はてなキーワード: りゅうちぇるとは
ウワサの保護者会という番組でズボン好きな娘に卒業式ぐらいスカート履いてほしいという親が出ていた
ゲストのりゅうちぇるからの返しが上手くて笑ったけど、あの親的には女の子なんだから〜という気持ちで言ってる訳じゃないんだよね
もし親である私はあなたのスカートを履いた姿が見たいという気持ちだと、これまたジェンダーで語る問題じゃないのかもと思った
その気持ちの裏に女の子なんだからスカート履くべきというのがあったってことかな
別に性別関係なく、かわいい娘の、母親である私がかわいいと思う格好をして欲しいという気持ちからの発言だったら
タレントのりゅうちぇるが、不登校の子に「もっと素の自分を愛してほしい」とアドバイスしていた。
ありのままの自分をもっと尊重してほしい、というような事だろうとは思う。ニュアンスはわかる。つもりだ。
歯切れが悪いもの言いになるのは、この手の場面でよく出てくる「愛」という感覚が、私にはよくわからないからだ。
愛するという行為の実感に乏しいのだ。
私は既婚者だ。大恋愛の果て、とは言わないが普通に相手を好きになり一緒に生活するのが楽しいので特に波乱もなく結婚した。愛してると口走った事もあるだろうが、告白してしまえば、それは「好き」を言い換えただけのものであった。
私は、多分、愛する、の実感を知らない。
幼少期、両親は共働きで、放っておかれがちではあったが、ネグレクトのような事もなく、ただあまりかまっては貰えなかったという程度である。だからつまり、愛される事は知っているのだと思う。
ときどき、ではあるが、自分は心の在り様に問題があるのではないかと思う事がある。愛する、ができない。
ジョン・レノンはLOVE&PEACEと言った。なぜ愛と平和を並べるのだ。「平和」だけではだめなのか。たぶん、だめなのだろう。
音楽家はみな愛を称える。RADWINPSが「愛にできることはまだあるかい?」と歌っていた。いい歌だと思った。
でも、私はこれを歌えない。私には愛をもってして誰かに何かできることがないからだ。何もないからだ。
頭でっかちの私は、りゅうちぇるの言葉を「こういう意味なのだろう」と勝手に読み替えて納得している。だが、
それは本当に本人の意図に沿っているのだろうか。
私が「愛」というものを実感したことがないから分からないだけで、世の中の大半の人は、ああ、あの感覚ね、というように、発言どおりに「理解」できているというような事はないのだろうか。
時に、冴え冴えとした闇に掴まれるような心もちになる。
女が下方婚しないから世の中の格差が広がる、女よ!男に経済的をアテにするな!
という主張をみかけるので、つい言いたくなってしまった。ソースは私だ。そもそもそんなリサーチはあるのだろうか。
女が下方婚しないっていうけど、男の方も上昇婚(自分よりも学歴の高い女や稼ぐ女と結婚すること)嫌がるじゃん。
残業や夜勤がなくてかつどこでも転勤ついていけるように全国に支店がある企業に就職して年収650万稼いでも
学生時代の彼氏は相手が社会人・学生問わず結婚してくれなかったし、
いざ婚活市場に出てみれば、最初に出会った男と結婚前提のお付き合いと約束してアパートの敷金礼金全額に生活費多く負担して家事ほとんどやっても接待だ会社の飲み会だって嘘ついて
マッチングアプリで出会ったとかいうよくわからない名前の大学の女子大生と浮気するじゃん(n=1の体験談)
結局、婚活の禁じ手、社内恋愛(ダメだった時のダメージが大きく諸刃の剣)を経て収入同じくらいの会社の同僚と結婚しました。
選択肢が広がると思って学歴と収入つけたけど、かえって選択肢を狭めちゃってたじゃん!
男は上昇婚を望まない。
これも根拠がない実感なんですけど、それに加えて、最近の、90年から95年生まれくらいの男、下方婚も望まない問題っていうのがありまして。
年収500万と300万で結婚して800万の家庭が出来たら格差がなくなるのに
年収400万の女は年収400万以下の男と結婚しないから女は高望みをやめろ!
みたいな話、最近よく聞くんですけど実感としては
600万以上の男と600万以上の女が結婚してパワーカップルになり
300万の男と女が独身っていうパターンが増えつつないですか?
男(主語デカ)は「結婚相手は自分より年収低くてもいいです!私稼ぐので!」みたいな女が苦手だし、
かといって「私専業主婦になって支えるから一馬力で稼いできてね。お小遣いは3万円よ」みたいなのもいやなんでしょ?
嫌というか経済的に無理というか、、
女はなんとか私1人でも夫婦2人子ども1人くらいなら食っていける、っていう収入があれば下方婚は気にしない人が多いと思うんですよね。
で、結果的に同じくらいの収入同士しか結婚できないという事態が往々にして起こり得ている状態だと思います。
あ、結婚したくない人は結婚しなくていいです。そこは自由なので。
あの方の主張通り女が「年収400万以下でも大丈夫!だって好きだし!一緒に頑張ろう!」と言っても
男の方が嫌がるんじゃない?っていうのが私の主張です。
「そこが男のつらさ、社会的抑圧ってことよ」って言われても、
女が変われ!高望みをやめろ!
じゃなくて男女ともに考え方を変えて上昇婚も下方婚もそれがなんだ!とならないと結婚する人は減る一方だと思うんですよね。
収入も世帯年収ベースに考えるとか。どっちがいくら稼ぐとか気にしないで世帯年収でいくらあるから結婚できる!みたいに考えることはできないんですかね。
95年生まれよりも下の世代はn=りゅうちぇるくらいしか知らないのでわからないんですけど、カップル垢とか見るに割と早めにパートナー見つけて結婚してる気がします。
性転換の手術をするときに、二人以上の医師のカウンセリングが必要になるでしょ。
タトゥーも、タトゥーの施術を受ける前に二人以上の医師のカウンセリングを受けて、医師から許可が出たらタトゥーを入れられることにしよう。
タトゥーを入れる行程に一つハードルが出来たら「カウンセリングを受けるのがめんどくさいから」「わざわざ仕事や学校を休んでカウンセリングを受けてまでタトゥーをいれたくないから」という理由で、衝動的にタトゥーを入れる人が減ると思う。
りゅうちぇるみたいな覚悟もなく、中二病みたいな理由でタトゥーを入れる奴らすごくカッコ悪い
誰かに「タトゥーを消せ」「みっともない」と言われても関係ない。自分は自分だと信念を持って、一生そのタトゥーを体に刻んで生きていくことを覚悟して、タトゥーを入れる人はかっこいい。
誰かにタトゥーを消せと言われて、病院にかけこんでタトゥーを消す奴らかっこ悪い。
タトゥーを彫る前に、医師のカウンセリングを受けて、「温泉に入れないですよ」とか社会的デメリットの説明も受けて、精神的に正常な状態なのか確認して、二人以上の医師からこの人の精神は安定している、正常だと判断された者だけタトゥーを彫られたらいいと思う。
そういうルールが社会的に広がったら、信念を持った人しかタトゥーを彫らないから、他人が「タトゥーを消せ」というハードルも上がるし(性転換手術した人に体を元に戻せって言う人はいないでしょ?)
メンヘラがタトゥーを衝動的に彫って、後から後悔することもなくなる。
そういう法律を作ってください。
世間で揉めてる?いわれてる?
タトゥに対する偏見とかそういうのはタトゥをしてたって良い奴はいるし、
してなくたって悪い奴はいる。
そんなことで人の価値は決まらないけど、してる人=やんちゃってイメージがあるのは事実で
それをそんなことない!!!って声高に言うのは、どうなのって。
それでもカッコイイからとか、精神的にとかなんらか理由があってするのなら、
それは本人がわかってればいいし、そんなのぶっちゃけどーでもいいよ。
でもね。
って突っ込んでる人も
って反論してる人も
どっちも、他人の好きに口出しすぎ。
他人の考え方そのものに口をだすなんておこがましいにもほどがある。
体にメスをいれるってことはそれなりのリスクがある。
健康上の問題とか、のちのちに治療を受けれなくなるリスクとか。
例えばMRIとかそーゆーのもそうだし、この先もしかしたらタトゥをしてたらできない治療方法の機械とかでてくる可能性だって割とあると思うんだ。
たばこと一緒。わざわざ自らリスクを負いに行くのはバカだなって。
でもそれは私の価値観。
長生きするのが正解とも限らないし、自分の人生だから自分で責任を取ればいい。
まあ何が言いたいかってゆーと。
人それぞれなんだからほっとけーって話よね。
でも、りゅうちぇるもね。
するのはいいと思うけど、それを肯定して広めるようなのは余計だったと思うよ。
以上。
まず、過去にあまたある、「入れ墨」が日本で威嚇的に用いられてきた歴史を無視して、「少なくとも私は…ない」というたった一つの事例は、反証にはならない。特に「ない」ことを証明する場合。ああヤクザに脅されたことないんだよかったね、としか言えない。ちなみに、ヤクザに脅されることは、普通の仕事ではあまりないだろうが、私はある。某地方都市のとある風俗関係店で受付バイトしたとき経験した。「ああこういう界隈には映画でみる『脅し』って今でもあるんだー」という印象。少し上の人による「穏やかな口調の恫喝」、その後のチンピラの「軽い嫌がらせ」までは絵に描いたような展開だった。小競り合いはその後上の方で片付いたらしい。一年でそのバイトやめて引っ越したからよく知らないけど。世の中にたくさんある事例、たとえば企業ヤクザの関係で起きる壮絶な事例に較べればゴミみたいな経験に過ぎないが、ヤクザという存在とセットでの「入れ墨」の威嚇効果は決して無視できるものではないよ。
また、妥協案としてのタトゥーシールに賛成しない人が多いところを見ると、結局「体を傷つける」「引き返せない」「覚悟」みたいなものに(あのりゅうちぇるでさえも)タトゥーをする人の多くは魅力を感じているのだろう。だとしたら、申し訳ないがその「覚悟」をハタにみせびらかす行為が、周囲からすれば大変「重く」感じられるものだし、そういう「重い」行為によって「オレは周囲と違うんだぜ」アピールすること自体が「粋がった」行為、つまり「イキリ」そのものと見られるのを否定するのはかなり難しいと思う。タトゥーを入れる気持ちは「イキリ」ではない、そんな感情は毛ほどもない、と否定できる根拠ってむしろ何なのだろう?
正直なところりゅうちぇるも含め、タトゥーに偏見もたないでと訴える人は、たとえばips細胞医療の発達などにより皮膚再生も簡単になってタトゥーが「無痛・気軽に描いて消せる」時代が到来し、まさにタトゥーが「普通」になる時代が到来したら、どんな態度をとるのだろうか。彼らはそういう、覚悟いらず不可逆でもなくタトゥーなんて全然特別なものでないような時代(そういう時代になれば、りゅうちぇるが言うような「偏見」はなくなるだろう)が本当に到来してほしいのだろうか? 本当に? 彼らが愛しているのは本当に「タトゥー」そのものなのか? それとも「イキリ行為のためのちょっとした手段」なのだろうか? 反論があればぜひお願いしたい。
そして、反論待たずに決めつけるようで申し訳ないが、そうやってタトゥーを「イキリ行為の便利な道具」と考える人がいる限り、タトゥーへの「偏見」とやらが消えることはないのではないかと思うし、そして、その「偏見」は、偏見を「持つ側」の問題によって維持されているのではなく、実は偏見を「持たれる側」との共犯関係によって維持されているのではないかと私は考えている。そういうわけで、タトゥーへの偏見を問題視するなら、まずタトゥーを入れる側のそういう「特権意識」自体を鋭く自省すべきだと思う。もしこの先、「タトゥーすげえだろ」と言う人がこの世から消えて、「タトゥー? あ、こんなん全然大したもんじゃないですーw」と言う人ばかりになったら、タトゥーへの偏見とやらも少しマシになるだろう。そういう時代が来て欲しいという話なら、少しは理解できなくはないけど。
最近りゅうちぇるさんから火のついた、タトゥーを叩く流れと擁護する流れがあるなぁってTwitter見てたら
叩く側は「ルーツは反社会的勢力に繋がるし、威圧的で怖い、そもそもいかついやつしかいれてないじゃん」と言ってて、確かに。と思った。
擁護する側は「それとタトゥーそのものを叩くのは筋違い。身体の自由の侵害だ!」と言ってて、こちらもなるほど。と思った。
まぁ主義主張は様々あるけど乱暴に言えばタトゥーに対する「社会、世間一般のイメージ」と「個人の趣味」の殴り合いみたいな印象を受けた。
で、時間軸をもうちょっと前に遡って、表現規制の話が盛り上がってだったかな?オタクがパブリックエネミー呼ばわりされたことを思い出した。
あれはコンテンツの加害性から話が発展して「ロリコンとか女性蔑視とか良くない価値観を持ったオタクが多い!」「それに加えてオタクどもはその構造にたいしての自浄作用を持たない」みたいな論調に「その価値観を持つ人間とオタクコンテンツをいっしょくたに語るな!」「そもそもロリコンはいけないのか?」みたいな反論をしてたような気がする。詳しくは覚えてない。
これも結局はオタク、オタクコンテンツに対する「世間のイメージ」と「個人の趣味」の殴り合いみたいな話なんだろうなと思う。
で、時間軸を戻して今。
なんかTwitterをみていると今タトゥーを擁護している人は昔オタクを叩いてて、今タトゥーを叩いている人は昔オタクを擁護してた人な気がする。全員いちいち確認はしてないけど、観測範囲だとタトゥー擁護派にはけっこう強めにオタクぶっ叩いてたので覚えてる人がいた。タトゥー叩き側には名前にパブリックエネミーとか入ってる人がいた。台本交換したのかな?って感じだった。
こうすべきだ!みたいな偉そうなことは特に考えてないしもちろん別の問題だ!って言われたらそうなのかも。別になにも調べてない。オタクもタトゥーも当事者は「個人の趣味」だし「誰にも迷惑をかけてない(?)」ものだからほっといて!って言ってるみたいなのでほっとこうと思う。