はてなキーワード: 二人称とは
アプリのウマ娘がめちゃくちゃ流行ったことで、元々女性向けジャンルで二次創作活動していた絵師さんがウマ娘の二次絵を描いてくれるようになった。
その結果、美少女コンテンツ好きの女ヲタである自分は予想以上に充実したヲタ生活を送ることができた。それもこれもウマ娘が覇権コンテンツになってくれたおかげ。ありがとう、ウマ娘。
元々、美少女コンテンツは男性向けジャンルなこともあって、必然的に二次創作も男性向けが多い(単純にエッチなのが多いとかではなく、R指定なしでも男性Pや提督への好意描写が多いなど)。そして、自分はそういった描写でこれまではある程度満足していた。
だけど、女性絵師(=女性向けコンテンツで二次創作をしてきた人)が描くウマ娘を見て「私が求めていたのはこれだ…!」と分かってしまった。
具体的に衝撃を受けたのは下記のようや表現だ。
(メイドとかじゃなくて最近の20代の子が本当に着てるような服。お洒落させたウマ娘かわいい。)
(女というのもいいけど、三人称視点で好意を描かれているのが良い、男性向けの好意描写は二人称視点?が多い気がする。)
(デフォルメだと他美少女コンテンツでもキャラ同士のマンガよく見るけどデフォルメじゃなくてその上ギャグでもないのが新鮮)
自分は女性向けイケメンコンテンツはあまりハマらなくて他の女ヲタや腐女子の人とは相容れないのかなとこれまでは思っていたのだかど、そんなことなかった。
対象が違うだけでさせたい方向性(?)、根っこの部分は同じで、むしろ自分はめちゃくちゃ“女”なんだなと思ってしまった。
とはいえ美少女コンテンツがこんなに色んな層に普及するのは今後ないだろうなとは思う。これからは、自分で自分の欲しいものを描けるように頑張りたい。
どうも童貞猿です。ここに男女の性行為に至るまでの道程の軽重が示されたわけです(韻を踏んだりして。陰だけにw)。「袋とじ」を開こうと思ったら開けるあなた方に、袋とじを開けない私の気持ちは一生分からないでしょう。袋とじとはセックスのことです。
袋とじを開けようと思ったらすぐに開けられるあなた方には、その中身に執心する私達の気持ちは永遠にわかりません。
くだんの増田達ではない「アイツラ」をここからは二人称にしますが、そうして性を一生裏でこっそりやっといて公にしない悪いものにし続けてください。愛する人とセックスしろ、それ以外は悪だ、性搾取だ云々言って、そのくせコッソリやっておいて、我々の欲求を無視し続けて俺を猿だと罵ってください。こんな記事の『些事』であるセックスを殊更とりあげてそんなに針小棒大にがなりたてる猿だと罵ってください。私は罵られることには未だ慣れてはいませんが、あなたがたの愚かしさ、男の性慾を汚らわしい隠すべきものとするその態度をいつか真に理論的な論客に断罪し、あなたがたが「真の反省」をするまで追い込まれ続けて自分が間違っていたと頭を地面にこすりつける未来への期待だけを糧として耐えます。どうぞ他力本願で自分の欲求だけ述べるクソザルだと罵ってください。弱者たる私を救世してくれる存在を私は待ちわびています。
今のこの世は地獄だ。女とセックスに執心しない男が全て決めて、俺は犯罪者予備軍として排除される。しかも排除してることを認めず、アイツラ(三人称に戻します)は正義だと思い込みそう喧伝している。俺は俺の欲求が正しいものでないと「教育」され、緩やかに「去勢」される。それが正しいことであるから。
今日も俺よりもアクションパラメータのある「猿」がネットや道端で「こん!」と連呼し、こういう「袋とじ開けてみよっかな」という気まぐれな餌を砂漠の中から見つけ出す活動をこなしている。そうして産まれた不快感を基にした攻撃は俺が受ける。俺は行動してないんだから名指しには当然されないけど、その言説の二言目には結局「俺」の性欲を悪と言っているのでなければ説明できないような攻撃の仕方なのである。
今のこの世は地獄だ。なんの恩恵も受けることなく、地獄だけ享受する。
オマエラが全員俺とともに地獄に落ちて悠久の時を苦しみの中で転生の順番待ちだけを頼りに過ごすようになりますように。オマエラが地獄で苦しむなら、俺は横で甘美な痛みを得ることができる。この痛みをオマエラを得てるんだな!と。場所が遠いかもしれないから、そのときゃZoomで共有しようぜ。もちろんカメラはオンにしてくれよ。地獄Zoomの管理者にカメラオン必須にしてもらうか。
これ好きすぎる、こんな曲あってええんか、マジか!ってなるやつ
ないすか?俺はある
Santiago MotorizadoさんのAmor en el cine これはマジでいい
日本語だと愛ってあんまり連発する概念じゃねえし、「映画館」って単語もそこそこ画数が多い漢字三文字だから、結構かたい感じになってしまうな
違うんですよ
愛、amorは、知らんけど、多分わりとカジュアルに表現できるものくさい
「この曲愛してる」みたいな表現をYouTubeのコメント欄でわりと見る
ほんで、映画館だって、「館」なんて大袈裟なものはつかずに、cine、シネの二文字だ
なので、Amor en el cineを「映画館での愛」なんて言っちゃうやつはセンスがないですね 誰だ?そんなこと言ったの 俺だった
とにかく、言語感覚が違うので、多分うまく訳すことはできないんだが、とにかくアモール・エン・エル・シネですよ
「ねえ君、あの映画を見に行こうよ」
ああー違うな もう、一行目から難しい!
Ey nena,一番好きなスペイン語のひとつかもしれない つってもまあ要はHey, babyなのですが…
俺はサンティアゴモトリサードさんが優しい声で言うEy nenaしか知らないから、そのイメージがすごく強いんだよな
ヘイベイビー、って言うとサングラス・革ジャン・イケイケみたいなイメージが頭に浮かんでしまう
エイネーナは違う こう、もうちょいなんと言うか、文学的な感じがするんですよね
でもこれは完全に偏見なんだよな 多分普通にヘイベイビーではあるんだと思う
それはそれとして、どっちにしてもうまく訳せないな
まずEyってなんなんだよという話はあるよな
やあ、ヘイ、よう、なあ、ねえ 多分この辺全部いけちゃうんだよな、Ey
でも多分「ねえ」にある若干ウェットな感じってEyにはないんだよな
でも「なあ」はちょっとぶっきらぼうすぎて解釈違いですっ ここは「ねえ」にしとこう 「エイ」だとお祭りみたいだもんな
そんでネーナだよなあ ネーナとかベイビーとかダーリンとか、なんならyouですら訳出が難しい
言わねえもんな
彼女を映画に誘うとしたら「ね、映画行かない?」くらいになりそう 二人称は入んねえ あっでもこれ「ね」入ってんな! やっぱ「ねえ」だな
ネーナ…なんだろうなあ 「君」ってわりと距離感あるもんな いっそ「ねえ」だけでいいのかもしれないけど、nenaって単語を落とすのは悲しい
いや、でも自然な日本語って意味では落とさざるを得ないわね 落としましょう!
「ねえ、あの映画観に行こうよ」
「ねえ、今夜はひとりにしないでよ」
「僕は全部すごい好きなんだ」
ああもう難しすぎる!!!!
つかこの曲すげえey nena出てくるな oh nena もある どうしろってんだ
答え:原文のまま味わえ
あの映画監督の大ファンなんだ、つった後に「僕はすべての大ファンだ」っていうんだけど、これがいい
「映画館の暗闇の中で」
「映画館にいるのがどれほど好きか君に言うよ」
「でも僕の心には君用のスペースもあるんだぜ」
「でもね、僕は全部に惚れてるんだ」
英訳するか
"Oh baby, in the darkness of the theatre,"
"I will tell you how I love being in the theatre"
"But also there is space for you in my heart "
"But baby, I'm in love with all"
やっぱ英語って気取ってて気に食わねえな
estoy enamorado de todoのニュアンスってもしかするとスペイン語にしか存在しないのかもしれない
多分なんですが、君の全てに惚れていますということではなく、世界のあらゆるものに惚れていますって意味だと思う
そうだよな多分
そうなんですよ
あの映画監督だけじゃなくてすべてのファンだし、君だけじゃなく全てに惚れてるんすよ
そういう人間の歌なんだよ
めちゃくちゃいいんだよな
映画館の暗い中で、っていうから、告白するぞみたいなのがくんのかと思うじゃん
映画館にいるのがどれだけ好きか、ですよ
「増田くんのことが大好きです」って言われるより「私映画館って本当に好きなんです」って語られた方がグッとくる
俺自身、田舎もんだからあんまり映画館行かないのですが、いいよなあの空間
静かにしないといけない雰囲気と、ちょっとした圧迫感と、緊張感、非日常感
地面とかなんか全部絨毯だしさ
目に入るもの全部が人工物じゃん
ああ映画館行きたいな 俺は馬鹿なのでダイハードとかしか見たことないが、もうちょっとこう、それこそアルゼンチンあたりの文学性ある映画を見たい気もする
いやでもそういう、文学性とか気にしてんのがダサいって話だよな 見たい映画を見るべきですよ
なんの話だっけ なんの話かというと、いい曲ってあるよねという話
良すぎて笑いが止まらなかった
そういうことってあるよね あって欲しい
Gomosoってのが正直意味がよくわからないんだが、ゴムっぽい→粘っこい、みたいな連想で、どうもこう、ストーカーじゃねえけど、粘着男みたいなニュアンスで使われているような気がする
君にとって僕はウゼー粘着男にすぎないのだ、みたいな感じなんですか?(知るか)
歌い方もいい
あっ、つかこの曲もey nenaから始まってんな やっぱey nenaなんですよ
でもこの曲のey nenaはわりとヘイベイビーって感じだな 呼びかけって感じはしない
これぜんぜん脈無しの恋愛ソングだし、たぶん呼びかけが届く位置に君はいないんだよな
「ヘイベイビー、僕は君のゴモッソだぜ、僕は君のゴモッソ!」
まずサビの顔見せから始まるのが良い
サビを短めにやってからAメロとかに入る構成好きなんだよな 紅蓮花とかもそうだよな
ゴモッソなんなのかイマイチわかんなくて、まあ、粘着男くらいかなあ…… ゴム質、粘着質のほかにチャラチャラ系ナヨナヨ男みたいな意味もあるっぽいが、この歌はナヨナヨ度関係なさそう
「悲しい今夜は君のことを考える、君のことを考える」
このフレーズのいかにもAメロっぽい始まり方がいい estaのeが伸びるのがすげえ好き
noche tristeは直訳で悲しい夜なんだけど、これは結構難しい
悲しいっていうと行き過ぎな気もするんだけど、実際わからない 何もわからない
で、君のことを考えるって2回言うのがかなりいい しかも俺の大好きなvosが出てくる サイコー
「君が僕のことを思って悲しくなってるのを見たいぜ、すげー正しいだろうな」
とりあえず「正しい」としたが、ここのjustoの意味合いはもうお手上げ
片想いの段階だとすげえあるんだよなその感情 相手が自分のことを思って自分と同じくらい狂っていてほしいという感情 それはあります
なのでまあ、やっぱりjustoは正しいとか公正とかってことでいいんだろうな
君が僕のことで悲しくなってたら、それは"正しい"だろうな、と うーん…イイ
「でも気づいちゃったよ、僕は感情のない君のゴモッソなんだ」
全体的に難しすぎて嫌になってきた
まあ、イケてないってニュアンスなんだよな要は
サビを挟んで2番 このサビの明るさがいい
で、2番ですよ 2番が一番好きかも
「僕は君に心をあげるよ、僕は君に心をあげる」
「僕は君に心をあげる、君がそれを笑ってくれるように」
訳が下手すぎて死にたくなってきたな
とにかく、僕は君に心を渡すんですが、それでどうなるかって言うと、君がウケるだけなんだよな
こういう必死かつ絶望的な好意みたいなやつ、見る分にはかなり好きだな
「君が気にいるかなと思ってこのシャツを買ったんだけど、いまはこのシャツのせいで泣けてくるな」
ここでシャツを指すremeraなる単語、完全にアルゼンチン語で笑ってしまった スペイン語だとcamisetaとかで、マジでカケラも似てねえ!
remera、覚えておきたいな
単語もいいけど中身もいい
頑張って選んだプレゼントがフラれたあと致命的な呪いの品に化ける、みたいなテーマはメチャクチャ好きですね
ここから先がもうすげー好き
「あの夜はすごくmágicaだった、すごくmágicaだった、すごくmágicaだった、
あの夜はすごくmágicaだったんだよ、僕にとっては」
「で、君にとってはすごくゴモッソだった」
もう翻訳を諦めつつある
しかしこのmágicoという概念、メチャクチャ好きなんだよな
magicalとおんなじで、魔術的な・魔法のっていみに加えて「うっとりするような」みたいな訳が辞書にはのっていて、その意味だと思うんだけど、やっぱこう、魔法の要素は外せないよなあ
いっそ「あの夜は魔法みたいだった」みたいに訳した方がええんかもしれん
いやでも、「みたい」なんてつかないもんな 非常にmágicaだったわけですよ もう、そういうことですよ
歌い方もうっとりしたような感じで、なんと3回繰り返す もう泣いちゃうよ俺は
その直後に、おなじみのゴモッソ概念がでてくる
しつこい夜?なんだろう、とにかく、僕はもう舞い上がっちゃってさあ、mágicoなんて言っちゃうくらいウットリなのですが、君にとってはむしろイヤ〜なウザい夜だったってワケ
ムチャクチャいい
mágico概念の良さが反転して悲しさに変わる それが本当に良い
そんでサビでシメですわ
僕は君のゴモッソ!とヤケクソみたいに言って終わる 潔い
わからんけど、すげえ良い
以上……
……
これ、gomosoってグミとかアメとかそういう感じのものを指してる可能性あるっぽいな?!
ウーン……
趣味でスペイン語の音楽をちょいちょい聴いてるんだけど、アップルミュージックで色々聴いてみる中でいちばん自分に合ってたのがアルゼンチン音楽だった
アルヘンティーナっていうんスよ、まず
響きがいいよね
首都ブエノスアイレスは、「いい風」「いい空気」みたいな意味合い
なんか、いいじゃないすか
アルゼンチンのスペイン語は、llとかyの音が、ジャとかヤとかじゃなく、シャになるんですよ
スペインらしいスペイン語だと、「私の名前は○○です」は、(ジョ・)メ・ジャモ・○○なんだが、これがアルゼンチン語だと(ショ・)メ・シャモになる
いいんだよなあ!
Llorar(泣く)って単語、けっこういろんな歌に出てくんだけどさ、ショラールって響きがいいよな
泣くなよ、ってときに、ノ・ジョレスなんつっても、心に響かねえの
ノ・ショレスはかなり良い 響きが優しいよ
トゥじゃなくて、ボスなんすよ
だからさ、「君と僕」なんかアルゼンチン語と正統スペイン語で比べるとほぼ全部違う
正統:tú y yo (トゥ・イ・ジョ)
これはもう、断然ボスイショでしょ
Esperando el armagedon, vos y yo(終末を待っている、君と僕で)ですよ
ブエノスアイレス、huracán(ハリケーン)が来るらしいんだよな
親しみが持てる
あとなんか、ラプラタ川の下流に吹く強い風sudestada(スデスターダ)っていう謎の概念があるらしい
絶対浴びたいよな
なんかこう、(おそらく)ブエノスアイレスを描いた歌のあらゆる描写が魅力的なんだよ
「川を行き交う船を見る」
そういうのがサラッと出てくる
いいんだよなあ
🇦🇷っていう国旗もいい
なんか、淡いんだよな
淡いんすわ
行ったことないから分かんないし、完全に偏見なんすけど、そういう淡さみたいなのを感じるんだよ、アルゼンチン
チリの方言なんかはさ、sが消えまくって、怖いわけ エッタノーチェ、のか言っちゃって、ヤンキーっていうか、ヤクザっていうか、なんか怖いんだよ
ケレ↑スとか、テネ↑スとか、いいよな
この感じをちょうどよくわかってくれる相手がほしいんだよな
ガチ勢だと、たぶん俺の夢を破壊するようなことを言ってきたりする
それ以外だと、そもそも話が通じない
たぶんアニメ見て日本に憧れてるようなもんか、それ以下なんだよ、俺のアルゼンチンへの解像度
でも、そのくらいがいいのかもしれん
Bajamos por el sótano y me mostrás ropa vieja de color que coleccionás (僕らは地下室に降りて、君は集めている鮮やかな古着を見せてくれる)とか、すっげえいいよな
地下室のことソタノって言うらしい
メチャクチャいい
いいんだよな
物書きが初めての奴は一人称の視点と三人称の視点がごちゃごちゃになる傾向がある
この三人称一元視点というヤツは商業作品でもかなり使われている物であり、まあ簡単に言うと一人称の主観と三人称客観を瞬時に入れ換えて、読者を物語へと馴染み易くする手段だ
一人称と三人称の良いとこどりと言えば聞こえはいいが、この視点はマジで滅茶苦茶難しい
視点の変更が急に行われるので、変更元の人物の特徴が読者に明確に示されていなければただただ違和感を感じるだけだし、乱用すればどの視点を軸にしているのか理解不能になり小説の構成そのものが崩れさってしまう