はてなキーワード: 刑務所とは
とりあえず以下の記事とまとめを読んで頂きたい。
https://kyodaishinde.hatenablog.com/entry/2018/04/15/172253
https://togetter.com/li/1219881
今自分が持っているTwitterやはてブロで書く勇気がなかったのでここで吐き出すことにする。
私の弟は重度知的障害、自閉症と診断されている。知能は小学校低学年レベルだが一応会話はできる。
弟に殺意を抱いたこともある。こいつさえいなければ…とか。でも常にではない。
「姉ちゃん」とニコニコ話しかけてきたり、寝息を立ててスヤスヤと眠っている弟は可愛い。
穏やかな弟なら殺意は覚えない。
弟は自閉症特有の「こだわり」を持っているが故に予定が狂ったりすると癇癪を起こす。
怒りの矛先は彼自身ではなく父、母、そして姉である私に向けられる。
癇癪を起こすと手当たり次第にそこらへんに置いてあるモノを家族に投げつける。
体当たりしてくる。
噛みついてくる。
引っ掻いてくる。
この他害行為は家族にしかしない。祖父母や親戚、知り合い、見知らぬ人など家族以外には手を出さない。人様に手を出さないだけマシなのだろうか。
自分も顔面にゲーム機を投げつけられたこともある。刃物を持ってこっちに向かってこられたこともある。
家中に弟の泣き叫ぶ声、母親の悲鳴、父親の怒鳴り声が週5~6で鳴り響く。この世の地獄か。
酷い言い方だが暴れている弟は人間ではなくただの動物に見える。彼に理性はないのか。
殺してやろうと思ったこともある。消えてくれと思ったこともある。
思っていても行動に移してはいけない。が、実行する一歩手前まで来たこともある。
「自分が今こいつの背中を包丁で刺せば両親も楽になる。自分には将来なんてないし刑務所にでも入っておこう」と思ったこともある。高校時代のことである。
「善悪の判断がつかないような身内に刃物を持って追いかけられても逃げることさえできない人たちは、苦悩や怒りを公の場で発信するのを否定する声が社会の中で幅をきかせるようになったら、どのような思いをして生きていけばいいのでしょうか。見直すべきは、家族の苦悩を省みて来なかった社会のあり方でしょう。」
結婚については心配していない。別の理由で多分できないしするつもりもないからだ。一時的なものでしょ?と思われるかもしれないがこの考えは一生変わらない。
もし、もし何かの間違いで結婚したとしても子供は絶対に作らない。障害のある子供を産み育てる覚悟がない。両親のやつれた顔を見ると自分が障害のある子供を育てるのは絶対に無理だと思った。両親と同じ苦労はしたくない。
出生前診断については否定しない。中絶することを選んだ人を批判してはいけないし、逆に中絶しないで産むことを選んだ人を批判してはいけないと思う。
結婚についてはあまり心配はしていないが親が年老いて介護が必要になる頃が心配だ。
親と弟の介護が重なったらどうしよう。親を老人ホームに入れたりヘルパーを頼むような金銭的余裕はないかもしれないし、地元以外で就職しようと考えているので自分一人が全員の介護は厳しい。仕事も辞めなくてはいけないのでは?辞めたら生活は?生きて行けるの?そして行き着く先は介護殺人…?
弟は施設に入れればいいじゃないか。それもそうだ。でもなかなか入れないのだ。
弟は現在施設入所待ち。待機児童問題はよく報道されているのでご存じの方は多いと思うが知的障害者向け施設も空きがなく待機者がそこそこいるのが現状だ。
入所は先着順ではなくポイント制で緊急度が高い人から入所する。親が亡くなってからやっと入所できるって感じ。
は?親が亡くならないと入れないの?
殺されそうになっても緊急度が高いっていえないんだ。へぇ。
他の家庭も同じだから?
殺されるかもしれない恐怖に24時間365日耐えろって無理だろ。
現在私は進学を機に親元を離れて一人暮らしをしている。「私だけ」は弟にモノを投げられたり理由もなく殴られることもなくなった。物理的に離れてるし。
つい最近親から一本の電話があった。弟に刃物を向けられ刺されそうになった、と。
精神薬も限界まで処方して貰っても癇癪を起こして暴れるらしい。役所に相談しても「他の家庭でもあることなんですからご家庭でなんとかしてください」と言われたらしい。両親も精神的に参っている模様なのでいつ心中されるか分からない。
どうにかならないかな。医療技術の進歩で弟の癇癪が軽減されないかな。今の両親を見ていると辛い。
P.S.支離滅裂な文章でごめんなさい。思ったことブワーしました。取材大歓迎です。まぁ増田だし連絡してくる人なんていないと思うけど。
男子校に夢を持った人が多いが、実際はそんなに良いものではないという話をよくネットで見る。
全部そのとおりで、全然よくない。
思ってるより汚いし(まぁ刑務所よりは綺麗だが)男の見たくないものまで見るだろう。
その辺にうんこ落ちてたりするし、ジャンプマガジンが飛び交っている。
共学にも比べてだらしなくもなる。
男子校の真実~夢がある話~を羅列してみようと思う。(なお底辺でもなく中くらいのレベルの学校)
女性教師が着替えイベントに嵌められる(誰かが着替え中にわざと連れてくる。イタズラ)
年に2回くらい、その辺にテンガが落ちている
どうやったらペニスが大きくなるか真剣に議論が行われる。巨根が口を出すと粗チンがガチでキレる。
ズボンのジッパーがふとした瞬間に開くので、上げてもらう。上げてあげる。
シーブリーズを手が届かないとこに塗ってもらう
しょっちゅう腕くむ
しょっちゅう手をつなぐ
時々キスする
抱っこする
膝に座る
すぐくすぐる
パンツ下ろしするやつが一人いる
時々好き好き言い合う
技のかけ合いをしあう
組み手をしてあげる、してもらう
乳首つつく
先輩後輩の仲がなんか怪しい感じになる
なにかしらでお金とられる
感じるところを試しあってみる
とりあえず押し倒してみる
泣いてる子がいたらとりあえず抱きしめる
世話焼きが多い。ドジな子にはオカンっぽい子がつく
巨根の股間に顔をうずめる
初めにこんな理由で生活保護を頂いていることと、自分が不幸にしてしまった多くの命に謝罪します。
自分がなぜこんなことになったか結論から言うと仕事のストレスが原因です。
始めて働いたシステム開発会社で仕事をしていた頃、分からない上に興味のない仕事、女にばかり依怙贔屓する上司、どこにも引っかからず入社した役員の無能な息子が仕切る部署、終わらないし帰れない連日の激務、みなし残業、と枚挙に暇がないストレスが原因で動物虐待に手を染めてしまいました。
内容の詳細は省きますが命を奪うようなことはせず恐怖やトラウマを与えるようなことをしてしまいました。
しかし小動物や自分の買った生き物では私のストレスが解消されることはありませんでした。
自分はこんなにも苦しんでいるのに、世話をしてくれる人がいて愛情を受けて幸せそうに生きている他人のペットに激しい憎しみを抱くようになりました、他人のペットを虐待したい気持ちが沸々と湧き上がってきました。
動物を虐待して早くこのストレスを放出したくて堪らなくなり、善悪の区別すら付かなくなりました。
会社の帰り道に衝動的に近所の飼い猫を攫い虐待してしまいました。
満足ゆくまでした後は元の場所に返してあげました。
近所は猫が放し飼いされていたので新しいストレス解消の捌け口も沢山ありました。
その捌け口に会社で耐えられないことがあるたびに同じことをしてしまいました。
原因は分かりません、衝動的な犯行でしたので家の中に証拠は残りまくりですし外の証拠もすぐに見つかります。
そもそも私の家には大量の用品があるので、他人の家のペットを虐待していなかったとしても言い逃れは不可能です。
逮捕状はありまさんでしたが、すぐに警察の事情聴取を受けました。
前科がつきましたがどうにか刑務所に入ることは免れることができました。
その際に精神科を受診し、鬱を含めいくつかの病名がつく診断が出ました。
このままではもちろん働くこともできないため、生活保護を申請し受理されようやく保護費を頂きながら生活できるようになりました。
しっかりと眠り食事をとり働いている間は遊ぶことができなかったゲームをし動画サイトを見ながら毎日を過ごしていたらようやく少しだけ精神が安定しました。
なのでこの文章を書けるようになりました。
この期に及んでこんなことを書くのは憚られますが、自分は子供の頃から働くようになるまで動物が大好きでした、精神が安定した今だから言えることかもしれませんが今でも好きです。
でもそれはただ自分に余裕があったからで、余裕がなくなればこんな酷いことができる人間でもあります。
自分が今更虐待した動物にどんな贖罪をしようが結局は自己満足にしかならないと思います。
だから自分にできることは可能な限り外に出ず、二度と幸せに過ごしている動物やペットたちの前に姿を現さないことです。
自分が不幸にしてしまった動物たちの中にはボランティアに保護され新しい飼い主が見つかった子もいるかもしれません、その子がもし自分を見つけたらトラウマが蘇りせっかくの幸せを自分が壊してしまうでしょう。
https://v.redd.it/3mv3gv4w7pq01
まさに更生施設だよね。
そして手厚い更生プログラムが用意されているらしい。
でも実際収容されて暮らしてみると徐々に気持ちが変わるんだろうね。
周りは熱心に社会に復帰しようと頑張ってるの見ててさ。
「俺にも出来るんじゃね」って。
やる気が出るのかな。
そういう時って生きてて良い理由が見つかった気分なんだろうなあ。
居心地よくして、あまり束縛せず、将来明るい事をさせ、自分が恵まれ生きてて良いことを実感させる。
健全な精神を宿すための健全な肉体を育む土壌があるってすばらしいね。
こういう自発的に社会にとって良い人間になるよう行動させる環境づくりと言うのは、仕事に応用できる側面が大いにあるのかなと思う。
「国家は暴力装置である」と喝破して批判された政治家が昔いたけど、「なぜ人を殺してはいけないのか」を突き詰めて考えてみると、そのことにたどりつく。
今現在の近代国家においては、一般市民は武装することを許されていない(日本と欧州諸国の話。アメリカについては例外中の例外)。
暴力=武装を独占していいのは国家だけであり、具体的には軍隊と警察組織の2者が暴力を独占する。
国家が暴力を独占することによって、国家内における治安を維持することが出来るようになる。
よって、一般市民は暴力を行使してはいけない。つまり、人を殺してはいけないし、人を傷つけてはいけないし、他人の物を盗んではいけない。
暴力を行使していいのは、交戦権を持っている軍隊と、刑事訴訟法に基づいて執行する警察組織だけ。
中世の日本は統一政府が無かったので、各貴族や豪族、宗教寺院は自分で武士を雇って武装して、自分の身を自分で守っていた。
昔の東大寺や比叡山延暦寺は自前で僧兵を雇って武装していたらしいことが歴史書に書かれている。
暴力を行使してはいけない、という考え方は明治維新後の近代国家の価値観なので、まだ150年ほどしか経過していない。
もし増田が人を殺したいと思ったら、公務員試験を受けて自衛官や警察官、防衛出動や海上警備行動を発令できる権限のある防衛大臣、刑務所の刑務官、死刑判決を下せる裁判官を目指せばいいのではないか。