はてなキーワード: 役職名とは
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時勢的な意味でもの凄い時期にもの凄い映画公開されちゃったなって思ったけど、めちゃくちゃ面白かった…!
夏休み時期映画だけど、ちょっと子供向けではないね。きっと読めない漢字の字幕(役職名など)もたくさんあるので。
隅から隅まで庵野監督が作ったんだな〜と思える最高傑作でした…。
じっくり何度も行き来して観たいのでDVD出たら絶対買う事決定。
カット割と構図が庵野監督。完全実写以外(庵野監督の場合はアニメ)の場合だと「カメラが絶対に置けない場所」なんてものはなくて、どんなアングルからでもあらゆる構図が作れるけど、この実写作品でも普通にやってたw
印象づけるために、特別なシーンとして変わったアングルを作ったりってのはあると思うけど、普通にどってことない部分でもそこにカメラ!?みたいなのがいっぱいありましたね。
冒頭、受話器を置くシーンでいきなりそれが始まってめちゃくちゃ興奮した。
戦闘シーンはいわずもがな、それ目当てで観に行った自分としては「やっぱり自分は庵野監督の戦闘シーンが一番好き」って再確認できました。
ここに関してはあんま言わない。
いやいやそんな手法はって思うかもしれないけど、以前ヘリで水撒いてたの思い出したら「使えるものはなんでも使う」のは当たり前ですよね。
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色んな俳優さんがたくさん出てるらしいことは知ってたけど、あの人がこんなところに!とか、えっこの人でてるの!?みたいなのもたくさんあって面白かったw
しかも有名人出して話題性出してやろう根性よりもホント適所適材の配役が多くて、こういう立場の人はこういう顔してそう〜とかこういう偏屈そうな性格してそうだよねって思えてとってもよかった。
配役よかった過ぎて誰の話をしたらいいか…。
石原さとみさんほんと素敵だった。最初ルー大柴かな?って思ったけど全然ですわ。あまり(というかほぼ…)彼女の出てる作品観た事なかったんですけど綾瀬はるかさんみたいなあの世代のほんわか可愛い感じの方なのかなって思ってたので驚いた。
「若く、かつ大胆で、セクシーさもあり、賢くしたたかで、それでも年相応に夢見がちで、残酷になりきれない部分がある」これをまとめて一つにして威風堂々と演じてらした。
長谷川博己さんも似合ってたね〜。そこそこ地位の高めの政治家。かつ主役。もの凄いイケメン顔じゃないところがとってもいい。上司に竹野内豊さん、部下に高良健吾さんだからね、主役までどイケメン顔にしたらどんだけドリーム映画だよって感じ(政治家こんなイケメンばっかじゃないだろ的な)するし、あっさりさわやか・清潔感たっぷりで「こういう若手政治家いるよね」思える。そして長谷川さんと正反対のもろ政治家顔の松尾諭さんが悪友というか信頼してる仲間議員というこの顔の配役の絶妙さ。これは計算されてないかもだけど、部下の高良さんの方が背が低くて、二人が並んだり前後で歩くシーンでどっちが上役なのか視覚的に感じれるのもとてもいい。
余貴美子さんも凄くかっこよかった。防衛省の大臣だよね。そこに女性を置くって配役がまたうまい。ずるいよね〜。硬派な女なんてかっこいいに決まってるわ!
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今まで過去にゴジラ関係の映画みたことないけど、「現実の日本に、ゴジラが攻めて来たらどうなるか?」っていう映画なんですね。
架空の超強力な組織もないし、特別な才能を持った人もいない。学者と政治家がそのとき持っている知恵と人脈と能力を糧に未知の生命体に対抗するって話でした。
すっごい考えさせられた。
未知の生命体を侵略してくる仮想敵国歌に置き換える事はできないけど(なぜなら未知ではないから。軍事力はある程度わかるし。)侵略されるってこういうことなんだな、と思った。
そして有事の際に、政治的方面から見ると自分の国はこんなに弱いんだとも思った。
これは映画だから、実際はどうかは本当のところはわからないけど、3.11の時、どうだったんだろうとは思った。
もしそういう日が来たら、あ、来ないとは絶対に断定できないだってイラク戦争はたった13年前の話しだし、シリア騒乱は2011年から今でも続いてるし。戦争は現実にまだ起こってることだからね。
もしそういう日が来たら、こうなるのかなと思うとホントになんか胸が詰まる思いで魅入ってしまいました。
自衛隊の扱いとかね。政治家は軽く「行け」っていうし、特定の層は抗議活動してるし、それでもまっさきに私たちの為に体を貼って死んで行くのは自衛隊なんだと思うとなんかもうほんとね。たまらない気持ちでいっぱい。
同じ人間で、同じ重さの命なのに「どうしてそこまでできるのか」って気持ちと「親兄弟の気持ちを考えると死んでしまったら悲しい」って気持ちと「意志の強さと尊さに感動する」って気持ちと、とにかく入り乱れてなんとも言いようのない気持ちになってはっきりと理由はないけど、途中から泣きながらみましたよ。
またその亡くなる若い命が斉藤工さんなんですよね。モブじゃない配役最高。有事の際には彼のような男が死んで行くって思ったらほんと泣ける。
なんていうんでしょうか。軍人Aじゃなくて、顔もしゃべり方もこんな感じの人柄もなんとなく知ってる人が理不尽に亡くなるってこんな切ない事なのかと痛感したというか。切ない。
小出さんもそうだよね。ああいう若者が最前線にかり出されるんだなって思った。
凄い考えさせられる。
やっていいルールはあるけど、前例はないから自衛隊を使っていいのかとか、国民が一人でも被害を受けそうなら一切作戦はできないとか。
大義の前に一人の命なんてどうでもいいって意味じゃなくて、ロシアだと普通に人質ごとガス責め作戦実行(モスクワ劇場占拠事件)してたし各国なんだかんだいってそういう風潮あるけど、自国民を守るのが使命っていう信念をどこまでも通し抜こうとするとことか凄いなって思う。
果たして現状、実際の自衛隊にきちんとした立場と栄誉は与えられているんだろうか?有事の際だけ駒扱いじゃないだろうか?悪い意味で日陰者なんじゃないだろうか?
海保・消防・警察と同じくらい尊敬される職業であってほしいな、と思う。
憲法上の存在云々の問題は色んな思想と国際的な問題もあるからそのあたりに関してはなんとも言えないけど、実際の実務としてはなくてはならない職業だと実感しました。
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と、いう内容を含むので右だ左だ強烈な思想をお持ちの方を刺激しそうな…気もするけど、思想のせいで善しも悪しも語って欲しくないなというのが思うところ。
これは、娯楽だから。
あ、エヴァの続編は別に遅くなってもいいです。そりゃ仕方ないよねって思わされる作品でした。
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※TOO YOUNG TO DIE!もめちゃくちゃ面白かった!
※次に見たいのはスーサイド・スクワッド
「生前退位」報道の二転三転により、マスコミの『関係者』記事にイラつく人が増えている。
この、記事に出てくる「政府関係者」という言葉について、数年前(10年以上前かもしれない)テレビで池上彰か辛坊治郎か忘れたが誰かが解説していてふーんと思った。
そこでは「政府関係者」、「政府筋」、「官邸」など、3つの匿名ソース用語について解説していた。
新聞社は、情報元の人物の役職によって、これらソース用語をはっきり使い分けているという。
テレビでははっきりと「この用語はこの役職」と明言していたが忘れてしまった。
内閣府の「政務官」「補佐官」クラスが使われるとか何とか言ってた気がするが。
とまあ、だから「『政府関係者』って誰だよ」って疑問には「『政府関係者』なんだから政府の誰かなんだよ」って答えるしかない。
「だから、その『政府の誰か』を聞いてるんだよ!」って更に聞いてきたら、「政府の一員になってる議員なんて限られた数しかいないんだから自分で考えてみろよ」としか答えられない。
俺の周りは何か大きなことを言うのだが裏には"役職が欲しい"と言うゲスな考えの人間が多い。
あわよくばCXOのポジションに就けると思うらしい。
先日全く興味がないと思われる業種のスタートアップに入社して1年弱のやつと久々に会ったら何か奇妙な役職を名乗っていたので何この役職おいしいの?って聞いてみた。
まだCTOは名乗れ無いので(シリコンバレーかぶれの)社長の提案で奇妙な横文字役職を貰ったとか話している顔が妙に嬉しそうで気持ち悪かった。
仕事内容を聞いてみると開発全般でインフラも見てるとか話していたのだけど、お前インフラの知識なんてゼロだったけど大丈夫なのかなと思い使っているというAWSの話に持っていき結構基本的なVPCとサブネットの話を振ってみたら固まった。
田園が広がるとある田舎町で、百姓の高卒*中卒の間に生まれた。
物心がついたときから、増田はともだちとはちょっとちがう、と感じることが多かった。
クラスの男子が当時のプロ野球選手のことを話していたとき、彼らが抱いていた羨望のまなざし、増田が感じている感覚とは大きく異なっていたと思う。
増田が感じる"かわいい"と、彼女の感じる"かわいい"は限りなく同じものだった。
勉強もできて同じ感性を持っている増田は、彼女と友達にならないわけがなかった。
初めて感じた、あの心の中のざらざら感はもう二度と感じたくない。
失恋の痛みとともに、今まで後輩に感じていた気持ちの正体がわかった。
好きと伝えることすらできなかったあの失恋の経験は、10年以上経過した今でもたまに思い出す。
心の奥がとげのついた紐で強く強く締め付けられるような感覚だ。
親にも、友達にも、学校の先生にも、増田がゲイであることは誰にも言えなかった。
これは墓場まで持っていかないといけないものなんだと18歳の増田は思い込んでいた。
誰にも相談できなかった。
嘘をつくのに疲れていた、嘘なんてこれっぽっちもつきたくないのに。
ひとつ大きな嘘をついているのだから、それ以外の嘘は決してつかないと決めていた。
少しでも増田はこの世の中に存在してもいい人間なんだと思うために、いい大学に入ろうと決めた。
ほかのどの生徒よりも必死に勉強した、帰国子女の転校生にも英語は負けなかった。
当時は回線がISDNからADSLに切り替わりはじめた時期で、インターネットも普及し始めていた。
そしてはじめてゲイの人に会った。
同じ世代の人たち。
初めて会ったゲイの人たちは、みんな自信無さげに下を向いていた。
みんな増田とおんなじことを感じて生きてきたんだ、と思った。
同じく上京していた高校の部活で、とても仲のよかった女子に初めてカミングアウトした。
なんとなくそんな気がしてた、と言われた。
嘘をたくさんついていてごめん、と謝った。
それよりも大切なことを話してくれてありがとう、と言ってもらえた
そして、誰が好きだったの?と聞かれた。
高校時代に失恋した後輩の名前を出した、そのとき「バンっ」と背中を強くたたかれた。
びっくりして、彼女を見たら「辛かったでしょ、よく独りでがんばったね。」とやさしく声をかけてくれた。
増田は大きく頷き、あふれる涙をこらえることはできなかった。
初めてデートして、初めて付き合った。初めてキスをした。初めてセックスをした。
たくさんの初めてを経験した。
増田はこの人に出会うために生まれてきたんだと、本気で思っていた。
しかし、突然連絡が取れなくなった。
そのとき、その人のことをほとんど知らなかったと気づいてしまった。
勉強ができて、難関大学に入れたけど、増田は世間知らずの大馬鹿者だな、と心を開いてしまったことをひどく後悔した。
声を押し殺して枕をぬらした。
数年前にできた古傷が再び開いたようだった。
さらに今回は塩を塗りたくられたような激しい痛みだった。
悔しさと情けなさを紛らわすため、脇目も振らず勉強と仕事に明け暮れる日々が始まった。
あれから10年
大学を卒業し、上場企業に新卒で就職、複数回の転職を経て現在外資系企業のマネージャー職になった。
ゲイに理解のあるノンケの上司や友人たちにも恵まれ、週末にバーベキューを開いたり、一緒にトライアスロンの大会に出たりするようになった。
仕事も趣味も充実していていて、一般的には成功している部類に入るんだろう。
当時の失恋のことは今では増田の中で十八番のネタにまで昇華はできている。
恋愛でこけてしまうとこんな結果になるのか、と自身を以って体感している。
部屋にいると、ふと空虚に襲われる瞬間がある、増田は独りなんだ、と。
「これ買ってもいい?」と駄菓子を持ってとことこと母親が持つ買い物かごにもっていく小さかった増田。
祖父の運転する軽トラックに弟と二人、ひとつの助手席に乗って雨の日に小学校まで送ってもらった増田。
母も祖父も他界し、当時のスーパーも更地になり、トラックも廃車になった。
手にしたものは名前の前に役職名が書かれた英語の名刺、証券会社から定期的に送られてくる資産運用報告書。
ということではない。
(追記)
おっとかぶった。
他の増田が指摘しているように「相対的関係」を「相関関係」と呼んでいるのなら、他の単語についてもおれが考えているのと違う意味があるかもしれない。
そうなると文意をとるのはすごく困難になって、ポストモダンというのはそういうものかもしれないが、解釈にかかるコストが大きすぎるエントリーというのはまじめに読む気がしなくなるものだなあと思いました。
先生 っていったら言ってる側からみて 先んじて生を経験しているもの その分知識があるだろう事
学者 は学ぶもの それ専門にやってる人を学者と呼ぶのは呼ぶ人間がやってると評価していればだれでも学者
評論してもらうために呼んだら紹介するときは評論家の で問題ない
主観的に本人がそう名乗る場合は 局面を選ばず 呼ぶ側の方が候補を探すときのための自称
肩書きに頼りやがって とか偉そうな肩書きだけでとか 肩書きなんかに何の意味が などと思った時点で
その肩書きの術中にはまってる
相関関係の中に入り込んだ気になってる
番組が マスメディアが とか それはそのガラスのむこうの箱のなかの話
気持ちだけその向こうに入り込んだりする感受性の高さは否定的に捉えたりはしはないが 過度なものは感心しかねる
夜のお店で社長やら部長やら呼ばれている人がいることを知らないか
相関関係において相手と自分の関係と立場を言葉で示すのがそれで
本気にしてしまう 他者の分類にのめり込む というのはいささか精神的に健康ではない様子とうけとれる
自分が相関関係のみを頼りに情報の信憑性を求めたりしない場合 学者や先生で情報を検索しないだろう
有名な情報的強者を個人名で特定しそこから情報を得ようとするのではないか
それを相関関係として自分にとって何かを説明するとき 「人生の師匠だ」といった具合に呼称を追加表現することはあれど聴き手にとっては伝聞と他者の評価でしかない
自分の考えたすごい人たちの輪の中に入った気持ちに浸るのはいいけれど それを人に伝えようとしても無理がある
相関関係を上から見た風に語ると 友達の輪の関係を遠目にみつめる孤独な少年のような作風になる
結論として 相関関係を関係ない人間がイメージだけで語るのはふつうにきもい
魔王の血筋で 神の力をもつ少年と 天使の末裔が みたいな 相関関係だけで実態のない展開を第三者的におしすすめる
そういうものを楽しむにとどめておいたほうがいい
テレビを見ながら愚痴ばかりいう人間になると 付近にいる人間は その姿をすごく気持ちわるいと感じる
本人は 語ってるオレかっけえ と思う以外に気づくことがまったくないのが 救えない
そうなるまえに こころの逃げ場を みつけてほしい