はてなキーワード: ちらし寿司とは
臭い。と帰宅した妻に言われてキッチンを探すが、臭いの発生源は見つからない。三角コーナーではピーマンのへたが萎びているだけだ。排水口は昨夜掃除したばかりで、念のために開けるとヌメリはない。
ゴミ箱は午後の陽気に蒸れて臭い始めていたが、不意に鼻をつく甘い腐臭が本当にここから発しているのか、蓋の隙間から中を嗅いでみても確信が持てない。
ちょっといい加減にしてよ、これじゃ晩ご飯食べる気にもならない。向こうの部屋で着替える妻からクレームが飛んでくる。そこらじゅうをひっくり返しても、動物の腐乱死体のような臭いの発生源はわからない。
まさか、と思い、サンダルをつっかけて玄関から外に出る。マンションの共用通路を歩きながらそれとなく各戸の前で鼻から息を吸うが、恐れていた臭いはしない。
部屋に戻ると、妻はこちらを見ようともせず無言で片付けをしている。
さっき探したよ、と言い終わる前にいいから探して臭いの、と叩きつけられる。
言われてみると、臭いかもしれない。
ゴミ箱の蓋を外すと、例の臭いが立ち昇る。中に手を入れて探ると、あった。小さなレジ袋を縛ったものから、むせかえるような腐臭がしている。
袋の中身は、一昨日のお昼に食べた甘エビの尻尾だ。毎日1時を過ぎるとスーパーの惣菜コーナーで寿司に値引シールがつく。最近知ってからその時間帯に買いに行っている。
「なにそれ」
「え、エビ」
「なんでエビがそこで腐ってるの」
あなたが出勤した後、私は昼下がりに割引の寿司パックを買いに出てお得感に浸っていたのだよ。とは言えない。
季節を考えずに痕跡を残したのはまずかった。どれほど小さくても肉片は肉片で、暖かくなった途端に腐り始めたのだ。
緊急事態宣言が出てから私は在宅勤務となったが、妻は千代田線で通勤した。朝、私の顔を見ると彼女はマスクの奥からため息をついて出て行った。毎日、毎日、マスクすらしていない乗客もいる電車に詰め込まれて、感染の恐怖に怯えながら、町屋から赤坂までの距離がどれほど長く感じられるか、家にいるお前にわかるか。面と向かってそんなふうに言われることはなかったが、気まずかった。
悪いのは私なのだろうか。お前の健康が大事だから、今は仕事になんか行くな、減った収入はおれが稼ぐから気にするな、とでも言えばよかったのだろうか。言ったとしても、ようやく正社員で転職した仕事を辞めるのに彼女は同意しただろうか。
いや、一日働いて、疲れて帰ってきたら家じゅうが腐臭に満ちていたことへの説明が今は必要だったか。そういうものはどこかにあったか。そもそも可能か。
「鼻がもげそうなんだけど。こんなに臭いのに、一日中家にいてなんで気づかないの。ほんっと無神経だよね。おかしいんじゃないの」
彼女は勢いよく窓を開ける。
ずっと家にいるからこそ鼻が慣れて臭いに気づかないのだが、指摘するとますます怒りを買うだけなので、謝罪して一階のゴミ置き場まで袋を捨てに行く。
夕食はレンジでチンするだけでいい。だいたい午後、作業と会議の合間に作る。毎日、私が夕食を用意しておくことがいつの間にか暗黙に期待されていた。在宅勤務は座りっぱなしだと身体がつらくなってくる。ちょっと頻繁すぎるくらいに立ち上がって、野菜を切ったり鍋の火加減を見たりするくらいの方が、疲れが溜まらない。だからこれはこれでよいのだろう。
妻は無言で酢豚をつついている。適切な話題。腐臭を打ち消す、賑やかな話題。
運動不足解消のため、夕食後は隅田川沿いを走ることにしている。馬頭観音を過ぎて尾久の原公園まで来ると、夜は人気がなく暗い。対岸の足立区に建つマンションの灯りだけが黒い川面に揺れている。
走りながら、レジ袋の中で腐っていた甘エビのこと、こちらを向かない妻の背中を思う。もうだめなのだ。一時しのぎは。暑くなると、あらゆるものが腐りはじめる。エビも、人間関係も。いや、あらかじめ茹でたエビならどうか。ちらし寿司にのっている薄い車海老のような。明日はちらし寿司にしようか。そうだ、それがいい。1時過ぎまで売れ残っていれば。
通勤時間帯とかも結構空いてるし、普通に座席に座れるくらい。ほんと人減ったよ。
休日はだいたい角の席に座れるし、そうでなくても周りと間隔があるくらい。
電車が空いてるってのはいいことなんだけれど、平日とかは複雑な気分だ。空いてるってことはみんな出勤してないわけで、そんな中仕事しに行かなきゃならんのかってね。リスクは多少減ってんだろうけど。
結構駅前とかには人いるんだよなー。さっき用があって出かけたんだけど、人一杯歩いてんのよ。通勤時間帯とか全然人いないけど、みんな買い物とかなのかな? 結構店とかにぎわってるわけ。
電車に乗ろうとする人が減っただけで、まあ何だかんだ外には出るもんだよな。俺だって用があって出かけたわけだし。電車に乗らずに地元で何とかしようってんだろう。土日はこうなんだなって書いたのは俺が家にいるのが土日しかないからであって、平日の昼ももしかしたらこんな感じなのかもしれない。
俺はまだ家で仕事する環境が整ってないから平日は出社してるけど、家で仕事してる人も多いんだろ?
平日の昼間にご飯買いに出かける人ってのもこんな感じで多いんだろうな。
職場の近くってオフィスだけじゃなくて結構住宅街にもなってるんだけど、今まで夜しかやってない寿司屋が昼に机出してちらし寿司売ってるの見た。イタリアンバルとかもピザのテイクアウト始めました、とかね。結構需要ありそうだけどどうなんだろ。ビジネスマンをあんまり見なくなったからランチに入る人も少ないだろうし、夜営業できなくなってる店としては苦肉の策なんだろうな。ランチってそもそも安いのに、テイクアウトってもっと安くない?
良く実家を出ると食事が出てくるありがたさが分かる、なんて聞くけど全然そんなことなかった。
実家にいると父親の好物ばかり出て、少なくとも週に一度は同じものを食べていた。マグロ丼、焼きそば、中華的な炒め物、ちらし寿司、餃子、マグロ丼みたいな。
一人暮らしをして、菜の花のお浸し、具沢山のお味噌汁、生春巻、どんどん食の幅が広がった。前より健康にもなった。
世の中の実家の食事ありがたい系の人は家族の中で優遇されていたか、食に興味がないんだろう。
調理だって自分が作った方が自分の好みに調整できる。うちの母親は比較的料理がうまい人だと思うけど、肉じゃがでもジャガイモの角が立ったような煮加減が好きだった。家を出てからは、混然一体となるまで煮込んだ方肉じゃがが食べられるので幸せを感じる。
良く実家を出ると食事が出てくるありがたさが分かる、なんて聞くけど全然そんなことなかった。
実家にいると父親の好物ばかり出て、少なくとも週に一度は同じものを食べていた。マグロ丼、焼きそば、中華的な炒め物、ちらし寿司、餃子、マグロ丼みたいな。
一人暮らしをして、菜の花のお浸し、具沢山のお味噌汁、生春巻、どんどん食の幅が広がった。前より健康にもなった。
世の中の実家の食事ありがたい系の人は家族の中で優遇されていたか、食に興味がないんだろう。
調理だって自分が作った方が自分の好みに調整できる。うちの母親は比較的料理がうまい人だと思うけど、肉じゃがでもジャガイモの角が立ったような煮加減が好きだった。家を出てからは、混然一体となるまで煮込んだ方肉じゃがが食べられるので幸せを感じる。
生まれも育ちも大阪の下町近辺で、もうアラフォーですらなくなりそうなおっさんから見た恵方巻きの話。
もう旬が過ぎた話題だけど、昨日関東から来た人と話してて少し驚いたので書いてみたくなった。
知ってる人も多いだろうけどそもそもの話として、大阪ではそこそこ昔からのローカルな風習として根付いていた。つっても起源はともかく近代で根付いたのはここ50年ぐらいだけど、逆に言えば俺ぐらいのおっさんやもう少し上の世代でも物心ついた頃からはやってたって事だ。
三つ子の魂とか言わんでも子どもの頃から今まで延々やってた風習なら、血肉となる感覚は若い人でも分かるだろう。特に当時はコンビニは当然スーパーも今ほどそこらになくて、まだまだ商店街が強かった時代だ。うちのオカンもまだコマ付きチャリにしか乗れない俺を連れ、近所の商店街の旨いと評判の寿司屋に買いにいっていた。
ところで、寿司は特別感のある料理、という感覚は日本人なら多くの人が持っているのではないだろうか。
世代や地域や家庭によって、桶に入った握り寿司だったり、かーちゃんが作ってくれるちらし寿司だったり、みんなでやる手巻き寿司パーティーだったり、種類やシチュエーションは人それぞれだろうが、特別なときに出てくる特別な料理という感覚はかなりの人に共有してもらえる感覚だと思う。
節分の巻き寿司も、少なくとも俺にとってはそうだった。普段寿司なんて稲荷ぐらいしか食べてないし、握り寿司も盆正月ぐらいだ。巻き寿司はたまに食べなくもないが、大抵細巻きか、太巻きでも乾瓢・高野豆腐・椎茸とか中心の年寄りくさいやつで、鰻か穴子が入ってるだけで喜んだもんだ。
それが、節分には寿司屋のちょいといいやつを買ってくれる。鰻やら鮪やら、下手すると海老やイカまで入ってる宝石箱だ。しかも一人で一本独占させてくれる。のちに弟妹が出来て旨いものは常に奪い合いだった俺には長らく特別だった。
豆まきではしゃぎまわり夜には旨い巻き寿司を一本まるごと食べられる日、節分はまさに特別な日だったんだ。
そんなだったから巻き寿司ぐらい自分で買えるようになってからも、節分には色々な店の旨い巻き寿司を食べ比べたりした。友人ともどの店が旨かった、来年はあの店のを丸かぶりにしようかと思うなんて話をしたりした。当たりを引いた年には、将来自分に新しい家族が出来たらこの巻き寿司をお土産に持って帰ったりするのもいいな、なんて考えたこともあった。だから、節分にスーパーやコンビニで巻き寿司を買おうと思った事もないし、実際に買ったこともない。
先の関東の人と話して驚いたのは、子どもの頃はまだしも大人になってからは節分を特別な日と思う感覚がないらしきことだった。出身地なんかで結構変わるだろうし個人差も大きいかもしれない。でも少なくとも、節分を特別と思ってない人が異文化とともに大量生産品を押しつけられたら大抵の人は嫌になるだろう。
スーパーやコンビニの愚行を庇うつもりはない。俺が好きな行事だからとみんなに押しつけようとも思わない。でも「大人になって節分が特別でなくなった」というのは、俺からするとちょっと寂しいなと思う。
昔地元であった習慣でもいいし、今住んでいる地域の何かでもいい。節分をちょっと楽しみに思うような何かをしてもらえたらなと思う。そしてよければ旨い太巻きでも食ってくれ。わざわざ店内に入らず店頭でスッと持ち帰りの巻き寿司を買えるのも節分のいいとこだ。
いわゆるちらし寿司の事なんだけど、しょうががめちゃくちゃ酸っぱい?辛い?からそれを食べるともう他の味がわからなくなるのよ。
だから、ばあちゃんは俺の分だけ桜でんぶを書けてくれてたの。もちろん、甘いものをガキが嫌いなわけないからおいしいおいしいといって食べるわけよ。
するとばあちゃんは俺の好物が桜でんぶだと勘違いして、自分がちょっとでもご飯を残すと桜でんぶを書けてくれたの。
24歳ぐらいのときかな。ばあちゃんはアルツハイマーになっちゃって、買える度に「でんぶあるよ」といってご飯にかけようとするのよ。
俺は最初は察してちょっとふりかけて食べて「ありがとうね。」と言ってたんだけど、ずっとそればっかやるもんだから、実家のご飯はばあちゃんがいない時に食べるようになった。