はてなキーワード: 救急指定病院とは
コメントや反応ありがとうございます。
全て目を通して、実践してみました。
後期高齢者を含めた餅つき大会は、おそらくですが27日か28日だろうなと思います。
29日はくもち=9=苦労するものをこねる?からダメという話を聞いたような記憶があります。
27か28に餅つきをしたとして、それから万が一餅つき大会参加者から新型コロナウィルスに対する陽性反応が出たとすると?
感染者が急増するのは大晦日付近ですね。想像すると恐怖しかないので、今年は餅を買おう!とも電話で伝えました。
祖父母と親戚たちですね。私の両親はまだ現役で働いているので餅つき大会メイン層の親族から、こいつ頭狂ったんじゃないか?という扱いを受けました。コロナに移ると怖いから餅つきには来ないでね、とも言われました。
餅つきには行かないし、そもそも私は今年の一月から一人暮らしですし。同一市内に住む親兄姉とも数ヶ月直接会ってないんです。
コロナがうつると怖いと言われ、万が一新型コロナウィルスの陽性反応が出ても私が医療従事者だから大丈夫といわれ。
そもそも論ですが高齢者に餅は危険。それなりに危険。毎年餅で救急搬送される人がいるほど危険。
あとは広島市内のこと。大きな救急指定病院が一時的にですが救急受け入れ禁止になりまして。もちろん他の病院が対応するわけですが、新型コロナウィルスだけでなく事故や緊急の病気に対する対応が……ってなるんです。もう疲れました。文字が散らかってるのはこれが限界です。この表現が限界です。
西日本豪雨の時も忙しかったけれど、今はその比じゃなく忙しい。20代の下っ端なのでいつ仕事を辞めてもいっかと思っていますが私が辞めると他の同僚にしわ寄せが確実に行くなと思うと仕事を辞める決断も出来ません。思考回路が止まったまま仕事して一人暮らしの家に帰って休みの日に祖父母と親族に餅つき大会は今年は小規模にしよ?と提案しています。
何が言いたいかわかんなくなって来ましたが、医療従事者に向けて拍手とかしなくていいから。
今年は同居家族以外が集まって餅つきをするのを禁止にしませんか?
聞けば一般企業で年末に餅つき大会をする会社もあると聞いて……え?会社で餅つくの?と思っています。
餅は餅屋でいいじゃない。
コロナの大流行で現在進行形で世界の歴史が大きく動いている。日本に住む私達は政府から自粛を要請され生活様式が一変した。私の生活にも様々な変化があったが、そのうちのひとつが自炊する頻度が大幅に増えたためスーパーの野菜売り場で悩むことが多くなったことだ。そのときに私が感じ、考え、悩んでいることを書き残そうと思う。
私は関東の某県で医療に携っている。三次救急指定病院や大学病院に勤務していた時期があるので、様々な重症度の患者を診てきた。そのなかでも幾人かの忘れられない患者達がいる。外国人技能実習生だ。4年間で3人、それぞれ様々な疾患のために入院し治療に当たった。そして3人とも保険に入っておらず、退院直後に帰国する手筈を(多くの苦労のすえ)整えた。そのなかで技能実習生の送り出し機関や受け入れ企業の組合、大使館、入国管理局、保健所などと交渉する機会があった。また逃亡した技能実習生の横の繋がりや助け合いについても知る機会があった。詳細については記載できないが、本当にこの制度は許せない。これは絶対に続いてはいけない仕組みだ。そう確信させるような失望、交渉相手が信頼出来なくなるエピソードが何度もあった。私は今でもその担当した1人が救急外来で処置を受けながら「アッラーフアックバル、アッラーフアックバル!!」と叫んでいたこと、その後回診のときに仕送りをしないといけない家族が何人もいること、日本のアニメが好きだ、とはにかみながらTシャツに描かれたキャラの名前を教えてくれたことを忘れられない。彼らはいまどうしているだろうか。生きていてほしい、母国でも治療が続けられていてほしいと願う。
私が携った人のうち2人は農業に従事していた。私はこの県の農業に、少なくない人数の技能実習生が関わっていることを知っている。そして彼らが低賃金で、過酷な労働環境で、理不尽な契約で、無保険で働いているからこの野菜売り場の一部の野菜がこの価格で販売されていると想像する。コロナで多くの人達が困窮している、だから私は自分の手の届く範囲の人達の手をとりたい、応援したいと思っている。その一環として地元の野菜を買おうと手を伸ばすとき、(でもこの野菜は技能実習生の誰かの苦しみのうえにあるんじゃないか?この野菜を食べて応援することはその制度を維持することに力を貸すのでは?)と考えてしまう。
一方で、地元の農家の人々の顔も知っている。彼らの家庭環境や経済状況もほんの部分的にであるが知っている。あのおばあちゃん今年は桜見れたのかなぁ、と思い浮かぶ。しかし、その野菜が栽培された県や農家の写真はあっても私が知りたい情報である外国人技能実習生が酷使されて作られたものかどうかはスーパーの展示からはわからない。当たり前だ、私達は私達が生きることで踏みにじる命や人生を知らなかったことにして生きるほうが快適だからだ。
私は個人的な関心と決意から技能実習生制度は許せないと思っているが、例えばこの記事を打ち込んでいるiPhoneがどんな環境で作られたものかは知らない。知らないからこそ次の機種の買い替えを楽しみにしていたりする。多分調べれば多くの情報が出てくるだろうが、あまり調べる気になっていない。フェアでありたい、自分の倫理観に沿った選択をしたい、でも自分の知識と時間と預金に限界があることが歯痒い。
私はそういった葛藤を抱えて、どうかこの野菜が理不尽な苦しみのうえに存在するものではありませんように、と小さく祈りながら地元の野菜を選ぶ。国内フェアトレードの普及、そしてなにより技能実習生制度の一刻も早い改善を心から願う。
これは関連があるようなないような話であるが、私はヘテロセクシャルのアラサー独身男性であり、そして風俗にいかないことにしている。岡村隆史の発言で活発な議論が交わされているが、私は選択肢が大幅に狭められたにもかかわらず本人の自由意思による選択だから自己責任である、という論には与しない。様々な反論があるだろうが私は日本の社会が男尊女卑が根底にあると感じている。卑近な例で言えば医学部入試問題、女性医療従事者の産休育休問題、患者の女性医療従事者に対する風当たりなどについて思うところが大いにある。そういった社会のなかでもとから職業選択や経済的不利があり、世界的な不況でさらに苦境に立つ若い女性が本来選択するつもりがなかった職業として風俗というハイリスクな職業(感染症としても、また働いている最中/働いたあとのスティグマとしても)を選ばざるを得ない状況になることを社会的に成功した男性が心待ちにする姿勢を放送することは品性が欠片もないと感じる。深く恥じてほしい。私はそういった他人の苦しみを踏み台にして自分の性欲を解消したくないし、自身の、そして今後パートナーになりうるかもしれない人への感染防御のために風俗にいかないことにしている。正直にいうと私はモテない。パートナーは長くいないし、この5年で性交したのは2回だ。どうしようもなく孤独で寂しく、自暴自棄な気分になったときに風俗のサイトを開いたり体験談を読んだことは何度かある。それでもやはり現時点の日本で男性が風俗を利用することは男女間の権威勾配に胡座をかいているように私は感じる。私はこの社会構造に納得していないし、与したくない。セックスするならお互いの自由意思で、対等な関係でしたいと本当に願っている。
なぜこの話題を出したかというと、技能実習生制度と風俗はともに弱者に不公平な社会制度が前提としてあり、本人の自由意思による選択だから自己責任という体で存続しているアンフェアなものだと感じているが、両者に対する私の対応が一貫していないように感じたからだ。
私は地元の野菜を買う、風俗は利用しないという選択をしている。アンフェアネスに対する選択が違うのはなぜだろうか、と考えると、野菜を買うときは直接加害者にはならないが、風俗を利用するときは直接加害者になるからでは……?と気付いてしまった。もし野菜を買うときに小さく祈ることで一定確率で技能実習生の苦しみに寄与することが許されるなら、風俗を利用するときも対応してくれる風俗嬢が選択肢を狭められた結果ではなく、本人の自由意思で風俗に従事していますようにと小さく祈ればいいのでは?と。あるいは一貫性をもたせるために地元の野菜を一切買うべきではないのでは?と。
妄想と仮定のうえの思考実験で自己欺瞞かもしれないが、今は以下のような結論にしている。仮に地元の野菜を回避して別の県の野菜を買ったとして、どれだけ技能実習生の苦しみが減るか不明である。一方、私は野菜を食べたい、また地元の県の経済を少しでも回したい。都道府県別に技能実習生が生産に関わった野菜がわかるなら、より少ない県を選ぶ。そういった情報がない以上、小さく祈りながら地元の野菜を選ぶ。しかしもし今後よりよい買い方があればそれを選ぶ。風俗嬢がまったく経済的に不自由しておらず本人の自由意思で従事している可能性はゼロではないが限りなく低いと想像する。私が愛した女性が私をパートナーとして受け入れずひどく孤独であることと、私が風俗を利用するかどうかは別の問題であり、風俗にアンフェアネスがある限り私は利用しない。という結論になった。
勿論この考えは完璧ではないと思う。本当に技能実習生を憂うなら抗議デモに参加を考えるべきだし、風俗を利用しない選択が結果的に風俗嬢の経済的苦境を悪化させるかもしれないし、利用しないことが風俗が賎業であるという偏見を後押しするかもしれない。(もし私の友人や家族が風俗に従事したいと言い出したらまず止めるだろう、そしてそこに一部もスティグマがないかと言われると難しい)不十分な情報をもとにした不十分な選択かもしれないが、今の私はアンフェアネスに対してこういった選択をしている。
私は自分の考えを確かなものにしたいので、もっと他の人の意見を知りたいです。野菜のより良い買い方や風俗利用について、そして根本的にはアンフェアネスに対する選択について、是非意見を教えてもらえないでしょうか?参考文献も購入を検討するのでご教示いただければ嬉しいです。
18時48分 追記:ブクマ、レスありがとうございます。全部目を通します。あと参考文献を載せてくれた方、ありがとうございます。購入しました。のちほどいくつか返信できればと思います。
ある急性症状で急いで近隣の救急指定病院にいった。
Aちゃんのママはしっかり聞き取りをして医者にとりついでくれたあと、
待合いでちらっと「Aのママです、いつもおせわになってます」と
いって良い感じに微笑んだあと忙しそうにさっと立ち去った。
Aちゃんは、うちの子と中学・高校で一緒の子。(クラスは1度だけいっしょ)
中学のころから、Aちゃんのいるクラスだけ頻繁に盗難がおこる。
授業でそれをつかわなくなったころ、置き忘れとはいえないところからでてくる。
親は早急に買い直しに走らされている。
やはり実害はあるし盗難だ。
この4~6年は、毎年クラスがえがあった。
高校になると選択授業も増える。
Aちゃんがいるときにそれがおこるとの状況証拠はかなり蓄積されてしまっている。
(Aちゃんにだれかが意図的に罪をかぶせるとか、脅迫してやらせるとかまでいれると、
Aちゃんのママは、「常識ならそれは証拠になるということ」を面談でつきつけられても
やはり、「うちの子という証拠がないのであれば、うけつけられない」「私はうちの子を信じている」と言っていたとのこと。
立場としてそういわざるをえないだろうとも思うけれど。
余談だけどAちゃんの他にもなんかいろいろなこまった生徒(恫喝、暴行)と、それを全くフィードバックされておらず、
子供を信じることに徹しているママが中学から高校にかけているみたいです。
うちは進学校です。
しっかりした看護婦さんでも、いや夜勤して家をはなれて患者のためにつくすような人だからこそ、そうなんだなって。
憎むわけでも哀れむわけでも迷惑がるでもなくて、なんだか、本当に純粋に辛い。
一度でも盗まれた子、困らされた子は、同級生を疑って警戒しながらリラックスして学校生活するという
難易度EXのストレス生活をおしつけられてるのも目の当たりにしてる。
パスポートとられたら帰国できないから先生にあずけてないときは絶対に体からはなすなと言い聞かせたそうだ。
…風呂どうしたんだろね。
学校の指示にあわせて食べさせ寝させ
学校に送り出すことで手一杯なんだろうなと思う。
たぶんこのまま35歳児とかになったりすることもあるんだろう。
高校生の子供は、母親に対して、子を100%信じることを要求し、絶対的な保護を要求しておきながら、
それを内部から突き崩すようなことを平然と行う。
警察も、教師も、母親が「うちの子を信じる」と唱えれば退けてもらえると信じているのかもしれない。
母親が「自分は一人の女だ。脆いのだ、今立っているだけで精一杯だ。
孫がうまれたら、世間にこうやって子供をだすつらさを、うちの子にも味わわせるの、つらい。
3歳児だったらまだ嘘も見抜けるし叱れるけれど、
ハイティーンをもつ親にはもういちど子供と向かい合いなおすための育児休暇などない。
そこにもっていくまでにもどたばたあって
私が、すっかり駄目になってしまっている。
更年期障害だという人も多いらしい。
うちの子も、盗む側にも、盗まれる側にも、絶対に立たせたくない。
父親でもだれでもいいから、子供のうけいれる説教がいえる人はいないのか。
入院して治してくる間、うちの子は、夕御飯は家でたべて、起こさなくても自分で起きて、寝て、
薬くらい一人でのんでくれるのだろうか。
働いてたら辞めたくなってるとおもう。
「信用できない」は一番ひどい病気のもとだとおもう。
信用と安心がなければ生きていけないあまっちょろい親子は
進学校なんかいかせずに、公立+塾でもいかせておけばよかった。
日本死ねなんていえないけれど、なんかもうほんと、辛いよ。
GWの間検査結果ききにいけなくて、毎日痛み止め握りしめてる。
前にのんでから6時間たったとか、ききにくくなってるとか、自分で判定しないといけないんだってさ。
早く手術の日程きめてくれないかな。
臓器とっちゃったら楽になれるんだってさ。
それだけ。
《89》 「専門医がいないので」と救急車が断わられた。納得できなくても……
http://apital.asahi.com/article/sakai/2013032500005.html
この問題については、発言する医師に熱血な人が多いせいか知らないが、
「僕らも専門外の救急を受け入れなきゃいけないと思ってます! でも司法が許さないんです!」というような論調ばかり見る気がする
しかし実際の所、司法判断がどうであれ、専門外の病態は医師としても診たくない
少なくとも僕はそうだ
この酒井ドクターだって、以前まったく専門外である幼児の心肺停止を受けてしまって、恐ろしかったと書いている
僕が同じような状況に置かれて、尚且つ専門の医師のヘルプが無かったら、たとえ家族や本人が許しても、
「専門の人に診てもらえば、もっとましな治療が受けられるのに…」と罪の意識を覚えることは間違いない
そういうのが嫌で、僕は救急指定病院を辞めた
しかし現実問題として、ここまで極端な例ではないが、夜間救急をやっていた時は似たようなことがしょっちゅうあった
そういう時は、救急隊から問い合わせを受けた時点で「専門の医師は居ませんがよろしいですか」と患者に確認してもらっていた
一応自分に対応可能かどうか(この場合は最適な治療ができるという意味ではなく、朝まで持たせられるという意味)、
救急隊の報告から判断してもいるが、何しろ実際に診てみるまで本当に対応可能な病態かは分からない
まあ口約束など訴訟になればほとんど効力は無いのかもしれないが、自分に対する気休めである
しかし一方で、そんな自己欺瞞を用いてまで無責任にベストでない治療を引きうけている自分に、また嫌悪感が募る
まともな知識もない癖に病人を囲い込んで重症化させるトンデモ代替医療と、僕との間に、どれほど差があると言うのだろう?
そういう意味では心タンポナーデ事件のような判決は、むしろ僕のような医師の恐怖感に正当性を持たせてくれたと思う
見当違いの治療をして助かる命を損ねてしまう恐怖を押さえてまで、救急を受け入れるのは問題であると明言してくれた