はてなキーワード: 怒り新党とは
その日一日は怒り新党....じゃなかった、怒り心頭でとてつもない怒りの感情を内包したままに過ごした。
世間一般の感覚では立場ある人間は容易に怒りを露わに出来ない。
それはまさに私なのだが、しかしあの日の出来事は看過出来なかった。
いや、しかし結局感情を表にすることなくやり過ごしたので、我慢して我慢して気持ちの中に消化した。
しかし何故あれほと理不尽な発言に私が我慢をしなければいけないのか。
こちらが何も言わない、何もしないということを知っているから平気でヅケヅケとえぐってくるのだ。
攻撃に使わなければ。
怒りの感情を露わにして、全力で相手を叩き潰す勢いで反論するのだ。
それが大人だ。
大人のくせになどという戯言、今更何を言うか。
畜生。
とにかく胸糞悪い。
きっと明日こそはぶちのめしてやる!
人のマナーと言うか、他人の「行儀が悪い」部分が目に入ると気になってしまって精神の大部分が持ってかれて疲れてしまう。
なんというか、少し前にマツコの怒り新党でやってた「恥をかくシーンが見ていられない"共感性羞恥"」に近い感覚かも。
これとは違って相手が恥をかくわけでもなく、同じ空間にいる自分がとてつもなく恥ずかしい感じ。
もともと親が公共の場での振る舞いに厳しかったというのもあるが、最近上司が変わったことがきっかけで更に意識してしまうようになってしまった。
この上司、良い年をしているのに育ちの悪さが目立つような行動が多く、かと言って指摘できるような関係でも無いから余計に辛い。
身だしなみに気を使わず異臭漂う足を投げ出して作業をする、食事に連れてかれたときでもクチャクチャ音はさせるし食べ方もこれまでの自分からしたらありえないくらい汚い。
他にもあれこれあるが別に後半年すればまた環境が変わることが決まっているし、今更振る舞いが変わるわけでも無いから上司をどうこうしようという考えはない。
それよりも、そういった他人の振る舞いが気になって気になって精神を削られていく感じをどうにかしたい。
他の上司に相談しても「他人は他人なんだし、気にすんなよ」とあっさり返されてしまい、解決にはならない。
どうしたら良いのだろうか。
直観だけど、共感性羞恥(共感的羞恥)を感じる人は嫌悪派だったりしないかな
【怒り新党】『共感性羞恥』というあの現象→分かる分からないで盛り上がる人々「ツイッター民に多い気がするのはなぜだ」
http://togetter.com/li/1016242
要は「相手の気持ちになって考えちゃう人」とか「感情移入し過ぎて考えすぎる奴」なんだけど
自分の脳内に相手(障害者側・その親族・番組側)のシャドーを作ってしまって、その気持ちを無駄に察して「うわぁ」ってなるんだよね
ゲッペルドンガーなんかもそんな感じ
http://i.imgur.com/SKBW89c.jpg
こういう人は、ペットショップの中で狭いケージに入れられている動物なんか見ても辛くなるタイプ
面白いのが「とても共感はするけど、素直に受け止めるタイプ」も居て、こっちは感動派だと思う
感動派は相手の体験を自分事のように置き換えて考えるんじゃないかな
誰かが頑張ってると、応援されたような気持ちになるし、応援されると頑張れる
俺なんかはスポーツの応援をする時に、ゲッペルさんと、周囲の人と、応援される側と、対戦相手のシャドーが脳内でゴチャゴチャ言ってくるから、素直に「頑張れ」とか言えない
嫌悪派も感動派のことを「この人は本当は嫌がってるに違いない」なんて傲慢に決めつけてる節がある
そして全部理解した達観野郎は「本人が良いって言ってるならいいだろ」とか言い始める
あと蛇足だけど
嫌悪派は登場人物の行動と心理が不一致な点が面白い作品とか好きなんじゃないかな
感動派は複雑な不一致とかよりも、分かりやすい方が好きそう
ツンデレで言えば、前者がツン:デレ=9:1 後者がツン:デレ=5:5
___
B:猿が、隣の猿のケージに蛇のおもちゃを入れられた時のストレス
を測ったらBの方が長くストレス下に置かれるみたいな内容だった
「共感性羞恥」とはドラマや映画、バラエティなどで登場人物や出演者が失敗するシーンを
共感性羞恥を持っている人間はそのような番組では視聴に支障をきたすほどで、
この「共感性羞恥」という言葉は「怒り新党」というマツコと有吉の両名(敬称略)が司会をする番組で取り上げられ広まることとなった。
いやいや待て待て。「わかるわかる、俺もそれだわー。辛くて観れないわー」じゃねえよ。
そもそもこの「共感性羞恥」とかいう単語を検索してもヒットするのは番組で放映されてネットで話題にみたいなのばっかりじゃねえか。