投票しないと非国民扱いされるらしいので、昔、政治学の講義でならった学説をいくつか紹介しようと思う。
投票することによる限界効用が逓減しているという説。この種の人々にとって投票に参加することで得られる効用の増分は少ない。投票することで効用が下がってしまうことすら有るだろう。若者に世代間格差を訴え投票参加を促すことは効用の存在を提示する試みと言える。(無党派層が怖いから)雨で寝てればいいのにという政治家の発言も雨降りのなか参加するほどでもないという有権者の性向を巧みに利用したと思うと合理的である。
※前回のエントリーで、経済学を知らない人に「効用」を金銭的価値や利己的な利益と勘違いして批判されたのだが、ここでの「効用」とは経済学用語のそれである。例えば、自分には痛みのある政策であったとしても社会がよりよくなるならば、ある投票者にとっては効用があると感じる可能性はある。つまり自分自身の金銭的利得だけをさすのではない、いう点に注意。
今回の選挙で言うと、自分にとって重大な争点が無いという点も、投票行動に対する効用を低下させる要因である。
また、小選挙区制により、多数の無効票が発生する点にも注目したい。
現状の政治に満足しているため、投票に行っていないという説。この説によれば投票率の低さは、ある意味では日本の政治が一定の成功を収めていることの証左といえる。あまりに問題が多い社会だと、投票率は上昇するだろう。それ以上に問題があると暴動やデモになる。
過激な政治行動に対する緩衝材となるので政治的無関心にも一定のメリットがあるとする説。みなが政治に熱心な社会は、本当に平穏で健全な社会だろうか。考えてみてほしい。渋谷をうろうろする右翼のクルマ、国会前の反原発デモ、インチキくさいアメリカの大統領選挙の集会。みんなが政治に参加する社会なんて怖いだけじゃないだろうか。つまり、政治的無関心は過激な政治行動を起こす層に対するクッションとして作用しているのである。
意思表明には多種多様な方法がある。「最低でも白票を入れて意思表明しろ」という意見もあるが、それはそれで一種の価値表明である。参加しないことで行われる意思表明もある。
どれも、単に「行きたくない」という人間の「言い訳」にすぎなくて、「存在意義」ではなくね? 〇(その1)投票による効用が少ない。 要するに「俺の一票では何も変わんねーべや...
単に「ぼくのかんがえたすーぱーとうひょうにさんかしないひとのいいわけ」にしか見えないんだけど、 どの辺が「政治学」なの?