、俺に誰かいい人あらわれろ。と思うヒマな午前の事でした。
ここまで読んでくれてありがとう。
厳しさと酷薄と 突き刺すやうな言霊と
凍えるように翻る うすべつたりとした鋭ひやひば
つるりとさして 知らぬ顔
それはいつか見た夢のやうに 手ごたへもなく
沈鬱と それにしたがふ黒ひ影
昼なお暗き 樹海の奥に
誰の形見か 手鞠 ひとつ
そのむかふには まつくらな洞窟が
しづかなままに あるでせう
そぞろ歩きも ときにはするが
誰かに会へば 笑ひもするが
空はいつでも 薄青く
池の氷は ゆるむこともなし
窓のうちからさざめく冷気を眺め
あたたかな机の上にうつふして
なにも言はずに 冷たい笑顔
吸つては吐きのくりかへし
それだけで生きてゆける痛々しい世界のために
杯を ああ杯をかかげやう
やさしくて ほがらかで
きつと皆から好かれるはずの
そんなあなたがゐる この世のどこかに
置き去られた 手鞠 ひとつ
薄くらく 苔むした樹海のなかで
鮮やかな彩りを わけもなくふりまいてゐる
薄くひらめく 刃は言霊
つるりと刺して しらぬ顔
手ごたへもなく 心になにも残すことなく
屋根からくだる 氷柱を喉奥深くさしこんで
その流れ落つる血潮は さて誰がために?