はてなキーワード: 幼児とは
というかそういう問題じゃなくてね。たとえば同じ意味を表す数式でも同値変形によっていろんな形式があるでしょ。
そのうちのより難解な数式どころか一番すっきりした形の数式も浮かんでこない状態に憂いているんだよね。
不定形のもやもやっとしたものを一番簡単な言い方ですら言語化できない。
幼児は語彙が足らないから自分が置かれた状況を正しく表現できず虐待があっても見過ごされてしまうということがある。
その段階を越えるとまあ生存に必要な意思は伝えられるようになるよね。
それでもより高度な思考を持ったり発表したりしたいということになるとむしろ語彙そのものの豊富さよりは語彙を整理したり統合する能力の重点の方が大きくなると思う。これはもう地頭であり才能次第なところがあるよね。俺みたいな馬鹿はそもそも高度な問題をもやもやしたとして一時的に抱えることはあっても的確に対象化したりすることはできない。こればっかりは文章読本やらボキャブラリー集や役に立たなかったわって話。
ひいては高度な思想を持てない高度な自己実現ができないってことにもつながってると思うわ。増田で一家言戦わせてる人たちみてるとそう感じる。
確かにあの人達の言語能力やそれに付随するもろもろは俺の一段も二段も上を言ってる。「そういうことはそうやって言えばいいのか」と伝える技術に目から鱗が落ちる。
なんだけど俺の「そのとき」言いたいことはその人たちとは当然違うわけだし直接どころか間接的にも参考にはならないんだよね…。逆に同じだったら既に代弁者がいるんだから別に署名活動みたいに声(人数)がでかい方が有利みたいなことをしてるわけじゃないんだし俺が改めてネットに書き込むまでもない。
思いがけず、ホストファミリーの高校生男子も母親も大ウケだった。
「なんで高校生なのに、小学生(10歳?)みたいなキャラなの?」
「なんで声のトーンがこんなに高いの?」
というリアクションだった。
当時の自分としては、
「アメリカ人は意外と変なところを気にするんだなー」
くらいの印象だった。
ジェンダーの話題が多くなり、この思い出について考えることが増えた。
アニメ大好きなブクマカが無理な言い逃れしてて笑った。でも「女性が幼児みたいに幼く描かれている」傾向自体は認めていて、「ジェンダー以外が原因である」という意見なのは意外だった。自分はしばらく傾向そのものに気づかなかったからな…
男キャラも幼児化してるって意見もあったけど、自分はちょっと疑問だった。幼児みたいに幼い男子高校生キャラとか、そんなメジャーだっけ?自分も最近の作品は詳しくないけど…
松戸市のVtuber戸定さんの動画が問題になっていますね。松戸市、割とご近所ですので、気になっております。
特にはてなではおっぱいが揺れてるぞってことが問題になってますよね。おっぱいなんて普通は揺れないのにわざわざ揺らすな、みたいな話が結構言われてます。
https://anond.hatelabo.jp/20210920015426
でも、おっぱいが揺れるのってそんな特別なことだったっけ?と思ったので、
ちょうど街へ出て1時間ほど暇をつぶす機会に恵まれましたので、実際のところ女性の胸は揺れているのかどうか、見てきました。
(こんなキモいことをやる(やった)にあたり、自分のスタンスをはっきりさせておくと、胸部の揺れについて、好きか嫌いかでいうと、私は非常に好きと言えると思います。例えばポルノなビデオ作品や、あるいは妻との実地の行為において、営為の最中に胸部が激しく揺れたりするのを見るのは非常に昂奮いたしますし、そのような直接的な話でなくとも、ブラトップなどを着用した妻が前を通り過ぎた際に「オッ揺れたな」などと感じ、情欲が盛り上がってくることなどがあります。)
駅前コーヒーショップの窓側カウンターから路上を通過するすべての女性と認識できる人の胸部を観測しました。
・男性
・胸部、服装、髪型、相貌のいずれにおいても女性と男性の判断のつかない人
「胸部が揺れたかどうか」については、判断の難しい場合は揺れてない方に倒しました。「オッ揺れてるな」と感じる場合のみ揺れ確認としてカウントしています。
とりあえず100人で数えるのをやめました。あんまり窓の外を凝視してるのも不審なので
37%、多いとも少ないとも取れる数字ですけれども、10人の女性が歩いてたら3人ぐらいは揺れてるんじゃないかということなので、元増田でいうように、「非日常」というほどでもないですね。もともと私が抱いてた印象とも合うような気がします。
まあでも、上記の増田は「できるだけ揺れないように暮らしている」ということでしたし、集計にあたって、女性の属性をいちいち記載する時間はなかったのですが、確かに、胸部の目立つ女性であっても、全然揺れてないなって感じの人はいました。
そして、完全に印象ですが、若そうに見える女性の方が、揺れる率は少なかったと思います。たぶん。
ありていに言えば、おばあちゃんのおっぱいは揺れてることが多かったと思います。
とは言え、派手目な格好の若い女性とか、若いママさんがゆるい服をぷるぷる揺らしながら歩いてるのも確認しましたので、まあ、やっぱ、非日常というほどでもないのかもしれません。
そんで、そもそもの話で、しかも私自身の感想になっちゃうんですけど、しかもこんなことやった後で言うのもなんなんですけど、胸が揺れてるのって、ニュートラルな状態で見てたら、あんまりエロく感じないですね。
少なくとも私は、知らない女性の胸が歩くたびにちょっとプルンて動くのをみても、ふくらはぎがプルッとするのとあんま違いは感じないです。そんなに期待したほどでもなかったなという、新たな発見でした。
「乳揺れ」っていう語感とか、おっぱいが揺れているぞ!おっぱいが!って強く意識したらまあエロいこともないんですけど、前提としてその人を好ましく思ってないとなかなか難しいみたいです。
おっぱいが揺れるの、好きだと思ってたんですけど、単に妻が好きなだけだったみたいですね(照)
……で、ひるがえって問題になってるVtuber戸定さんの交通安全動画で胸がたゆたゆするやつ、見ましたけども、そりゃあ可愛い女の子の胸がたゆたゆしているわけなんで、エロいと言えばエロいとは思います。
でもまあ……このぐらいはしょうがないんじゃないかと思いました。Vtuberの人ってやたらとぴょんぴょん動くし、揺れてもしょうがないんじゃないのって感じです。
結論として、アニメとかVtuberの胸が揺れるのをなくすべきかっていうと、私は揺れてたっていいとは思ってるんですけど、でも難しいですね。私も娘がいる身ですので、例えば妻とか、あるいは今後、高校生とかなった娘が外で胸をタプタプさせながら歩いていたら、ちょっと嫌だというか、やめなさいぐらいは言っちゃうと思いますし、それが他所の娘さんならいいんか?って話ですもんね。
とりあえず、久々に街に出たので面白かったです。では。
認識が違うのはどうにもならない。
「概要を読んだ」
と書いたんだ。
本を何冊も読んだわけではない。
親の影響の方が大きいのはわかる。
親の影響はとても大きい。
一方で親以外にも影響力がないわけではない。
あなたも影響されている。
「馬鹿は黙れ」は良くない。
口先で勝てなくても、
論理がきちんと立てられずとも、
判断しなければならない事もある。
オウム真理教の全盛期を知っているならば
「ああ言えば上祐」を思い出してもらいたい。
馬鹿でも変だと思ったら変だと主張するべきだ。
あるいは逃げるべきだ。
自分が正しいと信じているわけではない。
納得できる主張があれば、その通りだと思う。
あなたの主張に賛成できない。
どうにもならない。
そういう事は有識者と呼ばれる人達が自分の専門家としての見地から話し合いをするだろう。
自分が書いたところで見る人も少ない、いない。
それは悪い事ではないし違法な事に賛成したり悪口を言ってはいない。
あなたは見なくても何も書かなくてもいい。
自分も好きな時に書いたり読んだりするだけ。
あと寝込んでてネット読むついで。
「いちいち指摘するのはしないが、全部がおかしい。
という事はそんなに酷いか?
昼間の番組でもすればいいと思う。
男性向けではない
セクハラに当たらない
と判断しているんだろう。
結局は線引きをどこにするかの問題になる。
意見の相違はどうしようもない。
基準ができても紛糾しそうだねえ。
ウチはウチ、ヨソはヨソ?
ヨソで収まってるならいいけど
自分の所だけで出すなら良かった。
セクハラは指摘しないと続くよ。
「お前こそ ふざけんな」は悪口に該当するかもしれない。
お前は「私はバカだからわからない。他のやつもわからないのが当たり前だ。私に合わせろ」と言っているな。
知ろうともしない。
そうだ。お前はバカだ。
勉強もしない。
なぜバカで勉強もサボるくせに自分が正しいと信じて長文を書くんだ?
自分がバカだと主張してるのに、なぜ自分は間違ってると思えない。
いちいち指摘するのはしないが、全部がおかしい。深夜にアニメを幼児がみるな。議連が怒ったのは自分の子供じゃなくて他人だ。
でも、なら調べた俺の言うことを聞いたら、へーそうなんだ勉強になったよ、だろうが。
子供でも教えてもらったら学ぶぞ。
住んでいる家から歩いて15分ぐらいのところに砂浜がある。晴れでも曇り空でも、海を見ているとまったく印象は異なるのにどこか気持ちが楽になるので、他にやることも特にないし、暇さえあれば行っている。
今日は台風一過の晴天がまだ続いていて、朝10時ぐらいに浜に着いたら、俺と同じような地元民がけっこう遊びに来ていた。盛夏のような密集した感じではなかったけども、犬を散歩させている人だとか、少年団の水泳教室みたいのとか、俺と同じようなぼんやりした中年みたいな人とかが浜辺に適当に散らかっていて、活況という雰囲気だった。
…
波打ち際で、歩き始めたばっかりという感じの小さい子供とお母さんらしき女性の二人組が遊んでいた。幼児がえっちらおっちら、やじろべえのように左右にバランスを取りながら、右足で地面を踏んだエネルギーを体の左側に、今度は左足で踏んだエネルギーを右側にやるのが見えるようで、そうやって濡れた砂の上を歩いていて、すげーな、と思った。
歩きながら、ちゃんと(というとおかしいが)海の方に向かっていく。
何かしら、原始的に引き寄せられるものがあるんだろうか。まあ、「○○ちゃん、海に行こうか」といって家を出てきたのだろうからはじめからそういう意識なんだろうけど、一つの生命として何か惹かれるものがあるんだとしたら面白いな、と思った。
風が吹いて、水泳教室用に砂浜に積まれていたビート板が舞い上がった。真っ青なビート板が何枚も、白っぽく濡れた砂浜と対比をつくりながら、陽の光を浴びて波打っている海を背景にして幼児の前を舞って流れていった。
子どもは歩くのをやめて、その光景に見入っているように見えた。
もしかするとびっくりして恐怖で固まっていたのかもしれないが、美しいと感じたのかもしれないし、実際、鮮やかな出来事だった。
…
そうなんだよ、世界にはこういうことが起きるんだよ、と俺は思う。
俺は30過ぎて世界という言葉の意味が国際的な意味合いでも形而上的にもよくわからないし、それは中年の中でもとりわけぼんやりしている俺自身にも問題があるが、会話がたいして成立しないはずの子どもに向けて語るときだけ、この言葉の正確な部分の一端をつかんだような錯覚を覚える。
それはおおよそのところ、幼稚さをこじらせて自分がよくわからなくなったおっさんのたわ言だが、あえて他の理由を言えば、俺も子どもだったからわかるのだと思う。社会情勢も人間心理のこともわからないが、俺も同じ子どもだったから、ここが美しく印象的なことが起きる場所だということはなんとなくわかる(ということにしている)。
…
ちなみに、1~2歳ごろの子ども視力は0.2相当らしい。また、以前、ある絵本の批評を読んでいたら「微妙な色づかいが多すぎて子どもの視覚には伝わらない」というようなことが書いてあった。
こういう具合で、幼児の視界というのは大人が想像するのとは、それこそまるで別世界の可能性がある。ま、そう考えるとやっぱり、上でくどくど書いたことはファンタジーかもしれないな…。
…
乾くのを待ってる間、『ジェイコブス・ラダー』という映画を観たら元気がなくなったので寝た。トータルでは良い休日だったと思う。🦑
4、5歳くらいの男の子3人がつるんで遊んでいた。自分の子供はその男の子たちのテリトリーに入って遊んで(おそらく一緒に遊びたかった。群れに入りたかった)、男の子たちは当然縄張りを荒らされて怒ってしまい、自分の子供を攻撃し始めた。
自分は男の子たちを軽くたしなめながら1歳の子供なんて年上の幼児に襲われたら簡単に死ぬんだろうなと思った
公園とはいえ、縄張りを荒らされて怒るのは当然だが、なんだか動物みたいだなって思った
自分の子供は言葉は話せないが、他の子供に興味津々で赤の他人なのに接近してしまう。
子供の群れに入りたくて、初対面の赤の他人の子供のグループに自ら進んで接近してしまうことがあり、優しく接してもらうこともあれば、今回のように煙たがられてしまうことがある。
優しく受け入れてもらえるほうがレアだ。私だって、仲の良い友達と話をしていたらいきなり知らない人間がニコニコしながら接近してきたら気分が悪くなってしまう
それでも、自分の子供はなるべく手を下さずやりたいようにして見守るようにしている。
親としては児童館になるべく積極的に通うしかないなと考えている。児童館は歳の近い子供が集まるし、子供同士で接近しても保護者も穏やかに受け入れてもらえる。