はてなキーワード: 妄想とは
colaboの会計に不正があると騒いでいたのも元はほむらで、暇空は後からパクった
かつては既婚で子供もいたが、ネット活動に傾倒した末に妻子に逃げられて全てが仁藤のせいという妄想に陥っている
仁藤の高校時代の水着写真や、フランクフルトを食べている写真をフェラ顔として称してうpするなど、性的に貶める言動が多い
裁判ではフェラ顔として検索して出てくるAVなどの画像を提出し、男性器をしゃぶっている顔はこのようなもので、仁藤の写真が酷似しているからそう称したことに悪質性はないと主張
裁判資料なので当然仁藤もその大量のAV画像などに目を通しており、病んでいってる
仁藤はこれまではほむら裁判で普通に出席していたが、何故か今回衝立をつけてほしいと要求した
水着うpやフェラ顔について法廷で仁藤の弁護士に厳しく言われたことに腹を立てたほむらは、裁判中だからと止まっていたそれらの写真の拡散を再開していたのだが
裁判やっても止まらずにフェラフェラ言われることに仁藤はメンタル崩したのだろうか
裁判では、世間に顔を晒したくないとか加害者と対面したくないという性犯罪被害者が衝立を認められることがある
ほむらの仁藤への言動は猥褻性が高いが、普段顔出しで行動している仁藤が認められるかは微妙なところ
暇空裁判では暇空は顔も出せずに逃亡して敗訴不可避であり、対して仁藤は堂々と出てきて偉いという言説をよく見たが、
暇空のパフォーマンスは全部純粋な金目当てで仁藤を叩けば儲かると藤澤翔馬に入れ知恵されるまで仁藤の存在を知らなかったという
@Jogrruppe
「破滅に向かって進む人間の背中を無責任に推すことは残酷だ」と。
貴方が無責任にも、スペースで繰り返し、無条件に肯定し続けた相手は今、どうなりましたか?
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@_KamaNeko_
私はもう1ヶ月以上は暇空さんのことに、言及していないかと思います。
なぜなら、日本国内でも国外でも、暇空さんのこと以上に今は言及すべきことがあるからです。
堀口さんやColaboに関わることで、大きな動きがあればその時は言及するでしょう。しかし、ここ最近はそれらのこととは無関係の方と
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@_KamaNeko_
揉めている様なので、興味もありません。
暇空氏や暇アノンの方に対して正当な批判なら、それはなされるべきでしょう。しかし、暇空氏の空想で作られた煩わしい妄想に対してわざわざ言及するのは、批判ではありません。暇空さんや暇アノンの方を対象と
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@_KamaNeko_
したレジャーです。
暇アノンの人たちがつまらない事で他人を誹謗中傷するのと同じように、彼らからかって遊んでいるのだと考えました。
その過去については、私は恥じ入ります。批判とからかいは、別のものだからです。誹謗中傷には正当に対処が必要ですが、それ以上の介入は不要です。拠って、
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@_KamaNeko_
そのタイミングで赤木レイア氏にまとめ動画を作成されたことには驚きましたが、私の現在の心境を語るのには良い機会だと思いました。
暇空氏に関しては、その言動が正当であるか否か判断し、ある活動に対して不利益である、または個人に対して不利益で
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@_KamaNeko_
いたずらに両者を煽り、誹謗中傷を重ねることは当事者への不利益を加速させるだけです。
誹謗中傷に対してのみ、批判が行われれば良いと今の私は考えます。なので、私は現在のところ誹謗中傷に対して批判するほどの知識は持ち得ていない
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@_KamaNeko_
ため、ほとんど関わりません。
暇空氏及び暇アノンの方への批判は他のもっと論理的な方にお任せし、自分は自分の出来る別のことをします。
最初に述べたとおり、今の私には暇空氏のこと以上にやるべき事があり、彼等についての時間はないからです。
現状はこの通りです。
立憲民主党が蓮舫っていうカードを切ったのは正直微妙だと思っている。
雑な言い方だけど知名度ももともとあって好き嫌いがしっかり分かれている人だし、そういう対立候補支持を切り崩していかないといけない野党候補としてはどれぐらい現職や自民党支持者、無党派層を引っ張ってこれるんだろうというのが懸念してるところ。
なので、もっとふわっとした人を立てたほうがよかったのではと思ってるんだけど、そうすると共産党も別候補立てて相乗りにできなかったのかなあなんて妄想をしている。
自民が前のめりに小池支持をしているのは追い風で、いまの情勢で自民には入れたくないよねーという人が結構流れてきそうになってきた。でもやっぱり蓮舫はちょっと・・・ていう人も多いから結果的に投票率下がったりするかな、どうだろうね。
ラノベの魅力というのはある種の時代性と限定性だと思うんですよね。
特定の時期の特定の界隈以外ではあまり評価されていないようなものほど、ラノベとしての良さがある。
時代を超えて評価される作品は単なる「名作文学」でしかなくて、それはライトとは呼べないと思うんですよ。
『ライトノベルの定義』なんてものは、どうせあと30年もして5chも滅んでしまったら皆忘れてしまうでしょう。
その昔、そんなネットミームがあったという思い出の中に消える。
この「思い出の中に消える」という部分こそがラノベのラノベらしさだと思うわけです。
ある種の時代性と限定性とさっき言ったばかりなんですが、たとえば人類全体の中で感染症が途切れることなく飛び交い続けるかのようにいつも誰かが罹患している中二病があったとしたら、それは個々人の感覚では「アーサー王がめっちゃ好きだった限定的な時代」として存在すると思うわけです。
人類の中にいつからかずっとアーサー王伝説は存在するんですけど、それはいつの時代においても子供時代に憧れる英雄譚でしかなくて、大人になったらごく一部の人間を除けば自然と卒業するような物語だったと思うわけです。
魔術師に導かれ伝説の剣を引き抜いた若き王、奇跡と魔術と剣と聖杯、魔女の陰謀、集う仲間、崩れ去る絆、誰もが一度は憧れるような殿堂入り中二ストーリー。
どれが一番好きとは言わないんですが、ラノベの本体は読後に読者が綴る怪文書だと思っております。
子供部屋に籠もって妄想たくましく自意識をこじらせた者たちが、インプリンティング効果やウェルテル効果で電波ゆんゆんになって書き上げる承認欲求ダダ漏れのレビュー。
遊びの本を読んで、特に責任もないままに、勢いだけで一気に書き上げて、翌朝になって恥ずかしくなって消そうとするも、レビューにいいねがついているので消さずに残す。
そういった諸々に宿る安易でジャンクな薄っぺらさこそが最もライトな文芸なわけです。
舞城王太郎の小説を読むのは初めてだった。ブックオフで著書がたくさん並んでいるのだから、面白いのだろうと長年思っていた。それで、代表作であろう阿修羅ガールを読むことにしたのだ。
面白かった。ただしそれは小説全体の中盤、具体的には第一部が終わるまでだったが。主人公(アイコ)のキャラクターがしっかりと立っていて、貞操も倫理観も欠如した主人公が感情のままに刹那的かつ本能的に振る舞うのが一人称でまくしたてられていて、読んでいて心地よかった。
ストーリーも着々と盛り上がっていき、今後の展開に目が離せなくなる。主人公と肉体関係を持った佐野が失踪した理由は何か、アルマゲドンと匿名掲示板で呼ばれる青少年の暴動に主人公が巻き込まれていきどうなっていくのだろうか、といった具合にである。
しかし、第二部が始まり芸能人や政治家が何の脈絡もなく突然に登場してストーリーをひっかきまわしていくので、作者はヤケクソになったのではないか、ストーリーを収束させるつもりは無いのだろうかと困惑する。私は、00年代初頭に2ちゃんねる上で流行したガクトスレ(『はっきり言って、ガクト気持ち悪いです。』URL→ http://news4u.blog51.fc2.com/blog-entry-1371.html )を連想した。作中の匿名掲示板(2ちゃんねるが元ネタなのは明らか)でのスラングの再現ぶりからして、舞城王太郎はガクトスレに影響された可能性は高いと思われる。その後の展開でも第一部で描かれた丁寧な描写と打って変わって、リアリティの無い夢や妄想のような世界を大型文字を交えて描かれたり、突如主人公が変わって架空の世界でのホラー調ストーリーがファンタジー風に展開されたりと、メチャクチャな展開になっていく。例えるなら、リレー小説でそれぞれの作者が我を強く押し通して話を作り、落丁などをほったらかしにしたままに話をそのまま繋げたという感じだ。連載小説なら、設定やストーリーの根幹を軽視してその場の盛り上がりを重視するというのも分かるが、どうやらこの阿修羅ガールはそういう訳ではないらしい。
そして、第三部では第二部でのハチャメチャな展開を無理やりにまとめるが、それまでの展開を夢オチとするも同然の扱いだった。そうでもしなければ、話を収束させられないから仕方がないけれども。とはいえ、失踪した佐野に関するオチが全く無いのもどうかと思ったが。そして最後まで読んで、こんな小説が賞を受賞したのかと愕然としたが、三島由紀夫賞というのを目にして納得した。三島由紀夫の著書はまだ一作も読んだことがないけれども、WikipediaやYouTube動画から読み取れる三島由紀夫の人格を推測するに、思想の根幹が弱いわりに伊達な人生を貫いた人という印象だ。伊達な人生に命を懸けたという点で、ある意味では思想が強いとも評せられるけれども。それだけに、この阿修羅ガールは三島由紀夫賞に相応しいのだろうと、読了後に感じたものだ。
まあ、文学というのはこういう物なのだろう。「文学」というよりは「文楽」だろうと思ったけれども。つまり文を「学ぶ」のではなく、文を「楽しむ」だ。音楽を論理的に作ったり分析したりしている人を見ると、「音楽」というより「音学」という言葉がふさわしいのではと思うことがある。しかし、出版社主導によって商業的評価をもってして誉めそやされている「文学」という代物は「文楽」という言葉の方がふさわしいだろう。当作『阿修羅ガール』でも同様だ。
阿修羅ガールは、作品の根幹を成すストーリー・思想・価値観よりもその場限りでの文章の修辞的な技巧に重きを置いて、その技巧を楽しむエンタメ作品だ。こうした小説こそが、出版社主導の賞にふさわしいのだろう。そして、こうした小説を生み出せる人が、商業作家として大成していくのだろう。
なんだかんだと文句を書き連ねたような感想になってしまったが、それも最後まで読み切ってしまう楽しさを持つ小説だからこそだ。楽しさの無い小説など、途中で読むのもやめてしまい感想を書く気にもなれないのだから。
男は若い女が声を上げると
レイプ予告するじゃん
それをやるくせにしれっと
「いやいや若い女は声をあげてませんからねえ(声をあげたら殺すぞ)」
ちなみに若い女にもお前らの習性はバレているので遊んでもらえない
誰がお前のこと好きやねん
その程度の常識も無いんだねやっぱり。
コミケで1部も売れない同人文字書きも単著作家って言うか?言わねえだろ。
国立国会図書館に納本したって、ランダム文字の『亞書』の作家は単著作家って言うか?言わねえだろ。
ブス腐女子の妄想だろうから、そんだけラブライブが嫌いなんだろうな。
性格最悪のルッキズム糞ブス女が嫌いなコンテンツが、男キャラ出ない作品。
男キャラ出さないことによって、こういう屑ブス女に報復できる。
やらないと、どこまでも増長していくよ、こういうブスどもは。
チー牛ブス女マジで殺す
女は、本当にごくたまにブスって言われるだけで被害者ぶってるくせに、男の容姿叩きはこれだけ横行してても、こんなゴミブスが妄想扱いしただけで存在しないことにできる。