はてなキーワード: 無尽とは
クッパ姫を任天堂に公認させようとかいう意味不明な話が流れてきて、あー海外発だとコンテンツに評価が付いたらビジネスとして盛り上げなければいけないという話になるからそうなるよね、と思って見てたわけですが。同人は公式の黙認で成り立ってるからやめろって反対が起こるわけですよ。文化的背景から言えばそりゃそうだ、やめろ、と思うわけですが。
「公式の黙認」ってなんだよと。同人は若手が勝手に絵を描いてプロになる下積みとして機能しているわけじゃないですか。お前ら公式はどこから来たの? と。1980年代には宮本茂は死ぬ思いでマリオをゼロから創作したかもしれないし、手塚治虫はディズニーの丸パクリから全く新しい世界を築いたかもしれないし、彼らはPixivに版権絵をうpして絵を覚えたわけではないだろうけど、今の中の人は同人作家ばっかりじゃん。お前ら古巣の同人界に戻ってきてフリーライドしてるじゃん。
同人黙認システムが機能してるのは公式絵師が苦痛に思うからではなくて、既に「内容は把握しているし想定通りだし何も問題ないけど版権処理がめんどくさいから」「原作者以外のステークホルダーが睨んで止めるから」に切り替わってるよね。なんで止まるかって損するかもしれないからっていう反ビジネス的発想のせいだよね。オポチュニティの喪失ですよこれは。川上稔なんか自作のオンリーに申し込むんだぞ何買ってるのか知らないけど。
「販売する予定はないし、版権元にライセンスする気もないし、どこにも痕跡を残す予定もない。だから消せ。配るな。売るな。儲けるな。わたしを干せ」という主張は、不正な著作権の主張だ。著作権ってのは中世欧州において出版社が割れを売り捌く現象が多発したせいでできた権利だ。印刷所が薄い本を勝手に再生産して勝手に薄い書店に卸し著作権者が印税を干されて死ぬような事態が横行したか何かだ。そのために著作権者がまず正当な印税収入を確保するための出版物の独占的な発行権、つまり著作権を得て、金銭的収入を保護されることになった。もちろん現代では無尽蔵に拡大されて著作物の配布まで制御できるようになりそして同人黙認や同人誌のDMCA取り下げといった機構を提供するに至っている。だが、著作権は金銭的収入の保護のための権利だ。原理主義的には金銭的収入や社会的地位を得ない方向への制御は目的外の利用だ。「望まない形で公開されると盛り上がりが薄れる」はOKだが「盛り上がりすぎると困るので控えろ」は著作権概念の精神に反していて必ずしも保護される意志ではないのだ。
同人黙認グレーゾーン機構は、その核心に「このコンテンツをビッグにしたくない」という自死願望を組み込んで動いているために、現実的には機能しているが理論的に破綻しているのだ。このグローバル化の時代にあって(いつの言い回しだ)は早晩崩壊を免れない。それが日本から始まるのかコミケが海外のコンベンションに規模と薄い本の質で負けて海外から輸入されてくるのかは分からないが、いい加減になんとかならんのかこれ。
「共感」というか「人の悩みに寄り添う」「何も言わずただ聞いて受け入れる」
…まあこういう一連の行為って、まるで簡単にできるように扱われてるけど、
(全てがそうとは言わないけど)実際はすげえ疲弊すると思うんだよね。共感する側は。
だってさあ、相手のバックボーン、事情、もろもろを全てなが~いなが~い話を受容しなきゃならないわけじゃないスか。
単純に「人の悩みを聞くなんてめんどくさいし疲れる」「なが~い話を聞かずに済む」という理由もあると思うわけですよ。
そりゃ確かに「解決」は寄り添う姿勢を見せない、突っぱねた感じのドライで冷酷な行為に見える。
でもその一方で「共感するしんどさを避けたい」という面も見逃せないと思うのですよ。
(まあ「共感」も「解決」もせずそもそも、「関係性を絶つ」という選択肢もあるが)
いやいやかく言う私だって他者に悩みを共感してもらったら、そりゃ嬉しいよ。
そこを否定するつもりはないよ。
ただね、「共感」がまるで「コストゼロで無尽蔵に行えるもの」みたく言ってる人を見ると違和感があるんだよね。
その都度「森久保ォ!」と叫んで、続いて「俺が~~してやるからな」とか励ましたりポジティブに導くよう声をかけてあげるんだよ。
奥さんの性格に不快感を示したり、それを察しさせてしまうような態度をとるのは最悪だから、それの真逆。生涯寄り添う夫として、その性格的弱さを包み込んであげる無尽蔵の包容力を示してあげるんだよ。
この森久保ォ!というネタはアイドルマスターシンデレラガールズという作品に由来するもので、ネガティブアイドル森久保に対するプロデューサー(プレイヤー)達の呼びかけとして自然発生的に定着したフレーズであるのだが、そのネタにかこつけていくことでふざけた感じを出しつつも、奥さんに対してイラつかず寄り添っていくテンションを自分に付与することができるし、増田が奥さんの発言に気を揉んでいる(が助けたい)という態度を示すことができる。こういうのは真面目に話し合っちゃったりすると重くなるし良くないのだ。森久保ォを奥さんの名前に変えてもいいのだが、増田の文中にあった「イベント」がオタク系イベントのことであれば、聞き返された時に森久保のことを教えて、二人でそういうお約束ノリを認知しあっていくのもいいと思う。
まあこれは一例にすぎないけれど、そうやって奥さんの気になる言動に対して和やかに軽やかに返していく精神的余裕が増田にないのならば、まずは自分の余裕を作るために休養をしっかりとれるように調整する事が最優先だろう。
「むじんくんは無尽くんの略だぞ」ってのはその機能性を知ってればあまり正しくない(公式にそうだと言っていても)なんで、どっちかってーとそういう誤認をしてほしくねえんだよ。
金貸し(相互扶助を目的としない)と明確に分けられているなら仮に等価積立にならなかったとしても利子無しではあるよな。だからこそ、高利貸しを「無尽くん」ゆうんがちゃんちゃらおかしいって話ではあるんやが。
一説には飛鳥時代から存在したという日本古来の相互扶助の仕組みで、
質屋の一種であった「無尽」と区別がつかなくなり、同一視されていったらしい。
誰でも、人に言うと気持ち悪がられる趣味の一つや二つくらいあると思う。
世の中にはいろんなタイプのジジイババアがいるため、いろんな攻略方法を試しつつ、
最終的にジジイババアを座らせられたら、俺の勝ちということにしている。
不本意ながら妊婦や怪我人に席を譲ることもあるが、次回ジジイババアを攻略するための経験値稼ぎだと割り切っている。
身なりが良く上品な表情をしているババアは、簡単に高得点を得られるので、日々の得点稼ぎにモッテコイだ。
目を見て「座ります?」と言うだけで、だいたい「笑顔」と「ありがとう」でボーナスポイントを取れる。
返し次第では会話ボーナスタイムに入りやすく、継続率も高いため、どちらかが降りるまで無尽蔵に加点されやすい。
パッと見、金持ち上品ババアによく似ているが、座りたくてしょうがない気持ちが、貧乏臭い下品な顔に出ている。
これも「座ります?」と言うだけでフライング気味に腰を下ろそうとしてくるが、素直さに欠ける分、「ありがとう」の配点が50倍になっている。
初心者は間違って上記2ババアと同じ攻略をしがちだが、逆に嫌味な言葉で撃退されてしまうので注意が必要だ。
まず立ち上がって「どうぞ」と言うことで、ババアであることを認識させつつ、逃げ道をなくすのが吉。
糞貧乏そうで、見るからに生きる力に乏しいババアは、大幅加点のチャンスを潜在させている。
一度は気弱に遠慮してみせるが、押しに弱いので、うまくやれば「こんなに親切にされたの初めて!」ボーナスを狙える。
枯れ木のような出で立ちで、耳が遠いこともあるので、無言のジェスチャーでサイレンスボーナスを狙おう。
プライドが異常に高く、年少者は無条件で自分を敬うべきと言う妄想に取り憑かれている。
ベロベロに泥酔していたとしても、酔ってないと言い張る天邪鬼。
立ち上がった上で「どうぞ」と声をかけて、座るまで無言で見つめることで根負けボーナスをゲットできる。