はてなキーワード: 原液とは
炭酸水が好き。お茶のあっさり感&ノンカロリーと、炭酸飲料のスカッと感を兼ね備えた究極の飲料、それが炭酸水だ。
ドリンクバーに行くと、炭酸水の取り扱いについて、だいたい3パターンある。
③炭酸水なんて置いてない。
この3つだ。①は殊勝な心がけだ。②は寛大な心で許そう。③は絶対に許せない。死んで詫てほしい。許してはいけない。だっておかしくない?そりゃ、グレープソーダがほしい、無い店はおかしいなんて言い出したら、お前みたいな異端派のために商品増やせるかボケ、ってなるかもしれない。でも炭酸だぞ、炭酸。
いや、たしかに炭酸水をそのまま飲む奴はまあまあ異端派かもしれない。でもそれはさほど問題ではない。だってドリンクバーって原液と炭酸水混ぜて出してるだけじゃーーーーーーーーーーーーーーーん。炭酸水だけ出せばいいじゃーーーーーーーーーーーーーーーん。できるじゃーーーーーーーーーーーーーーん。
なんなんだよ。原液いらんから炭酸水だけ出せや。なあ。コップ置く位置を調節して炭酸水だけコップにキャッチしてやろうかって思うくらいだわ。いい大人だからそんなことしないけど。混ぜるんじゃねーよまずい原液をよ。わかったら明日から炭酸水ボタン増やせよ、な?
料理には人んちの味ってのがある。市販の味そのものだったり、薄かったり、やたら張り切っていたりする。好みに合うかどうかは別にして、よっぽどでない限りは「そういう文化」として扱っている。
お茶やコーヒー。時に最初から砂糖だのミルクだのを入れたのを供する家庭もあるが、基本的には角砂糖スティックシュガー等で各自調整させれば良い。問題はココアやカルピスである。作り方が単純で、濃度をこちらが調整しなければならないものたちだ。
友だちんちのカルピスの濃さ、それは小学生あるある。しかし実際に自分が供する側になると、これはなかなかに悩ましい。普段の濃度――カルピスの風味をギリギリ損なわない経済的かつ飲みやすい薄さ――ではダメだろうから濃くしなきゃならない。しかしどの程度にすればノドに塊が溜まらないのか。カルピスウォーターではまだちょっと濃いと思うのだ。ああ、カルピスウォーターを買えよと言うのか。原液を常備しているのにわざわざ買って来るのはシャクにさわるじゃないか。
ココアもウチじゃ砂糖は別に加えるタイプだから、どれくらいが普通なのかもう全然わからない。家の味はこうですとデンと構えていた母親のクソ度胸は大いに見習うべきだったとつくづく思う。あと、世の中に薄味がもっと広まればと思う。
会社の忘年会帰り、上司に「キャバクラ行くか~」って言われて付いていった。上京して二か月の私はキャバクラ初めてで未知の世界、しかも今回行くのは所謂熟女キャバクラ、、、どんな化物が出てくるんだとか思って入店。
熟女キャバと言うだけあってボーイもおじいさん、不安になりながら上司と席に着くとやって来たのは見た目30代の女性、美人のお姉様って感じで逆にビビった、周りを見渡すと同じ感じで30代が多く40代ちょっと行ってそうな女性も居た。
私と上司はハイボール嬢は花月を注文、中央にハイボールの原液と氷の山そしてほっそい花月、こうやって嬢がどんどん頼んで稼ぐんすね、、、って考えてた。
乾杯の後は上司と私と嬢の三人で他愛のない会話、どんな仕事とか出身とか趣味とかそんな感じ、熟女キャバだけあって他愛のない話でも嬢が話膨らましてくれるしどんどん話振ってくれるから助かる流石話術のプロって感じた。
今回は上司の支払いで、退店間際に嬢から「いつか上司になったら後輩を奢れるようになりなさい」と言われ仕事頑張らないとなぁとか思ってた。
初めてのキャバクラでしかも熟女キャバで不安しかなかったけど、熟女ならではの経験豊富な話術で楽しかったしまた来ても良いかなと。
全く進まない話、主人公と敵キャラがひたすら大した奴だ…と言われ続けてるのにとても低レベルな頭脳バトル、キャラから作者の操り糸が見えるかのような展開。
素人が自分の賢さを見せつけようと無理に拗らせた話を作った時に陥りがちなミスが目白多しだ。
雑なら雑なりに話を進めて押し切ればいい、丁寧に描写するなら話の密度をその速度に合わせて濃くするべきだ。
普通の人間が薄い話をダラダラ進めてもオサレじゃないBLEACHにしかならない。
BLEACHが面白かったのはカルピスの原液自体はそこそこの濃さがあった事と薄めていたのがただの水ではなくミネラルウォーターだったからだ。
こんなただ薄いカルピスを水道水で薄めているだけの漫画じゃ20週で打ち切られるのは間違いない。
そして恐ろしい事にこのペースで続けた結果20週しても全く物語は進まないだろう。
それこそ孤児院の中でダラダラと作戦会議をしては「これはもしやまたママの時間稼ぎか」「まるでママ博士だな」「大した奴だ」と言い合ってるままで終わりの時を迎えるかもしれない。
せめて脱出はして欲しい。
あのベルモンドですら一応地下室からは出れたのだからせめて最初の踊り場までは打ち切りの前に辿り着いてくれ。
読者が抱えているこの不安を作者は分かっているのだろうか…。
もちろん比喩ではない。
私は最寄の駅にあるコンビニで、40度のウイスキー二本と梅酒と炭酸ジュースを買って家に帰った。
そして「次に死にたくなったときのために」ととっておいた向精神薬(よく覚えてないが、ストラテラやジプレキサ、トリプタノールなど10種類くらいあったと思う)を酒で煽るように飲み込んだ。
私は夫が自室に入ったのを見計らい、薬・酒・財布・電話だけを持って逃げるように家の近くの公園に走り込んだ。
そこにあったベンチに座り、なにも考えず、とにかく飲み続けた。
私が覚えているのはそこまでで、気がついたら家の布団にいた。
私は驚愕した。酒を飲んでいたのは金曜日の話で、土曜日がなくなっていたからだ。
夫によると、公園で倒れていた私を誰かが通報したらしく、警官が私を家まで連れてきてくれたそうだ。それからずっと眠り込んでいたと。
もちろん、そんなことは一切覚えていない。
夫は泣きそうな目をして、君が生きて帰ってきて本当によかったと言った。一言も私を責めることなく、泥まみれになった私を洗い、トイレに連れて行き、ずっと私のそばにいてくれたようだ。
私は今、正規の社員として勤め、そこそこの収入があり、優しい夫がいる。
それでも私は、会社で同僚に言われた一言に激しく傷ついた時、「これがきっかけで、やっと死ねるのではないか」と一種待ち遠しい気持ちになったのだ。
私が初めて死にたい気持ちになったのは小学生の時だった。当時見た「シックスセンス」の中で、母親が食事に洗剤を混ぜて子供を殺害したシーンをみて、「これだ!」と天啓を受けた気持ちになった。
私は観賞した数日後に、台所にあった味噌汁の中に洗剤を混ぜて飲み込んだ。何かに混ぜなければ、原液ではとても飲み込めなかったからだ。
だが、私の身体には何の変化も訪れなかった。
その後も、友達とふざけたふりをして体育館のギャラリーから飛び降りたり、完全自殺マニュアルを買って首吊りを試みたりした。
電気の延長コードがカバンの中に入っているのを見た友人は不思議そうな顔をしていたが、まさか何時でも首を吊れるように持ち歩いていたなど知る由もないだろう。
自殺を試みていることを人に言ったことはない。 身体に跡が残るようなこともあまりしない(リストカットなどは考えたこともない。あれ、死ねないらしいから)。
自己啓示欲でも本当に迫れているわけでもないなら、私は何でこんなに死にたいのだろうか。
私が発達障害者だからだろうか(でもそれならこの世に発達障害者はいなくなってしまう)精神科にはずっと通っているが、はっきりしない。
きっとまた、私は死にたくなるのだろう。
ブコメで「嫌なことから逃げ出したいけど確実に死ぬのも恐いから不覚時な方法をとって死ねたらラッキーくらいの気持ちなんだろう」とつきそうだし私もちょっとそう思う。
「うるさい、余は初陣であったのだぞ」
「はいは一回にせぬか。だいたい左翼に比べて右翼がふがいないのが――」
「まあまあ、そのあたりで……」
地味な増田家(五)の当主が最高司令官と軍師の言い争いを止めた。
彼がいたことに驚いて、二人は口をつぐむ。増田家(五)の当主は汁をおかわりした。
増田連合軍は敵味方あわせて三十五万の大合戦に敗れたが、そこからしぶとく反撃を開始した。
気がつけば、北の増峠は増田騎馬軍団に封鎖され、西は増田軍の本隊が、南は後衛部隊が何とか押さえている。
敵にゆいいつ残された東は増田島の脊梁山脈とその麓にうずまく樹海であった。
増田騎馬軍団は愛馬を屠って生肉を食べる状態になっても戦い抜き、北方異民族の連絡や離脱を阻止した。
南の後衛部隊も同様であり、彼らは補給線に繋がっているだけ抵抗が容易かった。
いわば増田連合軍は「常山の蛇」となり、増田騎馬軍団が叩かれれば本隊と後衛部隊が、
後衛部隊が叩かれれば本隊が、本隊が叩かれれば後衛部隊が味方を援護した。
そして、異民族軍が入り込んだ樹海の中には緒戦で追い散らされた武熊たちが巣くっていた。
蛮族は獰猛な熊たちに急襲され、眠れない夜をいくつも過ごした。
「やっぱり武熊は頼りになるのう」と手のひらを返す増田もいたが、
増田の誇る忍者たちもこの「狩り」に投入された。増田家(四)の軒猿たちもおり、オールスター状態である。
ある日、薄暗い森の中、武熊さんに出会った侵略者は恐ろしい恐ろしい勢いでしとめられていく。
「を書くを書く」
発泡する元ソースにはバミューダトライアングルにおける魔の海水のごとく浮力がない。溺れる蛮族は沈んでいった。
その隣では蛮族が熱湯落ちして煮られていた。
野営地を小さなかわいい影が走り回っていた。気がつくと、蛮族は寝首を掛かれ額に「うんこ」と札を付けられていた。
瞳を閉じた忍びが突撃してくる蛮族の前に立ち、至近距離で不気味な目をかっと見開いた。
目が合った敵の動きは硬直し、忍びが呪文を唱えると、一枚の何事か書かれた紙切れに化けてしまった。
ブチの忍犬は茂みに武熊たちを集めて語った。
「この円い鳥たちはな、みなワシが描いたのじゃ(手裏剣ください)」
興奮した武熊たちは習合すると合体して熱い鳥になり、羽ばたき一つで異民族を吹き飛ばした。
七連手裏剣と山彦手裏剣から逃げる蛮族の前に全裸の小僧があらわれた。
「けいお、しっこうする!!」
その忍者の姿は見るたびに次々と変わり、本性を確かめるすべがなかったが、忍者としては普通だった。
ある場所では夏なのに完全凍結した蛮族の死体が大量に発生した。
「うーむ、ふーむ」
「にゃにゃにゃにゃなーん(ご主人様の顔なんてもう忘れたのにゃーん)」
探検隊をも壊滅させる力をもった熊猫部隊は、その熊猫の一匹に数えられただけでも二百匹を超えた。
彼らは第六指で異民族をつかんでは投げつかんでは投げしていった。
その忍者は増田忍者には珍しく五方手裏剣ではなく、四方手裏剣を用いた。
いや、よく見るとそれは十字の切れ込みが入った乾物であった。
「たべものをしいたげるな!」
メガネをかけた好青年が木の陰から蛮族をみつめていた。みつめ続けていた。
「20162016!」
好青年がどこまでも追いかけてくるので、蛮族の世界はいつしかモノクロに染まった。
「~~」
「忍者検非違使です。本来、忍者の呼称が現れるのは近世になってからです。軒猿も同時代資料では言われていません」
森から延々と引き出される北方異民族の死体をみて、床几に腰掛けた当主のひとりがつぶやく。
匿兵衛が答えた。
「増田島におけるいくさとは本来このようなもの。それでも上様方はもっと御覧になりたいと仰せられるか?」
アルファマスダたちは揃って首を横に振った。
別の場所では女神?が現れていた。彼女は低音から高音までノイズのない深みのある声で言った。
「ぼいんは必要ないのです」
パァアアアアと光が異民族たちに突き刺さり、ヒンニュー教に改心した彼らは増田軍に降伏した。
「神だ!神が降臨された!!」とカラトラヴァ騎士団は大騒ぎした。
その時、増田左混はめずらしく言葉の通じる蛮族と対峙していた。
「俺は降伏しないぞ」
傲然と胸を張る敵を左混は一喝した。
「武装をつけようとする者は、武装を解く者のように誇ってはならない」
合戦から六日目に、晴れ時々鯖が降った。傀儡使いのまじかる系軍師はそれを吉兆と占った。
事実、北方異民族は完膚なきまでに壊滅したのだった。増田領(一)の奪還がなされるのは、一月後のことである。
自意識過剰の金髪縦ロール忍者は化粧に二年五ヶ月、自画像の角度とかの調整に一年が掛かってしまったため、参戦が間に合わなかった。
みやこで同時代史料「遊戯日記」を書き続けている公家は、伝え聞いた密林での戦いを以上のごとく記した。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160621021245
次回
私のプロファイリングによると、元増は以下の条件に当てはまる人物ね。
・熱を出して仕事を休んでた。
・「謝っとるやん!!!」
・ここ数日壊れてた。
でも「謝っとるやん!!!」は悪手ね。
「ひらきなおるその態度が気にいらないのよ」って返されちゃうから。
ビョーキ移されたらそりゃ怒るわよ、Aさんじゃなくても。
「両手をついてあやまったって許してあげない」くらい言われても仕方ないと思わなきゃ。
ま、初彼に振られたショックを引きずってないと知れたのは収穫だったわ。
お盛んなようで何よりね!
あ、生じゃしてないんだっけ?
?
やぁねぇ、下ネタ重ねたりはしないってば。
くらくらくらみじあ!
明日も腰振りましょう!
夏休みとかの長期休暇では、父親(自営)のところに1週間くらい遊びに行ったりして、年に数回は顔を合わせていたと思う。
中学生になってもそれは続いて、私がブリーフからトランクスにパンツを変えた頃、また休みがあったので父親の元へ遊びに行った。
父親の店に行くと知らない女の人がいて、父から「実はこの人と再婚することになった」と言われた。
いきなり引き合わせるなよ……と思いつつ、「へーそうなんだおめでとう、こんな父ですがよろしくお願いします」とか無難なことを言っておいた。
奥さんは結構グイグイくる人で、しきりに距離を詰めてくる感じだった。
今思うと、この子がここにいる間は母親代わりよ!みたいな感情があったのだろうか?今風に言うとマウンティングがすごかった。
この人苦手だなー、とか、再婚かあ、とかで頭が回らないうちに食事を終え「明日早いから風呂に入ってきなさい」と言われ、
風呂に向かったら、洗濯機を回しに来た奥さんに脱衣所をあけられて、「あらあらあらカッコイイパンツ履いてるわねー」
「ほらアナタちょっと増田ちゃんのパンツカッコイイわよー」「こういうのが今はいいのよ!ねー!!」と大声で言われた。半泣きになった。
風呂からあがって、「そういえば明日どっか行くの?」と聞いたら、
「朝5時にタクシーが来るからそれで空港に行って、それから飛行機でテーマパークに二泊三日だ!!」と言われた。
全く聞いてなかった。当然奥さんも来る。ホテルでは同じ部屋に泊まる。
私が再婚に難色を示したりしていたらどうするつもりだったんだコイツ、馬鹿か?馬鹿なのか?
この時点ですでに「うわーこの人苦手だよー普段身の回りにいない距離が近くて話聞かないおばさんだよー」と思っていたので正直帰りたかった。
助けを求めるように視線をやった父親は「親睦を深めてもらおうと思ってお金ためて頑張ったんだ!」と100%のドヤ顔スマイルをしていた。
あ、この人ダメだ。と父親に対して一人の人間として本気で諦めの感情を抱いたのはその時が最初だと思う。
母親に居場所が変わることを連絡しておいた方がいいかなあ?と悩んだけど、ケータイも持ってなかったし、
多分母親はこの話を正直にしたらブチキレて今からでも飛んでくるよなあ、でも父親は何が悪いのか全く理解できなくて平行線になって、
最悪の空気が完成した現場に自分が取り残されるよなあ……とうっすら思ったので、やめておいた。
黙っておけば初めて飛行機に乗れるし、テーマパークにも行けるという打算もちょっとあった。
そのあとはもう、開き直って再婚に理解があって聞き分けのよいいい子を3日間精一杯演じ続けた。
こういう場合、子供があれ食べたいこれ食べたいと定期的に言って、食べっぷりがよければ、大体相手は満足してニコニコする節がある。
外国を放浪して現地民に溶け込む作家の本で、出された飯を美味そうに食うの最強とかそんな話読んだなあと思いつつ実践した。
浅知恵ではあったが、ある程度奏功したようで、二日目には奥さんは「めっちゃ仲良くなれた!」父親は「いやー来てよかった!」と喜んでいた。
この旅行は本当にしんどかったし、奥さんの出現で以後父親のところに遊びに行くのが億劫になったし、父親への信頼みたいなものも完全に失墜した。
そんな中でも最大の成果は、幼少時にカルピスを薄めて作るものだと知らずに勝手にお代わりしようとして原液を1ビンガブ飲みして喉が灼けて以来
「カルピス=喉がカーってなるやつ」という認識で苦手だったのだが、
そのカルピスを奥さんが「子供はカルピスが好きなものよ!」と気を利かせて買ってきたことで飲む機会があって、カルピス嫌いが治ったことだと思う。
ただ、今度はカルピスを飲むと毎回このエピソードを思い出してしまってちょっとしんどくなるので、相変わらずたまにしか飲まない。