はてなキーワード: マウンティングとは
「マウンティングばっかりしちゃって、これだから男社会ホモソーシャルはー」って、自分のことを棚に上げてバカにしまくっちゃってるわけでしょ?
それでいながらどうして「男になりたい」ってそんな無邪気に思えちゃうのか謎なんだよ
男女間の場合はここに「女のくせに」という男性同士では起こらない上下関係が更に一つ出来る訳だから
上下関係が出来てしまうのは競争社会である以上避けられない事だけど「女性である事が由来」の上下関係をフェミニズムは無くそうと活動してるんじゃないかな
男社会の荒波
もホモソーシャルや有害な男らしさとしてフェミニズムの批判の対象になっているし「男社会の荒波」を解体して男女共に生きやすい理想的でリベラルな環境の構築もフェミニストは目指しているように見える
一部の男性嫌悪を拗らせた人に見られる「男性を批判しながら男性のようになりたい」という願望も
多くの女性は「女性として生まれて良かった、男性に生まれなくて良かった」と思わず「もし叶うなら女性じゃなくて男性として生まれたかった」と思う事が人生の中で一度はあるらしい
でも、外部サービスを利用してでも家の中をメンテナンスしてる増田は立派に家事遂行能力ありだと思うよ。利用しても差し障りない収入なら積極的に利用した方が賢いよ。
私も仕事が忙しいので、出来れば私が生活費を支える代わりに「主夫(欲を言えば姓も変えて欲しいが無理めだろうと切り出せていない)」を探すために婚活をしてた。
なので、年収下限なしで片っ端からアタックしたけれど、結果は増田が見つけたパートナーとほぼ変わらなった。
低収入になれば自分の結婚市場価値や身の程を多少は知って主夫スキルを売りにするだろうというのは、「私(女性)ならそうする」という考えを反転させただけの甘いもので、低収入男性の現実は「断固年下、自分が購入できる子産み家政婦」を年収300万円なら300万円で購入したいという考えで
ルックス・収入・アラフォーアラフィフ・再婚歴…などなど…どれだけ一般的な「結婚市場的価値」から不利なマイナスを抱えていても「自分がメイドを購入するご主人である」という意識は変わらなかった。
一人ぐらいは居てもいいのに、ほんまびっくりするほど「自分が家事を担当して生活を支えます」的な文言をプロフィールに書く殊勝な男性は皆無。せいぜい「奥様に協力します」ぐらい。その「協力的」な男性と会って、交際して希望をすり合わせようとしたら「僕はたまに一人でする趣味の特製おこだわり料理は好きだが、日常的な家事としてはする気はないのでおまかせしたい」「親同居前提。ゴミ出しなどは手伝うけど介助はヨロシク」といったもので都度お断りしてきた。
私よりも年収額が100万円ほど低い男性とも交際したけど、それでも同年代男性では平均的な年収の一人暮らし男性のはずなのに矢鱈と「生活が苦しい」を連呼して飯代などを多く出させようとしてきた。割り勘や生活費折半は私もやぶさかではないが、その年収での一人暮らしは自分も経過したからわかる。余程借金があるか趣味にアホみたいな浪費をしてなければ月に二度の交際費すらケチる程困窮するなどあり得ない。のでお断りした。
どうもこちらが平均的な女性の収入より上の職種と見るや、旦那様として女の上に立ち家事労働を女にほぼ任せるという役割から降りないままただただ「出す金が少なくてすむ!ラッキー!」という歓喜を隠そうともしない男性か、そうでなければ萎縮して敬遠するかの二パターンだった。
主夫希望男性専門のマッチングサイトがあれば利用したいと思ってたけど、経験上ヒモ願望を隠しきれない意識の低い男性か、さもなきゃ勝手に「男としてダメな自分」への劣等感をこじらせてそれでも女を支配して搾取する側に立ってやろうと粗探しやマウンティングに執念を燃やす男性の巣窟になりそうで怖い。
ほっとけばいいんじゃないかな。
自分がそうされたこともあるし、自分がそううけとめられたかなと思うこともある。
自分がそうされたときは、説明してもらいたいとか思わなかった。そういうのは他人に対して過剰な要求だと、自分は感じるほう。
どっちかっていうと、自分は誰かに「拒絶」されても不思議はないくらいに考えてる。
自分のほうがそうなったときは、ちゃんと理由はあって、一時の気分じゃなくて、それまでの物事や時間の積み重ねの結果、その決断にいたった感じだった。
もうほとんどわかってて、でもためらってたけど、さいごの一押し来たみたいな。
ふつうにだんだん親しくなったと思ってた人が、気がついたらツンケンしてるとか、マウンティングしてくるとか。ほっとく。
感じわるい人とか、ソフトでも攻撃してくる人なんかほっとくよ。
そのまま疎遠になることもあるし、なんか知らん態度が変わってもとに戻ることもある。それならそれでいい。
みんなまとめてアイドルマスターはもう色々と無理かもしれない。
アイマスという作品は複数シリーズが世代交代無く同時に走っている、良くも悪くも独特な作品である。ガンダムとかもそうなのかもしれないが、そこら辺と違うのはキャラもプレイヤーも男女ごちゃ混ぜにされることがあることだ。
そんなのどう考えても地雷だろって? そうだよ。
自分も今まで長く付き合ってきたけど、時に雨風をしのぐようなこともあったさ。
ただ、最近になって内々の学級会じゃ済まないことが出てきたのでここに書くことにする。
具体的には、俗に言う"みんマスおじさん"からナンパ(もしくはそれに近いことを)されたという相談をこっそりもらうようになったことだ。紹介されて相談されることもあり、名誉なんだかなんなんだかというところ。
みんマスおじさんとは、アイマスの全シリーズみんなを推している(と騙る)おじさん達で、自分個人の印象としては非常にタチが悪い。一点あげると女性の地雷を簡単に踏み抜く。
ナンパの場はリアルならライブ、オンリーイベ、オフ会等、ネットならツイッターだのディスコだのだ。色々な話を聞くにどうもこういう事例は2つに大別できるらしく、
オタク女漁りたい勢(アニメイト付近でナンパしてるような奴ら)
アイマス婚を信じちゃってるやべーやつ
があるようだ。
前者はどうにも避けようがない。他の作品でも居るんじゃないだろうか。もはや事故のようなものと思うしかない。大抵どこのアイドルの名前もあまり出てこないようで、もうどうしようもない。
ただ後者は痛いしやべー。
たまにラジオとかで読まれる"アイマスが縁で結婚しました!"メールを額面のままで受け取り、自分もそうなれると思い込んでいるようなのだ。言い寄られた側としては恐怖しかないだろう。
そして、みんマスおじさんはここに属する。
自分が聞いた被害(?)事例はシンデレラ界隈が多い。圧倒的に多い。乱暴に言うと男性向けコンテンツなため、自分の主戦場だと思っているようだ。
特異な特徴としては、挨拶代わりにミリオンの話題でマウンティングしてくる場合がある。ミリオン界隈の方々には非常に申し訳ないが、そんなん恐ろしいと言うほかない。
(最近の話題としてレイジーレイジーデッキを手に入れたのでそこら辺注意しよう。非常に申し訳ない。)
次点がSideM界隈である。理由は恐らく、女性が単純に多いからだろう。
大抵共通していたのが、木星ぐらいしかロクに知らない。あと涼。会話の取っ掛かりに木星デッキを出してくる奴はほぼアウトと言っていい。
そもそもとして、自分個人としてはSideMのライブに"アイマスだから。"で出張ってくるおじさん連中からしてあまり良く思っていない。混浴の露天風呂に気合入れて入ってくるオッサンのような印象しか抱かない。
どうにかならないものだろうか。
と書き散らしたが自分が相談を受けても、そいつのエアプポイントを列挙した後に、「同作品推しの情は捨てよう。リアルを知られていないなら勇気を出してブロックしよう。」ぐらいしか言えないのが実情だ。
誰かもう少しマトモな対応があったら教えて欲しい。みんながみんなではないだろうが、リアルからの解脱を求めてアイマスに触ってるのに直結するのはどういう精神だ?
ポプマスが出てスタマスがこれからということで、公式からしてみんマスを推してる中、これから被害事例が増えるかと思うと非常に頭が痛い。無理。ガミPたすけて。
ツイッタランド見てたら翻訳が原文と違う!ってキレてる人いたんだけど、そもそもちゃんと翻訳してると思ってるのかな。
興味があることは原文(ソース)読むのは当たり前だと思ってた。当然翻訳者の意図が入るよね。
他人を信用できるほど、騙されてこなかった幸せな人なんだな…あ!これ回りくどい幸せな人生歩んでますよマウンティングか!
やられたンゴ…
「うっせぇわ」という曲が話題らしい。
かなり大きなヒットとなっているらしく、ついには近くのラーメン屋にその音が流れだす始末である。
その時は、
「あのサビの不協和音とかが聞き手にとって良いアクセントになっているのだろう」
と、
音楽素人風情がもやしを頬張りながら感じた程度であったが、どうやらそれどころではなさげな感じだ。
その現状は
・高い再生数
等々々が物語っている。
かなり直接的かつ攻撃的にみえるものであり、厨学二年生的な全能感と痛々しさに溢れているような歌詞である。
大学生の自分ですら「こういった時期あったなぁ」とか少しノスタルジックになってしまった。
歌詞を見る限りは、
いわゆる難関大学を卒業した「社会の優等生」がルサンチマン拗らせてコンプ発症しました
といった感じのシチュエーションだろうか?
もしくは、
あたりだろうか?
嘲罵された、あるいはそう思っているだけの人間」
であるようには感じた。
なんとなく思うのは、
「この曲に気づいてはいけない」
ということである。
内容自体は、尾崎豊やamazarashiなどが
若者の苦しみなどを各々の文学的センスに包んで提供してきた「それ」に類似したもの
かもしれない。
しかし、この曲が圧倒的に違うのは
「汚く品のない歌詞」
とでも言うべきその短絡的表現、そしてレスバトルでのマウンティングのような直接性にある。
「私を見ろ」
と喚いているだけなのかもしれないのだ。
こうなったらどうしようもない。
同じ土俵に立つ(反応する)時点で相手の目的は達成されてしまうからだ。
もし無視しようとしても、あの奇天烈な音階のサビと尊大な発言に否が応でも
「何言ってんだコイツ」
とか
「手前よりまともだわ」
とか
「そんな時期だよねw」
とか
反応してしまう。
しかも大抵は相手にとって嘲笑・侮蔑となりかねない反応である。
共感する人たちからすれば気に食わないものであり、荒れるのは必至だろう。
延焼する野次馬もやってきて、更に注目する人が増える。
そうして「あの子」は色んな人に見てもらえる。
歌い手の方は歌詞のバックグラウンドに共感し、若者として歌ったのかもしれない。
しかし、その歌詞は一般的な「お約束」を踏みにじるかのような逸脱したものだった。
故にたった今、自分たちはこの曲に踊らされている。