はてなキーワード: くしゃみとは
今回の金曜ロードSHOWでも23時23分に盛大に祭りに参加した。
それにしてもだ。
ラピュタを破壊してしまうというとんでもない命令が、わずか3音節というのはどういうことだ。
「困ったときのおまじない」は、うろ覚えになって永久に困難から立ち直れないかもしれない
ほど長いというのに。
しかも「バルス」なんてくしゃみした時などについつい言ってしまいかねない。
そこで、安全性の観点から国王とその後見人2名以上が同時に呪文を唱えることを要することとし、
最終破壊起動時には「本当に破壊しますか? Y/N」というプロンプトを出すべき。
たった3音節で最終局面までズドーンと行っちゃうなんて設計が甘いんだよ。ヒューマンエラーを
その上で「ラピュタの最終破壊モードが実行されました。あと600秒でコアが破壊されます」と
放送を流し、避難を促す機能も実装しておかないと後で検収しないとか無茶なクレームがきっとくる。
また、予算の問題はあるが、完全なる複製である「影のラピュタ」を作成しておき、来るべき
再興の時を待つこともできますというのも事前に提案しておきたい。月次でバックアップを
取っておくのも必須。
この辺の運用契約をとってくればラピュタが空を飛んでる限り売上を計上できるぞ。
かなり話が逸れてしまったが、あれだけ機械工学に長けたラピュタの人々が、どうして最終破壊命令を
たった3音節にしてしまったのか、それが謎なのだ。ていうかパヤオの異常なまでのメカの作り込み方に
比べて、どうして滅びの言葉は手を抜いたのか。
まあ絵コンテに書いた仮セリフがそのまま本番に使われたとかそんなとろこか。
追記)
なるほど「生体認証(王家の血)とハードウェアトークン(飛行石)とパスワード(バルス)による多要素認証」か。
自分で書いてて気づかなかったが、この程度のことは既に誰かが考察してるんだな。
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
――谷川俊太郎「生きる」
生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。
死ぬ時は、たゞ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間の義務とみるのである。生きているだけが、人間で、あとは、たゞ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義、真実が、生れる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。
「俺はな、この世界に招かれてない。用無しなんだよ。異世界に行きますか、イエス、ノーって、選んだか? お前は。――俺は選んでない。無断で俺はこの世界に連れてこられた。俺に選択肢はなかったし、招かれてもいないんだよ。お前たちは、招かれたんだろう? だからそうして呑気にしてられるんだろう!?」
「ちがう、我々は、誰ひとりとして招かれてないのにゃ」
「お前たちがどうかなんて興味はない。だが俺は少なくとも招かれちゃいない。俺は俺の意志とはかかわりなくこの世界に連れてこられたんだ。この世界は俺を俺の意志とは関係なく、俺を勝手にしようとした。だから俺も世界に勝手なことをしてやる。俺は間違ってるか、〈盗剣士〉!」
(中略)
理不尽な強制としてこの世に生を受けた幼子は、若者となり、己の意志でもう一度生誕を決意する。
自分が何者であるかを胸に刻み、望んでこの世界に生まれた二度目の赤子として自分自身の人生を歩み出すのだ。それは神聖なる契約であり、人はそうして連なってきた。それが人をいままで繋いできた。
にゃん太はそれを守るためならば、我が身を灰にしても構わないと思った。ロンダークがそれを知ってくれるのならば、どんなことでもしてやりたいと思った。
「私の読んでいる作品では「世界との仲直り」がテーマになっているものが多い気がする」
そう書くと「それは、あなたがの内面がそのように作品を捉えるという文脈にあるからだ」という他者の意見が内言として聞こえる
どうなのだろうか
現代においては、私においては「世界との仲直り」という形で象徴されているに過ぎないのではないだろうか
人は世界と仲良くできない
世界はすぐに過ぎ去って、私から感傷に浸る時間すら取り去っていく
そして、世界は私から様々なものを奪い取ったその後ですら、私を生かそうとする
世界は私の期待通りには動かない
望むと望まざるとにかかわらず、世界はただそこにあるだけである
小癪な世界のせいで、私は生き続けなければならない
「ただ生きるだけ」では世界の思い通りだ、負けたようで非常に悔しい
(きっと、世界の方もほくそ笑んでいるだろう。顔があるならね)
鼻を明かせるとするならば、それは自分自身で世界と契約するしかない
不貞腐れながら、いじけながら
それでもただ「この世界に生きるために」という本末転倒な動機から
喧嘩には“限度”がある
勝利することはないのだ、恐らくは
しかし、何かを勝ち取る事はあるのかも知れない
私は明日も、ただ生きる
未明に鳥は“諦く”だろうか“噎ぶ”だろうか、それとも“号ぶ”だろうか
https://anond.hatelabo.jp/20170731142310
詩経が載せる詩句は、以下のとおりであったとされる(邶風第五《終風》第三章)。しかし、数百年も経てば、その意味は分からなくなってしまう。
終風且曀 不日有曀
寤言不寐 願言則嚏
そこで、後漢の鄭玄(AD 127-200)は、第四句「願言則嚏」の意味を「あなたが私を思ってくれたら、私も嚏をするはずなのに。」という意味であると解釈し、その旨の注釈を加えた。いわゆる「鄭箋」である。元増田のいう「今俗人嚏云人道我、此古之遺語也」は、その「鄭箋」中の語句である。
この鄭玄の解釈が正しいなら、元増田がいうとおり、詩経の時代から「噂をすればくしゃみをする」という考え方があったことになる。
しかし、この第三句、第四句について、単に「あなたのことを思って夜も寝られず(寤言不寐)、体調を崩して風を引いて嚏をした」という身も蓋もない解釈もある。
この解釈が正しいとすると、「くしゃみをしたら…」の迷信の存在は、差しあたって鄭玄の時代にまでしか遡れないということになろう。
もとより、この迷信について、鄭玄の上記解釈を前提とする説明自体は、万葉集の和歌と絡める部分を含め、江戸時代から指摘されていたような話のようであり、その点に関する元増田の理解を間違いと断じるわけではない。
しかし、ソースをググれば、例えば「《箋》今俗人嚏云人道我、此古之遺語也」と一発で出てくるのに、「《箋》」でピンと来るような前提知識がないと、この点に不正確な部分を残したまま、トリビアとして広まってしまう虞もあろう。
しれっと21世紀でも生き残っているが、もともとは『詩経』に出典がある。
今俗人嚏云人道我、此古之遺語也。
嚏がくしゃみ。今俗諺に、ある人がくしゃみをしたら、「誰かが自分のこと噂してるな」という。
これはとんでもねー話で、そもそも『詩経』は成立段階も分からず、周(紀元前1046年ころ~紀元前246年)の時代に成立したともいわれる。
東アジアでもっとも古いテキストの一である『詩経』に、古い言い伝えだ、と書かれてる。
そんなのが21世紀もいまだに俗諺として生きている。
もしかしたら卑弥呼(紀元239年に魏に遣使、周の時代が去って約500年)だってくしゃみして
「てめー難升米、私のこと噂しただろッッ!」
とか言っていたかもしれないのだ。
万葉集の時代には、くしゃみで噂、は確実に日本に知られていた。
眉根掻き 鼻ひ紐解け 待てりやも
返歌
今日なれば 鼻ひ鼻ひし 眉痒み
思ひしことは 君にしありけり(巻11-2809)
「鼻ひ」がくしゃみ。くしゃみをするというのは、相手に想われている、という俗信があった。
眉を掻いたり紐が解けたりってのも、相手に想われたり、相手に会えるという予兆なのだそうだ。
ここでは、相手の女の子が眉を掻いたりくしゃみしたり、紐が解けているんだろうな。そんで私がいつ来るか来るかと待ってるんだろうな。
なんか今日はくしゃみはでるし眉はかゆいしで、あなたが想っていたからこんなことになっていたんですね。
ということで万葉集の時代には、ほぼ確実にくしゃみで噂は日本に来ていた。
で、21世紀の私たちもなんとなくこれを受け継いでいる。これってかなりすごいことだと思う。
最後になるけど、『詩経』に載る情報がなんらかの手段で日本にもたらされてから、連綿とこの俗諺が息づいてきたか、はわからない。
今はくしゃみで噂、は多くの人が知っているけれど、たとえば、江戸時代のある時期はそうじゃなかったかもしれない。あるいは、足利尊氏はしらなかったかもしれない。
『詩経』のテキストはずっと古典としてあるから、くしゃみで噂、は一旦絶えても、古典を読む人がいる限り復活する可能性がある。
だから、連綿と、卑弥呼の時代からずっと私たちがくしゃみで噂を知っていたかは疑問だ。
これと関連して、私たちはくしゃみで噂、をあるていどみんな知っているけど、なぜこうなったのか。これは調べなくてはならない。
なにかみんなが見るような教科書や雑誌や、あるいはテレビドラマやコメディがあって、それでみんな知るにいたったのだろう。
同棲している彼女が睡眠導入剤を服用しているため、一緒に布団に入ると寝落ちする瞬間を見る機会がある。これまでは会話中に返答がふと途切れる、手のマッサージ中に寝息が聞こえるなどのバリエーションがあったが、先日はしゃっくりが止まってない状態で睡眠に入りそうな状態だった。
彼女のしゃっくりは一度出るとなかなか止まらず、このときもすでに10分は続いていたと思う。しゃっくりを止める手段として「息をしばらく止める」が個人的に効く気がしていたが、寝落ちしそうな人にすすめるのも怖かったのでしばらく様子を見ようと考えた。
「しゃっくり止まらんなあ、ひっく」「せやなあ」と会話をだらだらやっているとふと寝息が聞こえてきた。つい3秒前もしゃっくりをしてたのに眠ってしまうものなのだなあと考えていると、しゃっくりが止まっていることに気付く。
眠るとしゃっくりが止まるのか、しゃっくりが止まったから眠ったのか。どちらかは分からないが、そういえばくしゃみなんかも寝てるときには出ない気がするし、前者かなあとなんとなく思った。
アトピーなんだけど、体中掻きむしる。
1年我慢したけど、今では肌を触ったときに出る「ザラザラ」音すら無理。気持ち悪い。
その音から逃れるためにイヤホンしたけど(イヤホンOKの会社)耳がおかしくなってしまい、気が狂いそう。
股間も。ケツも。
そしてその手を洗わない。
最近はしなくなったけど爪の間に挟まったのを食べている。もしかしたら私が離席するのが多くなったから、その間に食べてるかもしれないけど。
かきむしるせいなのか、血なまぐさいニオイがする。オフィスといっても小さい部署なので狭く、換気も良くない。
たまに入った瞬間に吐き気がする。
病院には行かず、化粧水で改善できるとか言ってる。それすらしないのにどうやって改善するんですか。
ジャンクばっかり食べているくせに、治す気ないんでしょう。
皮や粉だらけの机や床も放置。なんで私が掃除すんの?って思ってしまう。陰毛まで見つけるとマジで無理。
アトピーに偏見ないつもりだったけど無理だったみたい。ほんと無理。ごめんなさい。
アトピー以外もある。
あと小指を楊枝代わりにして、やっぱり手を洗わない。前述のアトピーでかくために伸ばしているであろう長い爪を使ってモゴモゴ。
気持ち悪い。
くしゃみをして手が間に合わない。そんなにリアルタイムでキーボードを叩かないといけない仕事じゃない。
間に合ったとしても手は(ry
1年我慢したら、なんかもう全部嫌になってきてる。
でもこんなのが原因で転職とかもねーなって思ってる。
下記に当てはまる人は直して欲しい
・机の上に鞄を置く
横に人が座ってるんですけど・・・
・手で覆わずに横を向いて咳をする
・扉や引き出しを音をたてて閉める
静かだなと思うと開けっ放し
・足ぐせが悪い
イス、コピー機、観葉植物、背が低めの物なら何でも足(土足)をのせる
スイッチや扉など、人が手で触れる場所を平気で足で触る神経が信じられない
人のものを断りなく触る
渡されるのを待たずに、人が手に持っているものを掴んで取ろうとする
スマホを覗き込んでくる
口を開けて食べているのか、バリッバリッガシュッガシュッと音がすごい
最近は氷も食べてすごいうるさい
昼休憩直前、定時直前になるとバチンバチンうるさい
・足音がうるさい
地面に足を擦るような歩き方をする
こいつが動き回ってると本当にうるさい
・指差す
人でも物でもなんでも指差す
横のデスクの椅子が引き出されていたことがあり、どう考えても足をのせていたはず
貧乏ゆすりで机を蹴ったり叩いたりする
頭をボリボリ搔きむしる音もうるさい
指で耳をほじるな、きもい
基本的にどこかに出しっぱなし
どうやって勘違いしたのか疑問
20年ぐらい1人暮らししてるらしいから生活について他人との比較ができないんだろうな
地味に一番むかつくのが、「渡される前に、人が手に持っているものを掴んで取ろうとする」とか「指差す」なんだけど、なんなの?幼児なの?
親はどういう躾をしたんだよ
くしゃみの音は人それぞれです。静かなくしゃみをする人もいれば、馬鹿デカいくしゃみをする人もいます。
馬鹿デカいくしゃみをする人は、中年以上の男性に多くないですか?一説によると、「クシュン」とクシャミをするよりも、「ハクショーン!!」と声を出しながらくしゃみをした方が爽快感があるようです。なんだかわかる気がします。
しかし、こういう馬鹿デカいくしゃみって側から見ると迷惑極まりないですよね。うるさくてびっくりするし、何より大量にツバが飛んでいるようで不衛生です。そんなとき、ついついお行儀の良い「ばあさんを見習え!」と思ってしまうのは、私が昭和生まれで男尊女卑の感覚を持ってしまっているからなのでしょうか。別にばあさんも馬鹿デカいくしゃみをしてもいいのにね。
ちなみに私は「ヘクシッ」派です。