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はてなキーワード: 信仰とは

2024-05-29

頭が悪いけど性格が良い人、みたいな信仰

あれ、どこから来るんだろうな。

小中高大社会人まで来てやっと洗脳が解けたけど、頭が悪いやつって普通に傲慢他人の話をまず否定から入るようなクズばかりなんだよな。

からこそ勉強にも不真面目で結果が出ないわけで。

「本当の意味で」頭が悪くて、どんなに頑張っても駄目って言う奴もいるんだろうけど、そういうのってほんの一握りなんだよな。

馬鹿の大半は性格が悪くて不真面目だから馬鹿。それが真実

まあもちろん、頭が良いか性格も良いとも言えないけど、頭が悪いやつに性格の良さを求めるのはそれ以上に可能性が低い。

こういう馬鹿に甘い信仰はとっとと無くなって欲しい。

雨の日に窓を開けるなという話

 何度言っても、母が雨の日に家中の窓を開けることをやめない。

 窓から雨が入ってくる、という話ではない。——まあ、そういうこともあった。増田若い頃は、母が梅雨時期、勝手に部屋の窓を開けていて(そしていつもすぐに開けたことを忘れるのだ)、帰ると何故か部屋が水浸し、という事件が一度ならず起きた。

 それは何度も注意するうちに流石に無くなったが、それでも雨の日に「風通し」をするくせは抜けていないようだ。

 母は、湿気の多い時期に窓を開けないと部屋がカビると信じている。

 しかし逆なのである。少なくとも、我が家では。

 

気密性と湿度関係

 というのも、実家マンションからである国道16号沿いに建つ、築20年ほどの、普通郊外型のマンションだ。

 基本的に気密性の高い鉄筋コンクリートづくりのマンション場合梅雨時のように外気の湿度が高いときに「風通し」に意味はない。どころか、逆効果だ。

 この場合、閉め切っていた方が、内装建材の調湿効果木材や布地は天然の調湿効果がある)で、室内の方が湿度は下がるのだ。

 (余談だが、エアコンをつけたあとはなおさらだ。よく夏場にエアコンを消してすぐ窓を開ける人がいるが、除湿エネルギー無駄いである。)

 これは増田自身経験則でなんとなくそんな気がしていたが、家を建てたとき勉強したらやっぱりそうなのだと知った。

 

 それ以来また何度も注意しているのだが、今度は増田自身の部屋でないこともあって、何度言ってもやめてくれない。

 母が生まれ育った、古い木造平屋の昔の家屋では、そうしなければいけなかったという恐怖から逃れられないのだ。

 

マンション木造は違う。木造でも、断熱性や気密性で違う。

 日本の「家」に関する話には、こういう、対象が違えば原理も違うという話が整理できず、ごちゃ混ぜになったものが少なくない。

 例えば「気密性が低い方が湿気が籠らず良い」というようなことを言う自称専門家」がいるが、こういう人はもちろんマンション木造の違いなんて理解してないし、さら木造でも昔の家と今の家では壁の中の構造が違うから、一概に「気密性が低ければ風通しが良い」なんて言えないことも、正確に理解していない。

 

 今の家では「気流止め」という施工が壁内に施されている。(https://www.dannetsu-takumi.com/contents/column/kiryudome/

 昔の日本の家では、床下、壁内、天井に至る全体が通気口役割果たしていた。空気が壁の中を自由自在流れることで、湿気やカビを防いでいたのだ。

 しかし、それでは当然、寒い日は寒く暑い日は暑い。外気そのままの環境を家でも我慢しなければいけないことになる。まさにあばら屋だ。

 だから現代住宅では、基本的にすべての床、壁、天井に「断熱」をする。そして「断熱」をするためには、逆に「気流止め」を施して、壁内を空気が動かないようにした方が良いのだ。

 これ以上の理論的な説明はここに書くには専門的すぎることと、検索すれば専門家のページがいくつも出てくるから割愛するが、この「気流止め」を理解していないと、風通しが良くなってカビないどころか、北海道で起きた「ナミダタケ事件」のような凄惨な結果が待っている、ということだけは書いておく(検索してみよう)。

 マンション場合、壁はコンクリートの完全な一枚板なのだから、はなから通気なんかしないのは言うまでもない。

 

 このように、現代の家はより過ごしやすくするために、見た目は同じでも、昔の日本家屋とは壁の中の構造がまったく変わっているのである。当然、その根拠には(ナミダタケ事件以来)半世紀以上に渡る科学研究がある。

 「カビない家」に対して現代科学の出した答えは「気密」し「断熱」し、空気の籠るところは「換気扇で換気する」だ。

 まかり間違っても、すきま風のする粗悪な家を作ることや、無駄な「風通し」で外気からわざわざ湿気を取り入れることではない。

 

母はもう仕方ない

 母のようになるともう仕方ない。本当は老体にも悪いからやめて欲しいが、まあそれも本人の人生だろう。

 しかし、素人の母のレベル認識が止まった自称専門家いつまでも嘘をまき散らし、若い人がまだそれに騙されるという現状はいくらなんでも忍びない。

 少なくともそろそろ、無根拠な「通気」信仰はなんとかしてくれと思う。

 確かに通気は必要だ、しかし、それは「どこに空気を通すのか」をキチンと理解した上ででなければならない。

 なんとなく「通気してるから」良いなどと信じていると、ナミダタケ事件のような逆効果なことはいくらでも起こってしまうのだ。

 

 室内の温度湿度コントロールに関する科学的な研究というものは、もう半世紀も実績がある。

 というのも半世紀前、オイルショックを景気に、世界中暖房エネルギー削減の研究を始めたからだ。

 現代は、アテカンや習慣で家をつくる時代ではない。

 もう少し、科学言葉に耳を貸そうよと言いたい。

 

2024-05-28

anond:20240528070509

「俺を虐げるな」=「無条件で俺を世話して性処理をする女をあてがえ」

そもそも、誰かがそう主張すること自体自由です。その主張を議論俎上に載せて対話するのが民主主義です。もちろん、こんな主張を議論に乗せれば、それが通らないことは自明です(1人の人権保障するために1人の人権犠牲にするのでは社会にとって問題は何も解決しないからです。一般的に言って、無辜な何者かの生活犠牲にすることによる解決は、少数意見尊重する真っ当な民主主義においては認められる主張ではありません)が、それはそれとしてその「主張をすること」は自由であり権利です。逆に、その意見封殺することは非民主的な行いです。

従って、

そんな主張なんか知ったこっちゃねえよとしかならんのだよな

という態度は望ましくありません。意見荒唐無稽だとしても、両者の意見のすりあわせと妥協点を探る(女性奴隷にせずに、「俺」さんが「虐げられていない」と考える道は本当に無いのか?など)態度が民主主義です。このように、民主主義標榜するなら「俺を虐げるな」などと言う人と対話しようとする姿勢必要です。もちろん、相手がマサカリ武装しているなら、対抗言論上多少きつい言葉を使うことも許容されるべきでしょう。しかし、少なくとも人権民主主義尊重する近代人のふりがしたいなら、対話すべき相手人間以前の生き物のようにレッテル貼りして言論封殺しようとするべきではありません。そういう( 「弱者男性に対する )マッチョな振る舞いが一部界隈では人気を博すのかもしれませんが、それは人権に名を借りたただの差別主義です。

差別主義とは何か。それは、社会に、本来存在しない見えない線を区切ることです。そのような見えない分断は多くの人にとってはただ不都合しかありませんし、特に、その区切りによって不利益を被る側には耐えがたいマイナスですが、その分断を強く主張し主導する人々にとってはそれが権力の源泉となります。たとえばエセマナー講師は、わかりやすいその一例です。奇妙なマナー提唱して、社会を「"マナー"を知ってその通りに振る舞う人/"マナー"知らずで無礼な人」に区分けする、多くの人にとってはただ面倒が増えるだけですが、マナー講師にとってはその「社会全体の不利益」がそのまま「飯の種」になります。「流行ファッション」などというのも、多くの場合これです。しかし、流行ファッションを飯の種にする人は多くいて、そうなるともうこの「流行」なるもの実態のように振る舞い始め、被搾取者だけでなく受益者まで巻き込んで様々な悲喜劇引き起こします。「文化伝統」「宗教信仰」もその類いであることは言うまでもありません(本来信仰の守り手として受益者であるはずの行為宗教家が、狂信者となることでどんな悲喜劇を引き起こすことか)。

ここで、しっかりと区別しておきたいことは、私はこのように振る舞うのが「好きだ」、私はこのような服装が「好きだ」、私はこのような文化が「好きだ」、私は神様を「信じている」……それは差別主義ではありません。しかし、人はこのように振る舞う「べきだ」、このような服装をする「べきだ」、このような文化を守る「べきだ」、誰もが私の神を信じる「べきだ」……となると、それはもう差別主義に足を踏み入れています。なぜならそれらは、そうする人としない人を区分けする考え方であり、しばしばまさに「区分けするため」になされる主張だからです。敵と味方にわけて闘うための思考差別主義です。差別主義は戦いからこそ利益を得るのです。

同じく、私は人権を「大事だと思う」、人権は「大切だと思う」、はただの選好ですが、誰もが人権を「尊重するべきだ」、人権を守る「べきだ」、人権を信じる「べきだ」、人権に則って振る舞う「べきだ」……は、ここで言う差別主義に当たることになります一見人権を大切にする結構な主張に似て見えますが、それらは社会に分断をもたらすことで結局は全体に不利益を与え、見えない壁を作り、そしてそう主張する者だけがそこから部分的利益権力を得る、そんな行いだからです。人権民主主義も、この社会構成員全てを等しく扱う考え方であり、「敵/味方」という思考から最も遠いはずのものですから、「彼らは民主主義の敵だ」とか「我々は人権派だ(あいつらはそうではない)」といった主張は、本来存在するはずがないのです。

私たち一人一人は、弱く愚かです。間違いも犯す。だからこそ、いろいろと問題のある中で民主主義が選ばれ、尊重されているのです。たとえ自分民主的人権尊重する人間であると自負していたとしても、私たち不断に自らが本当にその名にふさわしい振る舞いをしているか再確認する必要があるでしょう。人権民主主義はありがたく飾っておけばすむ錦の御旗などではなく、常に実用最前線にあり、限りない問いかけと異議申し立ての中で磨きぬかれてきた存在なのです。

2024-05-27

リニア工事のせい?で300年枯れず信仰対象となっていた井戸が枯れたらしいのだが

将門公の首塚みたいに祟りか何かでリニア工事をどうにかできなかったんだろうか?

2024-05-26

anond:20240526215923

書評 飯山陽著『イスラム教論理

松山洋

東京大学文学部大学院人文社会研究科

職名 准教授

専修課程 イスラム学専修課程

専門分野 イスラム学専門分野

研究室 イスラム学研究室

詳細情報 詳細情報

神学法学を中心にイスラームスンナ派思想研究をしている。博士論文では、「マイノリティムスリムのためのイスラーム法学」を唱導する現代論客理論比較し、現代イスラーム法学の言説的特徴を考察した。加えて、マートゥリーディー派という神学派の「信仰信心概念に関連する問題群の分析も行っている。古典的学説研究だけではなく、現代イスラーム教徒が、古典的学説をどのように理解しているのかということも中心的関心事である。著書に、『イスラーム神学』(作品社2016年)、『イスラーム思想を読みとく』(筑摩書房2017年)などがある。『イスラーム神学古典選集』(編訳、作品社2019年)などの著作では、イスラーム学の原典翻訳し、日本に紹介している。その他、日本社会イスラーム認識にも関心がある。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jorient/61/1/61_74_78/_article/-char/ja

本書は,クルアーンイスラム法の論理解説しながら,イスラム教本来的な教義が,「イスラム国」をはじめとする「過激派」の活動の内在的要因であることを示すものである。著者によれば,「イスラム国」の掲げる理想が「イスラム教徒全員にとっての理想」(4頁)であることは,イスラム教教義を「正しく」理解したのであれば当然の帰結として導き出されるという。イスラム教の「異質性」,「対話不可能性」を示しながら,著者は,楽観的な態度で「イスラム教徒との共存」を可能と考える日本人に警鐘を鳴らしている。

本書の最大の特徴は,イスラム法の理論依拠して議論を展開する点にある。著者は,イスラム教教義イスラム教徒による「テロ」や「暴力」との連関の有無を論じるためには,イスラム法学をはじめとするイスラム教理論的枠組みに言及することが不可欠であることを十分に強調した上で(6–7頁),イスラム教の「論理」を考察の中心に据えるスタイルを全体を通して貫いている。著者の言うように,イスラム教行為規範の主だった問題イスラム法学の中で論じられる。

したがって,イスラム教徒の行動の宗教的背景を説明する際にイスラム法の知識が求められるという著者の主張は極めて妥当である。この方針は,本書に高い画期性を与えていると評することができる。

ただし,いくつか問題点も指摘できる。

第一問題点は,著者がイスラム法学の諸理論について正確な理解を欠いていることである──これは本書の基盤にかかわる重大な問題点と言える。

イスラム法の論理依拠して議論を進めるという本書の方針は,当然ながら,イスラム法学にまつわる本書の記述が正しく,正確であることで初めて実現する。

しかし残念なことに,著者がイスラム法の論理言及する多くの部分に,理解が誤っている部分や不正確な表現を見出すことができる。

第二の問題点は,著者の(イスラム教以外の宗教を含む)宗教全般についての先入観無理解である

これが,本書がイスラム教特殊性無用に強調する背景にある。

著者は随所で「イスラム教イスラム教だけを真実と考える」(だから特殊だ)と強調するが,他の宗教は違うと言うのだろうか。

仏教キリスト教イスラム教のような,特定の「世界観」を教義内包する宗教全般は,他宗教真実性を承認することは本質的にあり得ない。

殊更イスラム教だけに限った話ではない。


第三の問題点は,本書の全体的な論の進め方・レトリックについてである

著者はいたるところで,①イスラム教ではジハードは正当な行為である→②「イスラム国」はジハードを行っている→③故に「イスラム国」はイスラム教の正しい実践である,という議論展開を行う。

しかし,このような三段論法は,その過程で多くの要素を意図的にそぎ落として初めて成立する。

例えば,ジハード定義や,クルアーンで命じられているジハードと「過激派」のジハード理解の異同等の問題は,本書では一切検討されない。

イスラム教では異教徒殺害対象とされる」,「イスラム教世界を戦いに駆り立て,世界征服を目論む宗教である」といった命題も,同様の論法で「イスラム教論理」として紹介される。

本書は,イスラム教徒──特に過激派」──の思想・行動とイスラム教本来教義との連関をイスラム法の論理依拠して論じようとしている。

このこと自体は,法学神学への言及なしに「過激派」とイスラム教教義の(無)関係性を説明しようと試みるその他の一般書と一線を画す,極めて正当な方針と言える。

しかしながら本書は全体にわたって種々の問題散見される。そのため,イスラム法学知識クルアーン解釈(tafsīr)の知識,昨今の「過激派」と「穏健派」の解釈の異同についての知識等を備えたうえで注意深く読まなければ,イスラム教についての誤った理解をもたらす可能性が高いと言わざるを得ない。

2024-05-25

anond:20240524165046

信仰より法律が優先されると明言しておくだけで、厄介な人たちが近寄らなそうではあるが。。

信条自由プライバシー

このふたつは同じものではないのでは。

政治的意見の表明や信仰についてはもともとパブリックに表明して、そのうえで差別されないことが憲法の定めでしょう。

表明していない信条国歌保護しようがないように思いますが。

そこで思うのはやはり憲法が定めているのは恩恵的にどの宗教信仰してもいいという自由を与えているのではなく、国家はどういった宗教を信じようと、それによって差別があってはいけない、ということなんだと思います

そうなると、例えば国家戦没者慰霊するときに、特定宗教排除しちゃいけないという意味なのかなと。

で、それは亡くなった人の信条にも当然配慮すべきですが、配慮することはどういうことなのかは微妙問題あるかなという気がします。(例えば遺族年金対象外などにしたら問題だけど、慰霊碑に記名するのはやめてほしいという遺族の依頼をどう対応するかなど)

政治学者某氏たちの投稿を見ていると、何かプライバシー政治的信条は同じものであるように思われているような気がする。

しかし、確かに政治的信条アイデンティティの一部ではあるけど隠されるべきプライバシーとは違うのではないか

ちなみに小生は教会という場所法人としてパブリック場所なので宗教法人としての保護に値すると思ってます

2024-05-21

anond:20240521142537

文学研究米国女性民間療法で飲んでたハーブやらまじないや習慣など信仰的な文化があったという文献を読んだことある気がする。

でも増田が言うように魔法技術研究はないよね

七つの大罪ってアレ、人間原始的ストレスの発散方法だっただけやんね

食べまくって発散

エロいことして発散

集めたいもの全部集めて発散

キレて発散

サボって発散

妬んでストレスの原因を特定

物事を下に見て優位性を維持

 

ん?妬みがなんか薄いな

原作の方の修行論の方ならより“なんだストレスの発散方法じゃん”って思いやすいな

 

食いたがって

ヤリたがって

儲けたがって

泣きたがって

怒りたがって

無駄なことを辞めたがって

偉ぶろうとして

自分以外は下であってほしいとか考えちゃって

 

ただまぁストイックな奴が『ストイックにやろうと思ったら〜こういうのにぶつかるかもね』って書いてただけのやつなんだよな

 

そう、罪だとか書いてるけど元は「お前がやり遂げようとしてるものにはこんなに障害があるんだぜ!」の奴でしかなかった

原罪とか言われても、『いや、こっちは全然その欲望との折り合いつけて生きてますけど』って言われたら「あ、そうですか…こりゃまた失礼しました…」で終わる奴だった。

逆にそれに対応した美徳遂行しようとしたらすげえストレスが貯まるやつだし

節制だの、純潔だの、慈善だ寛容だの、忍耐だの、勤勉だの、感謝人徳だの、謙虚だのって文字で並べただけでストレスが溜まる単語ばかりだな、修行論は結局その誘惑を振り切った先に不動の心だ愛だ超然とした状態が持てるだのがあるから“その8つの想念を振り切る利点”がわかりやすかったけどさ。

美德ってなんだよって感じだよな

そう、社会美徳を維持してくれる人にちゃんと利点を分け与えてくれるならみんな美徳を維持するんだよ、そのストレスが溜まる行為をさ。

 

節制すれば金が残って明日生活も安定するし

純潔であれば肉体にハンデを背負う心配不貞によってお互いを疑い合わなくて済むし

慈善行為をすればその行為によって人も社会一時的に助かるからより進歩したものが手に入る可能性が上がるし

寛容であれば物体的なものに執着せずに使える時間が増えるし

忍耐すれば怒りによって破壊されるようなものがなくなるわけだし

勤勉であればどこかで役に立つ知識が増えるかもしれないわけだし

感謝していれば感謝を返されたりして充足感を得たり、返されなくても嫉妬する程ではないと気付けたりするし

人徳があればより嫉妬もする必要性がないわけだし

謙虚であれば伸ばした手を取ってもらえる可能性も増える訳だし

 

そういう見返りがあるなら美徳してても問題ないのよ、多少のストレスは誤魔化せる

見返りが無くて、それこそその信仰を熱心に維持して超然としたい訳ではないなら最初から関係ないんだよな

みんな変に超人にさせられかかってるんだよな

でも中身が人間から『なんか理解できない〜』ってなって調子おかしくなるんだよな

そして普通に暴れたりヤッたり、食ったり寝たりして『なんかわかんねえけどストレスなくなったわ〜』ってなるんだよ

大罪かいうのもキリスト教にとっての大罪だしな

何の信仰も抱けねえストレッサーには『そんな発散方法が!』ってなる内容なだけなんだよな

ちゃん信仰を抱いた時にやっと『まぁ神に祈るっていうオナニーをしてる訳だしそれをもっと気持ちよくなれるところで維持したいなぁ』って神経になって大罪だなんだを意識するんだよな

その趣味が維持させてもらえるなら〜でしかないんだよな

別に維持する意味がないなら超然人間を維持する為の秘訣で終わる。

それでもストレスは溜まる。

何の宗教にも属していないのに超然人間しててワロタと指差されることもなく、ただただ超然人間を目指すために生きてストレスを溜めることになる。

からちょっとご褒美で飯食ったり、シコったり、金稼いだり、泣いたり、怒ったり、やる意味わからんことを辞めたり、自分の実力を上げたり、地位上げたりしてストレスを発散していいんだ

そういう宗教をしてる訳じゃないもんな、俗っぽいと笑われても単なる哀れな人間として生きてるのだから大罪が8つ9つ提示されようがストレスの原因を探して発散していいんだ。

2024-05-20

陰謀論・反ワクにハマり、デモに参加しようとする友人を説得したい

 親しい友人が、ディープステートをはじめとする陰謀論にハマりました。

 趣味SNS陰謀論について積極的に発信するようになり、陰謀論である主催者がおこなうパンデミック条約反対デモに参加すると言い出しました。


 私は、陰謀論の主張内容にも、それを信じ広めようとする人たちの態度や振る舞いにも賛同できません。友人がそういった思想に染まることが耐え難く、陰謀論を信じることをやめてほしいし、最低限デモには行って欲しくないと思い、説得を試みました。結果、陰謀論への信仰(本人は自分の主張を陰謀論とは思っていない)を止めることは叶いませんでしたが、デモへの参加は思いとどまってもらえました。友人を説得するために手紙を書いたのですが、直接口頭で伝えることができたため、この文章を送ることはなくなりました。

 せっかく書いたのにもったいない(笑)ので、供養と、私と同じように陰謀論デモへ行こうとする友人にモヤモヤしている方の気持ちを整理するきっかけになればと思い、ここに投げることにしました。また、手紙の本文中に挙げた書籍は、陰謀論実態を知るために読んだ十数冊の中から中立的立場から書かれていると感じたものを選びました。特に情報パンデミック」は読みやすおすすめです。


 なお、私の友人は「ここまで心配してくれる友達との仲を壊してまで行くのは止めよう」という気持ちからデモ参加を取りやめたのであって、陰謀論を信じること自体を思い直したわけではなさそうということを書き添えておきます。予断を許さない状況は続いています

  友人へ。もし、この投稿を見つけたのなら、陰謀論というワード検索たか、少しでも疑問を抱いたか、だと想像します。正直、私の反対を押し切ってデモに行くなら絶縁もありうると思っていたし、陰謀論を信じ続けるのであれば今までのようには付き合えません。考え直してほしいです。




 パンデミック条約反対デモに行く気持ちは変わらないと聞き、今の時点での私の思いを伝えておきたいと思い文章にまとめることにしました。返信しなくて構わないから、読むだけは読んでください。


 あなたが心から日本の現状を憂い、未来を良いものにしたいという善意と熱意からデモに参加しようとしていることは、十分理解しているつもりです。その気持ち否定したいのではありません。

 でも、私との友人関係「真実」を多くの人に知ってもらう活動、そのどちらかを選べと言われたら、今のあなた後者を選ぶでしょう。そのことが本当につらく、悲しいです。実際にそうなるかもしれないという危機感覚悟を持って、今この文章を書いています

 陰謀論を信じている人を説得することは困難、むしろ逆効果であることも承知の上です。本来であればスルー一択の状況だけれど、私はあなたとの友人関係を失いたくない。その一心からであって、決して非難攻撃をしたいのではないということ、分かってください。


 ここからは、あなたの信じる「真実」のことを陰謀論と呼ばせてもらいます安易レッテル貼りが良くないことは重々承知していますが、他に適切な言葉が見つからないので、ごめんなさい。

 一部の権力者が外からはわからないように自らの利権を得るためのはかりごと=陰謀陰謀があるという前提で世の中の事象説明しようという試み=陰謀論、と捉えています史料証拠があり明るみに出ているもの陰謀、明確な根拠がないのに仮説をそのまま事実と主張するもの陰謀論、です。現在進行中で明るみに出ていない陰謀もあるかもしれませんが、明るみに出るか確実な証拠が見つかるまではそれも陰謀論範疇といえます。正しくないかもしれないけれど、間違いを回避するためにはこのスタンスを取ることが健全ではないかと考えます



 

 デモに行って欲しくない理由は主に二つです。


 ひとつめは、デモの主張内容の根底陰謀論があること。

 今回のデモの主張内容、ワクチン関連死の真相解明・超過死亡の原因究明・パンデミック条約反対、これら自体は真っ当な主張に見えます

 しかし、主催者発言などを見ていくと、おそらく陰謀論論理価値観を前提にしているのだろうと推測ができます。「日本を滅ぼしたい何者かがばら撒いた毒によって人がたくさん死んでいる」と言いたいのですよね。


 陰謀論は、科学的根拠を精査しておらず論理が飛躍していることにも違和感があるのですが、それ以上に「全ての事象には必ず明確な原因がある」という二元論姿勢こそに、問題本質があるように思います


 あなたは、デモ主催者陰謀論であるという私の指摘に対し、彼の言うことを全て信じているわけではないと言っていました。陰謀論には、荒唐無稽ものから真実に近そうなものまで多々ありますしかし、荒唐無稽ものは信じていないから、というのは、陰謀論を信じていないということにはなりません。

 「根拠の不確かな」「それっぽい説を真実と信じ込み」「善悪二元論帰結させ」「反論する相手のほうが間違っていると攻撃し」「自分の信じる真実理解しない者は反対勢力洗脳されていると憐れむ」「対話不可能な」言論に心当たりはありませんか。

 あなたの主張には、おそらく正しいもの現実に即したものも多々含まれる。しかしその根底にある信念(ディープステートによる世界支配)は、紛れもなく陰謀論のものです。ディープステート存在は、現時点ではあるともないとも証明のしようがない。それを「ある」と確信しているところに、危うさを感じます

 利権絡みで政治が歪むというのは普通にあることでしょう。歴史を紐解けば、そういった陰謀が実際に存在したこともありました。

 しかし、少子化報道感染症対策をはじめ、あらゆる現象がそこへ帰結するというのは、いくらなんでも飛躍しすぎです。ディープステートが本当にあると信じることが、認知を歪めてしまっていると感じます


 世の中には「わからない」ことがたくさんあります。答えが一つではないことも、立場が変われば意見が変わることもいくらだってあります

 ワクチン関連死の真相も、超過死亡の原因も、おそらく現時点では「わからない」のです。わからないなりに、未知の感染症になんとか対抗しようと手探りで行われた結果、思いもよらない被害が出てしまった。そんなところではないでしょうか。

 もちろん、それで良かったとは言いません。原因も究明されるべきでしょう。それでも、わからいかもしれない。科学の、医学の力なんてそんなものなのです。

 もし原因が判っても、今の政権は都合の悪いことを発表しないかもしれない。隠蔽を疑いたくなるのはごもっともです。だからデモで抗議する。理解できます


 しかし、それがなぜ「隠された陰謀によるもの」と結びつくのでしょうか。「明確な答えがないと不安」な気持ちを、絶対悪である何者かの所為にすることで安心したいのではないですか。


 カルトマルチ自己啓発セミナーと同じ構造です。不安を一発で拭い去ってくれる魅力的な何か、「気づき」、昨日までの自分とは違う覚醒したような気持ち。そういったもの陰謀論はもたらしてくれるのです。脳にとっては快楽です。だからハマる、依存性があるのです。

 真実からスッキリ納得がいくのではありません。スッキリするからそれを真実錯覚するのです。


 私は、陰謀論を広めようとする人たちの、自分たちの主張が絶対に正しいと信じて疑わない(ように見える)立ち振る舞いが苦手です。

 世の中に、絶対的な悪や完全な正義はないと思うからです。世界の仕組みも人間の行動も、数十分の動画簡単説明できるほど単純ではないと思うからです。理不尽で不可解な状況に置かれたときも、一旦は現状をありのまま受け止めることからしか理解は始まらないと思っているからです。この点において、陰謀論スタンスとは相容れないのです。

 そもそも、隠された世界的な陰謀本当にあったとして、それを一般市民YouTubeで手軽に知ることができるなんて、おかしいと思いませんか。



 もうひとつは、エコーチェンバー問題

 デモに集まるのは、陰謀論的な価値観の人、それに疑問を感じていない人たちだと思います。同じような意見の人に囲まれていると、その意見多数派正義のように思えてくる。リアル陰謀論コミュニティに参加することで、あなたがそちらの世界ますます傾倒してしまうことを恐れています

 デモはきっと楽しいでしょう。同じ意見の人たちと語り合い、声を上げ、この国の未来のために行動しているという実感が得られるわけですから。せめて、ここまで読んでもらって、陰謀論の「おかしさ」に少しでも疑問をもってくれていたらと思います

 また、陰謀論スピリチュアル自然派マルチカルト親和性が高いです。これらは、日常生活人間関係に大きく影響します。コミュニティの内側にいると気づきにくいものですから、引きずられないよう気を付けてほしいです。



 「陰謀論と言われても負けない」「陰謀論なんて信じてないけどこれは真実」「正しい情報は隠されているか自分で調べなければならない」これらは陰謀論に飲み込まれる人が必ずと言っていいほど口にする言葉です。

 あなた政治・経済に詳しい。それは誰もが認めるところです。けれど、政治に関心が高い人ほど陰謀論を信じやすく、逆に教育の高さや政治立ち位置陰謀論への染まりやすさに影響しないということは知っていますか。

 ネットYouTubeだけでなく、ぜひ一度関連書籍も見てみてほしいと思いますあなたに勧められた動画を見ていない私が言える立場ではないとは思いますしその点は申し訳ないと思うのですが(実はいくつかは観ようとしました。しかし冒頭から何を言っているのか意味がわからず、苦痛で、すぐに観るのを止めてしまいました)、少なくとも誰でも好きなように公開できる動画よりは、ファクトチェック体制のある書籍のほうが信頼できると私は考えています


 参考までに、陰謀論歴史やそれを信じるに至るメカニズムを、心理学的・統計的調査をもとに分析している書籍を挙げておきます

陰謀論入門」ジョセフ・E・ユージンスキ 作品社 2022年

情報パンデミック読売新聞大阪本社社会部 中央公論新社 2022 年

陰謀論」秦正樹 中公新書 2022年



 私は賛同できないけれど、陰謀論を信じること自体個人自由です。それなのになぜその世界観を否定するのかを、最後に書きます


 あなたは、「真実が一人でも多くの人に広まってほしい。生活が安定しなければ趣味も楽しめない。政治生活から政治のことを発信していく」と言っていましたね。

 しかし、まず大前提として、趣味SNSではみんな趣味の話をしたい。人の家の生活、たとえば晩ごはんメニューがどうでもいいのと同じように、人の政治的主張もどうでもいいのです。

 もちろん発言することは自由です。時には「あ、なるほど」と思い、時には「ちょっと面倒臭いな」と思い、多くはスルーされるでしょう。平和的な、現実に即した発言であれば、ですが。


 陰謀論本質は、全てを二元論帰結させがちなところにあります。つまり何かを語る時、一方的かつ断定的な物言いになる傾向があります。率直に言って「怖い」のです。反論なんかしたら百倍になって返ってきそうだし、話が通じなさそうに見えるのです。

 それを見た人はどう反応するか。同じ意見を持つ人は賛同を表し、ますます先鋭化していく。反対意見の人は、反論して不穏な空気になるか、黙って去る。そしてほとんどの人は、そっと離れる。だっていから。


 すると、いずれどうなると思いますか。あなたの周りには、同じように陰謀論を信じ広めたいと考える人が残り、先鋭化した思想についていけない大多数の人は離れていくのではないでしょうか。


 陰謀論を広めようとする人たちは、自分たちの主張を絶対に正しいものと信じ、否定するもの断罪し、自分たちの主張に都合のよい事実のみを根拠としてつまみ食いします。

 陰謀論思想から、言説を信じることで次第にその行動様式にも染まっていくのです。


 最近あなた言動が、これに近づいていることは自覚していますか。陰謀論ひとつの説として受け止めるにとどまらず、その善悪二元論的な考え方を自分の中へ取り込んでいることに気づいていますか。


 先月、攻撃的な言動非科学的な情報拡散を控えてほしいとお願いした頃、次第に過激化していくあなたの振る舞いをそばで見ていて、私はとてもしんどかったです。趣味アカウント積極的思想を発信し、周りからかに距離を置かれていることを察して切ない気持ちになっていました。非科学的な言説に対し、どう反応してよいのかわから困惑していました。


 しんどければミュート・ブロックしてくれとあなたは言いますが、実際にそれをしてしまえば、今後あなたと一緒に趣味を楽しむことはできなくなりますよね。

 受け止め方は人それぞれだから、と言うのは、一見、冷静な態度に思えます。離れてもどうでもいい他人ならばそれで構わないでしょう。

 しかし、私や親しい人たちに対してまで、気に入らないなら見なければいいと言ってしまうのは軽率ではありませんか。私はあなたにとってその程度の存在なのかと、悲しくなりました。


 趣味を楽しむために始めた発信なのに、一緒に趣味を楽しむはずだった人々が離れていく。そして孤立すればするほどこの傾向が加速する。

 信じることが自由であっても、思想を広めようと発信することには責任が伴います。その思想自体賛否があることはもちろん、その他の発言陰謀論的な価値観を持つ人の発言と受け取られるようになります。「結局、陰謀論を広めたいんでしょう?」「ヤベー奴の言うことはヤバい」となるのです。既に、趣味アカウントの一部のフォロワーの間ではそういう空気になっています

 陰謀論の主張内容や拡散方法に対して、不快感嫌悪感を抱く人がいることを想像していますか。第三者にそういった感情を抱かせる発信をする人から、離れたいと思う人がいることは想像できますか。


 陰謀論は、カルトマルチと同じように、思想に染まることで人格を変え、周りに広めようとすることで人間関係破壊するのです。



 くり返しますが、あなたが心からこの国と未来を憂いて、善意と使命感から陰謀論を信じていることを非難するつもりはありません。

 あなたはきっと世の中の不条理無理解に対し、大変な憤りを感じているのでしょう。あなたが世の中の問題真摯に向き合った結果、周りへの影響を過小評価し、私との関係犠牲にすることすら厭わない態度を取らせるに至らしめた陰謀論が憎いです。同時に、それをあなたへ広めた陰謀論者の人々もまた、心から善意と使命感からそうしているのだということにやるせなさを感じます

 だれも悪くないのにどうしてこんなことになってしまうのか、言葉が見つかりません。ただただ悲しいです。


 結局のところ、私が何を言おうと、あなた自身が気づかなければ私の言葉が響くことはないでしょう。あなたもきっと、私に対して同じように思っているのではないですか。私は体制側に洗脳されている、陰謀論レッテルを貼ることで真実から目を背けている、結局は自分の力で気づくしかないと思っているのではないですか。

 極端な思想を語ることのリスクはこれです。どんなに気が合うと思っていても、世界観、価値観の相違をあぶり出してしまう。関係の薄い相手であれば容易に分断を生み、親しい間柄にさえ話しても無駄という諦めが溝を生む。

 自分思想押し付けたりしていないのに、私からは考えを押し付けてくるのは干渉しすぎだと思いますか。そうかもしれません。これが例えば宗教の話だとして、キリスト教仏教なら何も言いません。でも、統一教会オウムなら全力で止めますよね。陰謀論はそういう性質のものからです。少なくとも無害ではない。これ以上深入りすれば、あなたは私の知っているあなたではなくなってしまうかもしれない。だから、行き過ぎを承知で言っています。同時に、陰謀論と言われても仕方ないと解っているのに、信じるのを止められないことへ無力感を覚えます


 初めにも書きましたが、もっと関係の薄い相手であれば、陰謀論にハマったと感じた時点で穏便に距離を置いていました。思想洗脳された人を見るのはしんどいし、説得することは困難だからです。

 それをせず、反感を買うかもしれないこんな長文をわざわざ送り付けたのは、私があなた失いたくないからです。どうか、私のために頭を冷やしてほしい。

anond:20240519200019

この人、今の不動産市況が安定してずっと続くことを前提に考えているのかな。世の中の経済状況は変わらないという信仰みたいなものを持っているんだろうか。たぶん20世紀末の日本バブルことなんか聞いたこともないんだろうね。

2024-05-18

最近大麻擁護の流れこえー

マルクスは「宗教民衆アヘン(‘opiate of the people’)」と言ってたが、

最近大麻合法化しろ!的な世の中見ると、大麻安全だと信じたい大麻信仰宗教もいいところやな。SFかよ

2024-05-17

anond:20240517142924

鼻で笑うだろうが、他に選択肢少ないないで自民維新に入れることが多い

浄土真宗を主に信仰しているのでお経サブスクかぐらいかなぁ、宗教課金

院号はそろそろ買おう(買うという言葉不適切ぽいが)とは思ってる

オーガニック信仰

なんか広まってきてて怖いんだけど

他の似非科学陰謀論と相性良いから変なのも集まってくるし

あれはどういう組織布教してんの?

2024-05-15

anond:20240515122359

「広義」とか持ち出して定義曖昧にするのがまさに詭弁のやり方じゃん。

単なる認知バイアスを「信仰」と表現するのは雑すぎるよ。

死ねば楽になれる教」というのも実際には鬱病かもしれないし、

こんな一行程度の書き込みからわからんでしょ。

anond:20240515121228

「広義」と言っただろ 

宗教団体に属さいないとか、伝統宗教を信じないとかはできるんだよ。通俗的にはそれを無宗教と呼ぶわな

 

でも一切の信仰を持たないことは無理。

いいことしたらいいことあるはずとか、サイコロ連続出てたら次は1出ないはずとか、麻雀買ったら流れに乗れるとか、死んだら無になるとか、逆に天国にいくとか、何かの信仰生まれる。

人間の脳と認知能力では、事実だけを認識し続けるすること、とくに「わからない」をそのままにしておくのが無理なんだと思う。

元増田が「無宗教」じゃないとしてもそれは普通だと言いたかった。

anond:20240515115859

まあ広義の宗教信仰を持ってない人間なんてこの世に存在しないからね。 

 

無宗教だって、正確にはアンチ宗教、神は存在しないという信仰のことだし。

2024-05-14

anond:20240514154619

小学校の時先生に習わなかった?

Q. 男性女性、どちらが多いと思いますか?

A. 男性

考えてみれば当然で、男性死ぬように出来てるの。

たくさん産まれて、たくさん死ぬ前提で。

あれだけ戦争したり何なりしてても男女バランスが大きくは崩れないのは、

もともと男は5~7%くらい多く生まれてくるから

その分、能力も極端になるように出来てる。

極端な天才もいれば、極端なバカもいるように。

からその数パーセントくらい、自然に間引かれなきゃならないのに

全部救うってのは、人間という生命全体の構造上無理な話。

無敵の人が増えているのは、そういうリベラル信仰

全ての人類は救われなければならないという、おとぎ話をぶち壊したから。

全ての人類の生きづらさは、宗教がぶっ壊れたから。

聖書でも、コーランでも、般若心経でもいい、今すぐ拠り所を見つけなさい。

2024-05-13

YesロリータNoタッチ同人女版を考えよう

オタクは宮﨑勤事件煽りを受けて、現実フィクションを強く区別することを求められてきた。故に、二次元表現を崇拝しながらも、それを現実には持ち込まないという心構えがあったものだけれども。

https://anond.hatelabo.jp/20240510142012

作り出した作者が醜くても作品に罪はないからこそ作品世界に没頭したいのに、記憶の片隅にやきついた作者男の映像邪魔されてしまう。これまで楽しんでいたものが楽しめなくなるという妨害行為をされてしまった。それが嫌で、そんな被害者を再発させないよう、男作者は予防してほしいのです。

まさか同人女はまだその域に達していないのか?二次元の拗らせを現実に持ち込んでも刑事事件には発展しないが故に放置されてきた、女性向けらしいといえばそれらしいが。

二次元三次元区別が出来てないが故に現実に加害が持ち込まれ男性向けとは異なり、女性向けでの三次元への混同は、望まざる男の排他という形で現れる。推し並に整っていない男は存在価値がない。視界にすら入ってほしくない。そのような考えに発展するようだ。

ぶっちゃけ、こんなこと思うだけなら勝手である基本的にこれで損をするのは、男という全人類の約1/2と関わる機会を自主的に絶っている女側だけだ。しかし、この排他思考同人誌即売会という男女ともに開かれた場所にさえ侵食してくるのであれば、話は変わってくる。

第一、かの主張を裏返しに考えれば、二次元レベルの顔整い男が頒布した同人誌は、その内容に対して本人の像が連想されるということでは。それは散々叩かれている「女作家男性向け成人誌では、女作家に内容の投影がなされセクハラが飛ぶ」と構造的には変わらない。そのレベルの顔整い男はわざわざ女性向け同人を書かずとも自身欲望を満たせるので、そのような問題は現状起こっていないが、この構造地雷のように水面下に潜み、いつか大爆発するかもしれない。

同人女も、二次元三次元を分けて考えられるようにならないといけない。お前の思う信仰対象現実には存在しない。そして、三次元の醜さが二次元に影響されるべきではない。これは同人男が共通して抱いている、清楚銀髪美少女JK(cv早見沙織)が現実に現れようがないという諦観を、同人女も持つべきということである。そして、現実にそのような女が存在しないことが、現実の女の醜さが、二次元の清楚銀髪美少女JK(cv早見沙織)の尊さを害することはないという認識を持つべである

男性向けでは、こんなこと誰に指摘されるまでもなく理解していることだ。標語なんて必要なかった。男性向けに必要だったのは、二次元での加害を三次元に持ち込まないことだけだった。女性向けでは違うらしい。今すぐ考えろ。自分の界隈の不始末は自分でつけろ。お前たちの考える理想推しは、現実の男の醜さ程度で損なわれる程度のものなのか?違うだろ。

クリアリング

なんだかですな。海外ではこんなことをやっててもスパイは出てきている。

日本でやると、海外出身者の職業選択の自由信仰思想の自由に踏み込んだ調査がされることを危惧している。

ヨーロッパ米国などをみていても、海外出身者が軍事産業に携わることなはいくらでもあるようだ。

おそらく運用が厳格に定められているのだろう。

特に北朝鮮ルーツもつ人たちへの職業選択の自由が狭められないことを野党真剣に考えてほしいが、あまり期待できないのが困ったところだ。

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