はてなキーワード: 意見とは
いろんな番組でこれ取り扱っててもうええてw状態なんだけど、それでも専門家によってOKとNGで意見別れてるんだよね
だから今回はグレーで終わる話だと思う
むしろそれ以外にもやるべきことは山ほどあるのに、よっぽど騒ぎたいんだなハイハイって、やればやるだけ冷めた目線で見てしまう
日本人って社会系の科学についてのリテラシーが幼稚園児並みなので、考えることの全てが間違っててしょうもないよな
アホしかおらんのかな
電車でうるさいだの話し方がどうだのアイツがムカつくだのコイツがキモいだの、全体として見ればどうでもいい悪口を言ってどこかの個人を虐めて意地汚くネチネチするか、ダラダラ愚痴言って諦めてるだけだが、知能教養が足りないからまともな方向には収束しない
ので見てみた。
これは肖像権や著作権の翻案権のようなものを作って欲しいという意味だと思う
という意見。
これはパブリシティ権の問題で、名前を勝手に使うというAIとは関係なくダメな行為でこれは現行法でも違法
やはりこれが大きい
…いろいろあったが、大きく分けると
の3つになる
3つともややこしいのが「人がやる場合でも同じじゃないのか?」といういつものAI議論と同じ疑問が生まれるところだ
声の真似…すなわちモノマネだ
モノマネ師にはウリの一つとして「本人公認」というものがある。それは裏を返せば非公認でやっている人が多いということだ
モノマネ師にはウリの一つとして「過剰演出」というものがある。本人は絶対そんなこと言わないセリフや演技をする
こういうモノマネ師は得てして「本当に好きなんですw」を免罪符のように使っているが、声優は許しているのだろうか
モノマネ師は「無断」であり「リスペクト」が欠けていても「労力」はかけている
仮にAIに労力(時間)がかかるようになったらモノマネのように許すのか
「海外は法整備されているのに日本は無法地帯」というよくある誤認識
海外はディープフェイク絡みは法整備したけど、画像生成系は訴えが棄却されている
画像生成も「海外では禁止された」と認識している人が多くなってしまっている
正しくは
「日本でも声を法で守ってほしい」
と訴えるべきであって
増田は怒れる二十四の瞳というタイトルの童話を知っているかな。
昔々、ある小さな町に、正義感が強い12人の裁判員がいました。それぞれの名前はユカリ、タケシ、ミホ、サトシ、エリカ、ノゾミ、リョウ、アキラ、ユウカ、ケンタ、アヤカ、そしてレイジ。彼らはみんな町のために正しい決断をしたいといつも思っていました。
ある日、町ではみんなが注目する大事件が発生しました。被告人は町に住む一人の若者で、彼は罪を否認していました。裁判員たちはこの事件についてよく考え、慎重に証拠を調べ、一人一人の意見を尊重しながら話し合いを進めました。しかし、証拠は薄く、どちらに決定を出すのが正しいのか、次第に彼らは分かれることになりました。
裁判員たちはそれぞれの信念と正義感がぶつかり合い、議論は白熱して少しずつ感情も高まっていきました。最後には、全員がもう一度冷静になって自分たちの決断が人の人生にどれほどの影響を持つかを再認識しました。そして、彼らは再び意見を整え、公正と誠意をもって慎重に結論を出しました。若者は無罪放免され、その後誠実に生きていくことを誓ったのでした。
この童話が教えてくれるのは、感情に流されずに公正であることの大切さと、他者の人生に大きな影響を与える責任を持つことの重さです。ℋ𝒶𝓅𝓅𝓎 ℰ𝓃𝒹.
国立科学博物館のポスターの件を巡って、親AIと反AIのレスバばっかり流れてくるようになったんだけど、どっちもこだわり強過ぎてアスペ同士で戦ってるなという印象しか受けない。
親AIは反ツイフェミのような、脊髄反射で本当にめちゃくちゃな言いがかりでAIを擁護してて怖い。とにかくAIに反対意見を出したやつを否定したいという気持ちが強過ぎて、もはや名誉毀損だろみたいな言いがかりまでつけてるやつが多い印象。あと大体萌え絵みたいなAI絵を載せてたり、「〇〇にブロックされました」のスクショを載せて親AIのお仲間とわちゃわちゃしている。キモい。
一方で反AIはツイフェミのような、とにかく自分の気持ちをそれっぽくコーティングして長ったらしくAIを批判してて怖い。とにかく少しでもAIを使ってたら「失望しました」の嵐。知らんがな!今回の件に関してで言うと、実在しないものをポスターにするのは良くないみたいな意見があったけど、それは今までの科博のポスターにも言えることであって、ただ単純に生成AIを使ったという一点で盗作だの景品表示法違反だと喚き散らしている。キモい。
絵を描く人がAIに敏感になるのもわからなくはないんだが、君たち文章を出力するAIが話題になった時からこんなに騒いでました?騒いでないですよね??自分のテリトリーが侵されそうになった途端騒いでるだけだよね、そろそろ認めたらどうなんだよ。
しょうもねーな本当に
こんにちわ日々寒くなってきましたね。
私は生成AIに関わる話題を出た時から追っては居るけれど別に誰かと戦うことも無いこの星の無数の塵の1つです。
今回はこの生成AI論争を見つつ「私ならどう滅ぼしたか?」を考えていきたいです。
まずこの論争の焦点はどこなのでしょう。私は「人間の学習は合法だがAIの学習は無断使用である」と主張するクリエイター側の意見が話の中心点だと感じております。法を超えた感情の話、つまり倫理的主張でありそれに基づく法の改正を願うと。
コレについてはAIの技術への知識不足…だと思います。AIは人間の脳を疑似再現する技術であり学習こそがAIの本質です。
ですが結果出力される画像生成等が「AIの技術」と勘違いされてるのかと。
この勘違いは恐らく今後一生正されることは無いでしょう。根底は技術への過小評価だと思うので。
で撲滅の話に戻るんですけど
まず第1案として生成AIを撲滅したいのでうんと大衆化させてしまう事です。2年前に比べ生成AIアプリは簡易的な物が大量に増えドコモ等の大手キャリアすら生成AIをビジネスに組み込むなど大衆化されてきました。大衆化するとどうなるかと言うとマネタイズが出来なくなりコレでお金を稼げなくなります。
後は勝手に衰退していくでしょう。
第2案として暴力的に異端者を排除していく方法です。これは現在進行系で行われているのですが、あまりオススメしません。上にある様に大衆化していくと生成AIを使っている相手はただの一般人になるからです。そこに集団で殴りかかってくる団体なんてどれだけ理屈を挙げようと化物としか思われません。元が感情からくる倫理であるなら当然行動に倫理が伴わねば相手にされなくなります。
第3案として人間の学習と機械学習が同じだと認める方法です。個人的にはコレがかなり勝算高かったと思います(もう難しいですが…)
主張の最初が感情から来るものなら半端に法律を絡めようとせず徹底して倫理のみで戦う方法です。人間の脳を再現出来てしまうなんて人間を造るのと同じでは無いかとヒトクローン等の禁忌技術に格上げさせるのです。勿論宗教団体と合流していれば一大勢力になれたでしょうね。
…とこんな感じです。とにもかくにも世は利権でしか動きません。既に世に産まれた物を撲滅するのは大変な労力やお金がかかります、
感情から撲滅思想になっている方には少しでも早く「正直どうでもいいな…」という境地に至って欲しくこの駄文乱れ書きを行いました。
自分の女がどんだけ不倫しまくっても「女はちょっと不倫してるくらいがええ、そういう女を支える男の方が幸せ」「女の不倫は芸の肥やし」とか言えるなら、その意見は全然アリと思う
https://anond.hatelabo.jp/20220304161806
これって旧日本軍と同じ発想じゃん
何故急にこれがありになったんだ?
■未だにウクライナVSロシアの一対一での勝負だと思ってるからこういうアホなことを言う
https://anond.hatelabo.jp/20220305020931
まずますだのいってることはろんがいなのだが、何故かそれをちゃんと指摘できてるはてブコメントが少ない。はてなブックマークの反論がことごとくポイントずれてるんだよ。
純粋にロシアVSウクライナの戦いならこの増田や玉川徹の言ってることは正しい。しかしそもそもその前提がおかしいという話をすべきだ。
お互いの勝利条件をもう一度整備して考え直せ。増田はそもそもが勝利条件の理解が間違っている。
これは一対一の戦いではなく集団的防衛圏が本当に機能するのか、国連が機能するのかという話だ。
ロシアは単にウクライナとだけ戦って勝てばいいのではない。迅速に勝利して他国が介入したり国際世論が反発する前に事態を把握する必要があった。
実際にはこれに失敗して世界中から非難決議をうけて経済制裁を受けている。義勇兵も参戦したりしてる。
一方ウクライナは戦いを長引かせることで国連を始めとする世界がロシアを批判し、さらに義のない戦争でウクライナに攻め込んで民衆の生活を破綻させたプーチンに対するロシア国民の反乱が起きることを狙っている。NATOの支援を得られるように戦闘と同じくらいプロパガンダも頑張っている。
うまくいくように見えたが実はそうでもない。
電力の要を抑えられてしまったので、遅滞作戦は失敗するかもしれないけどな。こちらはこちらで有利ではない。
そういう次元での戦いをやっている。
繰り返す。
ウクライナが純粋な一対一でのロシアとの戦いで勝てないのは誰でもわかっている。他国が一切介入しないならウクライナは一定ライン抵抗した後は降伏する以外の選択肢はない。これは過去のウクライナの悲惨な歴史を考えたところで変わらない。いかにうまく負けるかの話でしかない。失敗すればどこかに核が落ちたうえでの降伏となりゼレンスキーは一転無能の烙印を押されるだろう。
だがそういう前提で戦ってると思っているのは橋下徹と玉川徹と増田だけだ。どうせお前の名前も徹なんだろう。
徹、もう一度よく考えろ。お前はこんな基本的なところすら理解できてないで議論をしてる。それをわかってないからこういうバカみたいなことを言っている。
徹よ、橋下徹と玉川徹はもう手遅れだが、お前だけはまだ間に合う。前提のちがいをかんがえたうえでもう一度同じ意見か考え直してみろ
それは自己責任だろ、って主張は個々が正当に有する権利を明確にしなきゃいくらでもこじつけようがある気がする。
貧乏人への再配分構造を変えられないのはお前の能力不足で自己責任なんだから不満を垂れるな。
映画館で泣くガキに我慢出来ないくらいの狭量さが問題なんだからお前の自己責任。
お前の意志で映画館にガキを連れてきてんだから、ガキが騒いだら退出するのは当然の自己責任。
この水掛け論に終止符を打つ、とまでは行かなくとも調整くらいはする権利を明確にする過程こそが政治だと思う。
その権利を定める政治過程の中で、当該権利の是非を自明に前提として置いた「自己責任」を根拠とするのは論理が循環してるというか、ただこの取り決めに賛成/反対で〜す、気に食わないから嫌で〜す/それが当たり前なんでそうあるべきで〜すって言ってるのと変わらない気がする。
ある日、俺はね、ふと思ったんです。「俺はね、ケツをね、付かれたいんです」と言うと、友達は驚いた顔をして「え?何を言ってるの?」と答える。そこで俺は続けて、「いや、そうじゃなくて、もっと深い意味があるんだ」と言うと、友達は首をかしげながら「深い意味って何だよ?」と問い返す。
俺は考えた。「ケツを付かれる」という行為には、何か特別な意味があるのではないかと。例えば、「それは愛情表現の一つだ」と言うと、友達は「愛情表現?それが?」と不思議そうに聞く。俺は「そうだよ、例えば、親しい友人同士での冗談みたいなもので」と答える。
しかし、友達は納得しない。「でも、普通そんなことしないだろ?」と言う。俺は「いや、それが重要なんだ。普通じゃないからこそ面白いんだ」と言うと、友達は「面白いって何が?」とさらに疑問を投げかける。
そこで俺は、「例えば、ケツを付かれることで、お互いの距離感が縮まるんじゃないか?」と言うと、友達は「距離感?それって逆に遠くなる気がするけど」と答える。俺は「いや、そうじゃなくて、それが信頼関係を築く一歩になるんだ」と言う。
すると友達は、「信頼関係?それがケツを付かれることとどう関係があるの?」と問い詰める。俺は「だから、それが重要なんだよ。人間関係には時には奇妙な要素が必要なんだ」と言うと、友達は「奇妙な要素って何?」とさらに掘り下げる。
俺は思わず笑ってしまった。「そうだよね、奇妙だけど、それが人間らしさなんじゃないかな」と言うと、友達は「人間らしさ?それでケツを付かれることが人間らしいの?」と不思議そうに聞く。
結局、俺たちはその話題で盛り上がり、「やっぱりケツを付かれたいという気持ちは大事だよね」と言うことで意見が一致した。友達も「まあ、たまには変なこともいいかもしれないな」と答える。
こうして俺たちは、「ケツを付かれたい」というテーマで盛り上がりながらも、その本質について深く考えることになった。そして最後に、「やっぱり人生にはユーモアが必要だよね」と言い合ったのであった。
https://x.com/nassyemon/status/1860487799390290392
https://x.com/tmiya_/status/1860608224531255599
これ理系側が悪いから理系側が矯正すべき的な意見が強いっぽいが、意見への否定と人格否定を区別を出来ないのって協働して動く上で普通に障害になるであろうし、実際NEET株式会社もあとから入ってきたやつは提案の問題指摘すると人格否定と捉えてまともに話せなかった、みたいなインタビューみたいなの公開してたし、受け手側の問題もあるように思うのよね。
アスペって察することができなくて文面通り受け取ってしまうって聞いたし、アスペ同士ならうまく行くんじゃ?と思って調べたら無理らしい
お互いにこだわりが強く、意見がぶつかるのに譲り合わないから大惨事になるということ
xで、既婚子持ちによる「子どもが孫を産んだら自分の人生が認められた気がする、子どもが産まないと意思を決めたら自分が否定されたように感じる」という意見を観測して戦慄した
生成AI推進側も変なこと言ってるやつはいるが、そういう一部のおかしい発言だけ取り上げて仲間内で盛り上がってる反対派いるけど内輪ネタにしかなってないこと分かってるんかな。
twitterに流れてくる主張を見ると情緒的、感覚的、奇妙な比喩で構成された意見が多いように見えて、仲間内で共感得るにはいいかもしれないが外側に理解されるとは到底思えないものが多いのよね。
あと深層学習の原理とかは大学で取り扱うようなものだし完全に理解するべきとまでは思わないが、的はずれな指摘をしないためにもある程度は勉強すべきだろうし、現状の政府への生成AIへの認識に関する資料は普通に日本語で書いてるのだから読むべきだろう。当然やってる人はやってるのだが一部な印象が強い。
その学者とかマスコミが他で言ってることとかを見てみて、この人や媒体は信用できるなとかちょっと変なこと言ってるなとかそういうのも調べるといいと思うのね。
メディアとかで「その筋の専門家」っていうのが出てくるけど、ネットで調べるとこの人の話はちょっとアレだな…とかちょいちょいある。
そんでその人がなぜそういうことを言うのか?っていうのも調べてみると、あーなるほどここで繋がってんのかとか。
(まあそれも繋がってるっていうデタラメを言う人がいて、そこから陰謀論に発展したりもするんだけど)
そういうのとか他の人の意見とかをよくよく調べて矛盾を突き詰めていったりして、それぞれが自分なりの真実のようなものを見つけるんじゃあないだろうか。
みんながそれぞれ全く違うものを信じてたら社会はいつも大混乱だろうし、その個々で見つけた真実のようなものは個人差はあれど大体似るような気はしてる。
まあ全部が全部そんなことしてらんないから、テキトーでいいことは大体こんなもんかなってところで収めてたりするっていうのも大きいだろうけど。