はてなキーワード: えくぼとは
[前提]
経営者という職業柄、自社における採用や取引先など人と会う機会が多い。
会社を立ち上げてから5年程経つので、自分の人を見る目はそれなりに確かだと思っている。
[本文]
「苦労しながら進めてきた経営ももう少しで花開きそうで、そろそろ彼女も欲しい」
そんなことを友人と話していたら、お前は女を見る目がないからなーというツッコミを受けた。
今まで、それなりに良い付き合いを重ねてきたつもりだったが、冷静に振り返ってみると浮気されたり束縛が強かったり客観的に見るとそれほど僕が付き合った女性はいわゆるいい女ではなかったのかもと初めて気がついた。
自分としては彼女らとの付き合いに後悔なんてものはないものの、結婚を真剣に考えなくてはいけない年齢を迎え少し危機感を覚えている。
僕は面食いであり、可愛い or 綺麗な方であれば恋愛を始めるハードルは一気に下がる。
そのため、あばたもえくぼで外見に惑わされてしまっているのではないかと思ったものの、今のところ決定的な解決策はない。
一応の策としてもっと色々な女性と時間を重ねる中でじっくり選んでいくべきなんだろうと思っており、友人からは出会ってから最低2週間は見定めたうえで付き合いを申しこめという助言を受けた。
わたくしが、座る席の向こうに経理の女性が一人座っておりまして、それがなんとも言えぬ感じの美人であります。向かいと言いましても目隠しの、衝立のようなものが一枚ありますから顔上げれば見通せるわけではないのですが、その衝立には1cmばかりの隙間がありまして、そこからちょうど、瞳半分くらいがのぞいて見えたりします。手前どもの会社にはユニフォームというものがありませんで女性はいつもフォーマルな私服を選んで身につけてくるわけですが、わたくしはこのフォーマルな私服というものに対して、ちょっとばかり執着に近いような感情を持ち合わせていまして、まぁ要するに、その女性の出で立ちを目に焼き付けるのが日課のようなものなのです。とくにその女性は女性的な肉体を持て余すような肉欲に直結する魅力を持っているわけではありませんので、どことなく憂いを持っていながらも少女的で、満面の、笑みを見せながらも優しく抱きしめて守っていないと突風でもあれば、さらさらと吹き消されてしまいそうな危うさがあります。その割に身の丈が男性の、平均的なものより鼻から上が飛び出る程度に高いものですから、おそらくは多感な頃にそのことに思い悩んだのか、猫背で人を見下ろすようななんだかちぐはぐな姿がまた愛らしくもあります。小生はその平均よりも悲しいかな、おでこひとつ分くらい劣っているために、その女性と話をするときなんて言うのは、相手が座っていても対して目線に違いがない程度だったりもしますが、それでも普段なら雲の上にある、小動物のような愛らしい表情がぐんと身近にあるものですから、理由を作っては書類を持っていくのが日頃の楽しみでした。
一般で言えばここで女性の顔が気になるところかと思いますが、わたくしにしてみればそんな部分よりも女性の長身ながら猫背で、それでいて屈託なく笑うのに憂いを帯びている部分の、つまりは良さというのを感じてもらいたいがため、あまり掘り下げる気分でもありませんが、ひとことで言うとえくぼが似合う人懐っこそうな飾り気のない少女的魅力を持っている女性だとでもしておきましょうか。年のほどは成人してから、十分な年数を過ぎているほどだとは思いますが、メイクが薄いことも手伝ってまるで女学生とも、見えなくもない、(格好がどうしてもそれをゆるしませんが)本当に素直そうな娘ではあります。もとより痩せていたためかバストは手のひらに収まる程度の膨らみを称えるに限り、本人がそれをどう思うかは別として、わたくしにしてみれば存在を、過剰に主張するようなバストよりも、慎ましやかにシルエット称える奥ゆかしいくらいが、ある意味では物怖じしてしまうこともなく対等に向き合えるくらいかと、安心していられます。
それで話が戻るのですが、ちょうど座っている位置から、衝立の隙間を通じた部分に、その女性の首から胸にかけてを見て取ることができます。幅は、瞳半分程度ながら高さがそれなりに開いているわけなのですが、その位置が微妙に相手の視線を避けてくれるおかげで、じっくりと洋服の仕立てやその向こう側のオウトツを、観察することができるわけです。はじめに申し上げたとおり、フォーマルな私服に一方ならぬ自分なりの執着がありまして、とくにブラウスといわれるものの存在が常々わたくしの平常心をかき乱します。あの薄く風に揺れる素材の向こう側が、見えるようで見えぬ、それでいて日にすかされて眩しくきらめく姿が、かと言って背中からは無骨に下着の肩紐なんかを透けさせるような矛盾した作りが、どうしても視線をそむけさせてくれないのです。日によって丸首や襟付き、ボタン付き、白であったりブラウンであったり、胸元にインナーのTシャツが除いていたかと思えば、うっかりレース素材の花弁の一部が顔を覗かせてみたりと、別段毎日記録をつけているわけではありませんが、なかなかのバリエィションを楽しませてくれるのが、見た目奥ゆかしい女性の割にファッションへの並ならぬこだわりを持っているのではないかと疑わしいことさえ面白くも、女性の魅力を一層に引き立ててくれるのです。
それで先日、いつものようにブラウスの材質と、その下に隠れる肌着に目を細めていると、何やらちょっとした違和感がありました。ただ、衝立の隙間が細いせいか、視線はどうしても片方しか届かず、距離感というものがつかめません。やきもきしていても仕方がない、別段、いま聞く必要のない疑問と、それに関係する書類を手にすると、わたくしはその女性の元へと向かいました。衝立の上から覗き込むように、こちらの顔が見えるか見えないかのタイミングくらいから声をかけます。年頃の女性に、わたくしみたいのが突然声をかければ驚かれることも少なくないのが悲しき実体験。そんな杞憂とは別に衝立の向こうからいつものように素直そうな笑顔が顔をのぞかせるはずでした。ところがたしかにいつもの笑顔ではあるのですが、なんとも言えぬ嫌悪感がよぎりました。瞳を縁取る線の濃さ、足を湯に浸しているかのように紅潮してみえる頬、そして、脂身にでも齧りついたかのようにてかりを見せつけるリップ。その衝撃で適当に見繕った疑問は一瞬で吹き飛び、二の句も継げずにあうあうと口を動かすのに精一杯になってしまいました。そんなわたくしの態度に何かを感じ取ったのか、女性は表情を曇らせ軽くうつむいてしまう始末。ところがその視線の先に先ほどの違和感の正体が隠れていたもので、女性に慰めもごまかしもできぬまま、文字通りそこに立ち尽くしてしまいました。その正体というのも、わたくしが相対しても物怖じすることのなかった胸が、あきらかに今まで見せたことのない陰をたたえるほどに膨張していたのです。むしろ冷水を頭からかぶった気分でしたから、そこではっと我に返り、質問を忘れてしまったことを笑ってごまかしながら邪魔した非礼を詫て席を、あとにしたわけではありますが、これは結構にショッキングなできごとでありました。
昨晩に何があったのか、それとも今晩に何かあるのかわかりませんが、一体何の前触れもなく、その女性は女になってしまったわけです。はたまたなろうとしているのかもしれませんが。澄み切った小川のような清々しさと透明感でありながら踏み込めば足を取られかねない危うさとを持ち合わせた、畏怖をも感じさせる魅力をもった女性が、突然俗物に成り下がった瞬間でした。これでは、ちょっとしたつまみ食いであっても食あたりが不可避な状態です。もとよりわたくしなんかに食する機会があるわけもなかったのですが、ただそこにあるだけなのに、神のみが作り得る奇跡の美というものは、こうも簡単に汚染されてしまうものだと知りました。
その日からというもの、衝立の隙間はファイル立てやバインダーによって塞がれてしまいました。たまたまなのかもしれませんが、もしかすると、彼女もわたくしからの視線を楽しんでいたのかもしれません。だとしたらどうして俗物に成り下がる選択をしてしまったというのでしょう。わたくしが喜ぶことを望んでくれていたのでしょうか。しかしながら彼女は、その日から俗物の姿をやめることはありませんでした。わたしはただ、この世界からまた一つ、純粋なる美が消えてしまった悲しみに打ちひしがれています。悲しいかな、それが流転であり、幾度なく噛み潰してきた苦虫が教えてくれた無常なのだだと言い聞かせることしかできないのです。いまでは、彼女と相対するとき、わたくしは田んぼのカラスのような焦燥感にさいなまれています。
男子校拗らせって「女子とまともに喋れない」とか「服装がダサい」とかじゃなくて「人のことを有能か無能かでしか判断できない」とか「ふわっと仲良くなる関係が理解出来ない」とか「上辺を取りつくれない」とか「学園祭はホストに徹するもので自分らが楽しむものではないと思う」とかじゃないすかね
結構な数ふぁぼられたりRTされたりしていたけど、これってどちらも「男子校内部からの目線」だと思う。
小学校から高校までずっと共学だった自分としては、大学で出会った「男子校出身」の人たちの印象は結構違います。
正直に言って、大学で初めてこういったタイプの人たちと出会った時はドン引きしました。
なぜかと言うと、こういった言動は共学の高校では普通タブーとされていて、そういう事をする人は嫌がられる傾向にあるからです。
彼らの特徴は、大きく言って三点です。
誰だって女性の目があるかどうかで多少は言動が変化するものですが、それにしても限度というものがあります。 共学というのは基本的に、常に異性の目がある場です。男子校出身者にとって文化祭とは「女性が来る」から盛り上がるものなのでしょうが、 共学における文化祭は「みんなで何か面白い事をする」から盛り上がるものなのです。そういった物の見方は当然、共学である大学でも引き継がれます。 そういう状況で異性が居る時、居ない時であまり露骨に態度を変えられると裏表のある奴/調子のいい奴だと思われ、ものすごく嫌がられます。 なおこれは、女性側でも同じです。「あの子は男が居るかどうかで態度が違う」という情報は即座に男にも伝わり、避けられます。
共学というのはいつどこで誰と誰の間に恋愛が発生するのかわからない場所です。発生を予想できるパターンもありますが、たまに全く予想の出来ないパターンもあります。 自分から見れば全く魅力の無い女性を、親友がいつの間にか好きになっていたということもあります。そういう時は蓼食う虫も好き好き、あばたもえくぼ、といった諺を身に染みて感じます。 したがってうっかりクラスメイトの女性を貶したら、いつの間にか親友がその子の事を気になっていたとかで大喧嘩になってしまった、という事もごく普通にあり得ます。
そういうわけで共学では、たとえ男しか居ないような場面であっても女性の外見を安易に格付けしたり、貶したりするようなことは控えられます。 内心ではブサイクだと思っていたとしても、それをわざわざ言葉にはしませんし、態度に現れてしまうのもあまりスマートではありません (が、所詮は子供ですから態度に出してしまう人も結構います) 。 ですから、よほどクラスで嫌われている人を貶す場面でもなければ、「あいつと付き合うくらいならあいつのほうがマシ」というような露骨な格付けはまず絶対にしません。 確かに、修学旅行や合宿の夜などに「胸が大きい人」「エロそうな人」だとか、そういうくだらない”要素”でランク付けをすることはあります。 それはあくまでも”要素”なので「俺は胸にはこだわらない」「エロそうだということは付き合う上では関係ない」などいくらでも無視することが出来るからです。
これはタブーというわけでもないですが
童貞だとか非童貞だとかは、共学でもネタとなることはありますが、あくまで冗談の範囲内というところがあります。 経済的にどうだとか「恋愛資本主義」が何だとか思想を振りかざしていたとしても、それはプロレスのようなもので、別に本気で相手を潰そうとしているわけではない事が多いと思います。
ですが、どうも男子校出身者は性の話題になると急にムキになって相手を論破しにかかる人が多いように思います。 童貞だとか彼女がいないだとか、○○の時期に一人だとかいう話題に過敏に反応して急に怒りだし、思想を振り回している人が居ると、あっこの人は男子校出身かなと思ってしまいます(あとで確認すると大体当たっています)。 別に彼女が居るから偉いだとか、非童貞だから偉いだなんてことはありませんし、そんなことはみんな知っていてからかっているだけです。落ち着いてください。
ついでに申し上げておくと「昔、彼女(or仲のいい子)が一人いてセックスする直前くらいまでは行った(≒途中までした)が童貞(or一回だけしたことがある)」というセリフは童貞の常套句でして、 たとえ本当でも聞いているこちら側が恥ずかしくなって赤面してしまうので、出来たら避けてください。
大学入学後の「男子校拗らせ」治癒率には、大学生活の環境が大きく影響します。 とはいえ、理科系の学部で女子は殆ど居なかった、という環境でもサークル活動や社会人生活を通じて一般的には齢25前後までには症状が目立たない程度にはなっているようです。
しかし「理科系の学部で女子がほとんど居なかった」「入ったサークルにも女子がいなかった」「寮生活だったために周りにも似たような奴ばかりが居た」「卒業後に入った会社にも女性が居ない」 など複数の条件が重なりますと、むしろ重症化するという事例も見受けられます。
十分にご注意ください。
私は、エッチをしないと相手を好きになれない。
体の関係をもたないで、本気で好きになった人なんて、小学校のときに6年間好きだった男の子、中学校のときに3年間好きだった男の子、高校のときに3年間好きだった先生、大学のときに4年間好きだった先輩の4人しかいない。
デートを重ねて、相手のことを知るたびに上から目線で吟味してしまう。自分自身が「求められる性」だという自覚があるのがいけないのだと思う。
デート中、ほんのすこしの悪い部分が見えてきて、取るに足らないことなのに、どんどん好きじゃなくなっていく。
相手のいいところももちろん見つけられるんだけど、それを「好き」に繋げることができない。欠点はすぐに「嫌い」になるんだけど。
初めて会ったときにエッチさえしていれば、あばたもえくぼに見える。いくらでも好きになれるのに。
今日、私に好きだと言ってくれた人は、優しくて、真面目で、正義感が強くて、いい人なんだ。
初めて会ったときは、この人と付き合ったら楽しそうだなって思ったんだ。
でもデートするうちに、ちょっと背が低いな とか、ズボンがダサいな とか、鼻声だな とか、そんな取るに足らないことばかりに目が向いてじわじわと嫌いになっていった。
この人と付き合ったら、きっと幸せにしてくれる。
エッチしてから付き合った人は、1人を除いて全員、私に相応しい、クソみたいな男ばかりだった。
デートを重ねて、嫌いになってから、でも断れずに嫌々付き合った人は、もれなくまともだった。でも、結局好きになれなくて、すぐに別れてしまった。
ぜんぶ私が尻軽なのがいけないんだけど、抜け出せないんだ。エッチをしないと、好きになれないんだ。
特にあばら骨のあたりが好き。
透き通るような肌が呼吸に合わせて吸い付いたり膨らんだりと脈打つ姿の艶めかしさがたまらなく好き。
首から肩にかけての流れるような曲線と鎖骨の潔い直線のコントラストはまさに芸術的。
肌の下に見え隠れする血管の色と模様が好き。
薄紫の血管が生命の営みに従順なまま伸びては消えていくさまは命の形そのもの。
骨盤にふれた時の感触が好き。
ふれた手が肌に沈むでもなく、臀部のえくぼを指でそっとなぞる瞬間はまさに至福。
華奢な四肢が描く繊細な曲線が好き。
無駄な凹凸なく伸びる手足の動きが描くまるで琳派を思わせる緊張感の張り詰めた曲線は万物普遍の美。
胸にはほとんど興味がないけれど巨乳は嫌い。わたしには母性が強すぎて気持ちが悪い。
でもブラジャーは好き。
その様々な色や模様、装飾は、いつ人の目にさらされることが予期されないままにも関わらず、いつにおいてもその女性の人となりを雄弁に語ってくれるものだから。
それが身体に装着さられることによって、その女性はよりその女性らしくなりまさに芸術へと昇華される。
その暁にはこんなわたしを選んでくれることを切に願う。
http://anond.hatelabo.jp/20150825225733
あー、確かになと思った後に
おそらくこうではないかという推測がありましたので書かせていただきます。
一方女性は、「誰が」したかで判断する傾向があると感じています。
つまり、男性は「ブサイクの癖になにやってるんだ」とは思いますが
「イケメンに限りませんが」好意を持っている人に対しては「芸術的」
そうでない人に対しては「根暗」といった風に
「行動の評価自体が逆転」してしまうことが往々にしてあると感じます。
他の例を挙げますと
好きなキャラがこんな事をやっているという事を楽しむ傾向が強いと感じます。
「惚れた男なら、あばたもえくぼに見えるように」とある様に女性視点なのでしょう。
こういった事からも女性は「誰が」したかを評価する傾向があると感じます。
ただ、世に出ている※イケメンに限るはかなり乱用されているので
これに当てはまらないケースは多いですね。
彼氏は5つ上。出会いは社内。そこそこのイケメンなのに男性ばかりの職場で、いままで女っけのなかった彼は、私が最初の彼女らしく、とても私を大事にしてくれる。最初すごいクールな人だなぁ思っていたら、付き合い始めてしばらくしたらもう、態度がふにゃっふにゃになった。甘え方が大きな犬。尻尾が見える気がする。連絡もマメ。私を前にすると終始デレデレで頬っぺた緩みっぱなし。私が怒っても泣いても笑っても「かわいいなぁ」という一言を発するから、末期。ちなみに私は上司から「お前の顔は赤点レベルだからやり直せ」って言われたことがあるレベルの顔。似てると言われるのはクアッカワラビー。人間ですらないけど、本当に似てる。あばたもえくぼ、恋は盲目なんだなぁと思う。
といわれたのが始まりでした。
2年前に保母になりたての24歳。
ちょっと忙しい中でも多少の無茶でも
何も貰えるアテが無くてもがんばっちゃおうと思ったわけです。
ただし。
えらい難儀やなぁ。そんなものあるのかな?
で、考えること20分。
姪っ子の口からは出てきてないなと思い出して。
妖怪ウォッチはなんだか値段が高いのと
個人が遊ぶ道具が中心みたいなので
んで、こっちはあきらめて。
もう一つの候補だった
アナと雪の女王グッズを探してみたんです。
そしたら。
エルザも人気だったけど、高いんです^^;
そのためか、ややランク↓気味で。
そんな中で見つけたのが
【オラフ危機一発】という
何がいいかというと、
・3000円以下で買える。
・電池要らない
(飛び出すとか動くとか大好き)
全部これいけるやん!!!
10000円くらいだったので、もちろん予算内です。
結果はというと。。。。
そんなオラフ。
11/28の貴重な金曜に、またもやその威力を発揮しようとは。
全社を上げて盛大にやるわけです。
業績も伸びてないのにねぇ。
ともあれ、面倒な半仕事の企画なんて
さっさと終わらせたいんですが
せめて1アイデアでも出していかないと、後が怖い^^;
出し物を考える任務が与えられるわけですが
考えて実行するのってひたすら面倒じゃないですか。
「またあれね」みたいな空気が流れるし。
と、数日前のことを思い出して。
逆ビンゴ大会で、飛ばした人先着5名だけがプレゼントもらえるわけです。
すると、全員賛成で決定。
これは正直、意外でした。
と、自分も妙に納得。
ということで
面倒な部分は皆さんに任せて。
「早く帰れた、ラッキー」なんていう
その帰りの電車待ちで。
ちょっといつもより歯切れ悪めに説明しれたあと、
先日はありがとうございました。
満足にお礼もいえなかったので、
良かったらぜひお食事でも。
そんな感じの会話に。
ちょうど帰るところだったことを伝えると
ええ、喜んで行きましたとも。
団蜜ですよ?木村多江ですよ?
可能性が0でも、デレデレしたいじゃないですか。
これ、オラフがいなかったらぜんぜん違う返事だったわけです。
「あ、そうですか。それじゃ、また・・・」
オラフ、お前最高!
な、なるほどね^^;
姪っ子や甥っ子の話で盛り上がること1時間。
楽しい会話も終わりをつげ
発覚してしまったこと。
それは・・・・
当然、一緒に駅まで帰りましょうということになります。
ふと、なぜ娘ではなく姪っ子なのかという話になりました。
で。
「ええ~?俺さんって独身だったんですか?」
てっきり既婚者だと思われてたみたいです。
まぁ姪っ子にデレデレなのは自他共に認めるわけで
彼女が最寄り駅まで楽しんでくれたら
それだけで満足するわけです。
うちに帰り着いて。
とりあえず、そんな感じの11/28だったなぁ・・・と思っていたら。
オラフ君の魔力は就寝前まで続きました。
■【メール】■
クリスマスはどうお過ごしになる予定ですか?
そんな素敵な出会いが皆さんにもあることを願って。
最強の添え言葉とともに、なんでもない平日に渡すのも
印象に残っていいかも知れませんね。
【オラフ危機一発!】
追伸
先ほどのメールのあと、実は翌日に会いました。
まだ特に何も発展はありませんが、
寿司がいい?焼肉がいい?と聞かれて、今朝食ったものが肉類だから魚、、いやビタミンB軍豊富な豚肉もいいな いやまてよ魚はDHAと口に出してごめん、うざいよね。
ももいろクローバーのあーりんが可愛いといえば最近えくぼに惹かれてごめん
ファミレスへ行ってどうも飯が入らないと思ったら便秘でどうしようもなくてウンコほじくり出してもうこんな屈辱的で苦しい思いはあんまりだ便秘体質のが絶対辛いんだからな下痢はだしゃいいと信じて疑わなかったのにひょんなことで下痢になったら腹痛がたまらなくて便座から離れられなくて仕事行けねぇ下痢つれぇダメだ死への恐怖に値するううぅぅと思ってごめん
じゃがりこはチーズだろJKとかほざいててジャガバター味食いまくっててごめん
トイレの洗剤はドメストで決まり!とか言っててスクラビングバブル使い終わったらいいね‼︎って思ってサンポールつかっててごめん
ごめん ごめん ごめんなさい
決められない 一つになんて
でも神様は潔いよね
思い切るよね
ひどいよね 死ねよ
前いた会社を辞めた時に、部下がくれたアドバイスを思い出した。
同僚の三倍程度の仕事量をてきぱきとこなし、涼しい顔で毎日定時に帰っていく。上司の俺が何も指示していないときに、社内を歩きまわって、同僚や先輩に仕事を「お願い」していた。
けれども、そいつを悪く言うやつはいなかった。笑ったときのえくぼが印象深い奴だった。
経験だけはあったが、他にその役につく人間がいないという理由で、ロケット鉛筆のように押し出されてそのポジションに付いた。
かつて新人だった頃は、プログラマーとして四苦八苦しながら、作る喜びを糧にしていたものだった。
だが月日が経って、机の位置が変わった。プロジェクトを指揮するようになった。部下が増えた。いつしか俺はコードを離れ、代わりに人間を扱うようになっていた。
責任が増えると共に、やりがいも増えた。チームをまとめて、目標に向かっていく。自分一人ではできないことを、仲間たちと力を合わせて達成する。砂漠の中にピラミッドを建てるように。
プロジェクトを完遂すると、メンバーがガラリと変わった。力になってくれた仲間たちは、別のチームでその才能を発揮することになる。俺の元には営業がやってきて、新しいプロジェクトの発足を告げる。
程なくして新しいメンバーがやってくる。俺は別なチームとともに、別のピラミッドを建てるのだ。
そんなループを何度か繰り返したある日、プロジェクト終了直後の閑散とした社内を眺めて、缶コーヒー片手にボンヤリしている時に気がついた。
味がしない。缶コーヒー、ジョージア・エメラルドマウンテン・ブレンド(つめた〜い)の味がしない。
いやもちろん缶コーヒーなので、本来そんなに旨くない。街の喫茶店はおろか、スターバックスで女子高生がカップで飲んでるやつにも及ばない、いわゆる”コーヒー飲料”なのだが、初めの頃はうまかったのだ。
入社当時、Visual Basic の教本を片手にキーボードにしがみついていた時に机に並べていたエメラルドマウンテン・ブレンドは、もっとスカッとした味だった。
抜けた空のような味。
何かが違う。そう感じた。
iPodを作った天才、スティーブ・ジョブズはかつてこう言った。
私は毎日、自分に問いかけてきました。「もし今日が人生最後の日だとしたら、今からやろうとしていることをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、何かを変えなければならない時期にきているということです。
一週間の後、俺は退路を歩むことを決めた。
退社まで残りひと月と迫って、引き継ぎが一段落したある週末に、俺は例の、できる部下と酒を飲むことになった。
そのときの部下は会社の期待のエースとして注目を集め、人より多くの責任と仕事を与えられていた。しかし本人はプレッシャーに怯むことはなく、むしろ水を得た魚のように、やる気に満ちていた。テカッテカだった。
酒の席に誘うと忙しいにもかかわらず、嬉しそうに快諾した。へんなやつだ。
その夜、俺は柄にもなく酔っぱらい、いつのまにか部下に向かってだらだらと仕事上の愚痴をこぼしつづける、情けない中年オヤジになっていた。
聞くと部下も結構酔っていると言ったが、俺は知っていた。こいつは顔は真っ赤になるが、それでいて実態は”ザル”だ。笑顔を崩さず、俺の話に機械的に相槌を打っている。
俺の話が一段落したときに、すべりこむように部下が横槍を入れた。「でもね上司さん。そういうのって上司さんが悪いんですよ。」
失礼ですけど。
顔を上げて確認すると、部下は笑顔の目元に困ったような表情を乗せていた。俺が息を呑むと、覚悟を決めたように、話を続けた。
何から何まで自分のアタマで考えないと気が済まない、そんなタイプの人間がまれにいます(ご指摘の通り、俺がそうだ)。
確かに、自分のアタマで考えるということは、ものすごく気持ちがいいですよね。なにかすごく『意味のあることをした感覚』を得られます。
最高責任者とか芸術家とかでない限り、自分のアタマで考えたことは「誰かに説明して納得してもらう」というフェーズが必要です。
相手が上司さんの上司さんであるなら、例えば説得はこんなふうに行われます…
お偉いさんの元を尋ねて、現状の問題を分析するとこういう構造になってて、どこがどう問題と考えられるので、このようにやりかたを変えれば、このくらいよいことが起こるでしょう、みたいなのを説明して、話の前提をちゃんと共有しないと理屈が通らないから、考えに至る前提条件とかを事細かに説明して、相手との認識が合わなかったら合うように、考え方の違いに注意しながら調整して、ようやく自分のアタマで考えたこと、を分かってもらえたら次は、それって絶対・100%・間違ってたら責任取るの? とか聞かれます、でもそんなん100%なんて世の中にありえないだろ、と思っても言い出したのは自分だし、時間をかけて分かっていただいた手前もあるし、それら有象無象を踏まえて相手のプライドを考慮しつつ、こちらの責任が大きくなりすぎないように、うまく首を縦に振ってもらうように、知略の限りを尽くして言いくるめるんです。
一方で、去年と同じで行きましょう、ならサラッと通ります。
競合他社と同じ戦略で行きましょう、偉い人の方針をまるごと継承しましょう、とかでも。
冷静に、比べてみてください。自分のアタマで考えた場合のコスト。
説明のために、ものすごいコストや苦労をかけてストレスをためこみ、結果自分の責任が増しただけ。
自分のアタマで考えようとして、なんにも結論が導き出せなくなることがあります。
どの因子がどう関わってるのか整理しきれない。どこの範囲まで前提として考慮に入れるべきかがわからない。「Aと言う視点なら正しいとも言えるし、Bという視点なら間違いとも言える」みたいな項目ばかり。
なにを考えても「他人が出した別案」に引っ張られる。なんとかごまかしつつ、ちょっと甘いかな、って思いながら考察した結論を他人に見せる。でも、アタマの鋭い人はどこでもいるもので。
ピンポイントでその弱いところを突かれちゃったりする。自分でも「俺バカなのかな」と薄々感づいてる点を、改めて他人にも認識させられることになります。痛恨の一撃です。大ダメージです。
ゼロから考え直すなら、誰だって結論を間違えたり、推論を見失ったりすることがありえるんですけど、『自分のアタマで考えている俺』に酔っていると、そういう基本的なことは、忘れちゃうんです。
根拠のない自信を持ってる人ほどひどい結果になりがちです。
「自分は天才とまでは言わないけども、周囲の中でまあまあ使える、ほうだし、今は流されてるけど、本気出せば自分で考えて結論出すようなこともできるもんね!」
そんな自信は崩れ去ります。
失った自信を取り戻すのには、より多くの時間が必要です…。ご年配の方ほど、必要な苦労は過酷なものになるでしょう。
その仕事が得意な人、エキスパートに全部お任せする、というのでも。
挫折が無ければ、その間仕事ができた。挫折があるから、周辺分野へ再び手を伸ばすことが、おっくうになった。
例えば、さっきお酒持ってきてくれたの店員さん。カウンターで寂しそうにひとりで飲んでるオジサン。自分のアタマで考えているように見えますか?
たいていの人たちは、流されています。考えが浅いし、近視眼的です。リスク管理の面から見ても、脆弱です。
でも、その人たちって、不幸ですか?
かなり幸せそうじゃない? 自分はすごいという自信のもとに楽しく過ごし、うまくいかなかったことは運が悪かった、また次があるさ、と片付けてポジティブに生きてる。掘り込んだ原因分析なんてしないで、場当たりに生きてる。若者から人生訓を聞かれたら嬉々として語っちゃう、的な幸せさに溢れてるw
偉そうにw 生意気言うやつだなw とその晩は軽くたしなめて別れたけど、
よくよく思い返すといい話ではあった。なんだか、ずっと温めていた感もあるし。
俺は今まで、自分のアタマで考えてきた。それを誇りにしていたというほどではないけど、出来る限り自分でやってみる、が俺のモットーだった。
けれども、それで、何が残っただろうか。
すり減ったり、焦ったり、自己嫌悪に陥ったり。紆余曲折を経て、何が残ったのか。
ひょっとすると、俺は自分の人生の将来や、手に入れられる幸福や可能性から、目を逸らしていたかっただけなんじゃないか。
実感を求めて効率を犠牲にする。それで誰かの足を引っ張る。あるいは、身の程をわきまえて、歯車として、自分に与えられた役割を果たす。その分岐路で立ち尽くしている。アタマで考えても前に進めない。思考停止すれば進める。『結果』を手に入れる。上手く行けば成功できるかもしれない。彼女のように。慣性は惰性だ。だから、プライドは捨てる。直感は捨てる。生き方を変える。
(以上。なんかディティール盛り過ぎてる感があるけど、部下の言いたかった、本筋のところは外していない?)
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後書き:
id:uxlayman さんの元エントリ、分析エントリです。
俺の考えでは、元となるアイデアが良ければ、読みやすくするためにストーリーを与えて、読んでて途中で躓かないように、注意深く、入念に推敲すれば、ある程度伸びます(俺はこの文章の推敲に6時間かけました。ヒマスギシヌ)。
コアとなるアイデアはなんでもいいわけではないようです。というのも、同じようなストーリーで同じような語り口の記事を過去に書いたことがあるんですけど、そっちは全然伸びませんでした。
追記 (7/30 1:35時点):
頂いたコメントより
「1週間に1度なんて会えない。数か月に1度、こうやって抱き着いたり胸を揉ませてくれれば、それで良い」
「抱き着いたり胸を揉ませてくれれば」を「ヤらせてくれれば」に置き換えたらただのセフレ関係じゃん。
草食だか何だかしらんが、相手の好意を知ってながら家に上げ布団に誘い抱きついて胸を揉んでる癖に「付き合えない」とか。
あまつさえ(どういう流れであったとしても)やることはしっかりやった上で
「なにこの襲われた感…」
とかグダグダ言い訳して全て相手に責任転嫁しようとする奴なんだから、草食とかじゃなくてただあなたがセフレ(のような存在)としか見られてないんだろうね。
10年間ストーカーしちゃうほど好きな相手なんだったら、あばたもえくぼなんだろうけどね。あなたがそれでいいならいいんじゃないの。