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2011-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20111204131615

いかなる理由があろうとも残業禁止」に、「自分仕事自分の都合でやるのは可」なんて抜け道作ったら、サービス残業が増えるだけ。

そこは残業禁止を絶対にしないと何も解決しない。

2011-10-22

http://anond.hatelabo.jp/20111022162441

貴女の経験には心の底から同情する。けれど、私は「個人タクシーなら礼儀正しいよ」という話をしているんだよ…。

遅くなったときなどは、乗りたいときもあるでしょ? 乗ったとたんに「抜け道を指図」するとかすると(こいつ、道に詳しい)と警戒してくれて、そんなにぼられないよ。

私はメーターが倒されてなかったことがある。家に着いたら運ちゃんが「料金がわからない」と言うから「いつも、このくらいなんで、これでいいですか?」といつもの金額に心持ち上乗せしたら、「いやいや、メーター倒さなかったのはこっちのミスなんで、こんなにもらえません」といつもの1割減の金額で手を打つことになったよ。タクシーもいろいろだ。

(追記)あ、「個人タクシーを止める」と書いたので誤解させたんだね。ごめん。タクシーを呼び止めるって意味だったんだ。

2011-10-07

アスペルガーに限らず、精神的な問題を取り巻くものに関して こうなんじゃないかなーと思うこと

私はそんなに詳しくないんだけど、パソコンのHDのフォルダに共有フォルダというのがあるらしい

今は仕組みも変わってるのも科も知れないけど、P2Pとかいうやつをする時に、ここを使うんじゃないの?

人の脳をパソコンに喩えると、共有フォルダは対社会に対して開かれる部分と言う事になると思うが

これが、ウイルスが入ると、全部開示してしまったりするじゃない? それだっ!!と思った

私は自閉症子供の頃自開症自開症(じかいしょう)とずっと間違えて読んでいた。

あの人たちは、自開している

アスペルガー最近定義が怪しくなっているけど、本当に前頭葉の働きに問題がある人の場合社会的対面に自分プライベートものを出しすぎてしまうという事で、難ありみたいな人( こういう言葉で表されるだけじゃないと思うけど )って、ウィルスに冒されたパソコンみたいに、全開示じゃなくても、共有するべきではないものを、そこに持ってきてる(パソコンに喩えた言い方)んじゃないかと。

まあ、こういう言い方じゃなくても、情緒的な言葉対応を望んでいるかもしれない場合やその方が望ましい状況でも、理屈で割り切った事を返して嫌われるというちょっと前の増田日記であったようなやり取り

あいうのも、後天的ものもあるかもしれないけど、アスペルガー的と言われてる事だけど、あれも普通自分の頭の中だけで考えているような事をそのまま言ってしまうという特徴にあっているような気がした。

ちょっと前にネットで文字だけのやり取りをしたアスペと診断された人も、そんな感じだった。これを言ったら相手がどういう気持ちになるか?というのが抜け落ちてるかのようだった。この人の場合最初にそういうものがあるのかもしれないけど。本当に脳に問題があるアスペなのかどうかもわからないし。


精神的な問題というと、大きくなりすぎるけど、家族と他人、身内と他人、友人と他人 (友人は他人だけど) の距離や違い

家族が原因で精神的な問題を抱えた場合 周囲がそれを補うような環境であった場合とそうでない場合でだいび違うだろうし

治療者の姿勢も、家族的な場合とそうでない場合 治さないほうが得するとしたら・・・

だって、ここにも、http://www.karacli.com/schizophrenie.html13.html こうやって >、妄想はいくら家族が否定しても、覆ることはまずありません。そこで、否定するのではなく

統合失調症の人の妄想に対しても、本人の気持ちを大事にするようにと書かれているのに

つのモデルとして考えられるケース

家族が他人であった場合

他人は他人なので、ずーっと他人の人しか周りにいない、集められない事になる

家族が他人(洞察したり思いやりが無い)までなら、ともかく、家族が他人として攻撃した場合、どうなるんだろう?

治療者にも 治療者善 治療者悪 みたいなのがいるとして、 治療者悪にあたった場合は、そこまで攻撃しても大丈夫!みたいな情報を与えてしまう事になるのではないか

そこで、さらに、他人他人他人だから、他人と言うのは、必ずしも自分の事を慮ってくれるわけではない存在から

さらに、悪化と・・・

こうして、病気は作られるみたいな

だけど、他人だから何をしても良いという事にはならない

特に治療にあたる人は、そのはずなんだが、いっぱい抜け道があるという事だろう

うーん  このへんをもっと掘り下げてみると面白いかもしれない

アスペと診断された人なんかが、執拗共感しなさを押し付けて関わろうとしてくるのは、自分が置かれた精神的な世界をわかって欲しいからではないだろうか?

暴力親を精神病院入院させたなんて、普通の家庭生活ではなかった事も伺える。そういう中で治療者は自分アスペとして共感の外に追いやったみたいな気持ちが渦を蒔いて、自分より弱そうな者不遇そうな者を見ると、引きずり込まずには居られないのではないだろうか?

と思った。

からと言って、して良いわけではないし、前頭葉先天的な問題でなくても、情緒障害か人格障害かだと思う。

2011-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20110916104504

実績つーか機会はあるべき

低学歴や低収入連鎖する一番の理由は

地方にいて機会や競争相手がいないことと、親にお金がないこと、この二点だよ

遺伝よりもこっちの方が大きい

せいぜい小学生くらいの子にこれを覆すだけの財力も人脈も無い事がほとんど

ここをジャンプして抜け出せれば、低学歴や低収入連鎖は断ち切れる

俺が小学生ときネットがなかったから本当に抜け道が少なかったけど、今ならネットを使えば何かあるかもね

天才プログラマーになって中学生ベンチャー創立とかBNFみたいになるとかな

 

と、思ったけど俺が高校生になるまで貧乏すぎて固定電話でさえ家になかったか

10年あとに生まれてもPCネットどころか携帯も手に出来なかったな

2011-09-07

まったく合法な自炊書籍電子書籍化)サービスを考える。

http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1109/06/news064.html
 出版社からスキャン代行業者への質問状を全文公開、潮目は変わるか

こんなニュースが流れて、各方面ではテンプレート的な

  • ユーザーの方を向いてない
  • CDと同じ衰退する道を歩むのか
  • このRow_Gayが…

等々の反応が見られるわけだが、ここで合法的な自炊業者を作るにはどうしたらいいかと言う事を考えてみる。

なお

すでに自炊業者は「著作権者に許諾を取っているものしか扱っていない」という建前になっているので合法である

と言う意見は、権利者が「そんなもん許諾した覚えはねえ」と言えば終わりなのでその説はとらない。
 というか件の質問状「依頼者に私的使用目的であると申告させています。」と言う言質を取って非許諾リストを送りつける前段であろうから近々破綻するだろう。また日本著作権法オプトアウトは不可である事も考慮が必要である

合法的な自炊業者の条件

自炊業者が合法的になるには

  1. 著作権の私製複製を本人に限る条項を何とかしてクリアする
  2. 著作権者に許諾を取る

しか方法がない。とりあえず順番に考えて見る。

著作権の私製複製を本人に限る条項を何とかしてクリアする

これは、とりあえずいろいろな法律家が頭を悩ませたがどうやら判例から言っても揺るぎそうにない。なので、私製複製の範囲をなんとかして広げてやることを考える。唯一何とかなりそうなのが

五条の二

著作権法第三十条第一項第一号及び第百十九条第二項第二号の規定の適用については、当分の間、これらの規定に規定する自動複製機器には、専ら文書又は図画の複製に供するものを含まないものとする。

で、この著作権法第三十条第一項第一号及び第百十九条第二項第二号の規定と言うのは

第三十条 著作権目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。
 1.公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器(複製の機能を有し、これに関する装置の全部又は主要な部分が自動化されている機器をいう。)を用いて複製する場合

で、第百十九条第二項第二号はこの三十条の罰則規定になる。つまり、今のところ、図書については「公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器」でコピーする行為も私的複製の範囲に含まれるのである

ただこの条項、文化庁のページにこんなもんが乗ってるPDF注意)ように、書籍出版協会、雑誌協会は廃止したいみたいでロビー活動実施中なんで下手するとどっかのどさくさに紛れて廃止されてしまう可能性もあったりするがそれはとりあえず置いておく。

するとどういう方法論が考えられるか、だが…素直に考えると、たとえば書店新古書店店頭裁断機スキャナパソコンが用意してあって自分で読み込んで持って帰るのは合法だし、裁断済みを固定してレンタルしてるレンタルショップがあって、その店頭スキャン装置を置くと言うのも、まま合法であると言う考え方になる。内容は全然違うが、書店店頭コピー機があるのと一緒だからだ。

実際には、裁断済みの書籍を、装置にセットしないと外れないクリップで束ねて貸すような業態が考えられる。
 貸した書籍をばらばらにされると商売あがったりなので、クリップは特殊な構造にしておき、店頭に設置してあるスキャン装置に入れ、USBメモリなんぞを差し込んで書籍を挿入すると、後は装置自動的にクリップを外して読み込んでデータUSBメモリに書き込むと言う一連を商売にする。書籍は一冊数十円でレンタル装置使用料は一回100円のような形にすればいいのではないかコミックなんかは一冊数百円なので10回ほど回転すればいいとか考えれば全く楽な商売であるが、正直極悪、流行したら出版業界を根絶やしにするに近い事になり、出版社も対抗して儲けにならないぐらいまで価格を下げ、焦土作戦のような事を決行して日本出版業オワタ、結局最後焼け野原が広がり誰も幸せになりませんでしたと言う事は目に見えているので可能性としてはありだが実際にやる会社はなかなか出ないだろう。また始めた直後に訴訟を起こされて大変なのは目に見えているし、専用の装置の開発などある程度の初期投資が必要になるので、先駆になる企業はなかなか現れないだろうと思う。ただ一度合法になれば爆発的に増えるだろうが。


またこの形だと店頭に足を運ぶ必要がある。ではどうするか。

完全にオートメーションにしてしまって、自分自動複製装置操作して複製した、と言う建前にするのである

自分で専用の箱に組み込んで送ると、現地ではそれがラインに投入される。ラインの中では人の手を介さずに自動的に全てが処理され、データレシピ通りに本人の所に届く。トラブルがあった時は多少人間が関わってもいいだろう(装置メンテナンスをしていると見なせないか?)

ただこれも一つ無理があって、宅配業者がどうしても間に入ると言う事だ。たとえ宅配業者が投入した後ラインが自動的に処理するように作られていたとしても、宅配業者が自動複製装置への投入を代行したことになってしまうのではないかという事である。なかなか厳しい。

また多種多様な本、完全なんて無理にしても、多くを自動処理なんてできるのかといえば相当金をかけても難しいと思う。

と言うわけで、この抜け道だと宅配型のサービスは不可能である
また店頭型もやり方を誤るととんでもないしっぺ返しを食って大変なことになるだろう。

著作権者に許諾を取る

次に著作権者に許諾を取る方向を考えてみる。許諾さえとれればいくらやっても問題は無い。
まずは「そんなことが可能なのか」という話から入る。

今回の記事

http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1109/06/news064.html

にもう一度注目して欲しい。賛同しているひとがずらずらと並んでいる。しかし。これは出版社出版点数に対して、決して多くはないのではないかという印象を抱かないだろうか?

私は自炊という行為についても、きちんと紙の本を購入している限りであれば、賛同する出版社や者は多いのではないかと見ている。

そういった事を期待して、

許諾の形式を柔軟に

と言うのと

と言った形で段階を選べるようにしたり、多少たりとも権利者にバックがあるようにして、権利者は一度売った権利でまた金が得られるようにしておけば、かなり許諾はとれるのではないだろうか。

これは大変地味な作業だ。特に当初は大変である。ただ許諾を得たなら、それだけで大変な武器になるのは間違いない。まただんだん一般的になって行き「あの作家の本は自炊サービスを利用出来ない」と言った話が広まれば圧力になりらだんだん楽にはなるだろう。

また、必要であれば

http://www.bunka.go.jp/1tyosaku/c-l/index.html
著作権者不明等の場合裁定制度

もできる限り利用していく。はじめは行政の壁があってなかなか大変だろうが、大量に出していけば行政対応せざるを得ないだろう。少なくとも著作権法を改正させるよりはよほど現実的な対応だ。

従来は書籍名で管理すると、完全に真っ黒の商売なので変に突っ込まれることからそういった管理は限定的だったが、このようにデータベースにすれば、書籍ごとに(著作権者への権利支払い料金も含め)価格を設定することもできるかもしれない。

そしてデータベースWeb検索できるようにしておくほか、依頼があった物は一つずつ検査をして許諾有り無しを仕分ける。
 あるいはお客が領できる許諾判別サービスなどを利用して、そこでチェックしてリストを添付させるなどとすればいい。誰の家でもある日常の道具、バーコードリーダーがつながるようにしておけば照合作業も楽に出来るはずである。チェック漏れや許諾がない書籍については実費で返却と言う事にする。

価格は従来の非合法サービスよりも高くなるのは間違いない。しかし、許諾を受けて合法であると言う錦の御旗を掲げれば、利用者もなんのひきめを感じることなく堂々と利用出来るし、また、その効力でそれ以外は非合法と言い切る事ができる様になる訳である

なので商用ベースには十分乗ってくるのではないか

ユーザとしては、すべて丸投げすることはできなくても、これで多くの書籍が一度に片付けばかなり便利なのではないか。抜けた奴は自前でスキャンするか、スキャナレンタルサービス自炊スペースなどを利用する方法である程度カバーできる。

やはりサービスで一番難しいのはなんと言っても著作権者の許諾である。なので結局ぽっと出のベンチャーがやるのはよほどの後ろ盾がない限り難しいだろうなと思う。

またこのサービスをやると電子書籍ビジネスにもある程度競合してしまう事になる。だから問題は誰がやるか、と言う事だろう。

一番いいのは、大手印刷会社が取次と組んで、既存スキャン会社提携するなり買収するなりして始めるのがいいのだが…。

2011-08-30

夢を見た。

どこかの島?中洲(パリのシテのような)?仕事か、プライベートかわからない。いつか知りあいが日帰りでつれていってくれたAveiroからの帰り道に見た見知らぬ田舎?道沿いにある個人商店のぞくと店員がスペイン語で喋っていて、ああ移民が多いか田舎か、と思う。

川の方にいくとぬかるみになっている。対岸はかなり近くて、むこうの声もきこえる。ぬかるみにはまりそうになって、パッとよけると、白鳥がそこで休んでいるのを見る。すぐそこに道があって車がぐんぐん通っていて、「この島は抜け道で、皆よくつかうのだな」と思う。

先の個人商店のわきはデパートになっている。入ると、なぜかバースデーケーキショーウィンドウにならんでいる。母親幼女おめかしをしてその前を歩いている。へんなエレベーターがあって、それにのって上にいく。

上につくと、なぜか高所恐怖症になっていて、扉があいて人が入ってきても、外に出れない。よろめいて、エレベーターの籠にはなぜか柵がなく、ああ落ちる!と恐怖にかられるが、入ってきた人に助けられて外に出る。彼らは父母子の家族で、ふざけているその男の子背中をポンッとたたく。

降りたフロアにはプロレス?かなんかの興行をやっているよう。トイレはいると、イタズラされて分かりづらくなった男子用、女子マーク入り口に。一人男性が間違えたのか、キャーっという声がきこえる。自分は慎重にはいるが、不安で周りの人が男かよくたしかめる。

トイレは、まるで駅のトイレかのように男子便器がずらっと並んでいて、やや不衛生。なぜかほとんどの便器が故障中で、テープがはられていて使えない。立って小便をする。

ここでトンデて、なぜか地下道のようなところを彼女と一緒に歩いている。彼女は「三月から中国に行くことになったんだよ、話してなかった?」という。全く知らなかったので動揺しつつ「一年間?」と聞くと「うん、一年間」と答えるので「僕もついてっちゃおかなっ」というと露骨に嫌な顔。ここで覚醒

久々に長く、具体的な夢だった。

2011-08-29

ルールを変える発想がない??

ボルトフライング失格に為末大国際陸連に考えてもらいたい」

http://www.rbbtoday.com/article/2011/08/29/80371.html

為末はユーザーからの「ファールはファール。だから日本人は甘い」といったコメント

日本人ルールを変える発想が無いので、ルールが間違えてるのではなくて自分が間違えてると勘違いします」

この「日本人は甘い」というコメントにも「ルールを変える発想が無い」という指摘にも、

何か違和感を感じたので、ちょっと考えてみる。

「1回のフライングで失格」という規定は厳しいなと感じた。

昔一人一回のフライングが許されてたんで駆け引き的に使う事もあったんです。決勝で4、5回フライングがあったり

なるほど、こういう理由もあるんですね。

とりあえず、ここでは「この規定は厳しすぎる」という前提で話をしよう。

日本人が陸連対しに発言力があるのですか? ボルトも一選手 ファールはファールですよ。だから日本人は甘い

この発言は一体何を意味しているのだろうか?

直感的に感じたのは、

「今まで俺は(そして多くの人は)理不尽ルールで戦わされてきた。それを強いられてきた。

そして受け入れてきた。ルールは変えられないとあきらめてきた。

ルールを変えるなんていうのは、卑怯なやつのすることだ。

ルールを変えてほしいというのは、ミスを許してくれと言うようなもので、考え方が甘い。」

という感じ。どこまで正確に捉えられているか、もしくは見当はずれなのか、よく分からないけれど。

この「一部の人一部の人に都合の良いルールを作り、結果その理不尽ルールがまかり通っている。」

という感覚は多くの人に共通のものじゃないかと思う。

そしてそれに対して、

A. あきらめてそのルールの中でがんばる

B. そのルールの中で抜け道を探す

C. ルールを作る立場になろうとする

などの対応をする人がいて、

Aの人にとってBやCは卑怯者のように見える。

これらはいずれも「その集団の中でどうしたら上に立てるか」という発想から来るもの

しかし一方で少数ではあってでも、目的が全く違う人もいる。

ルールの中で自らは頑張る一方で、正当なルールに変更できないかを考える」

人もいるだろう。そういう人の目的は集団の中での自分の立場ではない。

こういう目的の違いが両者の相互理解を拒んでいるような気がする。

「世の中はどうあるべきか」という発想で見られる人を僕は応援したい。

2011-08-08

30代からネトゲ

最近ネットでの出会いとか増えていて、その中にはPCネトゲでの出会いも多く含まれている。

でも正直、30代の出会いの場としてはもちろん、楽しくプレイするだけでも30代にネトゲは厳しいと思う。

たぶん猛烈なストレスを抱えるだろうし、ましてや無課金を貫いたら禿げるんじゃないかってくらいの苦行になること請け合いだ。

少なくとも俺はそうだったので、今はもうネトゲはできるだけ片手間に済ましてるし、彼女リアルの知り合い繋がりで見つけた。

それだって今やっているタイトルが運営終了したら、もう2度とネトゲはやらないだろう。


では30代にとってネトゲの何が厳しいか


まずプレイしている年齢層の偏り。

基本的に大抵のタイトルで30代以上は少数派だと思ったほうがいい。

逆に思いっ切り若い奴と遊びたいなら問題にならないけど。


それからプレイに膨大な時間がかかること。

むしろこれが一番大きな問題かな。

どんなタイトルでも、一通り遊ぼうと思ったら半年1000時間くらいかかるのは普通というかむしろ少ない方。

それくらいの長期にわたって課金し続けてもらわないと、開発資金・運営資金を回収できず利益にならないので、そういう造りになってるんだと。

この時点で30代はとんでもなく不利だ。

何しろ30代は20代と比べて、ネトゲにかけられる時間は絶対的に少ないはずだし。

仮に同等のプレイ時間を費やせる暇な人であっても、今度はそれだけの時間をやり込むのに気力が続かないと思う。

20代プレイヤーだと、その気になれば48時間不眠不休連続プレイとか可能だったりするんだけど、そんなことできる30代の人います


で、実際に30代が、もし上に書いた諸々のことを知らず、軽い気持ちで「なんか基本無料とか書いてあるし」とネトゲを始めてしまったらどうなるか。

恐らく同時期に始めた人どころか、後から始めた人にも、レベルゲーム内資金その他諸々で速攻追い抜かれ、置いてけぼりを食らうだろう。

もちろん先に始めた人には永遠に追い付けません。

なので周囲の知り合いには全然頭が上がりません。

だって「どこまで行っても最後発組」なんだもん。

しまいには「○○さんがわずか数日で××した」みたいな廃プレイを耳にするに至り、不必要にショックを受けると。


これ、一応抜け道はあって、アカウントを幾つも作って、PC何台も動員して、課金アイテムに月5万円以上つぎ込んで、おまけにRMTなんかもやっちゃったりという「汚い大人」になれば、格差はかなり緩和されるでしょう(俺は1PCRMTなしで課金も月1万程度に留めたけど)。

さらにBOTマクロチートに手を出す人も現れるだろう(RMTともども発覚するとBANされかねないか自己責任で)。

それでも、こういうことをやっている20代プレイヤーには敵わないけどね。


というわけで「ネトゲで遊ぶのは30歳まで!」と宣言して日記を終わりたいと思います

2011-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20110731230019

放送法広告放送の識別のための措置) 第五十一条の二  一般放送事業者は、対価を得て広告放送を行う場合には、その放送を受信する者がその放送が広告放送であることを明らかに識別することができるようにしなければならない。

番組のなかで「このA店さんの○○おいしい!」「うわ、ほんとにおいしい~」というような紹介を、A店の事実上広告として有料でテレビ局がやると違法です(ただし抜け道はいくらでもあるので実際にはやってるようです)。対価を得ていなければセーフなので、自社コンテンツをタダで番組内で取り上げてもこれには違反しないでしょう。ただ「広告視聴者広告だと認識して見るものだけにとどめ、番組のフリして広告してはいけない」→「番組の一部として知った商品情報CMと違う宣伝価値を持つの規制しないとやばい」という意味でできた法律ならば、自社関連商品についてはできちゃうのでザル法ですよね。

2011-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20110607201011

何でそんなに性急なんだ?

子供を作らせるじゃなくて、子供を産み、育てやすいように金を落とすのが目的じゃん。

で、そのための資金源として独身(扶養関係を持たないもの)から搾り取ろうという事で、

高齢者のセーフガードとして子供扶養に入っていれば税負担減にすれば、世帯の複数世代化も可能かもしれないと。

その際に独身者にも税金負担のメリットとして追加納税による独身身分の保証があると。

抜け道無く子供作らせるんなら、強制カップリンクさせて期間決めて繁殖させれば良いじゃん。

そんなの真っ平ごめんだが。

http://anond.hatelabo.jp/20110607200258

離婚したら税負担は戻るし、将来扶養できなくなったり、独居老人になっても税負担は増える。

あまり抜け道は無いと思うけど?

2011-01-31

なんで日本新興企業はウシジマ君に登場できそうな感じのばっかなの?

例えばそれなりに有名なウェブサービス企業って

・ダラーオークションゲームだの

パチンコ携帯移植したような課金中毒ゲーだの

インチキクーポンだの


下流食い臭いビジネスや限りなく詐欺臭い騒動に必ず名前が出てくるよね。どの企業も。

なんか、新興企業に明るい未来が見えないというか、

全て限りなくクズ風味なのは何故なんだろう?

抜け道があれば闇金とか振り込め詐欺かにも絶対手を染めてただろうイメージがある。

2010-09-30

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010093000755

「先読めぬ菅外交」に慎重=国際社会の脅威論も意識中国

 【北京時事】中国は30日、拘束していた準大手ゼネコンフジタ」の邦人社員を一部釈放し、対日関係の改善を重視する姿勢を示した。しかし、「菅直人政権の対中外交は先が読めない」(共産党関係者)といら立ちを隠さない。残る現地法人社員1人の釈放や日本への対抗措置の解除時期などは慎重に見極める方針だ。

 中国政府は28日から、漁船衝突事件を受け、事実上停止していたレアアース(希土類)の対日輸出を再開させており、日本に対する強硬姿勢が軟化したとの見方もある。しかし外交筋は「事件の悪影響は依然続いている。中国国民感情に傷跡を残した」と指摘した。

 中国側は、日本国内にある漁船衝突時のビデオ映像の公開を求める動きを警戒。「政府高官の無配慮な対中強硬発言が目立つ。国民の不満が再び高まれば、せっかくの関係修復の努力も水の泡だ」(日中関係筋)と神経をとがらせる。

 日中摩擦の長期化は中国外交全体にも響く。中国は今回、政府間の対話ルートを使わず、共産党と交流関係のある民主党細野豪志幹事長代理と接触。「事態打開への抜け道とした」(同)格好だ。

 一方、事件を受け国際社会では「中国脅威論」が再び高まっている。発表間近のノーベル平和賞では、中国の反発をよそに、服役中の民主活動家劉暁波氏が有力候補に挙がるなど、中国への風当たりが強まっていることも、対日関係修復に向かわせる一つの要素になっているとみられる。(2010/09/30-18:34)

先が読めてる奴なんて日本国内どころか、民主党内にもいないんじゃないかな。

2010-08-15

CASSHERN~なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?

 なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?

 単に、紀里谷和明監督への嫉妬か、妬み・嫉み・恨みなのか。

 しかし、例えば僕などは日記をみてもらえれば判るようにキリキリ監督尋常ではないレベルの妬み・嫉み・恨みを抱いているが、それとこれとは別で、「CASSHERN」という映画じたいは素晴らしく面白い!と手放しで絶賛してるし、一発目でいきなりこんな凄い映画を作れてしまう紀里谷監督リアルに天才なのでこれからも凄い映画を作り続けてほしいです!と応援してしまうのである。

 つまり嫉妬の要素というのは、この際、さほど重要ではない。

  CASSHERNは、人間感情の、何かこうクリティカルな部分を直撃する映画なのだ。それゆえに、そのクリティカル・ヒットを受容できる人はハマるし、受容できない人は切れるのだろう。(受容はできるけど、もうこの手の話は飽きた、という人もいるだろう。しかしそのような人は、呆れ果てることはあっても、切れたりはしない)

 CASSHERNクリティカルさというのは、そう、ブライセリフに集約されている。

「つまり、憎しみとは、人間也!」

 さらに、キャシャーンキャシャーンで、「人間が生きていることじたいが、人を傷つけることになる」という意味モノローグを語っている。

人間の性は、悪だ(人間性悪説

人間は、生きていることそれじたいが罪悪だ(原罪論)

 これはキリスト教的な「罪」の論理であり、無神論が主流の日本では受け入れられる余地の少ないテーマといえる。性善説ベースとなっている日本でいきなり「お前の存在じたいが罪だ」といわれれば、切れる人が多いのも当然だろう。しかもこれ、漫画映画である。「敦煌」とか「砂の器」じゃないのである。アニメだよ、キャシャーンだよ。なんで漫画映画で、そんな説教されんといかんねん!という人もたくさんいるはずだ。

 しかも、紀里谷は、これらの作品のテーマを、役者にセリフとして語らせてしまうのである。これがまた、この類のテーマを受容したくない人にとっては、許しがたい行為なのである。セリフで語りさえしなければ、スルーできたはずだからだ。人間は、自分の見たいものしか認識しない。従って、通常、映画を観ていても自我を脅かすようなテーマが提出されても、その部分を認識せずにフィルターをかけて消してしまうことができる。しかし、「言葉」で投げつけられてしまうと、そうはいかない。紀里谷は確信犯的にこの映画を観た全ての人間

「憎しみとは、人間也!」

 というテーマを強制的に植えつけることによって、この映画テーマを曲解される可能性をふさいでいるわけだ。

 このテーマを容認できない人にとっては、監督独善、ということになるのだろう。

 

 さて、この映画は、キリスト教的な救世主の受難を描いている。

 伊勢谷友介が演じる東鉄也は、一度死ぬが、LCLのようでもあり命のワインのようでもある赤いプールに肉体を沈められることにより、再び復活する。この赤いプールの中で行われる復活劇は、あたかもパプテスマのヨハネによる洗礼儀式のようでもある。この復活により、鉄也は自らを救世主キャシャーンと名乗ることになる。もちろん、上月博士三橋達也演じる老医師、鉄也の母みどりの幻影などが、復活した鉄也に「君の復活には、何か意味があるはずだ」「この街を守れるのか」「人々の争いを止めるのです」と、鉄也を救世主の道へと導こうとアシストするわけである。

 しかし、鉄也は救世主キャシャーンとなっても、奇跡を起こすことはできず、人々はみな挫折して死ぬ。そして鉄也自身も傷つき、血まみれとなっていく。鋼鉄の扉の隙間からバラシンに刀で心臓あたりを抉られるシーンは、あたかも十字架にかけられたイエスのごとくだ。

 しかもキャシャーン抽象的に人類の業を贖罪するという存在ではない。鉄也自身が生前、殺人という罪悪を犯しているのだ。「反戦映画」ともうけとられがちなこ映画は、実は、戦争だけに反対している映画ではない。「人間存在そのものが罪だ」というテーマをもっとも端的に表現できる場こそが戦争という極限状態なので、戦場における戦闘の結果としての殺人という光景が何度も繰り返されるのだ。

 最後に鉄也は戦場で犯した自らの罪業を認識して、懺悔する。

 が、この映画の恐ろしいというか念入りなところは、懺悔したはずの鉄也がさらにダメ押しともいうべき父殺しという罪を背負うことである。母親を寝取り、父を殺すというのは、いうまでもなくエディプス・コンプレックスなのだが、鉄也は最終的に父殺しを達成することによって、人類の原罪をことごとく背負って自殺することになる。

 では、鉄也の懺悔無駄だったのか? そう、無駄だったのだ。この映画テーマは「憎しみとは、人間也!」なのだから。従って、鉄也は、キリストの如く原罪を背負って血に塗れ、死んでいくしかないのだ。キリストと違う点は、人類の原罪を肩代わりしたのではなく、自ら原罪を犯して死んでいくという点だけだろう。もちろん鉄也は単なる殺人犯というわけではなく、「戦争」や「愛する人を殺した殺人犯への復讐」といったどうしようもない事情がある。決して、悪意で殺人を犯したわけではない。人間存在そのものが悪なのだから、生きる限り、どうにもならない、どうしようもないのだ…したがって、救世主になるべくして復活させられた鉄也の地獄巡りは、ドアーズ「The End」の如く、母を寝取り、父を殺して完結する。「地獄の黙示録」を参照するまでもなく、フロイトの絶対的な影響下にある現代のキリストは、エディプス・コンプレックスの持ち主でなければならない。フロイトによれば、エディプス・コンプレックスこそが、人類の原罪意識の大本にあるのだから。

 さらに、鉄也の父親・東博士が下層階級の出身であったことも最後に明らかになる。東博士は下層階級出身でありながら、政府側について少数民族を抑圧する側にまわり、最終的には鉄也の最大の敵となる。このあたりも、なにやらイエスキリスト物語を髣髴とさせる。

 だから、キリスト教圏では、この映画日本からやってきた現代の救世主譚として評価されるかもしれない。

 過去に、日本アニメ映画では似たようなテーマが何度も描かれている。いうまでもなく「イデオン」と「エヴァ」がそれだが、エヴァでは、主人公のシンジ救世主となるべく人類の原罪を背負う……という流れの物語だったはずが、最後にシンジ人類の原罪を背負わずに話が途切れてしまった。「エヴァ」は、「人間の性は、悪だ」という自らのテーマに向き合うことができなかったのである。キャシャーンは、エヴァと非常に似た構造映画であるが、主人公の手を父親の血に染めさせることによって、エヴァが途中で放棄したテーマを完結させた作品であるといえる。

 もう一つ、近作で似たような映画がある。それは「マトリックス」だ。この作品は3部作だが、それぞれ救世主ネオ誕生・生・そして死を描いている。ネオもまたキリストの如く、一度死んで復活する。だが、最後には人類の原罪を背負って死ぬ道を選ぶのだ。終盤、ネオは目を焼かれて失明し、エディプス王の如く盲目となる。機械触手に支えられて死んでゆくシーンは、やはり十字架にかけられたイエスを髣髴とさせる。

 ただ、マトリックスは「何も語らない」「観客に考えさせる」というスタイルを貫いたのに対して、キャシャーンは「全てをセリフで語りつくす」「観客に議論の余地を与えない」というまったく逆のスタイルで作られている。このスタイルこそが、一種の押し付けがましさ・説教臭さ・青臭さ・傲慢さと受け取られ、反発される一因になっているのだろうと思う。だが、この説教臭さ、愚直なまでの必死さこそが、かつての邦画ひとつの魅力だったのではないだろうか。邦画黄金時代には、説教映画が多数製作されていた。「新幹線大爆破」の宇津井健のウェットな説教や、「ノストラダムスの大予言」や「人間革命」で丹波哲郎が繰り出す強引極まりないオレ流説教。かつて、日本人はこれらの説教映画で感動して泣いていたはずである。みんな、かつては馬鹿だったのだ。

 80年代以後、邦画から泥臭さが消えていくとともに、邦画の魅力は失われていった。特に、角川春樹逮捕ホイチョイ・プロダクション的なテレビ局誘導の企画映画のブーム化以後は、有能な監督には集客力が無く、大作はどれも質を伴わない、という状況が長らく続いていた。例えば、世界レベルで評価されている黒澤清三池崇史が、「デビルマン」を監督させてもらえないのである。宇多田ヒカルの夫であるということ以外、ほとんど映画界では実績が無く、世間にもあまり知られていなかったPV監督が従来の邦画システムとはまったく無関係なところで突然作り出した「CASSHERN」は、そういう硬直した邦画とりまく閉塞構造をいきなり破壊した作品といえるのだ。

 無論、システムの面だけではなく、愚直なまでに真剣かつ本気というそ姿勢もまた、古くて新しいスタイルではないかと思われる。むしろこちら(熱さ)のほうが重要で、80年代から長らく続いていたシラケ世代は2001年あたりを境に終息しつつあり、70年代を最後に滅んでいたはずの愚直な熱さが求められる時代が復活しているのだ。アントニオ猪木が「馬鹿になれ」というフレーズカリスマ化したのも単にジャイアント馬場がいなくなったからというだけではない(主にプロレスと関係ない人たちに猪木が評価されているのだから。むしろ保守的プロレスファンは旧来のプロレスシステム破壊する存在である猪木を嫌っている。このあたり、CASSHERNの評価とも重なってみえる)。「馬鹿になれ」という熱くて愚かで泥臭い姿勢こそが、閉塞しつつあった日本の気分にマッチしていたのではないか。

 従来なら「大人げのない幼稚な愚直さ」と嘲笑のネタにされるような熱いキャラクターカリスマ化していく作品としては、「最強伝説黒沢」というコミックもある。この漫画の主人公の黒沢は、中学生と本気で決闘するようなどうしようもない中年なのだが、その必死さ、熱さが、周囲の人間(主に、シラケきった若者世代)の心をわしづかみにしていく、というストーリーのようだ。

 すでに我々には、冷笑や嘲笑で生きていけるほどの余裕が無いのだろう。すべてから距離を置き、自我を脅かすものすべてを嘲笑して生きていくライフスタイルは、「勝ち組」「負け組」が明確化されてしまった現代日本ではもう限界なのだ。そうなれば、道は二つ。「感動など、無い」「自分には何の値打ちもない」という悲惨な現状に気づいて、馬鹿になり、泥にまみれて足掻く道。もう一つは、「自分がこうなったのは、すべて、外部に責任がある」と犯人探しの旅に出る道だ。

 僕がCASSHERNを支持するのは、紀里谷監督製作姿勢そのものが、前者の道を示しているからだ。紀里谷の才能を持ってすれば、もっとソツなく、映像美とアクションに徹した娯楽映画を作ることだって可能だったはずだ。だが、あえてこんな熱くて泥臭くて人に嫌がられる映画を作ってしまった。というより、作らざるを得なかったのだろう。その過剰ともいえる熱さが、CASSHERN賛否両論喧々諤々と騒がれる原動力となっていることは疑いない。こんな熱い邦画は、しばらく見なかった。いったい、いつ以来なのだろうか。

 そしてこの映画テーマもまた、後者の道…「犯人探しの旅に出る道」を遮断するべくして設定されている。そして紀里谷は、それでも「犯人探しの旅に出る道」への抜け道を探そうとする人間に、抜け道すら与えない。テーマをそのままセリフとして喋らせることによって。つまり紀里谷にとっては、作品の映画としての完成度よりも、テーマを訴えることのほうが重要だったわけで、紀里谷はここでも熱い。

 このCASSHERNがどうしようもなく発散させている愚直さ、熱さこそが、実は人々に求めらていたのではないか、と思われるのだ。この映画は、冷笑させることを観た人間に許さない出鱈目な熱さを持っている。いやまあ突っ込みどころはあまりにも満載なんですが…あちこち破綻しまくってるし。だが、それだけでは絶対に済まされない映画なのだ。だからこそ、嘲笑で片付けられる人間よりもマジ切れする人間のほうが圧倒的に多いわけなのだ。僕は紀里谷監督に、もっともっと熱い映画を作り倒してもらいたい。僕自身は、熱さは持っていても、作品を作る社会的能力が皆無なので……。

(04/5/1 本田

2010-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20100811140431

どう人権がなかったっていうんだろ。

田畑永代売買禁止令とか、適応されてる間は農業に従事せざるを得ない身分固定の手段だし。

農地の質流れなんていう抜け道が出来たら出来たで、改正したり取り締まらずに小作農大量発生させてんじゃん。

田中丘隅や大岡忠相の上申も無視されてるしな。

日本には奴隷制が根付かない

おいおい、じゃぁなんで秀吉

「大唐、南蛮高麗日本仁を売遣候事曲事。付、日本ニおゐて人の売買停止の事。」

って発令の準備してたんだよ。

無礼

それこそ略式裁判で、量刑されてないじゃん。

それに無礼討した方の罪状は、「家中不取締」であって、無礼討自体が罪には当たらんよ。

2010-06-07

競争とは本来殺し合いであ

動物世界では、戦う理由はだいたいエサの取り合い、獲物をとるとき、

メスを巡ってオス同士が争う時ぐらい。

相手が負けを認める態度を見せるか逃走してしまえば、ほとんどの場合、、

深追いせず命まではとらない。(同種間の争いの場合

ところが、人間は闘争本能以上の競争を好む。

ほうっておいたら殺し合いに発展する。

1人殺すのは殺人、集団を組んで大量殺戮するのが戦争

だから、殺してはならないという教えが宗教に、

殺したらこういう処罰に諸せられると内容が法律に。

ただ、不思議なことに抜け道はある。直接手を下さなければ、

殺人が裁かれない例外もある。

経済というものを間に挟んで間接的に争い・競争し戦えば、

それで追い詰められた相手が自殺した場合は合法なのだ。

ゆえに社会化して高度になった人間頭脳や腕力を駆使して

抜け穴を探し出し殺し合いをする。

動物より、強欲で残酷だな。

2010-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20100604225356

そうやって抜け道作ってるからまとめて規制されるんじゃね?

2010-04-14

http://anond.hatelabo.jp/20100414184228

会社違法コピー

ちょっとカッとなってしまった、反省と同列に本来すべきじゃないとも思った。

そういやautodeskなんかガチガチオンライン認証で驚いたな…

確かに収束しつつあるのかも、と思うが、やはり抜け道はいくらでもあるわけで

マジコンの手の入り安さもそうなんだけど、結局それを買い与えてソフトを入れるのは誰か、なんだと思う。

パラダイムシフト技術側(人が作ったものは結局いたちごっこ)よりモラルルール側で起こるんだとは思う。

2010-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20100405233355

コンテンツを売る側の儲けが減るというのが一番大きいデメリットだろ

だから規制しても金のために抜け道を探して骨抜きにされてまた規制強化のいたちごっこになる

2010-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20100404185906

なんつーか、NHKは 契約の義務はあるが即時ではないし、罰則もない。という抜け道と一緒で

日本法律は元々、勉強した奴だけが得をするシステムになってるからな。

いやまぁ、携帯電話の料金システムも近いものがあるよな。

 

ただ、こういうのって、横のつながりでみんな知ってることだろ?

あと、青色は額が少ないと、手間の方がかかるので(いちおう、何年か帳簿保存しないといけないし、万が一のために領収書保存しないといけないし)一定以上の副収入がある人向けではあるけどね。

でも、額面が低いなら、白で十分だろうし。

そして、逆に額面が多いと、税務署の人が来るしね。流石にそうなると、一定額以上の節税は指摘を食らう。

所詮、小遣い程度だよ。節税できるのは。そしてそれは、だれにでもできるから、ある意味公平で、ある意味黙認されてると。

2010-04-04

http://anond.hatelabo.jp/20100404100658

まあ、抜け道があるから助かるって人がたくさんいるから、この国の制度は、簡単には変わらないと思うがね。

抜け道利益を得てる人の票とカネが政治を動かしてるからね。

殆どのひとが、この日本を良くするため、あるいは危機から脱するために何かしているのか? というとしていないんじゃないか。

ベーシック・インカム推進論者って今のところネットでぶつぶつ言ってるだけだからなー

ベーシック・インカム実施マニフェストにすることで、票とカネが集まることを政党に思い知らせないといけない。

そのためのハックがあるんじゃないかなー それを知りたいw

http://anond.hatelabo.jp/20100404093544

http://anond.hatelabo.jp/20100404093544

まあ、抜け道があるから助かるって人がたくさんいるから、この国の制度は、簡単には変わらないと思うがね。

http://anond.hatelabo.jp/20100404093544

日本保険制度は素晴らしい仕組みだと思うと同時に、抜け道だらけだな、と思った。

まぁそうなんだよね。

ベーシック・インカム推進派の多くが消費税を中心に据えたいっていうのも、一つはこの抜け道だらけの複雑な制度を単純化したいという意図があります。

逆に言えば、不公平な税制の解消のため消費税中心にすると出てくる逆進性の問題を、ベーシック・インカム、あるいは負の所得税で解消すると言ってもいい。

以下は脱税ですからやってはいけません。

こういうことが可能だと思いましたが、タイトルの通り、以下は脱税ですからやってはいけません。こういうことを考える人がいるといけないと思い、抑止力として書きました。参考にしないで下さい。お願いします。

<前提>

会社員であるAさん(35歳男性)は、WEBデザイン関係の会社に勤務しながら、個人でもデザインライター仕事を請け負っていたので、去年まで、雑所得として確定申告をしていた。

ところが、個人事業が順調で、収入も安定して200万超ぐらいになってきたので、開業届と青色申告承認申請書を提出して、事業所得で、青色申告を行うことにした。

考察

Aさんが、青色申告について勉強してみると、青色事業専従者給与というのがあることがわかった。

月に5万円を支払うと、×12で60万円。給与所得控除65万円を差し引けば、給与所得ゼロ円になる。父が無収入なら、東京都住民税の均等割がかからない100万円まで支払えばいいが、父は年金の雑所得があり、できれば基礎控除は使わない方が無難だし、65万円ギリギリまで支払うよりも、5万円というキリのいい数字の方が、給与として「それっぽい」感じであるので、5万円にした方がいいと思った。

税務署の人に「通帳を見せて下さい」と言われることもあると思い、手渡しではなく、記録が残っている方がいいと思い、銀行振込で支払うことにした。同一支店ならネット振り込みで手数料もかからないし。

父は、いつも使っている通帳とは別の通帳を持っているし、Aさんも事業用の通帳、いつも給与の口座として使っている通帳、さらに、ほとんど使っていない通帳の3つを持っていたので、父がほとんど使っていない通帳から、Aさんがほとんど使っていない通帳に、5万円をもらうことにした。

客観的に見ると、給料の5万円をバックしてもらっているように見えるが、父は「おこづかい」のつもりで、息子に支払っているだけであるし、Aさんも父から「おこづかい」をもらっているつもりだ。

ただし、税務署の人が、「給料が5万円支払われた後に、すぐに5万円バックがある通帳」を見たら100%、「これ、専従者給料払ったあとで、お父さんに5万円返してもらっているじゃないですか。」と言われると思うので、おそらく目に入らないであろう通帳を使うことにした。

青色の特別控除の65万円と青色専従者で60万円、合計で125万円の控除が、もれなくついてくることとなった。



(追記)

(※つながっているように読めて、紛らわしいですが、以下の<おまけ>は、上とは別のお話です。「やらないでね。」って書いてあるのでやる人はいないと思いますが、青色専従者になった人は、扶養控除の対象者になれませんので、注意して下さい。)



<おまけ>

父が退職し、年金生活者になったので、父と母を扶養に入れることにした。実家生活費を支払う必要があるので、使っている通帳と使っていない通帳を使って、行って来いである。生活費は、5万円も入れておけばいいだろう。ボーナス月には、10万円ぐらい入れておくか。

38万円×二人で、合計76万円控除、所得税の税率が20%なので、15万2千円の節税だ。

さらに、父も母も国民健康保険を払う必要がなくなるので、父も母もお金が浮く。

日本保険制度は素晴らしい仕組みだと思うと同時に、抜け道だらけだな、と思った。


<追記>

レスをつけてくれた人が、大事なことを書いていてくれましたので、上の文章のあいだにも「追記」を入れました。

書き忘れましたが、この<おまけ>と<専従者給与>は、同時に適用できないので、注意してください。大事なことを書き忘れてすみません・・・

と言っても、初めに、専従者給与については、「やらないで下さいね。」と書いているんで、やる人はいないと思いますがw

別々のお話として書いたつもりでしたが、確かに、自分でちゃんと読むと、両方つながっているように読めますね。。。

増田なんでと思って、適当に書いてましたが、ちゃんと読んでいる人がいたというのが、驚くと同時に、おもしろいなあって思いました。

2010-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20100331163021

どんな方法でやろうとも、完全にシャットアウトしない限り抜け道は必ずある。

仮に抜け道があったとしても、そこが大勢に見られている事が重要なんだよ。誰の目にも触れていないからこそ抜け道価値があるわけで。

でも教師は実際に手を動かさなきゃいけない労働者だ。それに対して部外の大人は気が向いたときだけ口出しをする部外者。

労働者にとってみれば、部外者を学校に入れることで、自分労働が増えるのに給料は変わらないんじゃ、入れる価値がない。

どうして部外の大人を「教師の足を引っ張る存在」という前提で語るんだ?そんな事言い出したら接客業なんて成立しないだろう。そもそも公務員労働者じゃなくて公僕だし。その辺は学校側も必要に応じて変わっていけばいい。現状の固定を前提に考えるからそういう発想になるんだよ。

教師の手に余る問題に対してタダで口を出してくれるんだから、これほどありがたい物はない。

当然、学校内の器物を損壊させたり盗んだり生徒に対して盗撮したりいたずらをしたりする人も出てくるだろう。

そりゃあ、そこにそんな人「だけ」しかいなければ、ね。しかし学校は大勢の生徒も居る。教師も居る。そして他の教室を利用する無数の大人達も追加される。そんな状況で物を盗んだり盗撮カメラを設置したりするリスクは非常に高い。部外の大人同士で監視させればいいんだよ。

また、教室利用申請時に責任者の身元確認を徹底したり、出入りの際に入校記録を取ったりすれば尚良い。

そりゃそうだ。閉鎖空間であることでもみ消せていた教師のほうの不祥事や問題行動ももみ消せなくなる。

じゃあなおさら実施するメリットの方が大きいわな。

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