はてなキーワード: STAYとは
狭い事務所で同僚と顔付き合わせている時間を減らすため、お互い週1日は在宅勤務をしようという話になっている。
が、うちの職場の仕事って職場の端末にしか入っていないシステムや家に持ち出せない資料がないとほとんど進まないようになっている。上司はその辺は何となく黙認していて、「報告書に書ける程度に多少仕事っぽいことをやれば後はのんびりしていて良い」と思っているようだ。
まぁそれは良いとしても、勤務時間中は外出禁止(昼休みを除く)。私は昔不規則勤務の職場で働いていたので、平日休みの快適さが身にしみていて、せっかく平日に出勤しなくていいというのに出かけられないという現実に発狂しそうだ。
どっちみち私が行きたい店や公園や美術館はほとんど休業していたりするのだが、家に閉じこもって貴重な平日を1日無駄にするかと思うと悲しい。勤務時間に出かけようとするのがけしからんと言うのなら有給休暇にするから外に出たい。あまり繁華な街に行こうとは思っていないが、平日昼間の自由は何者にも代えがたい。
多分仕事っぽいことは1~2時間やれば良い方だと思う。その他は誰も監視していないのでネットサーフィンしたり録画してある映画を見たりしても大丈夫だとは思うが、そんなことは平日仕事から帰った後でも土・日でもできるのでありがたくない。
普通の人が土・日に混雑に耐えながら遊びに行く場所に平日行けるのが最高だったのに。どうせ緊急事態宣言は終わっていないので「STAY HOME 」が原則であることは承知しているがムカつく。人が働いているときに休むあの快適さは忘れられない。
これを機会に、自粛が解除になってからもみんなで調整して有給休暇を消化するようにならないかな。今までは毎年10日以上、有給休暇を使いきれずに捨ててたんだよ。頼むからもっと平日に休ませてくれ。
「PCR検査しろ」「韓国は沢山検査している」「検査すれば自粛の必要はない」「日本はPCR検査の数が少ない」「全国民にPCR検査が必要だ」「政府は、岡田と玉川の意見を聞け」
「二週間後には武漢になる」「二週間後にはイタリアになる」「二週間後にはニューヨークになる」「二週間後にはブラジルになる」「二週間後にはロシアになる」
「韓国は○○している」「台湾は○○している」「ドイツは○○している」
「和牛券が必要」「芸術は製造業とは違うのです」「旅行クーポンを配ります」
「STAY HOME」「パチンコゆるせない」「他県ナンバー許せない、実力行使が必要だ」「営業している店許せない、実力行使が必要だ」「ピピーー。密です。密です。」
「コロナより経済で死ぬ人が多い」「緊急事態宣言はいらなかった」「コロナは収束した」「老人を隔離して現役世代は経済を回そう」「永江のブログを読め」
「BCGが日本を救った」「東ドイツと西ドイツの死亡者が違う」「感染者数は関係ない。BCG摂取国の死亡率が少ない。100万人辺りの死亡者を見ろ」
以前、さいたま市の保健所長が「病院があふれるのが嫌で(検査対象の)条件を厳しくしていた」と発言したとしてニュースになったり、今日も、4月半ばごろには入院まちが200人以上いたという記事がホッテントリ入りしてたりして、埼玉の医療が結構やばいということは、うっすらと伝わっているとおもうので、その背景みたいなことをド素人なりにつらつら考えてみた。
なお、自分は元埼玉県民、いまは都内に住んでいるが、親族や知り合いに埼玉県民はたくさんいる。
埼玉在住の自分の姉も、4月半ばごろ「これまで経験したことのない風邪」に苦しめられていたらしく(直接あってないので、どれくらい苦しかったかはよくしらない。当人の証言のみ)、何度も電話かけてやっとつながった相談窓口に「とにかく自宅で様子見てくれ」の一点張りに途方にくれていたところ、そのうち症状がなくなったらしい。
で、埼玉の医療事情だが、まず大前提として、埼玉は医師も病床数も全国屈指に足りていない。
これは、自分の子供のころ、つまり昭和のころからいわれていた。
今や全国5位の人口を誇る埼玉県だが、国公立の医大・医学部が存在していない。
いや、正確にいうと、所沢に防衛医科大学校というのがあるのだが、これはやはりちょっと特殊な学校で、卒業生は基本的に自衛隊の医官になってしまうので、地元に医師は供給されないし、防衛医科大の医局が地元の病院を牛耳ることもない。
唯一、埼玉県内で文科省の管轄する医大・医学部は私立の埼玉医科大学だけである。
ずいぶん昔、田中角栄が「1県1医大構想」を掲げたころに、埼玉大学(国立・地元では県庁職員と小中学校教員の供給源として知られる)に医学部を!という話もあったらしいのだが、うまくいかず、その代わりに開設が認可されたのが埼玉医科大学らしい。
一説には、当時の知事と医師会のあれやこれやとか、地元政界の魑魅魍魎話とかいろいろとあるようだが、詳細はしらない。
ただ、埼玉医科大学の創立者一族は、歴代埼玉県議長だったり県議だったりする、というのがあって、そのへんがまたいろんな噂を呼ぶ素地ではあるのだろう。
なお、埼玉医科大系の病院は、ホームページの入院案内をみると何よりも目立つように赤字で「前納金」について書かれていて、まあ、そんな感じらしい。
医大としては歴史が浅いので偏差値は低いのに学費は高く、よってしたがって、学生は「どうしても子供も医者にしたいという開業医の、成績が今一つの子息ばっかり」だとかなんとか。
最近は卒業生の教員もいるようだが、その昔は東大とか慶応から移ってきた教員が、それこそ神様のように扱われていて、一昔前の医学ドラマのようだったという話もよく聞く。
あと、日本で初めて正式に性転換手術をしたことでも有名になった大学でもある。
人口120万を超える政令指定都市にして県庁所在地であるさいたま市には医大はない。
自分は旧浦和市(現さいたま市)の出身なのだが、自分の子供のころ、地元で大きな病院といえば市立病院と社会保険病院しかなく、そこで対処できない「難しい病気」の人は都内の大学病院に通院したり入院したりする、という風習があったように記憶する。
そういえば、亡き父が心臓弁膜症の手術をしたのも都内の某大学病院だった。
そもそも、埼玉南部に住んでる「埼玉都民」は、なにかというと東京にでるのが当然なのである。
医療に限った話ではないが。
なんとかしなければ、とこれまで行政が動いてこなかったわけではなかろう。
平成の初め頃、大宮に自治医大の病院ができたのは、地元では大きなニュースだった。
もともとは高層ビルか埼玉タワー(スカイツリーと誘致を争っていた)の建設を計画をしていた、さいたま新都心の空き地には、県の働きかけによって規模が大きくなった赤十字病院と県立小児医療センターが鎮座することになった。
駅徒歩4分、コンサート会場としても名高い「さいたまアリーナ」の目の前に大病院が建ってるのは、なにやら異様な光景ではあるのだが、まあ、一番必要な施設を建てたということだろう。
サッカーの聖地さいたまスタジアムにほど近い開発地域に、県と市が土地を提供して順天堂大学病院を呼んでくる話も進んでいて、当初計画では今年にはできているはずなのだが、予定地はいまだ空き地。去年だったか、木下サーカスが公演をしていた。
埼玉住み、東京勤務だったりすると、会社の健康診断は都内で受けたりする。そこで異常が見つかって精密検査して治療が必要になると、紹介されるのは都内の病院だったりする。
自分も埼玉の実家から東京に通っていた時期があるのだが、その時期、再検査に引っかかって胃潰瘍がみつかって、薬でピロリ菌除去する治療を受けたりしたのだが、それら全部、都内で済ませる結果になった。
要するに、埼玉県の通勤圏の人たちの医療は、多分に都内に依存してるのであって、だから「一人当たり医師数・病床数全国最悪」であってもこれまでなんとか回っていたのであろう。
ところが、コロナウイルスの対応は、都道府県単位でしきられている。これは、埼玉県にとってはつらい。
昨年の8月に野党系の支持を受けた知事が誕生したこともあって、「知事の無能さ」をたたく人がネットに散見されるが、まあ、飛び切り有能な知事でもないかもしれないが、しかし、知事の能力ではいかんともしがたい構造的問題を抱えていることは理解しておいてよいと思う。
おそらく「テレワークに移行しましょう!」と、スムーズに移行できる一流企業にお勤めのかたはStay Homeしているのだろうが、そうでない埼玉県民はたくさんいる。
そもそも、一流の企業に勤め、一流の給料をもらっている人は、できれば埼玉ではなく都内に住みたいのであって、「そうでない人」の比率は、都民より埼玉県民のほうが多かろう。
安い給料に耐え、通勤電車に耐え、毎日東京で働いて東京の経済を支えている埼玉県民は多いはずだ。
そして、東京から埼玉にコロナウイルスをせっせと運んでくるのである。
もともと、埼玉は「観光で宿泊する人」が全国でも屈指に少ない県である。観光地少ないから。
そんな埼玉に、一番ウイルス運んでるルートは、通勤のほかには考えられない。
そして、マスコミは東京には注目しても、埼玉には注目しない。逆に「福井や石川に持ち込まれた」みたいな話とかならニュース性もあるのだろうが、東京の隣で深く静かに進行した医療崩壊にはなかなか目が向かない。
「一極集中」というと、東京と地方の話になりがちだが、じつは隣の県から見ても、東京にはいろいろ集中しすぎてるのだろう。
で、埼玉県民は仕事も医療も遊びも東京にいく(いかざるをえない)ので、毎日、人は東京に集中してはまた埼玉に帰ってくる。
そんな構造のなかで、「Stay Homeです、移動しないようにしましょう!」という事態に陥って、都や県の単位での対応に迫られたとき、切り離された埼玉が苦悩するのも当然といえば当然な気もしている。
建物のとしての家、という意味だけでなく、家庭だったり、ふるさとだったり。調べてみたら、墓場として使われることもあるらしい。
なんとなしに使っていた単語だが、実に多様な意味をもつ単語であることを、この一連の騒動のなかで知った。
(気になったら各自で調べてみてください。私はweblioとアルクを見ました)
私はいわゆるこどおじで、今も自室のPCに向かってこの文章を書いている。容姿に難があるので、いずれはKKOという属性もいただくのだろうと、想像している。
(アラサーはおじさんに含まれるのだろうか?だとすれば、もうすでにKKOである)
両親は私に何も言わない。だがきっと、心の中では早く家から出て行ってほしいと思っているだろう。少なくとも、いい年になっても、彼女も作らず休日は家に引きこもっている子供は、彼らにとっての不安材料にしかなりえない。
私も、十分な収入があれば、早く家から出ていきたいと思っている。私は低収入おじさんでもあるのだ。
そんな中で、stay homeという言葉を耳にするようになった。
stay homeという言葉を使い始めたひとは、どのような意図で、その主張にhomeという単語を当てがったのだろうか?彼らにとってのhomeとは、いったいどのような場所なのだろうか?
ガチで怖がっているやつは、あと何年も自宅で引きこもってろ。
社会のためだと思って自粛しているやつは、外に出よう。日本の場合は、数ヶ月程度、ゆるゆる自粛をしても対して変わらないぞ。自粛が社会のためじゃなくて、社会に悪影響になるのが分からないのだろうか。
あと数年自粛するつもりがあるなら、stay homeしてもいいけどそんな気がないなら、外に出よう。今出来ることで、人生を楽しもう。人生を楽しもう。
ライブは行けないし、スポーツは見れないし、イベントはないし、風俗もパチンコも行けないし、学校もないし部活もないが、楽しめることはそれなりにあるだろう。
営業している店でランチを食べよう、カフェでコーヒーを飲もう、4時から居酒屋で酒飲もう。
ドライブしよう、海へ行こう、日帰りで山に行こう、ランニングしよう、サイクリングしよう、バーベキューしよう。DIYしよう。あとなんだろうか。
賛同してくれる人は、外にでよう。合言葉「No Stay Home。あなたが人生を楽しむことで、救われる命がある。救われる会社がある。救われる従業員がいる。救われる従業員の家族がいる。」