2011-05-14

ハッピーエンド

ハッピーエンドはない作品を鑑賞すると、不快になる。

解決するまで続編を希望するし、解決させなかったなら正気を疑う。作品にする必要がないし。

物事には円満な解決がある。

死ぬべき人間が死に、死ぬべきではな人間が無闇に殺されずに救済される。

何も難しいことではない。

素直に作ればそうなるのだ。

おもしろくない、刺激が必要だ、と誰かが言う。

そいつ悪魔の手先だ。退嬰的なものを好む退廃的な人間だ。

だいいち、作品を、鑑賞者を本当に考えているならそんな裏切りはしないものだ。

人間資質が問われている。

繰り返す。

ハッピーエンドにならない作品はすべてが後進的であり、すべてが解決可能な未完作品群である

それを完結できなかったのは製作者の落ち度であり、許されるものではない。

そしてハッピーエンドを求めない作品が称揚されている昨今、民度の低下を嘆かざるをえない。

向上心あるものが底にいるなら応援もしようものだが、向上心を捨てた人間にまで構う必要はなかろう。

そしてそういう人間が好む文化に触れるということは、自らの気を汚すということだ。

積極的に断ち切らねばならない。

そして犠牲者をひとりでも減らすために啓蒙活動をしなくてはならない。

ハッピーエンドこそ至高にして究極。それ以外に価値はない。

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