はてなキーワード: ブロガーとは
追記:
書き散らしたからわかりづらいな。
例えばブクマカのコメントなんてのははてなブログとか一部のブロガーにしか注目されない。大抵はツイッターの反応や記事への直接的な意見にしか目を向けない。
なのに増田だけは実質ブクマが正規のコメント方法になっているせいか、異様にブクマカを意識したものが多い。同様に増田に関するブクマカが散見される。殆どのSNSやブログ等で話題にならない増田の話を汲み取るのは、間違いなくブクマカだ。
このある種の依存関係と対立構造が全てはつなのサービスの中だけで完結している。
また、ブクマカは増田と対立することも多いが、一方で信奉とでも言うべき情念も持ち合わせている。ときおりいる、自称専門家の意見を拡散しているのはブクマカだ。
これが、ハテブが増田の監視装置的なものならまだわかる。暴走しやすい実験的な増田にに対する抑止力にブクマカがなっているならば。でも実態は単なる痴話喧嘩でしかない。
この不思議な関係がどうやって築かれたのかはよくわからないけど、内部でぐるぐると自慰行為にふけっているようで非常に気持ちが悪い。思想が偏っているのも納得だ
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増田とブクマカという非対称性な対立構造だけで全てが完結しているの、凄くない?
そもそも増田もブクマカも議論する場には一切向かないし、勝手に虚空に叫んでいるだけの状態だよね?
なんか、手斧をぶつけ合えるのがこの二者間だけになりつつある気がするの
最近少数のブクマではあるが、この手の、「おまえなにを考えていまさらそれを手にしてえらそうに語ってるの?」ってのが登場するブログが増えてきてる。
その理由が知りたい。
この記事はとくに問題はないけど互助会として大昔のアニメやマンガをいまさらのようにペラペラな感想とアフィをくっつけて貼って相互ブクマを求める意味?
アフィリエイトがつくはずもないし、中身がないから互助会なのに、その内容が大昔だと記事にジャンプしてもアフィ商品をクリックされることはないだろうし。
もう1回いっておくがこの記事はとくに関係ない。なにを今更ってのはあるけど。ナイツの漫才みたいに「すごいアイドルみつけましたよ、SMAPっていうんですけどね」的なノリはあるけど。
とりあえず互助会とかセルフブクマを2個3個つけてペラペラな記事を貼り付けるアフィ目当ての乞食ブロガーがブログ文化をダメにした元凶なのでそいつらにはずっと恨みはあるんだけどさ。
追記:トラバ・ブコメに返信しました→anond:20221012181429
この増田を読んで思った
テレビもニュースメディアもYouTubeもTwitterもヤフコメもはてブもRedditも当然この増田も、「バズってなんぼ」というプラットフォームになってしまっている
ほとんど全てのプラットフォームがいいね的な仕様を取り入れていて、それを多く獲得した記事が目立つ、あるいは稼げるような仕組みになっている
別にバズって悪いことばかりじゃないけど
さらに俺が最近本当によく思うのは、上に挙げたプラットフォームがどれも「情報の切り取り」がしやすくなってしまっていること
情報の切り取りが行われた結果、切り取られた情報からはその前後の文脈が失われる
テレビやYouTubeは、なんか扇動的な字幕が入った部分だけキャプチャしてTwitterに上げればバズる
ニュースメディアは会員にならないと記事が最後まで読めないから公開部分だけ読んでブコメする
ブコメやTwitterに至ってはごく短い文字数制限があって、元から情報が切り取られている
増田やヤフコメやRedditやTwitterは自分で記事を消したり非公開にしたりできるのでトカゲの尻尾切りが頻繁に行われる
増田みたいな匿名の場所は「誰が」その発言をしたのか分かりづらく文脈が途切れやすい
こういった「情報の切り取り」文化と「バズってなんぼ」文化の組み合わせが相性良すぎるのが問題なのでは?と思う
ついでに、ブロガーのシロクマ的な人が、ある記事(https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20220926/1664193445)で
と書いている
この記事は忙しい素人がフェイクニュースを見破る難しさについて言及している(ちなみにこの記事の主旨に対しては「忙しいなら素人だろうが玄人だろうがわざわざTwitter開いてどこの誰かもわからん奴のセンシティブなツイートをRTすんなよ」で俺的には結論が出ている。憶測だけど、RTした人たちのほとんどは忙しい人たちじゃないんじゃないか)ので文脈は違うけど、俺はここで考える
どういうプラットフォームなら、情報が切り取られることなく、バズってなんぼになることなく、各々が自分で考えるような議論を促せる?
いまの俺が考える理想的な議論のためのプラットフォームは、GitHubでソースコードを管理することに若干似ている
最低限これは欲しいと考えてる要件は以下の通り
俺の書いた要件がすべて正しいとも思っちゃいないけど、一番言いたいのは、「議論ってのは土壌が整った上で腰を据えてじっくり行われるべきなんじゃないか?そういう場がないなら、用意すべきなんじゃないか?」という問題提起である
自分の過ちに気づくと、その発言を消したり、鍵垢にしてしまう人がいる
過ちに気づいているのかいないのか、いくら指摘されても認めない人がいる
発言の一部を切り取って、批判したつもりが誹謗中傷になってしまった人がいる
承認欲求のためではなく、露悪趣味のためでもなく、ただただ議論のためだけの民主的なプラットフォーム
ずっとインターネットをばかりやっていた。それなのに一角の人物にもなれなかった。
自分がネットを始めた頃にネット活動を始めた人たちは、今や人気ブロガーやライター・小説家になったり
VTuberの物になって人気を得ている。
一方自分ときたら、多少ネット上で表現活動をやっていた時期もあったが、引っ込み思案であることや
持ち前の学習能力の無さや、どの才能も人並み以下だったこともあり何一つ成果はあがっていない。
それ以上にインターネット中毒をこじらせ、実生活にも影響を受け、30を手前にして最近社会復帰したフリーターという有様し、
あの日、同じようにネットを楽しんでいたはずだったのに、どうしてこんなにも差がついてしまったんだろうか。
それを思うたび、悲しくて胸が張り裂けそうだ。
高校生の頃に出会い、15年以上の時を共に過ごしてきたはてなですが、そろそろ終わりにしようと思います。
ここ数年は違いましたが、かつては私もはてなを楽しんでいました。
自分の知らない話題を沢山提供してくれたし、話題になるブロガーさん達は大なり小なり愉快で、彼らの痴話喧嘩を観測するのはいい暇潰しでした。
ですが、今では「言葉」や「価値観」というものが怖くて仕方ありません。
言葉をこねくり回して自らの正しさを証明する遊びは、生活や時間にゆとりがあるから出来ることです。
逆に言えば、そうした余裕さえあれば、誰だって正しく在れるのが私にとってのはてなでした。
何故なら多くの人はそういう物事に関わっている時間的余裕などなく、彼らがそれを理解しなかったり、机上の空論の権化である私たちを批判するのは当たり前だからです。
世の中に自らの生活以上に大切なものなどなく、そこに余裕のある私たちが主張する仮初めの正しさなんて世間的に支持されるべきものではありませんし、ましてや「それを理解しないお前たちはおかしい」と言える筋合いはありません。
自分と同じように主義主張を掲げている特定の個人を名指しした論争は絆も情もあり面白いですが、世間やユーザー全体に対して論戦を挑む風潮は不毛です。
どんな話題にせよ、「自分は正しく、お前達は間違っている」という優越的な理屈は、容易に他人を縛り、対立を生み出し、皆を熱狂させます。
でもそれは、本質的に「私たちは暇人だ」という大合唱にすぎません。
レッテル張りしてるけど話が噛み合ってないんだよなあ。お前もお前で自分が思ってるほど頭よくないと思うよ。
相対論とか極端な例を持ち出す前にまずは身近なジャンルとして料理ブロガーで月間何百万PV稼いでる奴がなんで稼いでるのかその必然性を考えてみたら。別にPV稼いでる奴が無名ブロガーのレシピより飛びぬけて優れてるなんてことなくて、むしろ多くのブロガーは不条理にくすぶって、要は有名になってる人間の方がラッキーマンに過ぎないのよ。
ところでレビューの有無に関わらず投資の方法論が書かれてたらとりあえずやってみようとは思わんもんなのかね。
お前は増田を読んだといっても「目を通してレビューがあるかどうかを確認しただけ」だろ?中身は読んでないんだろ。
形式的に整っているかと役立つ内容かどうかは関係ないわけで、たとえば金欲がある奴は儲けの方法論とあったら読むだけ読んで参考にできることはしようと思うもんだがね。欲が無いのか?