はてなキーワード: 放任主義とは
顔から太る体質って損すぎないだろうか。
少しでも太ると顔がぼてっとして、鏡を見るたび「肥えたよ」と伝えてくれる。
顔は着痩せもできない(化粧で小顔になれるというのは真っ赤な嘘である)
さらに、痩せるのは顔がいちばん最後なのだ。これ、なんの呪いなんだろう。
さて、そんな顔デブの救世主として、昨今は小顔注射というものがある。
その名のとおり、脂肪を消す作用がある薬を顔に注射する顔痩せ法で、多くは美容外科で行われる。
数分程度で終わり、料金も安く、ダウンタイム(患部が腫れる等)もない。らしい。
私は1日のほとんどの時間を小顔注射について考えるようになった。
打ちたい。
「私は小顔注射を打つ」と夫に宣言したところ、夫は引くほどの猛反対。
私がやることに強く反対することはなかったので、たいへん驚いた。
訳を聞くと「顔に針を刺してどうにかするのは、倫理的に許せない」とのこと。
痩せる薬を飲むのはべつにいい。なんかのクリームを塗るのもいい。
化粧を濃くしてもかまわない。しかし針を刺すのは許せないと。
私は何がどうして「倫理的にアウト」なのかさっぱりわからない。
美容外科というコンプレックス商売に大金を支払うのはどうなのかという理由ならわかる。
顔のコンプレックスに対し、なんらかアプローチして改善をめざす
という構造は化粧とまったく同じ。
チートはいけないというなら、マスカラやファンデも辞めろという話である。
整形とそれらの、何が違うんだろうか。
そんな私たちを育てた親がどういう親なのか書いていこうと思う。
ただ正直子育てが上手ではないと思うし参考にすべきではない人たちだと思う。
あとニートになったのはお前たちに問題があるだろといわれたら返す言葉がない。
だが兄妹全員がニートになったことがあるってのはちょっとしたもんだろ?
まず大雑把に両親は
無関心かつ放任主義の父
行ってほしいということだけ。
まず父についてだが父に対して特に言うことはない。
単身赴任が多く教育などについて関心もなかったようで特に何かを
言われた覚えもないというだけ。
父との思い出としてあるくらいだ。
あえて言うなら出来もしない計画を言うことが好きな人で小さいころは
それを真に受けてがっかりしたことが多かった。
そしてTVか何かにすぐ影響を受けてお前もあんなふうになれよと
その時々に無責任なことを適当に言ってきて思春期はうんざりした覚えがある。
そして肝心の母だが端的に言って世話好きの子離れが出来ない母親だった。
子どものことに関して先回りが好きでイベント事などでは自分達より
浮き足立って頼んでもいない物を買ってきてああでもないこうでもないと
こちらのバッグをひったくって詰め込んできていた。
それ以外のことでも過剰に世話を焼きたがり一人暮らしをするまで何かの準備で
自分だけで何かを準備するということをしたことがなかった。
また少しでも自分の価値観に合わないことをやろうとするとすぐにしつこく否定し
やめさせようとし、勉強などをしていても内容より字が汚い、まとめ方が悪いなど
クレームばかりつけてきたので母親の前では勉強をしなくなったりした。
ニート時代には特に何も言わず食事を用意していた。たまにメモがあったが
その内容を実際に言われたり、話しあいをしようと持ちかけてきたことはなかった。
目標などを何も設定せずに基本的には放任主義で育て、自主性を育てないために
自分で何かをするという経験を積ませず、その上で甘やかすのがベストだと思う。
後は教育方針を何かに影響されてころころ変えるのは最悪なので何かを参考にするのはいいが
最後に
ここまで書いておいてなんだが最初に書いたとおり自分の親を否定するつもりはない。
私の両親にはここには書いていない良い所もあるし撤頭徹尾間違った教育をするなどの
でも彼らは自分達の子供すべてを一時的にとはいえニートにした実績の持ち主で
そういった教育を受けたところに何も思うところがないというわけではないので
自分の中での整理とだれかの参考にでもなればとこれを書かせてもらった。
ちなみにどうやってそれぞれがニートから復帰したかはここでは関係ないので省略した。
以上
オタクは自由で放任主義な右翼と親和性が高く、いろいろと口うるさい左翼とは親和性が悪い。
左翼は、その攻撃性でオタクを敵に回した自らの愚かさを悔いるべきと言う言説を最近良く見かける。
その言説について思うところを描いていく。
ヘイトスピーチや所謂「言葉狩り」については、間違いなく左翼と呼ばれる人たちが中心になっている。これらについては、人権の基本である「他人の人権を侵害しない」という原則の問題でもあるが、チャタレイ裁判に関する憲法学界隈からの反論(1)や、大日本帝国時代の児童文学や新聞の規制が言論統制そのものに変化していった前例が示すように、原則、否定するべき物ではない。
また、宇宙の戦士に対して、ファシズム的と言う評価(2)や、さらば宇宙戦艦ヤマトのラストシーンに対しては、それぞれ「軍国主義的」について言及があったことは確からしい(3)。
漫画関係の表現規制で真っ先にやり玉に挙げられる「悪書追放運動」では「軍国主義への回帰」と言う表現が使われてきた(4)。
これらの理由から、オタクが左翼的言説を嫌うことには一定の理由があることがわかる。
チャタレイ婦人事件からずっと、右翼はむしろ表現の規制側に回っていた。猥褻物や公序良俗を使用した最高裁の判決に対しては、保守派を批判する側の法律学者の方からこそ強力な批判が行われていたことを思えば、左翼が表現の自由に不寛容と言うのは、この手の表現の自由に関連する議論の実状からかけ離れているように思える。
悪書追放運動以来漫画の規制では政府与党が応援してきた。悪書追放運動の主体の一つである主婦層の応援をしていたのは、逆コースまっさかりだった当時の政権与党である。
所謂「左」が表に出ていたのは事実だが、思いっきり「右」がそれに乗っかっていることもまた事実なのだ。
84年の衆議院予算委員会で、マンガを規制するための法律の導入を求めたのは自民党の政調副会長だった三塚博氏だし、中曽根総理もそれに大いに賛同していた。
漫画関係でも、保守派の麻生議員とかは、漫画の規制に積極的な人だし、東京都でのマンガの規制が著しく深刻化したのは石原慎太郎が都知事だった期間だ(5)。
漫画に対して公序良俗に関するとして出版禁止のための法整備を実際に行ったのは自民党だ(6)。
つーか、なぜかよく言われる「左翼の側が、オタクの趣味をポルノ呼ばわりして規制している」と言う言説とは裏腹に、実際にオタクの趣味をポルノ扱いして規制しようとしているのは保守政権側のほうが明らかに多い。ってか、実際何度か規制に踏み切っている。
ついでに、戦前でも児童文学の表現に著しい規制が付けられていた。
表現規制の問題を見ていると右も左もオタクとは親和性が悪そう。
それどころか、この10年の間は、マンガの表現規制は保守の側から行われている。
だと言うのに、どう言うわけか保守層が放任主義と誤解している意見が不自然なほど目立つ。
幾度か、マンガの規制の法制化がされるときに反対に回ってきた共産党の立場がない。いや、共産党もちょくちょくマンガの規制するよう求めてはいたから濡れ衣ではないのだが(7)、法制化を阻止するために動いた(8)という一点においては、力が及んでいたかはさておき、むしろ表現の自由については無理解というわけではない。
にもかかわらず、左翼は教条的で何でも規制する頭の固い連中で、保守派は様々な価値観を認めてくれる懐の深い存在という、表現規制の法制化の歴史を紐解くと真逆としか思えない、訳の分からない言説が結構広まっている。
……本当に、どう言うことなの?
理由を考えてみると、実際の活動は兎に角、左翼系の攻撃の方がオタクの方に印象に残りやすかったのが問題なのではないだろうか。悪書追放運動の発言や、ウルトラセブン第12話、ジャングル黒べぇの封印や、さらば宇宙戦艦ヤマトや宇宙の戦士への批判(小説の批評・批判自体はまっとうな活動なのだけど)等、人気作品への影響が大きいこと為、実際の活動量以上に目に付く機会が多かった。
特に、ウルトラセブンの「第12話は欠番とする」と言う趣旨の文言は、兎に角目立つ。簡単に閲覧可能な人気シリーズに、「抗議による封印」の痕跡がポツンと残されているのは、イヤでも目立つ。
また、政府肝いりの団体でも、悪書追放運動の折りは基本的に「左翼」に同調する言動をとっていた。
恐らく、「左翼」の認識が悪くなったのは、ここら編が原因だろう。
その上で、90年代後半から2000年代初頭の「サヨク=人権を御旗に自由を侵害しようとしている連中」とか言う、自由主義史観発のいい加減な認識が、雑な認識と化学反応を起こして、いい加減な認識を加速させたと言うのが実状ではないだろうか。
00年代前半からの10年、警察や保守政権の側からによる表現規制が著しく深刻化していた時期に、そちら側からの影響が殆ど省みられていない現状を鑑みるに、自由主義史観発と言うか、小林よしのり発の「人権を美旗に世界の均質を試みている」と言う趣旨の認識の影響は少なくない気がする。
余談だが、戦前の表現規制に対する反省と言うことで使われた「言葉や表現が問題ではなく、実際に差別をなくすことこそが重要だ」と言う考えが、この保守派への契合に対する触媒になっている節があるのは中々興味深い。
実質的に、差別を助長していたり、差別に根ざしている表現を使い続けることによる、現状の肯定や差別の強化自体は問題にされてしかるべきだ。
キチガイと言う言葉が使われなくなったために、統合失調症の人の気持ちが幾分か楽になったと言う証言もある。言葉を狩っただけで問題が解決されるわけではないが、差別に使われるメインウェポンを使用禁止にすること事態を無価値と断定することも、非常に問題がある考えのように思える。
一方で、一片の理が合っても問題があるのは事実。だからこそ、チャタレイ裁判以降、多くの憲法学者は表現規制そのものを問題にしてきたし、前例がある以上、この手の批判は積極的に行われてよい。
兎に角、「表現を規制する要理も、現状の改善の方が重要」と言う言説が「表現は問題ではないのだから、どんな差別的な表現を使い続けたってかまわない」と言う理屈の正当化に使われ、惹いては、差別語を平然と使い続ける側の心強い理論武装になってしまっているのではないか。
いい加減話を終わらせるために、まとめに入る。
「どんな表現にも寛容な保守と、教条的で表現の規制を押し進めようとする左翼」と言う、表現規制の歴史に多少なりとも興味が有れば噴飯ものの理屈がネットの世まかり押し通ってしまうのは
・60年代の悪書追補運動の折りに、法制化を進める活動家よりも、直接行動を行う「左翼」側の活動の方が目立った
・「セブン12話」や「宇宙の戦士」批判など、容易な「左翼の抗議による作品の封印」の戦果に容易にアクセス可能
・00年代前半、個人サイト全盛期に自由主義史観初の雑な政治認識が流行した
・「表現だけではなく、現状を変える事こそ重要」と言う、それ自体はまっとうな言説の悪用
と言った要素が、悪魔融合を果たした結果ではないだろうか。
(1)浦辺法穂「全訂 憲法学教室」161~163ページ、岡田信弘「憲法のエチュード」86~91ページ
(2)ロバート・A・ハインライン「宇宙の戦士」483~484ページ
(3)牧村康正・山田哲久「「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気」第4章栄光は我にあり、広がりゆく波紋、第10段落
(4)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」100~102ページ
(5)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」177~180、196ページ
某カルト宗教2世の漫画がTwitterで話題になっていたので。。。
かなり放任主義だ。
私やほかの兄弟は
中学生になったある日、インターネットが気軽にできる環境になった。
でも、それを受け入れていた自分もおかしかったということに気付いて
かなりショックを受けた。
某学会に入っているというだけで避ける人もいるんだと。
突然一人暮らしを始めてみたりもしたのに
それに行かなければ母親のご機嫌はとれない。
今年も行かない家族がいて
なだめるのが大変だった。
私は今年結婚するので
この点に関してはどうしても無理だ。
京都やヨーロッパが好きで、神社もお寺も教会も見に行くのが大好きだ。
同じDNAを半分持っていたって、信じるものが違ったっていいじゃないか。
どうしたらうまくできるのだろう?
私は「母」がテーマになっている曲が苦手だった。
理由は世間で言われる「母」という存在に対する感情に共感できないから。
そんな私が宇多田のfantômeを聴いて、少し母と自分について書いてみたいと思った。
私の母は私が甘えることや泣くことを嫌った。
今でも「私のび太みたいなのが大嫌い」とドラえもんを見ている私に言っていたことを覚えている。
小さい頃の思い出に祖父母や父に甘えた記憶はあっても母に甘えた記憶がない。
その頃の母の記憶にはさみしくて構ってほしくて泣いている私が常にセットだ。
あと母親は私が何をしても褒めてくれなかった。
成績が良くても、何かで賞をとっても。
純粋にそれ以上のことをやってきたであろう彼女にとって褒めるべきことではなかっただけのことなのか。
それとも身近で私そのものを観ていて、表向きなそういう評価に意味を感じなかったのか。
そういう諸々のせいなのか多分母が死んでも私は泣かないんじゃないか、悲しまないんじゃないか、と考えてきた。
物語や現実の中で見かける「母が死んで悲しむ」ということが頭では理解できても感情的に理解できない。
ハンターハンターの最初のほうで「恋人と母親どっちを助ける?」みたいなクイズがあったけど、選択の余地なんてない、どう考えても恋人一択。
更に言うと、介護しなくて済むようにぽっくり逝ってくれたらありがたい、くらいに素で思っている。
かといって、私は母が嫌いなわけではない。むしろ好きだし尊敬している。
母の好きなところ、尊敬しているところを挙げればキリがない。
逆なことを書くようだけれど決して私に冷たかったわけでもなく、放任主義でどちらかと言えば甘かった。
私が選ぶことは基本的に肯定してくれるし、途中必要があれば金銭面でも助けてくれた。
今でも年に一回くらい「今度そっち行くからご飯どう?」と連絡が来て二人で食事に行くくらいの仲でもある。
ただし、「母」として私は母を感じきれていない、とでも言えばいいのか。そんな感覚。
こういうことを30を過ぎてからよく考えるようになったのは、私という人間の諸々が色々な経験を通して少しずつ見えてきたときに、
母という存在を抜きに考えることができなかったからだろうと思う。
まあ、アダルトチルドレンとかパーソナリティ障害とか私なりに調べてみて論理的に思うところは色々あるけど、ここでは省く。
そんな私が宇多田のアルバムを聴いたとき、やはり最初は彼女の歌う言葉には共感できず、サウンド面だけをとって「いいアルバムだなぁ」と思って聴いていた。
それが何度か聴いているうちに少しずつ変わってきた。
アルバムの中の母に対する愛を表現した歌詞のところで私は何とも言えない感情を持っていることに気づいた。
その感情を考えたとき、私がどうしても感じられなかった「母」という存在を少し感じられたように思えた。
それは多分、彼女の歌う「母」への愛が私にとって、純度の高い、人それぞれの「母」に対する想いの皮を捲っていった先にある「母」という存在を理解させるものだったから。
私が、母が、お互いをどう感じ考えていようが、変わらないことがあって、それを30年以上生きてきてやっと素直に受け入れられた。
そう気づいて母の姿を思い浮かべると、私が踏み込み切れない何かがあることに気づく。
多分その先が「母」なのだろう。
その「母」は母自身の快活な笑顔が壁になっていて、どうしても私には踏み込むことができそうにない。
ただ、その笑顔が消えたとき、その壁も一緒に消えて、私は「母」に会えるように思えた。
そして、そのとき私は「母」を亡くしたことを悲しんでいいのだと思った。
でも、そのとき私は私側にある壁を自ら壊せるだろうか。