2014-12-13

政治学立場から見た投票に参加しない層の存在意義 <2014>

前回2013年投稿したエントリーの加筆版。

投票しないと非国民扱いされるらしいので、昔、政治学講義でならった学説をいくつか紹介しようと思う。

(その1)投票による効用が少ない。

投票することによる限界効用が逓減しているという説。この種の人々にとって投票に参加することで得られる効用の増分は少ない。投票することで効用が下がってしまうことすら有るだろう。若者世代間格差を訴え投票参加を促すことは効用存在提示する試みと言える。(無党派層が怖いから)雨で寝てればいいのにという政治家発言も雨降りのなか参加するほどでもないという有権者性向を巧みに利用したと思うと合理的である

※前回のエントリーで、経済学を知らない人に「効用」を金銭的価値利己的な利益勘違いして批判されたのだが、ここでの「効用」とは経済学用語のそれである。例えば、自分には痛みのある政策であったとしても社会がよりよくなるならば、ある投票者にとっては効用があると感じる可能性はある。つまり自分自身の金銭的利得だけをさすのではない、いう点に注意。

今回の選挙で言うと、自分にとって重大な争点が無いという点も、投票行動に対する効用を低下させる要因である

また、小選挙区制により、多数の無効票が発生する点にも注目したい。

(その2)現状に満足=政治成功

現状の政治に満足しているため、投票に行っていないという説。この説によれば投票率の低さは、ある意味では日本の政治一定成功を収めていることの証左といえる。あまり問題が多い社会だと、投票率は上昇するだろう。それ以上に問題があると暴動デモになる。

(その3)政治的無関心過激派に対する緩衝材である

過激な政治行動に対する緩衝材となるので政治的無関心にも一定メリットがあるとする説。みなが政治に熱心な社会は、本当に平穏健全社会だろうか。考えてみてほしい。渋谷をうろうろする右翼クルマ国会前の反原発デモインチキくさいアメリカ大統領選挙の集会。みんなが政治に参加する社会なんて怖いだけじゃないだろうか。つまり政治的無関心は過激な政治行動を起こす層に対するクッションとして作用しているのである

(その4)白票または棄権という意思表明

意思表明には多種多様方法がある。「最低でも白票を入れて意思表明しろ」という意見もあるが、それはそれで一種の価値表明である。参加しないことで行われる意思表明もある。

(その5)宗教的信念によるもの

宗教的信念により、一切の党派には与さないという考えにより投票しないグループ存在する。

  • どれも、単に「行きたくない」という人間の「言い訳」にすぎなくて、「存在意義」ではなくね? 〇(その1)投票による効用が少ない。 要するに「俺の一票では何も変わんねーべや...

  • 単に「ぼくのかんがえたすーぱーとうひょうにさんかしないひとのいいわけ」にしか見えないんだけど、 どの辺が「政治学」なの?

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