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はてなキーワード: 隠蔽とは

2021-06-22

オトモダチへの利益誘導隠蔽改竄国会軽視、閣僚贈収賄官僚/メディア/企業に対して人事権等を振りかざした恫喝検察庁法案etc

それら自民のしているブラックだったりブラックに近いグレーだったりする民主制法治に対する破壊行為を棚に上げて、こうなったのは野党のせいでもある!って、それ、笑うところだよね。

アメリカ民主党共和党支持者でも納得する確率が高いバイデンでまとめたぞ。

そしてバイデントリプルブルーになっているのに、左派に引きずられることな共和党支持者にも配慮してバランスを取って政策推進をしている。

分断がこれ以上ひどくならないように努力してるわけだ。

そういうことを野党側がやらないから有権者選択肢が奪われてると思わないのか?

民主主義機能を低下させてる原因を自民党だけに押し付けてきた結果が今の状態だろ。

anond:20210622211038

anond:20210622173128

論理ってのは、でっかい仮定を導入すればいくらでも作れるから

トヨタ威信の失墜を避けるために国ぐるみで欠陥を隠蔽している、とかな

一般人には知り得ない陰謀」を前提にする陰謀論は論理は通ってたりするんだ

anond:20210622171528

隠蔽というか、単に対して問題になってなかっただけだろう。世の中全体の効率が悪かったから多少あれでも問題なかった。

ただの風邪なら中国隠蔽成功してる

はいろんぱっぱ

anond:20210622083334

死者が出ることを前提に説明するのならまだマシなんだが、死者が出ることを口に出したくない、隠蔽したいという空気が嫌なんだ。現代社会の基本は死者の隠蔽自分たちの罪を隠すことで成り立ってるところがあるからな。

2021-06-18

anond:20210618161815

ほらほら

本当は広まっているはずなのに検査しないことで隠蔽、っていう方向になるでしょ

anond:20210618160719

東京では満員電車で爆発的に感染が広がっているはずなのに国ぐるみ隠蔽している、とか陰謀論にいくしかないな

まあお疲れ様

2021-06-17

着服や隠蔽や虚偽説明自民党素人生徒会の立憲も嫌なんだけど、何を支持すればいいんだ

2021-06-14

貧困者や困窮者に「一人で勝手死ねw」とアドバイスする日本政府推奨のワクチン

常識で考えて毒物だとしか思えんわ

科学的なデータシートなんて森かけやイラク日報みたいにどうとでも書類を作れるし都合が悪い書類隠蔽すればいいのだから

公務員が全員接種になってないことが何もかもを証明しているな

ボーナス福利厚生国民から非難されても堂々と受け取るがコロナワクチン国民から非難されるから受け取りませんw

危険物からだろうなw

国民に知らされてないだけ

2021-06-12

anond:20210612171522

客観的成功基準定義して、それと照らし合わせて、どうかでしょうね。

このあたりを検証して、成功した、となれば、そりゃ腹のひとつも切らないといけないでしょうが、「各国が称賛」なんて、皆さんが嫌いな「大本営発表」そのものじゃないですか。

デイリーポータルZのJUNERAYさんインタビューを読んだ

明らかに一番のウリはその恵まれ容姿なのに、記事の中で全くそこに触れられていないのがすごい

編集ちゃんとしているんだろうか。実に現代的なよくできた記事だなあと思う

それと同時に、容姿について全く触れられないのも不自然に感じる

ポリコレが進めば、ブサイクから評価を受けたことも、美しいから高評価を受けたことも、どちらも隠蔽される

実態としてその差別はなくなっていないのに、見えなくされる

どっちが良いんだろうなあ

美形にはとやかく言われない良い世の中だろうけど

ブサイクにとっては、じわじわと窒息するような地獄

あいいか。どうせブサイク絶滅するのだし

2021-06-11

とりあつかいミスによるコロナワクチンの廃棄がたまにニュースとなる。

貴重なワクチンミスによって廃棄しなくてはいけないのは残念なことであるが、

しかしそのミスをことさらニュースとするのはよくない。

こういったミスに目くじらを立てると、

今度はミス隠蔽を行うようになってしまうからだ。

人間社会である以上、ミスはあって当然のことである

そのことを過剰に責めるべきではないし

マスコミはそうならないように慎重に報道するべきだ。

anond:20190112221400

犯罪証拠品を周りの制止を振り切って無理やり壊して隠蔽を図った人がいた。

物を破壊して隠蔽って両津の手口。

2021-06-10

anond:20210610224755

調査する気がないもの疑惑とは言わない

隠蔽というんだ

anond:20210610001634

去年の今頃はワクチンどころか「桜」攻めだった

失言疑惑与党を責めるしか能がないのに、身内の失言隠蔽しようとする

野党政権になったら品行方正な政治になるんじゃなかったのかい

2021-06-06

発熱した

弊社は感染爆発地域にあってまだコロナを出してない(という公式発表)

実際的感染対策はもちろんするが、どちらかというと精神論で「コロナはあってはならない」みたいな感じだ。

正直、もしこの発熱コロナだったらマジで解雇されるかもしれないという危機感がある。弊社の「あってはならない」はそういう意味からだ。

そんな解雇違法だって?そうだね。

しかし弊社では、何かの責任なすりつけたり、気に入らない人間合法的排除したりするために、曖昧に罪をぶち上げて懲戒解雇する事例は枚挙にいとまがない。

おそらく、弊社のコロナ1号は懲戒解雇になる。たぶん「任務懈怠」みたいな懲戒理由で。(懈怠ってよくわからんけど弊社がなんか人追い出すときによく使う罪)

…そうなってくると「ただの風邪レベルなら申告しない、というのも選択肢に入る。

そりゃその選択は人としては悪いのだろうけど、コロナだということになったら十中八九クビになるのだ。

うつさないよう待機する、しかるのちにしかるべき機関に連絡し、必要であれば検査を受ける。周囲の人間のため、地域医療のために。もちろんその判断は正しいが、しかし、私がそのような誠実さや人間性を発揮したところで、何になるだろう。報いられることはない。コロナだったらありもしない罪の汚名を着せられて会社を逐われるだけだし、そのとき周囲の人間地域人間が私を助けてくれるのか。

まぁ重症リスクのある持病があるので、死んだら元も子もないわけだ。が、どうせこの地域医療機関は逼迫しており入院できるわけでもないんだし、申告しようがしまいが自宅で死ぬリスクは変わらない気がする。

こういう状況ではギリギリやばくなるまでは隠して働いた方が合理的なような気がする。


みなさんだったらどうしますか。

自分懲戒解雇され路頭に迷う覚悟で良い人間として生きますか。自己中心的発熱隠蔽しますか。

2021-06-05

anond:20210605192437

「かなり前からウイルス存在を把握しながら、政治的判断情報隠蔽した」くらいのことはさもありなんというか、部分的証拠も出てるけど、「武漢研究所で開発された生物兵器」説はいくらなんでも荒唐無稽過ぎるんだよなぁ。

なんなら「事実を明らかにされると都合が悪い中国政府が、事実隠蔽するためにわざと荒唐無稽陰謀論を流すことによって有耶無耶にしようとしてる」とすら思う。(それ自体陰謀論なので、本気で言ってる訳では無いです。)

2021-06-03

何故、大坂なおみドーピング検査で陽性反応が出なかったのか?

私自身がうつ病治療を受けている人間の一人なので不思議に思うのだが、うつ病大坂なおみが服用していた治療薬は、ドーピング検査で反応しなかったのか?という点である

(1) ドーピング検査で陽性の反応は出たが、大会運営者によって隠蔽された。

(1)’ ドーピング検査がザルである

(2) そもそも大坂なおみは、うつ病治療薬を服用していなかった。

どちらなのだろうか?

2021-05-31

anond:20210530091718

大澤さんの自由についての講義結構好きだよ

前略

―実は人間は、この世界自分存在しているという事に関して、責任がない。自分存在自分で選んではいいからです、だから当然、自分が生まれたがゆえに、自分がこの世界存在しているがゆえにやってしまった事、やらざるを得なかった事に関して責任がないわけです。一番もともとのところの責任がないわけですから、それに因果的に規定された残りの部分に対しても責任がなくなります子供はもともと自分が好きで生まれてきたわけではないので、この世界に耐えられなくて嫌になって文句を言っても、その事に関して子供を叱る事はできない。人間はこの世界の中に生まれてくる。しかも、多くの点に関して、何者かとして生まれてくる。つまり多くの性質を与えられて生まれてくる。例えば男か女かどちらかの性であるものとして生まれてくる。人種的な特徴を持ったものとして生まれてくる。あるいはある特定共同体の中に、例えば日本人共同体の中に生まれてくる。そのほかいろいろな性質を持って生まれてくる。そういう事すべてに人は責任がない。そうであるとすれば、人間そもそも責任がない。それがイノセントであるという事です。

子供から大人への移行

┗ここで問題になるのはこういう事です。責任がないという事は自分が選んでないという事です。逆に人間自由主体になるという事は、自分選択していると言える事ですから、今度はイノセントではありえない、つまり責任があるわけです。自由責任は表裏一体です。これは学校先生なんかは好きな言葉ですね。イノセントであるという事は、自由主体にまだなっていない段階です。自分のやった事に関して自分責任があるとは言えないという事です。そうすると、人間が成長するという事は、イノセント状態を何らかのやり方で克服・消去する事です。これが『イノセンスの壊れる時』という芹沢さんの言葉意味です。つまり本来イノセンスなんです。これを書き換えなければいけない。責任がありませんよ、というところを消して、自分責任があるんだと書き換える。そういう事をするのが大人になる事なんだというのが芹沢さんの言っている事です。イノセンスのこの書き換えをどうやって人間はやるのか、この書き換えのメカニズムを考えてみよう――それが芹沢さんの短い文章基本的趣旨です。

ここですごく重要な事を言っています常識的に考えると、次のようになる。子供自分イノセントだという事を主張します。「ぽく、悪くないもん」という事を行動や態度によって表明するわけです。そういう事を言ったときに、凡庸な親だと「いや、お前が悪い」という事を一生懸命教えようとする。しつけをするというのはそういう事だと思われているわけです。そういう事をすると、はじめは自分は悪くないよと言っていた子供が、やっぱり自分が悪いんだと思うようになる――というのが普通の親の考えている事ですが、芹沢さんが言っている事は全く逆です。子供が何らかの意味で「俺は悪くないよ」という表現をしてきたとき、そういう意思表示と解しうる行為をとった時に、逆に「そうだ、おまえには責任がないんだ」という事を認めてやれというわけです。子供イノセントだという事を自己表出したときに、まさにイノセントだという事を承認してやりなさい、と。そうすると、不思議な事に、まさに承認した内容とは逆の結果が出る。つまり子供イノセンスを認めてやると、逆にこれが否定されて、子供自分自身責任がある、自分存在に対して自身責任があるという自覚に到達するというわけです。責任自覚するという事は、自分存在自分に与えられた性質運命を自ら引き受けてやろうと考えるようになる、という事です。例えば子供が「生んでくれと頼んだ覚えはない」という意味の主張をしたときに、その事を全部肯定し、認めてやる事で、かえって人は責任ある主体に変わっていく。そういう事を芹沢さんは言っているわけです。

人間自由主体になるという事

客観的に見れば、子供イノセントであるというのは正しい主張です。だから自由主体になるという事は、先ほど言ったように、あえて、正しくない虚偽を(真として)認識しているかのように振る舞うという事なんです。本来人間イノセントです。でも、このままだったら人間自由主体ではない。自由主体になるというのは、本来こちらが正しいにも関わらず、本来イノセントであるにも関わらず、まるで自分イノセントでないかのように振る舞うという事です。だから大人になるという事は、真理に目覚めるという事ではない。逆です。真理は、むしろイノセンスの方にある。その本来の真理を隠蔽する事が、ここでいう書き換えです。この真理の隠蔽、この欺瞞は、有効意味のある隠蔽であり、欺轍です。具体的に言えば、皆さんは今こうやって生きていて、いろんな性質を持っている。その99.9%に関してあなた方は責任がないんです、本当は。例えば自分は足が遅い。考えてみると、これは親のDNAのせいなんだ。俺の足が遅いのは自分のせいではない。けれども、人間自由主体になるという事は、客観的に見れば自分のせいじゃないけれど、まるでその事に関して自分責任があるかのように自覚して、生きるという事です。簡単に言えば、足が遅い俺も、それもよし、足が遅い俺の運命自分で引き受けよう、そういう人生自分のものとして生さていこうという気分になる。まるで足が遅い人生自分で選んで、自分で引き受けてやってるような、そういう自覚に達したときに、人間自由主体になるわけです。

から、本当の事を教わる事で本当の事を悟って人間自由主体になるのではなくて、むしろ、本当でない事を生きるようになるのが自由主体になるという事なんだ、という事がまず頭になければいけません。

芹沢さんが圭張しているのは全くパラドキシカル方法で、子供イノセンスを表出してきたときに、そのイノセンス全面的肯定してやる。すると不思議な事に逆に子供イノセンス解体し、子供自分自身運命自分で引き受けようという気分になっていって、それがあって自由責任を担う主体になっていくんだという事です。なぜ。こういう逆転が生じるのか。なぜイノセンスを認めてやれば、その事によって子供はかえって自由主体になる事ができるんだろうか。その事が、そもそも自由っていかにして可能になるかという問題につながってくるのです。

親はどのように子供イノセンスを認めたらいいのか

┗もう少し芹沢さんの言っている事に耳を傾けましょう。いくつか面白い事例を出していますイノセンスを認めてやるのは普通大人特に親です。ですから、親がどうやってイノセンスを認めてやって、その事で子供自由主体責任のある主体に変わっていったのかという事を見るのがいいのですが、そのとき芹沢さんはわざとこういう例を使います普通の親子関係だとかえっで見えにくいので、養子縁組の場面で考えてみようというわけです。なぜ見えにくいかというと、普通の親子関係というのは血縁関係がありますから、はじめから親も子供自分たちが親子関係であるという事を当たり前の事であると考えてしまます。お互いに自分運命自然の事だと考える事で、親が子供イノセント存在肯定してやるという劇的な場面は半分終わってしまう。だけど、血縁関係のない親子関係では、親子関係をこれから作らなければいけない。だから、親が子供存在自分のものとして認める、あるいは子供が親を親として認める、そういう事を実際に意識的にやらなければならない。そこでわざと養子縁組の例で考えてみようというのが彼が提起する例です。

養子縁組というのは、何らかの理由によって両親がいない孤児がいて、そしてその孤児を自ら引き受けて育てていきたいという親がいるときに成立します。養父母は、孤児を集めている施設のようなところからひとり連れてきて、自分の子として育てるわけです。そのときポイントになるのは「真実告知」という場面です。つまり、実はあなた孤児だったんだ、それを養子として迎えて子供になった、そういう事実を告げ知らせなければいけない瞬間がやがて来るわけです。この「真実告知」の瞬間というものに、芹沢さんは注目しています子供養子として引き受けようとする人たちのために、どうやったら「真実告知」は成功するかというパンフレットがあるそうです。僕は現物を見た事はありませんが、芹沢さんの本に引用されていて、家庭擁護促進協会大阪事務所というところから出ている「真実告知例解集」という本です。それによると「真実告知」には三つのステップがあるという事が書いてあるそうです。一番目は『私たちは、血のつながりはないけれども、親子なのだ』という事をまず事実として言わなければいけない。ここで重要なのはいかにも否定的な言い方をしてはいけないという事です。「実は私たちは本当の親ではないんだよ……」という否定的な言い方ではなくて、むしろ「親子なんだ」ということを言うところにポイントがある。二番目として「私たちは、あなたを選んだんだ」「あなたが気に入ったから選んだ」という事を言うわけですが、このときに気に入った理由言ってはいけない。一番かわいかたから選んだとか、一番利発そうだったから選んだとか、ー番元気だったから選んだとか、そういう条件・選択において気に入った理由言ってはいけない。そして三番目は「いま私たちは完全に満足している」という事を言う。この3つのステップを追う事によって「真実告知」のセレモニーが完結し、うまくいんだと。

子供存在100%肯定する

┗このパンフレット解説が教えている事は、真実告知は、親が子供存在を、子供がここにいるという事を100%トータルに肯定する、100%承認している、その事を示す事がポイントだという事です。子供にとっては、自分存在は与えられたものです。自分がこういうものとして存在する、自分はこういう髪の毛を持って、こういう顔をしている、こういう性格を持っている、こういう性的趣味を持っている、そういう事も含めてすべてが与えられたものです。ひとつ自分のせいではない。その事がこの真実告知の三つのステップの中で目指されている事です。

否定的な言い方をしてはいけないというのは「本当の親子ではないんだけど…」みたいな事を言うと、まるで血縁の親子のほうが本当はよくて、今の関係はそこから見ると少し格下だという事を言った事になってしまう。そういう事を言うと、子供がいま置かれている存在肯定された事にはならなくなってしまう。

特に興味深いのは、第二段階です。選んだ理由言ってはいけないというところがすごく面白いと思います。親が選択したのだけれども、その選択理由がないという事は、それが、空虚選択、実質のない選択だという事になります。例えば皆さんが洋服を選ぶときに、いろいろ理由があって選びます。一番安かったとか、一番デザインがよかったとか、そういうときには選択に実質があるように見えます選択するという事は、他でもありえたという留保が付いているという事です。理由がついているという事は、どういう場合に、他でありえたか、という事が明示的になるので、選択に実質があるように見えるわけです。それに対して、何の理由もなしに選んだと。「なぜその服を着てる?」「いや理由はない、とにかく選んだ」というのは、選択はしているかもしれないけれども、実質のない空虚ものに見えてくるわけです。しかし、ここでは、単に選んだから選んだ、気に入ったから選んだとしか言いようがない空虚選択であった、という事を子供に言わなくてはならない、と述べているわけです。もし逆に条件づきで選んだとしたらどういう事になるか、と考えてみましょう。例えば「あなたが一番賢そうに見えたから選んだのよ」と言うと、これはもちろんポジティブな言い方です。ポジティブな言い方だけれども、実は子供存在全面的ポジティブ承認した事にはならないんです。賢かったから選ばれたという事は、もし十分に賢くなければ選ばれなかったかもしれないという事を意味している。だから、条件づきで選ぶという事は、子供存在100%肯定した事にはならなくて、部分的しか肯定した事にならない。あなたが一番よい子だから選んだという事は、よい子でなかったら自分は選ばれなかったかもしれないという事を意味するわけです。賢かったり、よい子であるその限りでの自分が親に肯定されているだけだからです。今度は子供視点から物を考えてみたらどうなるか。親に言わせれば、選んだから選んだという言い方しかないわけです。子供立場からすると、この選ばれ方とは、その親の選択自分全然関係していないという事を意味しています。もしある養子が賢いから選ばれたとします。そうすると、親が最終的には選んだかもしれないけれども、自分が賢かったという性質が親の選択を方向づけた事になります自分が賢くなるように努力したとか、あるいはそんなふうに頑張っていたわけではないにしても、自分がそういう性質を持っていたという事が原因になって、親が選択した。親が理由ありの選択をするという事は、子供の側から見れば、その選択自分が少しは参加している、関係している、という事です。よい子だから選んだという事は、自分がよい子であろうとしてきた、あるいは現によい子であった、その理由によって選んでいるわけだから子供のほうもその選択に少しは参加しているという事になります。逆に、理由なしの選択場合はそうはいきません。ここでは子供のほうには何の原因もない。親のほうが全面的に選んでいる。だからこの場合は、子供は彼が選ばれる行為に、全然参加していないという事になるわけです。そうすると、一見したところでは、理由なしの選択であった場合よりも、理由ありで選択した場合の方が、良いような印象をもってしまます。つまり子供自由主体にする、選択主体責任ある主体にしていくという事が目標であれば、親が理由ありの選択をしたほうが有利なような印象を与えます。なぜかといえば、例えば「あなたが賢いから選んだんだよ」と言えば、それは、賢くあろうとする子供能動的な努力を誘発する事になるからです。でも、そもそも理由なしに選ばれたら、子供としては親に気こ入られるために頑張りようがない。つまり、このときに、子供能動性を引き出せないようにみえる。ですからちょっとあさはかに考えると、理由ありの選択をしたほうが、子供というのは自分自身で頑張り、自分で何かをやろうとし、責任のある主体になりやすい――そう考えたくなる。しかし、実際には逆であって、理由なしの選択のほうが成功すると、パンフレットは言っているし、また芹沢氏も言っている。

このあたり

んで自由からリバタリアニズムに繋がって、(話題としては)でマイケル・サンデルかに繋がってくんだけど、そこは各々、自分がしっくりくる主義をみつけて、違う主義もつひとと折り合いをつけながらやっていきましょーねが資本主義だと思ってるけど。

とりあえず自分主義を探ってみるところからはじめては?自分の考えを言語化できるようになると、仲間もみつけやすいし、仲間と話せば、あなたなりの答えがみつかるかもしれん。

有名ドコロだと東野真夏の方程式とか、「子供無罪」に振り切ってておお~と思った

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