はてなキーワード: ありすとは
聞いてみるとスマホゲームでレアキャラどれだけもってるとか同時に何種類ものゲームを回しながらプレイしてるとかって話なんだが、それってゲーマーって呼んでいいのか?依存症の間違いだろ。
運と金しか物を言わないようなゲームを持ってきてゲーマーと呼ぶのはものすごく違和感があるし抵抗感がありすぎる。
音ゲーのマニアックレベルをミス無しでクリアするとかもわかる。
ロープレをとことんまで突き詰めて誰も知らないような攻略法やスキルを持ってるのもゲーマーと呼ぶにふさわしいと言える。
下手でも沢山のゲームをプレイしてて浅くとも広く知識をもってるユーザーもゲーマーと呼んでやりたい。
それなのに結局はガチャでキャラクター揃わなきゃ始まらないだけのゲームに金つぎ込んで最強チームつくったったとかふんぞり返ってるヤツがゲーマー?はぁぁぁ!!!????
そんなヤツにはタイガーアッパーカットくらわしてやる。
喰らえ!タィアパカッ
※追記
>同じクエストを何回も何十回も周回してキャラを集めて強化するゲームが流行ってるように思う
っていうトラバをもらったのだけど、進歩もないようなクエストを何回もクリアするのがやりこみ?
新しい要素発見したりスコア効率を突き詰めるために周回するのじゃなくてキャラのために周回をするのが?
サバ折りから二択迫ってピヨらせるぞ。ドスコイッ
※追記2
もう誰も読んでないかもしれないけど。
同じゲームを何度も周回すること自体は全然否定しないッス。ブコメ頂いた先輩方のゲーム愛は尊敬に値するっス。
ソシャゲでありがちな、やりごたえも作りたいけどだれからも金むしりとりたいという結果に簡単なクエスト死ぬほど周回させる苦痛を味あわせてガチャしたほうが安いって思わせようという思惑が見え見え過ぎるのがゲーマーがバカにされてる気持ちになって嫌なんス。
男性から見て、あざといと感じる女性のファッションは、あざといと思いつつ高感度が高いのかもしれないが、女性から見てあざといと感じる男性ファッションは、あざといと感じつつウザイ、と感じてしまうのではないだろうかと思う。
男性はすべての女性が恋愛対象になり得るが、女性は一部の男性しか恋愛対象にならない、という。
恋愛対象にない人間にあざとい格好をされても、ウザイとしか思わない感覚は、「お母さんがあざとい格好している」「おばちゃんがあざとい格好をしている」を想像していただくと、男性にもわかりやすいのではないだろうか。
恋愛対象にない人間にそれをアピールされても、うざい…としか思わない気持ちが、多少おわかりいただけるだろうか。
なので言いたいのは、全方向に向けて高感度を上げたい場合は「あざとい」のは目指してはいけないのでは無いだろうか、という事。
女性への対策は、「好かれようとする」と、個人差がありすぎて難しい。
「嫌われないようにする」と、女性全般で割と共通しているので、確実性の高い対策が取れると思う。
ちなみに私はスーツもメガネも筋肉もちっとも萌えないが、腕まくりはときめきます。白シャツもイイネ。綺麗めカジュアルが好き。
個人的な好みなら、下半身はパンツはシンプル、ひざは見せない、オシャレするなら靴で。
上半身は腕と胸元は見せてよし、タンクトップとかヨレヨレTシャツはダメ、どこか1アイテムは明るい色を。
で、タンクトップと短パンと腰パンは嫌い。チャラいの全般嫌い。
別にその服着ているからといって人格まで否定したりしないけど、まあ服の好みの問題なら、そうなる。
普通の高校では、現代文の授業で「夏目漱石・こころ」を読まされるらしいが、何故か自分の高校時代は、読まされなかった。
いい歳して、文豪の作品を知らないのも何なので、改めて「こころ」を図書館で借りて読んでいる。
この作品は、さんざん「Kと先生と御嬢さんの三角関係」にスポットを当てられた文芸解説がされることが多いが、
(高校の必修読書じゃない、自由な読書だから、そういう読み方が出来るのであろう)
先生は叔父さんに「叔父さんの娘」、つまり「従妹」との縁談を強要されるのだが、
そこで「従妹だと、あまりにも親近感ありすぎて、逆に恋愛感情が沸かない」という理由で、
当時の結婚は、本人同士の「恋愛感情」は一切無視して、親同士が仕掛けた結婚が大半なので、
「従兄妹同士で、恋愛感情が沸くか、沸かないか」なんかは一切無視して、従兄妹縁組がなされていた訳である。
漱石はそこに「従兄妹同士でも、恋愛感情が成立しないと、縁組を拒否する」という、近代人の恋愛システムを持ち込んだのである。
※因みに、漱石は「従兄妹恋愛そのものは、否定していない」。『彼岸過迄』という作品では、従兄妹同士の恋愛を描いている。
「気心知れた従兄妹同士なら、通婚するのに恋愛感情は別に必要ないでしょ?」という当時の常識が、徐々に変質させていった、と読むのは、
考え過ぎだろうか?
あのモスキート音とかTwitterをやろうとか、ソーシャルメディア内だけで元気がいい自称ベンチャーキャピタリスト、あれはなんなんだろうか、世の中にあれをベンチャーキャピタルとして認めている人がいるんだろうか。ただのイベント屋だろあれ、そのイベントもどっかで覚えたミートアップとかいう呼び方をうれしがって使ってるだけ、ミートアップってなんなんだ、主催者側がどんな屁理屈を並べ立ててもやってることは今までと全然かわってないだろ。
どこからどう見ても知識ゼロ、経験ゼロ、頭の回転ゼロ、礼儀ゼロ、根性ゼロで、ベンチャーキャピタリストとしてどころか、いち社会人として問題ありすぎだろ、あれは。
あれを株主にするベンチャー企業も、あのファンドに投資してる投資家も、脳みそに虫がわいてるんじゃないだろうか、モスキート音だけにw
TBSラジオの荒川デイキャッチの月曜日に宮崎駿氏へのインタビューが配信されて各メディアで話題になってはてぶでもいろいろと話題になっている。とりあえずこのインタビューに少しでも興味もったらまず最初の俺みたいに荒川デイキャッチのポッドキャストからオリジナルのインタビューを直接きいたほうがいいよ。2回に分かれてて合計で4,50分とかなりの聴き応え。
宮崎駿氏へのインタビューはやはり貴重らしく、放送後に各メディアがそれをもとに記事を描いているんだけど記事だけ読むとあそこまで印象かわるんだな。オリジナルのインタビューがかなり長いのでその全部を掲載するなんて無理だけどさ、なんつーか各メデイアとも自分たちの主義主張に会った箇所だけ抜き出して都合の悪いところは削除したり、または自分たちに都合の良い箇所を誇張して伝えたりして、ああメデイアの情報編集力ってやつの嫌なところをリアルタイムで見た感じ。
ざーっと見た限り、一番インタビューの印象に近いのは日刊スポーツの書き起こしかな。読売新聞は風刺画問題だけを記事にして宮崎駿氏が安部首相に苦言を言っている箇所はもちろんバッサリきっている。逆にリテラなんかだと宮崎駿氏が安倍政権や百田尚樹をボロカスにけなしているような記事にしているが、オリジナルのインタビューを聞けばわかるけどそんなテンションではまったくない。とくに百田尚樹なんて名前さえ出てない。関連あるとすれば『ゼロ戦の活躍を描いた映画は過去に無数にある。でも僕はそういうのは作りたくなかった』という箇所だろうか?あのへんを百田尚樹批判につなげるのはさすがに無理がありすぎる。
はてぶやFBを見ていてさらにモヤモヤするのは、こうやって各メディアに都合のいいように編集された記事に対していろんな感想やコメントがつき、そしてそれらはまた個々の思想にあったようにさらに拡張されていく。オリジナルのインタビューを聞けばそんな単純なコメントになるはずないのだが、みんなその手間すら面倒なんだろうか?宮崎駿氏ファンなら絶対に聞く価値あるから、関連記事を読む前にまずあちらをきいたほうがいいよ。
最後にインタビューをきいた僕個人の感想だけど、宮崎駿氏の知識の豊富さと思考の深さに感嘆させられる。俺も数年前から『ローマ人の物語』とか読んでから欧州の歴史とか興味もってきたけど、たしかにあそこの2000年規模の民族間のドロドロ&宗教戦争の歴史とか多少でも知っていると、日本の抱えている問題とかイージーモードに思えてくるわ。。。そしてインタビュー内容を都合のいいように編集した各メディアの記事を読んだ読者のオリジナルのインタビュー内容からはずいぶんとずれた共感やら反感やらも宮崎駿氏本人に向けられるわけ。なるほどそりゃメディア不信にもなるわな。
って言われたんだけど、何なの。君は神なの。
話してて本当によくこういう「馬鹿に見えるからやめた方がいい」とか「頭悪いと思われるからやめた方がいい」とか言われることが多いんだけど、どういうつもりで言っているのか教えてほしい。
話題はなんてことはない血液型の話とか(A型の人はやっぱ几帳面だね、とか)。ありすぎて忘れたけど、科学的根拠もないのに都市伝説的な話しをするなってことかしら。
自分の隣にいるので自分も馬鹿に見えるので嫌なのか、はたまた私のためを思ってなのか、でも「軽く見られるよ」と言われたのだけど一体誰にどんな場面で軽んじられて、それで私がどういう被害を被るのかを聞いたけど全然答えてくれなかった。納得の出来る理由があればいいけど、ただ自分が優位に立ちたいが為にそんな言葉を浴びせられた気がしていつも怪訝な顔をしてしまう。