はてなキーワード: 比較優位とは
せっかく化学の専門性があるんだからそれと組み合わせたプログラミングをやるのがいいと思うぞ。
・化学のシミュレーションプログラム(詳しいことは言えないが化学物質を製造する装置の発熱のアレコレを計算するプログラム。一見難しそうだけど実際は既存の計算モデルを再現するように四則演算をwhileで繰り返しているだけの100行くらいのチンパンコード。でも仕事にはそこそこ役に立った)
こういう単純なのから初めて、シミュレーションをまじめにやる方向に手を出せば有限要素法とか色々科学技術計算の知識が必要になってきたりするかもしれない。
電卓とか大富豪とかそういう、他分野の専門性が無いただの情報系人間やプログラミング好き中高生でもできる話は、勉強としてやるにはいいけど、スキルとしてそっち方面に振るのはどうせプログラミングキチガイには絶対勝てなくて比較優位が無いのでおすすめしない。
有能な弁護士Aは、弁護士の仕事だけでなく、タイプを打つ仕事も得意だったとする。秘書は、弁護士・タイプの仕事において、弁護士Aより不得意である。更に、秘書はタイプはそこそこできるが弁護士の仕事はほとんどできない。しかし相対的な比較として各自の弁護士の仕事の能力を基準にすれば、秘書のタイピング能力は弁護士Aより優位であると見ることができる。このような場合、弁護士Aは弁護士の仕事に特化し、秘書にタイプの仕事を任せる。それが、弁護士・タイプの仕事が最も効率よくできるからである。
弁護士がタイプを打つと、弁護士報酬という機会費用を捨てることになる。弁護士がタイプを打つのは、恐ろしい機会費用がかかっていることになる。秘書がタイプを打っても、機会費用は低い。無駄な事をしない=何がトクかを常に考える(時間でも費用でも)ことが、「比較優位」を実践していることになる。
自分が他の誰よりも得意なことが無いとしても、自分の中で得意なこと(かつ他人が依頼する需要があること)に特化すれば、それで十分稼げるよ
いわゆる乳母だよう・ゔ・ぁ。
子どもからしたってウンチ漏らしたぐらいでカーチャンから「疲れてるのにqわせdrftgyふじこlp;@:「」って言われてトラウマになるよりは育児全部他人に丸投げしてたまに可愛がってくるぐらいのが丁度いいだろ?
どうせ社会には行き場を失った氷河期やメンタル崩壊学歴職歴ボロボロ族が溢れてんだろ?
ソイツらにやらせようぜ。
会社に居続けたほうが活躍できる人間は出産しても会社に居続けて、普通の会社に置いといてもしゃーない奴らが子どもを育てるってわけ。
そんな連中を家に置いとけないってならどっかに集めるわけだな。
でも何故か託児所が増えてないどうしてだろうね。
答えは簡単だ。
出し渋ってんだよなあ……世の中の育休取得者共が……。
なんでそれが成立するのか。
企業は育休制度廃止して代わりに「託児所手当」ってのを作るべきじゃねえかな。
あーあと世の中の託児所共はもうちょっと夜遅くまでやってくれよな。
5時で託児所終わっちゃうんで帰りますマンとウーマンが1人ずつ職場にいるんだが、残業一切しない人間って使いにくいから困ってんだよね。
7時まで開いてよ。
人間を2直制にすればいけるっしょ。
雪組だけに?
これ一幕ものでよかった、と思う。
雪原?ロシア?ロシア。ナポレオンが敗北したロシア。でもサクサク動いてみんなを助けて、いい人なんだなあナポレオンさん。
ここは少し気持ちがダレた。もうちょっと演者側でやりようがあったように感じる。ワンスのマックスやこのナポレオン、月城かなと氏だったらどう演じたかなと考える。city hunterは楽しみにしている。
ベートーヴェン「おれたちは何のために生きてるんだ」
ナポレオン「苦しむためだ」「苦しむためじゃなかったら、おまえは何のために生きてきた」
「人間はあらゆるものを発明することができる。ただ幸福になる術を除いては」不可能あるやん、ていう。
出生名
ナポレオン「そ!こ!そ!こ!」
わらった。
!!ナポレオンてEU構想持ってたの⁈つながった!第九、the European Anthem。なるほど、ヤバ!
音楽は数学だし、昔は世界を解き明かす学問として必修科目だったしね。
再び勝利。
「愚人は才人にまさる大いなる利得を有する。彼は常に自らに満足している」
ナポレオン「生きることは、不幸だ。不幸に敗北するか、それとも不幸に戦いを挑むか、それとも」
ナポレオンが死んだのは1821年。ウィーン会議から6年経ってる。第11場ウィーン会議にロッシーニがいたことを考えると、あそこで1822年ぐらいまで描いていたと考えてもいいのかもしれない(『セビリアの理髪師』1816、『どろぼうかささぎ』1817、ロッシーニウィーン訪問1822)。
謎の女「誰もがわたしを憎む もうひとりのあなたとも知らず 醜い不吉な女だと 憎んで恐れて逃げまどう 憎むほど自由奪われて ただ 死を 待つ」
ベートーヴェンも謎の女に失せろと言った。そして孤独期、曲も作れず、ただ…。
謎の女「死は、救いなの」
ベートーヴェン「哀しく強い、おまえの歌」
あーー。だから、曲、献呈。「やるならやってみろ、運命よ」は1816年の彼の日記のことば。
「今、運命が私をつかむ。やるならやってみよ運命よ!我々は自らを支配していない。始めから決定されてあることは、そうなる他はない。さあ、そうなるがよい!そして私に出来ることは何か?運命以上のものになることだ。」
上田氏の京大講演会「経験の中で一番痛いもの、辛いことが不愉快なものなら、当然、それがなくなることはない」
ここは本当にありがとうと言いたい。望海真彩(あと非常に聞こえづらいけど多分望海の右手)でメロディを歌いながら、真彩の右手がオーボエパート、望海の左手がクラリネットパートかな、をなぞってきっちり3声の対位法をやってのけた。歴史に残るメロディ爆誕の瞬間。1822年。
モーツァルト「不幸と一緒になって、よろこびをうたってる!」
シラーの『歓喜に寄せて』は、もともと『自由賛歌』で、ベートーヴェンが感動して曲をつけようとしたのは『自由賛歌』のほうであるが、当時の体制下で云々。…というのは都市伝説であると、英語版のWikipediaには書いてあるなあ。日本語版の出典のひとつはURLの変更があったっぽく今はたぶんこっち。もうひとつの出典では『自由賛歌』がシラーの作品だとは言っておらず。セイヤー氏の著作が都市伝説の元なのかな。
ベートーヴェン「あー」(A4)
運命「あー」(A5)
1815年の手紙から。日本語訳がピッタリこないけどドイツ語わからないから2つの英訳。
"We finite ones with infinite souls are born only for sorrows and joy and it might almost be said that the best of us receive joy through sorrow."
"we mortals with immortal minds are only born for sorrows and joys, and one might almost say that the most excellent only receive their joys through sorrows."
よかったね天国行きだよ!
あー、早霧さんが出てた世界ふしぎ発見でやってた話。
und der Cherub 音楽は おれたちのものだー! steht vor Gott, フォルテー! steht vor Gott, フォルティッシモー! vor Gott, フォルティッシッシモー! vor Gott.
ここだけドイツ語詞で、ケルブ様出てきた。第九の中のここの歌詞の解釈はなかなか大変なようで、まあなんとなく壁・障害・天国/楽園行きを阻むもの・自由を阻むもの、ぐらいで自分は捉えておこうかなあというところ。
今作においては、ベートーヴェンさんお亡くなりになりました、ってことかしら?
そりゃalla marciaには入らないよね。音楽配信も始まってしまったわけだけど、これ音だけで聴いてると爽快にズッコケる、爽快。そのうち慣れるだろうけど。
きたー
ベートーヴェンの葬儀には多くの市民が続々と駆けつけ参列者は2万人、異様な様相、大混乱だったと。
うたえ 生きとし生けるもののうた
なんかここのベートーヴェン(推定54歳)と運命さん(年齢不詳)の振り付けかわいいな。
ぴあの上田久美子インタビュー記事より(2020/3/16 コロナ前)
耳が聞こえなくなって絶望し、一度は死ぬことも考えたけれど、神から与えられた才能は自分だけの物ではないから、身体の中の音を外に出すまでは死ねない、どんなに不幸でも生きていようと思ったそうなんです。すごいですよね。そうやって作った最後の交響曲が第九で、その合唱部分の『歓喜の歌』は、今で言ったら異常に盛り上がるロックみたいな感じだったと思うんです。それを、音楽のために一切の個人的幸福を諦めた人がどうして作れたのか、ぜひその物語を書きたいと思いました。
お見事。
配役を見て?が浮かんでいたところに次々とピースがきれいにはまっていく気持ちよさ。タイトルの意味しかり。
重くなりがちなベートーヴェンの話をできうる限り軽快に描き、新しいベートーヴェン像を見せてくれた(そもそも楽聖ベートーヴェンのイメージはシントラーやロマン・ロランによって作られたもの)。
第14場がコーダっぽかったので、ソナタ形式に当てはめて考えてみた。
*一瞬だがベートーヴェン真ん中でナポレオン、ゲーテが左右におり、謎の女もいるので。
うーん、苦しいか?意外とうまくハマった気がしている。
先輩の手を止めるなは比較優位の話だね。
確かに検証を丸投げするな!が上位エンジニアとして見たときに思うことかな。
やって見せて、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ
なんだけどさ。
新人のコードレビューではそれぞれの変更になんで変更するのか説明を添えてくれと要求したことが多々あった。
何のための変更なのかが書かれていなくて、コードを読む側で予測しないといけないということもままあるよね。
なんでこのアルゴリズムを使うとよいのか、どの程度の効果が得られるのかのベンチマークとかって変更する側でやってきてよって思う。
「〇〇なんて書いたの誰だよ!」...「俺か orz」をそれなりに経験しないと変更についての説明がいかに大事かはわからないと思うけどさ。
「〇〇みたいなミスする奴なんていねぇ!」...「俺か orz」もあるあるだね。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず
になってくる。
それを続けて言ったら小さいプロジェクトくらい自分で進められれるようにできないといけないから
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず
になってくるね。
おそらく対中国の姿勢で支持されてるんだと思うけど、保護貿易だったりとかメキシコとの国境での壁建設とか移民排斥とか銃社会推進とか意味不明なことばっかりじゃん。
保護貿易だって比較優位の原則から考えれば、自由貿易をするほど消費者にとって恩恵が得られることは明らかで、貿易赤字の状態が続いてもアメリカは高率の経済成長をずっと続けてるわけよ。そしてそのアメリカ人の豊かな生活を支えているのは間違いなく中国の工業製品であり、海外からの莫大な財の輸入、つまり巨額の貿易赤字なわけよ。中国との貿易摩擦の問題も、トランプは製造業をアメリカに呼び戻すことを目標にやってたけど、アメリカの産業構造の主力はもはや金融とか保険とかインターネットビジネスといった高度サービス産業じゃん。ラストベルトですら自動車産業から医療産業に転換して復活してるわけだし。しかも、仮にすべて呼び戻したとしても、理論的にはアメリカ国内の工業製品の価格が高騰して消費が落ちて、さらに投資が落ちることでアメリカ経済は急降下するはずだけど。んー、やっぱ経済政策に関してはトランプは頓珍漢なこと言ってて、TPPに復帰するといったバイデンのほうがまともだと思うんだけど。TPPは事実上、中国排除の経済ブロックなんだから、対中国への強硬姿勢の継続という点でも別に矛盾しないでしょ。
移民排斥についても、そもそもアメリカのIT産業を支えてるのは移民じゃん。日本でなんでこれだけ理系人材が不足してることが問題視されてるかといえば、それは日本が移民を受け入れてないからで、逆にアメリカは大量の理系のエキスパートをいわば大量に輸入してるわけよ。特にインド系と中国系はアメリカのIT産業にめちゃくちゃ貢献してる。この人達を排斥するってなったら、日本と同じようにアメリカでも高度理系人材の不足は免れないし、そうなるとアメリカ経済の操縦桿を握ってるIT企業のイノベーションが失速して、業績が悪化するのは必至じゃん。
もちろん中国系IT企業が世界中からビッグデータを集めて、それを直接中国共産党が利用してしまうような、中国の体制が問題だという認識は多いに正しいと思う。そして、南シナ海や東シナ海での軍拡やら香港の問題、チベットの問題に対して強硬姿勢を強めるトランプの姿勢は正しい。ただ、それはペンタゴンでの共通認識であり、バイデンが勝ったところで急に親中国の体制になるとは考えられないでしょ。
だから日本人がそこまでトランプを熱狂的に支持する絶対的理由ってそこまでないはずなんだよな。だけどYoutubeやらTwitterやら見てると、異常なトランプ支持が目立つことが不思議。門田隆将のような学のある人でさえトランプ支持だもんな。
俺は自分で言うのもなんだけどやや右寄りだし、安倍さんはずっと支持してたような人間だけど、ネットで見かける右翼のこの現象はまじで理解できない。
資源や食料を外国に依存しているので、自由貿易を標榜している日本だけど、
リカードの比較優位で特異な分野に集中することで、互いの国がより豊かになるってのを前提としている(らしい)
いくつか文献をあたるとそんなことが書かれている。
とはいうけども、実感としてはアメリカに良い所持っていかれてるよなとか、
一部の領域だけでなくて、美味しい所はほぼほぼ持っていかれているよなという印象がある。
江戸時代から明治時代にかけて海外から技術者を呼んできて学んで国産化してきた。
そのあとも海外にキャッチアップすることで技術力をつけてきた。
だが今はキャッチアップして国産化もできてない、もしくは国産化するのを諦めたように見える。
ソフトウェアに関しては振り回されっぱなしだ。
AppleやGoogleは凄いが、毎年のアップデートに対応するだけでリソースを使ってしまう。
他社をそうやって振り回している間に、自社は数年かけて研究開発している。
GoogleのTPUなんてパッとできたわけじゃなく年単位だ。テスラですら自社チップを作るのに年単位がかかっている。
ビジネスの変化は早くなったと言われるが、重要な所は結局それなりに年単位のままだ。
個人の選択としても海外に留学できたなら、そのまま海外で就職してしまったほうがいい状況となっている。
国内に戻ってきてもスキルを活かせる企業がない。起業もリスクだ。
おもしろいご指摘。そうだね。本当は適性に比較して選択するってことができれば、納得感が生まれやすいから想定されるストレスが違うかもしれない。
ある商品と競合商品の比較を行う際に、本来は知りたい情報(たとえば価格・サイズ・機能・保証期間・ユーザーの声など)が各商品で同様にみることができるのが望ましいよね。でも現実的にはそうではなくて、特定の商品の情報はうまくまとめられていたり、メリットの訴求が上手だったりする。
この時に困るのは、情報不足の商品の方が劣っているのかどうか、本当のところは分からないということ。比較が正しくできるように、競合と同じかそれ以上のメリット訴求を行う、よりユーザーの記憶に残るように、比較優位を示せるようにするマーケティング的な努力が足りない。ということであればそれはそうなのかもしれない。
技術職や開発職はオリンピックじゃないよね?だから別に1番取らなくても気に病むような話じゃないわけだが
タクシーの運転手が全員F1レーサー並みのドライビングテクニックを持ってる必要がないのと同じでしょ?
でも不思議な事に、ITやプログラマー界隈って技術大好きな分、視野が狭くて無駄に求道者的な思考の枠組みの人間が多くて、逆に凄い頭が悪いと思ってしまうんだよね
わかりやすく言うと、食堂のおばちゃんは全員ミシュランの3つ星シェフじゃなくてもいいし、ミシュランの三ツ星の仕事なんて、世の中に常に大量に需要があるわけじゃない
料理が作れればいいし、そこそこ美味い飯が作れれば素晴らしいんじゃないか、という話
増田のいうレベルのエンジニアなんて、アメリカでもGAFAの中でも1パーセントくらいしかいないし、そいつらもう厳密にいえばプログラマーではなくジェダイの騎士みたいな何でもできるスーパーマンじゃん、でもアメリカでも大半はカレッジスクール出身の年収は日本の平均と大して変わらないプログラマーが大半なわけで、そこは脳が認識を拒否したみたいになかったことにしたがる。
結局、神の腕前のシェフで世の中の仕事を全て片付けることができるわけではないので、こういうスーパーマンこそがどんなことをしても許されるというのが当たり前みたいに語られる業界は、すさまじいブラックになりやすい。
結果的に、今みたいな案件激減した状況下で、食堂のおばちゃんの募集にミシュラン三ツ星シェフを応募かけて、それらが殺到して結果的に業界全体の単価を下げているわけで
2020-02-09
本当に何で日本は食っていくのか
貿易依存度は低く、内需に頼っているものの経済成長率には貢献しておらず、成長していないために相当低い金利であっても投資が増えない。
輸出企業は利益を上げていて国際競争力があるように見えているが、各企業の戦略によって増えているというより、他社が作り出した最終製品の需要増に支えられている。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われたが、まぁなんというか品質が追いついたわけじゃなかった。
価格の割に性能が良いから、高品質で勝負したが、それでも追いつかなかった。
iPhoneも初期は日本製品の部品の割合が多く、日本でもiPhoneは作れたとメディアが話題にしていたが、次第に日本製品の割合は減っていった。
ロケットを見てもわかるができる限り国内製品を使うようにしたとしても、性能と品質が問題で国産部品は50%以下だ。
スペースXやNeuralinkを見たらわかるが、より高度なところまで米国には追いついていなかった。
標準化と統計的品質管理と特殊工作機械が足りず、生産性が低いのを人員を補填することで対応しようとし、負けるべくして負けた太平洋戦争から大きく変わってはいない。
新しい技術への投資が不十分で、人材派遣を通じて人員補填で対応しようとしている。
人材派遣で統計上は失業率は低下しているように見えるが、良かったのか。
生産性が低いというのも、休日を増やして労働時間を減らして数式上は上がるだろうが、良かったのか。
これは、せっかく手に入れようとしてきた標準化と統計的品質管理を捨てるということになる。
海外への工作機械が輸出できているから良いじゃないかと言われそうだが、
全体のプロセスがわからないと徐々にどういう機械を作れば生産性が上がるかわからなくなる。
intelが必死に米国国内工場へ投資をし続けたり、トランプが工場を国内にと言っているのを古い時代の考えだと笑い飛ばせない。
時代は製造業ではなくソフトウェアやサービスだという人もいるだろう。
とはいうものの、Googleの差異化の源泉は膨大なサーバーにある。サーバーを標準化でオープン仕様とし大量に抱え込んでいる。
Amazonはロジスティクスとクラウドの会社だが、こちらも大量に機械を投入できる所に注力している。
凄い凄いと言われるが都心部中心であり、機械が使えない部分は人手に頼り、儲からないもしくは誰でも真似できる所はデリバリーパートナーで費用を下げている。
ソフトウェアとサービスで食っていくとして、現時点で外貨を稼げるだけの競争力はなく、
ガチャに代表とするように国内の地方から吸い上げているに過ぎない。
衰退しエンタメが少なくなっていく地方にまだ余力があったからよかったが、東京が吸い上げてしまってもう吸える養分も残ってない。
データサイエンスも盛り上がりつつあるが、既に吸っている金脈以外に売上を伸ばす金脈はそうそう見つからないし、
ソフトウェア以外の本当にデータサイエンスが必要とされている化学業界など、本当に必要な業界までは個人のキャリアの都合で広がらない。
ググって答えが出る所は食べ尽くし、ググっても出てこなかったり、質問するにも難しく長文になるような問題は解決されない。
産業構造が代わり、人々の職種が変わるだけであればいいが、国内の比較優位産業がなくなっていくなか、自由貿易は継続できるのか。
現状のA.I.だと統計データの前処理が必要なので仕事はなくなりはしないが、食っていくだけの収入が得られるのか。
不動産価格がドンドン高くなり、35年ローンで死ぬまで働かざるを得ない人数を増やしつつ、生産人口低下による総負債額の低下を防いで、
子供を産んだら20年間365日24時間専用の施設に預けるルールにした方がましではないだろうか?
理由は以下だ。
・設備投資費
1.設備投資費
子供ができた家庭は、おもちゃや小さい滑り台やウレタンマットを購入する。また、机や箪笥の角には頭をぶつけても大丈夫なようにゴムを取り付けている。
子供ができたすべての家庭がこれらをそろえるのは無駄ではないか?
ちっちゃい子供が過ごす場所を社会として限定すれば、設備投資費が少なくて済む。
家賃問題もある。夫婦二人なら四畳半のボロアパートでつつましく暮らすことも可能だ。しかし、子供が騒ぐと近隣住民の迷惑になってしまう。だから、子供ができたらそれなりの防音設備のある部屋に引っ越さなければいけない。それが不可能だったら最初から子供を作ることをあきらめてしまう。残念だ。だったら、子供が暮らす部屋と両親が暮らす部屋を完全に分けた方が良いだろう。
地味な問題だが、自宅に救急箱をちゃんと用意していない家庭もあるだろう。子供が転んでけがをするたびにマキロン探しをしている親は多いはずだ。「最後にマキロン使ったやつ誰だ!」と。保育園はちゃんと備品管理をしているはずなのでそういうことは少ない。こういう些細なことでも、各家庭と育児専用施設の設備力の差が感じられる。もはや子供が両親の家に住む合理的な理由はないと思う。
率直に言って世の中の親の大半は育児が下手だと思っている。
知識や技術や体力や精神面でプロの保育士のレベルに達していない人が大半だと思う。
僕だって子供をまともに育てられる気がしない。こんなの素人には不可能だと思う。
僕は特別におかしなことを言っているとは思わない。自分の子供がプロ野球選手になれるかもしれないと思ったらリトルリーグに入れてコーチに野球を教えてもらうだろう。名門中学に入れるかもしれないと思ったら専用の塾に入れるだろう。であれば、自分は子育てが下手だと自覚している親がいたとして、その親が育児を一切放棄して専用の施設に預けたとして、それは正しい選択だと思う。親にとっても子にとってもそっちの方が良いはずだ。そして、ほとんどすべての親は子育てが下手だと思うのでそうすべきだ。
例えば「叱る」と「怒る」は違うとよく言う。しかし、口で言うほど簡単なことではないだろう。あまり表に出さないだけで、苦しんでいる親はたくさんいると思う。
ついカッとなって子供をキツく罵ってしまったり手を出してしまったりして後悔した経験がある親はたくさんいるはずである。
社会制度の方が変わっていかないといけない。親を支えないといけない。
ニュースを見ていると「こんな奴が子供を作るなよ」と思うことは多いだろう。しかし、それを言ったところで子供は救われない。また、そういうことを口に出す人が増えると「自分なんかが子供を作っていいのだろうか」と気後れしてしまう人が増える。それは不本意だ。
問題の本質は「子供を作った人が責任をもって子供を育てないといけない」というルールにある。「子供を作っても育てないでいい」というルールにするべきだ。
核家族はピークコントロールがしづらい。もし2人の親に2人の子供がいたとする。これならぎりぎり回る。しかし、突然片方の親が熱を出して寝込んでしまったとする。急に一人で二人の面倒を見ないといけなくなる。詰む。
これが保育施設であれば、(普段からゆとりを持った人員配置ができているなら)保育士さんが一人か二人寝込んだとして、何とか融通可能だろう。
また、夜泣きという問題もある。日中働いている両親が深夜に数時間おきに起きて授乳をして、睡眠不足なまま朝から会社に行くのは、不健康だし非効率だ。施設であればシフトを組んで夜勤を作れる。こっちの方が良い。
特に「家で資格試験などの勉強をできるか否か」が大きなポイントだ。これはいくら社会が子育て世代に受容的になったり経営者が寛容な制度を作ったって関係ない。
「日本は子育てしている人に冷たい社会だ」などという言説は(事実かもしれないが)本質を外している。
子供を作ると家で勉強する時間がほぼ取れなくなる。その時点で社会がどう変わろうと無理なものは無理なのだ。
だったら、子供を育てる専門の人とそれ以外の子供を育てない人に分けたほうが社会の効率が良くなる。
キャベツを作るのが得意な人とニンジンを作るのが得意な人が、それぞれ別々に5キロずつキャベツとニンジンを作るより
片方がキャベツを10キロ、もう片方がニンジンを10キロ作るほうが効率がいいだろうという理論だ。
親は子育てに時間を取られるよりも、子供を施設に預けて自分のキャリアのために時間を投資した方が社会全体が豊かになるに決まってる。
いくつか反論があると思うので先回りして答えておこう
1.子供がかわいそうだ
素人の親が子供を育てるほうがよっぽど子供にとってかわいそうだと思う。
小学生にもなってお箸が持てなかったり敬語が使えなかったり虫歯だらけだったりする子供を見たらかわいそうに思う。
有名国公立大学に入れる才能を持っていたのに高卒の両親が上手に伸ばしてあげられなかったりすることがある。残念だ。下層社会の再生産になってしまう。
補足として個人的な感情を言うなら僕は親が嫌いだ。こんな奴が子供作るなよと思っている。
2.親がかわいそう
子供は親のために生きてるのではありません。
少子化の観点でいうと「自分で育てれないなら子供を作らない人」と「自分で育てなくていいなら子供を作る人」の量を比べると、どちらも一定数いると思うが、後者の方が多そうだから子供が増えると思う。
親にとっても悪い話だけではないと思う。
親にも親の人生がある。
今の社会で子供を作ると人生のほとんどを子供に持っていかれる。
現代社会では子供を最優先にしない親に対する風当たりが強すぎる。変えていかないといけない。
あと、こう言う意見を言うと「自分にとっては子供が全てだ。自分は子供のために全てを捧げている。他の人もそうすべきだ」的なことを言う人が出てきそうだ。
多分そういうことを言うせいでみんな困ってるんだと思う。自覚して欲しい。
大体会社にいる「自分は仕事に全てを捧げています」系の人は仕事できてない人が多いので、そういうこと言っちゃう親は子育て下手な親だと思う。
それはそうだが、デメリットも大きい。
ジジババに子供を預けた時に「これはアレルギーだから食べさせないでください」といったら、ジジババが「好き嫌いはよくないから」と言って食べさせた結果マーライオンになった。というような話はよく聞く。
4.ポルポトがー!
それはポルポトが悪いのであって制度が悪いわけではないと思う。
5.今の保育園の現状分かってんのか
親のキャリアのところで触れたが、比較優位の法則で説明がつく。税金を減らして各家庭で親が育児にかかわる時間を増やすのと、税金を増やして親が育児にかかわる時間を減らすのでは、後者の方が生産性が高い。よって税金を増やせばいい。
殺人事件の加害者も児童に対する性的虐待の加害者も身内が一番多い。
知り合いの介護士も、他人の介護はできたが自分の親の介護はめちゃくちゃ辛かったといっていた。程よく他人じゃないと感情が入ってしまって逆に辛いんだろう。