はてなキーワード: カレンダーとは
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「YES/NOで答えられる質問(正確には確認)を上長や同僚にしろ。質問の仕方が悪い」
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話題終わり
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- クソどうでも良いことは聞かずに自己判断しろよということでXXX見た?は感情的には普通の反応と思われる(そもそも重要なのは用件のプライオリティで居場所ではない)
- しかし明示的に示さなければ理解出来ない人材もいることを理解すべきである。Aさんは急ぎの電話がくる(高プライオリティの顧客やプロジェクトがある)なら予定表かカレンダーかメールで共有すべきだし、電話の代理対応は仕事の効率を下げるだけでなく顧客の満足度も無駄に下げるので不在時は自分の社用携帯に転送する様にすべきである
- Aさんがそれをやってなくても周りがそういう枠作りをすべきである
- そういうのが期待出来ない職場なら電話相手に都度プライオリティを確認すれば済む話である
「急ぎの電話が入る予定があればカレンダーに記載」の話じゃないやん、酔っ払ってるからか、横増田なのか話がめちゃくちゃだぞ。
急ぎの電話が入る予定がわかることと、プライオリティ判断の仕組みが作れるかどうかってのは全然別の話だろ。
君も元増田の言ってる
タイプの人だな
想定されるまとも:急ぎの電話が入る予定があればカレンダーや予定表に記載する。あるいは不在時は自席の電話を社用携帯へ転送設定しとく
期待されるまとも:「Aは只今席を外しております。お急ぎでしたら私で要件を承りますがいかがいたしますか?」
id:quick_past おいらは下流の仕事を、わかりやすい規模に切ってもらわないと混乱して手が動かない。あと仕上げは他の人にやってほしくてしょうがない。仕上げるためには集中力が必要で、集中力を高める事が物凄い疲れる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200113022528
そして翌朝増田を見た。その時俺に違和感が走った。おかしい。アベ連投に猛虎弁連投、先日見た風景が広がっている。
カレンダーに目配せするとたしかに日付は変わっている。心なしか町の人達も正月から一転してようやくいつものペースに戻りつつあるようだ。
増田をふたたび見ると、相変わらずアベ批判と猛虎弁とLGBTに絡んだアニメ批評とIKKOさんが大人気だ。おかしい。なにか変だ。そう思ってふたたびスマホのカレンダーを見ると日付はいつの間にか二日分飛んでいた。つまり、まだ会社にも出勤してないのに二日間俺は増田を見ていたことになるのか。「そんな馬鹿な、一瞬しか目配せしなかったはずだ」俺はあまりの事態に気が動転し、ニュースサイトの確認に走った。見出しは踊った。「武漢、コロナウィルス終焉」。カレンダーに再び目配せする。更に4日経っている。時間が加速している。明らかに増田の周辺だけ時間が加速しているのだ。いや、増田だけ時間の進み方が遅いのだろうか。やがて俺の皮膚は急速に水分を失ってしわしわになり始めた。増田では未だにIKKOさんとリベラルとアベとアニメ批評で盛り上がっている。
俺はある事実に気づいた。高速で記事が流れゆく増田は、その速度を光の速さにまで到達させることによって時間を止めているのではないか。俺のまぶたは重たくなり、意識は鈍重になった。できうるならこの繰り返される増田に二度と出会わないことを願って、永遠へと向かって眼を閉じた。
16年前の冬、ディズニーランドに行って衝撃を受けた。
北海道の田舎から親に連れてきてもらった自分はいつも正月と冬のイベントの間の激安北海道ウェルカムウィークという期間にディズニーランドに行っていた。
連れて行けてもらえるだけありがたいし贅沢だというのはわかっていたが、ディズニーファンを読んでいた自分はどうしても期間限定イベントに漠然と憧れていた。
ホテルに帰るぎゅーぎゅーのバスの中、次の期間限定イベントの告知を見ながらいいなぁと思ったのをずっと覚えている。
そして2006年の冬、2005年のディズニープリンセスデイズの様子がバスで流れていて衝撃を受けたのを覚えている。
ディズニーファンを読んでいたし、テレビの特集で去年見ていたはずなのに、その時バスで聞いたブーケオブラブを未だに忘れることが出来ない。
そしてこのイベントを生で見たいと思ったことも二度と無理だろうと思ったことも覚えている。
イベントが始まる日、それは私が北の国に送り返される日なのだから。
北の大地に帰ってからも忘れられず生まれて初めて自分でCDを買った。沢山色んな家の雪かきして買ったそのCDを一生忘れないだろう。
そして曲を聴いている内にもしかしたら来年は何かカレンダーの都合でイベント1日目にはいけるかもしれないという根拠のない期待をしていた。
結局その期待は叶わなかった。ディズニープリンセスデイズは翌年タイトルもミニーの衣装も変わってしまった。
それを知った時なんだかとても悲しかったのを覚えている。
なぜ田舎で生まれたのだろうかとか、どうしてもっと努力して自分の力でお金を稼いで(そんなの雪かきどんなにしても無理とわかっているが)イベントに参加しなかったのかと考えて落ち込んだ。
いつか王子様もやって来ないし自分で動かなければ田舎の小娘では何も叶えられないと初めて思い知った。
そんなことを忘れていた16年後、無力で必死な田舎の小学生だった自分は浦安から東京に出稼ぎする無気力なOLになっていた。
舞浜には年パスがあるものの、誰かさんの顔と声帯が変わってからというものの足が遠のいていた。
そんな2020年の1月10日、朝お腹を壊して会社を休んで家で寝ていた。
しかし家で寝ていると昼には快調し、家にいるのは勿体ないそんな気分で舞浜に向かった。
その日からイベントがあることは知っていた。ディズニープリンセスデイズの衣装が選ばれていないことも。
しかしたまたまアプリで抽選して当たって向かったショーベースで何の期待もせずに見たイッツベリーベリーミニーを見て、ブーケオブラブを聴いてボロボロに泣いてしまった。
そしてあの時無力だった小学生の自分が報われたようなそんな気がしてしまった。
顔と声帯が違っていて衣装が違ってマリーではなくクラリスと並んでいても、デイジーと笑い合って歌う素敵なミニーがそこにいた。
もう二度とパークで会えないと思っていたのに、頑なだった子供の私を赦してもらえたような魔法があった気がした。
またいつか会える魔法があると信じて、今はアプリを抽選し続ける。
たとえ使い回しと指摘する人がいても、私は救われた。
あまり当たらない魔法だし、自由席並びに行ったら突き飛ばされたり外から見ようと待ってたら押されたり酷い目にあったりするけど、今だけは何があっても貴方を見ていたい。
もうあの頃のパークと今のパークは何もかも違う、きっと戻ってくることはないのでしょう。
毎日毎日晩ご飯のおかずを考えるのが辛くて仕方なかったので献立を考えて献立表をカレンダーに書きこむことにした。すごくいい。
買い物は週1回日曜日に行くので、買い物した後に冷蔵庫の食材を見て献立を書きこむ。
献立を考えてから買い物はしない。スーパーでその時安い食材をテキトーに買ってから考える。
忙しそうな日は冷凍食品、ノー残業デーは少し手の込んだ料理にしたり。
あと子どもの給食も軽く見て給食もカレー、夕食もカレーとかにならないようにしてる。
でもゆるく決めてるので無理そうなら当日他のメニューにしたりする。翌日のメニューとか。で、翌日今日のメニューにしたりする。
これやってよかった点は、今晩のおかずについて悩まなくてよくなったこと、子どもの給食の被りがなくなったこと、食材の無駄が減ったこと、メニューのレパートリーが増えたこと(献立表にすることで自分がよく作る料理というのが可視化され、しょっちゅう作っていたグラタンを控えるようになった)、栄養のバランスを考えるようになったこと(肉続いてるなー水曜日は鍋にするかとか)など。
毎日おかず考えるの大変だし、何となーく決めきらないまま作り始めたりするとなんかまとまらない夕食になったりする失敗がなくなりました。オススメです。
増田でよく見る育児辛い話って1歳までの事が多いと思うんだよね。
それを通り越して子供は今1歳半。
夜は10時間連続で寝るし、保育園行ってるから私は会社で好きな時にトイレ行けるし温かいお茶を温かいうちに飲めるようになったよ。
(どっちに辛さを感じるかは人それぞれだろうね)
赤ちゃんから幼児になってきたからさ、これから人間に育ててく必要があるんだよね。
衣服を着て過ごす必要があるし、ご飯は落ちたら食べない方が良いし、人を突然意味もなく殴ってはいけない。こーゆーのを教えていく必要がある。
えっと、すごい難しくない??
我が家の1歳半はね、20個くらいの単語は話せるよ。(まんま、ワンワン、ポッポ、ねんね、キレイキレイ、ナイナイとか)
でもこの単語は、自分の意志を伝えたい時に使える訳じゃないんだよね。
ねんねしようかって言ったら「ねんね!」って言いながら自分で寝室に行けるのに、自分が眠い時は泣くことしかでしか表現できないの。
で、こっちの話は大体わかってる。
靴下を元に戻してねって言えばタンスに持ってくし、おやつにしようか〜って言ったら喜ぶ。
抱っこを要求してきた時、ちょっと待ってねって言ったら拗ねて泣くし騒ぐ。
今の時期の意思表示はプチいやいや期らしいんだけど、うちの子は床に寝転んで泣く。
公園の手洗い場で寝転んで全身グチャグチャになったよ昨日。
本当のいやいや期が恐ろしいね。
そんなコミュニケーション状態の子にさ、人間の基礎を教えるのハードモードすぎない??
みんなすごくない??どうやってるの??
汚れたティッシュはゴミ箱に捨てるんだけど、ハンカチは洗濯機に入れて何度も使うとか。
湯船につかってる時にお湯をバシャバシャしてもいいけど、スープはしちゃだめとか。
保育園から貰った金メダルは首にかけていいけど、ケーブルはダメとか。
そういえば夫がさ、自分を指差しながらパパだよ〜って教えてたんだけど、人を指差すことをパパって覚えちゃったよね。
あれはママ、あれはワンワン、これはパパ!って感じで色々と指差しながら伝えてたんだけど、人を指差す=パパになったから、エレベーターで一緒になったお爺さん指差しながらパパ!って笑顔で言っちゃうよね。
まぁ命に関わらないことに関しては笑って過ごしてる。
いやさ、ここに書いたことすべて出来てない大人は居ないからいつか出来るよって良く言われるし自分も同意だから心底焦ってる訳じゃないんだけど。
でも、想定と違う結果が返ってきた時に「どうやって伝えたらいいんだろう」って割と絶望するんだよね。答えがないから余計に。
やっぱりさ、作ったスープに手を突っ込んでグチャグチャにされたり、シャワーの水を飲み始めたり、絵本を顔に投げられたりすると「このままで本当にいつか伝わるんだっけ?」って考えちゃうんだよね。
これはお友達の○○だから触ったらダメだよ。って公園で何百回言っただろう??
ダメって言葉を使わず具体的に説明した方がいいって本で読んだから意識はしてるけど難しいね。
オモチャだったら貸して〜ってなるかもしれないけど、水筒とかカバンはやっぱ触っちゃダメだよね?
みんなどうやって教えてるの??
出産前にある程度の過酷さを分かってたつもりだけど、人間にしていく(社会性を身につける)とこって難しすぎるね。
親の価値観100%押し付けるつもりなくて、ほんとに最低限だけって思ってるんだけど、最低限が多すぎじゃない??
4歳とか?の言葉が通じるようになってから始めるのでも間に合う??
私はカレンダー通りの休日で夫は平日休み(子供は保育園)だから、他人との苦労場面に出くわした事がほぼなくて、これまた伝えるの難しいんだよね。ケースバイケースだし。
まじむず〜〜〜!!!
今日はね、
難しく考えてもお互いに良くないじゃ〜ん!!!って思って、