はてなキーワード: 性愛とは
眠れなくて辛いので、ずっと思ってたこと書いちゃうけど。人を好きになる感覚がわからないんだよね。人間として、友としての好きならわかるんだけど。どっか、欠落しているのかな、とかチラと思ってはその言い方は己を傷つけるだけだと見ぬふりをして生きてきた。みんな当たり前に彼氏彼女がいるじゃない。彼氏彼女が欲しい!と思ったこともあんまないんだけど、世間の人々は親以外に「理解者」を得ていて、なのに自分にはおらずで、それってなんでなんだろう……と思ったりはするわけで。
いままで彼氏や彼女がいないことで他人を妬んだり、羨んだりということは幸いしてこなかったのでそこは良いとして。けれども自分が酷く惨めな存在に感じることは結構あってさ。それもだんだん虚しくなってきて考えるのをやめちゃったんだけど。
で、もしかして自分はアセクシャル(無性愛)なのかな?と思ったりもしたのだけど、いま調べたらアセクシャルって恋愛感情はあるらしい。じゃあ自分はなんなんだマジで、と記事を掘ってみたら「アロマンティック」というのが出てきた。概念としてはこれが一番近いかもしれないな。「他人に恋愛感情を持たない」人のことだそうな。
たぶん世間からみたら酷く惨めな存在判定受けるんだろうな~というのが嫌な感じだ。
自分は趣味で創作活動をするんだけど、経験していないものは書けない論争になった時「自分には恋愛は書けないってことなのかな」と考えたりしちゃう。そういう時「恋愛したことないなら今しなよ!相手なんてすぐ見つかるでしょ」みたいなことを言葉きつめに書く人もいてなかなか辛いものがある。できたら苦労しないんだよなぁ。
人を好きになるのってどんな感じなんだろう。自分も普通に人を好きになって、色んな経験をして、付き合ったり別れたりして、結婚して、子供をもうけてみたかったな。
皆が当たり前にしてること、やってみたかったな。(いま未婚の人が増えているのは知ってるよ、でもそういう人たちだって、恋愛経験ゼロの人は少ないんじゃない?)
30台半ばまで人を好きになることが無かったってことは、この先人を好きになる可能性ほぼゼロってことだろうからさ。諦めたらいいのに、諦めきれないのがこれまた辛い。
異性愛にも同性愛にも当てはまらない、ただ恋愛できない人ってなんなんだろう。
なんで恋愛できないんだろう。
今まで誰にも言ったことなかったんだけど、眠れなすぎて書いちゃったよ。
どうするんだこれ。でもこのまま消すのも忍びないから、匿名でなんでも受け止めてくれそうなここに投稿させてもらおう。ありがとう、場所を貸してくれて。
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あらゆる年齢層が同じクラブに集められる
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「同じクラブのメンバー」という理由で合法的に大人が子供と接触する機会が増える
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クラブ活動は地域の表立った活動から私的な活動としての色合いを強めていく
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私的なクラブの中で何が起きているのかを外から知ることが難しくなる
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児童性愛者やそこに鼻薬を嗅がされた人間達で管理権限が固められたクラブが誕生したら???
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俺は怖いよ。
四谷大塚みたいなことが起きる機会が今後何倍にもなる。
スポーツ系のクラブ活動となれば当然のようにどこかで着替えをすることになる。
恐ろしいことだよ。
不特定多数の人間が代わりばんこに使う施設でやってたら犯人の特定も簡単じゃないだろうな。
管理責任を問うにしても誰をどう責めれば良いのかも分からないから曖昧になるだろう。
すぐそこに来てる。
スレッタはプロスペラにとって、ナディムとの間にできた第一子である大事なエリクトの世界を作るための鍵・道具となる
リプリチャイルド(つまりエリクトのクローン?オルガノイドアーカイブだの、SF設定の説明省くのやめろ)だったわけだが、
スレッタはプロスペラの所業を積極的に肯定して同居エンディングだった。何もツッコミを入れず全肯定したわけだ。
また、グエルもヴィムに結婚相手を勝手に決められ、決闘に勝てなければ平手打ちされ、
指示に従わなければ住むところを奪われ退学させられるという経済虐待を受けていたわけだが、
事故で父親を殺した自分を責め、父親との対話から逃げた自分を責め(対話を拒絶していたのは父親のほうだが…)、
ヴィムの短所について事実陳列したシャディクに怒り、父親の遺した会社を守るエンディングだった。
プロスペラとヴィムの問題についてツッコミが入らず、毒親重力圏から離れるキャラクターが不在のまま終わったのには、悪い意味で非常に驚いた。
正直、バズりやすい毒親ネタを、視聴者の興味を引くフックとして利用したようにしか思えない。
「毒親をどう受容するか」という物語にしたって、被虐待の落ち込み状態から全肯定状態にワープしており、間の説明がないのである。
そして比較的良い養親をしていた(シャディクに対してもっと子供らしくしても良いと言っていた)サリウスは、
シャディクに利用されて裏切られ煽られる。血縁を賛美して養子を貶したかったのだろうか。
ミオリネはデリングに文句を言っていたので、ホルダー結婚制度とトロフィー扱いを否定するのかと思っていた。
しかしホルダーになるための戦いに挑まないシャディクに対して不満を抱き、
2期では「意味不明なフェンシングによりホルダーの白制服に戻ったスレッタ」をミオリネは受け入れた。
これはシャディクが決闘しなかったから振られた、決闘に負けたから振られた、というホルダー制度追認なのか?
結局、ミオリネにとってグエルはタイプではなく、シャディクかスレッタなら好みであり、
「好みの人間が勝てばOK」という、父親のホルダー制度追認と個人的好き嫌いの良いところ取りをしたように見える。
これが初期のウテナオマージュに対する中途半端なアンサーになっており、
ミオリネを同性をエンパワメントする女性キャラとして描き切れず、強い言葉でむやみに他人を非難するだけの半端者にしてしまった。
プロスペラによるクインハーバーのアーシアン大量虐殺について、
地球生まれの戦災孤児のシャディクが罪を被るという謎のエンディングを迎えた。
また、スレッタの初恋は4号だったはずだが、4号がペイル社CEOに消耗品扱いされて死んでいったことについて
5号から聞かされて知ったあとも、スレッタは主体的なアクションを全く起こさないまま終わった。
強化人士を研究のための消耗品扱いして死なせていくのはアド・ステラ世界では罪にならないのだろうか?
5号もスレッタも4号の末路を知りながら「何もしなかった」ためにCEOらはシャバに放流されていると考えるのが自然だろう。
連絡係として使われたニカが自首して服役、地球寮を殺しかけたラウダは無罪。
シャディクがプロスペラの罪まで被って服役、強化人士を殺していたペイル社CEOは呑気にお茶しており無罪。
シャディクのような子供たちを犠牲にした金で育ったグエル(もっとも本人はそれを知らされていなかったのだが)が褒めそやされ、シャディクが批判されるというグロテスクな光景が生まれてしまった。
「グエルは最高、それに比べてシャディクやラウダは最低」というような感想に対して反論する材料が本編内に不足しているのは、作品として深みがなく失敗ではないか?と思う。
https://anond.hatelabo.jp/20231010204339
水星の魔女について納得できない点をツイートすると「同性婚に反対している差別主義者」「保守右翼」「日本会議」と断定されたり、
エラスレ・グエスレ・シャディミオなどのカップリング二次創作を作ったり読んだりしていたのに
そうした性愛関係妄想が本編に否定されてアンチ化したのだろうと断定され、引用RTやスクショで集団攻撃を受ける状態になっていた。
実際、支離滅裂な本編批判ツイートを見かけてbioを見るとやれグエスレだのラウグエだのと書かれていたから、
水星の魔女批判者の一定数は「ただ本編が思ったとおりのカップリングにならずにキレている恋愛依存症のカプ厨である」というのは事実だろう。
しかし批判者の全員がカプ厨であるというのは、まったくもって事実ではない。
最近になってようやく「カプ厨目線ではない批判」が可能になった。
それくらい水星の魔女視聴者界隈はスレミオだの、グエスレだの、ラウグエだのによって荒らされていた。
毒親、トロフィー扱いされた女性の自立、経済格差・一方的な搾取の構造・差別といったテーマが、
「バズネタ」として表面的に取り扱われ、着地についてはろくな説明もなく放り投げられた作品だから、
居着いたのは結局、絵に性欲を抱いているカップリング厨ばかりだった。
「小児性愛」と「フィクションの実在しないロリコンテンツ」は別物であることを線引を必要とする人たちに分かってもらうことが大切
本当に全くその通りなんですよね。
だから私はずっと「対人性愛者は犯罪者予備軍」って言ってるんです。
「小児性愛」と「フィクションの実在しないロリコンテンツ」よりも、「小児性愛」と「成人同士の対人性愛」の方がよほど近い距離にあるわけですから。
はいまず親にそれいってきてからいえよ。対人性愛者の申し子の分際でたまたまおまえ一人が対物性愛だからって世間に口だしできるわけがねえだろ。勝手に子孫根絶やしにしてろ
「子を持つ親として」って誤魔化してるけど、どうせ9割以上がシスヘテロ対人性愛ナタリストが異性と対人セックスして自分で産んだ子供のくせに誤魔化してんじゃねぇよと思う。
非対人性愛者からすれば、生きた人格のある人間、特に権力勾配のある異性と平気で対人セックスできる人間の方がよほど怖い。「女性を妊娠させる」という行為、それ自体が女性を家畜化(あなたたちは「産む機械」って言うんでしたっけ?)しているようにしか見えなくて怖い。これも嘘や皮肉ではなく本心なんだわ。あんな不潔で危険でグロテスクなおぞましい儀式をどうして欲望できるのか全く理解できない。それを「何か善良で美しく清らかなもの」だと信じているらしいのが一番怖い。理解できないものは怖いよね。お互い。
まあ養子縁組した子供を守るためにって言うなら少しは聞いてやってもいいけどね。
まず「なぜ対人セックスを批判しないのか。対人性愛カルチャーを批判しないのか」という問に納得出来る答えを提示して欲しいんだけど、今の所それが達成されたことは一度もない。試みられたことすら一度もない。あまりにも不誠実だよね。せめて誠実な態度で対話に臨んでくれないものだろうか。