最近何かと話題になっていることとして、発達障害というものがある。
かくいう僕も、元々持っている脳の構造や仕事、日常生活での人間関係等々のストレスが祟って、不眠に陥り、脳がオーバーヒートして、日常生活を送ることが困難になったことがある。親に協力してもらいながら、必死になって心療内科を探して、お薬ガチャをして、色んな方に助けてもらいながら、何とか1日1日生きる時期があった。心療内科の先生に客観的に自分の性格等を分析した紙を持って行ったところ、「おそらくそれは発達障害でしょう」と言われた。
自分含め、学力が高い人や、真面目な人、繊細な人がそういう病気にかかりやすい傾向にある何となく知識として知っていて、自分は「発達障害だ」とか「うつ病っぽいだろうな」とかは思っていたが、いざ専門の医者からそう言われると、「やっぱり自分は社会不適合者だったんだな」と思って、少し救われた気持ちになったのを覚えている。
会社の判断としては、まぁ、一旦長期療養をしましょうとのことだった。まぁ日常生活送れなくなるまで体調が悪化した人間に仕事をさせるわけにもいかないので、当然の結果だ。発達障害は法律上病気とは認められないので、一旦「まぁ、発達障害から二次障害的に起こったうつ病ということにしますか」ということで、うつ病の診断書をもらい、休職。晴れて、僕は傷病手当金で2/3の給料をもらうためだけのニートになったわけである。
ただ、正直メンタルはボロボロだったので、毎日「思い返せば、よくここまで頑張って生きたよ。やり残したこともないし、死にたい」と思う機械になっていた。それでも、何とか「これは病気だから」と言い聞かせながら、1日1日を生きていく日々。うつ病を治すにはどうしたらいいんだろうと色々と調べて、行ける時はジムに行ってみたりした。中高で一番仲よかった知り合いは統合失調症でニートしながら、小説を書いているっぽかったから、その子に色々話しながら、今まで自分が書いてみたかった小説をネットに投稿して賞に応募したみたり、前から興味があったパチンコに初めて行って、1万円が秒でなくなったり、新しくリリースされた遊戯王マスターデュエルに手を出してみたり、仕事のリハビリとして少しpythonを触ったり等々して何とか生きながらえてきた。
そんな生活をしつつ徐々に症状は改善していった。「もう一生このままが良い。働きたくない。」と思いながらも、「仕事はしないといけないからな」と上司と相談して復職をした。まずは、時短勤務で様子をみつつという一般的な企業のやり方で、最初は普通に働けていた。しかし、だんだんと振られる仕事が増え、難しいものになってくると気づかないうちに無理をしてしまう。そうして、4ヶ月も経たないうちにまたうつ病再発寸前のところまでに体調が悪化してしまった。今も体調はそこまで良くないが、何とか時短勤務を続けている。
ここまで話してて、「やっぱ、うつ病とか精神病って良くないし、ならない方がいいじゃん!」と思う人もいるかもしれない。しかし、今の僕はそうは思わない。うつ病や他の精神疾患はどんな人でもなりうる病気だ。繊細な人や、真面目な人、頭の良い人に多い傾向にはあるが、それ以外の人でもふとしたきっかけでなってしまうことがある。
しかし、何か失敗をしてメンタルを病んでしまうという経験は失うものも大きいが、それによって得られるものも大きいと僕は思う。僕がもし休職していなかったら、多分小説を書いて賞に応募することはしなかっただろう。ジムに行って筋トレをするなんてこともなかっただろう。心療内科の先生に話を聞きながら、精神疾患についての知識を身につけて、自分なりに対処してみるという経験もできなかっただろう。母親と色々と深い話をする機会もなかっただろう。
今も僕はいわゆる発達障害に分類されるものに振り回されながら、世の中の人たちや会社で上手くやっていく方法を模索し続けている。
この世の中には、答えがないもの、そもそも問題・課題すら決まっていないものがたくさんあって、そういうものにどう向き合って行くかというのは障害を持っているいないに関わらず、どんな人にとっても重要なことだと僕は思う。僕自身もそういうものを経験しながら、色々と実践して試して、失敗して、色んなことを知っていきながら、何とか社会での自分の居心地の良い居場所を見つけて行きたい。
最後になるが、精神疾患になったからといって、人生が終わるわけではない。むしろ、自分がそういう病気を抱えているということに気づくことは自分の人生を見直す重要な機会でもある。精神疾患は決して全部が全部悪いというわけではなく、精神疾患になった人間にしか得られないもの、見えない景色もあるということを、色んな人に理解してほしいというのが僕の切なる願いである。
人を騙して1億の献金をさせて、さらにその子供が路頭に迷うような宗教の行動は縛らないとならない。政治家が広告塔になるような行為は現に慎ませるべきだし、宗教に騙されて献金にする行為は成年被後見人指定や、宗教への献金の無効化制度を通じさせないとならない。
更に勧誘行為もな。同時並行して心療内科+カウンセリングや公助、景気が良くて労働需要が高い状態を維持しないとならない。
左翼だけが敵だと思うなよ。カルトに煮え湯を飲まされてる二世などはいたるところにいると理解せよ。カルト宗教は善良な日本国民の敵なんだ。
平静な時はそうやって笑えるけど、でも苦しんでるときに救ってくれたのが統一教会などのカルト宗教だった人にとっては教祖がそういえばそうなんだろうなって感じでもある。
だからカルト宗教に落ち込む前に心療内科+カウンセリングや公助につなげるのも必要だ。何より好景気で労働需要が高い状態にすることも必要だ。
最もカルト宗教の集金や勧誘を外形的な基準でできないようにすることも必要だ。カルト宗教に金を出し続けるようになった人間は裁判で成年被後見人の枠組みにいれるべきだろう。
個人の信教の自由自体はどうしようもできないが、外形的な問題行為は法律で禁じたり、被害救済できるようにはできるだろう。そもそもカルト宗教自体一度は救うけど引き換えに教祖に依存させて永久に金を出し続けるような組織。
カルト宗教に金を出し続けるようになった人間は親族からの裁判で成年被後見人に指定してその後一切の献金を無効化できるなどして、山上伯父が山上を育てていればこんな事件が起きなかった。
また政治家がカルト宗教の広告塔になったのも問題だろう。モリカケでもそうだが献金や票を取りまとめていれば、反社会的組織でも政治家が広告塔になるのは大問題だ。
心療内科やカウンセリングとして科学的裏付けがあるものや、具体的な救済事態については政府は金を出せる。家族に委ねてしまえば家族一人を破壊すれば残り家族も苦境に陥るの山上に起きたことだし、カルト宗教はそれを見越して家族を重んじさせるかのようにみえるな。
私には、「それをしても無駄なんじゃないか?」という思考がある。
これは高校生の頃に身についてしまって、大人になっても続いていた。
その思考が初めて生まれたのは、高校生のとき「学校の勉強って意味あるの?」って思ったこと。
学校の勉強はある程度意味はあるけど、本当は大学受験のための勉強である面が大きい気がしてた。
他にも、音楽。音楽聞いてどんな意味があるんだろう?多少の喜びはあるけど、そんな多少の喜びのために聞いてどうするんだろう?
音楽の演奏だって、仕事としてお金を稼ぐならまだ分かるけど、趣味で演奏して、そこにどれだけの意味があるんだろう。
いや、そもそもお金を稼ぐ意味って何?生きるためかな。じゃあなんで生きてるんだろう?
そんな風にして私はどんどん思考を進めていった。
今になって思うと、うつ的な傾向だったんだと思う。でも私にとっては大事な話だった。
周りと同じように、友達と遊び、恋愛をし、サークルに入り、バイトをしたり、
美味しいお店を巡り、おしゃれをし、そうやって大学生活は終わった。
定型的な仕事。楽しくもないけど給料は手に入る。そんな生活が続く。
私には趣味がなかった。
例えば推しがいる友人が羨ましかった。そこまで夢中になれる存在があるのが羨ましかった。
もしくは、仕事に熱心になる友人。恋人に夢中になる友人。旅行が好きな友人。みんなすごいなって思う。
大学生活で遊びは一通りやったけど、どれも虚しかった。喜びの指数を100点満点で表すと、60点くらい。
でも仕事もできているし、体調にも問題がないため、特に診断名はつかなかった。
気が巡るという漢方だけ処方され3週間飲んだが、効果はなかった。
思い返せば、この原因は、私が高校生に身に着けた「それをしても無駄なんじゃないか?」という思考にある。
「美味しいものを食べたって、結局それが何になるんだ?」みたいな。
そんな生活が続いたある日。変化が起こった。
好きな人ができた。
今まで何人かと付き合ったことがあるが、それとは全く違うことが分かった。
「この人に会うために私は生まれてきたんだ」そう思った。
「そんな訳がない」理性でそれを否定するが、抗えない。直感的に、本能的に、分かった。
その相手は一目惚れではなかった。友人を介し、何度か会ったことがあった。
ただ「格好いい人だな」とは思った。モテるんだろうなとは思った。
たまたま、その人と隣になった。
でもただそれだけ。でもなんとなく流れでLINEの交換をした。
その2週間後。休日に街を一人で歩いていて、ふと気づいた。
「あっ」って思った。「私、あの人のことが好きだ」。
びっくりした。胸がドキドキした。こんなことは初めてだった。
人の流れから外れ、店先に立ちすくんだ。「どうしよう」初めての経験で、うろたえるしかなかった。
涙が急に溢れてきた。人がいるのに。うつむいて、知られないようにハンカチで涙を拭った。
LINEで他愛のないメッセージを時々送ってみる。でもそっけない返事。恋人でもいるのかな。
その時の私はどうかしていたんだと思う。
私はその人に「相談があるから会ってほしい」とメッセージを送った。全部話そうと思った。
後日、カフェでその人と二人きりで会った。
そこで私は告白をした。
すると、「付き合っている人がいる」とのこと。
ああ、そうだったんだ。ああ、そうかそうか。そうだよね。
そしてカフェでその人と別れ、一人で家に帰る。
部屋に入って、「まあそりゃそうだよね、これで終わりにしよう」と思ったんだけど、急に涙が溢れてくる。
いままで見たこともない大量の涙。テーブルにみるみるうちに水たまりができる。
そして床に流れる。嗚咽とはこういうことを言うのだろうか。
30分くらい泣き続けて、やっと止まった。
「ああ、これは受け入れなきゃいけないやつだな」そう思った。
まあ、そうだよね。でも、いいんだ。
恋愛祈願の神さま。神頼みなんて受験生の時くらいしかしたことないし、
本当に馬鹿げてるって思った。でも今は神頼みする自分を笑えた。
休日になった。
その神社に行くまでの道。
舗装された石畳。柳が植えられ、人通りのないその神社へ続く道を歩いてる時。
私はふと思った。
「生まれてきてよかった」って。
すると急に涙が溢れてきた。今回は人がいなくて良かった。
涙が石畳に跳ね返った。
その人のことを好きになる前、私は泣くことがほとんどなかった。
1年に1回、泣くかどうかという人間だった。
それが今はどうだろう。泣いてばっかりだ。
でも、悲しいわけじゃない。嬉しいんだ。
例えば仮に、生まれる前に
「生まれたら大変なことをたくさん経験します。でもその人に会えます」って言われて、
「もしくは、生まれたらたくさん幸せなことを経験できます。でもその人には会えません」
今後どうなるか分からないけど、その人に会えたことがそれほど私には特別だったし、
どんな経験があっても受け入れると思う。
親へ
なぜ私を産んだのですか?
生まれてから誉められたことはありませんでしたね。いつも「もっとできる」と言って私を上へ上へと向かわせようとしていましたね。
なぜそんなに上に向かわせたかったのですか?私のためですか?上に行かず私が行きたい道を進むことはそんなにだめだったのですか?
中学生の頃の私は、私を学力でしか見てくれないあなたたちに絶望していました。
「お金がない」というならなぜ産んだのですか?私が何を言うにしても「お金がない」と言い続けたのは私に対する嫌がらせだったのでしょうか。
知的障害持ちの兄を含めて3人育てるお金がないなら産まなければよかったのではないでしょうか。
父親に3万円ほどの出費をお願いしたとき、「お金がない」と言われ、暗に諦めろと言われた私の絶望はわかってないでしょうね。母親は「一度で諦めないで言い続ければ意思が伝わるから」と言いましたが、お金がないと言い続けている人に意思をどう伝えればいいのですか?
「言い続ければいい」と言われ、ほしいものを毎日欲しいと言ったときに、買ってもらった後「ノイローゼになるかと思った」と言われた私の気持ちはわかりますか?
私の気持ちはわかりませんよね。だから私を産んだんだと思います。
「祖父母の目があるから」と言って私を犠牲にして姉の苛立ちを掻き立てた貴方達を許しません。
(血縁上)姉と呼ばれる人へ
私はあなたのことを憎みきっているのであなたのことを姉と呼びたくありません。
あなたと同じ血が通っていることが気持ち悪いです。法律上縁を切れないこともおぞましいです。
知的障害持ちの兄と年齢が近く、いじめられていたフラストレーションを全て私にぶつけて気持ちよかったですか?
「死ね」「気持ち悪い」「ブス」「ぶりっこ」「大きなお世話」と言い続け、わたしの一挙一動に舌打ちするのはさぞかし楽しかったでしょうね。
私はそのおかげで性格が歪み、10年もの間心療内科に通院して薬を飲み続けています。おそらく一生病院に通わなければいけないでしょう。
あなたはのうのうと実家で部屋をもらい、30歳を超えてなお子どものように過ごし、自堕落な生活を過ごしている中、私は家を出て必死にお金を稼ぎ毎日を生きています。
自分は偉いと思っているでしょうね。そんなことありませんよ。気持ち悪い。
私はあなたのせいで自己肯定感を一切得ることができませんでした。あなたのせいで私の性格は歪みました。あなたのせいです。得ることができたはずの幸せも、あなたが私をいじめ抜いた結果できた私の性格で全てだめになりました。
あなたには分かりませんよね。私の中には、私を罵倒するあなたがいるんですよ。毎日毎日「死ね」「気持ち悪い」「カス」「なんで生きてるんだよ」って私に言い続けてるんですよ。
そんな中で私は必死に生きて仕事をしてるんですよ?なんでだかわかりますか?仕事を辞めたらあなたがいる実家に帰らないといけないからです。
あなたと一緒に住むのなんてもう勘弁です。私はあなたの全てを拒絶します。
私が死ぬときは出来る限りあなたが苦しむようにします。私がどれだけ苦しんで生きてきたか理解してもらうために。
おかあさんへ
こんなことたくさん言ったけど、おかあさんだけは私の唯一の味方でいてくれました。
こんな汚い感情を家族にぶつけないのは、おかあさんがいるからです。おかあさんを悲しませたくなんてないからです。
おかあさんだいすきだよ。しあわせになってね。
扶養手続きも時間がかかった会社なのでこれもそうなるし、振り込み遅れたら固定費の支払いにあてられない。
安心して休めるような制度にはなってないよ。無理して続けて悪化してもよくないけど、休職してもお金の支払いに追われるのよね。
いつの間にか適応障害になっていたというよりは、仕事が生活に入り込みすぎて、少しだけ暇になった期間に一気に疲れがきた。
ワーカーホリックな社員たちは20時〜23時、深夜帯すらチャットツールやメールや挙句に電話まで入れてくる。これが一番病んだのだと思う。
それだけでなく、続々と社員が辞めていったため、今3人分の負荷と、同じエリアの人の不始末の尻拭いがある。
5年前、ある人を好きになりました。
それで告白したけど、振られました。
それから5年間、ずっとその人のことを好きなままです。
これは病気ですか?
ここ5年間、ずっと会ってないし連絡も取れていません。
会ってもないし好かれてもいない人をずっと思い続けるのは病気でしょうか?
このままその人のことを一生好きなままでいる気がします。
私がこの世を去るまで、その人のことを思い続ける気がします。
でもやめられません。
特に異常はないと言われました。
この5年間どんな人と会っても心が惹かれません。
半分諦めています。
でもいつか必ず振り向いてくれる、そんな気持ちになってしまいます。
ずっと会っていないのに。
でもやっぱり好きなんです。
いつか会える日が来るばず、だからその日までがんばれるって思ってしまうんです。
やっぱりこれって病気でしょうか?
カルト宗教はな。伝統宗教も江戸時代の宗門改でなぜ自分たちが存在しているのかを忘れてしまった。
宗教は本来迷いを救う役割がある。だから迷いが去ったら不要となってしまう。それじゃ困るからカルト宗教に依存させる。
更に、良いものを偽装して騙せるやつを騙そうという連中が宗教や自己啓発を汚す。
今の時代心療内科+カウンセリングと、ちょくちょく宗教知識をもとに本を書く人がいて読者を集めるぐらいのものだろう。救われたと思った本があったら、その本の著者の本を継続的に買ってやれよな!