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はてなキーワード: パイとは

2019-09-24

anond:20190924200140

PHPは便利だけど汚い

パイソンはひたすら美しい

2019-09-22

生主としてのVtuberなんやかんやで流行ってるっぽい

Vtuber生主になってるじゃんみたいな話は、別に生だろうが動画だろうが面白いことやってくれてればそれでいいわけで、ライブバンドスタジオバンドどっちも価値あるねって感じであり、それでもあえてバーチャルの意義みたいな話につきあうとすれば、被るものがお面でも着ぐるみでも、それを被ることでかつてできなかった何かをできるようになった人がいたり、演者がそれを被ることで生身の人の顔に抵抗がある観客が楽しめるようになるならバーチャルの意義は全然あるじゃんってことなんだよな。あと並行してVケットで盛り上がってるようにあっち方面もまたバーチャル進歩である

それはともかくVtuber生主化なわけだが、別に生でやらねばならんという縛りが偉いさんとかからあるわけじゃなく生の方が見る人が多いってだけである。いやそんなわけないだろ一回一時間以上ある上に丁寧な編集もされない生配信は発表側にとって省力なだけだろとか言う人がいるがそれは実際の視聴者とは違う感覚であり、にじさんじの雪汝さんとかは本来動画メインでやりたいのだがしばらく活動した結果生の方が見られるので悩みましたが若干生のウェイトを増やしますという宣言をしたわけで、同じ配信者でも動画コンテンツと生配信コンテンツで生の方が見られるのなら消費者の数的需要はそっちが上だということなのだろう。ただし歌動画なんかは生、ないし生の撮って出しより編集とか映像とか整えた動画がめちゃくちゃ見られるので、トークは生、歌は動画が人気なのかもしれん。まあ需要には量ではなく質的需要というものもあり、にじさんじ運営が"エンタメコンテンツの良し悪しが「再生回数」や「登録者数」=認知度だけで測れるとは考えていません。ファンの「熱狂度」や「熱量」=人気度をメインに良し悪しを判断すべきだと考えて事業を展開しています”とか言ってたように、移り気な視聴者一時的に千人獲得するより根強いファンを一人得た方がいいのではって視点もあって、そう見た時にはもしかしたら動画コンテンツの方が有効なのかもしれない。これは実際は分からなくて、トーク武器にするスタイルなら、根強いファンを得る方向でもやっぱ生の方がいいとかになるかもしれん。オールナイトニッポンもカモンファンキーリップスも生でやってる方が嬉しいってファン多いだろうから月ノ美兎がおめシスみたいな技術力を得た時が見たいとは思うが、使いこなせず生が一番となってもおかしくはない。

しかし生配信という需要にこたえるようになったらVtuberは先細りではないかみたいな批評家懸念は長くあり、実際有名なバーチャル配信者も生での視聴者数が逓減する傾向がある。生配信という形式は飽きが早いとか、Vtuberコンテンツを楽しむファン数のパイ一定なので食い合っても仕方がないとか。俺もそこは認めねばならんかもな~とか寂しさと共に考えていたが、一年以上同じ人をメインで見ているとそういう傾向が見えるだけで、だいたいどのグループでも期待のニューカマーの初配信かに集う人数はバチクソ増えており、どうも俺らの懸念なんかは的外れVtuberに興味を持つパイ自体が拡大しとるようであるタイトルでは生主としてのVtuber流行ったと書いたが、より正確に言えば、Vtuberは生形式が主流になった事により(気難しいオタクの予想とは逆に)視聴ハードルが低い文化となり成長傾向が続いていると言えちゃいそうなんだな。

2019-09-20

朝ごはん食べ忘れてた

昨日の夜ミスドタイムセールで100円120円になってたか

朝ごはん用にとハンバーグパイを買っておいたのに

今朝なーんかお腹すいたなーって気分のまま出てきて

つい今しがた気付いた

2019-09-17

乳首で感じられるようになって人生変わった

客に理不尽クレームつけられても「でも俺は乳首で感じられるしな」って思えば小さなことのように思えるし、

上司に「残業していくよね?」なんて圧力かけられても「乳首で感じられるから帰りますときっぱりと断れるようになった。

あとよくあるのが「パイズリっておっぱいで挟まれてるだけで気持ちよくないし、気持ちいいとしても視覚から気持ちよさだよ」とかいう奴に「でも俺は乳首で感じられるよ」って反論できるようになった。

乳首で感じられない人間はかわいそう。

2019-09-16

女性技術職の方に質問

仕事用の服どこで買ってますか?

どんなのがオフィスカジュアルなのかよくわからず、今までユニクロシャツ+黒っぽいパンツスニーカーでやってきたんだけど、転職を機にもうちょっと小綺麗な格好した方がいいかなと思うようになってきた。

ということで今日イオンモールをさまよってきたんだけど、どの店でどんなのを買えば安パイなのか全然からない。

とりあえず動きやすい、作業やすいを優先に探してたんだけど、ラフすぎ?とか胸元ですぎ?とか気にし出したらわけわからなくなってしまった。

通勤服で調べて出てくるやつとか、本当にあれで良いの?オシャレしすぎと怒られないか不安になってしまうんだが…

2019-09-10

pythonパイソン

ぴちょんでもパエトーンでもなかった。

良かった人前で口にすることがなくて。

文字は難しいな。放出みたいだ。

2019-09-06

anond:20190906203910

まあ男だろうが女だろうが関係なく、そもそも自分希望意思を無制限に叶えようなんて思ったら、それこそ無限に近いリソース必要からなあ

貧困JK炎上したことがあったけど、例えばアニメ声優専門学校に行かせたところで、それこそ100人いたら99人は夢なんか叶えられず単なる無駄金になるのがわかりきっているわけで

誰しも限られた時間予算能力の中で(少なくとも本人の中では)できるだけ良いと思える選択をしている

ジェンダーでそれが歪められることはあるし問題でもあるだろうけど、そもそもパイを増やす努力をしないことには単なる奪い合いにしかならないんじゃないかと思うと、どうしても冷ややかな目で見てしまう部分はある

2019-09-02

anond:20190902093520

実際バーコード決済がなんとかパイの便利な所なんだし、カード型/felica型決済はだんだん廃れてバーコード決済がメインになるまで有りうるぞ。

2019-08-30

昔々、ハリウッド

 

 『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が目前に迫っているというのにまだまったく心の準備ができていない。大波が押し寄せてくるのを確かに認めながら、砂浜で引き波に足を取られたまま呆然と立ち尽くしてしまっているような、そんな状態だ。

 

 『Once upon a Time in...Hollywood』というタイトルをはじめて聞いたときマジで引退しようとしてるの…!?と思った。現時点では「10作品撮ったら引退する」と言っていたり(今回が9作目)、「今度のが大ヒットしたらこれでおしまい」と言っていたりまだ判然としないのだが、そういうゴシップ的な憶測はさておき、このタイトルが持つインパクトはあまりにも大きい。セルジオレオーネ意味合いもさることながら、それ以前にこの響きだ。

 『昔々、ハリウッドで』。響きとしてあまりにも最終回すぎるのだ。仮に『クエンティン・タランティーノ』というドラマがあって、その主人公クエンティン・タランティーノ監督した作品が、ドラマ1話ごとのタイトルになっていたらと考えてみてほしい。第1話「掃き溜めの犬ども (Reservoir Dogs) 」、第2話「三文小説 (Pulp Fiction) 」、第3話「ジャッキー・ブラウン (Jackie Brown) 」、第4話「ビルを殺れ (Kill Bill) 」、……と進んでいって、第9話「昔々、ハリウッドで」である。どう見ても第9話で最終回じゃないか。こんなに引退作にふさわしいタイトルってなかなかないと思う。

 

 なんてことをメモしていたら、タランティーノ子供が生まれるとのニュースが飛び込んできた。引退について語るのを話半分に聞きながら、だがこれで子供でも出来たりしたら本当に映画撮らなくなるかもな……とか考えていたのだが、うーん、思ったより早かったなあ。つまりこのところとみに饒舌になっていた引退話は、子供が生まれるという予測のもとに展開されていたわけだ。それにしてもさ。田中裕二子供が生まれたり、タランティーノ子供が生まれたり、そんな日が来るなんておれは考えたことなかったよ。

 といっておいて何だが、タランティーノの言う「引退」について想像するとき、たしかに寂しくはあるけれども、意外と悲観的な気持ちにはならないというのが今の正直な気持ちだ。

 というのは、ひとつには、映画監督以外のフィールドでの仕事が見られる可能性に期待しているからだ。これは本人も言っていることだが、本を書いたりしたいらしい。タランティーノが書いた批評本なんて出たらぜひ読んでみたい。もしかしたら小説を書くかもしれない。それこそパルプフィクションを。あるいは脚本を書くかもしれない。脚本タランティーノ × 監督デヴィッド・ロバート・ミッチェルなんて映画がつくられたら……など夢想するのも楽しい

 書く仕事ばかりとも限らない。いまのところ引退を語るうえでタランティーノが前提としているのは「劇場公開用映画」の監督業であって、フィルムに対する彼の偏愛と執着も、その前提があればこそ要請されてきたものだったと思う。その最前線から(いったん)身を引いたときある意味でそれは「引退」だが、またある意味でそれは「解放」ともいえるのではないか。何が言いたいかというと、Netflixなどでタランティーノドラマシリーズ制作する可能性はかなり高いのではないかということだ。この期に及んでタランティーノ劇場長編映画デジタルで撮る可能性はほとんど考えられないが、これがドラマシリーズだったら話は別だ。

 タランティーノがつくるNetflixドラマがあったら、それはどんなものになるだろうか。そのヒントになるような発言最近あった。自身監督作に登場したキャラクターのなかで、タランティーノが今でも折に触れて思いを馳せる人物がいるという。彼が挙げたのはザ・ブライド、ビル、ハンス・ランダアルド・レインの4人。タランティーノはそれぞれの人物にまつわる、いわばスピンオフ的なサイドストリーについての妄想を語っていた。

 ①ザ・ブライドが10年後、15年後、どうしているか。娘はどんな人物に成長したか。これは長いあいだ噂されてきた『キル・ビル Vol.3』がもし実現した場合ストーリーになるだろう。

 ②ビルはいかにして巨悪となったかエステバン・ビハイオ、服部半蔵、そしてパイ・メイという3人の「ゴッドファーザー」との関係を通して、ビルという悪魔人物オリジンを描く物語

 ③ハンス・ランダナンタケット島でどんな生活を送っているのか。ナチスきっての「名探偵」だったランダが、戦後20年くらい経ったナンタケットで起こる殺人事件解決してゆく物語

 ④アルド・レインは戦後どうなったか教科書に載るレベルの「英雄」としてアメリカに帰ったはずのアルドが、ナチスにおけるフレデリック・ツォラーのように映画に主演する…という話。

 なにこれ超おもしろそうじゃん!!!!! 全部見たい。見たすぎる。小説でもいい。読みたすぎる。ここで思い出したのだが、そういえばタランティーノこそ、地味に自分作品世界相互につなげてきた人だった。別の映画に登場するキャラクターたちが生きる一つの世界について語るとき、若き日の彼はたしかサリンジャーを引き合いに出していたように記憶するが、これって今風の言い方をすれば「タランティーノバース」だ。もちろんタランティーノ世界MCUのようになってほしいなんて気持ちは毛頭ないけれど、ジャンゴのサイドストリーはすでにコミック化されていることだし、劇場映画としてはおそらくもう実現しないであろうヴィック&ヴィンセントヴェガ兄弟の話だって、何かしらのかたちで語られる可能性は全然あるわけだ……ということを、妄想できることがうれしい。それにしても「私立探偵ランダ in ナンタケット」は見たすぎるだろ。

 で、仮に、タランティーノがこの次に撮る映画が本当に彼の「引退作」になるとするならば、その一本はやっぱり『キル・ビル Vol.3』であってほしいと、私はそう願わずにいられないのだ。 

 

 話を元に戻そう。『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の公開が迫っているのに心の準備がなにもできていないという話だ。この映画タイトルからしてこの有り様なものから映画監督クエンティン・タランティーノいかにも「集大成」という感じがしてしまうのだけれども、しかし実際はそうでもなくて、むしろ今までになく「タランティーノっぽくない」映画になっていたりするんではなかろうかと期待している。それはひとえにこの作品が、タランティーノ本人にとってきわめてパーソナルなものとなっているような印象を受けるからだ。

 『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』について、現時点で、私は予告編以外の情報をすべて遮断している。サントラにも触れてすらいない。だから実際どんな映画になっているのかはまったくわからないのだけれど、タイトルをはじめポスター予告編を通して強く喚起されたのは、「郷愁」の念だ。それは1969年、大きな変革を遂げようとしていたハリウッドとその時代精神タランティーノは "zeitgeist" という単語を本当によく使う)に対する郷愁であり、タランティーノ自身の幼少期へと向けられた郷愁でもある。しかしながらこの郷愁こそ、これまでのタランティーノ映画からほとんど感じてこなかったものであり、ゆえに今作はどうにも「タランティーノっぽくない」ような気がしてしまうのだ。

 タランティーノは、過去映画音楽からさまざまな要素をためらいなく取り入れることで自分映画をつくってきた人だ。その特徴はたしかタランティーノについて語るうえで欠かせないものだろう。でも彼の作品に宿る魅力を考えるうえでもっと重要なのは、そうした引用(あるいは盗用)のひとつひとつが、観客に郷愁を呼び起こすための装置には決してならないという点だ。観客を過去へといざなうことで「懐かしさ」に浸らせるのではなく、かつてとてもエキサイティングものとして消費された文化の「エキサイティング感覚自体をそのまま現在再現してしまえる才能。それがタランティーノのすごいところだと思うし、その意味で、郷愁、というのはむしろタランティーノ映画から最も遠いところにあった感情ではないかと思う。ところが今回の『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドから郷愁が強く香ってくる。そのダイレクトさがとても気になるのだ。それはとりもなおさず今作の特異な舞台設定によるものだと思うけれど、開映が迫っているためちょっともう書く時間がない。超中途半端

2019-08-26

anond:20190826123455

海外での競争力がなかろうが中国独自サービスをそう言って貶したりはしないんだから、結局パイが小さいのが全部悪いってことだろ

2019-08-24

おうミスドいってきたぞ

https://up2.karinto.in/uploader/download/1566573304.JPG

パスは1な

全部ひとりで食ったぞ

薄着だったかお腹ひえて大変だった

水も氷おおくてひえひえだったし

あとチョコ多すぎて失敗した

チョコ系は1個でいいな

味おなじだから飽きちゃう

5個+ミニボールで705円

ギフト券700円だったか脳内必死安産して自腹少なくなるようにしたぞ

しかエンゼルフレンチ系はほんとちいさくなったなあ・・・

ハニーチュロはじめて食べたけどちょっと甘すぎる気がしたな

数日まともに食ってないなかでいきなりミスどをこんなにたべるもんじゃない

甘いのばっかで吐きそうになった

そーせーじとかハンバーグパイ食べればよかったな

二人くらいでシェアたかった

レジで持ち帰りですかって言われていえ店内でっていったときレジの人がえっみたいな感じでこっちを見た

2019-08-23

生徒の読書感想文を読むために原作課題図書)を泣きながら読んでる

冷房の効かない校舎の中、テスト制作したらお互いで解き明ってダブルチェックするというルールのせいで強いられる付き合い残業

その中で黙々と読み進めているが、とてもつらい。

私の担当分10冊のうちあと3殺、夏休みが終わるまでに読み終るかも分からない。

夏休み明け抜き打ちテストというワーカーホリック主任の思いつきが無かったところで、読み終わっていたかは定かではない。

学校指定したのが全20冊、それを皆で分担するはずが1人また1人と理由をつけてパイ押し付けていき、いつの間にか私がその半分を背負うことになった。

昔読んだことがある本が3冊あったので実際は40日で7冊読めばいいだけなのだが、自分意志で買った訳でもない本をこの年になって読むのはなかなかにやる気が削がれ後回しにしてしまった。

3冊目が読み終わる頃に「これ……10冊分の読書感想文採点するのも私か……」と気づいてしまったのがよくなかった。

そこで気持ちが萎みきってしま文字が全く頭に入らなくなった。

なんでこんな目に会うんだろう。

読書感想文は誰も幸せにしない。

滅びればいい。

書きたいやつはブログでやってろ。

書かせたいやつは他人を巻き込むな自分の生徒にだけやらせ自分で全部採点しろ

2019-08-17

anond:20190817172918

冷めるとまずいからとパイ生地で蓋したのも同じやつだよ

anond:20190817163424

いわしグラタン

味云々より、小骨が気になるのを、陽一がマカロニ中心部に粉々にした鰯ミンチを詰める奇策で勝利した回

あと冷めないようにパイ生地で蓋したんだっけ、あれは別の回だっけ?

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