はてなキーワード: 収束とは
>こういってるのが全てだと思うんですけどね。
>4000万使ってボラリティを下げて運用するくらいなら、100万でボラリティのある程度あるシステムで運用した方が良いのでは?と。
>この場合、運用自体のリスクがどちらが大きいか、と言うことに大きな違いは無いと思いますので。
>ただ、同じ資産無いで、同じリスクがあるものに分散した所でリスクは同じです。
>http://assetsplan.net/bun-shi/6borathi.html
>例えばこれとか見て分かる通り、全く同じ確率の物に分散したところで、リスクだけ下がって平均収益は保つ、なんてことは出来ない。
>分散投資のメリットは、様々な特徴を持つ株や他の商品に分散することで、
>もう一つ、例えば1000万の株1つにかけるより100万の株10個に分けたほうが、1日単位で考えた時、1日で10回試行している様なものだから
>それをある意味でボラリティの低下、ということも言えるかもしれないが、いわゆるリスク、振れ幅自体が小さくなっているわけではない。
こういっているのがすべてです。
>後のことに関しては色々仮定があるのでもういいです。
>そもそも同一金額をかけるのか分散に必要な金額がいくらなのか、
>対象がどの程度あってそれぞれがどの程度のリスクなのか、
>に大きく寄るので。その辺りで根本的に前提の違いがあったみたいなので、
上にある通り、これらの前提に違いはないにも関わらず、君は間違ったことを言っています。
ちなみに、同一金額かどうかについてのみ、そちらから言及がありませんが、私の方から分散投資にするかどうかで、投資の総額をかえるべきでないと、しばらく前に言っています。
そちらでも単位に%を使うあたり、金額ではなくて金額の比率を扱っているため、投資総額が一定という前提があることが推測されます。
それ以外の前提についても、こちら側でも明確にしています。
ですから、それらの前提に違いはありません。にもかかわらず、リスクは同じだと言い張っていたのです。
>等しい分散を持つ分布を畳み込んだ場合に分散が独立でない場合に比べ
これも間違いです。もっともボラティリティが低くなるのは、独立とはもっともかけ離れた、相関-1のケースです。
独立であるという仮定は、ボラティリティをどのくらい下げるかという点に関して、純粋に確率統計の議論としては、おおむね中立的な仮定なんです。
>適当に分散するのは、単に手を広げて管理の手間が増えるだけだろう、
>と言ったことです。
あなたが実際に何度も言ったことは、上にある通りそれとはかけ離れた主張ですが・・・。
まず、分散したらどれだけリスクが下がるのか?について議論するなら、ようやく単なる理論を超えて、実際の数値が登場することになります。
それはそれとして、適当に分散するのがよくないのは当たり前です。
>ETFでも良いですが、ETFが同じ平均収益があってリスクが低いものであれば
>なぜ皆がそれをやらないのでしょう?そこに尽きると思います。)
そもそも個別株をやっている人自体が少ないので・・・仮に個別株よりずっと得です!といっても、皆が皆やるわけではないでしょう。
定期預金よりリスクの高いものには手を出さない人もいれば、投機的なまでにリスクがあった方が面白いという人もいますから。
>変数どうのこうのですが、この様に式建てて分かりやすく、後の数値計算をしやすくするために
>行っていることはご存知ですよね?
いずれも間違いです。変数を使って、数学的な議論だけでわかることもたくさんあります。
今回あなたが何回もやっている間違いは、ちょうどそれにあたります。
過去のデータを使っている限り完璧ではないみたいなことを言い出したので、そういう話ではないことを強調しました。
>あなたは、数値はどうでもよい、さらにドリフト項など過去の分布から求めるものではない、
>と繰り返してきましたが、それは変えませんか?(カエルも何も無いんですけど。)
というのもおかしな話で、もちろんもっと込み入ったことを考えるときには、数値だしますし、それは重要です。
しかし、まず過去のデータに依存せずに、論理的または数学的にはっきりわかることを確認するのには、大きな意味があります。
それにしても、単語だけググって知ったかぶりしているのかと思うレベルのミスばかりしている人が
>要するにすべてあんたの"思い込み"だけじゃないか。
>それに対して、あなたは数学的な根拠もあるかのようにドリフト項だの出してきたが、
>それでも信じるのは自由だが、いい加減な事を言うのはヤメてください。
>内容も何も分かってないのに平均収益だのドリフト項だの言ってることはよくわかったからもういいや。
>この様に、何も分かっていない人間が、さも分かったふうなふりをして
とか言えるって、すごいですね。どんな人なのか少し興味があります。
例えばwikiによると
こんな感じの計算式で特徴付けられる、との説明があるんだけど、こういうのは意味ないんですか?
これらは明らかに過去のチャートなりから求めるしか数値的に表現出来ないのですが。
それとも、結果を見て、あとからプラスだったから俺は正しかった、とか後付の根拠を付けるだけですか?
要するにこういう計算自体はどうでも良くて、どっかツールに突っ込んでそれがプラス化マイナスと出るか、
もしくはあなたがプラスかマイナスか決めて投資するんでしょ?そんな人にどうこう言われてもね。
これもひどいね。
要するにすべてあんたの"思い込み"だけじゃないか。
そういう思い込みだけでやってる様な根拠のない分散投資をやるくらいなら
無駄に手を広げずに管理出来るような範囲でやった方が良いのでは、というのが最初のこちらの話ね?
それに対して、あなたは数学的な根拠もあるかのようにドリフト項だの出してきたが、
それでも信じるのは自由だが、いい加減な事を言うのはヤメてください。
例えばこれとか見て分かる通り、全く同じ確率の物に分散したところで、リスクだけ下がって平均収益は保つ、なんてことは出来ない。
分散投資のメリットは、様々な特徴を持つ株や他の商品に分散することで、
もう一つ、例えば1000万の株1つにかけるより100万の株10個に分けたほうが、1日単位で考えた時、1日で10回試行している様なものだから
それをある意味でボラリティの低下、ということも言えるかもしれないが、いわゆるリスク、振れ幅自体が小さくなっているわけではない。
階段的に一気に振れることがもう少し細かく段階的に変更されるだけ。
0170前後:宇宙戦国時代が本格化。民間、退役軍人を中心としたイルミナーティの前身組織が発足
0200前後:秘密結社イルミナーティが発足。紛争が多発する各コロニー間の調停役・警護団としての活動方針を決定
0217 :連邦政府が強行政策に反発した各サイドに対し制圧を開始。各コロニー駐留軍との高烈度紛争に発展
0218 :連邦政府が事実上崩壊。スペースコロニーがスペースセツルメントに改称
地球圏はセツルメント国家議会、セツルメント自由同盟の2大勢力に分かれる(※)
(※)地球政府と親地球派サイド2、3、5、7がセツルメント国家議会(CONSENT)を形成
サイド2→旧ザンスカール帝国
サイド7→旧グリプス勢力
月およびサイド1、4がセツルメント自由同盟を結成、どちらにも属さない独自組織もある。
:サイド8ガイアへ議会軍が侵攻、イルミーナーティの調停により事態は収束。サイド8独立
まっつねのアニメとか作画とかが、つい最近ブログ内で歴代最高のブクマ数を叩きだした。
それがこの記事だ
久々に絶望感を味わった
一昔前(2003年~2007年辺り)は真の意味で作画的に見所のあるアニメが奇跡のように連発し、それに伴ってアニメ作画の考察や啓蒙を目的としたブログが数多く乱立した。(以下、作画系ブログとす)
その代表格が「あんていなふあんていダイアリー」や「電源を入れてください~都市ノォト~ 」とかだ
今はどちらも更新停止状態だが、自分は今でも作画系ブログといえばこれらを真っ先に思い出す
作画系ブログの乱立は、この時期のアクエリオン第19話やSAMURAI7第7話などを発端とする、ネット上における「作画崩壊厨」とか「萌え豚」とか言われる無知を盾にした傍若無人な連中のアニ
メーター叩きに対してのカウンターの意味合いも多く含まれていたはずだ。
(電源を入れてください~都市ノォト~ 森久司&奥野浩行コンビに対する,ちゃねらーの容赦ない反応)
そしてどうしても忘れてはならないのがkanose村長の「ARTIFACT-人工事実-」
別にそこは作画系ブログではないのだが、松本憲生作画で今でこそ有名なNARUTO第30話をリアルタイムで真っ先に紹介していた( 『NARUTO −ナルト−』第30話「蘇れ写輪眼! 必殺・火遁龍火の術!」 : ARTIFACT ―人工事実― )
これが作画系ブログの始祖とも言える内容。キャプ画でアニメを紹介する文化は既に根付いていたが、作画オタ的な啓蒙記事でここまでやったのは初めてだったと思う
アクションカットの特にインパクトのある画を並べさらにgifアニメで動いている所を見せ、キャプションまでつける。
それまでもネット上での作画オタの作画語りは多数存在した。「沓名設備の「作画オタク的日記」などがそれだが、完全文字ベースであり、内容も備忘録のようなものなので、一般的なオタが読んだ所で何も感じはしないだろう。(※1)
ところがどうだkanose氏のこの記事は。これほどまで広く解りやすく作画の凄さが伝わる方法は、作画系ブログ乱立時代に多くの所で真似され、作画記事のフォーマットとなった。
kanose氏のこの記事でNARUTOにもの凄い作画の回がある事を知った人間は想像以上に数多いのではないか?色んな意味でブレイクスルーとなった記事だった。
作画系ブログではない、とは言ったものの当時のkanose氏はかなり作画オタ寄りであり、他にも作画啓蒙記事を多く書いたし、こういう今でもダメな作画オタがよく繰り出すジョークもすでに
やっていた→ アニメスタッフに多い名前 : ARTIFACT ―人工事実―
その後、2chの「作画を語るスレ」から作画MADが生まれ、作画@wikiが設立され、一大作画ブームが巻き起こった頃にkanose氏はこんな記事を書いた。
まったくもって耳が痛い内容である。大勢の作画オタクを生み出した記事を書いた人間にこう言われてはぐうの音も出ない。作画ブームはこの辺りがピークとなり、あとは徐々に下降線をたど
っていった。
で、そんな作画ブームの収束期に始まったのが「まっつねのアニメとか作画とか」だ。
作画系ブログとしてはかなり後手だしあんていなふあんていダイアリーや水池屋無呂具堂とか流星、夜を切り裂いて ~FLY HIGH~とかに比べたら考察もデータベースとしても劣る内容だ。だ
が別にまっつね氏が作画ニワカとは思わないしひと通りの知識は備わってる人だとはわかってる。何よりほとんどの作画系ブログが更新停止状態にある中で今日まで継続してコンスタントに記
事を書き続けている貴重な存在として一定のリスペクトは持っていた。そして徐々に閲覧者が増えてきたのか、平均でも20~30ブクマはつくようになっていった。
だがそれに比例して、何となくだが(特に今年入ってから)妙にある方向性に恣意的に書き立てるようになっていった印象がある。身も蓋もない言い方をすると"バカを釣る"ような記事をよく
書くようになってきた。アニメについて良く知ってもいないような連中のか細い知識欲を刺激して注目を浴びるような、karimikarimiとかがよく使う手をまっつね氏も使うようになって来た。
そしてつい先月、まっつね氏のブログ史上最高のブクマ数を叩きだした記事が前述のこれだ。
あのさぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(怒)
はっきりとした絶望を感じたよね、まさかこんなくだらない記事が「まっつねのアニメとか作画とか」の最高ブクマ数なんてさ
ちょっと前にも大匙屋さんがこの記事を書いて(あずまんが大王 第04話のプール表現。と、その先 - 大匙屋)、ブクマ数500以上の超大台
を叩きだして、まだまだ作画系記事はイケるぞと思い込んでいた。この記事は岸田隆宏という実に捻くれた作オタ好みのリトルメジャー的人選を題材にして、(※2)ここまでの注目度を浴びた
のだから、人々(ニワカ)に作画の素晴らしさや尊さを伝える記事は全然廃れちゃなんかいないと実感した。のだけど、今にして思えば大きな勘違いで、この記事に注目してる奴等は岸田隆宏
に注目したわけじゃなくて寒天プール云々のエセ薀蓄のほうに食いついたわけで、これも"バカを釣る"要素が含まれてだったのかと。個人的意見を言わせてもらうとアニメバブルによる疲労と
寒天プールの台頭は特に関連性は特に無いと思うし、アニメーターの作画技術に絡める話題でも無い気がする。作画云々で言ったらし寒天よりも水しぶきの塊が空中で雑に消滅する方がよっぽ
ど気になるし、しかしそれを言ったら今も昔も凄いのは凄いしショボいのはショボいという事でいいと思うが、そんな事よりも岸田隆宏という途方も無い能力を持った"アニメーター"を知らし
めてくれた事の方に感謝の念を覚えたので寒天云々の是非についてはどうでもいいやとすら思ったのです。でもやっぱこの記事に注目してた連中は寒天がどーたらの部分を見てたのだろうし、
画像スライダーの物珍しさしか見てない奴も多かっただろう。500ユーザーのうち何割が岸田隆宏の名前を覚えてくれたのやら、半数以上はもう忘れちゃってる頃じゃねーかな。
結論としては、
作画系ブログはとっくに終わってました。作画オタクの時代も来ません。いくらアニメーターや作画を啓蒙したって無駄です。そこにいるのはバカしかいません。
(※1)
「沓名設備」は現在アニメーターである沓名健一(作画@wiki - 沓名健一)のHP。ここのBBSはネット上の作画マニアの溜まり場の元祖であり、そこにはNARUTO以前から松本憲生の熱心な追っかけみたいな人がいた。
その人物、HN:中古マニア氏が2002年までの松本憲生の仕事を網羅したリストを作り、その上に注釈や見所などのコメントを付けた資料的価値のもの凄い投稿をしていた。作画@wikiが生まれる約5年前だ。
あまりに凄いのでログから該当箇所をjpgにして置いておく。これは見てほしい。アニメ様こと小黒祐一郎も驚嘆のレスしているのもポイントだ。
http://dl1.getuploader.com/g/butagoya/13/noriomania.jpg
(※2)
まどかマギカとかでもう有名だろーがという声も聞こえてきそうだが、あんなん岸田隆宏の魅力を語る上では100分の1以下も伝わらないような作品だ。総作監の谷口淳一郎のほうがまどマギを
代表作と呼ぶに相応しい。
確率分布が不明で、発散する確率が0である場合も考えられるので、その両者を合わせた期待値が無限大になるとは限りません。
「無限大に発散する」可能性が残った場合には、期待値のレンジに無限大が含まれてしまった場合、期待値を無限大に置かざるを得ないでしょ?
子、孫、ひ孫と進めば進むほど、出現確率は下がるんですよ?
まず、開始ノードの期待値への寄与は、そのノードの期待値×そのノードの出現確率です。
いくら枝が無限個あろうが、ノードの出現確率がゼロに収束していくなら、開始ノードの期待値が無限大に発散しないことはいくらでもありえます。
ちなみに、この「子供の再生産」は無限の再帰なので、子ノードが発散すれば親ノードも必ず発散します。
冷静に考えてください。
構いませんよ。その数値が社会が要求する数値であるならば、その数値に基づいて計算して、社会が否定できるわけがないので。
社会という枠組みの上で争うならこれで十分です。
出生率が1.4あたりをうろうろしている今の日本では、共同体の維持拡大は既に絶対正義ではありません。
人口の減少を念頭において政策を考えることも多いです。理想ばかり追いかけていては、崩壊が早まるだけですから。
「不定」ってのは、夫婦に生まれるこどもの数の期待値が不明だから不定、というか不明なだけで、夫婦に生まれる子供の数の期待値が出せるなら一つの枝の期待値が発散するか有限値に収束するかは計算できますよ?
新宿駅の構内で二人の男性がケンカをしているのに仲裁を入った事があります。
すごい剣幕で怒っていて殴りかからんとする勢いをみてさすがにコレは止めないとなぁと思いました。(当時の私は岩手と言う田舎から出たばっかりの初心な少年で、今はそんな事はできない)
怒っている人は関西弁の30代の男性、怒られているのは同い年くらいの大学生でした。
胸倉を掴むその人を何とか剥がして、話を聞いた。
ぶつかったおじさんに謝りもしない学生を注意したら、反省の色も無く言葉だけ落とした。誠意を見せてもらう為に土下座しろ。という事だった。
新宿駅の構内で土下座なんか出来るものかと言いたくなる気持ちをグッと堪えてなんとか説得してると、今度は学生が「あやまってんじゃん」とゆとり世代を代表するような逆切れをし始めた。
関西弁のおじさんは「てめえ、殺したろか」といって殴ろうとし始めた頃、やっと40代くらいの駅員さんが来て、「警察呼びますか?」と話し始めるとだんだん話は収束し始めた。
その後、やっとケンカが終わりかえろうとする僕に駅員さんは
大学生の彼は「ついてないわー、意味わかんないわ」と呟き捨てると早々帰っていった。
関西弁のおじさんには「こんなクズのためにようがんばるな、兄ちゃん」と言われた。
なんかすっきりしない気持ちで帰った。
別にヒーローになりたかったわけでもないし、感謝されたいからやったわけじゃない。
ただ単に人が殴りあったり傷つけあったりそういうのを見たくないだけだった。直感で助けた方が良いんじゃないかという心に従ったまでだった。
良かれと思って行動した事が邪魔といわれ、無駄な努力をしたなと言われた気がした。
というただのチラ裏な話。
人と話していて、どうしてもテンポが合わない時がある。
大抵、自己完結してこちらの話を聞いてくれない人。
内省するのはいいけど、もう少しこっちの意思をリサーチしてよね、って思う。
きっかけは些細なことで、最初は不満を飲み込もうとしたけど、やっぱり無理!ってことで。
「あなたの言葉に傷ついた」って本音に、「今いろいろ忙しくてしんどい」という気遣いの嘘を混ぜて伝えた。
返ってきた言葉は、こちらが思ってもいない方向の反省と、仕事に対する理解の言葉だった。
確かに、「他のこともしんどい」という嘘を交えて、言葉が強く伝わりすぎないようにしたのはこっちなんだけど
こちらが本当に何をつらいと思っているのかを、あらぬ方向で勝手に理解したように振舞われると、あからさまに拒絶されるよりも辛い。
「あなたの言いたいことはわかってるよ」って顔されながら勝手に話を収束されるのは、途方もなく突き放されて掴むものすらなくて
ゆっくりと殺されてく感じがするんだよ。
収束して欲しいとかその辺は何とも思わない。(どうせ別の話題が来たら流れるしね)
第三者があーだこーだ言ってひっかき回してるのがうざいなーって程度
支えあって生きるなんて、幻想。
一人でろくすっぽ生きられない二人が一緒になっても二人とも沈没。
片方がまともでも、片方がおんぶにだっこ。
支配したがりとされたがりのカップルか、引っ張り回したいのとひっぱりまわされたいカップルか、この2種類以外に収束するところはなく、真性のド変態でもないかぎりそのうちパンク。
心のどっかでな、甘えてるんだよ。
だれか助けてくれるとかな。
そうすればまともになれるとか。
でもそんな人がいるわけがないとか。
いざ手を差し伸べてくれる人がいたら、際限なく要求がエスカレート、些細なことで沈んだりブチキレタリして。
そして、やっぱり私を助けてくれるひとなんかいなかった。
とか言って自己嫌悪。
で、どん底に沈んでるのに、また誰か助けてくれると思ってる。
クソ女など犬に食わせてしまえ。