はてなキーワード: 資質とは
仕事と関係ないところで「こいつ足りねーなー」と思うことが多かったのなら、どこへ行ってもだめなのかもしれない。
しかしそれでもなにかの仕事をしてもらうほうが社会としてはありがたいよね。
昔はたとえば活字拾いのような、他人とあまり接することなく黙々とこなせる資質が求められるような仕事があったが、最近は求められる能力が比較的平準化してきている、という話をどこかで読んだ。
参考にならない話ですいません。
http://anond.hatelabo.jp/20110825190850
あとこれ:
http://anond.hatelabo.jp/20110825191755
プログラマの仕事と元記事には書かれていないということは、プログラマ的ななにかを引き合いに出しただけだと思うのだけれどそれがなにかわからない。
なるほどね。
生得的なところは確かに大きい。
環境という意味では親と自分の関係だけでなく自分と兄弟の関係、兄弟と親の関係も要因になるから同じようでいてけっこう違ったりするよ。俺も3人兄弟で全員違うし。
幼少期に十分かわいがられて満たされた増田は生得的な遺伝的資質で親に似た性格になり、満たされなかった増田の兄弟はそれをみたすために恋愛体質になったと考察してみる。
違う考え方をしてみると、増田はあまり多くない親からの愛情をポジティブ(その状態は正しい)に受け止め、厚くも重くもない適度な距離感がよいと考えるようになり、増田の兄弟はあまり多くない親からの愛情をネガティブ(その状態は間違ってる)と受け止め、いくらでも欲しがる状態がよいと考えるようになったのかもしれない。
まあ、適度な距離で気楽な付き合いができる人が増えたらいいねぇ
だから、なんでそこが問題になるんだよ。
今の日本で、「管に首相をやらせる積極的な理由」をあげられる奴がいるのかって聞いてるんだよ。
それだけで十二分に首相に値しないだろ。
松本前復興相のバックグラウンドはネットによる知識で知っていましたし、彼のあの振る舞いが99.9%個人の資質が問題なだけだろうとも思っていました。
しかしながら、復興担当大臣が知事の所に来て瑣末な事を契機に因縁付けて恫喝するという社会常識を超えた事態が発生したことで、以下のような可能性を排除できないと考えたのです。
と。普通に考えれば有り得ません。しかし、京都でいうところの「ぶぶ漬け」のような、地域性に根差したごくごく特殊なコンテキストではアレが激励の一種に当たる可能性を排除しては、東北と九州の相互理解を行う上で、齟齬を抱いたままになってしまう。
異常事態を前にして、変に真面目に忖度を図ってしまったのです。
結論としましては、トラックバックやはてブコメントを見て、そうした地域特有のコミュニケーション論が存在しない事を確認できました。
→私はそこまで過激ではありませんが、「奨学金借りて大学に行ったのに中退したクズ。生きる価値なし」ぐらい蔑まれてもしかたがないと思います。
→つまり、それだけの期待を裏切るというのですから、信用失墜はもちろん、やはり他人から罵られても因果応報というものでしょう。
→もちろん、教育につぎ込むのも躊躇されるでしょう。就職でやめるかどうかもわからない新卒に、教育費かけてられないというものと同じロジックが働くことは疑いありません。
→この件で手塚治虫や加藤周一、安部公房を引き合いに出している人がいますが、それは結果論というものです。
→まして、その三例を以てして、「だから別に問題じゃない」というには説得力が足りません。
→私は、医療に従事すると決めた以上、その職務から離れるのは資質、能力に問題があるケースの他はあまり認めるべきではないと考えます。
→医療に携わる人間に年齢は関係ありません。そこに教育をかけることに問題があるのです。言ってしまえば社会還元のほどが見込めないということです。
→教育は投資です。早ければ早いほど、見返りが大きいなら大きいほどよい。だからこそ、キツイですが頭の悪い大人というのは出来が悪いし、教育に失敗したといえるのです。
→だからこそ、そういうのを選別するのには、正当性があるのです。選別すれば、社会全体によい還元ができる。この差別は必要な差別です。
→そして、そういう事情があるからこそ国家も税金を投入するし、年齢、学業等の理由で人を選別するのです。
→そして、その選別や投資を受けていながら、それを無に帰する行為は、やはり社会的には悪だろうと言えます。
柴岡三千夫は子供に対する教育に大変熱心であり、日本幼少年体育協会、タイケン学園など様々な教育機関を設立している。
特に幼少年向けの体育に力を入れており、幼児体育指導者を育成し幼児体育指導者検定(幼体検)の認定事業を行っている。
これは、6回完結の週1日・短期集中の体操教室です。2歳~の未修園児~年長の子ども対象に行う教室です。
カンガルークラブとは、地域の皆様に体操の楽しさや面白さを感じてもらうことを目的としています。
連日、受付日で定員いっぱいになり、キャンセル待ちになってしまうのですが、例年人気のあるものの1つです。
親御様にも参加してもらいます。といっても協力してもらう形になります。
どうしても、全国とか幼稚園とか保育園対象の大人向けの内容が多いのですが、
子ども対象のスポーツ学校やこのような教室を行うことで、親御様と子どものコミュニケーションをとり、
これを機会に身体を動かしてくれればと思います。
幼児体育指導者とは、幼児期の子どもたちに体育の面白さや素晴らしさ、からだを動かすことの楽しさを伝える指導者です。
ところが、幼稚園や保育園での保育活動において「運動あそび」の指導者となると、専門性に欠けることが多いのが実情です。
子どもたちと直に触れ合い、会話を交わしながらそれぞれの子どもにあった指導プログラムを組み立てるのが幼児体育指導者の役割です。
そして、この教育活動は「日曜日開校」の特色を活かして個別対応を主体とした手厚い指導体制の中、
個々の生徒の資質と能力を十分に高め、現場で強い人材として幼児体育社会に貢献できる事を目標とします。
皆さん幼児・児童にかける体育・スポーツ指導の夢と希望をこの学校へ託してください。
あなたが社会人としてその置かれた地域社会で十分に活動できるよう、私たちは応援します。
◆学校タイケン学園グループ ウェルネス保育園 朝霞市・新座市・志木
全国に多数の専門学校や高等学校がある「学校法人タイケン学園」グループだから、
各校と協力し幼児体育や歯科衛生指導、動物とのふれあいなど様々な体験をとおして、
http://www.taiken.ac.jp/hoiku/index.html
■柴岡三千夫プロフィール
専門は幼児体育指導論。著書に『幼児の心理と水泳指導』(日本文化科学社)、『幼児体育指導教範』(タイケン)など多数がある。
■柴岡三千夫 関連サイト
理事長 柴岡三千夫
http://www.taiken.ac.jp/about.html
■柴岡三千夫 ブログ
http://blog.goo.ne.jp/youtai_2011/
http://d.hatena.ne.jp/youtai_2011/
■著作・監修の書籍について
『幼児体育指導教範』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4924769347.html
『はしってのびてあそぼう』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4924769096.html
『とんでくぐってあそぼう』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4924769088.html
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4924769029.html
『幼児体育指導教範』
http://b.hatena.ne.jp/entry/hamusoku.com/archives/4854701.html
最大勢力だけ出力。
anpo-sumeragi うーん。個人的には「お客さんを馬鹿にするような事」をする店員のいる店には2度と行きたくないし、それを黙認するような会社もどうかと思うんだけど。私みたいのは少数派なんだろうか。
ryokusai中傷云々より自社製品を持つてないことを誇らしげにツイートしたのがばれた時点で普通の神経なら会社にはゐられまいよ。 2011/05/25
自分の妻を「ビッチを具現化したような女」呼ばわりする店員が居る店なんて二度と行きたくないけど、可哀想って言ってる人はそう思わないのかな…そういう噂が広まると顧客減るし、店側としては妥当な対応と思われ。
rbtsro 接客業でこんなことしでかしたんだから、クビが重い対応とは思わないな。 2011/05/25
rebirthen 「処分が厳しすぎる」といってる人は「テラ豚丼騒動」のときのことを思い出してみよう。
K-Ono 「顧客」に対する損害を与えたのだからなー。まあ少なくとも顧客対応はさせれねえ。それに「イヤな店員」と接して次行きたいと思わんでしょ/やりすぎって思ってる人はリテールの接客業なめてんのかこら。 2011/05/26
jiki8man 身分を明らかにした上で顧客・契約選手を馬鹿にする社員を雇い続けるメリットなんてないでしょ。解雇が可哀想なんて思わんよ。 2011/05/26
wbbrz 契約選手や自社商品に敬意を払えない上に、それを公に発信してしまうような人間は、ブランドの社員としては不適格。無関係な身内に被害が及んだり賠償責任が出たりしたら可哀想だが、ただの解雇なら妥当かと。
彼らの心情の中には当然ながら「組織に属した人間として不適切な振る舞いだ」というのがあるだろう。
しかしよっぽどの社畜でもない限りは「取引先がウザい。営業のアイツ脂汗で窒息してあのダミ声をもっとダミラせて死なねーかなー」のひとつぐらいは思うはずだ。
そしてこれはもちろん問題ない。「内心の自由」というやつだ。これも社畜でない限り納得していただけると思う。
さて、Twitterの炎上事件に共通するものがある。それは「Twitterで内心を発露した」ということである。「バカの可視化」と言われる所以はここにあると言ってよい。
つまり、アクセシビリティの飛躍的な向上により、内心が可視化されるケースが増えたということである。
もちろん、内心の自由を実際に表現してしまった以上、それは内心とは呼べない。ただ、その方法自体は匿名が掲示板で愚痴を吐くというルートと同じである。
そしてたとえ匿名だろうと書き方によっては補導されるだろう。「殺す」とかね。つもりはなくても、書いたらダメってわけだ。
ネットはもはやグチをこぼすツールとしては成立し得ないのだ。公共性が高まり、そこにおいても私情を殺すことが優先される。プライベートが存在しないというのはすべてがパブリックということだ。その意味を少し考えるべきである。もちろんそれはネットにおける活動が表現としての役割が強まっているとも言える。
少し話がそれるが卑近な話題としては、大阪府条例におそらくなるだろう国歌起立の問題がある。
ここでこれを支持する人間の主だった意見としては「公共性が高い、職務命令がすでにされている、職業選択の自由があるんだから嫌ならやめろ」というのがある(反日がどうだとか当たり前だとかいう多くのノイズは、残念ながら”意見”とは程遠い)
はじめに「公共性が高い」という意見について考える。式典が公共性が高い場である、という主張であり、ゆえに起立しないという私事で調和を乱す行為は許されないというのがおもだった筋だ。つまり「ご起立願います」という進行があるのだから、それに従わないのは許されない、ということである
(私は、この文言がないのであれば座っていても公共性は損なわれないとするスタンスだが、おおかたの式典ではそういったアナウンスがあるだろう)
職業選択の自由があるんだから嫌ならやめろ、という意見もある。ただ、この主張は「従うのがあたりまえだろ」という奴隷意識に根ざしているものもいくつか見られているため、あまりいい気分はしなかったのがしょうじきなところだ。
さて、なぜこの二つを取り上げたかというと、組織に従属する人間の行動が、他人に与える影響についてはほぼ似通っているということだ。そしてそれはやはり論理とはかけはなれた、感情に起因するものである。
私は企業の判断は判断として受け取るべきだと考えている。すなわち、プロセスはどうあれ、一旦はその命令を受けて、彼女は職を辞するべきである。しかしそれは当然ながら他人の溜飲を下げるためにするものではない。それを望む人間が転び公妨などの類を否定するならただの無知と傲慢と油断だ。
このふたつの例における「クビは妥当」と「嫌ならやめろ」は同根である。もっと言ってしまえば、集団の構成員に思想信条の自由などは存在しないということである。
もちろんそこには「集団に適格な資質」が内在している。つまり、内心に叛意を抱くことのない強固な愛国心、愛社心が求められているということだ。構成員である以上トップダウンは絶対であり、構成員もそれに逆らってはならないのである。そしてあろうことかそれは「外圧」によってなされるということだ。
もちろんNOだ。
これはゼロリスクと同じ(All or Nothing)の思考である。信仰くさく言えば「処女性」である。処女性は未経験に起因するのではない、その純潔さの信仰によって得られるのだ。一縷の穢れさえ許されない、ということだ。
だからこそ彼らは集団にもその純潔さとしての整然を求めるし、調和の取れた動きとしてミリタリスムな行動を求めるのである。
彼女は排外されたのだ。穢れたものとして。穢れた人間のいる店には通いたくないという外圧を前にして排外されたのだ。
彼女は何処へ行くのだろう。穢れた公務員は何処へ行くのだろう。
彼らにはNIMBYこそふさわしい。そう考える。あるいはNIMBYさえも相応しくない。そう考える。
奴らと同じ空気を吸いたくない。
こういう欲求が、ヒトを殺す。
そしてそれは、合法だ。
今日も見えないところで人が死ぬ。
それは信徒の意志だ。
解決するまで続編を希望するし、解決させなかったなら正気を疑う。作品にする必要がないし。
物事には円満な解決がある。
死ぬべき人間が死に、死ぬべきではない人間が無闇に殺されずに救済される。
素直に作ればそうなるのだ。
おもしろくない、刺激が必要だ、と誰かが言う。
だいいち、作品を、鑑賞者を本当に考えているならそんな裏切りはしないものだ。
繰り返す。
ハッピーエンドにならない作品はすべてが後進的であり、すべてが解決可能な未完作品群である。
それを完結できなかったのは製作者の落ち度であり、許されるものではない。
そしてハッピーエンドを求めない作品が称揚されている昨今、民度の低下を嘆かざるをえない。
向上心あるものが底にいるなら応援もしようものだが、向上心を捨てた人間にまで構う必要はなかろう。
そしてそういう人間が好む文化に触れるということは、自らの気を汚すということだ。
積極的に断ち切らねばならない。
http://anond.hatelabo.jp/20110503121932
例えば、結婚相手を探しているとき「金銭感覚はまともか」とか「いざというとき、一家を養える能力があるか」とか「価値観を共有できるか」とか「何時間も一緒にいて飽きないか」とか、そういうことのほうが「巨乳かどうか」より大事だって男も五万といるよ。
http://anond.hatelabo.jp/20110503225232
↑ご忠告に従ってやり直し。
なるほど。全ての男性は「女性性に興味があるのだから、巨乳かどうかはそこを見分けるポイントにはならない」ということですね。
それでは訂正します。
「巨乳であることによって、女性個人の資質が女性の性的魅力より優先すると考える男性を見分けることが出来る」
これなら同意してもらえるかな。