2014-12-13

http://anond.hatelabo.jp/20141213105847

どれも、単に「行きたくない」という人間の「言い訳」にすぎなくて、「存在意義」ではなくね?

〇(その1)投票による効用が少ない。

要するに「俺の一票では何も変わんねーべや」って意見。まさに民主主義社会寄生虫意見であって、そんな意見に「存在意義」があるという主張は理解しがたい。なお、「小選挙区制により、多数の無効票が発生する点にも注目したい。」という考え方については、毎度のことながら目を覆うばかりなのだが、これは簡単に反論できる。

具体的には、選挙は一回で終わるわけではなくずっと続くものであるから、「10万対9万9千」での勝利と「10万対0」での勝利の意味の違いが理解できないような人間が勝利し続けることは不可能なのであり、従って「9万9千票は無効票」という考え方は、自分意見が当面却下されたことに対する、あまりにもナイーヴな反応としか言えない。

〇(その2)現状に満足=政治成功

まり「鼓腹撃壌」論。「鼓腹撃壌(支配者への不満がないから民衆為政に無関心)」というのは、古代東洋理想とする社会ではあったが、民衆こそが支配者である今日世界で、投票権利行使しないことは、たとえれば「支配者が支配への責任感を忘れ、世俗の楽しみにうつつを抜かしている状態」と同じなのであって、とても肯定できる状態ではない。なお、普段から政治への関心が低い場合にこそ、何か政治問題があると感じられればすぐ暴動につながるのであって、政治に高い関心をもち熱心に投票する人間暴動を起こすというのは、明らかなミスリードであるデモ暴動を単純に一緒にすべきではない。

〇(その3)政治的無関心過激派に対する緩衝材である

これが唯一「存在意義」に近い主張。ただし、(その2)と同じ理由却下。「みんなが政治に参加する社会なんて怖いだけじゃないだろうか。」じゃあ、誰に政治やらせれば「安心」なのか。天皇陛下か? 総書記か? 大統領か? 「どこかの誰かエライひと」か? 憲法には「主権者国民である」と規定されているので、あなた責任権利放棄すれば、あなたはそれを誰かにひっかぶせることになるだけ。「過激派への緩衝剤」というメリット以前に、国民責任権利放棄しているということのリスクが大きすぎる。

〇(その4)白票または棄権という意思表明

もちろん「不参加」というのは意志の表明である。ただし、「私は、主権者としての責任から逃れさせていただきたい」という主張と同一である。要するに、国民主権国家においては、たとえば納税の義務を逃れようとするのと同じく、犯罪に近い。極論に聞こえるかもしれないが、たとえば「全員が主権者としての責任から逃れようとして投票しない状況」を考えてもらいたい。誰も税金を納めなくなった状態と同じように、国家運営できなくなるだろう。したがって、その意思を表明する以上は、自分意思の罪深さを知り、せめて他者から批判非難言葉くらいは感受すべきである。我々が、投票しないあなたに代わって政治を選択する責任果たしているのだから責任を果たさなあなたは文句ぐらい言われるべき。

〇(その5)宗教的信念によるもの

上と同様である。どのような宗教を信じることも自由であるが、犯罪的な思想をもち犯罪的な行動を行えば、当然犯罪として処罰されるのであって、事実犯罪ではないとしても、批判されてしかるべき信条に基づいた宗教信仰する以上は、批判されるしそれは当然のことである

記事への反応 -
  • 前回2013年に投稿したエントリーの加筆版。 投票しないと非国民扱いされるらしいので、昔、政治学の講義でならった学説をいくつか紹介しようと思う。 (その1)投票による効用が少...

    • どれも、単に「行きたくない」という人間の「言い訳」にすぎなくて、「存在意義」ではなくね? 〇(その1)投票による効用が少ない。 要するに「俺の一票では何も変わんねーべや...

    • 単に「ぼくのかんがえたすーぱーとうひょうにさんかしないひとのいいわけ」にしか見えないんだけど、 どの辺が「政治学」なの?

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