はてなキーワード: 教養とは
こいつの一挙手一投足すべてが馬鹿すぎて常にドン引きされていたが、バカの大型補強により、小泉進次郎が加入。今井なんとかも政務官ときた。
今井はもう安倍と同レベルに教養も品性もないから各地で叩かれまくる。
小泉進次郎、安倍と同じような境遇で、家柄いいのに超Fランにしか入れなかったほどの知性と教養の持ち主。何をいっても中身が常にない、BOTと同等の存在であり、進次郎がいいそうなこととか大喜利されている有様である。まあBOTだから、進次郎BOTがあればそのBOTに大臣やらせても成果は同レベルであることは間違いない。
最近、中身のないことを言うと「小泉進次郎じゃないんだから」って返しが定番になってきて、その場では笑ってたけど、
こいつは国連でもFラン卒丸出しの無教養さと、得意の中身ゼロ発言で大恥をかいてたのを見て、笑えなくなってきた。
中身がゼロなことを努力で教養を高めるということをしてこなかった。ただただ、見せかけのなにかそれっぽいことを言う力だけを身に着けた。
日本人って精神論とか好きだけど、こいつもそういうタイプ。ポエマーと言われているが、ポエマーにいくら税金使って養ってるのさ?
欧米だと人前でこんな空疎なことや精神論語ってたら、人前でオナニーやめろと一蹴されるぞ、まじで。
自分は東京に住んでるのだが、実家が千葉で、先日の台風で実家はもろにダメージを負った。しかし、正直精神的ダメージのほうがでかい。
当事者からすれば災害規模関わらず、全力で復旧活動に当たって欲しいと当然思うわけで、政府の対応の雑さ加減にさすがのネトウヨ歴10年を超える俺も目が冷めたんだ。
安倍はラグビー観戦に大はしゃぎ、菅は何があっても適切に対応したとしか言わない。まわりの人達は、
「安倍内閣は捏造を常態化し、これはあらゆる政策の結果を歪めて報じることがまかり通る事を意味し、この状態で国を良くしようなんて思うはずがない。このまま超速で凋落していく未来しか見えないとか、この国は死んだ。」なんてネガティブなことばかり言っていて、ウヨの自分は何言っているんだ?とか思っていたけど、今回のこの対応のひどさでさすがに目が冷めた。これでいて管なんて「適切な対応をした」なんてほざきやがる。え?どれだけ自分たちに対する合格点が低いんじゃい!テストで5点なんて落第点をとって、5点ありゃ十分や、俺天才なんて言っているキチガイそのものじゃん。
安倍の学歴の低さや、教養のなさはなんとなく目をつむってきたけど、それでもやっぱり、自分に厳しくできる人じゃないと、政治家なんてやっちゃ駄目だよ、投票しちゃ駄目だよ。安倍は教養も、知性も、倫理も、責任感も全部ないじゃん。。。
これはもう安倍捏造、安倍捏造とか言われてるけど、これガチやん。安倍政権はどんな失策も自己肯定しかしない。これはもう末期だよ、本当に。
今思えば、ITの大臣に頭の回らないおじいちゃんをアサインしたり、未だに少子化対策も無視して、子育てに適した十分環境を作れなかったり、教育や研究にも税金を使ってこなかったり、これまた頭の悪い小泉進次郎を大臣にしたり、今井なんて客寄せパンダを政治利用する。度重なる増税地獄の中、状況まで悪化する。何に税金使ってるのさ?国民に微塵の役もない。もう無茶苦茶で安倍政権は未来を考えてないのは明らか。
自分で自分のことをネトウヨなんて言ったが、実際は政治に興味がなく自民党しか知らないし、なんとなく消去法で自民党くらいしかないと思っていたのは事実だ。
もっと早く政治に興味を持って、社会の状況だったり、未来を考えたとき、今の政権がどのような政策をとっているか、意識的に考えるべきだった。本当、恥ずかしい限りだ。
もっと国民の生活を、そして未来を考えている政治家に投票しよう。間違ったことはことは間違ったを言える政治家がいい。今はどこの党がいいかはわからないけど、それでも誠実さのかけらもない自民党を消去法で支持するってことだけは絶対しない。
オタクエリートと言うのは、岡田斗司夫が「オタク・イズ・ビューティフル」と言い出した頃に、一部のオタクの間に流行った概念ですね。
オタクを極めた者はオタクのエリートであり、オタクこそが優秀な人間である、つまりオタクのエリートは人間の中でもとびきりのエリートである。
と言うのが、その論旨です。(それは彼の言うところのオタク第1世代である自分たちの世代のことである、となる)
当時の日本の世相はオタクを下等民族として扱っていたと言う背景があり、それを打破すべく「オタクこそが優秀な人間である」と言うパラダイムシフトを行おうとしたのですが、萌えにうつつを抜かす教養のないオタクが市場を席巻したため、教養ある優秀な人間であると言う意味のオタクは滅びた、と「オタク・イズ・デッド」宣言をして壇上を去ることになります。
最近だと元京アニのヤマカン氏がその思想を受け継いだオタク定義論をブログで展開していますが、こうして理解されないことからも分かる通り、懐かしのあの頃の残滓にとどまっている印象です。
俺は理不尽が嫌いだ。偶然以外に、理由のないことが生じてしまう事が嫌いだ。
この程度の救いようのない理由で、他者を傷つける事を俺は忌み嫌う。
多くの人は自分自身の感情や考えを説明できないまま、行動を起こしてしまう。それによって他者に危害を与えることになっても、許されると思っている。
そんなことがあっていいはずがない。
自分自身の頭の中さえコントロールできない人間が、他者を陥れる資格など、ないと思う。
なぜ腹が立つのか、なぜ攻撃をしようとしたのか、説明して話し合えば互いにきずつけあうことなどないのに。
彼らはそんな簡単な想像さえできないような、動物的な人格を自らひけらかしている事に恥ずかしささえ覚えることはない。
多くの人は想像力と、その想像を支える教養を置き去りにしていると感じる。
どう考えても最善の一手が多くの場合にはあるのだ。
最小のダメージで最大の利益を得る一手がそのには確かに存在する。
少しのおせっかいで窮地にある者は活路を得る。
頼む、少しでいいんだ。少しだけ想像してやってくれ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1406088
アメリカ幼児アニメって何らかの知育・教育要素ないとだめだとか言うよな
ポリコレがっつりだし
教育要素がない娯楽方面に振り切ったのってスポンジボブくらいしか思いつかん
国民性の違いなのかなー
SFマニアが流行ってるオタクコンテンツに特攻して噛みつくたびに炎上するネット世界。僕ら世代には「またかよ!」って感じなんですが、世代交代による認識の変化で、SF警察がなにに怒ってるのか? とか、あれもこれもSFなのに、なんでSF衰退とか言っちゃってんのか?
とか理解不能に陥ってる方も続出している模様。
そんなわけで、過去を知る者として、ちょっとまとめてみました。
ただ、だいぶ背景をさっぴいてます。
受験戦争の加熱とから、今よりさらにひどい男性中心主義社会である昭和日本での負け組男子化への怯えとか。
○
今でもその名残はありますが、かつて、オタクというものはヒエラルキーによる特権意識を良しとする人の集まりでした。
全員ではないとは思うけど、なんかそう言う感じのが台頭してました。
『オタクの教養』をたっぷり学んだオタクエリートがクールで良しとされたのですが、これもまた、今でもその名残はあります。
クールジャパンとかが、その流れですね。
どこの誰とは言わねぇでおいてやりますが、京アニ事件の時に、どっかの大学教授が書いた懐古エッセイみたいな記事。
今時の人たちからは謎扱いされてましたが、あれが、あの世代の『オタクエリート』意識のあらわれです。
彼だけの特殊な思想ではないことは「記事の内容には賛同できる」とか言ってる人が、ちらほらいたことから分かりますね?
今でも名残はありますね?
○
ところで
『オタクエリート』
政治家ですらオタクに媚びる今では、下手したら生死に関わることだとまでは信じられないかもしれませんが、昔は、オタクであること自体が恥でした。
今でも自嘲ネタではあるし、からかわれることもあるとは思いますが、かつて、「オタク」と呼ばれることは、社会的死や、学校や家庭でイジメの対象になることを意味したのです。
ググれば怨嗟の声で溢れているとは思うので割愛しますが、オウム事件や宮崎事件は「オタク」を犯罪者予備軍として世間に認知させる結果を生みました。
当時のオタク的趣味を持つ人たちは、自分はオタクではないことを証明するのに躍起になっていました。
あるいはオタクではない人のフリをして、その行為を自嘲気味に「擬態」などと呼んでおりました。
今でも名残はありますが、生活や生死が関わってるので真剣度が段違いです。
そこで『教養』の出番です。
○
オタクにとっての『教養』とは、自分が頭のいい人間であること、社会にとって有益な優れた人間であること、犯罪者予備軍=オタク以外のなにかであること、それを証明するためのものでした。
と言う事にしかなりえず、オタクであることを認めるか、認めなくても勝手にレッテル貼りさせられました。
しかしながら、そうすると犯罪者予備軍の一員にさせられてしまいます。
自分がオタクであることを認めながら、『ただのオタク』以上の上位の存在である事を示す概念を必要としました。
それが、『オタクエリート』です。
○
世間ではいっしょくたにされる『オタク』カテゴリー内での優位的立場を築きたいオタクエリートにとって、自分を相対的に上位に位置付けてくれる下位の『オタク』たち、それは「フィギュア萌え族」とすら揶揄された二次元美少女オタクでした。
……今でも名残はありますね?
誰とは言わないが…と言うよりも、京アニ事件の記事でアニを持ち上げる時に使うのは
『萌え』ではないこと。
『萌え』でないこと。
○
そして、そんな知能の少なそうな動物的オタクたちを堂々と見下し、自分はあいつらとは違うと胸を張りたいオタクエリートのための教養のひとつが
だったのです。
なにしろ動機がそれですから、あちこち弱そうな敵を見つけては出張って「批評」したりweb日記に書いたり、得意げにウンチクを吹聴しまくり、相手や相手の趣味を貶して、論破論破とサディスティックな優越感に浸る日々を送ることになります。
やがてハードSFは衰退し、論拠としているものの権威が失墜してしまいますが、それでもやることは同じでした。
そうでしょう、そうでしょう。
いい迷惑なのが、ただのSF小説好きや、そんな歪んだ時代を知らない新しい読者です。
彼らは
あれもあれもSFだ。
と言います。
残念。
のですよ。創元やハヤカワから出ていて、各種映画化されている大家のディックはSFには入らないのです。
彼らの概念では、SFにはなんか厳格な作法があり、その作法を守るものだけがSFなのです。
どんな作法かって?
……知るか!
○
彼らSF警察が、ことあるごとにグチグチと高圧的かつ上から目線どウンチクを語っては、嫌われまくってるのは見ての通りです。
「SF衰退はSF警察のせいじゃない」、それは、あるいはその通りかもしれません。
しかしまあ、そのSF警察が、現在進行形で「彼らが信奉するSF」の衰退や、「正しい科学知識」への嫌悪を植えつける大きな要因になっているのは、その嫌われっぷりを見れば一目瞭然です。
……とは言え、です。
経済学的には、奴隷が作ったものを買う側も搾取に加担してるってのは明白な事実
それなのに奴隷が作ったものを消費しながら奴隷批判だからな(笑)
IQが違い過ぎると話成り立たないって言うけどまさにそれ
てかほとんど数式で世の中成り立ってるだろ。たいした教養もないようなやつが社会にでて何となくやってるだけだからどこで使うんだよってなるんだよね。そんなやつらが何できるんだって話だよ。建物を建てるのは数学ができる建築士であって、言われたことをやってるのが中卒の建設作業員な。こんなやつらに数式なんて知識があるわけがないので建築士にもなれるわけがない。そういうことだ。
なんだオチがないのか。
ネイティブアメリカンというからアメリカ大陸に元からいた人々の話かと思ったら、全然違った。
...いや、これは釣りなのかな。多分そうなんだろうな。
著名人の中には数千冊の蔵書を自慢する人がいるが、その人たちから教養の高さや知識の深さを感じない。これはどういうことか。おそらくは読書の仕方が悪いか、全く読んでいないかのどちらかだろう。
教養のない純粋な家庭で育ったからか、「"男は理系、女は文系"という風潮が存在する」という言説自体を未だに実感として受け入れられていないんだよな。そんな話は高校で初めて聞いたし、中学までは男の俺も「理系ってなんかダサいし、文系行くわw」くらいに思ってたし。(その後数学以外に興味を失って理系進んだけど。)
両親共高卒だから、理系とか文系とかいうものが大きな価値観の違いを生む環境に生きてなかった。よくわからんけど、中学卒業までの15年間「おまえは理屈っぽいなぁw」とカジュアルにバカにされて育った。こういうの、よくある普通の家庭だと今でも思ってるんだけど、そうでもないのかな。
流石に今は周りもみんな言ってるし、信じてないわけじゃない。論理的に導かれた結論なので支持しているけど、これが腑に落ちることは永遠にない気がする。