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はてなキーワード: 政治的無関心とは

2018-01-05

世代

1920年代1930年代まれ

戦前世代

青少年期に日中戦争太平洋戦争体験し、1920年代まれ徴兵経験する。

終戦時の年齢は6歳から25歳。

高度経済成長期(1954-1973)には15歳から53歳

安定成長期(1973-1991)には34歳から71歳。

バブル時代(1986-1991)には47歳から71歳で管理職および経営トップを担う。

定年(60歳)は1980年から2000年まで。

現在は80代・90代。

バブル時代総理大臣を務めたのは中曽根康弘(1918生)・竹下登(1924生)・宇野宗佑(1922生)・海部俊樹(1931生)。

それ以降も小泉純一郎就任まで、1920年代1930年代まれ総理大臣が続く。

1940年代まれ

1960年1970年安保闘争ベトナム戦争に対する反戦運動1960年代後半に過激化した学生運動などを大学体験した「全共闘世代」。

1940年代後半生まれ戦争終結による第一ベビーブームで生まれた「団塊の世代」。

高度経済成長期(1954-1973)には5歳から33歳で、主に青少年期を過ごした。

安定成長期(1973-1991)には24から51歳。

バブル時代(1986-1991)には37歳から51歳。

定年(60歳)は2000年から2010年まで。

現在は70代。

歴代首相では、麻生太郎(1940生)・小泉純一郎(1942生)・菅直人(1946生)・鳩山由紀夫(1947生)。

1950年代まれ

上の世代反面教師政治的無関心が増えた「しらけ世代」。

1950年代前半生まれ団塊から引き続き人口の多い「ポスト団塊」。

1950年代後半生まれ人口の少ない「谷間世代」。

高度経済成長期(1954-1973)に幼少期・青少年期を過ごした。

安定成長期(1973-1991)には14歳から41歳。

バブル時代(1986-1991)には27歳から41歳。

定年(60歳)は2010年から2020年まで。

現在は60代。

歴代首相では、安倍晋三(1954生)・野田佳彦(1957生)。

1960年代まれ

従来とは異なる感性を持つとされた「新人類」。

1960年代前半生まれは引き続き「谷間世代」。

1960年代後半生まれバブル時代就職した「バブル世代」。

幼い頃からマンガアニメゲームバラエティ番組洋楽などに親しんだ「元祖サブカル世代」「オタク第一世代」。

高度経済成長期(1954-1973)に幼少期を過ごした。

安定成長期(1973-1991)には4歳から31歳。

バブル時代(1986-1991)には17から31歳。

現在は50代。

1970年代まれ

バブル崩壊後の不景気就職した「就職氷河期世代」「ロスジェネ」。

1970年代前半生まれは、団塊の世代による第二次ベビーブームで生まれた「団塊ジュニア」。

安定成長期(1973-1991)に幼少期・青少年期を過ごした。

バブル時代(1986-1991)には7歳から21歳。

現在40代

1980年代まれ

出生率の低下が問題となりはじめた時期に生まれた「少子化世代」。

1980年代後半生まれは、脱・詰め込みの教育を受けた「ゆとり世代」。

ただしゆとり教育のもの1980年から施行されている。

安定成長期(1973-1991)に幼少期を過ごした。

現在は30代。

1990年代まれ

物心ついた頃からPCインターネットが普及していた「デジタルネイティブ」。

ゆとり教育を受けた「ゆとり世代」、および不景気下で育ったために無欲と言われる「さとり世代」。

現在20代

2017-11-29

anond:20171129215910

なるほど、政治的無関心が腐敗につながるというのが実証されたわけだな

2017-10-08

立憲民主党選挙公約について

先日、立憲民主党選挙公約を発表した。私は立憲民主党結党に心を揺さぶられた者の1人として、選挙公約の発表を心待ちにしていたのだが、実際に選挙公約(ここで見れる → http://cdp-japan.jp/teaser/pdf/pamphlet.pdf)を目にして、ある1点についてかなり失望した。立憲民主党議員定数の削減を主張していたかである

ここ数年、議員定数を削減すべきであるという声が様々なところから噴出している。例えば今回の衆院選では、現時点で立憲民主党の他、日本維新の会希望の党議員定数の削減を明確に選挙公約として打ち出している(なお、自民党公明党社民党自由党共産党日本のこころについては、選挙公約確認したが議員定数削減文字確認できなかった)。議員定数削減を主張する政党が出てきている背景には、言うまでもないが、他の政策を実現させるための財源を提示しなければならないという考えがあるだろう。何かと問題を起こし、国民からヘイトを集めがちな議員への報酬カットすることは多くの国民をスカっとさせるので、議員定数の削減は財源を確保できて支持も獲得できる、まさに一石二鳥政策になるわけである。だからこそ、ポピュリスト政党の道具に利用されることが多い。

しかしながら、議員定数の削減には非常に大きなデメリットがある。結論を先取りすれば、(1)議員1人当たりの有権者数がより増大する、(2)議員政策への習熟度が低下する可能性が高くなる、(3)野党がより淘汰される可能性が生じる、の3点が問題点として浮上する。順に簡単解説しよう。

1つ目の点については、議員定数議論される際に必ず問われる問題であるそもそも、他の先進民主主義国と比較しても、日本議員の数は決して多くはない。単純に日本人口1億2800万人を今回の選挙で争われる定数465で割ると、国民27万5200人につき国会議員が1人という計算になる。多国におけるこの議員1人当たりの人口を例に挙げていけば、イギリスでは4万4000人、ドイツでは118000人、フランスでは6万8000人、オーストラリアでは9万8000人、アメリカでは57万8000人(アメリカ例外か)である。ちなみにロシア23万2000人、韓国は16万2000人である。国際比較すれば、日本議員の数がそこまで多いわけではないことがわかるだろう。単純に考えれば、議員1人当たりの国民の数が多ければ多いほど、議員立法府)と国民の間の距離は遠くなる。ますます政治的無関心が増大するのではないだろうか。

2つ目の点についてはあまり触れられることがないものの、極めて重要問題である内閣提出法案ほとんどである我が国においてしばしば忘れられがちではあるが、議員所属する国会は唯一の立法機関である。そして議員は、様々な委員会所属し、その場で政策に関する議論を行う。とりわけ自民党が長期にわたって与党の座にある日本では、野党議員はこの委員会において行政のチェックを行うことになる。活発な議論や厳格なチェックのためには、与野党委員がそれぞれ政策にある程度精通している必要があるのは言うまでもない。しかし、議院定数が大きく削減されると、1人の議員所属しなければならない委員会の数が多くなる。首相閣僚議長(41人)を除いた議員の数は424人。現在常任特別委員会の総定数は985なので、1人あたり2.32の委員会所属することになる。仮に、日本維新の会が主張する定数3割カットが実現したとすれば定数はおよそ300になるが、その場合首相閣僚議長を除いた259人が委員会を受け持つことになるので、1人当たり3.80の委員会所属する計算になる。そうなれば議員は今よりさらに忙しくなる上に、政策への習熟度の低下は避けられないし、相対的に、政策過程における官僚の影響力が強まるのである。我々有権者は、議員選挙でクビにできるが官僚はクビにできない。だからこそ、政治主導が求められたのではなかったか

3つ目の点は、あくまで予想に過ぎない。議員定数を削減しようとした場合、1ケタ程度であれば、小手先選挙区定数変更でどうにかなるだろう。しか日本維新の会が主張するように、3割(127人)削減とまでいくと、選挙制度を抜本的に改革しなければならなくなる。そうすると、次の選挙制度はどうなるだろうか。仮に現在の並立制の比率を維持するとすれば、大体小選挙区200と比例代表100程度になるだろう。小選挙区制が大政党に有利で比例代表制が小政党に有利なことはよく知られている。しかし、比例代表制選挙区地理的規模が大きくなるほど、そして定数が小さくなるほど大政党に有利になることは以外と知られていない。あくまで予想だが、この選挙制度で戦えば、少数野党は現状以上に淘汰される可能性がある。さら問題なのは比例代表を廃して単純小選挙区制採用するか、もしくは小選挙区制比率現在より高くすることである。そうすれば先程と同じく、小政党は淘汰されるであろう。現在政治状況で、淘汰されるであろう政党がどの政党かを想像することは容易である

ここまで述べてきたことは、全て民主主義の根幹に関わる問題である。1つ目の点は政治立法府)と国民距離がより離れることになりかねず、2つ目の点は官僚優位と更なる立法府権威低下を促進しかねず、3つ目の点はマイノリティ代表する少数政党立法府から排除に繋がりかねない。ここで再び立憲民主党に戻ろう。立憲民主党枝野代表は、演説において「右からでもなく左からでもなく、上からでもない草の根政治」を目指すと述べた。のであれば、以上3つの問題点を招きかねない議員定数の削減などを選挙公約に掲げるべきではない。たかが(と言っては何だが)数十億円の財源確保のために、民主主義根本を揺るがすような主張を行うことには、私は賛同できない。私は一刻も早く、立憲民主党議員定数の削減公約から削除し、その他の代替案を掲げることを望む。

2017-06-03

政治をこじらせるとおかしくなるのでないか

ホッテントリヘイトスピーチしばき隊が同時に上がっている事に気が付いた

ヘイトスピーチ>「失うものばかり」後悔の元「突撃隊長」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170602-00000082-mai-soci

しばき隊界隈が作ったハッシュタグ #安倍を吊るせ 案の定炎上

https://togetter.com/li/1116257

正直言って右だろうが左だろうがどちらもおかし

以前から思ってた事だけど、やたら盲信的・攻撃的になったりと政治関わるとおかしくなるのではないか

俺が人事だったら絶対に採りたくないな

やはり積極的政治的無関心を通すのが正義

2015-09-09

政治的無関心

ニュースを見ても、政治家に関して報道されるのは叩かれるような言動だけで、良いことをしても目立たない。

政治家を真っ当に評価しようとすると、何をやってきた人か、どういう思想の人かをよく調べて、

他の人と比較するなど様々な角度から検討する必要がある。

その上でできることは選挙で1票入れることだけ。結果に影響することは実質ない。

コスパ悪い。

2014-12-13

http://anond.hatelabo.jp/20141213105847

どれも、単に「行きたくない」という人間の「言い訳」にすぎなくて、「存在意義」ではなくね?

〇(その1)投票による効用が少ない。

要するに「俺の一票では何も変わんねーべや」って意見。まさに民主主義社会寄生虫意見であって、そんな意見に「存在意義」があるという主張は理解しがたい。なお、「小選挙区制により、多数の無効票が発生する点にも注目したい。」という考え方については、毎度のことながら目を覆うばかりなのだが、これは簡単に反論できる。

具体的には、選挙は一回で終わるわけではなくずっと続くものであるから、「10万対9万9千」での勝利と「10万対0」での勝利の意味の違いが理解できないような人間が勝利し続けることは不可能なのであり、従って「9万9千票は無効票」という考え方は、自分意見が当面却下されたことに対する、あまりにもナイーヴな反応としか言えない。

〇(その2)現状に満足=政治成功

まり「鼓腹撃壌」論。「鼓腹撃壌(支配者への不満がないから民衆為政に無関心)」というのは、古代東洋理想とする社会ではあったが、民衆こそが支配者である今日世界で、投票権利行使しないことは、たとえれば「支配者が支配への責任感を忘れ、世俗の楽しみにうつつを抜かしている状態」と同じなのであって、とても肯定できる状態ではない。なお、普段から政治への関心が低い場合にこそ、何か政治問題があると感じられればすぐ暴動につながるのであって、政治に高い関心をもち熱心に投票する人間暴動を起こすというのは、明らかなミスリードであるデモ暴動を単純に一緒にすべきではない。

〇(その3)政治的無関心過激派に対する緩衝材である

これが唯一「存在意義」に近い主張。ただし、(その2)と同じ理由却下。「みんなが政治に参加する社会なんて怖いだけじゃないだろうか。」じゃあ、誰に政治やらせれば「安心」なのか。天皇陛下か? 総書記か? 大統領か? 「どこかの誰かエライひと」か? 憲法には「主権者国民である」と規定されているので、あなた責任権利放棄すれば、あなたはそれを誰かにひっかぶせることになるだけ。「過激派への緩衝剤」というメリット以前に、国民責任権利放棄しているということのリスクが大きすぎる。

〇(その4)白票または棄権という意思表明

もちろん「不参加」というのは意志の表明である。ただし、「私は、主権者としての責任から逃れさせていただきたい」という主張と同一である。要するに、国民主権国家においては、たとえば納税の義務を逃れようとするのと同じく、犯罪に近い。極論に聞こえるかもしれないが、たとえば「全員が主権者としての責任から逃れようとして投票しない状況」を考えてもらいたい。誰も税金を納めなくなった状態と同じように、国家運営できなくなるだろう。したがって、その意思を表明する以上は、自分意思の罪深さを知り、せめて他者から批判非難言葉くらいは感受すべきである。我々が、投票しないあなたに代わって政治を選択する責任果たしているのだから責任を果たさなあなたは文句ぐらい言われるべき。

〇(その5)宗教的信念によるもの

上と同様である。どのような宗教を信じることも自由であるが、犯罪的な思想をもち犯罪的な行動を行えば、当然犯罪として処罰されるのであって、事実犯罪ではないとしても、批判されてしかるべき信条に基づいた宗教信仰する以上は、批判されるしそれは当然のことである

政治学立場から見た投票に参加しない層の存在意義 <2014>

前回2013年投稿したエントリーの加筆版。

投票しないと非国民扱いされるらしいので、昔、政治学講義でならった学説をいくつか紹介しようと思う。

(その1)投票による効用が少ない。

投票することによる限界効用が逓減しているという説。この種の人々にとって投票に参加することで得られる効用の増分は少ない。投票することで効用が下がってしまうことすら有るだろう。若者世代間格差を訴え投票参加を促すことは効用存在提示する試みと言える。(無党派層が怖いから)雨で寝てればいいのにという政治家発言も雨降りのなか参加するほどでもないという有権者性向を巧みに利用したと思うと合理的である

※前回のエントリーで、経済学を知らない人に「効用」を金銭的価値利己的な利益勘違いして批判されたのだが、ここでの「効用」とは経済学用語のそれである。例えば、自分には痛みのある政策であったとしても社会がよりよくなるならば、ある投票者にとっては効用があると感じる可能性はある。つまり自分自身の金銭的利得だけをさすのではない、いう点に注意。

今回の選挙で言うと、自分にとって重大な争点が無いという点も、投票行動に対する効用を低下させる要因である

また、小選挙区制により、多数の無効票が発生する点にも注目したい。

(その2)現状に満足=政治成功

現状の政治に満足しているため、投票に行っていないという説。この説によれば投票率の低さは、ある意味では日本の政治一定成功を収めていることの証左といえる。あまり問題が多い社会だと、投票率は上昇するだろう。それ以上に問題があると暴動デモになる。

(その3)政治的無関心過激派に対する緩衝材である

過激な政治行動に対する緩衝材となるので政治的無関心にも一定メリットがあるとする説。みなが政治に熱心な社会は、本当に平穏健全社会だろうか。考えてみてほしい。渋谷をうろうろする右翼クルマ国会前の反原発デモインチキくさいアメリカ大統領選挙の集会。みんなが政治に参加する社会なんて怖いだけじゃないだろうか。つまり政治的無関心は過激な政治行動を起こす層に対するクッションとして作用しているのである

(その4)白票または棄権という意思表明

意思表明には多種多様方法がある。「最低でも白票を入れて意思表明しろ」という意見もあるが、それはそれで一種の価値表明である。参加しないことで行われる意思表明もある。

(その5)宗教的信念によるもの

宗教的信念により、一切の党派には与さないという考えにより投票しないグループ存在する。

2014-03-17

あえて言おう。「政治的無関心」こそ最強である、と。

ネット右翼リベラル左翼は、一見相反するように見えて実は似たり寄ったりなところがある。

自己検証・批判をやりたがらない」「都合の悪い情報には見向きもしない」「自分以外はバカだと思っている」「中国韓国北朝鮮が大好きである」「暇さえあればシャドーボクシングに励む」…

まあ、こんな人たちが世間から支持を得られるはずもないから、『政治的無関心』が増えているわけで。

政治的無関心』のメリットは「脳味噌を余分に動かさなくても済む」「実生活で良好な友人関係が築ける」「リア充になれる」、デメリットとしては「自分の知らない間に社会改悪される恐れがある」ってとこだろうか。

それでも「ネット上で怪しい人たちとあーだこーだ議論するよりもリアルを何とかしたい」という人には『政治的無関心』をおすすめします。

2013-07-22

政治学立場から見た投票に参加しない層の存在意義

投票しないと非国民扱いされるらしいので、

昔、政治学講義でならった学説をいくつか紹介しようと思う。

(その1)投票による効用が少ない。

投票することによる限界効用が逓減しているという説。この種の人々にとって投票に参加することで得られる効用の増分は少ない。投票することで効用が下がってしまうことすら有るだろう。若者世代間格差を訴え投票参加を促すことは効用存在を提示する試みと言える。(無党派層が怖いから)雨で寝てればいいのにという政治家の発言も雨降りのなか参加するほどでもないという有権者の性向を巧みに利用したと思うと合理的である

(その2)現状に満足=政治成功

現状の政治に満足しているため、投票に行っていないという説。この説によれば投票率の低さは、ある意味では日本の政治一定成功を収めていることの証左といえる。あまりに問題が多い社会だと、投票率は上昇するだろう。それ以上に問題があると暴動デモになる。

(その3)政治的無関心過激派に対する緩衝材である

過激な政治行動に対する緩衝材となるので政治的無関心にも一定メリットがあるとする説。みなが政治に熱心な社会は、本当に平穏で健全社会だろうか。考えてみてほしい。渋谷をうろうろする右翼クルマ国会前の反原発デモインチキくさいアメリカ大統領選挙の集会。みんなが参加する社会なんて怖いだけじゃないだろうか。つまり政治的無関心は過激な政治行動を起こす層に対するクッションとして作用しているのである

2009-02-05

 キルギスマナ米軍基地の閉鎖を通告、在ビシュケク米国大使館は「知らない」

 キルギスマナ米軍基地の閉鎖を通告、在ビシュケク米国大使館は「知らない」

 バキーエフ大統領モスクワ記者会見オバマ政権に強烈なブロー

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 キルギス大統領ロシアの圧力(?というより取引条件)に負けて、首都ビシュケクマナ空港に駐屯している米軍基地の撤去を決定したとモスクワ発表した(2月4日)。

 『モスクワ記者会見』での発表がミソで、クレムリン向けのパフォーマンスの可能性もあり、まずキルギス国会承認が必要だが。。。。

 この基地には大型輸送機などが駐機、米軍は2000人規模。

 米軍はこの基地の「家賃」として毎年1億5000万ドルをキルギス政府に支払い、さらに過去五年間でおよそ8億5000万ドルを教育振興、インフラ整備、雇用機会増大などを目的に援助してきた。

 むろん「独立国」としての矜恃を示すためにもキルギス国内には反米ナショナリズムがあり、基地継続使用に反対する勢力があった。それらは微々たる政治勢力で、そもそもキルギスの民は遊牧民が多く政治的無関心エリート海外へ出稼ぎに行く。

 バキーエフ大統領は、ロシアから20億ドルの援助と引き替えたのだ、という情報が飛び交かい、AFPがただちに在キルギス米国大使館に確かめたところ「何も聞いていない」と回答があった。

 『ユーラシア・ディリー・モニター』(2月5日号)によれば、モスクワがバキーエフのクレムリン訪問で提示したのは水力発電建設プロジェクト(ただしロシアとの合弁)に17億ドルの拠出という魅力ある条件だった。

これは2005年にプーチン大統領(当時)がビシュケクを訪問した際に約束した総合20億ドル援助のなかに含まれる。

 ついでバキーエフを魅惑したのは次のキルギス大統領選挙へのロシア支援キルギスマスコミロシア統制、+選挙資金)である。

 さらにキルギスからロシアへの出稼ぎ労働者は60万人。おそらく後者も死活的条件。なぜならロシアグルジアアゼルバイジャンと対立すると、出稼ぎ労働者を追い出すからだ。

キルギスは国内的に失業者だらけであり、追い出されると政情不安にも繋がる。

 ▲米軍基地を失えばアフガン作戦に戦略的障害となる

 もしキルギスが正式に米軍の撤退を要求する挙にでたとすれば、オバマ政権にとっては強烈なブローとなる(キルギス国会承認が必要なので米国の再交渉はありうる)。

なぜなら米国アフガニスタンへの増派を決めたばかり、すでに二年前にウズベキスタン空軍基地から撤去をさせられ、中央アジア最後の拠点だったビシュケク飛行場を喪えば、米軍アフガニスタン攻略計画に大きな支障がでるからだ。

 筆者はおととしキルギスの、この拠点のマナ飛行場を取材している。

 http://miyazaki.xii.jp/tyosya-kinkyou/index.html

 (このHP、2頁目の中段に写真があります ↑)

 米軍が借用しているマナ基地から僅か30キロの地点にはロシア駐留軍が陣取り、キルギス宗主国然として、米軍を監視している、不思議な構図が、ビシュケクでは展開されてきた。

   

 今回、唐突なキルギス米国離れの印象があるが、じつは舞台裏で進んでいたのはロシア資本によるキルギスメディア支配で、過去三年ほどに、このロシア統制下にあるキルギスメディアが何を報じたか。

 まず米軍基地では麻薬取引が行われ、さらに核兵器を隠匿しており、アフガンの次にイラン攻撃の拠点となる云々という作り話、うわさ話を広めてきたのだ。

 07年12月には米軍軍属が、キルギス人のトラック運転手をひき殺す事件が発生し、どこかの国の反米闘争が往々にして、こうした事件を政治利用するように、背後に反米運動組織化がなされていた。

 つい一週間前、メドべージェフタシュケントを訪問し、ウズベキスタンのガス全量をロシアが購入するという独占契約に調印した。

 ウクライナベラルーシへのパイプラインを締めあげて瓦斯代金を値上げし、いずれウクライナ東半分とベラルーシとの合邦を考えているロシアは、中央アジアの嘗ての属国群を巧妙に老獪な手段を繰り出して、いままた隷属化させようとしている。

 プーチンはすでにトルクメニスタンの瓦斯利権を抑え、今度はウズベキスタンの瓦斯の全量を抑え、アフガンに隣接するタジキスタンには軍事援助、そのうえで、勇躍、キルギスを囲んだのだ。

これでクレムリンに全面降伏せずに独自資源外交を展開するのはカザフスタンのみとなったのである。

2007-11-06

政治反日/文化的親日

日本人と仲良くなりたい」――「ニコ動」でアニソン歌う、韓国人女の子 (1/2) - ITmedia News www.itmedia.co.jp

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0711/05/news016.html

韓国のことは良く知らないけど、このニュースを見て思うのは、普通韓国人は「政治反日/文化的親日」なんじゃないかという説。

政治/文化のチャネルを使い分けること

  ・政治的動機をニコ動に持ち込むのは筋違い

日本人デフォルトは「政治的無関心/文化的無関心」。

  ・そんな日本人政治反韓国の情報を吸収すると純度100%の嫌韓の出来上がり

  ・彼方と此方の「デフォルト」の違いを認識しておくのは有効

以上

2007-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20070406185345

格差是正なんて幻想です。

低所得者への(教育しない事による)教育は完了、見事な政治的無関心社会です。

口ばっかり達者なのに、投票所に行って一票投じる程度の政治行動すら面倒がる

立派な下級国民が出来上がりました。高所得者は今や支配階層です。圧力団体

もはや高所得者の権益確保のための道具となりました。国民無気力にしながら

国体を維持し続けるという壮大な実験は成功してしまった様です。

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