せっかくなので、通信メディアの個人史を書いてみたい。自分のブログでやっても良いのだが、わざわざ誘導するのも申し訳ないので増田で書くことにする。あと、前半部分は「通信メディア」の話ではない。
ぼくが初めてパソコンに触れたのは小学校4年生のころだった。当時、既に型落ちだったNECのPC-6001を買ってもらったのだ。当時はまだ「パソコン」か「マイコン」かで名称が統一されていなかった時代でもある。記録媒体はカセットテープ。ゲームをするためにはまず、何十分もかけてロードをしなくてはならない。あとちょっとでロード完了というところでエラーが出たりすると泣きそうになった。
市販のゲームは高価だったので、ぼくは当時の多くのパソコン少年と同じく、雑誌の載っていたプログラムをよく入力していた。姉の使っていた譜面台にパソコン雑誌を乗せ、そこに掲載されたプログラムを延々と入力していく。もちろんミスが多発する。エラーが出ると雑誌とにらめっこをしながら、どこが間違えているのかを必死で探す。デバッグがすべて完了するころにはゲーム自体に飽きているということもよくあった。
当時はまだ、パソコンのメーカーがそれぞれの独自の規格でPCを開発していた時代だった。しかも、同じメーカーのパソコンであっても機種が違えば互換性がないことが多かった。だから、NECのパソコンのソフトがシャープのパソコンで動かないのは言うまでもなく、PC-6001はPC-8001よりも新機種であったにもかかわらず、後者のプログラムは前者では動かない。パソコン雑誌で他の機種用の面白そうなゲームプログラムを見ては悔しい思いをよくしていた。移植をする技術はぼくにはなかった。
その後、中学校に上がると、ぼくのパソコンはPC-8801mkII FRになった。名機と言われたPC-8801mkII SRの後継機だ。記録媒体は5インチのフロッピーディスクになり、一瞬でセーブやロードができるようになった。ただし、中学生にとってフロッピーディスクは高価な代物で、500円で10枚入りという安売りのものを愛用していた。ちなみに、安いディスクだとドライブに入ただけでシャカシャカシャカシャカ…という音がする。仲間のあいだでは「シャカシャカディスク」と呼ばれていた。
せっかくの新マシンではあったが、やはり用途はゲームだった。雑誌に掲載されるプログラムも徐々に高度になり、マシン語を使ったものも多かった。01 C3 AA 90…みたいな文字列を果てしなく入力していく作業はかなりの苦行で、エラーが起きると手に負えなくなることも多く、挫折ばかりしていた。
なお、当時はすでにパソコン通信が始まっており、PC-VANやアスキーネットなどの大手もすでにサービスを開始していた。当初は音響カプラという装置を使っていたのではないかと思うが、詳しくはわからない。ぼくにとってパソコン通信は遠い世界の話で、雑誌でたまに見る程度のものだった。
中学3年生になり、高校受験を控えたぼくは、何を思ったかパソコンで受験勉強をしようと思いついた。受験RPGなるものをN88-BASICで作ろうとしたのだ。街を歩いているとモンスターに遭遇する。そのモンスターが出してくる問題に正解すれば、プレイヤーは経験値を稼げる。最終目標は名門ナダール高校への合格という、ゲームと勉強の両立を目指したものだった。結果はまあ、書く必要もないだろう。世の中にそんな都合のいい話はないのである。
高校に入学すると、ぼくの関心はパソコンから遠ざかっていった。部活が忙しくなったほか、当時のバンドブームにのってギターなどを始めてしまったからだ。無論、このあたりはぼくの黒歴史になっている。
ちなみに、ぼくとほぼ同年代の英国人ライター、スティーブン・プールには『トリガー・ハッピー』(2001年)というテレビゲームの歴史を扱った著作がある。この本を読んでいると、高校時代にゲームから離れてバンドをやるところまでまったく同じだった。ここには国境を越えた何かがもしかするとあったのかもしれない。
しかし、大学受験を前にして、ぼくは再びパソコンに向かい始める。3年前に挫折した一大プロジェクトである受験RPGの製作にふたたび乗り出したのだ。アホだ。予備校の夏期講習を受けながら、頭のなかで構想がどんどん膨らんでいった。
技術は全く進歩していなかったが、根気だけはついていた。ゲームの目標を大学合格に切り替え、パソコンのメモリの少なさに苦労しながら様々なアイテムやイベントまで用意した。しかし、言うまでもなく受験には全く何の役にも立たなかった。大学受験が始まる数日前、ほんの気晴らしのつもりで始めたドラクエ3を受験日程がすべて終了するまでにクリアしてしまったのが悪かったのか、1年目のぼくは受験に失敗し、浪人生活に突入したのである。
1年間の辛い浪人生活を経て、ぼくは東京の私立大学になんとか滑りこむことに成功した。入学式当日、知り合いの誰もいないキャンパスを一人で歩いていると、同じく新入生とおぼしき一団が歩いていた。彼らの一人が「あいつのポケベルの番号、いくつだっけ?」と言うのを耳にしてぼくは衝撃を受ける。東京の学生はポケベルを持っている!ぼくにとってポケベルというのはサラリーマンのためのツールであって、普通の学生が持つようなものではないと思い込んでいたからだ。
入学式の時点でグループができているということは、彼らはおそらく付属校か東京の進学校の出身者のグループだったのではないかと想像する。この時点ですでに情報メディアの利用をめぐってかなりの格差が生まれていたのかもしれない。
いずれにせよ、その後のぼくの生活にやはりポケベルは無縁だった。女子高生のあいだでポケベルが流行っているというのも別世界の話題だった。女子高生の妹がいる友人によると、メッセージが来るとすぐに返信しないと仲間はずれにされかねないということだったので、それはそれで大変そうだと思ったのを記憶している。
その一方で、大学に入学してから、ぼくは固定電話と大変に仲が良くなった。一人暮らしを始めたこともあって、友人とよく長電話をするようになったからだ。コードレスではなかったので、硬い床に寝転がりながら何時間も話をした。「いやー、今日はよく話したよね。ところで、いったい何を話していたんだろうね」などと会話を振り返り始めることで会話がまた長くなるという、まったく生産性のないことをよくしていた。ただ、こうした長電話はぼくに限った話ではなく、わりと一般的に行われていたのではないかと思う。一人暮らしの寂しさを紛らわせるうえで固定電話は重要なツールだったのではなかろうか。
あるとき、風呂にお湯を張っていると、たまたま当時好きだった女の子から電話がかかってきたことがあった。話しているうちに浴槽が一杯になった。コードレスではないので電話をしたままではお湯を止めにいくことができない。だが「お湯を止めてくる」と言えば、電話を切られてしまうかもしれない。そのため、浴槽からお湯が溢れるのをただ眺めながら会話を懸命に続けていたことを思い出す。
ぼくが「インターネット」という言葉を初めて聞いたのは国際政治の授業だった。大学2年生のころだったから1994年のはずだ。日本でもインターネットの商業利用は1992年にすでに始まっていたが、パソコンに関心を失っていたぼくには全く無縁の話だった。大学のパソコン室でタッチタイピングは修得したものの、授業で履修したC言語はあっさり挫折した。数学が果てしなく苦手だったぼくは、理解できない数式をパソコンに解かせるという作業について行けなかったのだ。
大学2年生の終わりごろ、ゼミの選考があった。メディア系のゼミを志望したせいか、志望者には新しいもの好きが多かった。面接の待機場所では多くの志望者が携帯電話を持ち、お互いの番号を交換していた。衝撃的な光景だった。彼らは無意味に相手を電話にかける遊びなどをしていたので、単に見せびらかしたかっただけかもしれない。
しかし、ぼくが携帯電話、というよりPHSを購入したのは大学4年生も終わりに差し掛かったころだった。1996年から1997年にかけて携帯電話・PHSの普及率は25%から46%に跳ねがっているが、こうした指標では若者が先行しがちなことを考えると平均的か、やや遅いぐらいではなかったかと思う。
当時は街のいたるところでPHSの安売りをしていた。今川焼を売っている店でさえ扱っていたぐらいだ。PHSを1年ほど使い、その後はドコモの携帯電話に切り替えた。通話が途切れやすいという難点はあったものの、PHSのほうが音質は良かったのではないかと思う。
他方で、大学3年生になると、ぼくは再びパソコンに関心を持つようになった。1995年、ウィンドウズ95が発売された年である。「インターネット」という言葉が急激に人口に膾炙していった。大学のパソコン室で友人に電子メールを送るようにもなった。当時はメールが来るだけで嬉しかったものだ。ブラウザはまだモザイクを使っていた人が多かったのではないかと思う。しかし、当時のぼくはまだブラウザという概念を理解していなかった。周囲のひとが「モザイク」という言葉を口にするたび、それはエッチな何かなのかとあらぬ妄想に浸っていたのだった。
ともあれ、エプソン製のノートパソコンを購入し、自宅からインターネットに接続するようにもなった。大学の授業でホームページを作ったという友人に刺激を受け、自分でも卒業の直前ぐらいに朝日ネットでホームページを立ち上げた。いまでもそのアドレスにはぼくのホームページが置いてあるので、もうかれこれ20年近くになる。先日、インターネット・アーカイブで自分のページを探してみたところ、16年ぐらい前まで遡ることができた。若気の至りというのは本当に恐ろしいものである。
もっとも、ぼくの目線からすると、当時のインターネットはそれほど面白いものではなかった。今ほどに情報が充実していたわけでもなく、それを探すためのスキルもなかった。ぼくにとってインターネットよりも面白かったのがパソコン通信だった。当時、すでにパソコン通信の時代は終わりつつあったはずだが、それでも見知らぬ人たちとやりとりをするのが面白くて仕方がなかった。もちろん喧嘩も多く、罵り合いをなんとか仲裁したいと思いつつ、結局はうまくいかないということばかりだった。
ぼくが参加していたのは朝日ネットのフォーラムだが、恐ろしいことにいまでもログインすれば当時のログを見ることができる。「ネット上からはとうに消え去ってしまったはずの今なき父親の情報が、パソコン通信のログに残っていることを主人公が発見する」というフィクションを考えていたのだが、興味のあるひとは使ってみてください。
その後、パソコン通信は急速に退潮し、インターネットの時代が本格的にやってきた。ネット上で怪しい情報が飛び交うサイトがあるということを最初に教えてくれたのは知人だった。言うまでもなく「2ちゃんねる」である。それ以前にも「あやしいわーるど」や「あめぞう」といった掲示板はあったはずだが、それらはぼくの全く知らない領域の話だった。
…と、ここまで書いて力尽きた。ここから先は特筆すべきこともあまりないので、唐突ではあるが、このあたりで終わろうと思う。ずいぶんと長くなったが、最後まで読んでくれたひとは果たしているのだろうか…。
それ誰が言ってる?
男性ホルモンが筋肉量の増加に大きな影響を与えているからなあ。
同じように鍛えても同じ結果になるとは思えない。
「統計取れよ!」ってエントリに「俺の周りでは」っておちんぽなトラバ飛ばしてたから「そりゃ違うだろ」と言っただけで
どのくらいおちんぽかっていうと
「はい買ってきました。冷たいので良かったっすよね」
このくらいおちんぽ
たとえが悪いのは認めるが俺の脱力感は分かって欲しい
出会い系サイトでエンコー募集してるOLが、そのサイトでは珍しく頭悪そうでない普通の文章で募集してたからエッチしたくなったけど、明日仕事だしもう時間遅いしとかいろいろ考えてたらエッチしたい気持ちがなくなった。
金を使わずにすんだわ。
東大生OB、一学年に2,500人ぐらいしかいない(狭義の男性という意味のOBなら)。
それが、文系・理系、全部の専門に振り分けられるんだぞ?例えば、自分の卒業した学科は、一学年30人弱だ。
もともと本当に存在したのかすら分からず、読み合うことによって自己増幅しているっぽい空気を読み合って、自縄自縛に陥って滅亡していく、ってすごく日本っぽいな
一応、エストニアではやったことがある。
一回しか投票できない制度にすると、大勢を脅してパソコンの前に座らせ、自分の好きな方に投票させる奴が出てこないとも限らない(というか、絶対出てくる)。
最近のLINE Qというアプリを入れてみた。LINE関係なので利用者の年齢層はわかっていたけど予想以上にひどい状況だった。
LINE Qは2013年12月5日にサービスを開始した。知恵袋よりも手軽にそして、Twitterのような感覚で使えるサービス。
まずはじめに、知恵袋でいう知恵コインが一定数貯まるとLINEのスタンプを購入する時に使えるコインや現金に換金できる仕組みがある。
この仕組みによってユーザーが増えていると言っても過言ではないだろう。
ただし、換金するためには30000ポイント以上貯めなければいけないし、1ポイント=0.1円なのでそう簡単には換金できない。
一気に稼ぐために「私に聞いて」という機能がある。ただ、私に聞いてと言っても答えるのはネットでかじった情報なのであまりたくさんの質問付いているのを見たことがない。
まず、質問者は一切自分で調べる気がないし、LINE Qに同じ質問があってもそれを参考にしようともしない。
賢い回答者は自分で定型文のようなものを作ってピッタリ(ベストアンサー)をつけてもらっている。
内容の多くが、
自由の翼フォントが何故か大人気でしかも製作者のページではなくそのフォントが使えるアプリを紹介する。
自分でttfファイルをフォルダに入れる気はないし解凍する意味を知らない。
違法アップロード動画の在処を堂々と聞くだけでなく、投稿されているサイトまで指定してくる。
ググらない
スクショ付きでそこに答えが書いてあるのになぜか聞く。自分のために回答されたものでないと信じられないのだろう。
魔法石800個プレゼントのようなアプリのスクショ付きで聞いてくる。そんなうまい話はない。こういう層がいるからなくなならないんだなぁと実感。
工夫しない、なんでもアプリで出来ると思ってる。Photoshopなどの高度な画像編集ソフトですることもスマホのアプリできるはずだ信じている。
比べるものが違う
著作権とか肖像権なんて知らない。「利用にあたっての約束」という利用規約やネットのマナーを小学生がわかるくらい簡単に説明しているページがあるのに読まない。
未発表情報や未来のソシャゲのイベントの予定なんて教えられるわけがない。
このような質問をユーザー名を出さずに「匿名」設定でする上に回答がつかなければ削除してもう一度質問する。自分の思ってたこと違う回答がついても自分の考えと同じ回答が来るまで質問する。
「ヤフー知恵おくれ」と言われる知恵袋よりもひどい。LINEのトラブルや依存も問題ではあるが、調べる前に人に聞き、そして反論は受付ない。もしかしたらLINE QはTwitter以上の性能を持つバカ発見器になるのかもしれない。(もうなっているのかもしれない)
【どうでもいい追記】
これは増田がこのWebサービスの本質をわかってないのでは。これって人力のSiriでしょ?Siriには何回も同じこと聞くよね?「この前教えたやらろググレや」ってsiriに言われたらどう思う?
その通りだと思います。ただ人力のSiriとは言えど、Siriのような的確な回答がついている質問は少ないです。回答者が小中高生なので仕方ないですが、間違った情報を「何人もこう言ってるからそうなんだー」と思ってしまわないかという懸念です。
スマホが普及したことによって今まで見えなかったものが見えるようになったのかもしれません。
この層を相手にいかに商売をするかがネットで儲けるために重要なんですかね。
そういえば人力検索はてなっていうサービスがありましたね。今どうなってるかしらないですけど。
LINE Qはパソコンのブラウザでも見れるので、スクレイピングして、文章内の単語から内容を推測して定型文を自動投稿するbotを作ったらガッポガッポかもしれないけど技術もないし運営に怒られそうなのでやりません。
【最後の追記】
予想以上のブクマがついたので説明したいのですが、まず私はおっさんではなくただの高校1年生です。前々からLINE Qの質問内容も見ていましたが「さすがにこれはどうなのだろう?」と重い一石を投じたくて記事を書いたつもりが大岩を投じるような感じになってしまいました。父親の影響でDSiでインターネットが見れるようなった頃(小学5年生くらい?)からはてブを見てきたので煽りすぎるタイトルや大げさに書きすぎてしまった部分がありました。ただ言いたいのはこのLINE Qを潰したいとかそういうことではなく何かいい方に進むきっかけになってほしい気持ちでこの記事を書いたことです。
花の蜜なんて先走り汁だよね
歴史的な経緯があるとは言え「豊かな香りを楽しむ」とか言ってる喫茶店が喫煙可な店が多いのは、全く理解が出来ない。
副流煙が体に悪いのは当然として。
脂の落とし過ぎが良く無いって人もいるぞ。
何度かやってみたけどINTP型にしかならん。