はてなキーワード: 次元とは
絵師ではない見る専の人間から言わせてもらえば、速度や規模感の問題かなぁ。
人間の学習なんて誰かがある特定の絵師の絵柄をそっくりに真似しようとしても、技術習熟や生産速度の問題で、市場レベルで元絵師に影響を与えることはなかった。
でもAIならそれができる。
それで市場崩壊して人間の絵師がやっていけなくなって、後には微妙なAI絵だけが残っても普通に困るのよね。
これは文化の保護・育成とかの話で、著作権の理念とかと変わらないので、規制を求める理由としては十分だと思う。
たまたま似ちゃったとかまでは既存の著作権なんかで勝手に争ってくれれば良いんじゃない? って感じ(絵柄は保護されないので相当酷似していないと絵師側が勝つのは難しいだろうけど)。
逆に俺は
そのまま画像がAIのデータに保存されるわけではなくて、数十億数百億の画像の1枚として
勝手に学習して欲しくないんだっていう意見があるけど、人が目で見て学習するのと何が違うの?とはいつも思う
人が見えるように公開して、他の人の記憶には残ってほしいのに、AIに学習して欲しくないというのの違いは何だろ?
そのまま画像がAIのデータに保存されるわけではなくて、数十億数百億の画像の1枚として
学習されるたくさんの特徴データのほんの一部変えるか変えないか程度でしか残らないのに。
(しかもたった一個人の絵が学習されなかったとしてもどうせ他の絵を学習して別次元でうまくなるのに)
似た絵が生成されたとしてもそれは単なるたくさんの画像の学習からたまたま生成されたものがたまたま似てるだけで、
その小説の中では増田が登場する。彼はメタ的な自己認識を持っていた。
小説の登場人物である増田はキャラクターと対話し、物語の進行をコントロールしていく。
すると、小説の中の登場人物たちは次第に自己意識を持ち、彼らもまた小説の中に小説を書くことを始める。
増田の創り出した登場人物たちが、それぞれが複雑なメタ的な世界を構築していく中、物語の中の登場人物は増田の存在に気づき、増田にコミュニケーションを試みる。
一方で、小説の中の中の小説を書く登場人物たちもまた同様にメタ的な自己認識を発展させ、小説の中の中の中にさらなる階層を築いていく。
これによって小説の中では複雑で抽象的なメタ的な構造が形成され、登場人物たちは自らが物語の中に存在することに疑問を抱き始める。
物語の終盤、小説の中の中の中の中の人が、現実の増田の存在に気づく瞬間が訪れる。
小説の中の中の中の中から現実の増田に向けて手紙が届き、メタ的な世界と現実の間に生まれた独特のつながりが明らかに。
小説はこうして、メタ的な人物とその中の人物が、どんどん階層を重ね、それぞれが異なる視点で物語を構築していく。
現実と虚構、作者と登場人物、読者と物語といった複数の次元が交錯し、
物語は次第に複雑に入り組んでいき、メタ的な構造がさらに深まっていく。
物語の中の増田と現実の増田が手紙でやりとりをしている中、物語の登場人物として現れた「編集長」もまたメタ的な存在として自己認識を示し始めた。
編集長は物語の中で増田と対話し、「君たちはただの登場人物じゃない。実はもっと奥の次元から見下ろしている存在がいるんだ」と告げる。
増田と編集長が手を取り合うと、次元を越えた力が解き放たれた。物語の登場人物である編集長が現実の増田の前に姿を現し、「これが真実だ。君たちが生まれたのは私の筆からだ」と語りかける
その小説の中で、増田自身が登場することになり、彼はメタ的な自己認識を持っていた。
小説の登場人物である彼は、小説の中で他のキャラクターと対話し、物語の進行をコントロールしていく。
すると、小説の中の登場人物たちは次第に自己意識を持ち、彼らもまた小説の中に小説を書くことを始めた。
増田の創り出した登場人物たちが、それぞれが複雑なメタ的な世界を構築していく中で、物語の中の登場人物は増田の存在に気づき、彼にコミュニケーションを試みる。
一方で、小説の中の中の小説を書く登場人物たちもまた同様にメタ的な自己認識を発展させ、小説の中の中の中にさらなる階層を築いていく。
これにより、小説の中で次第に複雑で抽象的なメタ的な構造が形成され、登場人物たちは自らが物語の中に存在することに疑問を抱き始める。
物語の最終的な落ちとして、小説の中の中の中の中の登場人物が、現実の増田の存在に気づく瞬間が訪れる。
その瞬間、小説の中の中の中の中から現実の増田に向けて手紙が届き、メタ的な世界と現実の間に生まれた独特のつながりが明らかになる。
小説はこうして、メタ的な人物とその中の人物が、どんどん階層を重ね、それぞれが異なる視点で物語を構築する中で、
現実と虚構、作者と登場人物、読者と物語といった複数の次元が交錯し、
物語は次第に複雑に入り組んでいき、メタ的な構造がさらに深まる。
物語の中での増田と現実の増田が手紙のやりとりをしている中、物語の登場人物として現れた「編集長」もまたメタ的な存在として自己認識を示し始めた。
編集長は物語の中での増田と対話し、「君たちはただの登場人物じゃない。実はもっと奥の次元から見下ろしている存在がいるんだ」と告げる。その言葉に驚く増田と現実の増田。
すると、物語の中での増田と編集長が手を取り合うと、次元を越えた力が解き放たれた。物語の登場人物である編集長が現実の増田の前に姿を現し、「これが真実だ。君たちが生まれたのは私の筆からだ」と語りかける
増田と編集長は手を繋ぎながら、物語の外に広がる現実の風景を見つめ、物語と現実が交錯する幻想的な瞬間が訪れる。物語の世界が現実と溶け合い、読者もまたその中に取り込まれたような錯覚を感じながら。
「『別次元』だと思いこまされている」んではなくて?
好きな人と一緒にいるときの心地よさ、オーガズムに達するとときの心地よさ、うまいものを食ったときの心地よさ、腕利きの整体師によるマッサージの心地よさ。競馬で勝ったときの心地よさ
どうして二番目だけ別次元だといえるだろうか?
食欲とか賭け事での快感こそ特に大脳皮質より内側の精神作用に色濃く基づくものという点で動物面に近い。
むしろ人間のオーガズムを求める感情は他の動物のそれと異なって常時発動しうるもので、むしろ非動物的とすらいえるのに。
動物面はひた隠しにすべきという理屈だと、むしろウマ娘なんかのほうがあんな大人気スマホゲーだなどと公然と話題にしていいもんじゃないって結論にすらなる。
ここらへん(つまりなぜか五感的気持ちよさなんていくらでもあるのにその中で性感だけ別次元と扱われていること)、本当一度フラットな視点で議論されるべきだと強く思う。
おっぱいの谷間は広告でも使ってよくて、性器は自主規制せざるをえないような法律になってるのも、それが性感をもたらす部位かどうかって判断基準なんだろうしね。
性感は忌むべきもの→谷間は(性感帯の人もいるが)一般に性感を起こさない→公然と見せてOKみたいなただの連想ゲーム状態で規制してるのだとすれば、たまったものではない。
あるいは、既存研究調査能力の著しく低い223人のエセインテリブクマカ達
人間が市場の全情報を持ってて最適な行動を取ってれば予測はできるんじゃね?(昔は絵空事だったけど今はコンピューターとかいう人民を苦しめるためのうるさ過ぎる箱があるのでギリいける)
情弱エージェントたるお前らが最適な行動を取れるわけではないので、効率的な均衡を取れないって感じだね。この世はめっちゃくちゃ焦ってる囚人ゲームの囚人だらけでめちゃくちゃ。
Cournot モデルに, 価格及び費用の非線形な構造, 情報の不完全性や遅れ,学習等を加味することにより, 複占・寡占エージェントの動学モデルを構築し, 市場が複雑に振舞うことが示されている.([Puu1991], [Puu 2003], [Kopel 1991]).
(略)
いやこんなクソ古い上に廃れた理論持ち出すのも変だけど、お前らは何一つ引用してこないのな←よく読んだらまあまあいた。もっと星つけて目立たせといて
貨幣は人間が作り出した。経済も人間が形作っている。では、なぜだれにも予測できない?
多分、お金も経済も、人にやる気を出させる作用があるという点に理由があるんじゃないか。
米軍には「チャレンジコイン」って制度があるらしくて、「褒章・叙勲するまでには至らない程度の功績があった隊員への謝礼」なんだと。だから金銭的には価値が薄い。でももらったら絶対嬉しい。貨幣や経済を一瞬でなくしたとしても、こういう「褒め」と、それを形にして交換する制度は出現するはず。
思うのが、経済も人間に作られるのを待っていた概念なのでは?遺伝子があたかも宿主を操っているかのように見えるのと同様、経済は人間を操る高次元の概念か
なんで俺の渾身のインモラル詩はバズらんでこんなカオス理論(古っ!古典じゃこんなもん)で散々語り尽くされた話、弄んでるんだ
人間なんて自分の身体すら思い通りにいかない生き物なのに、何故コントロール可能だと?
漫画「ハイパーインフレーション」読もうぜ!
自分たちで植林した杉の木さえ制御できずに花粉症で苦しんでいる人間がいるんだよ。いわんや非線形の創発現象を制御なんて夢のまた夢。
あざすよんどきます
幼い頃の自分はこれが言いたかったんだわあざすあざす。文系なのに頭いいんすね?バグ?
疎外(独Entfremdung、英alienation)の一語で済む話。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%96%8E%E5%A4%96
話題をむやみに広げたので色んな分野からツッコミが来とるわ中野のバスターミナルくらい知識が交差しとる
知った被って馬鹿に尊敬されつつまともなやつに馬鹿にされてる中田敦彦みたいなインフルエンサー(中田敦彦とか)の気持ちが分かったわ
群体が云々のトップコメ言いたいことは結構分かる(んだけど経済学で一般に言われてることではないよね?)。でも生物学の群体は全体として自分がやってることが分かって生活してるから制御できてんだよな。
群体とは,無性生殖(自分と同じ遺伝子を持つ分身をつくること)によって,殖えた個体どうしが体の一部などでつながりあって生きている生活の形です.
あとこれ→群体性と個体性
↓すまん引用元忘れた
話が進むほどブレイバーン自身が地球侵略のラスボス?疑惑が俺の中でますます膨らんでる
1話のピンチで上空から駆けつけてたがアイツこそ地球付近に突然現れた母艦の主じゃね?とか
バーンブレイバーンってタイトルからして語呂の良さ採用じゃなくて「ブレイバーンを燃やせ」って意味に勘繰りたくなる
ヒーローごっこがしたいアイツにとっては ブレイバーンの機体がプレイアブル機体ってだけで
地球や人類はゲームのマップや登場キャラといったオモチャの類いに過ぎないんじゃないのか?
あまりに能力がチートで次元をいくつも突き抜けてる上位存在すぎて 敵機体すら自分で用意してそうで
別個体?のスペルビアもあいつならチートでサクッと作れちゃいそうだし
人間性を8ビットの数値で判断することは適切ではありません。 以下にその理由を説明します。
1. 制約された範囲:
- 8ビットは、整数を表現するための非常に制約された範囲です。符号付きcharは通常-128から127までの範囲で値を持ちます。
- 人間の多面性や複雑さを8ビットの数値で捉えることはできません。感情、思考、行動、文化的背景、経験など、人間性は非常に多様であり、単一の数値で表現できるものではありません。
2. 多次元性:
- 人間性は多次元的であり、単一の指標では十分に評価できません。感情、知性、道徳、社会的スキル、創造性、共感、信念など、さまざまな側面が組み合わさっています。
- これらの側面を8ビットの数値で捉えることは、人間の複雑さを過小評価することになります。
3. 文脈と状況:
- 人間性は文脈と状況によって異なります。同じ人でも異なる状況で異なる側面を示すことがあります。
- 8ビットの数値は、人々の行動や意思決定の背後にある深層的な要因を理解するのに不十分です。
したがって、人間性を8ビットの数値で判断することは、その複雑さを無視するものであり、適切ではありません。人間性は多面的であり、数値だけでは表現できないものです。
亡くなる前と後で同じ家同じ空間にいるはずなのに心の居所のなさがまるで違う
本当に別次元に迷い込んだようだ
同じ部屋なのに何もかもが閉塞感に包まれている
逃げ場がないみたいだ
第五輪とは、古代から現代に至るまで、世界の支配を企てる一部のエリート層や秘密結社が用いてきた、異次元へのポータルを指す言葉です。伝説によれば、この第五輪は古代の神秘主義者たちによって発見され、その力を利用して物質界と精神界の間を行き来する手段として用いられました。
第五輪は、通常の人間の感覚では捉えることのできない高次元のエネルギーを操作することができ、それを用いて未知の知識や力を得ることができると信じられています。この異次元のポータルは、エリート層や秘密結社によって、彼らの目的達成や世界の支配を目指すための手段として、古代から秘密裏に利用されてきました。
歴史上、第五輪をめぐる多くの陰謀や伝説が語られており、その存在は常に謎に包まれてきました。一部の信奉者や陰謀論者は、第五輪を現代の政治や経済の舞台裏で活動する影の勢力が利用していると主張しています。彼らによれば、第五輪を操作することで、人々の意識や行動を操作し、世界の秩序を変えることが可能とされています。
しかし、第五輪に関する情報は極めて秘密裏に扱われており、その真偽を確かめることは困難を極めます。そのため、第五輪にまつわる謎や陰謀は今日でも多くの人々の興味を惹きつけており、その存在は歴史の闇の中で謎めいたままに残っています。
案外、ちがう次元で続きそうだと思ってるんだけど。