はてなキーワード: みゆとは
大谷翔平にだけ一夫多妻を認めるとかいう話がTwitterで流行っているのを見て、やっぱりある程度の優生思想は認めてあげるべきなんじゃないかと思った。
現代で少子化が続いているのは、一般に女性が望むレベルに男性が追いついておらず、多少語弊はあるが「質の低い」男性が溢れているからというのはちゃんとデータがある事実だ。
あらゆる研究によって、身体的な性能も、頭脳的な性能も遺伝によるところが大きいことがわかっている以上は、大衆としてゆるい優生思想を望むのは当たり前だと思うし、時代に合わせて、そうした優生思想はある程度許容していくべきなんじゃないだろうか。
一応言っとくけど、これは別に思考実験とかではなく、現実的にそういう方向に舵を切るべきタイミングがきているんじゃないかという提言だ。少子化で沈みゆく日本を救うためには、タブーとされる優生思想も、ある程度は認めるしかないんじゃないだろうか。
自分の小学生時代にも掛け算の順序を強いる教員が複数いて、そのときはそいつらが愚か者なだけだろうと思っていたが、ネットのおかげでそれが広範囲で観測可能な珍現象なのだと30年越しに知れた。学生時代に数学ができなかったことへの劣等感を小学生に掛け算順序を強いることで解消している暗愚は実在するようだし、自分のメンツの心配しか頭になくて学理を無視したオレオレ真理を四の五の屁理屈こねながらキメ続けている自称教育者が教育現場にはびこっているわけで、これは教員養成システムが骨抜きになっている証左だと言えるが、しかし今どき学のある真人間はわざわざ教員になんてならないだろうから、この問題はこれからも解決されずに業界は澱んだまま腐臭を放ち続けるだろう。沈みゆく国の幕間に相応しい滑稽さだ。
経済的にもここ20年ばかり没落する一方だし、安全保障面でも周囲のキナ臭い空気に対して危機感がない
もう何年も国全体で共有できるような明るいニュースはほとんど無く、大多数の人間の生活が予想通り悪くなっていっている
ひろゆきがインフルエンサーとして大衆の支持を集めている根本には
みんなの上手いことやれば自分は助かるんじゃないかという願望がある
世の中の隙をついて良い感じに立ち回れば、この沈みゆく大国から利益を吸い上げて逃げ切れるんじゃないか?
真っ当に考えればこの国の予後が悪いのは誰の目にも明らかだから、どこかに自分だけでも助かるための希望を見出さなければならない
自分のまわりのスラングに、「仕事をおごる」というものがある。
腕は悪いが人柄がいいライターに大きい仕事を回し、リライトしたり、間に合いそうにない部分をもってあげたりしてなんとか形にして、ギャラは満額わたす。
ひどいと7割くらい編集が書いている。
当然企画も取材も噛んでいるので、最初から自分だけでやった方が圧倒的に効率がいいが、それでは一生こなせる仕事量が増えないし、自分が頼めるライターも増えない。
なので根気よく育て、頼れる存在を自前で育てる。
ひと昔前のライターは雑誌や編プロで鍛え上げられていたが、今はそういう環境がない。驚くほど人材が育たない。
特にwebでデビューした個人ライターの質の低下が止まらず、ちょっとの下調べも文章の推敲もできない。
本当に卒論を書いたことがあるんだろうか、というレベルで、ごく普通の文章が書けない。
とはいえ、そういう人間を片っ端から切っていてはもはや本が作れないし、人材も育たない。
人を育てる、というのは、要するに「その仕事で食えるところまで面倒を見る」のが業界の慣習なので、
どうにか一人前になったかな、というところで、
ところが、そうやって独り立ちしかけていた若手が、
まったく食えない、と。
紹介したクライアントに聞くと、仕事が遅く、キャパがないのでまとまった額になっていない、とのこと。
16ページそこらのノベルティ小冊子程度を2ヶ月かけて作っていたという。
情けなくて涙が出そうになった。
その倍の量を毎月こなせるようになったと思っていたのに、まったく独り立ちできていなかった。
自分の育て方が悪かったのもあるだろうし、
おごりすぎて彼らの仕事感覚が現状にあっていなかったかもしれない。
ただただつらい。
それでもモチベがあるライターにはなるべく仕事をふっているが、
申し訳ないが、いつまでも仕事をおごっていてはこちらの身が持たない。
最初から戦力を計算できる、野生の一流ライターを発掘するか、すでに実績十分のライターに依頼するのが当然。
やる気があるド素人をプロのライターに育てるのが時代錯誤なんだろうな、とさみしく思う。
老害まるだしの回顧で恥ずかしいが、
昔はそんな二流三流の人材でも、
泣いたり笑ったりしながら何日も編集部に泊まり込んで一緒に仕事をして、
仕事がハネたら朝まで酒を飲んで、みんななんとかいっぱしの書き手になっていた。
そうして自分のもとから骨のある文筆家が出ていくのが本当に嬉しかった。
たぶん、もうウチのスタッフがそういう経験をすることはないだろう。
沈みゆく船だとわかっていながら、自分はこの業界に何の爪痕ものこせなかった。
自分が見捨ててしまった、廃業していったライターたちは、どんな気持ちでこのニュースを聞くだろう。
すでに傾きつつある自社を立て直せる自信はまったくない。
売上はそれなりには立つだろう。
大金を積んで実績のあるライターに依頼し、クライアントの意のままに体裁だけを整えた誌面で。
ライターやデザイナーを育て、また自分も育てられた、成長の実感に満ちた本作りは、
こんな泣き言は社内では口にできないので、
学位をあげれば上げるほどそれに見合った実力がないと苦労するとは言うけれどね。
それに見合った実力があったところで、妬みとかもあるからすごいよ。
一応、ワイは某国立大の博士取って、某有名企業の研究所に就職したが、同期も先輩も修士卒ばっかりで、同期からは遠慮されて輪に入りずらいわ、先輩からは妬まれてるのか仕事をまともに教えてもらえないままパワハラされるわだった。上司からのパワハラもすごかったので精神病んでた時があったな。
普通に博士がいる他者に転職したら、みんな自分に自信があるのか変なパワハラされないし、みんな仕事を教えてくれるしですごく楽になった。
というわけで、元増田の行きそうな公務員はどういう学歴の人が多そうなの?と思った。
学部卒や下手したら高卒が多いとかだと、修士持っているだけでやっかみで突っかかってくる奴らがいるだろうな。
「修士持っているのに〇〇もできない」みたいな感じで、できないところを探してのマウンティングで自尊心をボコボコにされる。
というわけで、沈みゆく地方都市と心中するよりは...という増田の分析は割と的を射ていると思うので、修士に行って、外に出るのがいいだろうな。
「天候や海のせいじゃない。これは“人災”だ」──知床の観光関係者たちは、怒気交じりにつぶやいた。ゴールデンウイークを前に日本全国から集まった観光客たちを襲った惨劇。オーナーにとって「夢」だった遊覧船事業は、なぜ最悪の事態を引き起こしたのか。
4月23日朝、北海道・知床半島の斜里町には「波浪注意報」が出ていた。ほかの観光船はもちろん、漁船も出航を見合わせるなか、「知床遊覧船」が運航する観光船「KAZU I」だけが午前10時頃、オホーツク海へと出航した。
「波がけっこう高いけど、冒険だと思って楽しんでくださいねー!」
乗客の不安をかき消すかのように、船長は陽気な船内アナウンスをしたという。“冒険”が悲劇に転じたのは約3時間後、すでに波の高さは約3mに達していた──。乗員乗客26人を乗せた観光船が知床の海で消息を絶ち、11人の死亡が確認され、15人の行方がわかっていない(4月26日19時現在)。地元の漁業関係者が言う。
「あの日、朝の段階では波はそこまで高くなかったけど、次第に荒れることは容易にわかった。だから船長に“波がだんだん高くなるからやめた方がいい”って言ったんだ。彼は“はい”って答えたけど、そのまま出航した。港で船から“冒険”という言葉が聞こえたとき、海の怖さを理解していないなって思った。あの会社の船長は知床に来て2年の、経験の浅い彼しかいなかった。判断ミスでは済まされない事態だよ……」
船長の豊田徳幸さん(54才)は、埼玉県に家族を残して単身赴任中のいわゆる“出稼ぎ船長”だった。埼玉の自宅の近隣住民が言う。
「もともと観光バスの運転手でした。2000年頃に一戸建てを買ったはいいけれど、観光客を乗せて地方に行くことが多いから、ほとんど家にはいなかったと思います。
10年ぐらい前には水陸両用車の会社に転職。その後、外国人観光客向けのバスの運転手になったけど、運悪くコロナ禍で仕事が激減したって嘆いていました。昔から“お金がない”“税金が高すぎる”と言っていて、実際に自宅が市に差し押さえられたこともあったみたい。仕事をコロコロと変えていた印象でしたが、まさか船長になっていたとは思いませんでした」
知床の海は暗礁が多く、地形や運航ルートを熟知していないと座礁リスクが付きまとう。経験の浅い船長が、荒れた海に飛び出すのは非常に危険だった。
「知床遊覧船」は、地元では知られる有名一族が経営しているという。
「実質のオーナーは町議会議員を4期ほど務めた地元の名士で、不動産業やホテル経営、飲食業など手広くやっていました。『知床遊覧船』の社長はオーナーの息子さん。いまは58才ぐらいかな。若い頃は本州に出て神主を目指していたと聞いていましたが、どういうわけか陶芸家になって帰ってきました。2014年に父の後を継ぎ、地元でホテル経営などを任されるようになったのです」(商工会関係者)
「知床遊覧船」の経営に乗り出したのは、いまから6年ほど前のことだった。
「観光船を持つのはオーナーの夢でした。オーナーは経営していたホテル、飲食、そして観光船を合わせた『知床レジャーランド』の構想を持っていました。社長はその夢を実現させる形で、観光船の経営に乗り出したのです。有名コンサルタントからの助言を得て、言い値で買ったと話題になっていましたよ」(前出・商工会関係者)
当初はベテランの船長らを複数人抱え、運営に問題はなかったという。だが、次第に従業員たちから不満が漏れ始めた。
「社長は利益を重視するタイプで、ベテラン船長が天候を理由に出航を取りやめようとすると、“返金したくないから”と無理にでも出航させようとして、船長と言い争いになったことも。衝突が多かったこともあり、2年ほど前にベテラン船長を相次いで解雇。代わりに来たのが豊田さんだった。給料もかなり下げて募集したようで、社長はコストカットできて喜んでいたけど、安全面はおろそかになっていましたね。
最近では、コロナ禍で知床の観光業全体が下火でした。船首部分に入った亀裂のような傷を修理しなかったのも“倹約”ぶりのせいではないかといわれています」(前出・商工会関係者)
その経営姿勢が、経験不足の“ひとり船長”という事態を生んだのだろう。豊田さんも、社長の経営方針に疑問を抱いていたのか、自身のフェイスブックで勤務先を「ブラック企業」と表現していた。
懸命の捜索は続くが……
あの日、船には「特別な思い」を持つ男性の姿があった。交際中の女性に船上プロポーズをするため、人知れず指輪をバッグに忍ばせていた。事故後、男性の家族は報道陣の前で「もうダメなのは覚悟しているけど、2人一緒に見つかってほしい、それだけです」と言葉を絞り出した。
両親と弟の3人が船に乗っていたという男性もいる。知床旅行は、男性から3人へのプレゼントだった。旅行中の両親から届いた北海道の名産品に、お礼のメッセージを送っても返事は返ってこない。
3℃前後しかなかったという冷たい海水。そこに船が沈むとどうなるのか──海難事故に詳しい東海大学海洋学部教授の山田吉彦さんが言う。
「あの観光船は窓で覆われていたので、沈み始めたとき乗客は船内にいたはずです。波風も強いので外に出られません。できるだけ、水につからないようにしながら待つしかなかったと思われます。相当な恐怖です。船が沈んでいくなかで、出口に近い人だけが外に出られたのでしょう」
沈みゆく船内から脱出しても、冷たい海の恐怖から逃れられるわけではない。医療ガバナンス研究所理事長で内科医の上昌広さんは、低体温症の恐ろしさをこう語る。
「低体温症とは長時間、寒い屋外や冷たい水の中にいることで、体の深部体温が下がり、内臓や脳の機能が低下することを指します。早い人は3分くらいで症状が出ます。体温が35℃を下回ると、循環機能や生理機能が働かなくなり、おしっこが勝手に出てしまいます。すると、脱水状態になり、熱を逃がさないようにと血管が収縮し、血流量が下がり、意識がもうろうとする。そして、睡魔が襲ってきたり、幻覚を見ます」
遺族、そして行方不明者の発見を待つ家族は、張り裂けそうな思いで事態の打開を待っている。前出の山田さんが言う。
「私が今回の事故の問題だと思う点は管理体制です。本来13時に港に戻っているはずなのに、13時13分に海上保安庁へ通報するのはおかしい。もっと早い段階から船長は事務所に連絡していたはずです。本来出航したら常に連絡を取れる体制でなければいけませんが、担当者が不在だったか音信不通になっていたのでしょう」
実際「KAZU I」は事務所と連絡が取れていなかった。数ヶ月前から「知床遊覧船」の無線機のアンテナは壊れていて、事故当日、豊田さんは別の運航会社と無線で連絡を取り合うしかなかったという。海上保安庁は、不明者の捜索を続ける一方、業務上過失致死などの疑いを視野に捜査を進めている。
ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く 奥村晃作
履歴書の写真がどう見ても菩薩いちど手を合わせて封筒へ 山川藍
廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て 東直子
もういやだ死にたいそしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい 岡野大嗣
われの一生(ひとよ)に殺(せつ)なく盗なくありしこと憤怒のごとしこの悔恨は 坪野哲久
家々に釘の芽しずみ神御衣(かむみそ)のごとくひろがる桜花かな 大滝和子
たそがれの空は希望のいれものぞ外套とビスケットを投げあげて 寺山修司
ハニーストラップの初期メンバー。歌をメインでやっていた。ギターで弾き語りもやってた
博多弁が特徴で今なら舞鶴よかとや桜樹みりあとシナジーがあったと思う
追悼ハッシュタグは#エリにかまって 今でも誕生日や引退した日には集まってワイワイやってる
(追記)最終的に相互フォローになってるので二者間の関係は悪くない
あにまーれ中途参加メンバー。同期は白宮みみ(休止中)、灰原あかね(引退)、抹消済み(デビュー前解雇)
初期メンバーの因幡はねるを慕って加入したのにデビュー後はにじさんじの緑仙に首ったけ。芸風も寄せていた
業界随一の地方お嬢様。実家の敷地内の離れに電気を通すための私設電柱がトレードマーク
最後に投稿した生きるってなんだよ(葵木ゴウ)カバーの動画は本人制作。その心中察するに余りある
事務所のゴタゴタで酷いバッシングが続く中精力的に活動してくれていた
歌とASMRが可愛かった
フィジカルが強くポジティブな所が見ててよかった。活動継続中の同期桜樹みりあの語る「友人のトレーニング狂」はだいたいこの人
活動終盤に炎(LiSA)カバーが夢咲楓版と声優名義版の両方で同時アップロードされた。音色も表現も異なっていたので、キャラクター夢咲楓はここで終わるんだなあと分かってしまった
いつだったかの朝食配信で調味料単体を皿に並べて水増しするパワープレイが今でも記憶に残ってる
キョンシーらしさのないやつだった。
伝説のアレ
どうしてあんな事になったんだろうね
サービス終了前にあれこれ手を回して色んなコラボを積み上げたが最後で全部爆破
「生殺与奪の権を他人に握らせてはならない」を有言実行しコントロールできる範囲のあれこれを全部抹殺して消えていった
昔麻雀の1局戦で筆者があまりにもしょうもない上がりで勝ち抜けたときの絶句は今でも記憶に残っている
割とマイナーで硬派なPCゲーを好んでプレイしていたのでそこら辺が好きだった
vtuber消え過ぎつらい
無理。もうEVには非EV車は勝てない。内燃技術をベースにしたテクノロジーは、純粋にコスト面でEVに太刀打ちできなくなる。ICE(内燃)車もダメ。ハイブリッドもダメ。水素エンジンもダメ。内燃じゃないけどFCVもダメ。
なぜかといえば、EVは、今までのクルマよりずっとシンプルに作れるから。
まず圧倒的に部品点数が少ない。自工会予測では3万点から2万点に減る。内燃車はエンジンだけで7000点ぐらい構成部品があるけど、EVだとeアクスルというモジュールに、エンジンに相当する駆動用モーター・インバーターと、変速系に相当する減速機・デフ・ギアボックス類と、電装系に相当する回路類が全部入ってパッケージ化され、これをティア1のサプライヤーが1社で供給する。極端な話、あとは駆動系・操作系・バッテリー・充放電制御機構があれば、EVは走ってしまう。それぐらいシンプル。自工会が「EV化で雇用の大多数が失われる」と言っているのも結局はこういう話だ。1台の車を仕立てるために必要な部品が圧倒的に少ないのだ。
それから、基本がモジュラー構造。内燃系は、燃料供給・燃焼・変速・出力・駆動などが全部繋がって一体の統合的な(インテグラル型の)システムを構成してる。対するEVは、互いに独立度の高いパーツを組み合わせた、モジュラー型のシステム構成で、全体が密結合じゃなくて疎結合になってる。駆動系の手前までは電気結線だけなので、レイアウトの自由度も高い。違う企業のeアクスルを採用した場合も、制御系を調整すればすぐ乗せ替えられる。つまりコストと性能しだいでどんどんモジュールサプライヤーを入れ替えていける。傘下に何重もの系列サプライヤー企業を抱えて、密に擦り合わせながら時間をかけて車両設計していく、今までのようなやり方が不要になる。現にテスラはイヤーモデル制を排して、年度中でもどんどんモジュールを入れ替えて性能向上やコストダウンを図っている。
あと技術的な枯れ方。内燃系はもう100年近くイノベーションを繰り返して、もうほとんど伸びしろがなくなっている。一方のEVは、バッテリもeアクスルも性能的には発展途上だ。性能が上がるということは、コストが安くなることと表裏一体の関係にある(同じ性能を安く作れる or 同じ価格で高い性能を出せる)。つまり内燃はもうEVを突き放すことはできず、EVのほうは追いつき追い越すための余裕がまだまだある。
こういう背景があって、将来はEVがコスト的に内燃とイーブンになり、下回っていくことが予想されていた。最近は「EVが今までの乗用車と同価格になるのが2025年頃」という予想が出てたんだけど、今年になって、もうEVが価格性能比で内燃車を追い越す事例が出てきている。
①中国・宏光のMINI EV。45万円で9.3kWhのお買い物カー。ローエンド市場向けコミューターEV。日本の軽自動車的な用途。
https://kurukura.jp/car/2021-0813-60.html
②中国・吉利のGeometry EX3。100万円で日産リーフ同等の車格と充電容量、航続距離320km。
http://global.geely.com/media-center/news/geometry-ex3-brings-affordable-evs-to-the-masses/
中国では内燃車の販売に税金かけてEV車生産の補助に廻すEVクレジットというのがあり、それも一部販売原資に廻ってると思われるが、それにしても内燃車より安い。本当の原価はBOMリストで原価計算する必要があるが、とにかく「シンプルに作って、軽く・広く・安くできる」というEVの優位性が生かされ、これまでよりも破格に安く供給されている。
これが意味するのは、もうすぐEVは「通常の内燃車にエコプレミアムが乗せて売る高級車」ではなくなるということだ。どの車格でも、内燃車や、内燃車の発展形としてのHVや、EVとHVの要素を併せ持った複雑な構造のFCVよりも、安くなっていく(水素エンジンはどうかって? あれは燃費が悪すぎて、乗用車としての実用に耐えるレベルまで仕上げられるかどうかすらまだわからない。市販モデルが出ないまま死産する可能性も高い)。
日本でも二輪の業界では、すでにこの傾向が見えはじめている。ヤマハの原付スクーターは20万円、電動原付スクーターは25万円と、もう価格差はわずかになっていて、都内では電動のほうに助成金が10万出るので、購入者目線では電動スクーターの方が圧倒的に安くなっている(この助成金が出るから、メーカー側もあえて差額を付けてるのかもしれない)。
クルマも同じだ。EVは、これからは「環境にいいから」じゃなくて「既存のクルマより安いから」売れるようになる。自工会が何と言おうと、この現実には勝てない。
日本の自動車産業は、米国でマスキー法という厳しい環境規制が敷かれたときに米国メーカーよりも早く規制対応することで、米国市場での橋頭堡を築くことができた。それが今回はどうだ。EVがこれまでの自動車技術とは似て非なる破壊的イノベーションであることを見誤ったまま、「再エネとEVは欧米の陰謀」「EV一本槍では雇用が失われる」みたいな現実逃避を繰り返し、FCVなどのピントがズレた代替技術にBETし続けた。現時点でEVの要素技術をしっかり内製化し、ガチで海外勢と闘える体制なのは、早くからEVシフトを敷いた日産、その傘下サプライヤーのジヤトコとマレリ(どちらもeアクスル事業)、それからeアクスルを足掛かりに自動車産業に参入して海外シェアをガンガン獲得してる日本電産ぐらいだ。それでも自工会は「業界の産業と雇用を守る」と言い続け、沈没しかかった船からティア企業を降ろそうとしない。こんな調子で一体この先どうなるんだ? EV鎖国でもするのか?
中華EVの話をされてもなあ、という指摘があり、確かに「安かろう悪かろうなんだろ」というイメージが拭えないと思うので、テスラをベンチマークにしてEVの利益構造を考えよう。テスラのモデル3の標準グレードであるスタンダードレンジプラスは、いま国内で430万円、米国で400万円弱で買える(助成金抜き)。テスラの直近四半期の販売粗利率は28%。トヨタで車格が近いセダンはカムリハイブリッドで、同等モデルといえる下から2番目のG(2WD)が380万円(助成金抜き)。トヨタの販売粗利率は20%と言われている。テスラの米国販売価格で原価計算すると、既にモデル3のほうが若干安い(290万円<305万円)。つまり、テスラ側はカムリと同じ値付けにしてもまだ値下げ余力がある。今はそうしなくても長い納車待ちが発生してるからエコプレミアムを乗せて売ってるだけだ。
ちなみにテスラは2023年までに「自動運転機能を搭載し、価格を2万5000ドル(1ドル=110円として275万円)に抑えた新型EVを2023年までに市場に投入する」と宣言している(https://president.jp/articles/-/46586)。おそらくCセグメント(ゴルフ同等)で、カローラや同サイズのSUV系と戦うことになる車だ。そしてこの記事中にあるように、この新モデルが275万円で国内導入でき、そこに80万円の補助金が乗ると、実質価格は100万円台に突入してしまう。軽自動車の最高級モデルよりも安いのだ。そういう時代が足元まで迫っている。
テスラはこういう廉価モデルで日本車を淘汰しようなどとは考えてない。そもそも彼らの視野に日本の自動車メーカーは入っていない。米国の一部州ではハイブリッド車は既にガソリン車と同じ環境負荷分類になっている。もうEV以外は対抗馬ではないのだ。彼らはバッテリ技術とEV関連技術に狂ったように投資を続け、中国製EVと性能だけでなくコストでもガチで殴り合う。その時に、日本の自動車業界はまだリングに立っていられるだろうか。
「トヨタはHVとFCVでEVの基幹技術を持っているからまだ戦える」と言う人もいる。確かに「トヨタという企業」は今からでもEVに全振りした生産体制を整えられるかもしれない。一方で「自工会会長の豊田氏」は、EV懐疑論と水素社会という2つのファンタジーを操ってティア2以下のサプライヤーを現実歪曲フィールドに巻き込んできた(ティア1の大半はなんだかんだでEV化が不可避であることを理解していると思う)。「痛みを受け入れてでも産業構造を転換しよう」と言わずに、下請企業を沈みゆく泥船に乗せたままにしている。自分が批判しているのはそこだ。