はてなキーワード: ミス・ユニバースとは
就労移行支援とは就職に繋がりにくい身体・知的・精神(発達含む)障害者に就労のための下地作りを行う場所だ。
もっぱら精神が多いのだが(身体は手に職をつけたり知的は企業を目指すよりいわゆる作業所へ)、
一番厄介なのは境界知能と統合失調症(夢の世界に行く妄想型よりもまともそうに見えるが思考がめちゃくちゃな破瓜型と単純型の方)。
なんでこんなことを書いてるのかというと今でっけえ夢を抱いてる利用者が複数人いて、熱い!!!!!!
統合失調症(破瓜型)・境界知能疑いの20代男性→障害は個性。俺はその気になればやれる。業務内容を妥協する気はない。
「(就労準備はできてないけど)求人検索したら好きな会社が求人募集してたから今応募するわ!!!!!!!!」
サッカー大好きでサッカー以外のことに興味を持たず、他の話題を振られたら「俺知らねえからな~」「俺わかんねえから(笑)」で済ませるやつが…?
そもそも自分の病気が現在の日常でどんな壁になってどんな対処をすればいいか分析もできていないやつが…?
正しい怒り方で「怒ってきた相手の上司に話して孤立させる」「会社から居場所をなくす」とか書いてきたやつが…?
そう、彼は自分の障害や欠点を認められず、自分の能力が優れているとの誇大妄想を抱き続けているのである。
助けてくれ。
もう一人
「(PCスキル全く覚えられてないけど)IT企業に障害枠で入って、3年後には部下を持って、10年後入った会社の経営者になる」
そう…………………………としか言えなかった
ちなみに医師からの意見書で「就労不可」を頂いてるのに就活してるので、もうだめかもしれん
お前ら、障害まで言わずともありのままの己を受容しないとそのまま自滅するからな
自滅してもいいけどそれはそれで夢見が悪いから見えないところでひっそり自滅してカウンセリングを受けてくれ
頼むから
整った顔立ちも、僕に会うときだけ見せるハーフアップも、"平均的な20代女性"みたいな感じで教科書に載ってそうな身体も、すべて世界一だ。
高学歴なところも、人一倍優しいところも、実はプライドが高いところも、全部だ。
僕の中では。
いままでいろんな料理を食べてきた。
ミシュランがどうだとか、海外の最高級ホテルが出してるやつとか、そういうのもたくさん食べてきた。
どんな高級セラピーも、死ぬほどエロいAVも、彼女には勝てない。
僕はこの世に愛なんてないんじゃないかと思ってた。
今の僕を昔の僕が見たらお花畑野郎と罵るだろう。歳になって平和を歌うようになったロック歌手を卑下するように。
彼女のおかげで僕は圧倒的に成長できた。人生どうなるかわからないけど。
一週間後、このクサい文章を見て恥ずかしくなっているかもしれない。
でもこれからもずっと大切にしたいということだけは変わらない。
僕を好きでいてくれてありがとう。
愛しています。
ミス・ユニバースに選ばれた宮本エリアナさんが過去の発言に関してバッシングを浴びている。
彼女は過去にFacebookに筋肉隆々の黒人男性の写真を添付して、こう書いている。
「いや、いいよ、いいよこれ!!
んー、たまらん!!!!!!
今もそうだけど、今まで散々周りから色々言われてきて、日サロ行ってる子とか、ブラックに憧れてる子とか理解できなかったけど、今は自分にすごく自信もててる!!
本当にブラックの血が入った人じゃないと出せない色。
髪の毛もそう。
全てをありがとう。」
この発言が黒人至上主義(Black supremacy)だとして、批判を浴びているようだ。
だけど、彼女はただ自分の人種の持つすばらしい特性を褒め称えているだけだと思う。
日本人がいくら日焼けしようと、いくら黒人のファッションを真似しようと
黒人の血が入った人の肌やスタイルや筋肉の美しさには及ばないこと、
そして、そのような血の入った美しい体に生まれたことをただ本当に感謝しているだけだと思う。
私も日本人に生まれて、美しい髪と、黒い眼と、色白の肌を備えているけれど、
他の人種がいくら真似しようと日本人の血が入った人しか備えることのできない美点だと思う。
日本人の血が入ってることを誇りに思うように、彼女はブラックの血が入ったことの美しさを讃え、ブラックでよかったと言ってるだけだから
ミス・ユニバース日本代表に選出された宮本エリアナさんが話題になっている。
彼女が黒人とのハーフであるがゆえに日本人からの差別を経験し大変つらい思いをしたという。
そしてその部分に海外のマスメディアが注目し彼女の日本から差別をなくしたい、改善していきたいというインタビューの内容を取り上げている。
特に子供のころからとなると小学生や中学生レベルだとほとんど歯止めも聞かないのでまずまず差別を受けた経験が0などということは想像しがたい。
Facebook等でのコメントも差別的なコメントが多かったのも事実だ。
だがしかし、差別的なことに五月蠅いはてな民ですら直接的に賛同しているコメントがほとんど見られない。
たとえば以下の記事では宮本エリアナさんに対しての日本のマスメディアがあまり取り上げないことに対して疑義を問いただしている。
はてブではその記事に対して「そもそもミス・ユニバースは以前から取り上げられていない」というコメントが多数散見される。
日本では宮本エリアナさんに対する賛同のコメントかなり少ないように思える。
さてなぜだろうか。
個人的な意見としてはそもそもコメントにあるように、ミス・ユニバースという大会そのものが注目されていない。
以前は朝日放送が主体で大会が開催されていたが1995年を最後に大会の中止、その後1998年にフランス人実業家のイネス・ロングリンによって再開された。
その後は2006年の知花くららさんや森 理世(もり りよ)さんなどが好成績を収めた。※森 理世さんはミスユニバースに選ばれた。
親が日本人で日本で生まれ、日本で育ち、日本代表として選出された。
ところが当時彼女たちはめちゃくちゃに叩かれた。
やれ、不細工だの衣装がエロいだの、それはもうぼこぼこである。
そもそも根本的にミスユニバースという大会そのものがグローバルな女性を審査しミスユニバースを決めるという内容だが(ちなみに顔だけではなく体のスタイルや考え方、立ち居振る舞い等も十分に考慮される)
日本人が一般的に備えている美的感覚や考え方等は全く考慮されていない。
はっきり言ってしまうとミスユニバースを主催している一部の人間たちの美的感覚や考え方をごり押ししているだけで素晴らしい女性である等と到底思えない。
もちろん、実際にテレビなどに出演されて考え方などを聞き素晴らしい方だと思ったことはある。
だが少なくともそれはその方本人の話を聞き始めてそう思えただけだ。
ミスユニバースに出場したからといって素晴らしいのだと思うことははほぼほぼありえないといっていいだろう。
少し過激になってしまうがむしろ、偏った日本人像を拡散し、無用な誤解を生ませる新たな差別を生みだす凄惨なイベントといっていい。
よくジュノンボーイのコンテストの入賞者やホストの画像を見てゲイっぽく見えるという話を聞く。
彼らはそれが明確な差別だとわかっているのだろうか。
その国にはその国なりの美的感覚が存在し、美しさに対する基準は違う。
国籍に関しても明確に今後日本国籍を取得すると明言していますし、日本で育ったのであれば私は日本人だと思います。
差別が存在しないとも思いません。特に黒人は明確なマイノリティーなので無意識の差別もあると思います。
ですが、ミスユニバース等という差別を助長しかねない大会に参加してその口で差別を解消するなどというのは賛同を得られることはないでしょう。
もし、ミスユニバースの差別的構造をも同時に解消してやるんだ!という気概があるのなら何も言いませんけどね。
最後にミスユニバース2014の審査員の写真へのリンクを貼っておきます。
ももクロは今より売れる可能性はあっても、アイドルにおいて覇権を握る、今で言うAKBのポジションに着くことは到底有り得ない。その理由を記述する。
(1)ファンが批評系
もう、これでここで言いたいことの8割は言ったのだが、今のところ”ファン”を自称する人間のその多くが批評的な人間であるということだ。
AKBもかつてはサブカルだった。どサブカルだった。秋葉原に劇場を持ち毎日公演を行い、謎の選挙システムを有する。いかにもである。しかし、このAKBの流れを汲み取り切れなかったのが2000年代後半のサブカルチャー批評だった。かつて文芸批評家の宇野常寛氏は、ニコ生の番組において「2011年に入るまでAKBに注目できなかったのは失態」と語ったことがある。
AKBは上記にあるように、サブカルを代表させるにはうってつけのシステムを持っていた。これを批評的に分析できたとしたら、どれだけ楽しかったことか。そして今の流行を先見の明を持って解き明かせたら、どれだけどや顔できたことか。しかし、その間もなくAKBはサブカルとは呼べないレベルの現象になってしまった。
今更AKBを語るのは、サブカル的には”カッコ悪い”。(前述の宇野氏は、現在ではAKBの批評的分析を、同じく批評家の濱野智史氏と共に行なっている。このあたりは、ポップカルチャーを批評対象とする宇野氏のスタンスに適っている。)
しかし、AKBには一個弱点がある。それはデカくなりすぎたことだ。デカくなればそれの粗探しも容易である。後は、「じゃあ何だったらいいんだよ」と返されたときに持ちだしてこれるモノがあれば良い。
ももクロ以外のモノではダメな理由がある。それは、現在ももクロ以外の各レーベルが売り出すアイドルグループは、方法論やコンセプトがあまりに凡庸、古典的なのだ。
「◯万人の中から選ばれた◯名」「毎日長時間のレッスンを重ね、△△より上手い、歌とダンス」
こんな売り文句に飛びつけるわけがない。
そして、ももクロでなければならない理由もある。
そもそも、AKBのコンセプトとは何だったか。それは「会いに行けるアイドル」である。
対してももクロのコンセプトは。そう、「いま、会いに行けるアイドル」である。
ももクロの結成は2008年。この時、既にAKBは前年に紅白出場を達成、またCDの販売方法が独禁法に触れる恐れがあるとして販売中止、回収騒ぎになった年でもある。
当然ももクロ側にも、メジャー化して「会いに行ける」というコンセプトの維持が難しくなったAKBへの対抗意識があったことは間違いない。
この、売り出し側の「アンチ・AKB」的方法と、買い手側の「アンチ・AKB」的精神の癒着により、現在のももクロ人気は成立している。
そして、この一点のみで自称ももクロ”ファン”は、ももクロ”ファン”を公言している。AKBによって市場規模の大きくなった「アイドル業界」において、敢えての選択としてAKBではないグループを応援するという、サブカル的精神にとって心地よい味を提供してくれるのがももクロというわけである。
そして、この手の”ファン”は、小規模な経済活動である間は良いが、規模の拡大に寄与しない(大量購入などのオタク的消費は行わず、あくまで必要最低限のモノしか買わない)うえに、そもそも規模が拡大していくことを嫌う。
小規模の間は、勝手に”ファン”がももクロのいちいちの行為について言説的補強を行なってくれるので、界隈の巻き込み力がある。しかし、その界隈も一定数を超えると限界が出る。しかもオタク的消費を好まないから、数の飽和イコール売上の飽和ともなる。(ここでは、大量に購入させるような商法(いわゆるAKB商法)が倫理的にどうであるかとの問については答えない。簡単に私見を述べれば、独禁法に触れるようなもの、つまり付録のバリエーションを増やし購買意欲を煽るようなものは問題であると思うが、握手券や投票権を求める購買行動については売り手側の責任は無いと思われる。)
以上が、批評系”ファン”が多数を占めることによる弊害と言える。
(2)可愛くもないし、一生懸命でもない
というのは流石に言いすぎだが、他と比べてそこが際立つわけではないということである。
よく、”ファン”はこの2点を強調する。そして、「だからこそAKBより良いのだ」という。
ただ、言いたいことはわかる。
例えばAKBのファンも「◯◯が可愛い」と言う。この◯◯には、例えば高橋みなみとかが入るわけだが、はっきり言って可愛くはない。「前田敦子が1位である意味が分からない」という声もある。
こういう場合、その対象がAKBであろうとももクロだろうとなんだろうと、ファンたち何も容姿の美しさ単体で「可愛い」という形容詞を付けているわけではない。そこには、それぞれ固有の物語、コンテクストを見出して「可愛い」と言っている。それがAKBで言えば、「エケペディア」に象徴されるデータベースから個人個人のエピソードを上手く消費するという行為であって、そしてそのパブリックなコンテクストに加えて握手会というプライベートなコンテクストを加えることで、ファンのメンバーに対する<愛>は蓄積される。
だから、オタク層以外には「AKBで前田敦子が1位である理由」なんて分かるはずがない。というか必要がない。そのコンテクストを共有していない人間に理解される必要などないからだ。
貴方達は皆、ミス・ユニバースの選考に100%納得しているのか。ミス・ユニバースは、ミス・ユニバース内部のコンセプトに基づいてミス・ユニバースを決定するのである。そこにおいて、容姿というのは評価の1項目に過ぎない。その点を理解している人間がどれだけいるか。
この理解で言えば、「ももクロのメンバーが可愛い」というのも同じ文脈で捉えることは可能である。しかし、ここに一点だけ差異がある。
前田敦子が可愛くないとみんなは言う。なるほど、確かに私もそう思う。(ただ、たまに奇跡的な瞬間があることも知っている)
では、テレビでそれを言ったらどうなるだろうか。本人の目の前で「可愛くないねー」と前田敦子に言ったらどうなるだろうか。Mステでタモさんが前田敦子に「顔のパーツ中心に寄ってるよね」と言った時のスタジオの空気を知らないのか。
著名人のAKBに関する批判的コメントは多数ある。ただし当人がいない所で、である。このことが結構大事であって、それは「そんなに可愛くなくても可愛いものとして扱われること」が究極的なアイドル性だと考えるからだ。
前田敦子はその点で究極的である。一方でコンテクストを持つオタク達による支持を受けAKBのトップとして君臨し、もう一方ではそのコンテクストを持たない一般メディアにおいて「AKBのトップ」であるということを理由に支持される。この時、両者は同じように前田敦子に接しているように見えるが、その内実は異なる。
前者は本当に可愛いと思っており(何故ならコンテクストがあるから)、後者は可愛いことになってるから可愛いとしているだけである。(何故ならコンテクストがないから)
そしてその内に、そのコンテクストを持たない者の間にも「可愛い」という意識は一部に伝染する。あくまでも一部ではある。板野友美が女子高生に人気があるというのが都市伝説かどうかは、私には接点が無い存在である故確認できないが、そういう可能性がありうるのがこのような状況である。
可愛い人に可愛いというのは当たり前だし、ブスにブスというのも当然である。そこを転倒させることができてこそ、真のアイドルではないのか。(筒井康隆「薬菜飯店」収録の「イチゴの日」という短編を見よ)
翻ってももクロを鑑みるに、この点が厳しい。コンテクストを共有する者の間で「可愛い」は流通するかもしれないが、コンテクスト外のメディアにおいては厳しい。(「ゴッドタン」をはじめとするバラエティ番組での扱いが顕著である。ただし自らの冠番組においてMCの芸人にどう弄られようと、それはファンにのみ流通するパブリックなコンテクストを補強するイベントに過ぎないので全く問題はない。)
つまり、ももクロはアイドル性を保つのが困難なほどバラエティ性を現時点で持ってしまっているので、コンテクストを持たない者に「可愛い」が流通しにくい状態となっている。
だから「可愛い」と認識させるためにはコンテクストを持たなければならないわけだが、ここでももクロ”ファン”が批評系であることが弊害になる。
彼らは口うるさい。見る前からあれがいい、これがいいとこれ見よがしに自らの批評眼をアピールする。そしておそらく、この手のももクロ”ファン”はAKBオタクなどよりも、音楽偏差値(というものがあれば)は高いし、現代思想にも詳しく普通の意味での偏差値も平均すると高い。
皮肉にも、このことがももクロを好きと公言するのに、もしくは積極的に見ようとする心に障害となる。
彼らは知りすぎている。目が肥えている。そんな彼らが「良い」と言うのだから、「良い」に違いない。しかし見てもよくわからない。可愛いような気はしないし、踊りもなんだか凄いがとりあえず可愛くはない。けど「良い」らしい。なぜ僕はわからないのか。
対してAKBはどうか。オタクはキモい。なんかオタ芸してるし、CDはめっちゃ買うし。だからあんなものを理解しなくて構わない。仮に少しでも引っかかることがあれば、とりあえずそのままその波に飲まれてしまえばいい。どうせ彼らオタクは周りに新しいファンが増えようがどうでもいい。どうせならもっと売れなくなればチケットも取りやすいのにくらい思ってる。
私は、このコントラストが大雑把にはあると思われる。そしてこのことが、「可愛い」というお札が流通しない/する要因となっている。
もう一つ、「一生懸命」について言えば、この言葉はかなり頻繁にももクロを持ち上げるものとして使われるが、端的に言おう。
そんなのみんな頑張っている。ただそれだけだ。
ダンスや歌のレッスンは、皆どのアイドルグループも一生懸命やっているのだ。所詮、「アイドルなのに顔芸をやる」という点においてのみ「一生懸命の差異」を見出してるにすぎない。
私がここで「自称」とか「ファン」を” ”で括るのは、彼らが本心からの好意ではなく、「AKBというサブカルの隆盛を見抜くことができなかったコンプレックスの解消手段」としてももクロを利用しているように見えるからである。
結局のところ、ももクロを今以上に流行らせ、AKBに取って代わりたいのであれば、自称ももクロ”ファン”達がそれを名乗るのを辞める他ない。
早見あかり頑張れ。
http://news.livedoor.com/article/detail/4155463/
つうか、何やらせてんの?
http://news.livedoor.com/article/image_detail/4155463/?img_id=673511
なんかマジキモイわー。
男にまたがるのは極端としても、
水着で妖艶な雰囲気の中踊らせてって、ストリップショーかなんかですか?
ミス・ユニバースって、色気だけじゃなくて知性やら品やらも評価対象入るんじゃないの?
同じこと「ミスター・ユニバース」でやって見りゃわわるだろうに。
女を世の対象としかみないのって、ホントいい加減なくならないだろうか。