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2024-03-12

WIRED JAPANメンバーシップ試写会に参加して視聴した『燃えるドレスを紡いで』

この作品パリオートクチュールコレクション2023年の時点で唯一参加する日本人ファッションデザイナー中里馬氏に密着したドキュメンタリー映画だ。これはファッション業界地球に対してネガティブな影響が多すぎること、GHG排出量や環境汚染の大きな原因になっていることに対してファッションデザイナー自身が向き合い、コレクション制作に取り組んだ記録である

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ここ以降、ネタバレ的な話、映画制作に関わったステークホルダーたちの発言抜粋などにも一部言及する。そのためこれから視聴を控えていらっしゃり、なんの前評判も誰の感想も読まずにまず自分主観作品を視聴したい方は、ここ以降は念のため読まないでください。

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ファッション業界地球に与える影響は甚大だ。

>Fashion production makes up 10% of humanity’s carbon emissions, dries up water sources, and pollutes rivers and streams. What’s more, 85% of all textiles go to the dump each year (UNECE, 2018), and washing some types of clothes sends significant amount of microplastics into the ocean.

>ファッション生産人類二酸化炭素排出量の 10% を占め、水源を枯渇させ、川や小川汚染していますさらに、毎年全繊維製品の 85% がゴミ捨て場に送られており ( UNECE、2018 年)、一部の種類の衣類を洗濯すると、大量のマイクロプラスチックが海に流されます

引用:The Geneva Environment Network, https://www.genevaenvironmentnetwork.org/resources/updates/sustainable-fashion/

しかファッション業界も、企業ブランド毎に速度も歩みの幅も大きく異なるが、ネットゼロへ進みはじめている。2023年後半の時点で、NIKEadidasの靴やアパレルを購入した際には、この2ブランドについては、製品タグを付ける紐は紙製、靴の梱包材も全て紙製など生分解性素材への移行が見られた。近年adidasコラボレーションを発表し続けている英国デザイナーであるステラマッカートニーは、ステラ自身アパレル化粧品において早くから持続可能性を追求している点でも名高い。

それでも私たち人間が消費するファッションアパレルとしての服や靴それ自体が、最終的にゴミとして扱われ、それがアフリカへ、良い言い方をすれば「皺寄せ」、正確に言うと「ゴミ処理先」として送られる。

映画燃えるドレスを紡いで』では、中里馬氏監督関根光才氏がアフリカを訪れた。中里氏は自身が身を置く業界がうみだしたものたちが消費された結果どこにいくのかという点で、行き着く先のひとつとしてアフリカを選んだのだ。映画本編では、彼らがアフリカで過ごす様子を視聴したのち、中里氏の仕事風景を見ることができた。そしてそのまま、彼のオートクチュールコレクション映像と、それらへの評価メディアの反応などを見ることができ、映画は終わった。

ファッション業界とそこに携わる人間としての中里氏の考えなどについては、ここでは言及しない。それぞれが視聴した上で、それぞれの考えを抱いて欲しい。

私自身は、人間存在とその経済活動ほとんど全てが地球への負荷であると考えている。ファッション業界の影響が大きいにしても、私そしてあなた存在地球環境に負荷をかけているのだから、それをわきまえれば「特定業界が悪だ、最悪だ」なんて意見は軽薄ではないかと思う。気分によっては、2024年子供を産もうとしている人は、2044年や2064年の地球環境は確実に悪化するだろうことがわかっている中で、なんて酷なことをするのだろうと考えることもあるくらいだし、しかし、そう考えるが子供を産み育てる人を軽蔑や見下げたりすることは決してない。ファッション業界けが地球環境悪化させているわけではないと言いたい。

しかし、人間たちの研究開発と技術革新は進み、各業界既存業界課題技術ブリッジが続く中、ファッション業界においては、消費者意識とともにいろいろなことが遅れているのかもしれない。

映画燃えるドレスを紡いで』で中里氏がアフリカで過ごしている時の映像で、中里氏がたびたび自分の見たもの景色に対して「美しい」と口にしていたのが印象的だった。その形容詞が、多勢に同じ感想を与えるものかはわからない。実際、監督も「どのあたりが美しいですか」というように問うていた(言葉が少し違ったかもしれない。違いましたら後日修正します)。

アフリカ映像は、日本などの先進国とは全く違う環境で、雑多としたものたちに溢れ私たちゴミとして扱うものが最終的に行き着いたアフリカゴミ山や、雨が降らず乾燥し切った土地、そこを移動しながら暮らす遊牧民たちの生活などだ。

中里氏はここから美しさを見出したし、私はそれに感動した。キュレーションされていない場所に行って何を見て何を感じ、どう言語化するか?、これは人による。単純すぎる感想だが、美しさを見出せる人は美しいものを作る側にもなれるのかもしれない、と思った。

中里氏がアフリカから戻り、チームに制作のコンセプトなどを発表したときの様子が好きだった。

制作のコンセプトをチームに発表する、チームはそれに従う、でいい。それでいいのだが、そのときにチームメンバーがそれぞれ発言をして、その様子は「中里氏に完全に従う」といった様子ではなかった。語弊があるかもしれない、もちろん彼の名前で発表するコレクションであり、彼のチームメンバーは彼のコレクションのために働くことになるのだから結果的には従うことになる部分が大きいだろう。しかし、中里氏の決意や発表に対して、取り掛かる前に、チームメンバー各自発言ができること自体が、これができるチームは日本にある数多の組織の中でも意外と少ないのではないかと思えたのだ。とても良いチームに見えた。

私はオートクチュール制作現場に対する知識ほとんどないに等しいが、ステークホルダーの多さや切迫感は目を見張ったし、最終的に時間との戦いになるさまには共感できる部分もあった。私などが共感を覚えるなんて言葉選びとして軽率では?おこがましいのでは?という点は一旦脇に置くとして、スケジュールの甘さや時間管理の不備ではなく、自分名前成果物を提出するときに「もう少し、どうにか良くできるのではないか」と思えてしまい手を止められなくなった経験は、私に限らず、ビジネスパーソンとして経験したことがある人も多いはずだ。さらにそれが、オートクチュールコレクション!?その後のルックメディアなどで写真動画そしてモデル取材者の感想とともに二次三次と広がる。なんて覚悟のいる仕事だろう。「とりあえず自分の持っているボールをなんとかして、次の人に投げれば、なんとかしてくれる、そしてそれはとりあえず所属会社名前として世の中に出る」ような仕事のやり方と比較すると、全く異なる状況だ。自分名前作品を出す、誰も拭えない。そんな状況、いつまでだって試行錯誤したくなるに決まってる。これで完成だ、と手を止める瞬間はどう決めるのだろう?、あるいは降りてくるもの?そんなことも思った。

試写会では作品上映後にトークショーが行われ、WIRED編集長の松嶋氏が進行をつとめ、登壇者から話を引き出した。

松嶋氏はアフリカゴミ山で服が舞う様子や鳥が飛ぶ様子が美しかったというようなことをおっしゃった気がする。実際に美しい映像だと思った。嘘みたいに大きい鳥(そして実際にも多分、とても大きい鳥)が前後左右に悠然と歩いたり止まったりしている間でゴミを拾う子供女性映像洋服やその切れ端などが鳥とともに空を舞う映像。その映像を現地で撮影した関根氏と中里氏は、現地で風が吹いたり竜巻が起きたりした時は死ぬかと思ったと笑いながら話してくれたが、その裏側は本編に一切残さず、本編では映像として映すのみで、感想は見る側に委ねてくれたことを嬉しく思った。

全体を通して、感想視聴者に委ねるような仕上がりになっていたように受け取ったし、私はそれに感謝した。この映画で見ることのできる映像たちに、美しい、汚い、怖い、綺麗、綺麗事、すごい、面白い、行ってみたい、行きたくない、見てみたい、着てみたい、など、どのような感想を抱いてもいいし、自分の抱いた感想に対して、なぜそう思ったのか掘り下げたらいいだろう。白黒はっきりつけず、議論し続けるべき話題はたくさんある。WIREDで取り上げられる特集話題ほとんどがその類のものだ。人々は対話を続けなければならない。だからこの映画燃えるドレスを紡いで』への感想も、私のようにとても良かったと考える人もいれば、地球温暖化は陰謀だとか、アフリカゴミが集まるのは当然だといった感想を抱く人ももしかしたらいるのかもしれない。自分あるいは他人が抱いた多様な意見に対して、なぜそう思ったのか、と対話を続けること、対話を諦めないことが日本にも世界にもファッション業界にも必要なのだろう。

この映画を見て、自分が買っている服、ひいては、自分の買い物という消費行動を見直したい、誰かに拭わせるような生活仕事をせず自分の責務やその範囲を適切に見定めて、その範囲を広げたりしっかり守ったり、うまく守れた時は余力で周りを助けたりしながら自分地球関係性をよく考えながら生活したいと思った。

あと、WIRED JAPANが大好きなので、これからも愛読し続けたい。

追記

映画に登場する人々に、登場シーンでクレジット登場人物名前所属)を表示させた上で、もちろんエンドロールにも名前掲載する、という画面の作り方は、ドキュメンタリー手法としてめずらしくはないのでしょうか。この辺りの知識がないため滅多なことは言えないのだが、登場人物名前所属をその画面で明示する編集が好きだった。やはり、協力者の一人として自分が登場するシーンには、期待や嬉しさなどをもっているはずだ。私はこのような、協力者たちへ感謝を伝えるようなあたたか編集や画面作りに強く好感を持つ。1人ではできなかったことへ協力したくれたステークホルダーにできる限りの感謝を述べる姿勢を、私も忘れないようにしたい。

2024-01-07

リアクションを求め、自分定義することからの脱却。その先の豪農

SNSYouTubeTikTokブログ。今や発信してリアクションを得られる可能性があるプラットフォームに触れていない人の方が少ないと思う。

アカウントもあるが、公開範囲限定しているだけで多くの人は少なくとも親しい友人やネットで繋がりのある人などが見られる環境を作っていると思う。

僕はまるで他者からリアクションを求めていない、と言うような素振りをすることがある。まじ滑稽。

リアクション求めないことは美徳でもなんでもないし、社会に生きる以上何かしらの発信にはリアクションが伴うし、誤解されては生きづらい。

リアクションから逃げることは「私は社会性がないです。」と言っているようなものじゃないか?言いすぎ?

とはいえリアクションを求めるがあまり本心を隠したり言いたいことを歪めたりするのは不健全であると思う。

服を買う時、「これ少し自分っぽくないな」と思い手に取ることをやめたことはないか自分みたいな人間がこんなお店に入るのは違うな・・・入店を躊躇ったことはないか

リアクション求めないというスタンスに常に立って世捨て人のようなスタイルを保つことは非常に力のいることだし、この社会で生きる以上不用意にそんな振る舞いをすべきではないと思う。

しかし、たまには「うおぁぁぁぁ〜〜!!!!俺だ俺だ俺が全てだ!!!!」というムーブをすることも必要なんじゃないか

我々はあくまでも個人個人であることを忘れて集団のうちの一人であるという意識を強めすぎてしまうと、誰かが、もしくは自分勝手に決めた自分が固着してしまって人生セレンディピティが生まれないように思う。

自分では普段しなさそうだな、という選択をたまにすると人生がまるで豊かになったような気がしたことはないか。1人で旅行に行ってみる、

作ったものがない食べ物を作ってみる、なんかこれとこれでプリンみたいなもの作れるんじゃね?(レシピは知らない)とかなんでもいい。

自分の中に遊牧民を住まわせろ。そんじょそこらノマドワーカーなんてものとはわけが違う。それはあくま集団から少しだけ距離を置いて「特別なあたし」を楽しんでいるにすぎない。

ほんの一瞬でもいい、自分精神的なパーソナルスペースバカ広くして敢えて社会から隔絶したような心持ちで、自分評価軸のみで物事選択することをしてみる。

評価軸なんてない?やりたいことなんてない?小難しく考える必要はない。

例えばあなたの目の前に米が2合、野菜、肉、魚などなど様々な食材があるとしよう。普段なら米は2〜3食分に分けて、食材もいくつかのレシピを作るために小分けに調理するだろう。もちろんそれがあなたのやりたいことで、スタイルなのであれば好きなようにして構わない。そうでないのなら?

私は一介のサラリーマンで、特段見どころのあるような人間ではない。だが、眼前にそれらが広げられたら、今の私は豪農モード。全ての食材を余すことな調理し、一食で食らう。

普段なら絶対にできないだろう。妻もいる、もちろん食費や向こう数日分の食材をまた買いに行かなければいけないという問題豪農モード終了後にぶち当たるだろう。しかし、今の自分はその問題に直面しているだろうか?断じて否だ。

豪農がそんな生活をしていたか定かではないが、自分イメージからかけ離れた存在になるということが重要で、それこそが日々社会で暮らす我々の数少ない寄る辺になると信じている。

今日は妻がいない。冷蔵庫には納豆がある。妻は納豆が大嫌いで家で食べることは普段絶対にない。なんなら結婚して以来初めて買った。

帰ったら大量の米と納豆、昨日こさえた温泉卵パーティと行こうじゃないの。

そんなことをして何になるんだ?そんな問いは豪農モードの私にはナンセンスだ。普段自分がしないことをすること、無意義なことを行うことこそが肝要。

どうせ同じサイクルを繰り返して年老いていくだけなのなら、外界から観測接触不可能な異質な自分見出し、作り上げ、楽しむのもまた一興なのではないだろうか。

2023-12-24

anond:20231223220425

遊牧民はそれを知ってるんだよね

だけど生まれちゃうのはしょうがいからオスはばんばん去勢してる もちろん麻酔なんてなし

2023-12-05

anond:20231205110348

アメリカインディアンたちは国家形成していたのか?

かつて熱帯で発見したのは、アボリジニの村ではなく、アボリジニ国家だったのか?

そんなわけねぇな。

モンゴル遊牧民は? チンギス帝国は流石に国家だ。

では違いはなにか?

 

思うに、そういった時代背景込みで「国家」を形成していたかどうかは、軍隊を持っていたか、によると思う。

究極的には、強いかどうかが差だが、軍隊が無いとあまりに弱いので実質軍隊の有無だ。

 

周辺国から舐められないでいられたかキモだろう。

anond:20231205082234

異邦人と言うことをまずは伝えるやで

そのうえで他の遊牧民のふるまいをじっくり観察して真似てみるやで

溶け込もうとしてるのを理解させるのがまず第一やで

TPOをわきまえるって

みんなどうやって身につけてきたんだ?

例えばいきなりモンゴル遊牧民コミュニティに放り込まれて”TPOをわきまえよう”と思ったらまず何をやれば良いんだ

2023-09-27

遊牧民って憧れるよな

何してるか知らんけど、自由って感じがする

ヤギの乳飲んでさ

丸っこいテントで寝てさ

民族衣装奥さんがまた可愛いんだわ

なんかニット帽子被ってさ

最高じゃない?

定住しないのもいいよね

日本では遊牧民になれないし

俺は産まれる国を間違えたな

モンゴルで産まれるべきだった

遊牧して〜

遊牧民彼女欲し〜

民族衣装最高〜

2023-09-26

(ほとんど)すべてについて間違っている――デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロー著『万物黎明書評

万物黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的冒険的で実験的なものであり、自由平等呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつ体制から抜け出せなくなっており、その理由理解しようと努めなければならない。

これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たち人間性を規定する政治的本能社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。

彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせ虐待支配実験しただろうと主張しているようだ。

G&Wは、私たち革命過程社会的道徳的人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間言語意識親族関係道徳は漸進的な進化過程進化し、それが巨大な社会的政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間本来利己的で競争的だから社会主義不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的偏見に挑戦することであった。

はいつもこう答えていた。そう、私たち類人猿一種である。そう、私たち霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的本能を持っている。しかし、それが私たち成功の原因ではない。優秀な母親父親になる能力自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力道徳的ルール確立する能力他人自分を見ているように自分も見ている能力音楽ダンス言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命産物であり、成功した革命なのだ

クリストファーボーム人間革命

この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファーボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスジェンダー力学についての言及を一切省くことで、政治的観点から安全策を講じた理論バージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスバージョンなのである

ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下から集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たち祖先チンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観コミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである

G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑羞恥、遠ざけ......他の霊長類類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術進化過程人間の本性を形成する上で重要役割を果たしたという考えである

ボーム説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類基本的平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)

唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉引用に値する:

ひとたびどこかのバンド平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)

これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類基本的平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつ特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである

万物ティータイム

かなり不当なことに、『万物黎明』は現代進化論を社会進化論混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀物語であるダーウィニズム科学である私たちは語り聞かされるが、実際は純粋神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類起源に関する視点を、読者が真剣検討することを期待している。

この著者たちが認める唯一の科学は「考古学科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。

このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端ダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学儀式の実行パターン性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.

残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間本能心理形成における集団的育児重要役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別神話を「重要もの」と表現している。そして、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、このような洞察部分的ものしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディ画期的研究が、私たち共通ミトコンドリアDNA祖先年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

石器時代新石器時代考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽言語に対する生得能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!

タイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『万物ティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期フランススペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。

さな狩猟採集民のバンド

G&Wにとって、狩猟採集民の祖先アフリカもっと早くから平等主義的なライフスタイル確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。

まり狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間文化的知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。

ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的抵抗狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型である結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベル政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいか危険かを理解する知性があると彼は説明した。

富の不平等は許されない

しかしG&Wによれば、富の不平等問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀ヨーロッパの「文明」を批判したファーストアメリカンカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初アメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。

G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:

こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?

どんな未来アフリカ狩猟採集からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。

はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。

(続く……)

2023-07-12

性的マイノリティなんて少数民族の話はどうでもいい派なんだが、これだけしつこく話題に出されるってことは増田にも本物が居着いてるってことなんかな

モンゴル遊牧民の話とかの方がまだ興味あるんだが

2023-02-13

anond:20230213024720

外国王様を倒しているのは外部勢力

イングランドに対するデンマークとか、漢民族に対する遊牧民勢力とか

黒船以前に日本本州に外部勢力が攻めてきたのは2回だけ

白村江の戦い元寇

2回とも運良く征服されずに済んでるけど、ここで歴史が変わった可能性もある

日本内部で統一勢力を作る際に天皇を倒すより利用したのは、そちらのほうがパワーを使わないか

農民に対してまで一番偉いのは誰?を教え直すのは当時はかなり大変だったと予想する

後鳥羽上皇のように天皇家が復権を目指すこともあったのに、天皇家を潰さずに傀儡化させたのはやっぱり意味があったのだろう

2023-01-27

相撲マンガってなくね?

老人たちは「ああ播磨灘」とか「両国オシャレなんちゃら」をドヤ顔で推薦するかもしれないけど、あれって若貴ブームの頃じゃん。

それ以降で大相撲マンガって出てなくね?でも例えばモンゴル遊牧民中国収監されそうになって、イカダみたいなので日本に渡ってきて収監されそうになるところ国民栄誉賞をもらっている親方の力でパスポート発行してもらって、メキメキ頭角を現すみたいなストーリーとかあっても良さそうなのに。なんでないんだろ。相撲協会とかが圧力かけてんのかね。

2023-01-01

anond:20230101021422

聖書をそのまま信じるのは馬鹿げてる。

旧約聖書基本的にはイスラエルの民の歴史の話だが創作を交えている。他民族からパクってきた物語もある。例えば「聖書起源 山形孝夫著」によるとアベルカインの話はメソポタミア牧畜神と農耕神の闘争そっくり。ただ、最後に農耕のカイン牧畜アベルを殺す部分が付け加えられている。当時は土地を所有する農耕民族イスラエルの民のように土地を持たず遊牧で暮らす遊牧民との争いがあった事から血なまぐさい話が付け加えられたと思われる。

新約聖書イエス弟子が話を盛りまくったあげくバチカンが都合のいいように書き換えたらしいが西暦4世紀以前の新約聖書現存せず実際にはわからない。

エホバの証人で「ドアの向こうのカルト」という本を書いた人のPDFおすすめ

https://jw-qa.com/kaiyaku/wp-content/uploads/2017/08/jw9_201505.pdf

2022-12-31

表現の自由戦士人間倫理や知性を信じすぎだ

表現の悪影響はない」ではなく「悪影響があったとしても規制反対」と言うべきだと主張するわとりん氏とリョーマ氏、規制反対派から袋叩きにされる https://togetter.com/li/2021146 #Togetter @togetter_jpより


フィクションが良い影響は与えるけど悪い影響は人に与えないって都合良すぎ」と言った遊牧民氏、「規制派め!」と叩かれる https://togetter.com/li/2026587 #Togetter @togetter_jpより

表自、アンフェ界隈で仲間割れが起きているようだ

表現の自由戦士表現に悪影響があると言っただけで「じゃあ規制すべきだというのか!表現が全て悪くて犯罪したやつは免責されるべきだというのか!!」と極論に走ってキレる。

人間には倫理観がある!だからスポーツ漫画の影響を受けてスポーツをするのと、エロ漫画の影響を受けて性犯罪するのとは違う!!後者絶対にない!!」

どうも、表現の自由戦士人間倫理や知性を強固なものだと思い過ぎている

しかも「子供は悪影響を受ける事もある(だから18禁がある)が大人絶対にない」と、人間は全て健常に成長するものだと思い過ぎている

人間には倫理観や知性があって、フィクションの悪影響を受ける奴はよっぽどの馬鹿なのだ。それはそいつの受けた教育が悪いのだ」と表自戦士は言う。

だが、教育で「よっぽどの馬鹿」が治り、年齢通りに成長するならば、知的障害発達障害サイコパス存在しない

実は、知性や犯罪者になる確率は、教育よりも遺伝子で決まるという。橘玲氏の「言ってはいけない」という本では、親が犯罪者であればその子供が養子に出されていても犯罪者になる確率は高いのだという研究結果があった。養親犯罪歴がある場合より高い。

表自戦士は、教育の力を信じすぎだ。

フィクションに悪影響を受けるようなバカフィクションを見るな」と言っていた表自戦士がいた。

これは生まれつきの障害者フィクションを見るなと言ってるに等しい。なんと差別的で、規制派的であろうか。そんな奴が「表現の悪影響はあるけど規制反対」と言ってる人を規制派扱いしているのだ

というか、フェミニストが「ポルノを見るのは年齢制ではなく免許制にするべき。人権意識などをテストするべき。知的障害者や発達障害者がいるのだから」と言っていた時、表自戦士は「差別だ!」と叩いていたように思うが、どこが違うのか。

というか、遊牧民の方のまとめのコメントで、タムって奴とんでもないこと言ってんな

犯罪ハードルが低くてフィクションに感化される人間シャバに居るべきじゃないんよ。教育やらで矯正できないなら施設病院刑務所)で暮らしてもらお。なーに、犯罪やって捕まって入るか犯罪やる前に入れるかの違いだけだ。」だって

こいつ別のまとめで痴漢冤罪云々と言ってるくせに、犯罪する前に捕まえることを推奨してやがる

「人に影響を与える作品公序良俗に反することを否定しないから。「公序良俗に反する表現も認めろ」は「公序良俗に反しない限りこれを保障する」という表現の自由とは衝突するんやで。」

とも言ってるし…公序良俗に反する表現規制しろとは、これが表現の自由戦士かよ

あのな、人間倫理は弱いんだよ

ちょっとしたきっかけで道を踏み外すし、ちょっとしたきっかけで洗脳されるし、ちょっとしたきっかけで犯罪を犯す

でなきゃカルト宗教も反ワクチン存在しない

カルト宗教論破してやるwと向かっていった人が取り込まれやすいのは何故か?人間が弱いからだよ!

普通の人がどんどん反ワクチン陰謀論者になっていく経緯まとめられてて見たことあるけど、怖かったよ

一家全員洗脳されたり殺し合ったりする事件もあったし、ママ友洗脳されて自分の子供を殺した母親もいた。

スポーツするより犯罪する方がハードルの低い人間なんてザラにいる。犯罪の種類によってはな。

オタクもよく言うだろ。○○で性癖が歪んだって。もし歪んだ先が強姦性愛だとか小児性愛だとか犯罪に繋がりやす性癖だったらどうするんだよ

ワンピースの影響で海賊になる人間はいない?当たり前だ海賊になるハードルはバチクソ高いんだから海賊合法でもいないだろうさ

恋愛ゲームやってもモテない?当たり前だ恋愛自分意思だけでなく向こうの合意あってのものなんだから

犯罪者も犯罪する前は「自分は善良な犯罪をしない一般市民」だと思ってるんだよ

もっと自分ちょっとしたきっかけで足を踏み外したかもしれない」という意識を持つべきじゃないか

犯罪者が「○○の影響を受けました」と言ったら表自は「犯罪者の言い訳ダー!フィクションのせいにするな!」と騒ぐでしょ

あのな、それで減刑されるわけないんだからフィクションのせいにしてるわけじゃないでしょ

「俺は親から虐待を受けていて…」と犯罪者が言っても「言い訳!家庭環境のせいにするな!」と言うのか。言いそう。

つか、それだとワンピースの影響で海賊になった人が現れても結局意味ないだろ

「沢山フィクションがある我が国犯罪が少ない」ことを表自は持ち出すが、

それは「沢山フィクションがあるような先進国では環境も良く犯罪者が少なくなる」とか「エロ漫画を読んで発散する良い影響が悪い影響の数を上回る」とか「フィクションを読んでる間に他の影響を受けにくい」とかの理由があるわけよ

でもそれは、悪影響を受ける個人存在自体を否定はしないのよ

というか、表自って同じことを言ってるもへもへには何故キレない?

もへもへ「エロ本AVみて性犯罪する奴は確実に存在する。だが規制すべきではない」 https://togetter.com/li/2022447 #Togetter @togetter_jpより

表現の自由戦士人間倫理や知性を信じすぎだ

表現の悪影響はない」ではなく「悪影響があったとしても規制反対」と言うべきだと主張するわとりん氏とリョーマ氏、規制反対派から袋叩きにされる https://togetter.com/li/2021146 #Togetter @togetter_jpより


フィクションが良い影響は与えるけど悪い影響は人に与えないって都合良すぎ」と言った遊牧民氏、「規制派め!」と叩かれる https://togetter.com/li/2026587 #Togetter @togetter_jpより

表自、アンフェ界隈で仲間割れが起きているようだ

表現の自由戦士は表現に悪影響があると言っただけで「じゃあ規制すべきだというのか!表現が全て悪くて犯罪したやつは免責されるべきだというのか!!」と極論に走ってキレる。

人間には倫理観がある!だからスポーツ漫画の影響を受けてスポーツをするのと、エロ漫画の影響を受けて性犯罪するのとは違う!!後者絶対にない!!」

どうも、表現の自由戦士は人間倫理や知性を強固なものだと思い過ぎている

しかも「子供は悪影響を受ける事もある(だから18禁がある)が大人絶対にない」と、人間は全て健常に成長するものだと思い過ぎている

あのな、人間倫理は弱いんだよ

ちょっとしたきっかけで道を踏み外すし、ちょっとしたきっかけで洗脳されるし、ちょっとしたきっかけで犯罪を犯す

でなきゃカルト宗教も反ワクチン存在しない

カルト宗教論破してやるwと向かっていった人が取り込まれやすいのは何故か?人間が弱いからだよ!

普通の人がどんどん反ワクチン陰謀論者になっていく経緯まとめられてて見たことあるけど、怖かったよ

一家全員洗脳されたり殺し合ったりする事件もあったし、ママ友洗脳されて自分の子供を殺した母親もいた。

スポーツするより犯罪する方がハードルの低い人間なんてザラにいる。犯罪の種類によってはな。

オタクもよく言うだろ。○○で性癖が歪んだって。もし歪んだ先が強姦性愛だとか小児性愛だとか犯罪に繋がりやす性癖だったらどうするんだよ

ワンピースの影響で海賊になる人間はいない?当たり前だ海賊になるハードルはバチクソ高いんだから海賊合法でもいないだろうさ

恋愛ゲームやってもモテない?当たり前だ恋愛自分意思だけでなく向こうの合意あってのものなんだから

犯罪者も犯罪する前は「自分は善良な犯罪をしない一般市民」だと思ってるんだよ

もっと自分ちょっとしたきっかけで足を踏み外したかもしれない」という意識を持つべきじゃないか

犯罪者が「○○の影響を受けました」と言ったら表自は「犯罪者の言い訳ダー!フィクションのせいにするな!」と騒ぐでしょ

あのな、それで減刑されるわけないんだからフィクションのせいにしてるわけじゃないでしょ

「俺は親から虐待を受けていて…」と犯罪者が言っても「言い訳!家庭環境のせいにするな!」と言うのか。言いそう。

つか、それだとワンピースの影響で海賊になった人が現れても結局意味ないだろ

「沢山フィクションがある我が国犯罪が少ない」ことを表自は持ち出すが、

それは「沢山フィクションがあるような先進国では環境も良く犯罪者が少なくなる」とか「エロ漫画を読んで発散する良い影響が悪い影響の数を上回る」とか「フィクションを読んでる間に他の影響を受けにくい」とかの理由があるわけよ

でもそれは、悪影響を受ける個人存在自体を否定はしないのよ

というか、表自って同じことを言ってるもへもへには何故キレない?

もへもへ「エロ本AVみて性犯罪する奴は確実に存在する。だが規制すべきではない」 https://togetter.com/li/2022447 #Togetter @togetter_jpより

2022-12-22

100億万回言ってるが分散SNSMastodonだけじゃねぇ!

いい加減にお前ら覚えろよ分散SNSMastodonだけじゃねぇんだよ!

Mastodonは重い?じゃあPleroma使えよ!
今どき絵文字リアクション使えないとかありえんって?じゃあMisskey使えよ!
Facebookみたいにユーザ管理したいって?じゃあFriendica使えよ!
写真がメインだって?じゃあPixelfed使えよ!
やっぱり動画だって?じゃあPeertube使えよ!
障害耐性が欲しいって?じゃあHubzilla使えよ!
ブログが良いって?じゃあWrite.as使えよ!

全部ActivityPubプロトコル相互コミュニケーション可能なんだよ!
代表的なActivityPub対応サービスは下記にまとまってるんだよ!

Awesome ActivityPub

https://github.com/BasixKOR/awesome-activitypub

何かもっと面白い話をしろだって?欲しがりさんだな!

じゃあ例示したHubzillaはどうだ?
Hubzillaのコンセプトにはノマディックアイデンティティというのがあるんだよ!
一時期話題になったノマドワークのノマドな!遊牧民

Hubzillaはユーザアカウントを他のHubzillaサーバクローンすることができるという特徴があるんだよ!
ここで言うクローンとはLINEとかスマホゲームであるようなアカウントの引き継ぎではなく、単一アイデンティティを持ったアカウントが複製されるという意味でのクローンな!

例えば、Hubzillaサーバhub.example.comとzilla.example.net存在するとして、増田アカウント名masuda@hab.example.comを取得したとするだろ?
んで、その後にmasuda@hab.example.comはzilla.example.netアカウントクローンし、masda@zilla.example.netを取得したとする!
そうするとmasuda@hab.example.comとmasda@zilla.example.net投稿を含んだアカウント情報は同期されるようになる!

これの何が良いって上の方で例示した際に言ったとおり、同期されるということはhub.example.comが何らかの理由障害が発生しネットワーク接続できなくなった場合増田はzilla.example.netの方へログインすることで自分タイムライン連続性を保持したまま投稿継続することができるんだよ!
その後hub.example.comが復帰すると自動的に再同期がはじまるからSNS中毒者は安心して利用を続けることができるってわけよ!

まぁ障害って言ったけど、例えばイーロン・マスク関連で話題になったイーロン・マスク私有機を追跡する@ElonJetは様々なHubzillaサーバアカウントを作りまくれば、URLベースでBANされてもURLの違う別のHubzillaサーバから投稿をすりゃタイムライン連続性を保ったままURLベースのBANを回避できるって寸法だ!

えっまだ話題が欲しいの?ちったぁ自分でググれよ!
じゃあこれも例示したPeerTubeでどうだ?

PeerTubeはWebTorrentを活用した動画共有サービスだ!
WebTorrentって何だか知らん人も居るだろうが、まぁ早い話がファイル共有システムBitTorrentWebブラウザから使いやすく、そして応用の幅を広げたものだ!

まり言ってみれば、PeerTubeは公開されている動画再生した時点でファイル共有がはじまり、同時に再生視聴しているユーザ間でファイルデータを渡し合うという仕組みになっている!
これ何が良いって、通常の場合は同時視聴者数が増えれば増えるほど動画配信サーバへ負荷がかかるんだけど、WebTorrentによってユーザ間でファイル共有しているため動画配信サーバの負荷を軽減することが可能となり、ニコニコ動画あたりでありがちな低画質化や視聴待機列みたいなのが発生しにくくなることなんだよな!

しか面白いことにPeerTubeは他のPeerTubeサーバ連携をすることで他のPeerTubeサーバに保存されている動画自分のとこのPeerTubeサーバ動画一覧へ組み込むことができる!(連携しないこともできる!)
他のPeerTubeサーバ動画コンテンツも扱えるのでPeerTubeサーバが増えれば増えるほど動画コンテンツが充実するって仕組みになってるんだよな!

ただ、勘の良い連中が気付いている通りに国家間を跨いでしまった場合著作権周りの扱いが難解で解決してないからPeerTubeで自作以外の著作物投稿する場合は気をつけようぜ!

でもそれ以上の価値に気付くヤツは気付くけれど、PeerTubeが普及すると海外動画を観るとき非常に好ましい結果になる可能性がある!
何故なら海外動画を引っ張ってくると通常のファイル転送では時間がかかるが、WebTorrentの場合自分地域に同時視聴者が居るとユーザ間のファイル共有によって、Youtubeなどで言うところのグルグル(バッファ)が発生しにくくなるんだよな!
わざわざGoogleが負荷分散サーバを設置してないような新興国でもこういう仕組みはありがたいはずなんだぜ!

そしてHubzillaもPeerTubeもActivityPubプロトコル相互コミュニケーションを取ることができる!
これこそが分散SNS、ActivityPubの醍醐味だ!

ということで俺はそろそろTwitterに帰るわ!じゃあな!

2022-10-29

Colaboの予算審査がザルだって話題になってうけどつまり代表女性にしたらめちゃ審査甘くなるってコト!?

女性エンパワーメント追い風

女性こそが要職に就くべき

アファーマティブアクション合理的やったんや

2022-09-24

今知ったこ

ノマドワーカーの「ノマド」(nomad)は英語遊牧民という意味

ノートとか窓とかその辺の単語略称かと思ってた

2022-07-11

面白い意見だと思う。

実際、生存が厳しい時代戦国時代一夫多妻だったが、男性側に偏っていた。

モンゴル遊牧民族伝統的に、親兄弟の嫁と交わることが多かったようだ。

血族を絶やさないためというのは日本戦国と同じだけど、

遊牧民場合女性仕事も多いので、相対的立場が高かったものと思われる。

社会多夫多妻制を目指すべき。

一夫一妻制は、片方に問題が起きた時に一方への負担が大きくなりがちで、

それを懸念して結婚に踏み切れない人達大勢いる。

解決策は簡単で、例えば、二夫二妻の4人で結婚する。

これならば、一人に問題が起きても、残り3人で対処できるから、圧倒的に負担は軽くなる。

先日、乱交パーティした人達が捕まったけど、少子化社会において、むしろ乱交しまくって

みんな一緒に暮らすほうがずっと生きやすくなるんじゃないかな。その方が社会的に正しいのではと思う。

anond:20220711104242

2022-06-18

英語勉強しているとカタカナ語だけど、実は英語から由来してたとかがあって面白い

最近だとノマドワーカーとかっていってるけど、nomadって言葉遊牧民意味するらしくそから来ていると知った

2022-06-15

遊という単語の使い方が気に入らん

遊牧民の遊とか

三遊間の遊とか

遊歩道の遊とか

2022-06-10

anond:20220610215233

戦国時代事情は知らないけど、元増田の「サラブレットの半分」が本当なら、騎兵用と馬としては相当に小さくない?

中国なんかだと、輸送用の馬も含めた軍の調達基準の最低線でも今の道産子くらい。

騎乗して北方遊牧民と戦うにはそこからかいのを選抜した、という感じだったような。

2022-04-28

すげー面白い動画見つけた

https://www.youtube.com/watch?v=ajyyGn9MexU

ユーラシア大陸の真ん中ら辺は遊牧民が強すぎて体制が安定しなくて発展が遅れたとか、

ドイツ日本は同じような流れで急激に発展したとかそういうの解説してるやつ

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