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はてなキーワード: 第二次産業とは

2017-03-20

地方低学歴はしねばいいのに

http://anond.hatelabo.jp/20170320085249

地方低学歴の組み合わせが、日本ダメにしてる。

第一次産業第二次産業でさえ、まともに従事できないし、まともなもの自分達で作ろうとしないんだから、さっさとしんでくれ。

2017-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20170104105902

そんなもんかねえ

なんだかんだでどこも初売りをなかなかやめないように、今更サービスの質は落とせないと思う

第二次産業までは技術革新である程度どうにかなったが、今流行りのAIだかなんだかで同じことがやれるだろうか

そうでなければ結局誰かを犠牲にしないと回らないと思う

働き方云々にしても、結局地獄を誰に押し付けるかの話でしかない

2016-03-05

そういえば、漫画には工場で働く人ってあんまり出て来ないよね

漫画に出てくる職業というとよくあるのが営業事務プログラマーなどのオフィスワーカー。

飲食店のような接客業医者教師のような専門職

農業最近割と見掛けるようになったけれど、工場で働く人って見ないよなあと思った。

ものづくりが国の要とか言われてて、第二次産業も相当大きい筈なのに不自然なくらいに見ない。

発達障害あるあるを描いた、出来の悪い工場労働者漫画があったけれどあれくらいか?それくらい少ない

2015-12-14

中学受験社会メモメモ

N能研の保護者説明会で言ってた話を増田でも開陳

1.「社会公民は、日本国憲法記憶、これに尽きます。」

  「憲法9条と、基本的人権の各条文は、それこそ丸暗記してください」

  

  これ、もし「改憲」なんてことになると、中学受験社会は大混乱するなあ。

  上の子受験は兎も角、下の子小学2年)の際は、憲法変わってそうで怖い

  「主権者天皇から国民に変わりました」と教えているが、これも雲行き怪しい。

2.N能研の社会時事問題で、「戦後70年談話」が出題されていた

3.「日本地理ポイントは、①②が農業工業、③が水産、④が林業です。」

  ・・・鉱業は、無いんかい!?

  自分子供の頃は、筑豊三池とか北炭とか、それなりに覚えさせられていたのだが、国内炭鉱全滅だから不要なのか。

  今風に言えば、「九州太陽光発電が盛ん」とか「北海道風力発電が盛ん」のような、

  自然エネルギー立地の教育は、やってもいいのでは?

4.そして「①②が農業工業、③が水産、④が林業」ということは、

 「第一次産業第二次産業の立地は覚えさせるが、第三次産業は覚えるのは不要」というだよね。

 「サービス産業の立地」は、中学受験で出ないの?

  例えば小売がどこで多いか、地方では郊外商業化しているとか、首都圏では駅前商業が隆盛とか、インバウンド商業とか。

 

 「地方中核都市札幌仙台広島福岡)には企業支店が多い」とか

 「県庁所在都市では県庁公務員地銀大学地方紙の勤務者が多く、割と高収入な人が多い」とか、

 「介護産業首都圏で不足している」とか「医療産業東京都心と西日本に多く、首都圏外縁部では少ない」とか、

 第三次産業立地論の話の方が、実生活では第一次産業よりはるか要求されていると思うのだが。

 「社会教科書記述が固まったのが(第三次産業がまだ少なかった)昭和30~40年代で、

 その後アップデートを怠っている」ということなんだろうか?

 まあ、2030年とか2040年の社会科教科書では、否が応でも介護産業立地論」を小学社会で教えているんだろうな。

2015-08-03

フェミ弱者男性を養わないのは本来フェミ保守から

専業主婦とは機械コンピュータの発達により人類の半数が労働奴隷から解放された新社会革新的な新貴族階級の事だよ

その先には人工知能ベーシックインカム社会がある

フェミニズムとはその革新的社会共働きの農耕社会狩猟採集社会に戻そうと言う保守運動

そのマッチョ保守主義者しかないフェミ専業主夫と言うさらなる新階級を認めるわけがないだろ?

第一次産業第二次産業の衰退によりサービス業が増えた上にお客様至上主義現代フェミの口先にのせられて夫の奴隷から解放されようと言う号令のもとに社会に出てみたらお客様奴隷だったと言うね

しかも長時間苦役付き

専業主夫志望はフェミではなく本物のリベラリストに頼むべきだろ

要するに言いたいことは誰か俺を養え

2015-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20150127212939

この手の怪談聞く度に疑問なんだけど、旋盤工だの型枠工だのが間違えたら車やビルが吹き飛ぶ第二次産業と違って

末端が適当でもATMが火を吹いてGDPが下がったりはとりあえずしないのはなんでなんですかね?

結局COBOLだのJAVAだのWindowsだのの後ろの部分を作ったメリケンの偉い人が偉かったってことなんですかね。

2014-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20140627235819

それが何をしているか、という産業形態ではなく、どの文明段階でそれが行われるか、という歴史的段階で別れてるから仕方ない。

仮に漁業運送業だとするとたぶんサービス業三次産業だということになるんだろうけど、そうすると漁業先進国しか行われていない産業だということになってしまう。

第一次産業第二次産業第三次産業は、それぞれ文明の発達段階によってこういう産業が行われるようになります、というのであって、どういう事業をしている仕事をこういう産業に分類しましょう、ではないのだから仕事タイプ産業分類への振り分けが一致しないのは仕方ない。

養殖を除けば)確かに漁業者は魚を作っちゃいないわけだし、そういう着眼点は無かったから素直になるほどと思ったけど、最低限彼らが林業農業と並んで「第一次産業であるのは上記のような理由がある。

まあ、だからと言って確かに生産者ではないのは事実だが。

でも、例えば、まあ仮にだが、友達が梨狩りに行ってきてそのおすそ分けを貰う時に「○○の梨は今年は天候が良くてとても甘いから、是非楽しんでくれ」と言われるのは、確かにおすそ分けしてくれる友人は生産者ではないがこの一言はあっても良いように思う。とすると、生産者しかモノを紹介しちゃいけないってのはやっぱり変な話のようにも感じられる。

2014-02-11

選挙に行かなかった30歳の男の言い分

今回の選挙に行かなかった30歳の男性独身です。ちなみに非正規雇用IT土方

今回は投票率が悪かったせいもあって「選挙に行かないヤツは非国民!!」みたいな風潮で非常に肩身が狭い。実際にそうなんだけども、一応こちらの言い分も書いとく。

以下はあくまで俺の視点から見た今回の都知事選感想ね。

まず、選挙本質って「いかに自分のためになりそうな人」を選ぶか、でしょ?

そういう意味じゃ、30歳の非正規雇用独身男性の俺の立場はいかに「働く環境改善して勤労意欲を向上させてくれそうな人かどうか」が選ぶポイントなんだ。

要は給料上げてくれるか、正社員にしてくれるかどうか。もうこれしかない。

はっきり言って高齢者のための福祉とか30歳の俺には関係ないし、いくら将来自分に返ってくるからって年金対策がどーだなんて現時点では選ぶポイントにならない。

あと子供もいない俺には子育て施策関係ない。

まあ東京オリンピックを盛り上げて雇用を増やすって公約はあったけど、いくら風吹けば桶屋が儲かるが経済の常といっても、IT業界にいる俺までには回ってこないのはわかるよ。

てか、世間の2~30代が一番興味があるのって「労働とその対価」でしょ?要は金儲け。そこを焦点とした公約が今回の立候補から全然見えてこなかった。その代わりか知らないけど、若年層向け(らしい)の公約が「原発廃止」や「靖国参拝」だ。

東京都民はこれで選ばされるのか...ってちょっと暗澹とした気持ちになった。

そういう意味じゃ今回の候補で最も近いかな、と思ったのは家入一真だったわけだが、家入一真家入一真であるという一点だけで論外。これは今まで彼を見続けてきた結果であって、彼はどう考えても政治家向きではないよね。でも次に繋げる土壌になるのであればそれは見守りたい。

まあ今回の選挙ではっきり思ったのは、年もいってない、子供もいない、第一次産業第二次産業にも隷属しない俺みたいなただ中途半端若いだけの奴は、都からしてみれば何の打つ施策もないんだよね。ああ、自分で頑張ってくださいよってなもんなんだ。

俺が今、低所得非正規雇用結婚もできないのは全て自分のせいで、つまるところ誰が都知事になったって、何も変わらない。これは本当に事実なんだ。

これがわかったから、とりあえず俺は今回の選挙棄権して、そして自分をちゃんと見直そうと思った。

なんというか国民としてしっかりしようと思ったんだ。

から舛添さんが何をしようと、例えどんな不祥事をやらかそうと俺は叩いたりしないよ。

2014-01-04

もしかして娯楽って人が生きるのに必要なんじゃないだろうか

今までゲーム会社で働いてて、こんな半ば道楽みたいな仕事して生きるのに不要もの作ってなんでお金もらえるんだろうと思っていた。音楽アイドル産業についても同じように思っていた。第一次・第二次産業と違ってサービス業価値が低い、なくても誰も困らないと思っていた。だけど好きなゲームアイドルのおかげで毎日の辛い労働に耐えられると思っている人が少なくないことを知り、やはり娯楽って人が生きるのに必要なのか?と最近からなくなった。実際どっちなんだろう。

2013-12-15

手動3Dプリンタ

この週末に友人が死んだ。同い年が死ぬとなかなか心にクルものがある。

同じ高校卒業し、そこから進路は別れ俺は進学し、彼は地元工場に勤めた。プレス業だった。彼の死因はプレス機の事故だった。2か月前だというのに入院したままこの世を去った。

モノづくり日本中小企業町工場技術んの主力とはいうけれど、彼の職場を一度見たことがあったが、素人目にも古い機械ばかりだった。古い機械、つまり安全性が最新ではないということだ。事故を予防するために工作機械は刷新されているのだろうけど、そんな最新の機械を導入する余裕なんて中小企業は持ち得ない。操業者の命を掛け金に今日も古い機械が動き続けている。たまに悪い目が出た時に今回のような不幸が起こるのだろう。そんな納得なんてできやしないけど。プレス機に限らずいろんな機械今日もモノを作り続ける。俺の仕事は一日椅子に座ってPCの画面を見続けるだけだ。精神は病んでも命の危険はない。でも誰かが命を掛け金に生産をしなければならない。それが自分でなかったというだけだ。

学歴派の人なら、低学歴は命を掛け金に働く道を「選んだ」というのだろうか。しか地方では彼の選択肢はめずらしくない。東京では命を懸けない仕事がたくさんがあるが、地方は命がけの仕事が多いのだ、と今、東京暮らして感じる。そんな仕事を3Dプリンタが減らしてくれるのは、いいことなんだろうか、わるいことなんだろうか。3Dプリンタの性能向上と普及は誰かの仕事を奪うだろう。しかし命を救うだろう。大学進学率の上昇は命がけの仕事に就く確率を下げるだろう。誰かがしなければならない仕事だが。誰がするんだろう。妥当創造としては第二次産業ASEAN仕事になるんだろうか。いま使っているPCも、ここまで来ているインターネットのケーブルも、配線も、間の機器も、海底ケーブルも、サーバ構築も、運用も命がけなんだろう。

2012-05-23

ギリシャ情勢の今後

ギリシャは哀れな犠牲者

ギリシャ債務危機が健在化して以来、この問題を「道徳的」に捉えようとする意見が多くありました。

ギリシャ人は怠け者だ論に対して、いや、そうでもない、ギリシャ人は意外と勤勉だし、これは通貨ユーロが統一されているにもかかわらず財政が各国でバラバラになっているのが問題なのであって、この構造の中で一人勝ちしているドイツギリシャを救済する責任がある、との意見もあります

あくまで道徳の話として言うならば、 私はドイツギリシャを支援する義務などないと思います

そもそもユーロ圏に入ったことがそんなにギリシャに不利であるならば、どうしてギリシャユーロ圏に入ったのでしょうか。この種の「ギリシャ犠牲者だ論」は、ギリシャ人がたった十年先の構造的に必然なことさえおおまかに見通せないとんでもない愚か者だと仮定しない限り成り立ちません。

ユーロ圏の成立当初は、今とは全く違った状態になる可能性がありました。危機感はドイツの方がより強く抱いていたはずです。

ドイツ企業からすればより安価労働力ギリシャ工場移転させれば手に入る状況になりました。統一市場ですから関税障壁もなく、統一通貨ですから為替リスクもありません。ユーロ圏の成立は、ドイツフィンランドなどの北部工業から一斉に第二次産業流出する可能性をもっていました。

実際にはそうならなかったのは、ドイツ努力し、ギリシャ努力しなかったからです。ドイツ賃金の伸びを抑制し、社会保障をきりつめ、ヨーロッパもっとも豊かな国でありながら、きりつめた健全財政産業競争力の維持を計りました。

対して、ギリシャドイツ比較してさえ放埓な社会保障を拡充し、リーガルマインドの欠落ぶりをみせつけました。

そのような国にどうして企業を誘致できる でしょうか。

このような状況になったのは徹頭徹尾ギリシャ人自身の責任です。

ギリシャ通貨ユーロ離脱した場合

ギリシャ通貨ユーロ離脱したら、統一性への信頼が失われ、 ユーロ暴落すると言う意見がありますが、むしろ逆だろうと思います。そういう人はギリシャという実態を、ユーロ全体に拡大させて幻影を見ているのだろうと思います

ユーロ通貨として信頼性があるのは、ユーロ圏全体が統一されているからではありません。ドイツいるからです。逆に言えばユーロ危機とは、ドイツユーロから抜けることであって、ユーロ圏にとって重荷でしかないギリシャが抜けるのはユーロにとってはむしろ好ましいことです。ここにも、この問題のそもそもの原因があります

それは虎の威を借る狐、問題です。この場合、狐自身が虎の威を自分の威と勘違いしています

勘違いしているか通貨ユーロの威を自分の威と勘違いしてギリシャ政府は放漫経営を続け、企業誘致に熱心でなく、通貨ユーロ権威自分のもの勘違いしているから、「ユーロからギリシャが脱退するとユーロ圏全体が道連れになるチキンレース詐欺」が可能だとギリシャのおつむの弱い政治家は考えてしまうのです。

彼らの、プライドあって能力なしの精神状態は筋金入りです。チームの足を引っ張っているお荷物がいなくなればチーム力が強化されるのは理の当然です。

●独仏の銀行救済策だったギリシャ支援

すでにギリシャ支援は、債務問題をあらかた整理し、債務を民間銀行からIMFECBに移させることに成功しています。つまり、これ以上、ギリシャを積極的に支援する動機は独仏にはありません。IMFが示した緊縮財政プランを拒否すればただちにデフォルトになりますが、その結果生じるのは現状よりもさらにひどい混乱です。しかもその混乱はユーロに留まる限り、ほぼ永遠に続きます

通貨ドラクマに切り替えれば確かに理論的には為替調整が行われ、将来的にはギリシャ競争力を回復させますが、ギリシャ場合はそもそも輸出産業ほとんどないことが問題です。普通通貨価値が下がると輸出競争力が上がり、徐々に経済が回復してゆくのですが、ギリシャ輸出産業自体がほぼ無いため、すんなりとはこうはいきません。外国企業を誘致して輸出産業を育成するところから始めないといけないのですが、現在ギリシャに進出したいバカはいません。国民生活が徹底的に破壊されて、最貧国に転落し、なおかつ秩序はある程度維持している状態、軍政下の最貧国のような状況にまでマイナスプレミア肥大化すれば、外国企業の誘致も叶うかも知れませんが、その前に、ギリシャは大量の餓死者を出して、無政府状態に陥る可能性が大です。

そしてギリシャ国民EU市民権を有していますから国民全体の規模で、ドイツフランス難民の群れとなることが予想されます

●問題の原因はギリシャプレミア

ユーロ圏ギリシャが入ったのもそうですし、ユーロへの加盟やそもそも建国の状況からして、ギリシャ西欧諸国によって特別にゲタを履かされた状態、いわばギリシャプレミアを享受してきました。キプロス問題は経緯を見ればほとんど100%ギリシャ責任ですが、ヨーロッパに牛耳られた国際メディアトルコ加害者であるかのように報じてきました。このような状態で、慎重な国家運営がなされるはずがありません。一方、トルコ自分以外に頼る者がいない状況で、経済成長を維持しています。虚構の上に作られたギリシャプレミア現実によって破綻させられているとも言えますし、そのつけは本質的人種差別的な西欧が支払うことになるでしょう。

2012-01-02

クリエイターエラいもの」という思い上がり

声優明坂聡美さん、一部フォロワーに苦言「一生懸命作った作品を見てない事を返信してくるのはどうかと」 : はちま起稿

http://blog.esuteru.com/archives/5621373.html

畑亜貴さん『アイドルマスター』用に書き下ろし楽曲タイトルメーカー勝手に変更され、Twitter激怒やらおん

http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-6169.html

最近目に付いた2件。共通するのは「俺(達)の気持ちを考えろ」というクリエイターの怒り。

これらへの反応は賛否両論ある感じだが、興味のない人は反応しないので、反応してるのは大抵信者アンチ。まともと思われる意見殆ど見られない。それに加えて一般消費者ではクリエイターの気持ちや事情がわからないため、的を大きく外している言論が殆ど

まあそのことはどうでもよく、俺が気になっているのは「クリエイターの怒り」について。これは「クリエイターの思い上がり」から来るものではないかと。

クリエイターという職業は「なるのに努力と才能が必要」「なれる人の数が少ない」「信者がつく」などの要素があるためか、「クリエイターは偉い、俺は偉い」と勘違いする人が後を絶たない、気がする。

明坂さんにしても畑さんにしても今回の根本にあるのは「俺らが苦労して作ったものに敬意を払え、気を遣え」という主張である。これは本人達にとってはもちろんその通りであろうが、それをさも当然のこととし公衆に発信してどうすんだよ。非常に大人気ない、頭が悪いと感じる。

お前らが苦労したから尊いのか?違うだろ、価値受け手が決めるものであり、世間が判断するものだ。クリエイター自己満なんかはどうでもよく、世の中に需要があるものを作れたかどうかで、仕事が判断されるのだ。

ライブに行かない、作品を見ないというのは人々にとってそれだけの価値がないからだ。注いだ心血は、少なくとも直接的には関係がない。

タイトルが変えられたのはクライアントが元のタイトルに満足しなかったからだ。相手の望みにかなう納品をすることができなかったのだ。

(ちなみに後者については著作者人格権同一性保持権の存在によりバンナムがアウト、という中途半端な知識による見解コメントなどで見られるが、通常買い取り契約では「著作者人格権は行使しない」の一文が添えられていることが多く、もしそうであれば改変は法的に問題ない。通達すべきであるというのはまた別の話)

そもそもクリエイターとは通常、娯楽に関する商品を作る人のことである。娯楽とは、それと同じものがなくても死ぬことはない。現代社会において第一次、第二次産業に従事する人の割合は少なく、殆どの人は「生きるのに不要サービス」を作ったり売ることで生計を立てている。つまり自分の特技を生かして「好きなこと」をして食ってるクリエイターという職業は、世の中の豊かさを享受することで初めて成り立っている余計な職業なのである。偉くなんかない、むしろ世間に食わしてもらっている立場だ。最近話題になった、自炊に反対する漫画家集団なんかもそうだが、お前らが勝手に作ったものがお前らの望み通りに消費されないからと言って、世間に対して堂々と怒るのは可笑しく、恥ずかしいことだ。作った者としては当然の感情だが、開き直ってさらけ出すべきものとは思えない。

クリエイター自分の狭い視点以外で、自分仕事についてよく考えてみるべきだと思う。俺自身もクリエイターとしてそう思う。

文筆は本業ではないので、乱文失礼した。

2011-12-27

第一次産業の国際的な意見問題点交流

って出来ないのかな。

各国のお百姓さんや漁師さんが休みの時期にちょっと集まってみたりとか。

第三次産業IT系医療系、第二次産業は大手製造メーカーによって国境は無くなってるけど、

考えたら農業漁業畜産業って国外の同じシチュエーションから得られる新しい方法って沢山あるだろし、

TPP導入みたいな政策が立てられたとしても、産業の代表として国際的な視野で賛同・反対が可能だと思うんだけど。

2011-11-06

なぜ比較生産費説は失敗しているように見えるのか

比較生産費説は自由貿易を通して富が増加する=豊かになることを説明した理論です

ここでまず踏まえておかなければならないのは豊かになるとは誰が、何に対してかということです。物財の市場における総供給量が増え、需要者、つまり消費者が豊かになるということです

ここのところでの異論はあまりありません。説が唱えられてから既に200年の「実験」の蓄積があるのですから、上記の点については事実として扱ってよいでしょう。

比較生産費説が最近、ホットトピックになっているのは、TTPの問題があるからですが、アメリカでもTTP反対論は根強くあるようです

抗議に参加した人々はTTP協定が仕事環境に与える潜在的な影響に対して注意喚起したかったと言っています

「私たちは雇用を求めるためにここにいます」とロレーヌ・アシュビー(66)(シカゴの南東側からの引退した公務労働者)は答えています

「小さなビジネスを行って、本当の雇用を作り出す人々がここにとどまることが難しくなってきているのですTTP雇用を作り出す人々を後ろからナイフで刺すようなものです

「あまりにも多くの過去貿易協定は普通の人々犠牲にし、ウォールストリート大企業の役立ちました」と彼は言いました。

「私たちは、この地域から海外へ送られた何十万もの給与仕事を見ました。また、私たちが必要とするものは、シカゴで、および世界中労働者生活水準を実際に改善する貿易協定です

http://gigazine.net/news/20111105_tpp_trade/

日本TTP反対派の人たちもこの言い分には深くうなずくでしょう。日本でもアメリカでも互いを敵視しながら同じような言い分を言い合っているわけです

こうした言い分に対し、経済学の人たち、というよりもサミュエルソンっぽい新古典派総合っぽい人たちが、誤謬誤謬もっと勉強しろよって膝寄せて鼻を突きつけているわけですもっとも、その人たちも完全に歯切れがいいわけではなくて、「それは別の話」とか「一時的な痛み」とか、言及している「部分」もあるわけです

それが果たして別の話なのか、一時的な話なのかというのが、本当は問われるべき問題であろうと思います


80年代のレガノミックスは、一般に言われているのとは違って、大規模な財政支出と減税による「需要刺激による」景気刺激策でした。レーガンは言っていることはともかくやっていることは無茶苦茶ケインジアンでした。アメリカはそれ以後、蕩尽的消費社会突入してゆくわけですが、基本的に好景気インフレですしかし実際にはインフレ率はそうでもなかった。需要の増大を上回る供給がもたらされたかです。つまり輸入拡大です。この構造レーガン政権以後、現在まで基本的には続くのですが、では、81年から比較して、「一般アメリカ市民所得」は増えたのかどうかという話です。全消費者の消費可能量が増えたかどうかという話ではないですよ。リカードさんのおっしゃるとおり、全消費者の消費可能量は増えた、つまり市場は豊かになったに決まっていますしかしそれが、「一般アメリカ人所得」の増大につながったかどうかという話です

レーガンから現在までの話ですからね、すでに30年間の記録があるわけです

決して「一時的な話」ではありません。

結果は言うまでもありませんね。「パパはなんでも知っている」の頃は、パパがフルタイムで働けば子供大学に行かせられました。今では、ママも働いて、それどころかダブルワーキングをしても、かつかつの生活をしている人が大半になっています。そういう人たちに向かって、理論は正しい、おまえたちが間違っていると言っているのがサミュエルソンのシッポの人たちであるわけです


比較生産費説の理論完璧さにもかかわらず、どうしてこのような現象が生じてしまうのでしょうか。

答えは簡単で、産業ごとの特性が異なるからです比較生産費説は産業ごとの特性をならして、「単位」扱いするところからまります産業ごとの特性の問題には最初から対処しきれないというか、扱っている領域そのものが違うのです

例えばA国とB国がそれぞれ半導体カカオ豆に特化したとしましょうか。しかしこの両商品はそもそも需要量が違います。必要度合いも違います産業スタートさせる難しさの度合いも違います。他産業を発展させ、雇用を創出する能力も違いますもっと言えば収益性も違うわけです

不安定、低収益、低需要、低波及力の産業に特化した国、つまりモノカルチャーの国が国際経済の荒波にゆられて「豊かになる」どころの話ではなかった原因の根本はここにあります

労働集約的-資本集約的、高収益-低収益で相に分ければ4つの相が分かれることになります

国民雇用を確保し、そこそこ安定的な経済環境を構築する」のを目的にした場合もっと効果的なのが労働集約的-高収益産業です。ありていにいえば製造業第二次産業です

国民経済にとってはコアとなるこの産業が奪われたからこそ、「全体としては経済成長をしながら、格差の増大をもたらし、一般国民の貧窮化を招いた」のがアメリカの姿であるわけです

これに対して次のように説明するサミュエルソンのシッポがいます

給与の高い仕事転職するということは、比較優位産業労働力移転しているということである比較生産費説は労働者経済行動の中にあらかじめビルトインされている」

から雇用喪失は起きない、起きたとしても一時的な調整期間中ものだ、というわけですね。

あなた、30年間を調整機関と呼ぶ神経って、なんていったらいいんでしょうね。

東大に行っているあなた卒業したらゴールドマンサックスに入りたいなんて思ってるでしょ。給料いいですもんね。給料がいいってのは、生産性が高いということです。もうひとつ労働需要に対して供給が追いついていないということですあなたと同じレベルの人を400万円で雇用できるならそうしますよ、ロックフェラーでも。そうしないのは、需要に対して供給が追いついていないかです

失業率10%以上あってもそういう状況だと言うことです

農民が工場労働者になり、事務員になり、というところまではまあそこそこアメリカ労働者でも対応できたかもしれません。もちろんその過程でも脱落していった人はたくさんいるわけですが。

比較生産費説が言っているのはこういうことです製造業新興国に特化しても、先進国はさらに生産性が高い産業・職に移動してゆけばよい。みんながジョブスになれば1000万のアップル誕生して、たくさんのiPhone を手にできるよ!ということです

それが100年、200年のスパンならばあるいはそういうことも可能かもしれません。しかし現代においては変化はあまりにも急激でありすます


TTPを巡る議論で私が非常に気にかかるのは、TTP賛成派があまりにも気軽に「経済学」を看板にしたがるところです。そしてそれは、「おまえは経済学を知らない」と相手を貶めるために用いられているように見えます現実事象について具体的な論拠を求められれば、「経済学深淵でおまえには分からない」とばかりに現実の問題には何も答えないまま、モデルの話でけむにまきます

経済学はそういうものではありません。少なくとも、そういうものけが経済学ではありません。ガルブレイスが生きていたら、なんというでしょうか。

そうした言論的脅しに屈せずに、みなさんは分からないものは分からないと言ってください。納得できないものは納得できないと言ってください。説明できないのは説明できない人の責任であってあなた頭が悪いからではありません。

2011-10-30

つらつらと、日本自動車産業の置かれた状況について考えてみた。

自動車産業が抱える問題って、現在の日本の置かれた状況を象徴するものだよなぁ、と思い、少し掘り下げて考えてみた。「推測」と書いたのは、バックデータ・統計資料にわざわざ時間をかけてあたる暇はないので、状況証拠だけで考えていくということだ。暇な人、もしくは自動車産業関係者のマーケターの方、もしくはマクロ経済の専門家様、データを元にこの推測、といいますか仮説を検証してみてくださいませ。

若者の嗜好が変われば万事解決、なのか

自動車の国内市場規模は縮小の一途。特に若者がクルマに興味を持ってくれない。」というのが、業界的に広く共有された悩みのよう。その典型的な事象の捉え方が痛いニュースのこの記事。

痛いニュース(ノ∀`) : “若者、車離れ” 日本国内で車売れない…トヨタ、本気でアイデア募集 - ライブドアブログ

この2ちゃんねるまとめブログで、板の題材として選ばれている記事がこれ。

国内で車売れない危機打開策 トヨタ本気でアイデア募集 (1/2) : J-CASTニュース

ま、痛いニュースJ-CASTなので、、、、、でも、こういうメディアって、一般的な状況の捉えられ方やルサンチマン的なストレスを推し量るには本当に都合がいい。でもJ-CASTの元記事にはファクトデータも載っている。ちょっと引用してみると、

国内での販売は2年連続の減少だ。ダイハツ工業日野自動車を含めたトヨタグループ販売は前期比同4%減の227万台と、米国販売との差が広がる一方だ。国内市場全体の落ち込みより減少幅が小さかったため、トヨタシェア軽自動車除く)は過去最高の45.8%まで上昇したが、トヨタ車単独で11万台の減では、シェア上昇も手離しで喜べない。

国内の自動車需要(全需)は、2006年度の軽を除いた日本国内の新車販売は前年度比8.3%減の358万台と、29年ぶりの低水準だ。登録車市場の低迷の原因としては、経済性や実用性を求めて軽自動車に人気が移っている影響とされてきた。しかし、軽を加えても同4.1%減の561万台であり、国内市場全体が収縮していることが鮮明になっている。

要は、

ってこと。ちなみにこの元記事は1997年という4年前のもの。

で、その対策として当時のトヨタは、

トヨタは06年末に社内横断的なチームを立ち上げ、国内低迷脱却のアイデアを懸命に探り始めた。

対策チームは、自動車という商品の枠内だけで解答は出さず、地域や社会全体の問題の中で消費を喚起する自動車を改めて模索している。携帯電話などの情報関連の支出が増えた若者の「車離れ」や、少子化による若年人口の減少による市場構造の変化を深刻に受け止め、車が売れなくなった構造要因に真剣に目を向けざるを得ない。地域ごとの特性や家庭の年代構成、消費者の行動なども踏まえて自動車市場全体を抜本的に洗い直そうというものだ。

少子化対策は政府でも有効策を打ち出せていない難題中の難問だ。それでも、トヨタ渡辺捷昭社長は「国内市場を活性化するためには、何よりも市場創造型のいい商品を投入することだ。地域の活性化を含めて、いろんな手を打っていきたい」と、社内チームの試みに大きな期待を寄せている。

というわけで、「国内市場をどうにか活性化させるための手を打ちたいと考え、具体的なアクションを起こしている」というメッセージを打ち出したわけですね。

それに対して2ちゃんねる側の反応はだいたい2分されていて、

  • 魅力のあるクルマを作らないメーカーが悪い (元記事がトヨタを取り上げているので、トヨタが槍玉にあがっているけれど、だからといって、他社のを褒めているわけじゃないから、国内メーカー全体に対して同じように思っているのだろう。海外メーカーはout of 眼中なのかな?)
  • トヨタを含む大企業が賃金を抑制するから、われわれは車を買う金を持っていない。そりゃ売れるわけ無いだろう!

となっている。

で、このあと2010年になってどうなったかというと、、、、市場動向、トヨタの対応、そしてネット民wの反応がツンダオワタ情報にまとめられている。(本当は産経新聞の元記事URLを引きたかったのだが、既に削除済み。というわけで、元記事の存在証明はないところはご容赦を。(だから、論文とかでは、データとしては使えないなぁ、、、増田で使うのが精一杯。)

豊田社長「マスコミは若者の車離れと言うが、離れているのは私達メーカーではないのか」 - ツンダオワタ情報

まずはトヨタがどのような手を売ったのかというと、、

トヨタは今年1月に「スポーツ車両統括部」を立ち上げ、スポーツカーの企画や開発に関する最終権限を経営陣から現場に移譲。スポーツカーの復活とともに、走る楽しみを演出する複数の

 プロジェクトが始動している。足回りの良さにこだわった特別仕様車を相次ぎ発売。4人乗りで世界最小の「iQ」6速MT搭載限定車は予約開始から1週間で完売。

9月3日。強い日差しの下、静岡県小山町富士スピードウェイで、1台のスポーツカーが強烈なエンジン音を響かせていた。12月から世界限定500台で販売が予定されている高級

 スポーツカーレクサスLFA」(価格3750万円)。報道関係者らを対象にした試乗会が行われていた。LFAの最高時速は325キロだが、この日は1周4.5キロのコースを約2分で駆け抜けた。「ハンドルを握ったときにドキドキ、ワクワクするクルマをつくりたい」自らレースにも参戦する豊田社長は常にこう言い続けてきた。

つまり、

のようにスポーツカーに活路を見出そうとしているよう。

でも、その結果は、、、、「文中の」ファクトデータを洗ってみると、、

クルマが売れない。昨年の国内新車販売台数は約460万台と、ピーク時(平成2年)の6割程度にまで縮小している。景気低迷が一因だが、一般的には若者のクルマ離れが最大の理由とされている。調査によると、大学生の「興味ある製品」でクルマは17位(20年度)と、40~50歳代が大学生だった当時の7位から大きく後退している。

要は、

  • 市場の縮小は継続している
  • 大学生の間で車に対する興味は薄れている

ということ。ただし、MTのiQは限定台数を売り尽くしたし、Wikipediaの記述を見るかぎり、LFXもきちんと台数は捌けているよう。要は、「作ったクルマはちゃんと売れたけど、市場全体の構造を変えるまでに至っていない」ってことですね。それに対するネット民wの反応は、1997年痛いニュースから、全く変わっていないというのも面白いところだ。

結局のところ、市場の縮小は人口減少トレンド下では不可避。でも、せめて若年層にクルマを運転する楽しみを知ってもらい、高付加価値のクルマを継続して買ってもらえるようにすることで、市場構造の問題を少しでも緩和したい、っていうところだと思われます。少なくとも、ここまでに取り上げた情報ソースからすると、、、、ですが。

クルマがすきな若者は本当にいなくなったのか?

まず、「若者」という括りに対してツッコミがあるというのは、甘んじて受け入れよう。というか、全面的に納得せざるを得ない。で、話を単純化するために、母集団を「大学生」という括りに絞ってみることにする。大学進学率が上昇し、それによって「大学生」という母集団の性質が変化したという点については、「なぜ大学進学率が50%を超えたのか? -大学進学人口と大学数との関連-」という小樽商科大学の学報掲載記事をご覧いただければ一目瞭然。(ああ、やっと真っ当なデータリソースを挙げることができた、、、ホッ。)

であれば、「大学生」よりも、より限定した形で母集団を設定しなければ、まともな時系列比較ができない、ということになる。でも、そんな統計はまともに存在しないだろうなぁ、、、、ということで、ここからは、私の実感という超主観的な状況証拠を絡めてで話を進めたい。私は30代半ばで、某都心から50kmくらいにある某大学を職場とする人間だ。で、自分の周りがみんな全くクルマに興味がないかというと、そんなことはない。R32スカイラインをシートを始めとしてひたすら改造しながら乗っている先輩、フランスオープンカーに乗る後輩、馬鹿でかいアメリカ製SUVで駅まで送ってくれた後輩、、、、普通にいる。しかし、キャンパスの周りが整備され、駐車場の確保が難しくなったなどの事情もあるのだろうが、昔はその存在を確認できた30万円で買った中古車で大学に通い、金はなくともバス/電車という公共交通機関の利用を忌避するタイプの層は、ほとんど見ることができない。つまり、エンスー、とまではいわないかもいれないが、クルマに対しそれなりのお金を費やししている層は昔も今も、少数ながら存在していて、がんばってクルマに乗ろうという層がいなくなったということになるだろう。

無理してクルマに乗る、というインセンティブは下がっている?

30万円の中古車というと、当時の車種で具体的に言えば、10年オチのファミリアハッチバックとか、カローラⅡとかですな。当然乗り心地は良くないし、内装はパットしないし、、、でも、なぜわざわざそんなクルマを乗り回していたかというと、一番大きな理由は「クルマが無ければ不便だった」ということではないかと思うのですよ。この15年ほどで、私鉄や地下鉄の延長、新規路線開業は相次いだし、JRも湘南新宿ラインなどの直通電車をバンバン投入した。職場近辺は、15年ほど前までは、各駅停車しか止まらない私鉄の駅までバスで15分。都心に行くには2時間じゃ利かないという状況だった。かつ周囲には自動車工場と関連施設、更には清掃工場とかしかない、街だったわけで、、、、そりゃ、がんばってバイトして、クルマ買うよなぁ。逆に言えば、今となっては、無理してバイトしなきゃ手に入らないならクルマなんて買わずに、大学が斡旋してくれるUQ Wimaxルータでも買って、電車の中で課題をこなしている方がよっぽど効率的だ。

これと同じ状況が広く各大学で生じている。また、首都圏関西圏のいたる大学で、文系を中心に、バブル期に都心から30〜50km圏に新たに取得した土地に移転させた学部を、都心部の本部キャンパスに戻すというプロジェクトが進められている。というわけで、大学生の多くがクルマに乗らなくなるのは必然、というべき状況なのだ。

Fun to Driveを実感できる層とは

"Fun to Drive"というのは80年代〜90年代(だったかな?)にトヨタが掲げていたコーポレートスローガン、というかキャッチコピー。今あらためて読んでみると、いいキャッチコピーだなぁと。クルマを運転するのはやっぱり楽しいと思う。車高の低い、重心の位置が決まっているクルマって、運転技術が下手な人間でも、走らせるとむちゃくちゃ楽しい。(助手席に乗る人はたまったものじゃないわけだけれど、、、)研究者の職場というのは、普通のホワイトカラーと比べて圧倒的に交通の不便な場所に設置されていることが多い。大学しかり、企業や行政立の研究所しかり。将来的にそういった職場で、ある程度の期間働くことになったとしても、個人的にはクルマで通勤するのはできるだけ避けたいと思う。だって、遅刻の心配しながら朝必死に高速を飛ばしたり、長時間デスクワークした疲れた体で夜道を長時間かけて走って帰宅なんてしたくないじゃあないですか。しかも、クルマに乗っている限り、酒が飲めないというオチまでついてくる。正直、Fun to Driveを実感するきっかけが、自分に巡ってくる機会なんてめったにない。

タイトな仕事に従事する層が通勤でFun to Driveを感じるというのはかなり厳しい。逆に言えば、サボってもいい授業を沢山履修していたり、帰り道にドライブデートする機会が多い学生というのは、Fun to Driveを感じるのにものすごく最適化された生活をしているのだろう。もちろん、クルマで通うことが正当化されるような大学に通っている場合に限るわけだけれど、、、、

それ以外では、「もともと自宅に乗っていて楽しいタイプのクルマがあって」「工場勤務で工場隣接の寮に住んでいるから平日は閉じ込められている。近所にろくに店もないから、週末はクルマで遠出するのが趣味。店がないということは、そもそも他にお金の使い道もないし、、、」という人くらいなのではないかと思いますよ。

クルマ文化先進国?ヨーロッパの状況

まあそれでも、ものづくりニッポンの文化として、モータリゼーションは浸透し続けるべきだし、それは可能だとおっしゃる向きもあるだろう。であれば、自動車文化先進国といわれるヨーロッパの状況を見てみたい。

ヨーロッパに行くと、日本ではあまりお目にかかれないブランドのクルマをよく見かける。SKODA、SEAT、そして90年代には多少日本にも乗っている人がいたけれど、、、的なOPEL、LANCIAなどもまだまだ現役だ。注目したいのはSKODAとSEAT。この2つのブランドはAudi同様VOLKS WAGENの一ブランドなのである。SKODAはもともとチェコ、SEATはスペインメーカー。それぞれVWによって買収され、現在は中〜低価格帯のラインナップを担っている。逆にVWの高級ラインがAudi。VWは、ヨーロッパで最も販売台数が多い自動車メーカーだ。ACEA - European Automobile Manufacturers' Associationの、Year 2011 by manufacturer and by vehicle category (Enlarged Europe) <※注1:エクセルファイルへのリンクです, 注2:1月〜8月までの数値>によると、メーカーとしてのシェアは23.2%。で、問題は23.2%の内訳だ。VWブランドは全体の12.3%。高級ラインのAudiは全体の5.0%、SEATが2.3%、SKODAが3.6%である。VWはフェートンやトゥアレグなどの高級車(というか、実質中身はAudi A8・Q7ね、、、)はあれど、代数的にはごく一部だろうから、23.2%のうち、15%くらいはBセグメント以下の中小型車と推測できる。そしてVWグループ低価格帯のクルマにスポーツカーは極少数だし、Golfにしても他の車種にしても、ホットバージョンのグレードは売上のほんの少しだろう。

一方、スポーツブランドエンスーな人御用達ブランドはというと、、、ALFA ROMEOで1.0%、PORSCHEで0.3%。ボンドカーASTON MARTINもヨーロッパでは8ヶ月間で1,664台(0.0180630955651735%)しか売れていない。(これだけ売れれば十分か、、、?)ちなみにみんな大好きフェラーリは、FIATグループの中でもその他扱いされていて、数値が出されていない。っていうか、その程度のもの。ヨーロッパ階級社会が未だに色濃く残る社会なので、先祖代々馬車に乗っているような人たちが、相変わらず週末の嗜みとしてポルシェフェラーリ、はたまたブガッティランボルギーニなどのカロッツェリアリリースする少数生産の高級車に乗っているのだろう。ということは、ですよ。日本においてエンスー車のみをひたすら取り上げていたCar GraphicやNaviのような雑誌がそこそこ売れ、地方自治体立の図書館に配架され、なおかつテレビ朝日系で番組まであったというのは、どう考えてもおかしい事態、なわけですね。

じゃあ、アメリカはどうなんだ

というと、やっぱり車の運転が「好き」っていう人はそんなにいるように思えない。バック・トゥ・ザ・フューチャーの時代から、若者の憧れはSUVだったし、トヨタアメリカの若年層を攻略するために導入したサイオンだって、ラインナップはxB(日本名Bb)、xD(日本名ist)だし。アメリカ市場といえば、、、のホンダの戦略車種だって、ELEMENTやCR-VにMDX。ようは、SUVをカリフォルニアサーフカルチャーに振るか、ニューヨークヒップホップカルチャーに振るか、はたまた高級志向に走るかしか、手はなかったわけで、、、、

経済成長期にみられる特殊現象

経済成長期というのは、来年は今年よりも所得が増える人が沢山いるという状態のことだ。経済的に余裕が出来てくると、多くの人間が考えるのは生活の質的向上を図ろうというものだ。その結果、未知の様々な趣味にお金と時間を突っ込んで見ることとなる(これ、現在の中国沿海部がちょうどそういう状態)。そういった状況下で、日本のメーカーレビントレノ、MR-2、CR-X、ユーノスロードスター、FTOなど低価格でかなり走りが楽しめるスポーツカーを量産してしまうことに成功してしまう。ミドシップのツーシーターが200万円台前半とか、V−Tecエンジンを積んだ2ドアホットハッチが100万円台、車の歴史から見たら、おかしいだろう!ということですよ。更にホンダビートダイハツカプチーノ、極めつけはマツダAutozam AZ-1軽自動車なのに、ミドシップガルウィング。とんでもなさすぎる、、、、

で、いろいろ手を出してみるものの、そこそこ収入が安定する頃には、自分の趣味や可処分所得に見合った趣味だけに落ち着いていく。ま、もともとクルマで女の子にもてようと思えば、そこそこの外車や国産車でもレクサスになるだろう。中途半端に月3万円のローンとほぼ同額の維持費をクルマに突っ込むくらいなら、3万円を衣服費に使い、残り3万円でデートに誘う店のグレードを上げた方がよっぽどモテるだろう。結局日本という市場は、相も変わらず500万円オーバーのクルマを買い続けてくれる一部の層と、下駄として使うための安くて丈夫なクルマを選ぶ層(しかも、子育て期限定でワンボックスを買う層も多いと見た、っていうか00年代前半は、2シーター乗っていた人が、パパになってSTEPWGNやセレナに乗り換えを余儀なくされるというパターンが本当に多かったのですよ)と、クルマなんてそもそもいらないっていう多くの層によって形成されることとなる。下駄クルマは利益率は低いし、韓国・中国勢がブランド力を向上させていけば、取って代わられる事態も当然ありうる(それを日本にやられた先例がアメリカだ)。国内市場で利益をあげ続けようと思うならば、高級車のシェアを取りに行くしかない。そういう意味でトヨタはLexusを止める訳にはいかないし、他社は実質国内市場はあきらめかけているんじゃない、、、としか思えない。高級車ラインを展開できなければ、日本は欧州・アジア向けモデルを導入するone of themの市場という前提で戦略を立てざるを得ない(実際、日産、ホンダマツダなんかはまさしくこの戦略をとってる。マーチが全量アジアからの輸入になるなんてね、、、、)。

なぜダイハツは第三のエコカーのCMに瑛太を起用するのか?

で、以下のURLから1本のテレビCMをご覧頂きたい。トヨタグループの一員であるダイハツの企業CMだ。

テレビCM 企業CM「日本のどこかで 新しい町」篇【ダイハツ】

このCMの読み解きは、あくまでも僕の憶測にしか過ぎないのであしからず

都会でクリエイティブ(たぶん美容師とか、ショップ店員とかかな?)な仕事をしていた瑛太が、突如田舎にIターンUターン、じゃないだろうなぁ、、、)して、ガテン系(工務店)の仕事を始める。そこで、これまで乗っていたアメ車のシボレー・カマロを第三のエコカーであるダイハツの軽(ミラ・イース)に変える。生活の変化と平行して、地元の郵便局員である吹石一恵との関係が始まり、、、、というストーリーなわけだけど、設定の1つ1つに企業戦略として重要な意味合いが込められていると思うのだ。(あくまでも推測だけど、、、)

都心にはダイハツが売り込む市場など、商用車以外に大して存在しない(それでも、乳幼児を抱えるお母さんが、電車に乗れなくなったから必要に迫られて車を買うというケースは結構ある(タントのCMを参照。それにしてもダイハツのCMは、意図がすっきりはっきりして清々しいほど。マーケ的お手本ですね。)。だから、当然第一次・第二次産業(の生産部門)が経済の中心であるエリア、もっとわかりやすく言い換えると、でっかいイオンモールが唯一のデートコースという地域が、ダイハツ(とかスズキとか)の主戦場となる。

そういったエリアは、都心とは異なる理由で市場の縮小が進んでいる。まずもって、人口減少トレンドがものすごく強いということ。都心の場合出生率は下がっても、人口流入が大きいので若年層人口の減少トレンドはかなり緩和されている(というか、江東区とか、横浜市なんかは、保育園入園の待機児童問題がぜんぜん解決されないままで、、、、)。でも、地方は加速度がついて若年人口が減っているというのがまず前提となる。

その上に自動車市場を冷やす意外な要因というのが、実はイオンモールの進出ではないのかな、と個人的には睨んでいる。こう書くと、「イオンモールこそが、駅前商店街衰退の最大の要因で、だからみんなクルマを保有せざるをえないのじゃないか」というツッコミがきそうだが、たぶん逆じゃないかな、と。地方の駅前商店街なんて、もともと若年層が楽しめる娯楽や、ファッションを提供する機能を持っていなかった。だから、暇な若者に出来る時間つぶしって、女の子を誘ってドライブくらいしかなかったわけだ。例えば、90年代にものすごく売れたホンダ・S-MX は、フルフラットシートにできるだけでなく、ご丁寧にティッシュボックスまで備え付けてある。わかりやすくニーズのど真ん中をついていたわけだ。

それが、イオンモールができることで状況は一変する。シネコンタイトーとかセガとかの大規模ゲーセンやROUND1で時間は潰せるし、服を買うのも、ワールドイトキンオンワードといったアパレル大手のちょっと低価格ラインのショップレディースならば宮崎あおいがCMしてるEarth music & ecologyとか、OZOC、Melroseとか。メンズならTK Takeo Kikuchiとか。ユニセックスチャイルドで、UNIQLOに満足しない層のために、GAPとか、無印とか、COMME CA ISMとかも入っている。ABCマートがあれば、靴も含めてそんなにダサくない、というか都心で売っているものと遜色のないものが揃ってしまう。そりゃ、裏原宿テイストは無理だけど、池袋マルイサンシャインシティくらいのレベルは買えてしまう。片道30分でイオンモールにつけるのであれば、その短い時間にお金をかけるよりも、一日中過ごすイオンモールの中でお金を使ったほうが楽しいわけだ。つまり、人口が少ないだけでなく、残っている若者にもクルマに必要以上にお金をつぎ込むインセンティブがもはや存在しないということだ。

じゃあ、粛々とシュリンクする市場規模に対応するだけの資源投下をすべきか、、、というとそうは問屋がおろさない。それができない要因、それは地方に数多く存在する独立資本の販売店フランチャイジーだ。バブル崩壊後、自動車メーカーはそれぞれ、ドラスティックに販売網ネットワークを整理した。今となっては複数の販売チャネルを運営しているのは、実質的にはトヨタだけになってしまった。ただし、トヨタ・日産・三菱といったメーカーの場合、販社は一部自らが出資している法人が大半であり、スムーズに(とはいかないまでも、どうにか)店舗網の縮小、合併を進めることができた。ところが、ダイハツスズキスバルホンダ(の旧プリモ店)は、三丁目の夕日に出てくるような個人経営の自動車整備業にフランチャイジーとして販売を委託するという形態の店舗を数多く抱える。販売店網が密だということは、アフターサービスメンテナンスの質を向上させることにつながる。アフターサービスメンテナンスはアフターマーケットという業界用語があるくらい、利益率の高い市場なので、各社力を入れているわけだが、サービス水準を高めるためには、各店舗の士気が高められていることが重要だ。

販社としては、生涯価値の高い顧客、つまり長くお金を落とし続けてくれる顧客を捕まえたいというニーズを持っている。となると、地方にやってきた若年層というのが、一番欲しい顧客のプロファイルとなる。地方にやってきて、工務店という地域密着な仕事をし、地元の(たぶん)特定郵便局の職員とつきあって結婚して、、、というのは、まさしく地方の販売店にとって喉から手が出るほど欲しい顧客像だといえるだろう。こういう層に向けて、ストレートに刺さるCM、というのは、ミラ・イースの本当の想定顧客かどうかは関係ない。(実際、イースの車種CMは、ブルース・ウィリスを起用してダジャレを言わせているわけだから、瑛太のようなプロフィール、ではないことは明白。)「企業CM」して瑛太と吹石一恵が出演するCMを放映するということは、メッセージターゲットは販売店フランチャイジーなのではないかな、と。

長かったけど、結論。車好きの数は基本的には一定比率。高度成長期バブルが異常だっただけ。

小見出しで結論は言い切っちゃいましたが、基本はこれ。自動車メーカーボードメンバーや車種開発部門は既にわかっていてやっているはず。じゃなきゃ、瑛太が乗るクルマはミラ・イースにならないし、マツダスカイアクティブテクノロジ搭載車やホンダハイブリッド車に国内独自モデルが1つもない、なんて事にもならないはず。

ところが、販売部門、とくに販社といっしょにプロモーション計画を取りまとめる部門は、国内は縮小均衡で粛々とやっていく、なんてことは口が裂けても言えないはず。なので、国内販社向けマーケティング担当者が考えるべきは、シュリンクする市場環境下で、世界共通モデルをいかに低コストローカライズして、他者のシェアを奪うのか、しかないのが現状なのだと思いますよ。正直、ね。

2010-03-16

結局

第二次産業産業廃棄物生産業だし、第三次産業産業廃棄物横流し産業なんじゃないの。

第一次産業医療と福祉だけあれば良いんじゃないか

2010-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20100110042548

意見にぶれがある気がするよ。

物価は上がってんのか、下がってんのか。

麦は高いけど、被服は安いようだし。

総体としては上がってるって話なのか。


それとも、「日本だけ」が生産性が反映されない「特別に歪な市場」だと言う論理展開なのかね。


日本エンゲル係数は近年下がっているんだから、その方面での物価は上がってない。

技術の発達を考えれば、例に出たジーンズのように、むしろ物価は下がっているだろう。

暮らせない人が増えているのは、昔だったら普通だった、低いレベルの生活が出来ないだけ。

そのレベルを落さずに、彼らを救済しようとするには、住居など「インフラ側」のデフレが必要だ。

昔だったら長屋しか借りられなかった金額で、普通物件に住める様にする。

住居に関して物価高だというのなら、日本は「昔から」物価が高かった。

それでも昔は安い物件があったが、今はそれが駆逐されている。



本題とは違う話なのだけど。

石炭石油のように物事を考えるなら、石油関連は別の雇用を生み出しているわけで、単純に「減る」話ではない。

最初の産業革命から、第二次産業革命やら、近年ではIT革命まで、あまたの革新を経てきたのに、それほど雇用は減っていない。

「新たに雇用が生まれているから」だとするなら、技術革新はあまり雇用に影響が無いことになる。

生産性が上がっても、物価が下がらないと、失業者給料低下者)だけが増える

理由がいまひとつ良くわからない。

2009-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20091008164428

機械系じゃなくて第二次産業が重視されてないだけでは。

第一次産業農業とか)はやらなきゃ食うもの無くなるから危機感がある。

第三次産業サービス業医者含む)は基盤産業にしたいと思われてる。

第二次産業工業)はもう十分やったしいいんじゃね?ってなノリだろう。

つっても第三次産業は第二次・第一次産業の将来キャッシュフローを裏付け資産にしたデリバティブみたいなもんだから、新しい付加価値は産まないと思うけどね。

でもデリバティブな分レバレッジが効くからとりあえず大きく儲かるんだなこれが。

それを続けるとどうなるのかは、たぶん誰も知らない。

2009-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20090418154533

そりゃ戦前だって一部の企業はそういうのあったけど、多くの人はそうじゃなかったわけで。

そもそも産業構造が違うからね。戦前第一次産業従事者が第二次産業に移行する過渡期だからね。

一部にでも終身雇用の人がいるから終身雇用社会だといえるんならたいていの先進国はそうだろうね。

日本退職金制度先進国でもかなり特殊だよ。企業年金制度が充実してる場合は多いけど、一時金としての退職金てのはなかなかないはず。

氷河期世代ですら終身雇用だといえる。

当然そうでしょ。

だから大手企業就職しようと必死になるんじゃないの?

生涯賃金=長期間の安定を考えるからだと思ってたんだけど。

でもまあ、退職金制度もいつまで残るかわからんけどね。法律保護されている制度じゃないし。

社会システムとしてどんな産業構造・就業形態・平均的生活レベルを作っていくのかってのが政治課題だけど、

統合されたマニフェストって見えてこないよね。生活者視点ってなんなんだろうな。

2008-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20081025103957

戦前と言うか、第二次産業全盛の社会では、だろう。

産業の軸足は段々と第三次産業へ移るわけだが、それは、物を作るのが容易になって、物が豊になり、物の価値が下がるからだろう。

そういう社会では、対物よりも対人、物を作る事よりも売る事の方が重要になってくるから、物と向き合う事より、人と向き合う事の方が大事になるんだろう。

それにしても理系って毎日のように誰かが言ってるんだな。そんなに気にする程のことかね。

2008-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20080602173609

理系職は基本的に第二次産業だから儲からないのはどうしようもないと思うぞ。

金融の方で未来に分布した価値を現時点で考慮して取引する技術が発達してるように、「イノベーションは膨大な凡人理系の死骸が作り上げる巨人の肩の上に乗った天才が起こすものである」とかいってイノベーション価値を凡人理系にも配分する仕組みを作ればいいのかもしれないけど、「じゃあ巨人部品になれる凡人となれない凡人の違いは何よ」って話になるし、「めんどくさいから一番設けた奴が一番偉いってことでいいっしょ」となるのがビジネスマン的思考だろう。

文系社会で一番稼いでる奴は必ずしも一番価値を生み出した奴ではなくて、「俺はすげー価値生み出してるぜ」と周りに信じ込ませるのが一番上手い奴であることが大半だし(信じ込ませれば金出す奴がいっぱいいる)、そもそもサービス産業って本質的にそういうとこあるし。

実直にモノ作らなきゃいけなくて、人間じゃなくて自然が相手だから口先で誤魔化すこともできなくて、製品が厳密に決定するから価格自由度も低くて、「まぐれ」が効くこともあまりない理系仕事じゃ金にならないのは当然だと思うよ。「世の中そんなに馬鹿ばかりじゃない」という前提が成り立つならそうでもないかもしれないけど、絶対に成り立たない前提だしね。

一応言っとくと俺は生粋理系(理論物理専攻)ですよ。

2008-02-15

日本は大負けする必要がある

これから日本は、世界に対して大負けする必要がある。

日本人っていうのはたぶん、痛い目を見ないと分からないようにできてる。

GDP先進国中17位になったってくらいじゃまだまだ足りなくて、もう一度、不況のど真ん中を経験する必要があるんだ。

金融も製造もITもほかの国に持って行かれて、もちろん第一次産業ダメ

今から既存の産業で他の国に追いつき追い抜こうとしても、もう無理なところまできてる。

グローバル化が進む世界の中で、言語が障壁になってるから、世界に売ってでれないからだ。

だから、全く新しい産業で世界の目をもう一度向けさせる必要がある。

だけどそれには、どん底に落ちるのが条件なんだ。それくらい追い込まれないと日本再生しない。

国内でのほほんとやってるITベンダーは、近い将来、大編成を迎える。

Saas、Faasは中抜きの仕組みだから、レガシー技術にすがってる大手は軒並みリストラしないと生き残れなくなる。

人口の減少は必然なんだ。

なぜなら、日本は新しい産業を作れなかったから、みんなで寄り添って、国内の小さなパイを分け合い奪い合ってしか生きられなくなった。

そのパイも、経済グローバル化が進につれて、新経済大国のような国々の企業も食べ始めたから、どんどん日本人が食べられるパイが小さくなっていってて、これからだって取り分が小さくなっていく。

今の人口を支えてさらに人口を増やすには、パイを大きくする必要があるけど、それは国内に作るんじゃなくて海外に求めなきゃいけないのに、誰もそっちに目を向けない。なぜなら、国もそれについてはノーアイデアで、今のところ諦めてるからだ。

日本はこれから、縮小均衡点を探す。

昔のイギリスのように、老齢な社会に一度なって、寿命で死んで、そしてまた生き返る。

それをやらないで、今からしゃにむに若返ろうとしたって、それは難しい。自然摂理に反するからだ。

不況による失業や、物価高、低所得、福祉の不在、互助精神の欠如などにより、子供は増えず、今の人たちは失意の内に年を取り、社会全体が死んだようになる。

さらに、教育施策の失敗により、これから知識集約が必要な第三次産業国際競争力はますます弱くなる。

より単純な第一次産業第二次産業への就労者が増えることで、賃金はさらに下落する。

回復の兆しは、これから10年後に見えてくる。その頃、同時に日本どん底を迎える。

思いつくままに書いたけど、けっきょく何が書きたいか分かりませんでした。

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