解決するまで続編を希望するし、解決させなかったなら正気を疑う。作品にする必要がないし。
物事には円満な解決がある。
死ぬべき人間が死に、死ぬべきではない人間が無闇に殺されずに救済される。
素直に作ればそうなるのだ。
おもしろくない、刺激が必要だ、と誰かが言う。
だいいち、作品を、鑑賞者を本当に考えているならそんな裏切りはしないものだ。
繰り返す。
ハッピーエンドにならない作品はすべてが後進的であり、すべてが解決可能な未完作品群である。
それを完結できなかったのは製作者の落ち度であり、許されるものではない。
そしてハッピーエンドを求めない作品が称揚されている昨今、民度の低下を嘆かざるをえない。
向上心あるものが底にいるなら応援もしようものだが、向上心を捨てた人間にまで構う必要はなかろう。
そしてそういう人間が好む文化に触れるということは、自らの気を汚すということだ。
積極的に断ち切らねばならない。
昨今て…
レクイエム・フォー・ドリーム セブン ミリオンダラー・ベイビー
では自分もお勧めを。 ファニーゲーム(オーストリア版) クストリッツァのアンダーグラウンド 幻の湖
なんだかナチスっぽいなあ。
なんだか例のうんこっぽいなあ。
普通に事実として発生しているこの国
君は作品の中に入る派か。俺は眺める派だからハッピーエンドにならなくても良い。そこに普遍性があれば、それでいい。