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2023-12-05

増田を一匹轢き殺した男を逮捕

東京都新宿区路上で、運転するタクシー増田1羽をひいて殺したとして、警視庁新宿署は5日までに、増田保護違反の疑いで、東京都中野区弥生町5丁目、タクシー運転手歯手名太郎容疑者(50)を逮捕した。

署によると「道路人間のもので避けるのは増田の方だ」と供述している。

逮捕容疑は11月13日新宿区西新宿1丁目の路上で、カワラ増田1羽をひいて殺した疑い。

https://nordot.app/1104576525622281026?c=39550187727945729

ハトを一匹轢き殺した男を逮捕

 東京都新宿区路上で、運転するタクシーハト1羽をひいて殺したとして、警視庁新宿署は5日までに、鳥獣保護法違反の疑いで、東京都中野区弥生町5丁目、タクシー運転小沢敦史容疑者(50)を逮捕した。署によると「道路人間のもので避けるのはハトの方だ」と供述している。

 逮捕容疑は11月13日新宿区西新宿1丁目の路上で、カワラバト1羽をひいて殺した疑い。

https://nordot.app/1104576525622281026?c=39550187727945729

2023-09-13

相対的位置で表される地名が恥ずかしくて改名された例

元増田みたいなのが居るから地名変えちゃったってケースを出すよ。

 

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230912103559

 

 

志茂

地下鉄南北線志茂駅というのがあるが、ここは昭和初期まで「下村」だった。上村は近くにないので、岩淵宿から見て下の村という意味かと思われる。

関東大震災後に人口流入して町になる時、「下町」じゃあれなのでちょっとこじゃれて「志茂町」とした。

後に町が取れて志茂となり、駅も出来て有名になったが、住んでる人も元は「下」のこじゃれた書き方だったとは知らないことが多い。

 

西川口

西川口駅の西口周辺はかつては横曽根村だった。

関東大震災後に東京近郊は下町から移住人口が増え始め、川口町合併して川口市になる横曽根人口が増える前に区画整理をする事になった。

新しく升目に近くされた区画町名を付ける必要がある。

横曽根の中心の北には「北」、南に「南」というおざなり小字があり、西側は「新田」という小字があったので、「北」を「北町」、「南」を「南町」、真ん中を「仲町」とし、西側新田は「仁志町」とした。

仲は中を、仁志は西をこじゃれた風にしたものだ。

だが西川口駅が出来て人口がどっと増えると、駅西側は全部西川口にしちゃえという事になって北町も仁志町も全部西川口になってしまった。

「仁志」とかせっかく付けたのに結局に「西」で上塗りされちゃっというケースである

 

余談だが、南町は残ったのだが、ここは市境に近く、川口市南町から歩いて5分に蕨市南町があるので混乱の元だ。この命名法はよくない。

 

上板橋中板橋

先の事を考えない鉄道会社に振り回されたケース。

東上線中板橋駅の西側に711の弥生町店があるが、実はこの辺りは川越街道上板橋宿跡である

大正初めに東上鉄道(現東武東上線)が開通すると、始発駅の池袋の次は板橋下宿に近く貨物扱いで重要下板橋駅が設置されたが、その次は4km先に設置する事になった。当時は蒸気機関車単線運転から交換用の駅で距離もその程度が適当だった。

だが駅の周りがマジで何もない。だから駅名に適当地名も無い。

そこで3km程離れているが著名な宿場上板橋を駅名にした。

だが昭和初期に電化されて加速性能がいいので駅を沢山作る事になり、下板橋上板橋の真ん中にも駅を作る事になった。だがこの近くの地名は、上板橋宿に因んで全域が上板橋になっていた。

でも下と上の中間板橋から中でしょと「中板橋」駅としてしまった。

すると上板橋上板橋付近になくての隣の駅の周辺にある、しかもその駅名は中板橋というおかしなことになってしまった。

地名変更できるようになると上板橋は古い名前を捨てて「弥生」というこの地に特に縁のない名前にしてしまった。

全部先の事も考えないで行動する鉄道会社のせいである。

 

池袋

元々池袋村は今の下板橋駅付近が村の中心で(現池袋本町)、池袋駅が設置された当初は池袋村の村の外れの村境ぎりぎりの場所だった。

今の西口付近はその名も「上」という小字場所だった。その他にもこの周辺は「原」とか「下上」とか「西山」とかおざなりの超てきとうな小字ばかりであった。さすがは人もろくに住まず雑木林のままの村はずれだ。

だが鉄道がどんどん集まってきて人口も増えるとそんなてきとう地名は「池袋」で消されて無くなってしまった。

そもそも下上って何なのか?

 

墨田隅田

葛飾区足立区区界を見ると綾瀬駅付近で絡まったコードのようにやたらグネグネしている。これは古隅田川の流路で、中世では住田河と呼ばれていた。

荒川放水路が出来るまでは堀切駅付近で今の隅田川に合流していたので、その上流までが荒川、その下が隅田川と呼ばれていた。

この隅田川の東に隅田村というのがあった。

一方、江戸時代水墨画流行すると、「墨」という字とそれを「ボク」と読むのが粋でブランド価値を持つようになった。

隅田川がカーブしながら先述の古墨田川と合流する場所の外側にあるのが隅田村で、洪水が頻発するので幕府隅田堤という陸の堤防を築造、桜を植えた。桜を植えるのは花見客が大挙して訪れて踏み固められるからである。今も川べりに桜が植樹されるのはこの幕府の知恵に由来する。

するといい景色なので山水画浮世絵が多く作られたが、何しろ「隅」より「墨/ボク」の方がカッコいいもんで、隅田堤じゃなくて「墨堤/ボクテイ」と題されたりした。

その他にも隅田村/隅田川関連のものが「墨田」と呼称されたので、隅田村→隅田町となっていたが住んでる人らは勝手に隅っこよりもイキな方がいいと「墨田町」と書くのが流行し、本所区と向嶋区が合併した際には墨田区となった。

隅田町が町名変更できるようになるとこれもやはり墨田となった。

 

仲宿

中仙道板橋宿は超巨大宿場町で、JR板橋から都営地下鉄板橋本町駅の2.5kmくらいもあり、北から上宿、中宿、下宿下板橋宿/平尾宿)と分かれていた。

鉄道道路時代になると宿場町の記憶は無くなって何が中なんだという事で、仲宿と改称された。

 

台東区

浅草区下谷区合併したのが台東区

下谷はいかにも下に見られてるみたいなので、台地の東、と台頭を兼ねた造語を区名にした。

吉原遊郭とか上野周辺とか山野とか実際にスラムが幾つかあったのが余計にコンプレックスを刺激した。

 

十条上十条

十条と呼ばれる地区には北側上十条村、南側に下十条村という二つの村があった。尚、この当時の上、下というのは京都に近い方が上である江戸北側には中仙道があるので京都に近い方の北が上であって、東海道周辺なら西が上になる。

両村を縦貫する形で日光御成道(別名 岩槻街道)があり、下十条宿という幕府非公認の小さな宿場町があった。今の東十条駅から坂上がったあたりの塾や郵便局があるあたりである

明治になりその十条の西の方に現赤羽線埼京線。開通当時は日本鉄道品川線)の十条駅が出来た。

次に東北本線京浜東北線)にも駅が出来る事になったが、当然、一番栄えている下十条宿に近い場所に設置された。また駅に来れる道もある。だから当然駅名も下十条駅だった。

ところが昭和住居表示町名が変えられるという事になると、下十条が「今は東京駅に近い方が上だからこっちが上十条だ」とか言い出す。

それで町名を押し出された元の上十条は、下はヤダってことで中十条となってしまう。何でだ。

駅の東側の元は十条じゃなかった辺りは東十条となった。

こうして下十条が無くなったのに駅だけ下十条を名乗ってる状態になったので、十条の東だし、東十条に隣接してるってことで改称されて東十条駅になった。

そりゃ下扱いは誰でもイヤなもんだが、下剋上的というか身勝手というか。

 

田園調布

田園調布がある場所はかつて荏原郡調布村だった。

ここを東急電鉄後藤慶太デベロッパが買い上げ高級住宅地田園調布」の分譲を開始、鉄道も開通し、調布駅が設置され、直ぐに田園調布駅に改称される。

「田園」の文字の由来は、ロンドンに視察に行った後藤田舎に住んで都会に鉄道通勤するというゆとりがある生活スタイルに触れて感銘を受けたため。当時のロンドン児童含む超絶ブラック搾取労働や、一晩で数百人が死ぬほどの超絶大気汚染ゴミや糞便に混じって死体流れるテームズ川の超絶河川汚染、多発するスリ強盗殺人林立する売春婦など、文字通りに死ぬほど環境が悪かったために富裕層にこのような生活スタイル流行した。

昭和3年に人口が増えて町制施行されることになったが、調布町とすると京王線沿線調布と被ってしまうので「東調布町」と呼称

だがその僅か五年後には荏原郡自体東京市に編入されて東調布町も消滅。短い命であった。

初めは東急の子会社デベ)が開発した駅前の高級宅地けが田園調布だったが、住居表記施行町名変更が可能になると、元の田園調布の周りの○○沼とかの町も「沼とかヤダ田園調布にしたい」という事になって、全域が田園調布となった。

この為に駅の裏側とか川べりの低地とかあんま高級じゃない田園調布が沢山ある。

2020-02-09

東京住宅高すぎてビビった

 この春から大学卒業して働き始めるのを機に今までより少し広いところに引っ越すことにした。

 引っ越し先も無事決まったので、将来家を買うとするとどういうところに住めるかなと思ってSUUMOとかで色々検索してみることにした。

 愕然とした。都内住宅ってこんなに高かったのか。

 自分地方県庁所在地出身で、大学から東京に出てきて春から働く会社東京にある。

 親が今の実家を買うときには物心もとっくについていてカタログとかを見ていたので実家がどのくらいの値段したのかは大体分かる。

 実家分譲マンション3LDKで2000万円台半ばくらいだったと記憶している。近隣の間取りとしても、分譲マンションならどんなに狭くても2LDK普通な3LDK以上だし、一戸建てなら4LDK以上が普通だった。実際今地元の方を検索してもそんな感じだった。だからそのあたりが自分の中で何となく基準みたいになっているところがあった。

 多分親がそれだけ稼げるというあたり恵まれはいる。

 ところが、都心近くになるとなんと1LDKという分譲マンションにしては超絶小さい物件である。おまけにそれで3780万円!

 さすがにそれでは例えば結婚して子どもが生まれたとしたら暮らしていけない。

 山手線内だと2LDKで7000万円超えたりするし、3LDKなんて探そうものなら見つけた限りではどんなに安くても8000万円台後半、下手したら億を超える。

 山手線の外に出て、丸ノ内線沿線弥生町というところだと3LDK新築戸建で4480万円するらしい。

 横浜保土ヶ谷とかまで行くと2480万円で一戸建て4LDKというのがあったがこれはどうやら掘り出し物のようで、同じエリアで同じくらいの値段だと一戸建てで3DK・3LDKくらいのものが多かった。マンション一戸建てとの違いこそあれ、割と実家に近い価格である

 埼玉県に行くと、川口とかだとまだ高いもの大宮だと2000万円台前半で4LDK新築戸建とかになってきて、こう言うとなんだがなにかホッと落ち着くものを感じる。この価格帯にしたって、そう思えるあたり恵まれてるんだろうけど。

 結婚するしないとか(相手が見つかるかどうかという話もあるが)、子どもどうするかとか、金銭計画かいろいろ考えないとなあ。

2018-11-25

広島の立ちんぼ情報

前々から気になっていた、広島の立ちんぼ(マントル)に行ってみた。

午前3時くらいに流川薬研堀よりさらに東寄りの弥生町辺りを歩いていると、1人で立っている女がいて、「ねえお兄さん。」と呼びかけて来た。反応がある素ぶりをすると、「もう1人の子とどっちがいいか決めて。」と言われ、もう1人がいるところに行き、結局最初の女にした。

そのまま提携先のラブホに入り、ラブホ代2,000円はお姉さんに払ってもらい、エレベーター内でお姉さんに60分20,000円を払った。ちなみにショートの40分だと15,000円だ。

服を脱いで、シャワーの段階でゴムか生かどちらにするって聞かれるが、いざ挿入前には「生なら追加で5,000円。」って言われるからうまい商売だと思った。

セックス自体騎乗位の後に正上位で一発出しただけだが、二発やりたい男は応じてくれるのでご安心あれ。

あとは世間話してホテルの前で別れたが、まあこう言うものかなって感じだった。恐らく立ちんぼにも元締めがいて、広島ヤクザシノギになっているんだろう。

これを見て行きたくなった男がいるかは分からないが、おばちゃんが女を斡旋するマントルもこの界隈にはあるから、次は行ってみようと思う。

 
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