お店にっつーか、キャバクラなんかだとこっちに転嫁してくるからなー。カードで払うと10%とかへーきで乗っけて来たりするんだこれが。
(本当は加盟店規約違反らしいけど)
何人かで行って何万とかの会計になるとこれが意外と馬鹿にならんのだ。
まぁそういういかがわしい店には出入りしないのが一番、というのはあるけれどもw
昨日『今、この顔がスゴい!』で紹介されていた玉城ティナのモデル飯。
1日3食の総カロリーが1000以下で栄養面は十分に考えてるから大丈夫的なテロップ。
15歳がそれで大丈夫なわけないよな。痩せてる事が絶対の美しさみたいな放送は酷いね。
クレカ決済はそうじゃないじゃん。決済時点でお金なくても与信の範囲で一時的に借金するみたいな感じで払えちゃうわけじゃん。それに抵抗があるんでしょ。
皆さん、オナホは好きですか?
僕はオナホが大好きです。でも象さんはもーっと好.....
.........
僕はカップ型はもちろん、大型オナホから終いには電動オナホまで持っています。
それを友人に話したら『そんな高いの、金もったいなくね?』と言われました。
でも風俗に行くよりかは圧倒的にコスパがいいと思うのですが....(まぁ手でシコるのが一番安上がりですけどw)
カップ型は安価で手が出しやすく購入する方も多いと思いますが、みなさんはやっぱり電動オナホとか、そんな高いオナホなんてイラネってことなのでしょうか?
現金払いって高い買い物するときどうするんだろう。何万~何十万とか持ち歩くんだろうか。
「そういうときは振込みにする」っていうのかもしれないけど、それなら別にクレカでもいいわけだし。
クレジットカードって基本的に保証ついてるから、スキミングとかで使われたとしても気づけば大丈夫なわけだし。(気づかなくても今までと明らかに違うような使い方ならカード会社から連絡くるし)
現金払いのいいところって、振り込め詐欺とかにあいにくい。。。くらいだろ。
いちいち「ATMでお金下ろさなきゃ」とかいってしょっちゅうATMに行ってるのを見ると、時間的損失の方がでかいのにバカだな~と蔑んでしまう。
トータルコストっていう考え方ができないオツム。
集団行動中にそれでみんなを待たせたりとかもね。
ネットで振込できるサービスも申し込んでるのに、いちいちATM行ってお金おろして代引きで受け取るとかやってるアホ。
お前にバカにする資格はない。
有名な古典SFのタイトルで、聞いたことはあっても、実際に読んだことはないって人のために。10年以上前に読んだ切りなので細部はごめん。
一応ネタバレ。
放射能がアレして地球には生物が住みづらくなっている。人類は火星を開拓中。
この時代、生き物を飼育することがステータスであり、社会人の義務であるという風潮がある。しかし、生き物は馬鹿高い高級嗜好品でもあり、簡単には手に入らない。
・
主人公は飼っていた羊を死なせてしまったが、近所にごまかすために羊型のロボットを世話している。ところがこいつも調子が悪い。見る人が注意して観察すれば本物ではないことがわかってしまう。これは恥であり、避けたい。誰かが気づく前に新しい生き物を飼いたい。気にしすぎて夢にまで羊のロボットが出てくる。
これが『電気羊の夢』。
さて、主人公は保安官というか賞金稼ぎを仕事にしている。犯罪者を捕まえるのではない。対象は、火星から逃げてきたアンドロイド。
不気味の谷さえはるか彼方に置き去りにして発展した技術は人間と区別が難しいアンドロイドを作成しているのだが、高度すぎて、環境に絶望の上、殺人を起こして地球に逃避。
これを発見、破壊すれば一体ナンボの報償金がもらえる。今回は6体のアンドロイドが紛れ込んだ。全部やっつければ新しい生き物が買えるぜ。
こうして主人公は六体のアンドロイドを追っかけることになりました。
が、アンドロイドがやたら人間くさい。対して人間味のない人間もいる。
アンドロイドは人間社会に溶け込むため、自分を人間だと称するが、中には自分を人間と信じて疑わないアンドロイドもいる。
さて、主人公は考える。
元になった調査は遺伝子的なものより環境因子に着目してるんだね。面白い。
まぁ心理のような高度なものであれば、遺伝的要因より環境因子疑うわな。
精子の老化で自閉症がー、って意見が散見されるが突然変異でピンポイントで自閉症発現させるかね、って思ってた。
http://anond.hatelabo.jp/20130510010751
脳内には「ドーパミン」という向精神剤に似た成分が自然分泌されます。
しかしドーパミンに依存してしまい、ドーパミンを大量分泌させるために一生懸命になり、
日常生活にまで支障が出るようになると、もう立派な依存症です。
アルコール、タバコ、コカイン、大麻、その他のドラッグ類への依存状態とあまり変わりません。
以下の項目に当てはまるものが多いほど、恋愛依存症の危険性が高いです。
恋人にあうために、仕事・学校・人と会う約束などのスケジュールを反故にしたことがある
恋愛に多くの時間を費やしすぎて睡眠不足になることが、何日も連続してしまう
向かい会わなければいけない嫌な問題から逃げるために、恋人に連絡することが習慣化している
会社や学校のパソコンなど、禁止されている場所でも我慢出来ずに恋人に連絡てしまう
恋愛的なイメージが考えを支配して勉強や仕事が進まないことが頻発し、職場での評価や学業成績などが危機的状況に陥っている
恋愛を得られるコンテンツを見ること以外に、これといって趣味・ストレス解消の手段が無い
恋愛産業が広がる前の恋愛は、探してお金を支払うことをしなければ入手できないものでした。
そのハードルの高さが、多くの人の依存症化を防いでいたと考えられます。
をあえて探さなくても、一般サイトに恋愛産業による恋愛的な広告バナーが貼られていたりもします。
普通にインターネットをしているだけで、私たちは繰り返し連足のイメージを喚起させられます。
たまたま嫌なことが起こったときに、気軽に連足に逃げさせ、ついには依存させる仕組みになっています。
この依存症の正式名称は「連足依存症」です。恋愛が一つのくくりで語られています。
恋愛為依存は、タイガー・ウッズの多重不倫の例などが有名です。
恋愛依存の結果として、不倫以外にも性病、望まぬ妊娠、売買春、痴漢、強姦、性的虐待など数多くの問題が起こります。
よって、精神医学会でも問題にされがちなのはこの恋愛行為依存のほうです。
恋愛によるドーパミン依存の場合、人と関わらずとも依存対象を得られます。
よって、ドラッグの治療施設のように依存対象からの完全隔離を行うことが出来ません。
ユタ州にある施設では恋愛依存症患者の治療が行われていますが、
そこで得られた結論は、恋愛依存の治療はコカイン依存の治療よりも難しいというものでした。
恋愛コンテンツは、コカインのように身体から完全に出し切ることができません。
人と関わらずに依存物質を自力で生成できることは、依存の発覚の遅れにも繋がります。
「なぜか人付き合いを絶ち、ネットばかりするようになった」
こうした「理由のわからない引きこもり化」で、混乱している家族が居ます。
それらの原因のうちのいくらかは、恋愛依存であることが考えられます。
日本では「非モテ」という流行があったようです。恋愛行為を自主的に一定期間禁じるというものです。
「非モテ」の効果として「頭がすっきりする」「やる気が出る」「集中力がアップする」等がよく挙げられますが、
これは実際には「非モテ」の効果ではなく、「恋愛依存状態から脱却できている状態」…
…つまりそれが本人の「普通の状態」であることが考えられます。
「非モテ」をしても、何も変わらないという報告もあります。その方は、元々依存状態では無かったのでしょう。
とでも考えたほうがよいじゃないかな
件の動画をUPしたユーザーはmy日本奈良県コミュ二ティ動画制作部(http://www.youtube.com/user/qqqqcccqqqq5678)
で、統一協会(統一教会)とつながりのある団体らしい(http://blog.livedoor.jp/googleyoutube/archives/51771407.html あとはてブも。http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/googleyoutube/archives/51771407.html)。
共依存ねえ。
家族が生きる支えだ、って人珍しくはないとは思うが。
共依存って悪いことではない気がするが、悪いニュアンスで使われてるよね。
親が子を溺愛して、子が親の庇護を受けるのも共依存だし、
妻が夫を支え、夫が妻のためにばりばり働くのも共依存だし。
それが順調な時だけではなくて、「病める時も貧しき時も」妻の存在があるなら、それを励みに再起するよう努力できるんじゃ、と俺は思ったわけだが。
元増田も妻子がいればまた違ったんじゃ、と思ったわけだが。
女性ホルモンであるエストロゲンの分泌過剰および生理の際に分泌されるプロスタグランジンの分泌過剰が原因ではと考えられるのですがなんでも難癖つけりゃいいってもんじゃねえぞ。
①
>これはそういうゲームなのです。
ゲームは現実を基礎として可能性や実現度に関して人間の知覚において擬似的に体験させることで快楽を得る嗜好の形態です。
現実がゲームに似ているのではなく、ゲームは現実を基礎として現実の世界において存在できるように作成された商品です。
ゲームが現実の下位クラスであることを認識するには大人になって感覚による知識などを得ることが必要ではないかと想像されます。
現実のルールを基盤にしていないゲームがなにかひとつでもありますか。
たとえば「夢」は現実にはいまのところ存在していませんが、夢と似た構成のゲームがありましたか。
「Aさんに声をかけたらBさんだった。Bさんはカエルで、私は橋を渡ろうとしたら足元が崩れてちがう商店街に移動して、お店で飲み物を買おうとしたらそこは実家だった。実家は農家でまわりに民家はなく。」
みたいなストーリーを自分自身がたった一人体験したという以外の話を、夢という記憶に近い情報を共有できていない現在の段階で聞いたことがありますか。
現実のルールを基にしてはいますがそれをゲームという感覚で共有しようとしている行動自体が「夢みたいなもの」ではないですか。
あなたの夢見た世界を現実にする手段としてはゲームがあると思いますが、世界はオーナーもメーカーもユーザーも無いですよね。
世界を支配しているのは特定個人だ、という「夢」も抱くのは自由です。それをおしゃべりして受け入れられる友達は、社会に出たら数が少なくなっていくのではないでしょうか。
②
>これから数十年後、日本の子供達は公務員の家族の子供がメインになります。
匿名掲示板で自由を謳歌されているようですが、匿名なので個人について意味はありません。どれが僕の文章ですと開示いただいた分だけをまとめとして情報を総合的に得ますがさらに他にも文章があったりまたは他人の文章を項目に加えても判りようがありません。
それを踏まえて匿名の方が特定個人や団体を指摘しても「フィクション作品にでてくる団体が実在しているか、またはそれらを具体的に指摘しているものか」という価値観には疑問を匿名である私個人は抱きます。
もちろん今後それが発生するか、その市場規模はと思い図ることができる情報でないことではあります。歴史上成功例があるから効果があるだろうというのは意味の無い発言ということになります。
では転じて意味のある発言と考える候補とすると「歴史上成功した例を私が実際に取り組み始めます。この結果がでることは自分は確信しております。」ということになります。
実行すること自体にのみ「意味」という他人の評価を得る結果を生成します。
行動すれば結果はでる、だがしないまたは行動しても結果は目に見えているという情報そのものはその時点で情報としての役割を終えている末端消費商材ですので、情報を得た時点で取引が終了しているものと同等の価値、転売時にどれほどの価値になるであろうかと考えます。
特定の業界を席捲した成功者がいかにして市場の全てを掌握できたかという伝記本を情報として販売したとしても、その業界にはもう他者の立ち入る隙は無いという裏づけ情報を手に入れてもその市場に入るための手段に自身の研究として使う以外、転売したりするときに本の値段以上の価値が発生するものでしょうか。
これからの時代、これがメインになる、これが大多数になるであろう、こういう流れになる、はどの業界のどの部分がどういう方向になるのか、ただ大きなタイトルをもってきて「こうなる」というのでは「大きな船は遠くまで旅ができる、しかし小さな港につけることはできない」といったなにやらすごい発言のようですが実際の船を所有するオーナーはそんな名言を教えていただかなくてもわかっている話で実際そういった条件を前提に行動をされていくことと思います。
この文章をはじめ、なにがどうなるというのを行動もせず発言すること批評すること、批評について賛同者に実行者を含めない場合または評論自体が感覚として自身が認識したことを羅列するだけでは「自分の感覚を自己紹介しているだけ」ということになります。
自己紹介自体には自己という存在を相手に知らしめることとして十分な意味がありますが、匿名である状態での自己紹介にはなんら意味はありません。
②が文章の大半を占めるので、お伝えしたい内容のほとんどになりますが最後に
日本、世代、現実、経験、理論などはご感想に述べられていることについてご自身と、お話をされていることとに一切関係がありません。
世界のなにがどうなっても、いつもどおりの仕事をしていつもどおりのお給料をもらって、いつもの買い物にいったらいつもと違っていてショック、ということになるかと思いますがご自身には変化が一切なく供給されるものについての変化にご自身が感想を抱くだけで、それはご自身単体の感想です。
「世界が変わったのにみんな何にも思わないのかよ俺だけが世界の異変に気付いているのかよ」とかフィクション作品にまみれているという雰囲気がまた未成熟さを感じさせるのだと思いますが、大人になればそこまでピュアな心を維持できません。
他の方がとくに顔色を変えずに消費税が割り増しされた商品を買っていく様子をみて「社会がおかしい」とかよりも自分の家計と会社の残業時間を鑑みることなどを一例にしたいと思います。
自分の残業時間で生産された商品が流通市場の何割り増しになってコストをいくら下げて売上がどれほどあがってそこからの納税分で社会サービスがいくら向上して社会がよくなるとか、考えなくても日々の業務を懸命にすることで成果はでるはずなので考慮する必要も意味もありません。
そのうえで労働と対価と社会性についてご自身の環境を疑問に思うことがあれば、発言の方向性はまたちがったものになるのではないかとおもうところから「社会生活が充分ではないのではないか」という感想を受けることになるのではないでしょうか。
総理がバカで右翼で経済が滞って日本人の意識が低くて戦犯で商品のレベルが下がった、とそういう見識をお持ちだとお話をされてなにがどうなるのですか。
だれが、どうするのですか。
ご自身が満足する以外に、ご自身が満足するためだけに自分のストーリーを人に「そうだね」といわせしめんとしている以外が、なにか文中に存在していましたか?
教育現場では「うんそうだね」とは言われなくても実際に今後行動する指針や論理の基盤としての知識をできるだけ記憶の引き出し上部にもってこようと繰り返し伝達したり、行政は「うんそうだね」という書き込みだけではなく実際に生産、消費、成長を促すことを紙切れに書いた文字や電子の塵にしないように印紙をはりつけて価値のある物質として約束を物質化したり発言を物質化したりしていますが、末端で消費する個人は自身の時間や身体能力などを消費して自分自身を切り売りしなくてもよい備蓄を得て、それを交換に他人の生産物と交換していますが、ご自身は消費するだけで他人から金銭を必要とするような生産、再利用性や価値を文中のどこに含まれていたかを考えて、「無料で匿名なのに再利用価値がある情報だ」という評価を一人の対話者から得ていることで「一人からは義務教育以下の消費行動である」と認識されている可能性があります。
世界に問題があふれているなら、解決してください
それをしている大人がわるい、というならだれが悪いのか、だれと話をしてどういう方向にすすめれば問題は解決するのか、個人名または団体に発言者ご自身が依頼できる数の案件を挙げてみてください。
たとえば、日本は最低でなんの価値もなくて失敗ばかり、なら日本以外の成功している国に移住してください。
移住できない理由について、移住を許可しない人間の名前と、移住を許可するための条件を教えてください。
移住先が見つけられないのであれば、日本よりよい国の条件を挙げてみてください。
また日本をよくするのであれば、誰がどうするかという意見はもちろん重要ですが、その人たちを動かすための方法とコスト回収方法を教えてください。
それらを解決しましょう。
移住したいがお金がない、とかあるかもしれませんがそれならお金を稼いでください。
どうやったらお金がかせげるか、それをご自身で考えるのは大人であれば必要だと思いますし、しろといわれたことをするのであればご自身の生活を24時間ソーシャルメディアで流せばいいのではないかと私は意見します。人にいわれたことに隷属しねぇ、とか言われるのでしたらご自身で考えてください。ご自身でお金の稼ぎ方が思いつかないのであれば、それがご自身の「国内での価値」なのだと思います。
「そういうのはわかんないんだけど、雰囲気として自由じゃないなーってゆうか、なんかもっとでかいことしたいし。俺を満足させられない世間って、俺さえも満足させられるようにするってことが社会じゃない?」
とか、権利は主張して責任、責任といっても「なにかしろ」という命令ではなく「自身に対する入金先の明示と、交換する有価物の項目を明示する」ことを責任と称しその責任を放棄している状態を「中学生みたい」と言われているのではないでしょうか。
買えもしない車の乗り心地を評論したり、いやなら出て行ける店に居続けて文句をいったり、こうするともっとよくなるという意見について実行内容に一切加担する要素がない状態のことを「きみのその行動をもし実際に行うとしたら、君ではできないので他に代理として行う人がいるのか」という状態を保護者つきという状態と表しているのではないでしょうか。
大人さんの方でしたら「税金、おさめてるし」以外の社会参画とご自身で取り組める改革についてご意見を発してみてはどうでしょう。
子供の方でも税金は納めてらっしゃいます。もちろん保護者の方のお財布から。
保護者の管轄化にあることが「子供」と評価される基準で年齢や容姿ももちろん含みますが「親に生活を維持してもらっている状態」を何歳になっても「子供」だと評価されることもあると思います。
子供である場合は「保護者の生活がよくなりますように」といった意見の出し方が理想的という基準からも「子供」と揶揄するにあたって、評価者の見解から小学生やら中学生などといった表現をすることがあるかもしれません。
仕事もお金もなくても、デモには参加するとかいう人も、いると思います。
行動だけじゃない、言葉にも意味がある、というのであれば公証人役場にいって印紙を貼るべきです。
有料サービスのWebメディアを使うことでも、それなりに価値はあるのではないかとも、思います。
この「私個人」という匿名の相手に対して一言一句、ご自身の感想を述べるのはご勘弁いただければと思います。匿名の私とあなたがなにをどう交流してもお互いにも閲覧される状態にも何も意味がありません。
私自身も、匿名のアノニマスダイアリーという日記をつかって自分の文字を自分のために書いただけであって、お返事を全文引用されて書かれても拝見できませんしお返事も差し上げることができないと思います。
もし返事をされても匿名ですので、返事を「送った相手からの反応」という事実としてお返しすることができません。
もちろん「私はこの文章があなたのものだと確証しているので、こう書いた」と「日記」に「自分の思い」を書かれるのはご自由です。
重ねて「そんなことはない、俺は大人だ。」という主張をする方法として挙げたいのは「ご自身の社会参画と憂思する案件に対するご自身の取り組みの紹介」を用いるで、指摘された「存在理由をビーコンのように発するのは出席簿に返事をする学生みたいなもの、哲学的にハイと返事しようが理化学的にハイと返事しようが大人は子供の夢想をにっこりわらって処理するだけ」を回避できるのではないかと、私は思います。
人に見せたりしない日記に、誰かや何かに対して、どうしたほうがいいとか、書いたりしたこと、ありますか。
匿名の日記が「日記」であることは、ご自身のためだけに記録する媒体であることを意味するにちょうどよいタイトルなのではないかと感じています。
アノニマスダイアリー自体に閲覧数が多いからそこに便乗して自己を個人として紹介していっても、だれにも見せない日記に本当の俺はちがうんだといくら書いてもというそれに似ていませんか。
世界を変えるにはまず自分から、その自分のために自分以外の書き込みもある日記という存在はなんだか有効に活用できそうではないかと、私は感想を持っています。