はてなキーワード: glとは
じゃあないんだよ。
結婚が「愛し合うふたりが国に認められる」という意味を持ちすぎているのが気持ち悪い。そしてセクマイを取り上げているような顔をしながら、複数人を同時に愛するような人のことを考慮していないのが浅慮。
あらゆるセクシャリティを許容する世の中を作るためには、まず戸籍制度を一から見直して、社会保障の提供のために必要最小限の機能だけを持つようにし、人々の暮らし方に自由を与える必要がある。なのに、どうして、お前らに都合のいい制度ができましたよかっためでたしみたいな顔してるんだよ。過去編でいじめられてたのに、結局自分がマイノリティとして窮屈しなくなったらそれでいいのかよ。
せっかく、創作の中なら世界を自由に作り変えられるんだし、その場しのぎのような制度ではなく、もっと面白い世界を提案してほしいなと思いました。
はー・・・
トラバ付いたから読んだのかと思いきや読んでねぇのな。突っ込むんじゃなかったわ
インド最大都市ムンバイを擁する西インドのマハーラーシュトラ州が1番多いが単純に東京みたいに人が多いからじゃよ
マハーラーシュトラ州に隣接する州が続き、
その次に多いのが、分類的にはオーストラロイド?になるタミル人が多い、チェンナイを擁する南インドのタミル・ナドゥ州
政治的に経済的に厳しい状況かつどう見ても東洋人(フツーに日本にもいそう顔)のモンゴロイドがたくさんいる地域でも
フツーに感染者出てるよ。人がバンバン行き交う土地でも経済的にバンバン検査を出来る土地でもないのにね
https://news.google.com/covid19/map?hl=ja&mid=%2Fm%2F03rk0&gl=JP&ceid=JP%3Aja
一人の両性愛者の意見というよりも、一人の人間の戯言くらいに聞いてほしいんだけど。
性的マイノリティの尊重を声高に主張する腐女子いるじゃないですか。
(腐女子の皆が当てはまるとは思ってないし、「腐」って表現が差別だなんだって10年後くらいには「腐女子」って言葉がなくなってんだろうなとか思ってるけど、言葉の雰囲気的に一番使いやすいので「腐女子」って言います。ごめんね。)
とにかく、昨今の情勢とあわせて、BLとかGLがもっと開けっ広げに表現されるべきだという主張があるじゃないですか。
別にその主張にとやかく言ったり思ったりはしてないです。BLGLが抑圧されてきたというか、一次二次問わず「水面下でこそこそやるもの」と認識されてきた歴史に、大きな転換期が来ているのは重要なことだと思います。好きなものを主張できて、それが迫害されない世界になったらいいね、って心の底から応援してます。
でも、それを同性愛や両性愛の政治的な話と繋げ考えるのは「ちょっと待ってくれ」と思ってしまう。
「BL・GL」ってカテゴライズして、「特別なもの」他とは違うもの」として人の恋愛を消費してきたのはお前ら腐女子じゃない?
「同性愛が認められたらBLのネタ増えるわ~」って軽率に呟いた腐女子いなかった?
カフェで話しているだけの同性二人組を見て、受け攻め考えるなんて品のない行いをしたことのある腐女子いなかった?
ファッション腐女子って言葉がありますけど、今、政治的・社会的な問題としての性的マイノリティにとやかく言っている腐女子は「同性愛に偏見ないよ」をファッションにしてるように見える。
同性愛者、両性愛者に味方して、あわよくば、自分の性癖がより生産されるようにって思っているように見える。
お前ら腐女子が主張したいのは「表現の自由」としてのBL・GLであって、「政治的・社会的な問題」ではないでしょ。
広くいえば、実在する人物たちの日常や出会いや生活を想像するもの。
よく使われるのは、実在する人物同士をくっつけて関係性を深掘りするもの。
狭くいえば、実在する人物同士が(おそらく恋愛対象となる性別でないと思われるにも関わらず)恋愛をする様子を描いたもの。
これらを、小説、絵、漫画、MAD、ゲーム、その他さまざまな手段で表す。
「○○と××のBL小説を、本人である○○もしくは××が読んだ(加えて、本人たちが決して喜んではいなかった)」
(たとえパスワードの答えが"1"であったとしても、である。読者に対して注意書きを読んでから回れ右できる機会を与えるべし)
まずは一般の方、つまり「nmmnはまず見ないよ」という方へ。
上のような最悪な出来事は誰によって引き起こされるのかを知ってもらいたい。
著者が自ら公衆の面前に晒したか、著者ではない人が勝手に公衆の面前に晒したか、である。
前者はクソである。nmmnをひっそり楽しむ界隈から是非とも消えてほしい。もしくは更正してその文才を適切な場所で発揮してほしい。
とはいえ自ら書いたものを自らの意思で晒したという点では、まだ救いようがある。悪意めいたものがとりあえずは存在しないからである。
後者もクソである。そして後者は前者よりクソ野郎である。というか何勝手に他人の創作物別のところに晒しとんねんアホか。
この後者は本当にどうしようもない。ただ、ただ一応救いとしては、「自分の好きなものを他の人にも見てほしいから」という思いなのであれば、救いはある。そう、「他の人が書いたものを著作者の許可なしに転載するな」。 無断転載、ダメ、絶対。
救いようのない奴は、残念なことに存在する。悪意をもってそれを晒したやつである。
著者はきちんとわきまえた場所に出し(検索避けもして)、注意書きを載せ、パスワードをかけた。著者はできることをした。
しかしゴミ野郎はわざわざパスワードを解いてまで、中にある小説やら絵やらをコピーだのダウンロードだのして、別の場所に転載した!もちろん無断転載である!悪意ある晒し行為である!なんでそんなことするの?「気持ち悪いよね」って共感してほしいの?ああ、そう。
このように、最悪な事件は決して書いた人が自ら晒すことだけによって起きるのではない。悪意を持った第三者によっても十分に起こり得るのである。
注釈であるが、「じゃあはじめからそんなもの書かなければいいじゃん / 読まなければいいじゃん」という意見は、賢い諸兄姉であれば無意味であることはお分かりだろう。
少なくとも日本国においてはnmmnは法律的に禁じられたものではない。加えて、たとえエグい内容であっても、検索避け・注意書き・パスワード等、「誤ってURLを踏む等しても目に入ることがない」のであれば、それはその存在を否定されるべきではない。存在を認められなければならない。レッツ現代国家。
次は「そんな最悪なニュースを見たとき、またはその事件に出くわしたときのかまえ」である。
これは結果として一つである。「無視または無反応を貫く」。これ一択である。
どうしてもこれができないときは、「まあそういうのもあるよね」で流す。流せ。何か特別な思想がない限りは流せ。ことを荒立てるな。
nmmnは駆除して消えるもんじゃない。人間が複数人生きる限り必ず存在し得るからだ。
反応をするな。反応した奴にも反応するな無視しろ。要らん火を燃やすな。お願いだからもっと人類が生きやすくことのためにその熱を使ってくれ。誰かを生きにくくすることのためには決してその熱を使わないでくれ。
さて、ようやく本題である。
(この先、筆者はML(BLではない)を中心とした好みのため、BLやGLやNLに寄りきれない内容になる可能性があることを先に謝っておく。)
まずそこの腐女子。目の前の男子二人がいちゃこらしてるからって真っ先に盛り上がるのをやめろ。彼らは付き合ってなどいない。
そしてそこの腐女子。バラエティ番組で絡み合う同グループのアイドルらを見て鼻血を垂らすのを止めろ(抑えろ)。彼らは付き合ってなどいない。
最後にそこの腐女子。公式が「二人で一泊二日の旅行に行きました」という情報を出したからといって「これはもう付き合ってるでしょ」というのを止めろ。彼らは付き合ってなどいない。
わかっているのなら良い。しかしすぐ「これ二人は付き合ってますよね?!?!」などと言うから「うわ腐女子消えろ」って言われるのだろう。そりゃそうだ。「実際にはあるかないかわかり得ないもの(そして可能性としては低いもの)」を「絶対そうだ」と決めつけるのである。正直このような決めつけはnmmnでなくても嫌われる。付き合ったらめんどくさいだろうと察する。
さて、ではどのように日々nmmnと付き合うのが良いのだろうか?
(ただし「彼らが実際に付き合っていることを断定して楽しむ」という人は別である。この答えは当てはまらない。)
「彼らは付き合っていない」と理解することで、「実際の彼ら」と「妄想の彼ら」を別に持つことができる。
そうするとどうなるか。
とにかく騒がなくなる(ただし耐えられないときは耐えられない)。たとえ彼らが同じ部屋で寝泊まりしようが、彼らだけでどこかへ旅行に行こうが、「いいねぇ」で済むのである。それは「実際の彼ら」に対する感想である。
そしてその事実や出来事を「妄想の彼ら」に適用して楽しめるのである。この2つの「彼ら」を決して混同することはないため、「絶対付き合ってるよね?!?!」というクソ腐女子ムーブで周囲がゲロを吐くことはない。人に菌を移さないためにマスクをするようなものだ。
あくまでnmmnで作られる世界はパラレルワールドであり、決して「この世界」ではないということを自覚することで、比較的「痛さ」を軽減することができる。あくまでも自分の中ではそう考えている。これが腐女子歴10年の答えである。
一般の方と悪意ある人間とnmmnの著者とnmmnの読者について、最近私が感じたことでした。
もちろんnmmnは隔離された場所のみで展開されるべきであり、決して本人に知られるべきではない、というのは理解しております。そのため、具体的な固有名詞は出さず、複数のもの(ニュースや出来事)がヒットするような書き方を心がけました。
加えて、nmmnは決して腐女子だけのものではないこと、nmmnを毛嫌う腐女子もいること、nmmnを好むのは女性に限らず男性にも存在することを記しておきます。多様性大事。nmmnに固定観念は要りません。でも住み分けは大事。
これで全てです。ありがとうございました。
どうして腐女子の方って人間に限らずモノでも事象でもなんでもかんでも掛け算できるんですか?私は腐女子に分類されますがそのような能力は持ち合わせておりません。できればこの能力についてご解説いただきたいと思いますが、一方でこれは研究対象にも成り得ます。情報求ム。
追記2
「どうして私はnmmnを楽しいと思うのか」が無かった。失態である。
私の場合は「nmmnだから」という条件で楽しんでいるわけではない。おそらくこれは他の方々も同じであろう。
やはり何らかの「対象」が先に存在しており、「対象」の性格等を理解していくことで、「あ、これ"いける"な」となるのである。イケメンの語源である(不確か)。
それがアニメや漫画であれば単なる二次創作になり、それが現実の人間たちであればnmmnになる。それだけである。
しかし生身の人間で(恋愛以外でもなんであっても)想像することのワクワクっぷりは、きっと多くの人々が経験したことあるだろう。私のこれは、おそらくこの延長線上である。
私は成立しないと思ってる、というか経験として成立しなかった。
私は女なので男性に聞きたいんだけど、恋愛感情も性欲も一切絡まない友情だけの関係って本当にあるの?
別に特別男友達が欲しいという訳では無かったんだけど、趣味があったり話してて楽しかったり何かをやる時の熱量が同じだったり、でも別に恋愛感情は無い、(お友達として)いい関係築けそうと思った相手が異性だった事が何度かあった。
楽しく過ごせれば友人の性別には拘らないのでそういった相手と遊ぶことに抵抗はなく、軽率に誘い軽率に誘われて遊び、良いお友達だと思っていた。思っていたんだけど、そう思っていたのは私だけだった。
「オタサーの姫」なんて言葉が今でこそあるし、今のオタサーには女の子もたくさんいるんだろうけど、私が学生の頃にはそんな言葉もなく入ったオタサーは男9割の女1割で今思えば私は「オタサーの姫」だった。誰とも肉体関係はなかったけど。
私は萌えアニメも特撮もGLもBLも何でも楽しく見れたし可愛い女の子が好きだったから、今週みたアニメの話や女性声優やアイドルで盛り上がる男性陣の輪に入りたかったし、同じ熱量で活動したかっただけなんだ。
それだけだったのに、裏では自分の事をネタにセクハラトークが繰り広げられていたり、恋人はいるのか、ワンチャン狙うかみたいな話をされていたという事を知って、私と話してくれていた彼らに下心があったという事実がとてもショックだった。
まあ、何を思おうと勝手なんだけどさ、お互いに。相手からしてみれば恋愛対象に見てた私がそんな気は一切なくて思わせぶりもいい所だ裏切られたぜって思ってるのかもしれないし。ごめんねそんなつもりなくて。
でもこっちだって何だか裏切られた気持ちで悲しくて寂しかったんだよなぁ。
結局そんな感じのことを社会人になってからも何度か経験して私の中で男は(ごめんね主語がでかくて)恋愛もしくは性欲無しでは女のことを見ないという結論になっているんだけど。
まあ、女にもいるよね。そういう意味でアリかナシかでしか人を見ない人。でも私はそういう意味だけで人を見たりしないし、男性にもそういう人がいてもおかしくないのかと今やっと気付いたんだけど、実際どうなんですか?
何か、文章が長くて、全体として何を言いたいのか読み取れなかったけど、とりあえず最近というか直近世代(PS4/swicth/XboxOne)は、どれも原価割れしていないとされているよ。
この少し前の世代(PS3/GC/vita辺り)から徐々に汎用パーツを中心にしたパーツ構成になってて、直近世代は完全に汎用パーツになったから、比較的安上がりに出来たんだと思う。といっても、PS4はGDDR5の8GBとか、肝となるところにはお金掛けてるけど。
んで、今回の新機種世代(PS5/XboxSX)は汎用パーツではあるがリッチな構成されている。確かに赤字前提での価格に見えるけれど、これは今までと違ってサブスクリプションサービスの収益を見込んで、ってのが大きい気がする。_
日曜日、婚活パーティーに行ったのだけれども、残念ながらマッチングしなかった。仕方がないことだけれども、こちらが気になった人に選んでもらえなかったのはちょっと寂しい。そういうわけで、繁華街のツタヤで漫画でも買って帰るつもりで足を運んだ。
本当だったら地元の有隣堂で買うつもりだったのだけれど、持っていた歴史の本は読み終えてしまっていて、帰りの電車で手持ち無沙汰になるのが嫌だった。ついでに、部屋を掃除して見つけたクオカードを使いたかった。残念ながら、ツタヤではクオカードが使えなかったけれども。
買ったのは中村明日美子の短編集で、2冊買ったから、日曜日の帰りの電車と、昨晩の仕事帰りに分けて読んだ。この人はまず絵がきれいだから額縁に入れて飾っておきたいし、BLもGLも、感情がこじれてもお互いが本当に好き合っているのが感じられて素敵で、シリアスもコメディもうまくて、芸風が広い。何度読んでも飽きないし、いつの間にか全部のコマを覚えてしまうくらい読んでしまう。私の漫画の読むときはこんな風に短篇集を何度も読み返すことが多くて、本棚の漫画の数はそれほど多くはない。そもそも私の主食は活字で、漫画はおいしい食後のデザートみたいだ。なぜかあまりたくさんは読めなくて、お腹いっぱいになってしまう。
で、中村明日美子の作品を読んでいると、好き、以外の感情がなくなってしまう。わかりやすい話のときも、平凡さを感じさせないのはなぜだろう。起承転結、テンポの良さ、箸休めのギャグのせい? 絵が美麗だからそこに入り込んでしまっているから? 言葉にすると、なんだか普通のことでしかないようだけれど、普通のことを当たり前にやるのは創作では難しい、と元文学サークル所属の私は思う。
童話の翻案も素敵だ。あまり上手じゃない人が童話を翻案すると、全部似たような話になってしまうのに、中村明日美子はそんなことが全然なくて、切り口が私にはとても思いつけない。昔、兼部していた合唱サークルで、結局そことは喧嘩別れをしてしまったのだけれどもそれはさておいて、合宿で学年ごとに寸劇を出し物としてやることになった。でも、どの学年も童話のパロディで、凡庸だな、ってがっかりした(この感想にはきっと恨み言が混じっているから話半分に聞いて欲しい)。でも、この人の作品には全然そんなところはない。
読み通すと、美術館でだらだら、ぼんやりしたような幸せな気分になれるので、とにかくおすすめしたい。六本木でやっていたミュシャ展がすごくよかったときも、この間の浮世絵展も、こんな感じだった。だから、最高の帰りの電車だった。