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2023-09-13

相対的位置で表される地名が恥ずかしくて改名された例

元増田みたいなのが居るから地名変えちゃったってケースを出すよ。

 

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230912103559

 

 

志茂

地下鉄南北線志茂駅というのがあるが、ここは昭和初期まで「下村」だった。上村は近くにないので、岩淵宿から見て下の村という意味かと思われる。

関東大震災後に人口流入して町になる時、「下町」じゃあれなのでちょっとこじゃれて「志茂町」とした。

後に町が取れて志茂となり、駅も出来て有名になったが、住んでる人も元は「下」のこじゃれた書き方だったとは知らないことが多い。

 

西川口

西川口駅の西口周辺はかつては横曽根村だった。

関東大震災後に東京近郊は下町から移住人口が増え始め、川口町合併して川口市になる横曽根人口が増える前に区画整理をする事になった。

新しく升目に近くされた区画町名を付ける必要がある。

横曽根の中心の北には「北」、南に「南」というおざなり小字があり、西側は「新田」という小字があったので、「北」を「北町」、「南」を「南町」、真ん中を「仲町」とし、西側新田は「仁志町」とした。

仲は中を、仁志は西をこじゃれた風にしたものだ。

だが西川口駅が出来て人口がどっと増えると、駅西側は全部西川口にしちゃえという事になって北町も仁志町も全部西川口になってしまった。

「仁志」とかせっかく付けたのに結局に「西」で上塗りされちゃっというケースである

 

余談だが、南町は残ったのだが、ここは市境に近く、川口市南町から歩いて5分に蕨市南町があるので混乱の元だ。この命名法はよくない。

 

上板橋中板橋

先の事を考えない鉄道会社に振り回されたケース。

東上線中板橋駅の西側に711の弥生町店があるが、実はこの辺りは川越街道上板橋宿跡である

大正初めに東上鉄道(現東武東上線)が開通すると、始発駅の池袋の次は板橋下宿に近く貨物扱いで重要下板橋駅が設置されたが、その次は4km先に設置する事になった。当時は蒸気機関車単線運転から交換用の駅で距離もその程度が適当だった。

だが駅の周りがマジで何もない。だから駅名に適当地名も無い。

そこで3km程離れているが著名な宿場上板橋を駅名にした。

だが昭和初期に電化されて加速性能がいいので駅を沢山作る事になり、下板橋上板橋の真ん中にも駅を作る事になった。だがこの近くの地名は、上板橋宿に因んで全域が上板橋になっていた。

でも下と上の中間板橋から中でしょと「中板橋」駅としてしまった。

すると上板橋上板橋付近になくての隣の駅の周辺にある、しかもその駅名は中板橋というおかしなことになってしまった。

地名変更できるようになると上板橋は古い名前を捨てて「弥生」というこの地に特に縁のない名前にしてしまった。

全部先の事も考えないで行動する鉄道会社のせいである。

 

池袋

元々池袋村は今の下板橋駅付近が村の中心で(現池袋本町)、池袋駅が設置された当初は池袋村の村の外れの村境ぎりぎりの場所だった。

今の西口付近はその名も「上」という小字場所だった。その他にもこの周辺は「原」とか「下上」とか「西山」とかおざなりの超てきとうな小字ばかりであった。さすがは人もろくに住まず雑木林のままの村はずれだ。

だが鉄道がどんどん集まってきて人口も増えるとそんなてきとう地名は「池袋」で消されて無くなってしまった。

そもそも下上って何なのか?

 

墨田隅田

葛飾区足立区区界を見ると綾瀬駅付近で絡まったコードのようにやたらグネグネしている。これは古隅田川の流路で、中世では住田河と呼ばれていた。

荒川放水路が出来るまでは堀切駅付近で今の隅田川に合流していたので、その上流までが荒川、その下が隅田川と呼ばれていた。

この隅田川の東に隅田村というのがあった。

一方、江戸時代水墨画流行すると、「墨」という字とそれを「ボク」と読むのが粋でブランド価値を持つようになった。

隅田川がカーブしながら先述の古墨田川と合流する場所の外側にあるのが隅田村で、洪水が頻発するので幕府隅田堤という陸の堤防を築造、桜を植えた。桜を植えるのは花見客が大挙して訪れて踏み固められるからである。今も川べりに桜が植樹されるのはこの幕府の知恵に由来する。

するといい景色なので山水画浮世絵が多く作られたが、何しろ「隅」より「墨/ボク」の方がカッコいいもんで、隅田堤じゃなくて「墨堤/ボクテイ」と題されたりした。

その他にも隅田村/隅田川関連のものが「墨田」と呼称されたので、隅田村→隅田町となっていたが住んでる人らは勝手に隅っこよりもイキな方がいいと「墨田町」と書くのが流行し、本所区と向嶋区が合併した際には墨田区となった。

隅田町が町名変更できるようになるとこれもやはり墨田となった。

 

仲宿

中仙道板橋宿は超巨大宿場町で、JR板橋から都営地下鉄板橋本町駅の2.5kmくらいもあり、北から上宿、中宿、下宿下板橋宿/平尾宿)と分かれていた。

鉄道道路時代になると宿場町の記憶は無くなって何が中なんだという事で、仲宿と改称された。

 

台東区

浅草区下谷区合併したのが台東区

下谷はいかにも下に見られてるみたいなので、台地の東、と台頭を兼ねた造語を区名にした。

吉原遊郭とか上野周辺とか山野とか実際にスラムが幾つかあったのが余計にコンプレックスを刺激した。

 

十条上十条

十条と呼ばれる地区には北側上十条村、南側に下十条村という二つの村があった。尚、この当時の上、下というのは京都に近い方が上である江戸北側には中仙道があるので京都に近い方の北が上であって、東海道周辺なら西が上になる。

両村を縦貫する形で日光御成道(別名 岩槻街道)があり、下十条宿という幕府非公認の小さな宿場町があった。今の東十条駅から坂上がったあたりの塾や郵便局があるあたりである

明治になりその十条の西の方に現赤羽線埼京線。開通当時は日本鉄道品川線)の十条駅が出来た。

次に東北本線京浜東北線)にも駅が出来る事になったが、当然、一番栄えている下十条宿に近い場所に設置された。また駅に来れる道もある。だから当然駅名も下十条駅だった。

ところが昭和住居表示町名が変えられるという事になると、下十条が「今は東京駅に近い方が上だからこっちが上十条だ」とか言い出す。

それで町名を押し出された元の上十条は、下はヤダってことで中十条となってしまう。何でだ。

駅の東側の元は十条じゃなかった辺りは東十条となった。

こうして下十条が無くなったのに駅だけ下十条を名乗ってる状態になったので、十条の東だし、東十条に隣接してるってことで改称されて東十条駅になった。

そりゃ下扱いは誰でもイヤなもんだが、下剋上的というか身勝手というか。

 

田園調布

田園調布がある場所はかつて荏原郡調布村だった。

ここを東急電鉄後藤慶太デベロッパが買い上げ高級住宅地田園調布」の分譲を開始、鉄道も開通し、調布駅が設置され、直ぐに田園調布駅に改称される。

「田園」の文字の由来は、ロンドンに視察に行った後藤田舎に住んで都会に鉄道通勤するというゆとりがある生活スタイルに触れて感銘を受けたため。当時のロンドン児童含む超絶ブラック搾取労働や、一晩で数百人が死ぬほどの超絶大気汚染ゴミや糞便に混じって死体流れるテームズ川の超絶河川汚染、多発するスリ強盗殺人林立する売春婦など、文字通りに死ぬほど環境が悪かったために富裕層にこのような生活スタイル流行した。

昭和3年に人口が増えて町制施行されることになったが、調布町とすると京王線沿線調布と被ってしまうので「東調布町」と呼称

だがその僅か五年後には荏原郡自体東京市に編入されて東調布町も消滅。短い命であった。

初めは東急の子会社デベ)が開発した駅前の高級宅地けが田園調布だったが、住居表記施行町名変更が可能になると、元の田園調布の周りの○○沼とかの町も「沼とかヤダ田園調布にしたい」という事になって、全域が田園調布となった。

この為に駅の裏側とか川べりの低地とかあんま高級じゃない田園調布が沢山ある。

2021-10-10

東京北部の人は明日から2時間以上の時差通勤の準備をした方がいい

変電所火災JR線が止まってる問題だが、これは直ぐには復旧できない。恐らく世の人が思っている以上に大きな事故なんである

何故なら蕨変電所普通変電所と違ってハブになる変電所なので東京の1/3の路線送電できなくなるからなのだ

その影響は過去の事例から見て不通の解消に1日程度、つまり明日の朝は東京北部JR線は走らないと考える。

そしてダイヤの大幅な乱れや並行私鉄線殺人的な混雑は1週間程度続くと思われる。

 

東京JR路線送電の仕組み

まず、送電というのは発電所--変電所--変電所--変圧器電柱の上)--家 となってるのだが、鉄道場合ちょっと違う。電車直流で走るからだ(関東以西)。

から一般的私鉄ではこうなっている

 

電力会社変電所--鉄道会社直流変電所(ここで交流直流化する)--架線

 

国鉄コストダウンの為に大需要である東京での電力の自家調達に努めた。因みに見る角度で本数が変わる「千住お化け煙突」っていうのは千住国鉄石炭火力発電所の事だったのよ。

それを受け継いだJR東も自前の発電所を2つ持っている。

それが

 

信濃川発電所(水力/新潟県小千谷十日町

川崎火力発電所(火力/ガスタービン式、燃料はパイプライン供給天然ガス/鶴見線扇町駅近く)

 

この二つの発電所送電経路は

 

信濃川発電所--武蔵境交流発電所中央線武蔵境駅近くで見える巨大変電所)--沢山の直流発電所--架線

川崎火力発電所--鶴見交流変電所湘南新宿ライン東海道線から分かれて直ぐに見える巨大変電所)--沢山の直流発電所--架線

 

となっている。そしてもう一つが今回問題の蕨で

 

東京電力(パワーグリッド)鳩ケ谷変電所岩槻街道沿いの超巨大変電所)--JR交流変電所(蕨-西川口間にあるが少し線路からは離れている)--沢山の直流発電所--架線

 

となっている。

連系線

そして各系統間で電力を融通する為の「連系線」というのが、蕨--武蔵境--鶴見と各交流変電所間にあるんである。蕨交流変電所の隣を電車で通ると「JR蕨」って書いた鉄塔が見えるが、あれが蕨--武蔵境の連系線の鉄塔だ。(東電鳩ケ谷-JR蕨間は地下ケーブル

因みに福一原発事故で外部交流電源途絶といった時の外部電源はこの連系線の事だよ。

 

ここで重要なのは電気は各系統のを混ぜて使うって事は出来ない。

何故なら発電所交流位相(+と-が入れ替わる周期)が合っていない。それを「混ぜ」ようとすると打ち消しあって電力が減るし、それ以前にショートと同じだから送電線が爆発する。

から連系線の電気を使う時は交流変電所から直流変電所への系統ごと切り替えるんだな。

こういう訳なので、架線も直流変電所ごとに区切ってある。その区切りが「エアセクション」ってやつ(架線が変電所系統ごとに平行に張ってある)。よく「エアセクション電車が止まって立往生」になるのはこういう訳で、変電所毎の区切りゆっくり進んでしまうとパンタグラフで各系統ショートさせた形になるから過熱して溶けたり燃えたり爆発する訳だ。

 

機能が2つあるので復旧も2ステージ

ここまで読んでもらったら、蕨交流変電所の復旧が2ステージに分かれる事が判るだろう。

 

1.鶴見-武蔵境からの連系線が機能するように復旧する

2.東電鳩ケ谷から受電して変電する本来機能を復旧する

 

1.の復旧は過去事例から約1日(若しくは数日)

2.の復旧は過去事例から約1週間以上

過去の事例:新宿変電所爆発事件

過去新宿直流変電所が爆発してとんでもない混乱が発生したことがある。山手線中央線と合流する直前にその間に挟まるように白青の変電所が見えるが、あれが新宿直流変電所事故以前は小さくてぼろっちい建屋だった。

1994年12月11日は冬の嵐で、多摩地区などでは雷が発生して交通網が混乱していた。そんな中、新宿変電所が漏電により出火。消防隊が臨場したが電気火災なので水を掛ける事ができない。そこでJR社員遮断しようとしたがもう破壊され尽くしていて不可能

すると上流の武蔵境交流変電所遮断するしかありませんな。変電所火災は放っておくと変電器などが破裂して中の絶縁油に引火して大火災になっていきます

ハブになっている武蔵境遮断したら当然、東京中の路線も駅も停電して大混乱ですわ。因みにJR場合新宿にあるJR病院本社ビルまで停電ちゃうのな。

それでやっと消火したけど新宿変電所20万Vで溶接機振り回したような状態建屋も完全破壊。復旧不可能ですわ。

 

仕方ないので新宿変電所を切り離す工事をして仮復旧。これで武蔵境から他の変電所送電できるようになった。これに一日掛かってる。でも電力が足りないので相当な間引き運転で、振替先の私鉄地下鉄各線殺人ラッシュに。

次に新宿が受電してた送電線を他の変電所につなげる分散工事をして復旧。これで普通運転間隔に戻せた。これが1週間。

余談:新宿変電所爆発事件土産としての信濃川不正取水事件

話の脱線なんだが、新宿変電所を立て直す際にJR送電の容量アップ、冗長化を進めたのね。それはインフラ企業として正しい事。

でも冗長性は普段は遊びになっちゃう。そして蕨から送電東電への電力料金が発生する。鶴見の発電は天然ガス代の支払いが発生する。信濃川はタダだ。連系系フルに活用できるだけのインフラも増強した。但し取水制限がある…。

という訳で「冗長化した設備有効活用」が動機になってああい不正をするようになっちゃったって面があるのよね。

 

新宿は末端だが蕨は根元に近いハブ

新宿発電所事故はこんだけ大変だったのだが、新宿スター型結線の末端(少しハブ機能もあった)。

それに引き換え、蕨は大本ハブなのだ。今回の自体の深刻さが判って頂けただろうか?

望みは連系線フル活用できるように冗長構成がされていて信濃川インチキしていた頃の取水をすれば被害を減縮出来そうってところ。

明日あたりに国に「蕨壊れちゃった…」と言って取水量大幅アップの許可取るのでは?それと川崎火力のタービン全開にしたら運転間隔半分までにはしないで済むかもしれない。

瞬停(瞬低)があった

増田の家は東京北部なんだけど、昼過ぎに2度瞬停があって一瞬暗くなり、デスクトップパソコンは落ちなかったが電子制御扇風機動作不安定になった。

今考えるとあれが蕨での事故の瞬間と東電鳩ケ谷の遮断の瞬間だったのかなと。

交通網混乱するけど送電施設でも眺めて気を紛らわせて

交流変電所の役目知らない人は「何時復旧するの」とイライラするが、知ってたら諦めた方が良いと判るね。

それでも会社に行かねばならない人は線路脇の送電装置類を眺めてその機能を調べて時間を潰したらどうだろう?電車撮ってる鉄オタは白い目で見られるけど、送電系が気になる銅オタは白眼視されないのでおススメです。

 
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