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はてなキーワード: 自己肯定感とは

2022-05-12

anond:20220512200020

マジレスすると、そういう精神飲み会ポロッと(それも自覚なしに)漏れてるものなので、上司以外に嫌われてる可能性はちょっと思っておいた方がいいよ。君は自己肯定感が低いみたいだから、対人関係でも既に「俺嫌われるような人間なのに何故か好かれるんだよなー」って思ってると思うけど。

2022-05-11

やたら100点取る息子 そのカラクリに「自己肯定感上がりそう!」 優しさがにじみ出る「採点システム

100点をたくさん取るようになった息子。そのカラクリとは…=太陽ケイコムーンさん提供

「3年生になって、息子はやたら100点を取ってくるようになった」。そうつづられたツイートに注目が集まりました。ただ、100点にはちょっとしたカラクリが。投稿した母親に話を聞きました。(withnews編集部河原夏季

画像】100点のカラクリとは?話題ツイートはコチラ 息子がテストに描いたネコの絵にも反応が!

答案を見て気付いたことは

話題になったのは、太陽ケイコムーンさん(@amazakeiko)が4月21日投稿したツイートです。

100点を量産する息子。しかし、答案用紙には何ヶ所か赤ペンの跡が。よくよく見てみると、あることに気付きました。

それは、「はじめに返すときには点数を書かず、全部直し終わったら100点と書いてくれる」採点システムです。

ツイートには「点数でなく学びを100点にしていくんですね!」「これは良いアイデア!」「自己肯定感上がりそうですね!」といったコメントが寄せられ、「いいね」は4.5万を超えました。

学校が始まって2週間…あれ?

太陽ケイコムーンさんが息子の100点に気付いたのは、3年生になり2週間ほどが経ってからのことです。国語テストが100点で、その後、算数も100点ばかり取ってくる状況に「あれ?」となりました。

当初は「学期の初めなので簡単テストばかりなのかな」と思っていましたが、新しい担任の採点システムに気がついたときは「優しい先生なんだなあと思いました」。

1年生の時はよく100点を取っていた息子も、2年生になって担任が変わると採点基準が厳しくなり、数字の書き方や漢字の止めはねなどで減点されていたそうです。

時々ランドセルのサイドポケットの奥から、「限界まで小さく」たたんだ答案を見つけることもありました。

「正直ちょっと答案を開くのが怖かったです。ああ隠したかったのかーと思いました」と笑う太陽ケイコムーンさん。息子は、「見えないようにして、なかったことにしたかった」と話したそうです。

ほとんどは70点前後で、算数文章問題やきれいに書くことが難しい漢字などが苦手のようでした。

ただ、必ずしも厳しい採点が悪いとも思いません。

「『こんなに厳しく採点するのは2年生までです。いまは基礎を固めるときなので、細部もチェックします』と個人面談の際におっしゃっていました。この先生のおかげで、息子は字をきれいに書けるようになり、硬筆の書き初めで賞をもらえました」

「まーた100点でーす!」

3年生になって100点を取れるようになり、息子はまたテストの結果を見せてくれるようになりました。

「まーた100点でーす!」とふざけることもあるそうです。

回答に時間がかかっていた宿題にも変化がありました。「すらすらっと簡単にやっているように見受けられます。緊張感が解けたような感じです」

冒頭のツイートに続く投稿にはこう記しました。

ちょっとカラクリはあるけれど、100点ってうれしいもんだよね。新しい担任先生ありがとう

成績悪くても犯罪者とか半グレにならなくてすみそう

2022-05-09

anond:20220507181118

自己肯定感が高いってこういうことだよな。反省も後悔もしない人生で羨ましい。成長もしないだろうけど。

2022-05-08

anond:20220508164933

映像化作品なんて何百万ある漫画からみればほんのわずかなのに、映像化作品の原作としての価値があるとか脚本家としての価値があるみたいな文化貢献への意識自己肯定感として漫画描いてる人なんているんだろうか

統計的には有意な数はいない気がするんだけども

いたらいたらで、漫画家ってとらぬ皮算用気質な人が多いなって感想持つわ

anond:20220508035645

さすがに子供欲しがってる人間はおおむね自己肯定感高いだろ

自己評価他者から評価釣り合ってないことに不満を感じ、

自虐的弱者男性を名乗っている男はいるかもしれない

2022-05-06

歌だのギターだの、自己表現が好きなくせに自己肯定感がとにかくダメで、昔からとあるごとに「俺はやることなすこと全てがクソ、死んだほうがマシ」みたいな感じなんだ

ある程度具体的な数が増えれば自己肯定感上がるんじゃねと思っていろいろやってたけど、チャンネル登録者数なりカラオケの点数なりが増えても「実際はゴミなのに数だけ取れてしまうのはクソ、死んだほうがいい」が思考のメインを占めるようになっただけなので、これは具体的な他者評価うんぬんではどうにもなんないっぽい

器にデッカい穴が空いてるような感じで、注いでもダメなんだな

じゃあ俺はどうすればいいんだ

人間は皆欲張り

食欲が満たされれば自己肯定感社会的繋がりを求める。

人間界で生きるためには人間の群れに溶け込めないといけない

人間の仲間を作らなきゃいけない

人間の番を探さなきゃいけない

一時の寂しさを埋めるために、我欲の為に犬猫を飼ってるようなもんだ。

だけど人間言葉、行動は一々自分には重たすぎて

犬猫の親代わりという役割が一番楽なんだ。

例え身体的に傷付いたとしても、自分には人間思考理解できない。

我儘で一つの命を犠牲にしてごめん。

弱い生命運命共同体にしてごめん。でもどうしても自分必要不可欠とする存在が欲しかった。

anond:20220506010703

これをやりたい、できるようになりたいというモチベーション努力できたなら、成果が出なくても努力のもの自己肯定感につながるよ

から無駄努力というものはない

コスパを過剰に気にする人にはそういうの受け付けないかもしれんけど

2022-04-29

anond:20220429190846

逆に自分が選ぶときにも、「スペックやらステータスだけで人間を選別するの性格悪いな…」と思っちゃって自己肯定感下がる

ので早々にやめちゃった

マッチングアプリ自己肯定感破壊する

私はこれまで、人並みかもしくはそれ以上に女性経験を積んでいて、自分モテないと感じたことはなかった。

しろ容姿を褒められる事もあるので、モテる部類だと思っていた。

そんな自分自己肯定感は高かった。

しかし、マッチングアプリを使ってからは、そんな自信を失うことになる。

私のスペックには1つだけ大きな欠点がある。

それはマッチングアプリプロフィール記載しなければいけない項目だ。

マッチングアプリには、検索機能があり「数値化された」「カテゴライズされた」項目を選択して相手を選ぶことができる。

また、相手がどんな性格で、どれだけ相性が良いかという事柄は一切関係なく、プロフィール欄の数値化・カテゴライズされた項目で見切りをつけることができる。

このために、私のたった1つの欠点だけで、マッチング対象から外されてしまうのである

リアル恋愛においては、理想スペックとは違うけど、性格や相性が良いため恋に落ちるということは頻繁にあることだ。

マッチングアプリにはそれがない。

そのため、私は数値化された世界では簡単足切りされ、出会うことができないのである

自信を持って生きてきたのに、自分否定された気持ちになってしまう。

高かった自己肯定感を返せ。

2022-04-28

anond:20220428092910

自己肯定感が低くて自分にとっての幸不幸を定義できないというか自分定義を信用できないから、他人比較しないと自分幸せなのか不幸なのかわからないんや

せやから他人が不幸そうなら相対的自分幸せになってると思ってしまう、というかそうしないと幸せを感じられない

anond:20220428024621

それしか言えないような養育をされたのか思うとゴミ虫を見る目になるけど

お外で恥をかかないようにって両親や爺ちゃんちゃんに注意されて育ったと思うと若干ほんわかするやん

 

どっちであっても尊重すべきだけど、自己肯定感が低い・誇るべきものがない人は本能的に蹴飛ばしたくなるよね

実際にはしないけどワイの表情には出てると思う

2022-04-27

anond:20220427145042

都合の良い言葉をそのまま受け止めることで自己肯定感アップや!

anond:20220427074348

自己肯定感低いやつが子持ちというつよつよ属性を得ることでステータスアップしたいと考えてつくって破滅するのもよくあること

あのさ

自分意志子ども作った人の自己肯定感が低いわけないか

いい加減にして

人の親なんでしょ

いつまで甘えたことを言っているのか

2022-04-26

ゲイのお兄さんだけど、酒とセックス以外の趣味を見つけていかないと

酒とセックス以外の趣味を見つけていかないとやばい

38歳ゲイ

彼氏は途切れず居るけど毎回同じ所で躓くので恋愛飽きてきた。

友達は信頼できる友達が2人いるか積極的に増やしたいとは思わない

趣味はハッテン場巡りと飲み(二丁目も行く)

最近は金掛けたくないか公園ホモ活。

見た目だけは良いから、誰か釣れるもんで自己肯定感高めたい時は利用させてもらってる。

どんどん世界が色褪せてきている。

酒もセックスも飽きるんだろうな

その時どうしたらいいんだろ

3人兄妹の末っ子になんて生まれたくなかった。

3人兄妹の末っ子です!年の離れた兄が2人います!って言うと「可愛がられて育ってきたんだね~」って言われるの地味に引っかかる。

母は4人兄弟の長女だったから、兄の方を贔屓にしてる感じがあるし、私が今まで過ごしてきた学校生活や進学も、既に兄が経験しているからあまり興味が無さそう。

私が中学生になった頃には兄も就職就活をしていたから、食卓の話は専らそういう話ばかりでついていけなかった。私だけいつも黙っていたと思う。

兄は兄で「年上を敬え!」とか言いやがるから、私は本音なんて今まであまり言えなかった。兄妹喧嘩がしたかったのに、言いたいことが言えなかったから、一方的な「説教」になってた。

今は兄2人とも結婚して家出てるから両親とゆっくり過ごせるけど、兄がたまに帰ってくると私の居場所って無いなぁって寂しくなる。

この前は、兄2人の幼い頃の話で盛り上がっていた。私は生まれていないから分からなかった。寂しかった。本当は泣きたかった。

私が幼い頃から兄たちは先に進むばかりでもどかしい気持ちだった。ゲームや競走も負けてばかりだった。勝った経験なんて片手で数えるくらい。

これが理由かどうかは分からないけど、今は親の年齢に近い人とお付き合いしている。私の中でやり直しているのかな。

兄妹の中で1番自己肯定感が低くなってしまったと思う。自分運動勉強もできない出来損ないだなっていつも思ってしまう。

でもこんな自分を愛せるのは自分しかいないよねきっと。

2022-04-25

オタク気質の変化 って言うと大げさかもしれないが

20世紀のオタクというのは、オタクとしてそれぞれの分野にのめり込んでいって、それなりのささやかな成果を得たとしても、それを以て自己肯定感を得たりとか、他人から評価に結びつけて考えたりという物の考え方が全体的に薄かった様に思う。

オタクは男オタクも女オタク露骨馬鹿にされていた時代でもあったから、オタク趣味私的な楽しみに深くつながっていて社会性と結びつき様がなかったので、それは当然の帰結だったのかもしれない。

そのうちに段々とオタク趣味を「生理的に受け付けない」年齢層(昭和の頃には電車内でマンガを読むことにすら嫌悪軽蔑を感じる人達大勢いた)が死んで黙っていくことや社会的実力を失って相手にせずに済むようになってきたこと、オタクたちも年齢が上がって全体的に社会的実力もついて行き、マジョリティにはなれないものの、かつては反発や嘲笑が恐ろしくてできなかった自己肯定的な主張が出来る様になってきた。

その段階になって、自己防衛的に個人や狭いオタク同士のコミュニティで閉じていたオタク趣味には社会性が強まりオタクであることに対して自己肯定感が持てるようになった。 オタク世間嘲笑軽蔑視線を覚えている世代と、それが薄れてからオタクとなった世代に別れてきていて、前世紀に受けた嘲りを忘れられない古参オタク自己肯定感(それは踏みにじられて素直に育つことの出来なかった自己肯定感だ)と、そうでない若いオタクのそれには、かなり違う肌合いを感じるのである

21世紀の最初の10年はオタクにとっては坂の上の雲を目指す良い時代だったのではないかと思うのだけれど、今やその時代も既に終わり、オタク好みの趣味表現物が再び卑しく反社会的と見做され、オタクそれ自身もまた卑しめられて当然という扱いに再び変わりつつある。

諸行無常であるなと。

2022-04-23

年収婚姻率には明確な相関がある。この結果を見ると、多くの人は「年収一定以上ないと結婚できない」とか、「年収が少ないことによって人々は結婚を諦めている」と主張する。おそらく、この推論は間違っていないのだと思う。しかし、その一方で、逆の因果関係もあったりしないだろうか、と思ったりすることがある。

社会の平均よりも年収の高いコミュニティとかかわることがある。そこに属する人々のプライベートを熟知しているわけではないが、知る限り、婚姻率は明らかに世間平均よりかなり高い。ややもすると、結婚しないという人生なんてこの世に存在しないかのような錯覚すら覚えるほどだ。

かに、これは件の相関に一致している。しかし、年収の話を一旦忘れても、彼らはやはり結婚というものに対して親和性が高いように見える。彼らは、本来意味での真っ当な自己肯定感を持ち、他者への思いやりがあるとともに良好な関係を築いている。もっと平たい言葉で言うと、他者を愛し、そして他者から愛される、そういう風に育ってきた人ばかりだ。間違っても人間人間社会を嫌う人はおらず、むしろその社会ときわめてシームレスに馴染んでいる。そして、そういった他者社会とのシームレスなつながりによって、高い収入を得られる複雑な仕事を着実に遂行している。

自分の回りの狭い世界の話でしかなく、何の根拠もないことは分かっている。ただ、このような状況を見ていると、逆の因果部分的にも存在するのではないかと考えてしまうのである結婚親和性が高い性格因子を持つ人が、高い年収を得ているのではないか――

ニート脱出しようとしたがまた失敗した

人生でいろんなことを失敗してすっかり引きこもっている。

チャレンジは全て何がしかの躓きにより満足した成果がでなかった。

完ぺき主義だとか自己肯定感が低いだとかいわれるだろうが、上手くいかないことに疲れてすっかり学習性無力感のような状態に陥ってる。

解脱には日常些細な成功自分をほめろと喧伝されるが、些細な積み重ねは中ぐらいのチャレンジの失敗によって容易に瓦解するのである。そしてそれは以後の小さな成功による心への報酬も減っていくのだ。何回もな。

今回私は、長年の無収入状態を解消すべく小額でも金を稼ぐ気炎が幸運にもチャージ完了した。

対人の仕事は失敗が目に見えているので、接触が少ない気楽な仕事を探した。

まりフードデリバリーuber eats配達員である

とりあえず1000円でも稼ぎたかった。やや流行が終わり気味だがコロナによる置き配の増加でそれなら店員との接触のみで終わるそうだ。

がぜん気持ちが上向いてきた。

小額でも金を稼ぐと言う行動が次への気力を生むと確信していた。

配達動画も見た。店員や客とのややこしい柔軟な対応も少なそうで機械的に行動できそうだ。

自転車も幸いある。

いよし、調べは済んだ。

後は実費がかかるバッグを買うだけだ。無職には初期投資というのは厳しいが、虎の子蜘蛛の糸の4000円だ。

店舗受け取り…はコロナで中止、か。amazonでの販売…も終わった?

公式オンライショップ…?

支払い方法は…カードのみ…?

はい解散かいさーん!

無職クレジットカード非所持男にはバッグはあげませーん!

これだよ!この躓きが心を砕いてきたんだよ!

思い描いて計画した手順が失敗したことが辛いんだよ!

先に確認しろ?そうだね!でも働く気が失せるという結果は一緒だよ!

つど修正しろと人は言う…。もちろんわかる。でもね。失敗で倒れた人の再帰の一回ぐらいは何事もなく平穏成功したいんだよ。一度思い描いたとおりに成功すれば、次からは自信がついて多少の躓きにも軌道修正もできると思うんだよ…僕はね…。僕は今、倒れているんだ。

僕はただトントンと上手くいく経験をしてみたいんだ。4000円払って自転車こいで300円をもらう。ただそれだけ。虫のいい話だと思うかい。失敗や修正当たり前かい。そうだろうね。でもそうじゃないときもあるんでしょ。僕にはそれはもう思い出せないんだ…。

わかってるんです。amazonで似たようなバッグを買えとか。デビットカードを発行してGoogle Payを経由すれば買えそうだとか。

でもきっとまた届いたバッグの質や大きさを後悔したり、思わぬ見落としで支払いできなかったりでやっぱり買えないとかになるんです。これが経験から予測ってやつですよ。熟練の技ね。Google Pay調べても非接触型決済の話ばっかり出てわかんなーい!これは失敗するヤツですぜー!

あーやだやだやだなんにもしたくなーい!

何回目だよもー!自分バカさにうんざりうんざりうんざりうんざり

唖でつんぼ人間のふりをして生きたーい!

2022-04-21

教育と思って質問形式自分の思い通りに誘導するな

普通に指導するより取り繕おうとして、気を遣わせるからやられた側の消耗が激しいし、

「分からない私ダメ」って自己肯定感も下がるし、

自己効用力も低くなるから自発的な行動が出来なくなる

乳のでかい女として生きてきたが

乳がでかいというか、デブ寄りなので乳もあるといったほうが正しい。

比較的不美人デブで乳もある状態だと、人と比較しがちな思春期の頃などは乳があることに自分アイデンティティを置いてしまっていた。それがルッキズム包摂された結果だとか、後知恵の指摘はいくらでもできるが、とにかく自信のなかった思春期前後デブだろうと乳があり、それが他者から求められることもあるという事実を嬉しく思っていた。

また、根暗陰キャなので美少女イラストも好きだった。乳のでかいカワイイ女が描いてあると嬉しい。素朴にそういう気持ちがあった。

幸い、今は自分が生きる上で積み重ねたものによって、乳以外にも自分を大切にできるポイントがある。だから昔ほど乳をアイデンティティの置所としてはいないが、宇崎ちゃん前後に始まりたわわに至る巨乳イラストバッシング自分気持ちとして少々苦しいと感じている。題材や文脈に対する不適切性を指摘されるのは仕方ないと感じるし現実まなざしを受けるこれから世代への配慮という論理理解もできるが、まさに現実にあるまなざしによって救われた自己肯定感があると私は知っている。もちろん、乳がでかいことによって不快な思いもした。しかし私にとって、それは足し合わせて得点を出すものではなく、両方とも存在したのだ。そんな自己肯定感まやかしだというのもわかる。ただ、自分大事にするために、自分の足で歩いていくために自分最初に握っていた自己肯定感は「乳がでかい」ことだけだった。

連呼したが、別に乳がでかかったことが重要なのではない。万人に対して正しいわけではないもの自分は救われた、救われてしまった、というような経験は、誰しもあるのではないかと思う。この気持ちの置きどころがなくて、ウロウロしている。

anond:20220421123116

そういう生育過程を経ると、努力甲斐あって大人になってから成功体験増えてきても自己肯定感は低いままで、どんなに何かを得られても虚しくて、何かを叩かずにはいられなくなっちゃうということ?

そう。

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