はてなキーワード: デッサンとは
なんでこういう人って「キャンバスを左右反転させる」「3Dモデルやデッサン人形の写真をトレースする」みたいな
画塾に通わせて強制的にデッサンさせまくればある程度の水準まではいくよ
いや、「絵は施工回数を重ねて初めて能力が開花する」ってのはまあ、そうなんですよ。
幼少期に基礎が仕上がっている人なんて例外中の例外で、大多数は平面的で歪な線を引き続けるところから始まります。適性の差こそあれ、10年20年、たゆまず死ぬほど描き続ければ、大体の人が最低限「正しい絵」を描けるようになるでしょう。
ただね、絵ウマ自認の人がのたまう「努力さえすれば誰でも」という欺瞞には我慢ならんのです。
絵を描くには最低限、正確に線と空間を視覚で入力し、それを頭で解釈し手で出力する作業が必要です。
ネットのオタクが大好きな『ケーキの切れない非行少年たち』を読めばわかりますけど、それらの作業を実行するために必要な能力が先天的に欠けている人って確実にいるんですよ。
いつまで経っても幼稚園児みたいな絵しか描けない人がいることはpixivヘビーユーザーの絵描きが一番よく知ってることでしょ。
彼らが寝食を惜しんで講座受講とデッサンと教則本模写とオリジナル絵作成を並行して行ったとして、上手くなると思います? というか、彼らにできると思います?
そういう人の存在を無視して努力論を語るのはすげー残酷なことですよ。俺だっていつか……と夢見ながら描きまくって、成果が出なければ努力が足りなかったことにされるんです。こんな辛いことってないですよ。
努力論を語りたい絵描きはまず、人は各々のスペックによってスタートラインに絶望的な格差があることを認め、「誰でも」という欺瞞を引っ込めて「やってみなければ適性の有無ははかれない」とでもすべきです。
こと努力の話になると「俺ができたのだからお前らもできるはずだ」と想像力の欠落した根性論を言い始める絵描きが多く、なんとも暗澹たる気分にさせられます。
自慢を兼ねた激励のつもりでしょうが、才能がない人を追い詰めかねないですよ、それ。
あなたは自分が指から血が出るほど小説や詩を書きまくったとして、プロ級の腕前になれると思いますか。思わないとしたら、それはなぜですか。
訃報を聞く前からそうだけど、鳥山明の絵に対しては「上手い」という言葉をもって評価する人がとても多い。
「可愛い」「かっこいい」「綺麗」「美しい」等の言葉ではなく。とにかく技術的に優れている事を語る人が大多数。
これは鳥山明に限った事じゃないんだけど、個人的にはディフォルメの効いた絵に対して「上手い」と思う事って一切ない。手塚治虫や岸本斉史、堀越耕平、最近だとナガノなんかの絵も、世間ではそう言われていても自分は「上手い」とは思わない。
個人的に「上手い」と思うのは、小畑健とか北条司とか、原哲夫とかリアル調の絵に対してだけ。
みんなは何をもって「上手い」と呼んでいるんだろう?
上記のリアル調の絵の漫画家達に対しても、多分個別に語る場であったら「上手い」以外の別の言葉を使って語ると思う
技術的な事ばかり語るのって、楽しくないんだよね。それよりももっと個別のキャラクターやストーリーへの思い入れを語りたい。
このまとめとか、とかく語られているのが技術的な話ばかりで、感情が乗っていない。
つまらない傾向だなーと思う。
「デビュー当時25才で、すでにこの画力とか腰が抜けますよ」鳥山明先生の連載開始時の扉絵や没ネームからわかる画力やデザイン力が圧倒的
大人になってから絵を描き初めて1年くらい経つけど、SNSにいる絵を描いてる人間たちが気持ち悪い
わけの分からんお気持ちを表明する。自己承認欲求が強いくせに気持ち悪い卑下をする。論理がグチャグチャなくせに強い言葉でものを語る。本当に義務教育を受けてきたのかと思うくらい酷い言語能力で偉そうに語ってるのを見ると社会生活を送れているのか心配になる
でもそれでも自分なんかよりそいつらのほうが絵が上手いし世間からは評価されている。悔しいことは事実。こちらが鉛筆デッサンやったり人体解剖学の本読んだり上手い人の絵を研究したりしててもそんなにすぐ上手くならないし、たまに絵をSNSに上げてもいいねが0の時がほとんど
でもいつか必ず越す。こんな人間たちよりも上手くなって自分が良いと思える絵を描けるようになってやる。でもいつか評価されるようになったとしても絶対絵師とは呼ばれたくないしこんな人たちがたくさんいる絵師コミュニティなんて絶対に関わりたくない
中指立てたまま「フェミが発狂してて気持ちいいいいwww」とか煽り続けるキャラならよかったのだが
砂漠さん@5goutotugekihou
アカウント凍結されました。
解除申請は出してる、ただ、いろいろあったし複雑な心境。
https://twitter.com/5goutotugekihou/status/1761512428414857627
砂漠さん@5goutotugekihou
俺が今回したこと
どうでもいい社会問題に首をつっこむ。
どうでもいい人たちをたくさん刺激する。
どうでもよくない人たちをたくさん心配させる。
どうでもよくない人たちにたくさん迷惑をかける。
自分が情けなくて恥ずかしい。
https://twitter.com/5goutotugekihou/status/1761529247536148616
砂漠さん@5goutotugekihou
こ、この状態で今からデッサン会に参加しろと言うのですか!?体を捨ててどこか虚空に消えていきたい気分なのに・・・。
https://twitter.com/5goutotugekihou/status/1761537172782641459
砂漠さん@5goutotugekihou
https://twitter.com/5goutotugekihou/status/1761557324949532831
砂漠さん@5goutotugekihou
描けない・・・
https://twitter.com/5goutotugekihou/status/1761576286768812474
砂漠さん@5goutotugekihou
俺を支持する人もいるようだから、申し訳ないのであらかじめ言っておくけど、俺は今自分が正しいとは思ってない。反省してるかと問われたら自信はないが、後悔は吐くほどしてる。ほっといてほしい。
https://twitter.com/5goutotugekihou/status/1761576858305667526
砂漠さん@5goutotugekihou
デッサン会は多目的ホールでやってて、ダンス用に壁一面鏡が設置されてるんだけど、鏡に映る自分が40も近いというのに大学生みたいな子供みたいな服着てる男だった。こんなんでいいと思って生きてるから、バカを平気でやるんじゃないのか。自分ひとりで生きてるつもりなのか。
https://twitter.com/5goutotugekihou/status/1761586061216817334
砂漠さん@5goutotugekihou
俺は笑いが欲しかっただけなのに、そのため世間に中指立てる必要はなかった。
https://twitter.com/5goutotugekihou/status/1761586640559190512
小学校3〜4年生くらいまではこれだったけど、小学校5〜6年生だと屋外に出かけて風景画を描く宿題が出てた。
中学に入ってからはクロッキーブック買わされてデッサンも習ったし、一点透視図法も二点透視図法も習ったで?
お前が美術に興味なさすぎて覚えてないだけじゃねえの。
吐き出し
某所に質問として送ろうと思ったけどあんまりにもお気持ちすぎて送るのやめたやつ
●●さんこんにちは
私は今、友人へとてもつもなく嫉妬していて悲しみでいっぱいです
友人はとてもかわいいデフォルメ調の絵を描く新進気鋭のイラストレーターで、もともと人と関わるのも上手で、今沢山の人に囲まれ愛されています
一方私は、デッサン力は友人に劣らずと言う自負がありますが、可愛い絵を描くのが苦手で、人と関わるのが苦手で、友人とは正反対です
本当はかっこいい絵が描きたいけど、友人のような可愛い絵が描ければ私も誰かに愛してもらえるのではと言う思いがあり、(そのことを伝えたわけではないですが)彼女に可愛い絵の指導もしてもらっています
でも一向に評価は増えず、あ、やっぱり私じゃダメなんだと心が折れて寝込むことばかりです
絵のことを相談できる人が友人しかおらず、しかし、こんなことは言うことができず、苦しいです
商業主義で行くならもっと可愛く描けるべき、個性は捨てるべき、3Dでも素材でも何でも使うこととよく言われていますが、最近、その意見に素直に賛同できていない自分に気付きました
私もいずれは友人のような多くの人から愛されるイラストレーターになりたいと思っています
でもこのままでいいのでしょうか
意見に賛同できない友人から指導を受け続けるべきなのか分からなくなってきました
●●さんのご意見をお聞きしたいです
Twitterをぼーっと眺めていたら絵描きさんが "創作する過程を楽しめなくなった絵描きは終わり"だという旨の発言をしているのを見かけた。
別にその人のことは良く知らないし、その人がその発言をすること自体が悪いこととは思わない。思想は自由だし、その人なりにバックボーンやプライドというのがあるだろうから、そういったものは尊重したい。
でも私はこの言葉をひどく何度も反芻している。何度も反芻している。雪が降って鬱になってるだけなのかもしれないが作業中も何度も頭の中をよぎって止まない。
私は7年くらい前からあるプロの絵に一目ぼれしてそんな絵が描けたらいいなと思って絵を描いてきたのだが、同時にその時くらいから絵を描くことがあまり楽しくなくなったように思う。
たまたま精神や思想、ある程度の技量が成熟する時期と被っただけなのかもしれないが、時期的には、その時のはずだ。
これに因果関係があるのかはさておいて、現状も私は絵を描くことがあまり楽しくない。
一時創作と二次創作の違いだとかいった意見が発生しそうなので一応言及するが、私はここ最近一時創作しかしてない。でも絵を描いてるときは楽しくない。キツい。辛い。
設定を考えたり、ストーリーを考えたりしているときは楽しいが、キャラクターデザインをしているときとか、構図を作っているときとか、本当に楽しくない。
こればかりは断定するが、この感覚の原因は私の不勉強と努力不足でしかない。アイデアが湧かないのは観察力を鍛えることを怠ってるからだし、構図が出ないのも人体デッサン頑張ってないからだ。
創作する過程を楽しめなくなった絵描きは終わり。改めて、この言葉を反芻する。
私は終わっているのだろうか。
いいなぁ、キラキラしてて、フォロワー多くて、絵上手くて、いろいろな人から認められて。
私は全然だ、淀んでいるし、フォロワーいないし、全然魅力的な絵が描けない。
でもこれまで描いてきた。他の人より努力するのが下手で質も量も悪いから他の全てを投げ捨てて描いてきた。
楽しくない程度でやめてたまるか。
楽しくない程度でやめるのか?それは、お前、冒涜じゃないか。いったい何人の絵描きが苦しみながら芸術を生み出してると思ってるんだ。
創作的な活動をする人間を美化するから、絵を描く人が減るんじゃないのか?超えちゃいけない倫理を踏み越えるんじゃないのか?
苦しむのも楽しいんだなんて意見があるかもしれないが、それは言葉遊びに過ぎないだろ。
勿論絵を楽しむことは否定しない、好きにやればいい、勝手にして、その素晴らしい表現を続けてほしい。
どうか頼む、私に絵をやめろと言わないでほしい。
あなたよりも能力の低い人が必死に頑張って泣きべそかいてそうやって描いた絵にもきっとその人なりに価値がある。
楽しくないことを頑張ってる人を否定しないでほしい。
目をつぶったときに見える模様をデッサンの精神でできるだけ正確に描いた芸術家の絵ってないんでしょうか?
巷に出回ってる絵は明らかにイメージで適当に描いていますよね。
添付画像ほど色相が豊かじゃないですし、輪郭がわかるような描き方をしてる時点でおかしい。
もっと狭い範囲のグラデーションが視界を覆っています。個々の部分の近傍への色の変化が本当に微妙で、注意深くみなければ視界全体を単色が覆っているように見えることも確かですが、そこには確かに無数の微妙な違いを持った黒が混ざった緑や赤系統の色が散らばっています。
芸術家だからこそ、デッサンや写実的に描く対象としてはもっとも難しいモチーフの一つだと思うので、これに挑んだ絵が一つや二つあってもおかしくないと思うんですけど、ネットで調べてもなかなか見つけられません。
そういう絵はないんでしょうか?他者が描いたものを見て「これだよこれ」って実感が得たいのです。自分でも目をつぶればいつでも見ることができるものとはいえ、この模様は絶えず変化するものなわけで、たととばある一点を見つめようとするとその一点にあったパターンが煙のように形も色合いも微妙に変えながらどんどん動いていってしまうので、一瞬を捉えたものがあると何か安心できるのです。
昔、大好きな絵描きが、イラスト調からどんどん写実的なタッチになっていって、なぜ?元の絵柄の方が絶対いいのに…と幼いながら思っていたが、10年描き続けた今、同じような道を辿っている。
なぜか。
ひとえに高みを目指したときにそうなって行くのだろうと思う。少なくとも自分はそうだ。
だんだんと今までのイラスト調の絵柄だとできることがなくなってきて、デッサンや人体の構造を勉強して、それを取り入れたくなる。
ただの自己満。どんな絵柄がウケるかも今までの経験でだいぶわかってるけど、わかってるからこそもういいやという感じ。
絵を描くのが好きで、ただ極めたいなと思うと写実的な方向に行くしかないのかもしれない。
最近はそこをさらに超えて原点回帰でイラスト調のエッセンスが入ってきている。写実的に描くのはある程度できるようになった、ならば今度はそれを上手くイラストタッチに組み込んでさらなる魅力的な絵を目指そう。そういう気持ち。絵は奥深い。神の一手を目指して。