よく受験とかに出てくる部分で、お雛様の食器とか超カワイーみたいなこと言ってる段あるじゃん。
ちっちゃい子が親ンとこまで這ってくる途中でなんかホコリとか見つけて指でつまんで見せに来るの萌えるとかなんかそんな。
それでなんか、締めの文句みたいなので「何であってもちっちゃいものはみんなカワイイ」みたいのあったじゃん。
原文ってなんでしたっけ。そこんとこ。
記憶の中では確かに「何も何も、小さきものはみならうたし。」なんだけど。
検索で引っかかるのは「小さきものはみなうつくし。」なんだよね。
そして青空文庫はヒットしない。
希望を持とうとするからダメなんじゃない? 希望を持たない代わりに、絶望もしない。
天が死ねと命じるまで、ただ、普通に 毎日を生きていけばいいじゃないか。
生きているということは素晴らしい。
やりくりすれば、月に1度の贅沢ぐらいも出来るだろう。
希望を持ったり、絶望を持ったりしてる暇があるなら、映画でも見に行けよ。
いい映画を見たければ ダークナイト 腐った映画が見たければ 苦役列車 みてこいよ。
三国志に出てくる「丁奉」さんは「ていほう」さんだし、他に「丁姓」の人を思い出せないのだけど、「てい」と読むのはそれほど変じゃないよ。
だけど取る気になりゃしねえ
愛想もねえ 品もねえ
ナャ 朝起きて 勃起して
十分ちょっとのシコり道
ヤル気もねえ 気力もねえ
バイトは週に五回来る
オラこんなオラーいやだー オラこんなオラーいやだー
昨日、些細な事で母と喧嘩した。
それから母の機嫌は悪くなり、誰からにも相手にされなくなった。
私には友達といえる人がいない。FacebookやTwitterで「友だち」はいるけど、それは本当の友達ではない。
「友達」と呼べるのは、気兼ねなく色々と話したり、連絡したり、一緒に出かけたりできる同世代あたりだ。
「友達」が多い「友だち」はいつも楽しそうで、光り輝いているようにみえる。
なぜ私には「友だち」しかいないのか?
それは、仕事や趣味では同じ共通点はあるものの、年代も違えば立場も違う、近所にはいない存在だからだ。
また、大学の同期でも「新卒」(( 後述するが、私は新卒入社できなかった ))、「同じ趣味を持っている」(( 特に多いのがリアルタイムでアニメやマンガに触れていた人々。コミケ大好き、コスプレ大好き、声優第一の二次元オタク ))じゃないと相手にしてくれなくなっている。
私は人が怖い。相手が何を思い、何を企んでいるのかが目を通すと怖く感じる。
発端となったのは、小学生の頃に外見をからかわれたり、運動音痴なのをバカにされたりしたことだ。
一時期の担任は、教科書を使った授業というのをほとんどせず(時間割なんて無い)、天気がよければ近くの川へザリガニ釣りに行き、校庭が空いてたらキックボールをやる人だった。本を読んだりドリルを出したりする行為をすればすぐ胸ぐらや髪の毛を掴んで殴る、生徒の前で「こいつはバカだ」と堂々と引きづり回される始末。教育委員会もPTAも学校も普通だと思って何も指導や注意されなかった。(( 小学校絡みのイベントは「二度と招待状を送らないでください」と返送して以来、付き合いを持たないし持ちたくもない ))
中学は中学(( 今はFラン私立学校になっていた ))で、「仲間」に入れない時点でイジメの対象になって、つけまわされたり落書きされたりする標的にされた。シューズを捨てられたり、机に「死ね」「ウザい」「キモい」なども書かれたりした。段々エスカレートして中学3年の夏、IBSにかかって半年以上治療した。学校でのストレスとの因果関係は覚えていないが、両親は「たいしたもんじゃないよねw」と言って特に対応してくれなかった。今になってはこのことが現在、自分が苦しんでいる一番の要因かもしれない。
高校と大学は普通に過ごした。高校は自らの意思と夢に向けて走っている生徒が多いところだったから、浮いたり浮かれたりはなかったしイジメもなかった。大学ではサークルに入ったり、学部柄レポートを一緒に解いたりする人には多くであった。共に苦労し、歩んだ4年間だったが、大学を除けば単なる他人に他ならなかった。イベントに興味なく、アニメなどの深い話は全く分からない人に遊びの誘いも話もなにもありもしない。
再び悪夢が来たのは、大学3年以降の就職活動だった。中学で発生したIBSが悪化し、ストレス性適応障害に陥ってしまった。
エントリーシートを出してもダメ、筆記だけはOKでもディスカッションが通らない、1次面接まで行けるのがやっとでその後は何も起きない。しかし、周囲からは「勉強できるしまじめだからすぐ内定取れそうなのにおかしい」とか、「えー、まだ就職活動しているのm9(^Д^)プギャー」とか言う割に、「エントリーシートのこつを教えて?」や「どういう風に面接すればいいのかな?」といったアドバイスも何もしてくれなかった。就職課へアドバイスを頂いても全くダメで、また来ても同じ指導方法で試してもダメで…のループ。結局、新卒を取り逃がし、長期アルバイトの名目で週に5回働いて過ごすようになった。相手の目を見る事が怖い、周囲からどう見られているのか怖くてたまらないのに、なぜか接客のアルバイトをしていた。仕事は大変だったけど、発作やうつにならなかったのが幸いだった。
現在は、症状がまた悪化し、通院をしつつ自宅で過ごす事が多くなった。ちょうど前回の五輪の時から通っているからもう4年は経つ。
その間に精神科へ入院(( 本当は心療内科なのだが、入院先は精神科扱いだった。ただ幸いに大学病院だったこともあり、薬物やアルコール中毒者、リストカットや妄想が強い人はお断りしてた。開放型で数日過ぎれば事前申告すれば外出もOKだった。 ))したこともあった。今は担当が異動になってるが、同じ大学病院の先生に診てもらっている。治療しても中々治る気配もないし、両親も「仕方ない」の一言で病気に関して何も手を付けない。
私も、周りのようにちゃんと働いて、収入を得て、それで旅行に行ったり、自由に買い物や習い事をしたりしたかった。
しかし、大津のイジメ事件ではないけど、精神的に追いつめられて、理解してくれなくて、苦しくて、何で長く生きてしまったんだろうと悔やんでいる。
「何を言っても使えない人間は動物以下だ。赤ちゃん以下だ。パソコンよりひどい。ゴミにもならない」
この言葉は、別の所で働いていた時に上司から吐き捨てられた言葉だ。(( 研修期間があると明記はあったが、指導は一切受け付けてもらえなかった。しかも、「この企業Webと同じサイトにして」の注文以外受け入れない相手だと、大学で専攻したITに関するスキルもまったく通用しない。残業に時間外で勉強、そして家事や親のいいなりに動かされていたらたまったものじゃない。 ))この言葉通りなら、私はゴミ以下のなんにでもない。
この文章は泣きながら書いている。画面が涙ににじんで途中から何を一番言いたかったかさえ忘れてしまった。
こんな世の中をずっと過ごすのであれば、自ら命を絶つ権利をつくってほしい。
PTSDだろうがトラウマだろうか、このまま背負って生きていく自信や希望もなければ、完治するかどうかさえ分からない。世間も相手にしてくれない。
そんな人たちと普通の人が共存する社会なんて日本にはありはしない。
未来に向けて少しずつ進めていても、「友だち」や家族から理解が得られないし、「どうせ病気だから」の一言で終わってしまう。
将来に進んで、今やっていることは自分にとって有益なのか無益なのかさえ分からなくなってきた。誰からもしていることに対する評価を受けずに、悩んで苦しんでいても誰も助けももらえないこの世界に。
なげーよ
酷いやつになると(あなたは違うが)ひっくるめて「棒」呼ばわりする
「演技や声質がアニメっぽく無いこと」と「棒(演技がヘタ)」は全然違うことだ
アニメアニメした演技スタイルの進歩・発展ぶりはすごいと思うけど
単なる適材適所だ
『おおかみこども』の宮崎あおいは日常シーンはすごく上手かったけど
でも間違っても棒じゃない
夏希先輩は「ツキが一族で一番強い」みたいな設定あればよかったのにね
だが、見た目は案外可愛い
頭の回転も速い
女を見てもいきなり会いませんかと切り出すことなく、普通に接している
閉鎖環境でおっさんとM男から安全を確保する算段がないならやめといたほうがいいんでねーの?
とりあえず会話とか録音しといて使うかどうかは後で判断するくらいにとどめとくくらいが無難だと思う。
まあネタかもしらんが。
そーゆうオヤジ連中は、相手が嫌がっていると思っていない
きゃっきゃきゃっきゃと(内心見下しながらも)楽しんでる
こういうときの正しい対応は、笑顔を消して、声のトーンを落とし
減らすための代償だと思ってくれ
どうにもこうにもいっぱいいっぱいで、昼から休んだ。
えも言われぬ不安感がどこからくるのか、未だに良く分からない。
本屋で曾野綾子の本を買って、もう数年行っていないレストランに入った。
白ワインと卵とエビのサラダを頼んだけど、サラダはどう考えても当時の味にはほど遠く、
がっかりしたけど、白ワインを飲みながら本を読むのはそれなりにいい体験だった。
日常の、リニアな部分を外れなければいけない理由が、僕にはある。
でなければ僕は耐えられない。
接客業のバイトをしているので、容姿についてしばしば言及を受ける。お褒めいただいて光栄です。花の盛りは短いので、後半生の糧にしよう。褒め言葉は嬉しいけれど、、、というバイト先のお客さんの話。
から始まり、いつの間にか私のあだ名が「チチ」になっていた。なんでやねん。悟空の嫁だけにしとけ。念のため断っておくが、私の胸は小さくはないが別に大きくもない。そう錯視するのはブラのお陰。私はスラリとした足は持っていないどこか太ももはじゅうぶんすぎるほど太いし、全体的にぷにぷにである。女子のバリエというやつだと思うことにしている。しかも、そのお客さんは乳ネタでは飽きたらず、「歳なんぼや」「結婚しとるんか」「どこ住んでるんや」「(注文伺いの際に)僕は君がいい、言うてるやろ」エトセトラ。
まだ幼稚園だった頃、水着グラビア写真を「ほらほら、見てごらん」と大量に見せて来るおじさんがいた。あやしいおじさんではなく、伯父さん。私はそれがすごく不愉快で、そのたびに「えっちなのはダメなの!」と怒っていた。おじさんのことは好きだったが、そういうところは大嫌いだった。二十年以上経った今思い出しただけでも涙が出てくるくらい。すごく嫌だった。
で、これってセクハラと同じなのかな、と思った。性的な嫌がらせだし。
男性ってそういう欲求があるんですか?
ブコメで「科学こそ適正手続きが大事だ!」って吠えてるのが湧いてるが、こいつら単に「ニュートン」読んだり早野tweet見て科学してる気になってるだけだろ。
「何を」検証するか抜きに手続きが第一って、おかしいだろ。まるで手続きから物理法則が生まれるかのような。もちろん、科学の「器」を作っているのはその手続きだが、「料理」にあたる本体部分は物理法則であって、「神様のノート」(エルデシュ -- 数学は科学とは言えないかもだが)だろう。器はとても重要だし、器抜きの料理はどうしようもない。だが、この「器」は形を整えたり、棄却されるべき仮説を削ぎ落したり、正しさを共有するための指標としたりするためのものであって、こねくり回されるべき「科学」そのものじゃない。仮に(その時点の)適性手続きを上まわる科学的正しさがあったら、理論だけじゃなくて適性手続きのほうも変えないといけない(パラダイムシフト)。
「適性手続き」の執行はできるが、ロクに仮説を立てることも思考実験もできない学者の集団ってのがいたとして、何か科学的なことができるか考えてみるといい。または、ニュートン力学の時代やピタゴラスの時代は「適性手続き」なるものが今とはかなり異っていたが、そこに「科学」が存在しえなかったのか、考えてみるといい。
あるいは、「仮に検証されなくとも正しい法則は最初から正しい。ただ人間が理解できないだけだ。」と言いかえてもいい。まぁ、その正しさも人間の理解力の限界のせいで、前提を置いた上で「現状ではこれよりも現象をよくあらわす仮説は知られていない」あるいは「(ある前提条件において)この法則に反する現象は知られていない」というところがせいぜいだけど。
「 そんな事言って 実は出来ないんでしょ? 」
おまえは 出来ないと思う奴の所に仕事を持ってきて、出来ないんだろ?ってバカにするために、仕事持ってきたのか?
お前が出来ないと思うなら、その通りなんだろ。
じゃぁ、さっさと帰れ。
出来ると思う奴の所に、仕事持ってってやれよ。
人をばかにするのもいい加減にしてくれ、わざわざ、出来ない奴の所に仕事持ってきて、出来ないんだろってバカにしなくていいよ。
スーパーロボット超合金よりBRAVE合金の方が好きなんだと言いたいのだろうが、残念なことに両方とも対象年齢15歳以上だぞ?
というか、超合金魂だと、合体変形とプロポーション、稼働のバランス良いの多いし。
ZOIDSなんか、テレビシリーズにどっちが近いか言われるとHMMの方が再現度高い有様。
最近のトランスフォーマーもハイエンドモデルの方が変形機構とか凄いしな。
何の番組において、どのメーカーのシリーズがどーとかであれば話も進むんだろうが、全体的に~となると。
・原作のポーズを再現したりカッコいいポーズ取らせたり飾ったりして遊びたいわけじゃないのよ。
・原作の再現をするにしたって、変形合体のバンク全体を(完全でなくても)再現したい。
が相反しない製品群もあるしな…
まぁ、自分が好きなものを他人が判ってくれない辛さは判るが、もうちっと具体例出すとかして共感得る表現方法覚えた方が良いと思うぜ?
映画サマーウォーズを見て、ヒロインの夏希というキャラクターに違和感を覚えた。
可愛くない。
いや、全く可愛くないわけではないが
「学校のアイドル」という設定が納得できるほどの魅力が彼女には備わっていない。
率直に言えば、用意されたキャラクター(像)に
夏希の声優をつとめた桜庭ななみの声が合致しなかったのではないかと思う。
自然な少女らしさという点では良い声だったが、桜庭ななみの声をもって
「学校のアイドル」として納得できるような魅力が夏希に備わっていないように感じる。
もし夏希が、そこらへんにいるような(可愛い)少女として描かれていたならば、この違和感は生まれなかった。
そういう子が物語のヒロインであってもなんら問題は無いと思う。
だがなぜ「学校のアイドル」として設定づけられた夏希に、「そこらへんにいそうな少女の声」があてられるに至ったのか。
細田監督の最新作が公開されるにあたって刊行されたその本には幾つかの対談が載っていて、
そこにはオーディションに臨んだ際に
「声の演技は初めてだったし、カミカミだったので落ちたと思った」と語る桜庭ななみの言葉が載っていた。
(ちなみにオーディションでは演技だけでなく監督と雑談をして素の声がチェックされたそうだ。)
桜庭ななみが夏希役を射止めた理由はなんだろう?
細田監督は桜庭ななみの声を聞いた瞬間に夏希役を決めたそうだが、
桜庭ななみが演じた夏希に違和感を覚えた私には他に何か理由があるような気がしていた。
どこかに自分が納得できるような理由や答えがあって欲しかった。
そして、自分が納得できる答えを対談の中に見つけることが出来た。
桜庭ななみは気配りがすごい。
しかもそれが計算された感じではなく、相手を喜ばせるような言動が自然に出来てしまうタイプのようだ。
ほんの数ページの対談の中でさえ、そう感じるところが幾つもあった。
例えば、対談が始まる前に
「今日、主役の神木くんに監督と対談するってメールしたら“いいな!僕も行きたい”と言ってました」と監督に告げている。
「実は、(たくさんの人が来た)オーディションの場で、お茶を出して雑談をしたのは彼女ただ一人だった」と
初めて会って数分話しただけで、他の人にしないことをしてあげたくなる魅力が桜場ななみにはあるようだ。
また、ラーメンを好きだと言う桜庭ななみに対して「そういえばまたおいしい所を探しておいた」と監督が言うと、
「では最新作のお仕事が一段落したら、是非いっしょに連れていってください!」と彼女は答えるのだ。
相手の仕事を気遣う。同時に一緒に行きたいとしっかり伝えている。
この子・・・デキる!
誘う方がこれほど嬉しくなる受け答えは無いだろう。
そして対談が終わりになる頃、当時の作品を振り返って総括を求められると
桜場ななみは「あの作品に参加できた夏が、私の最高の夏でした」と熱っぽく語った。
それに対して監督は「嬉しいなぁ!」「ね?夏希はこういう子なんですよ!」
「もういいから今すぐラーメン屋一緒に行こう!(笑)」と言って対談は終わっていた。
その人と接していると気分がよくなって、持っているものをあげたくなる。
たとえ自分が持っていないものでも、その人のために用意をして与えたくなる。
そんな魅力が桜場ななみには備わっているのだろう。
対談を読み終えた私にはもう、彼女が役を射止めたのは当然のことだと思えた。
おそらく純粋に声の演技力だけならばもっと上手い人がオーディションに来ただろう。
ただ「一緒にこの人と仕事がしたい、たとえ未熟でも仕事を与えて成長させたい」と思わせる魅力が彼女にもっとも備わっていたのだ。
その人と一緒に仕事をしたくなる魅力というものは、何かの実力がある事より時に代え難いものだ。
「夏希(を演じた桜場ななみ)はこういう子なんですよ」という意味だったろうか。
それとも監督の中にある夏希というキャラクターが桜場ななみの人柄を受けて変質した結果なのか。
私には“用意されたキャラクターに声が合致してないような違和感”の答えがそこにあるように感じた。
桜庭ななみが細田監督のアイドルという座を射止めた結果、ヒロインである夏希の声が彼女のものになったのだ。