はてなキーワード: ISISとは
なんかフランスの事件で、「風刺画で中傷されたら風刺画で返せ!」とか、「確かに下品な風刺画だが、人殺したらいかんよ」
みたいな意見がよく見られるけどさ。結局それってフランス、もとい西欧のルールなんだよね。
それが通じない人達がいる(今回で言うならISIS)ということの自覚が足りなさすぎるんじゃねえの?
「こっちは風刺画しか書いてないんだし、あっちも風刺画でしか対抗してはいけない」って、野球やってる連中に
俺らはサッカーやってるんだから、お前らも手を使っちゃダメー!はい今つかった空爆ー!」みたいな雰囲気感じるんだけど。
勿論、こっちの論理としては確実に向こうさんが悪いとは思う。フランスに居る以上、フランスのルール守れって感じだけど、
それすらもこっちのルールでしかない。向こう的にはこちらのほうが未開で野蛮人だしな。
この前ノーベル平和賞貰った奴(ママラだっけ?)の記事を見ても思ったんだけどさ。「女にも勉強させましょう」みたいな。
大変立派な意見だと思うが、結局それも西欧のルール。向こう的には
「女は勉強なんぞしなくてしなくてよろしい。そんなことは野蛮人(西欧)のルールだ!お前は未開人に毒されている!
だから殺す!」となるわけだ。
この根本的な解決方法って、こっちかあっちかどっちか消えることしかないよね。
消えるのが現実的でない以上、どうするか?偉大なる徳川将軍が400年前に通った道しかない!そう、鎖国である。
坂本龍馬だの薩長だの、彼奴らが行った行為こそテロではないのか?日本は鎖国してから200年以上もの間、平和にやって来たのだ。
それが開国した途端どうだ?100年も立たないうちに戦争で焼け野原ではないか。
いざこざの大半は民族の、宗教の流入から始まる。日本が他国に比べて秩序が保たれている理由は(ほとんど)日本人しかいないからだ。
何が言いたいかって言うと、人が分かり合うことなんて絶対に無理なんだから移民には絶対反対しましょうということだ。
少子化でいいではないか。座して気高い死を待とう。
海外のスポーツの試合後ゴミ拾いしてましたとか観光客への日本人の対応が良いと言う海外批評を見るたびに
それなのにそれを嵩に「日本人の精神は~」とか「日本人の温かみ」とか言っちゃう人は自分が同じ立場にあった時
そもそも無償のサービスに対して「うちも見習わないとなぁ」というのが海外の反応であるのに対して
自称日本人の皆さんは「我が国は善良だ」とか「日本人として誇りに思う」とかといった
見習いたいではなく、「日本人は凄いんだ」という事を自慢してる時点で海外とで齟齬が生じているわけだ。
別に「日本人の温かみ」がどうたらこうたら言っても問題はないけど、
では一方でアルカイダやISISに日本人が所属してるという耳の痛いニュースに対して
「日本人は駄目だな」という反応が薄いのは何故だろう。
良い話には物凄い食いつきなのに悪い話には「他山の石にしないとな」といった教訓としない人が増えた証拠なんだろうか。
そうであれば、見て見ぬふりを「日本人の美徳、間・空気を読む」とするのは当然か。
普段は冷たい奴でも「日本人が大活躍」ってだけで自分も「大活躍」した気持ちになれる分、
実に単純な民族に違いない。
もうさー、嫌韓とか嫌中とかヘイトスピーチとかさぁ、それに反対するのはいいんだけどさぁ、反対する人たちは何でやる人ばかりを攻撃して、そういうのが出てくる社会を攻撃しない?信長公も言ってたじゃない。「尊厳が無くとも飯が食えれば人は生きられる。飯が無くとも尊厳があれば人は耐えられる。だが両方無くなるともはやどうでもよくなる。何にでも頼る。散々おれが一向一揆にヤられた手じゃもの。国をかっぱらうには一番の手よ」って。飯を与えるか尊厳を与えるか、どっちかしかないでしょ。戦後しばらくは反省してて尊厳売り渡しても飯が食えたからいいんだろうけど、これからどうなるかわからんから、そういう衆らは尊厳に頼ろうとしてるんじゃないの?ある種、ISISと同じですよ。そういう衆らは。じゃあ、そういうのに反対するのに、あなた方はどんな社会を提示できるの?飯が食えるの?尊厳が保てるの???そうじゃなければ、嫌韓、嫌中、ヘイトスピーチ、おさまりませんよ。そういうことしてる人たちのそれらは、一向宗なりなんなりの、ある種の宗教ですよ。とはいえ、あなた方はそういうのを批判してれば、あなた方の尊厳が保てるから、そういう発想に行きつかないんでしょうけど。
実兄も秋葉原に張ってあったポスターを見ていたらしい。併記してあったウイグル区の方が「暴力に耐性のある方」などと書いてあったのでそちらに気を取られていたと話していた。
私としては、欧州ではすでにぽいぽい若者が捕まってることも合い間聴いていたのと、日本でも浅慮な人間がシリアに行ってた話からも、日本から一人くらいISISに参加したところで何も不思議はないなと思っていた。
うーん、私には「就活に失敗したくらいでイスラム国へ行こうとする」ではなく、「イスラム国へ行こうと思っちゃうぐらい、就活に失敗したことのダメージが大きい」ように見える…。就活に失敗したら最後この国で生きていく道が見えない追い詰められ感はすごくわかる— 書けない麻子はただの虫 (@asa_co) 2014, 10月 9
現在、「就活失敗生」以外の形容が出来ない自分はこのつぶやきに共感以外を感じることができない。
良く言われるフレーズに「就活で問われるのは、社会人として最低限必要なマナーである」というのがある。履歴書の文体、形式、字の綺麗さ、面接での挨拶、服装、表情、声の大きさ、抑揚、etcetc....。それらが減点方式に評価されていく。
履歴書に書かれる内容も、「いかに自分が人間らしく、生き生きと過ごしてきたか」についてである。
今の就活で問われているのは「人として最低限のことができてますか?」ということである。つまり、就活に失敗するということは、最低限がクリアできていないことに他ならない。
というか、それ以外思いつかない。その固定概念のせいで失敗してるのだと指摘されるのも予想できるのだが、これ以外の答えは納得できない。
第一、職にありつくなんてスタート地点でしかないのである。それがいつまでたってもできない。
それにプライドやらエリート意識が加わったら地獄である。本当はなりたかった輝かしい、ずっとwanna beしてきた道を、持前の頭脳で分析し、歯ぎしりしながら諦めた妥協の道ですら、立つこともできない。身の丈を見極められてない時点で笑いものなのはわかるが、とてもわかる。
今なら就活特集で言われる「面接に落ちた時、自分を否定されたように感じた」という言葉が理解できる。売り出す商品も自分、プレゼンするのも自分。就活というコンペに負けた原因は、プレゼンの仕方が悪いだろうと、商品の質がわるいのだろうと、他の商品より魅力がない原因は、どうあがいても自分以外何物でもないのだ。
お前が好きでやってきたことだろう。他の人はお前が好き勝手やっている間、努力してきたんだぞ。んなことわかってる。
でも、自分が好きでやってきたことだからこそ、自分の糧にならないとわかった時、一番大事なものに裏切られた気分になるんだ。
当人のことは全く知らないし、風のうわさではかなりエキセントリックな人物だったらしいので、就活云々でくくれないとは思うが、好きな事だから進学してまで勉強したのだろうと勝手に想像して共感してしまった。
この文章を読めば分かる通り、自分がちゃんとした文章すら書けない「人として最低限ができない」人間なのは否定できないのだが
全員が人権派を名乗っているわけでもなし。
ssig33.com - イスラム国に行こうとしてた(とされる人)について
「ほわせぷ」と呼ばれるISISに志願した北大生のツイッター@gravestone11のアカウント名は「障害者」と表記されている。
ISIS北大生こと「ほわせぷ」の発言を追っていくと、彼が何故このような事件を巻き起こしたのが、彼自身の言葉から推察できる何かが存在している。
「ほわせぷ」は「障害者」を自称しているが、障害とは、自閉症であり、しかしながら、数学科の院生という非常に頭のいい高機能自閉症だったようだ。
「ほわせぷ」にイスラム教徒ジャーナリスト常岡浩介氏が行った事前インタビューにおいて、ISIS北大生は以下のように回答している。
「イスラム国」戦闘員事件 北大生の男「なれないなら自殺する」(フジテレビ系(FNN)) - Yahoo!ニュース
イスラム過激派組織「イスラム国」で戦闘員になるために、北海道大学生の男がシリア入りを計画していた事件で、男は、ジャーナリストのインタビューに、「義勇兵になれないなら自殺する」と話していたことがわかった。
シリア行きを計画していた北大生は「そこには戦場があって、全く違う文化があって。イスラムという強大な宗教によって、民衆が考えて行動している。このフィクションの中に行けば、また違う発見があるかな。それくらい」と話した。
「ほわせぷ」の回答を見て怒りを感じる人達もいるだろう。
「フィクション」じゃない。中東で起きていることは「リアル」だ。馬鹿にもほどがある。自殺する可能性?甘ったれてる。ぜひどうぞ。むしろ積極的にお勧めします。
現実のISISで起きている戦争をフィクション扱いするインタビューの回答に怒りを寄せる声。私たち健常者にとっては当然の反応だと思われるが、ここで「ほわせぷ」のツイッター上での発言を追ってみよう。
健常者はどうやら人間関係とストーリーという二種類のフィクションを他者の肉体の上に見えているようで、最近は前者に時間的連続性を与えた物が後者なのか、前者と後者は別個に存在しているのか毎日考えている
何故別個に考え始めたかというと、若頭のシャンプーを使った人がいて、前者が出来ていてかつ正常な認知と思考力があるのに後者が出来てないからです
アジトの障害者がどれぐらいフィクションが見えてないかというと人間が死んでいたベッドを変えるのがダルいという理由で使い続ける男が居て一日の少なくない時間を横になりながら淫夢動画を煙草を吸いながら見ているぐらいなので、本物の障害者には霊は通じない
健常者は集団や組織における力関係を何となく察する能力など、様々な見えないものを見る力が存在していて、障害者はそれが欠損しているので人間の上にフィクション、ストーリーが構成出来ないので共感や感動が起こらないのではないかと思っている
彼は「フィクション」という単語を多用して、「人間の精神機能」について考察を行っている。彼の考察の対象は「発達障害者」と「健常者」の差異だ。
キーワードとなるのは、インタビューでも回答された「フィクション」である。
「ほわせぷ」の推察によると、発達障害者は「フィクション」が見えていないらしい。フィクションとは、人間関係に関するものであるようだ。
更に彼の発言を追っていく。
障害者の価値判断という事を考えた場合、マジで抽象的なものや概念が見えず、社会通念上知っているが重要さがまったく肌で理解出来てない事の山のせいで無計画さの現象が出来ている感じがしてきた
見えてない上に身体により管理する領域が狭く、健常者と比べたときに”自己”というものが極めて歪になってる人間にとってコミュニケーションのコストを下げる方法はフィクションの溝を生めるために意識的に設定を積み重ねる事で、だからアスペルガーの発言は素直に聞けないという話なのではないか
人間は社会的な生き物なので正常な状態として所属している集団内に向けて力関係を認識する能力、集団の意思決定に参画する能力、集団を維持して協調する器官が生まれつき備わっていて、それらの機能不全により現象的に表出してくるのが個人概念なんじゃないかと最近思ってる
まずなんでこんな事を言い出したかというと通常の人間は何となく集団の力関係がわかる器官があるという話を聞いて、そういうものは目配せや敬語、発言の影響力や見た目などから類推するものだと思っててビックリしてたけど、暫くしてそれは障害だと気付いた
自分について知ることでどうなったかというと例えば秋葉原駅の前で壁に向かってノーザンクロスを気持ち悪い動きをしながら絶叫してる障害者を見たときに彼よりも自分の方が恐らくPDDがキツいという事実と立ち向かわなければいけなくなる
どうやら彼は「社会性」において自分には理解できないものがあると実感していたようだ。抽象的な概念について、社会的な通念を理解しているが、共感や感動が起こらない。集団内に向けて力関係を認識する能力、集団の意思決定に参画する能力、集団を維持して協調する能力、そのような「障害者」には実感することの出来ない「社会的な能力」を、彼は「フィクション」と称して、欠如していると考えていた。
さて、インタビューに対するツイッター上の「怒りの声」に戻ってみよう。
ISIS北大生の、「リアルの感じなさ」に対する怒りの声が表明されている。
この「リアルの感じなさ」こそが、ISIS北大生が、生き辛さ、人生の失敗の原因としていた「自らに生まれつき欠如していたもの」だったとしたら。
何故、彼はこのような事件をしでかすまで、精神科に受診するなりして、通常の治療を受けなかったのであろうか?
発達障害として典型的な症状が出てきちんと分類されるの機能が低い証っぽいし、高機能ならよくわからない能力で代替した上で斜め上の方向に異常性が伸びていくので良さがある
彼自身によると、自閉症者として生まれながらも、生まれつきな能力の高さ、ある種の別の能力が極めて発達しているなら、正常な能力の欠如を自覚して埋め合わせることなく克服して、異常性を高めながら社会に参入してしまう。
なるほど、彼は重度の自閉症者でありながらも、数学科の院生という高度な知性を持っていた。
「ほわせぷ」を知るツイッター上の人々では、彼は「非常に頭がよく」「異常者である」というのが共通認識となっているようだ。
てかほわせぷは超異常者だというのが皆の共通認識なんですかね
なんかほわせぷ氏に関して「サヨクなのか?」とか「ネトウヨなのか?」とかそんなこと言ってる奴がいるけど、彼はそういう常識的枠組みで語れるような人間じゃないから。異常者だから。
とりあえずほわせぷ氏は知能には全く問題がないどころかむしろ高いはずなので、会話にならないのは知能ではなく人格に問題があったのでしょう。
「ほわせぷ」ってアカウント、初めて知ったんですけどちらっと調べて「常識で動かない」「めちゃくちゃ頭がいい」「多分逮捕程度じゃ何にもない」とかそういうのがバンバン出てきてもうキャラが立ちすぎてギエーってなってる
生まれ持った障害を、生まれ持った極めて高い知性でリカバリできてしまった末路が、ISIS戦闘員事件であるなら、哀れというほかないだろう。
イスラム教という、国とも民族とも関係なく広がる宗教の、それを信じる人々の独立運動である。
イスラム法という、不変の憲法に基づいた国を作りたい、という人々の運動である。
それどころか民主主義の権化であるアメリカは戦争しかもたらさなかったのである。
もちろん大半のムスリムがそれを望んでいるわけではない。
だが少なくともISが成立し、世界中から参加者がやってくる程度には、望まれているものではあるのだ。
ISは際限なく拡大している。
彼らに国境はない。
たとえISが安定した統治を実現したとしても、欧米は「過激派組織」と呼び続けるだろう。
はたして現実的な落とし所はあるのだろうか?